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WRECKTHERION(仮題)  作者: montana
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魔条理

 罪に対する因果として、確たる合理の罰が与えられるとするならば救われようというものですが、実際は刑罰といえども応報の経緯は曖昧なものです。

 このことに対し、あるいは要因として自身の不可解さを鑑みたとき、疑念を覚えたというよりは、むしろある種の思惑すら感じられるこの混沌とした世界に、いっそ不条理にはあまりに意味などなく、その虚無は空白という意味に留まらず……何かそう、ひたすらに恐ろしいそれとは指せぬものの実在すら感じ取れ、いってしまえば私自身もまた、その一部となる妖に違いないのでは……などと考えてしまうのです。



 おや、壁沿いとはいえこんなところにテーブルや椅子があるな。野ざらしになっているわりに腐ってはいないらしい。ワルドがどっかりと座ってもぶっ壊れなかったし。

「いくらか指針を定めよう」

「俺はとにかく電撃の魔術だな」

 なかなか座り心地のいい椅子だな。あんまり汚くもない。

「うむ、そしておぬしだが……」

 メザニュールさんは頷き、

「あの術は極めて高度なものだと仰りたいのですね」

「……セイントバードの習得にはかなりの時間を費やすものと予想される。筋のよい者でも数年以上はな」

 そ、そんなに……!

 しかし、当の本人はとくに驚いた様子がないが……。

「時間がかかるのですね。ですが問題はありません。私は……これと思えた力の習得はいやに早いのですから」

「私は急いておらんが、そうしたいと思うのはむしろ君たちの方であろうな」

 まあ、俺とていつまでも修行で足止めってわけにもな。持ち合わせにも限界があるしな。

「私は……修行期間をローミューンさんに合わせたいと思っています」

 おっと、俺が基準かい……?

「レクでいいよ、長いから。君のことは……」

「はい、どのようにでも」

 そうさな……緊急事態を想定すれば、呼び名は互いに短い方がいいか。

「じゃあエリはさ、修行が中途半端なまま出発することになってもいいというのかい? いや、もちろん仮定の話だけれども……」

「かまいません」

 うーん……いいのか。まあ治癒の魔術だけでもかなり助かるしな。

「というか、ど素人が指先からちょっと電気を出すのにどのくらいかかるの……?」

「人による、としかいえんな。数時間から数年……いや、さらにかかる場合もあるかもしれん」

 マジかよ……!

「ひとまずの目標として半年だな」

「そ、そんなにぃ……?」

「かかる者はザラにおるよ。おぬしもそれでよいかね?」

「半年とおっしゃいましたか? ええ、何年であろうとも異論はありません」

 早かろうと遅かろうと問題ないって……? そんなこたないだろう……。

 まあ、それはそうと、

「あの、そもそも魔術って何なの……?」

 あの屋敷には大量の蔵書があったが魔術に関するものはほとんどなかったんだよな。学院や図書館、町の本屋にもなくて……いや、ちらりとしか見えなかったので確信はないが、あいつの部屋にはあったのかもしれない。あの奥で山積みになっていたのは……。

「魔術という呼び方はこの大陸において一般的ではあるが、正式名称というわけではない。原理は不明だが、できる者はできてしまう異能力をある体系においてそう呼んでおるのだな」

「へえ……そんな感じなの」

「とにかく信じることだ、そういった力があることを、自身が扱えるということをな」

「以前にもこの目で見たからな、存在は信じているよ。でも使えなかったんだよなぁ、俺もかっこよく火とか出してみたかったんだけれど……」

「魔術は」エリだ「必要ゆえに使えるようになるそうです。レクさんがこれまで扱えなかったのは必要性がなかったからでしょう。それはそれでよいことだと思います」

「なるほど? じゃあ、旅路で干からびる思いをすれば水が出せるようになるみたいな?」

「なりますとも」エリの手から、水が……!「必要ゆえに扱えるのです。ですが、切実さがないとなりません。それも圧倒的な……」

「危機感が習得を早めるという話はよく聞く。しかし……世には別段の理由もなく、あっという間に扱えるようになる者もいる。才能といえば簡単だが、どうにも……」

 才能かぁ……。やっぱりそういう感じになっちゃうのかね。

「まあ、なんとなく分かったよ。それでどんな修行をしたらいい?」

「その前にいっておくことがある。私の指南を受けるといっても、私が扱う魔術体系に傾倒する必要はないのだ。あまり腑に落ちない体系思想を強要されればやる気も削がれようというもの、それは実際的に異能の発現に悪影響を及ぼすのだな」

「つまりは好きにやれってこと……?」

「そういうことだ。自身がもっとも腑に落ちる思想と関連させ、それを発現させた方がよいとされておる」

 なるほど……?

「でも、なんというか、コツとかないの?」

「私と同じ体系を選ぶのならいくらでも」懐から小さな書物が出てきた「しかし、まずは君自身の道を歩むべきであろうな」

 そうだな……書物の中を拝見させてもらっても……なんというか、やはりピンとこないしなぁ……。

「……まあ、いろいろやってみるよ」

「うむ、しかしどの体系にも似通った面はあってな、祈りや精神統一、瞑想が大きな助けとなることであろう」

 祈り、瞑想ねぇ……。

「……ところで、ワルドはバックマンを?」

「うむ、歩く屍であろう、知っておるよ」

「あれも魔術の力なのかな? 錬金術師の仕業とも聞くけれど……」

「……分からん。魔術かもしれんし、科学によるものなのかもしれん。遺物の力かもな。いずれにせよ悪しき者の仕業であろう」

「あるいは」エリだ「リザレクションとも関係が……?」

 確かに……復活に関連してそうではある。

「……あくまで聞いた話にすぎぬが、リザレクションには重要な要素があるらしく、屍や埋葬した場所の土が必要らしい。なるほど、あやつらの発生は大抵が土葬文化のある土地において、しかも墓場からと相場が決まっておるものだ」

「火葬後じゃダメなの?」

「どうかな……思えば必要のニュアンスは強くなかったかもしれん。正確には……そう、あるといい……そのようないい方であったような……」

 あるといい……。

 あるいは遺灰でもいい、なくてもいい……?

「何者かが各地においてリザレクションを試しているのではないか、という説もある。術の完成度か条件か、ともかく失敗しているせいで魔物となってしまっておるのだとな」

 実験の副産物か……。各地で起こっているのは捜査の手から逃れるため転々としているから……とか?

「というかさ、あるといいなんてむしろ具体的だよな。その人、もしかして使えたんじゃないのかい?」

「うむ、あるいはと思い追及したが、彼は旅の魔術師から聞きかじっただけだと答えた。どこか嘘くさかったが、暴きようもないのでそれ以上の話を聞くことはできなかったよ。それからすぐに姿を消してしまったしな」

「何者なんだ……? その人物は」

「名はデヌメクネンネス。壮年ほどの年齢に見えたが、老獪な雰囲気のある、なんとも掴みどころのない男だったよ」

「デヌメク、ネンネス……! 図書館で著書を読んだぜ!」

「うむ、ここにあるらしいな。私は黒い霧のせいで読めないがね」

 ああ、そうだよな、反響で形が分かってもさすがに文字はな。

「さて、そろそろ始めてはどうかね? 時間はあるが有限でもあるぞ」

「……そうだな、じゃあ、やってみるか」

 それで何だ、よく分からないけれど瞑想すればいいって感じなのかな? まあ、大層な術を覚えるわけじゃないし、そのうちできるだろう……と、信じたいね。

 さて、どこでやろうか? やはり坐禅とかああいうイメージで、樹の下でやってみようかな。座るのにちょうどいい樹を探そう。

 さざめく青々とした木の葉に空は覆われ、その僅かな隙間からは木漏れ日が降っている。清涼な感じだ、ああ、近くに大樹がある、あれにしようかな。

 ……ふと、エリの姿が目に入る。どうしたんだろう? ぼんやりと宙空を見つめているようだが……。

 それにしても、亡くなった子供たちのためとはいえこんなところにまで来るとはな。動機としては俺より遥かに切実だろうが……それでも並々ならぬ覚悟があってのことだろう。

「エリ……?」

「はい」

「その……二人の子供たちは復活を望んでいると思うかい……?」

 エリは視線をこちらへ向ける。

「……望んでは、いないと思います」

「どうして……そう思うんだい?」

「ウィムは将来、大工になるといっていました。孤児院を立て直したいと……。それは裏を返せばあそこの現状に不満があったということです。床は軋み、天井からは雨漏りがし、隙間風が通るところでしたから……。そしてリーゼルは裁縫の仕事をしたいといっていました。種類が少なく、綻びの多い衣服に不満があったのでしょう。赤い花の服がお気に入りでした」

 亡くなった子供たち、か……。

「二人はあそこでの生活しか知りませんし、なればこそ、苦しい生活がまた始まると考えるでしょう。ですから……」

「だったら、なぜ……?」

「……別の生き方があること、可能性を体感して欲しいと思っています。あの子たちはきっと私を責めるでしょう。せっかく苦しみから解き放たれたのに、またあそこに連れ帰る気なのかと。そのとき、私はいいえと答えます。それは悲しいことですが、すぐさまそう答えようと思います」

「悲しい……か。君にとっては大事な場所だったんだね」

「はい。……私もまた、孤児として引き取られた子供でした。両親のことはほとんど覚えていませんが、やむなくそうするしかなかったのだと察します」

「そう、か……」

「成長した私は尼僧という、教会と孤児院に奉仕する生き方を選びました。そのような日々が私の性に合っていると思ったからです。単純な生活の追究が好きでした。様々な教典を繰り返し読み耽り、自身の中で解釈が変容していくことに感動を覚えました。そしてその上、可愛らしく手のかかる子供たちに囲まれているのです、これ以上、何を望むというのでしょう」

 エリが、ため息を吐いたような気がした。

「……ですが、そこであの子たちは命を落としたのです。私の好きだった場所で……。だからこそ帰りたくないという言葉が悲しいのです。ですが、もちろんあの子たちにはこういってあげます、帰らなくてもよいのだと……」

 心中を察するだけでこちらの心が折れそうだが……ここで黙しているばかりでは彼女に向き合っているとはいえない……。

「も、もし復活できたとして、その子たちが各々の生き方を選んだとき……君はその後、どうするんだい……?」

「あの子たちの成長を見守ったあとは……見送るだけです」

「それじゃあ君は……またひとりになることに……」

「各々あるがままにあれば嫌でも痛感することとなる生き方の相違……。それはどれほどの痛みを伴おうともよいことです。よいことなのです」

「いい、こと……」

「そうです。正しい痛みです」

 正しい痛み、か……。

「お、俺は……故郷を捨てたんだ……。とても、居心地が悪くなってしまってね……。それもいいこと、だったのかな……?」

 エリは……哀憐の情を含んだような微笑みを浮かべた。

「……その出立に後悔していないのならば、あなたの生き方があるがままに歩み始めたということなのかもしれませんね……」

 な、なんか、勢いで自分の話をしてしまったが……変な気分だな……。嬉しいような、哀しいような……。

 ……ああくそ、湿っぽくなってもあれだぜ、

「そういや……エリは治癒の魔術が使えるんだってね。ということは自分なりのコツがあるってことだ。なら、高度らしいあの鳥の魔術を覚えられる素地もできているんだろうな」

「そうだといいですね」

「最初はどうやって覚えたの?」

「覚えたというのとは少し、違うかもしれません。あの子たちの死後……私は消耗し切ってしまったのでしょう、昏倒してしまいました。そのときの記憶はあまりないのですが、私を囲む子供たちの顔と、どうにかしなければと足掻く夢を幾度も見ていたような気がします」

 ……悪夢を、何度もか。

「この力を知ったのはコミルが大けがをして帰ってきた日の夜でした。話によれば樹木から落下したとのことで、倒れた私のために木の実を取ろうとした際での事故でした」

「……いい子じゃないか」

「それはもう、優しくて勇敢な子なのです。……ですが、私は猛省しました。子供たちに心配をかけるのは本意ではありません。その晩、コミルはひどい熱を出し、私にできることは汗を拭いてあげることだけでした。それ以上を望むならば、お医者さまに診て頂くためのお金が必要となります。そのとき私は、今こそすべきことがあるのではないかと考えていました」

 まさか……。

「ですが、すべて見抜かれていました。院長さまより厳命が下ったのです。孤児院より出てはいけないと。私は詰問しました、ではどうやって助けるのか、まさかまた見殺しにするのかと」

「いや、見殺しなんかじゃ……」

「院長さまはこういいました。あなたが治すのだと。ですが、私にはその言葉の意図が計りかねていました。できうることはすでにしていたからです」

 治癒の魔術が扱えると……エリ自身より先に知っていた?

「それはつまり魔術の使用を意味していました。ですが、それはレジーマルカにおいては聖域であり……いえ、そもそも私にそんな力はありません。二重の意味で当惑している私に院長さまはこう続けます、あなたはきっと選ばれると」

 選ばれる……?

「国選秘術師になれる、もしくは神の祝福があるだろうという意味だと思いますが……とにかく私は必死に試みました、癒しの秘術を……。ですが、何をどうしたらよいのかまるで分かりません。院長さまもドアの前に立ち阻み、厳粛な態度を崩しませんでした。私はひたすら無我夢中で何かを……無数の何かを試み続けました、それしかありませんでした」

 何かとは……祈りとかではなく?

「そのときです、途端にコミルの熱が引いていきました。……そのとき、私は心底ぞっとしたものです。またもこの純潔なる命が冥府に奪われようとしている、そう思えたからです」

「しかし、そうじゃなかった?」

「はい……! なんと、コミルは星々にも勝る瞳の輝きを私に見せてくれたのです! そればかりか、起き上がり、立ち上がってみせてくれました! そのときは驚嘆するばかりでしたが、考えてみればそれもなんだかおかしなことです。誰よりその光景を望んでいたはずなのに……」

 ああ、気持ちは……分かるよ。

「コミルは太陽のような笑顔で私にありがとうといってくれました。そのときほどハイ・ロードの御慈悲を感じたことはありません、ただひたすら……感謝があるのみでした」

 ハイ・ロード……要たる主とかいうあれか……。

 いわゆるホワイトサム系統の禁欲宗派だ、エリの場合はホワイトシスだろうか。ローブが白いのもその関係かな。

「私は、この地にも幾ばくかの運命を感じています。意味こそ違えど冒険者のゆく道のりもまた、そう呼ばれているそうですね」

 ああ、そういやそうだったな……。

「話を戻しましょう。あたかも主の奇跡かと思われたその出来事ですが、コミルは私のお陰だと言い張ります。なにやら特別な力があるのだと」

「癒しの力に目覚めていたんだね」

「それはまったくの光明でした。この治癒の力を使い、怪我や病に苦しむ人々を癒してまわり、幾ばくかの対価を得ようと考えたのです。そしてすでに聞き及んでいた復活の魔術に関する情報を集めながら国中を巡り……すべて合わせれば、かなりの額となりました。両手に抱えきれないほどの食料を手にすることができたのです。ああ、子供たちの笑顔に勝る幸福はありません」

 おおっ、エリが笑顔を見せた……!

 なんて、美しい……。

「……ですが、間もなく私は破門となりました。魔術を乱用していると見なされてしまったのです」

 ……ええっ? なんだそりゃあっ?

 いや、レジーマルカじゃ聖域? なんだとか、そういう話か……。

「な、なんでだよ? その力が禁止されているとか?」

「秘術は主の赦しがあっての御力だからです。そして私は逮捕され、刑罰として国外追放の身となってしまいました」

 ……ああ、どこかで、いや、あいつから聞いたことがある、魔術を使うには認可が必要な国があるとかなんとか……。

 まあつまりはお上の許諾なしに勝手な事をするなというあれだろうな。ハイ・ロードってとっくの昔に死んでいるし、認可なんか得られるはずもない。あるいはお上にも相応に言い分があるのかもしれないが、けっきょく権威の再利用ってとこだろうよ。

 しかし、逮捕に国外通報とは……重くないか?

「でも、それにしたって、人助けしていたんだし……」

「……私はよいのです。あの子たちのために相応の貯蓄を残せましたし、そのためならば追放の身がなんでしょう。……ですが、しばらくは安泰だとしても、今後ともそのような状態が続くとは限りません。残された子供たちが心配です、冬が近づくにつれ心配になります……」

 ああまったくなんてこった、エリ個人は信心深い善人なのに……!

「ひどい話だ! まったく、世の中ってもんはさぁ……!」

「……怨嗟を吐いても仕方がありません。私たちはただ、できる事をするのみです。さあ、修行を始めましょう」

 健気というかなんというか……。俺ならそこまで前向きになれないな……。

 でも言う通りだ、今は目先のことを、修行をしないとな! よし、樹の下で……あぐらをかく感じ? で目を瞑って……どうするんだ? あるがままに任せるような感じみたいな……?

 あー……そういや屋敷の文献に瞑想の仕方みたいなやつがあったなぁ……どうするんだっけ……?

 そうだ、ガキの頃にやったことあったような……樹を背にしてぼんやり座って……木の根の部分がちょうどよく背中に収まる場所があって……なんだか懐かしいな……。

 ……そうだ、瞑想にはなんか理屈めいたものがあったような……なかったような……。

 うーん、ううーん……でもなあ、そう簡単には集中とかできないよなぁ……エリの話があまりに重くていろいろと考えさせられるし……というか彼女、痩せ過ぎじゃねぇ? 修行の前に飯を食った方がいいだろうに……治癒の魔術を使えば金稼ぎなんて容易だろうが……きっと子供たちのこと、とくに亡くなった子の事が引っかかっているんだろうな……自分だけ好きに食べるのは忍びないというかそういうあれで……。

 でも、リザレクションとやらを探しに奥へと進むつもりなら食料とかあんまり手に入らないこともあるだろうし、むしろ今のうちに肥えておかないと……いや、あれ? そういやアリャはどうするんだろう? さあ行こうと思いきや俺たちは修行中って、わりと肩透かしになっちゃう感じじゃねぇ……?

 ……だよな、とても半年なんて待ってはくれないぞ……というか、なんだか眠くなってきた……。


 ……って、気づくと夕方になっているっ? 寝起きのぼわっとした感覚あるしさぁ……!

 やべえ、やべえけれど……と、ワルドがやって来た……。

「……眠っておったな」

 やべえ、バレている!

「はい……」

「……まあよい、今日はあの騒ぎがあったからな、疲れておるのだということにしよう。さて、日が暮れた後はここも安全ではないやもしれん。宿へと戻ろう」

 さて、エリはどこだ……? と、木陰からやってきた。すぐ近くにいたのか。

「やれやれ、瞑想のつもりがすっかり寝ちゃったよ。さあ、帰ろうか」

 ……うん? なにやらエリが、はにかんだ?

「……はい」

 おや、なんだか少し嬉しそうだな。まさかもう習得したとか? ははは……まさか、ね……。

 ラウンジは相変わらずの大混雑だ。さあて座れるところはあるのか……あったな、前と同じ席が空いている。

「あれっ、まさか、ここってワルド専用だったり、する?」

「いいや、そのようなことはないが」

「そう……?」

 いや、たぶんそうだな。ワルドくらいだと一目置かれていてもおかしくないしな。まあ、ありがたく座らせてもらおう。

「さて……」なんか聞くのが怖いな「まだ初日だけれど、エリは何か掴めたかい……?」

「それが……」彼女は苦笑いし「私も少し、眠ってしまいました……」

「マジで?」なんだそうか!「俺も俺も!」

 そのとき、ワルドの咳払いが……!

 ううん、反省はしているって……。

「そ、それはそうと、思えばアリャがあと数日で戻ってくるんだよな。どのくらいかかるか分からないのに待っていてくれるかな……?」

「むう、どうであろうな? とはいえ彼女の都合に合わせて修行を止めるというわけにもいくまい。待てぬならば諦めるしかなかろうな」

 そうだな、なんせ命のかかった冒険だからな、万全を期するべきだろう。それに若過ぎてちょっとなあって話もあったからな、無理に引き止めることはない。

「それは……あのとき、レクさんたちと同行していた子のお話ですか……?」

 そういやエリにはちゃんと説明していなかったな。

「ああ、うん、セルフィンの女の子でね、なにやら同行する流れになって……」

 うっ、エリがやや、眉をひそめた……。

 まあ、いいたいことは分かる、俺だって好きであんな年頃の女の子を危険な冒険に加えたいわけじゃないしな……。

 しかし、アリャはああ見えて一端の狩人らしい。役立つ技能を多数もっていることだろう。それに危険といっても俺より遥かに死に難いと思うし……まあ、都合が合うなら無下にすることもないというか……と、エリが席を離れる。

「……体を清めてきます」

「あ、ああ……風呂なんかあるんだ?」

「はい、温泉がありますよ」

 そうか、まあそうだわな、体を洗う場所くらい必要か。

「ところで」ワルドだ「おぬし、どうにも身長に比べ足音が軽いな。身のこなしによるものなのかもしれんが、あるいは痩せておるのかね?」

「ええっと……」いや、これははっきりいっておいた方がいいな「うん、彼女はかなり痩せていると思う」

「いかんな、冒険を続けるには相応に体力が必要だ。食べられるときに食べず、いざ実戦で体力が続かぬなどもってのほかであるぞ。そのような者は仲間とは認められん。よって、おぬしの場合は食べることも修行である。いつまでもその状態ならば連れてはゆけんからな」

 エリはうなり、

「ええっと……つまりは不健康だと?」

「そうそう、いささか痩せすぎだよ。もっと食べないとさ、いろいろとよくないと思うんだ」

「わかり……ました」

 エリはしょんぼりしつつ、お風呂へと向かう……。

「……子供たちのことでだろうけれど、仕方ないよな……」

「うむ、彼女のためはおろか、我々のためにもならん」

 確かに、体調はしっかり整えて冒険に臨まなければな。

 そして風呂か……いいな、俺も体を洗いたいかな……。

「ちょっと俺も入ってこようかな。ワルドは?」

「黒い霧のかかった男が入ってゆくとして、どうなると思うかね……?」

 まあ、そうね……。

「驚かれるだろうな……」

「とはいえ、私も頃合いを見て入浴はしておる。ちなみにここの浴場には幽霊が出るともっぱらの噂だが、それは私のことゆえ気にすることはない」

「そ、そうなんだ……」

 俺は長湯をしない。さっさと入浴を終えてさっぱり! な気分のまま戻ってさあ飯だ、相変わらずワルドの食欲は凄まじく、エリもいいつけに従ってちゃんと食べたようだ。うん、いいことだな。

 しかし、またラウンジで就寝とな……。

「エリはいいのかい? こんなところで……」

「旅には慣れていますので、どこでも問題はありません」

 だろうな、俺より百倍は忍耐力がありそうなものだ。

「というかさ、先に謝っておくけれどさ、悪いね、なんだか時間かかっちゃいそうな気がするよ……」

「なんの、気に病むことはない。私にも準備があるからな」

 仮にワルドは大丈夫でもエリやアリャの都合があるし、なにより工房の大男に「まーだやってんのかっ!」とかいわれそうなんだよなぁ……。

 それに時間がかかるとなると別の問題も発生する。

「……そういや旅費はどうする? いくらここが安いっていってもそうはもたないよ」

「そうだな、橋の付近ならば現状の装備でも問題なかろう。そこで値がつきそうなものを回収してゆくしかあるまい。具体的には魔物の死骸だな。骨や殻、角、あるいは肉も買い手がある」

「お金のために命を奪うのですか……? 私が医務サービスをいたします」

「俺は……得物がないし、技能的にも修理の手伝いとかしかできないな……」

「鉱石や化石、植物などの採集の仕事もあるが、そういったことは追い追い話そう。今はなにより修行であるぞ。明日も早い、休みたまえ……」

 昨夜と同じく、ワルドはさっさと寝てしまった。エリも祈りの言葉を呟いて、懐から取り出した鞄を枕に寝に入った。俺と似た寝かただね!

 それにしてもエリ……子供たち……信仰……ハイ・ロード、か……。

 神やそれに準じる存在が本当にいるのなら、彼女みたいなひとこそを真っ先に救って欲しいものだがな……。

 そう、世には救いが必要な人たちが無数にいる……。

 信仰される神々は彼らに対し、何を思うのだろう……。

 それとも、まるで気にしてなどいないのか……。

 そもそも、存在すらしていないのか……。

 そういや昔、近所の偏屈オヤジがいっていたな……。


「願望を基底とした信仰なんて紛いモンだ。そいつは、叶わないと思ったらドブに捨てちまうってことだろう? 神様は都合のいい道具じゃあない。ただ、いてくれると思わせてもらえるだけで充分なのさ……」


 ああ……そうかもな、その考え方は清いと思うよ……。

 しかし、願わくば……。

 苦しんだ人々にこそ、慈愛の手を……。

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