瀕死の世界
俗世はありとあらゆる穢れに満ちている。
寵愛は死で報いられ、羽音は罵倒を発し、宝石からは脂汗が滴り、金貨の沼に信仰は眠り続ける……。
しかし、この不潔な世界にも意義はある。
人が去った世界はとても美しく、我々には消える価値がたしかにあるのだ。
さあ、廃墟を見にいこう。寂寞たる世界の片鱗を……。
◇
「塔屋からじゃないのか?」
そう尋ねるとグゥーは頭を振り、
「あそこから出ると巨人の眼前に出ちまうからな、少し離れた森の中に止めなおしてあるんだ」
「森の中か……」
「奴とは逆方向から出て、そのまま森に入る作戦だな」
「入る前に攻撃されたりしないか……?」
「可能性は高いが、どのみち塔屋からよりはマシだろ?」
「たしかに……」
俺たちはグゥーの提案を飲み、巨人がいる正門の逆……つまり裏門より、ギャロップのある森の中に向かう。地下へ向かう面子は俺たち三人とグゥーにミィー、そしてソリュウトとヨニケラの七人だ。ミィーは屈伸運動をしながらグゥーを見やり、
「スマートウォーカーとか、ないの?」
「ああ、忘れた」
「リーダーはわりと足が遅いんだから常備しないと」
「いや、そんなことないし!」
「あるんだから、がんばって走ってね」
「ばっか、本気出せば森まで一瞬だし!」
一瞬ねぇ……。
この建物の周囲は草地になっていて、遮蔽物になりそうなものはない。それに森まで百メートル以上はあり、加えてみな相応に装備を背負っているんだ、足は確実に遅くはなるはず……。俺も光線銃とシューターを持っているので、全力で走っても二十秒以上は確実にかかってしまうだろう。
「さて……どうする? 最初から全速力でいくか?」
「それだとリーダーがすぐへばって転んで光線に焼き殺される未来しか見えないでーす!」
グゥーはうなり、
「いや、そんなことないし……!」
「ありまーす!」
うーん……ミィーの断定っぷりからして信憑性は高いな。ならばあまり無理はさせない方がいいかな……?
「まあ、ある程度の距離までならこの建物が俺たちを隠してくれるはずだし、走るのは視認されてからでもいいかもしれないな……」
「同感! それでいきましょう!」
そして俺たちは恐々としながら裏門を出て……巨人からなるべく視認されないよう、前傾姿勢でまっすぐに進む……。
「だ、大丈夫そうだな……」
「草の背もそこそこ高いしな」ソリュウトだ「このまま行ければいいが……」
などと言っている側から地鳴りのような足音っ……! 見つかったかっ?
「やばい、走るぞっ!」
グゥーがいち早く駆け出す! なんだ思ったよりすばしっこいじゃないか……と思った途端に追い越してしまった。そしてグゥーはすぐにどんじりとなってしまう……。
「グゥー、急げっ!」
「いい、急いでるよっ!」
「リーダー、いますぐ限界を超えてっ!」
「簡単に言うなっ……!」
振り返ると明らかに巨人がこっちに向かっている、そして左手を突き出した! こいつは確実になにか飛んでくるぞっ!
「撃ってくるぞっ! マジで急げっ!」
「リーダー、ふんばって……!」
「ぬぅええええっ……!」
森は眼前、もうすぐだっ……! そして飛び込んだ瞬間……背後が光ったっ? うおお、光線を打ってきやがったんだ……! さらに幾度も周囲が輝き、たちまち周囲が炎上し始める……!
「くそ、余波でこれかよ! みんな無事かっ?」
「うむ!」前方のワルドが振り返る「足音からしてみな無事であろう!」
「よし、ギャロップはどこだっ?」
「まっすぐだ……! まっすぐぅ……!」
グゥーはもうバテバテだな……。だが幸いなことに、これ以上の追撃はないようだ。しかし光線による火災は周囲を包み始め、新たな脅威になりつつある……!
「火の手が広がってきたな、急ぐぞ!」
「ちょっと……待って……」
「ほらリーダー、がんばって!」
グゥーを励ましながら炎上する森を駆けていくと、ギャロップの姿が、近づくと自動でドアが開いた……!
「よし、みんな乗り込めっ!」
俺たちはギャロップに乗り込む、そしてグゥーが息絶え絶えに起動、すぐに森の中を進み始める……。
「ああ、危なかったぜ……! スクラトにしてもオ・ヴーにしてもよくあんなのとやり合えるよ……!」
グゥーは汗を拭きつつ振り返る形で俺を見やり、
「にしても……照準が甘い気がするな……。あいつ、本当に俺たちを殺そうとしているのか……? それともぶっ壊れてるのかね……?」
本気で殺そうとはしていない可能性がある、か……。
「……で、入り口はどこだって……?」
「砦のある湿地の近くだ。そこから歩いて少しのはずだが、細かい場所までは覚えていないな」
「……まあ、そこまでわかってれば……上等だ……。後はこいつで探せる……」
探せる……? ずいぶん便利なんだなこの乗り物は……。
ややしてギャロップが上昇、森を眼下に進んでいく。途中、ハイロードらしき道が見えてきた。そして数人の冒険者らしき人影も……。そういや道中、他の冒険者にぜんぜん会っていないな。俺たちは妙な道筋でここまできたからなぁ……。
それから飛ぶこと数十分、湿地が見えてくる。あれから大して日にちが経っていないはずだが、なんだか懐かしいなぁ……。
「フェリクス、仲間に挨拶とかはいいのか?」
フェリクスは眼下を眺めていた視線を俺に向け、
「そうだねー、でも、さほど時間があるわけじゃないんだよね?」
「まあ、な……。とはいえ、少しくらいならいいんだぞ、今後どうなるかわかったものじゃないからな。会いたい人には会っておくべきだ……」
そう言うと、ふとフェリクスが微笑む……。
「そうだねー、そう思うよ。でも、僕がいま会いたい人たちはエシュタリオンにいるんだ」
「そう、か……」
フェリクスは俺と違って、故郷に帰りたいんだもんな……。
「おい、いいのか? 寄り道し……」
グゥーはそこで言葉を詰まらせる。
「……どうかしたのか?」
「な、なんだこりゃ……? ここって、こんなんだったっけか……?」
眼下を見やると、森の広範囲が焼け、地盤が崩れ、地下の構造物が地上にせり出しているっ……?
「こっ、これはっ……?」
「むう? どうかしたのかね?」
「この辺一帯が、崩壊しているんだ……!」
「なんだと……?」
虫との戦いが激化し過ぎた……? ということは、アージェル……!
「あれ、でも人がいるよ……?」ミィーだ「まんなか辺り……」
「人だって……?」
「人間がひとり、それにアテマタ……? それにこの大きな影は……」
「よし、アップにするぞ」
前方のガラスに人影が映る……。そしてそれは……!
「アージェル……!」
グゥーは振り返り、
「知ってるのか?」
「ああ……! 地下にこもってしまったはずだが……彼女が鍵となる人物だ……」
「敵性はないんだよな?」
「……ない、と思いたいが……」
「よし、降りてみるか……」
ギャロップが人影よりやや離れて、地上に降りる……。
「まずは俺がいく。みんなは後からきてくれ……。やばそうだったらすぐに離脱してくれていい」
「そういうわけにもいかんだろ」
「あまりいい予感はしない……。黙って言う通りにしてくれ」
グゥーはしぶしぶ頷く……。そして俺はギャロップから降り、荒廃した地面を踏む……。
草花が混じった土の中から人工物が隆起し、樹木は軒並み倒れ、頭上には青空が広がっている……。そして、遠くに人影らしきものが……。
さて……いくか。
俺は荒廃した一帯の中心に向かっていく……。どうにも、そこではテーブルと椅子が置いてあるようだ……? そしてそれに腰かけている影がひとつ、それはアージェルだと遠目にもわかる……。白っぽいドレスを着ていて、おそらくこちらを向いている……。
しかし、その側に立っている人影は何者だ……? 考えられるのは声だけの奴だが……。
さらに気になるのはふたりの近くにいる大きな影だ、人型くさいが、お座りをしている犬のような姿勢で微動だにしない……。
そしてかすかに音楽が聞こえてくる……。軽妙でリズミカルな音楽……。ルーイン、ルーイン、ルーイン……。
俺は彼女らに近づいていく……。人影の輪郭がはっきりしていく……。彼女は微笑んでいる、俺はその眼前に立つ……。
「……アージェル」
アージェルは紅茶のカップを置く……。そして頭上を見上げた。
「なんて静か、なんて平穏、なんて青い空……」
そして、俺を見やる……。
「そしてあなたが会いにきてくれた。なんていい日……」
アージェル……無事だったか……。
しかし、これは……。
「これは……どういうことなんだ……?」
「戦っているうちに、気付いたの」アージェルは立ち上がる「こんな景色が好きだって……」
「虫たちを……皆殺しにしたのか……?」
「いいえ、彼らとは和解したの。ある意味、死んだと言えるのはこれ」
「はい、アルテミス」
アージェルはとなりの機械人間を見やる……。痩せた銀色の体、ドーム状の顔には目らしきものがふたつあるだけの、質素な体……。そして、聞き覚えのある、あの声……。
「な、なにがあった……?」
「私は力を手に入れた。地下は虫たちに明け渡した。それだけだよ」
「力を……?」
「ええ、骨にコードを刻むんだってね、アテマタから聞いたよ」
「なにぃ……?」
「彼らはこれの横暴を許さなかったみたい。なぜかはわからないけど、そうらしい。そして私に力をくれた。彼女もいるしね」
アテマタ、またアテマタか……。それに彼女って、近くにいる巨人……いや獣……? 白い仮面をかぶっていて……顔は分からない。目元すら開いていないが、あれで前が見えるのか? そして左右に伸びる猫みたいに大きな耳が断続的に動いている……。
体にも鎧のようなものを装備しており、その隙間より窺える体は逞しく、恐ろしく厚い爪が地下よりせり出した人工物にめり込んでいる。そして彼女と呼ばれるだけあり、胸部が大きく隆起している……。
「今じゃ、魔術も使えるんだよ」
アージェルの手から光が……! そのとき黒エリやシルヴェのことが思い起こされるが、とくになにかと融合しているような様子はない……。
「コードだと……? 体は大丈夫なのか……?」
「もちろん。むしろこれこそが本当の姿なんだ」
本当の姿……? アージェルはこちらに近づいてくる……。そして、俺の周囲を巡り始めた……。
「自然状態から育てる魔術はむしろ変則的らしいよ。基本的に性能が低く、不安定なんだ。まあ、だからこそ想定外の効果を発揮する場合もあって、彼らは興味深く思っているようだけど」
変則的、想定外の効果……。
「その話は興味深いが、それよりこの有様はなんだ……? 虫たちと戦ったからといって、地上がこんなになるなんて……」
アージェルはくるりと一回転し、
「とどのつまり、私は人でも獣でもなかった……。そして、私はこんな景色が好き……」
辺りは瓦礫の続く荒廃した世界……。さっきも言っていたようだが、こんな景色が好きだって……?
「私は人間嫌いなんだと思ってた。でもそれは正確ではなかったみたい。人が去りゆく、瀕死の世界に惹かれているんだから……」
瀕死の、世界だと……?
「こ、こんな世界……寂しいじゃないか……」
「そうだね」アージェルは微笑む「寂しい、虚しい、哀しい、静か……。こんな冷えた世界が私は好き……」
廃墟、廃墟か……。
……正直、わからないわけではない……。世間と相容れないことがあり、そのたびに嫌になっても、やっぱり人の影は恋しいんだよな……。だから人工物に惹かれる、あるいは朽ちたものを……。俺もひとりになりたいとき、近所の廃墟に足を向けることがあったっけ……。
「あー……まあ、ともかく元気そうでよかったよ……。それに地下に閉じ込められていなくてな……。それで、これからどうするんだ……?」
「そうだね……この地の廃墟巡りでもしようかな? 一緒に行こう」
「……一緒に? いや……俺たちはここに用事があるんだ。遺物が必要になってね……」
「下は虫たちの楽園だよ、危ないと思うな」
「まあ……危険は承知さ。入ってもいいんだろう?」
「好きにしたらいいよ」
「じゃあ……そうするよ」
振り返ると近くにみんなの姿が、様子を見にきてくれたのか……。俺は手を振り、
「よしみんな、地下に入って……」
そのとき、腕を掴まれる……?
「な、なんだ……?」
「ねえ、廃墟巡りに行こう?」
「……なに? いや、だから俺は……」
「カリステ!」
アージェルが呼びかけると、のっそりと獣が動き出した! 俺の数倍はあろうかという巨体が接近し……その大きな両手で俺を掴む……!
「なっ……なにをするっ……!」
く、苦しくはないが、抵抗は意味を成さない、腕力ではまったく勝ち目がない……!
「させんよ!」
いつの間にやらワルドが近くに、光線を放つっ……! しかし獣は手のひらで受け止める! 通じていないのか……? 獣は唸り始める……!
「まっ、待て! こいつはやばい、手を出すな! すぐに戻るから、みんなは目的を果たせっ……!」
「さあ、行こう! カリステ、昨日見付けた場所へ!」
け、獣が跳ぶっ……! そして高速で景色が、樹木が流れていく……!
くそっ、いきなりなんだっていうんだ、廃墟巡りだとっ……?
というか風圧がすごい! 息がしづらい……と思ったら獣が俺を懐に風よけをしてくれる……。い、意外と丁寧だな……?
それにしても、いったいどこへ連れて行こうってんだ……? というかすごい揺れるし、だんだん気分が悪くなってきたんだけれど……!
……しばらくして、ようやく獣は立ち止まる……。そしてゆっくりと俺を地面に降ろした……。いきなり安定した地面に降ろされ、俺はふらつく……。
「こ、ここは……?」
樹々が生い茂る森の中に、巨大な建造物が鎮座していた……。高さはせいぜい二階建てほどだが、横幅が把握できないほど広い……。そして全体にツルが覆い茂っているな……。
「こ、ここはなんだ……?」
呆然としていると、気配が追ってくる、そして現れたのはもちろんアージェルと機械人間だ……。あの速さについてこれたのか……。
「い、いったいなんなんだ? こんなところに連れてきて……!」
「言ったでしょう? 廃墟巡りだって」
「いや、俺はそんなことをしている場合じゃ……!」
「とにかく入ってみようよ」
アージェルは俺の言葉をろくに聞かず、さっさと目前の建物に入っていくが……後に続く気にはなれないな……。なにが潜んでいるかわからないし……。
それに、機械人間も入らないようだ。ぼうっと突っ立っている。
「……お前、あの声の奴だろう……?」
「はい」機械人間は俺を見やる「だからどうだと言うのです?」
「いや……別に……」
相変わらず、気に食わん態度だ……。だが一応、いろいろと聞いてはみないとな……。
「……アテマタがやってきたって、なぜだ?」
「私のしたかったことが気に入らなかったのでしょう」機械人間は俺を見ずに言った「だからどうだと言うのです?」
「い、いや……別に……」
こいつ、いちいち刺々しいなぁ……。でも、一応は受け答えが成立するみたいだ……。
「お前のしたかったことって、アージェルを鳥かごの小鳥みたいに愛でることなんだろう……?」
「そうだとして」機械人間は頭上を見上げて言った「だからどうだと言うのです?」
「いや、変質的だなと思ってな……」
ずばり口にしてしまったが、まあ、いいか……。
「褒めてもなにもでませんよ」
いや、微塵も褒めてねぇよ!
「……で、あのカリステとかいう奴はなんなんだ……?」
「アテマタ・ビースト、便宜上、わたしが名付けました。一応、アルテミスに忠実なようですが、固有の人格を有しているので油断はできません」機械人間は俺を見やり「まあ、だからどうだという話でもありますが」
「というか、お前に名前ってあるの?」
機械人間は答えない……と、そのとき、ガフッ、ガフッと恐ろしい息遣いが聞こえ、振り返るとカリステの顔が俺の眼前に……!
「ベッ……ルスス……」
そして、獣は言葉らしきものを発した……!
「ベッ……ルスス、ベッルスス……」
そしてガフッ、ガフッと俺の周囲を回るぅう……! な、なんなんだこいつは、挙動がかなり怖いぞぉ……!
「レク、どうかした?」
そのとき、建造物からアージェルが顔を出す……。
「いや、この獣がからんできて……」
「カリステ、大人しくしていろ」
カリステはガフッ、ガフッと息をし、今度は樹に登り始める……。
「それより面白いよ、ちょっときて」
だから、いまこんなことをしている場合じゃないってのに……。
しかし状況は明らかに不利だ、変に突っぱねても事態は好転しないかもしれない。多少は話を合わせていかなきゃならないか……。
俺はやむを得なく内部に入っていく……。