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WRECKTHERION(仮題)  作者: montana
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霧深き裏教典

「ナゼ、ココにいるのか、だと?」白い鎧はふと立ち止まる「ソレはな、オマエを殺すためだよ」

「……なんだと?」

「ヨクもワレワレの楽園を奪ったな……! マズはオマエだ、ココで処刑してヤル……!」

 ああ、なるほど……その件で追ってきたのか。俺が落としたわけじゃあないが、奴からしたら同じことなのだろう。

 しかし、よく俺がここにいると分かったな。ブラッドワーカーの奴らにでも聞いたのだろうか?

 ……そして東のホールへ入場する。鼠たちが恐ろしいので、俺は観音開きの扉を閉じておく……。

 さて、ここで戦うんだ、今度はよく周囲を観察せねばならないな。

 しかし、よく見返したところであるのは昨夜見た馬の像たちと……大きく長細い、騎馬を描いた赤いタペストリー……が、天井から何枚も垂れ下がっているのみだ。他はこれといって何もない……。

 さて、どう戦う? 考えている暇はないか、白い鎧は振り返り、剣を縦に、構えた……!

「ワが名は断罪のアデサ。サア、地獄へ誘ってやろう!」

「……地獄だと?」

 俺は遺物の銃を構える!

「お前たちの所業こそ、地獄に住む悪魔のそれだろうがっ!」

 そして引き金を引くと青い光線が! しかし奴はいち早く馬の像に隠れた、思いの外素早いな! 俺は電撃を自身に、体を活性化させる……!

 そして次の瞬間、奴が現れた、先ほどよりは遅く感じるが、それでも照準が合わない、蛇行しながらこっちにくる!

「死ネィッ!」

 斬撃、縦に一閃、飛び退く、続いて突き、横に躱すがそれを追うようになぎ払い! 右腕に痛み、手には暖かい液体の感触、若干斬られたか!

「うおおっ!」

 反撃するがまたも当たらない、奴の動きが素早いのもそうだが、得物に馴れていないせいだ……!

 そんな俺を見て、アデサはせせら笑う……!

「この距離でワタシの剣に勝てると思うカ!」

 そして悠々と血の付いた剣を……肩で拭い始める。なめやがって隙だらけだぜ……って、なんだ? 肩に付いた血が消えていくぞ……?

「抗っても無駄だ、イマそれを証明してやろう」

 アデサは仁王立ちし、動かなくなる……。

「サア、撃ってこい!」

 ……なにを調子づいてやがる! 遠慮はしないぜっ!

 光線を撃つ、しかし光が飛び散り、奴は……む、無傷だとっ?

「ワカッたろう? オマエに勝ち目などない!」

 馬鹿な、奴も蒐集者のように光線が効かない体なのか? アデサが駆けてくるっ!

 剣の猛攻! 俺はとにかく後退するしかなく、あっという間に壁際へ追いやられる……!

 くそ、何てことだ、光線が通じないのか、ならばシューターならどうだっ?

 俺は遺物の光線銃を投げつける! 意表を突いたのか、奴の顔面に命中、今だっ! 腰付けしていたシューターを取り出し、撃ち込むっ! 奴は吹っ飛んだっ!

 ……やったか? いや! 奴はゆっくりと立ち上がる、その隙に俺は光線銃を回収、腰付けにしておく……!

「チッ……多少は、やるな……!」

 奴の胸に刃が突き刺さっている! しかし致命傷とはいかないようだ、奴はゆっくりと刃を抜いた……!

「心地よい痛みだ……。戦いはコウでないとな!」

 また突っ込んでくる、とっさにシューターで剣を受け止める! うおお、凄まじい力だ……! 体を活性化していても押されるっ……!

「邪悪なる者よ、イイ加減に、観念しろ……!」

「じ、邪悪、だとぉ……?」

 ふと、剣が軽くなる、その瞬間、腹への一撃! 蹴りかっ! 壁際まで吹き飛ばされるっ……!

 腹部にひどい鈍痛、息が出来ない、足にくる、口の中に血の味が……。

「オマエたちは惰弱なる己を棚に上げ、ワレワレを悪だと見なしているそうではないか……。ましてやこの断罪者に対してな……!」

 アデサは……ゆっくりとこっちに歩いてくる……。

「ナンと不遜なる輩どもヨ。そんなオマエたちをコウして斬り伏せるのがナニよりの愉しみだ……!」

 邪悪……。俺の方が、だと……?

「ど……どういう、ことだ……!」

「ことを成したるモノに責などありはシナイ。苦しむ者コソが悪なのだ。その惰弱なる心がなけレバ、オマエたちがいなくなれば、この世は楽園にナル。そして浄化されしその地に我らが主が降臨するノダ……!」

 アデサは、両手を掲げて笑う……!

 こいつ、本気で言っているのかっ? なんて傲慢な言い分だ……!

「そんなものは……悪魔の詭弁だっ! お前だって傷付けば苦しむんだろうっ……?」

「コノ体は痛みを制御するに至ってイル! ドノような傷を受けても心地ヨイ程度の痛みよ、決して忌諱すべきモノにはならない! ワカルか、ワレワレは精神、肉体ともに人を超越シタ存在! そしてあの楽園は新たなる同胞を生み出す聖域だったのだ! しかし、オマエたちによってその聖域は汚され、ワレワレの美しき未来は瓦解した……!」

 アデサは俺を指差し、

「サア、己の罪深さが理解できたか? 膿み腐った苦痛の器よ、ワが断罪の剣で叩き割ってくれるっ!」

 そして突進、速い! 反射的に躱した……はずだが、左腕に裂傷、さらに追撃がくる!

「くそっ!」

 俺は奴の顔に血を浴びせかけようと……しかし、外れて胸元にっ……!

「アマいわっ!」

 連続斬り、防御し切れないっ! 何とか急所は避けたが、脇や太ももにも裂傷が……!

「うおおっ!」

 剣の返し際を狙って渾身の蹴りっ! 奴はよろける、いまだ! シューターを発射、また胸に命中、しかし弾かれたっ? 馬鹿な、さっきは効いただろっ? しかも胸元の傷が消えているっ……!

 奴はそのまま転倒し……そして素早く起き上がり、剣を構える……!

 これは、どういうことだ……? さっき浴びせた血の跡もやはり消えている……。

「……マダ、己の罪が理解できないカ? ドコまでも救い難い……」

 ふとアデサは扉の方を見やり、嫌らしく嗤う……。

「ソウだ、ネズミだ、オマエは奴らの餌になるべきダナ……!」

 アデサは扉を蹴り開けた……! すると、鼠たちの気配がこちらに……!

「サア、血の匂いに誘われ、やってくるぞ……!」

 ま、まずい……! 逃げなければ、しかしいったいどこへ? 像に登ったところで回避は出来ない、とにかく高いところへ……!

 そう、そうだ、タペストリー、ここしかない……! 俺はタペストリーに向かって走り、飛び移る、しかし両手に激痛、既に血で真っ赤だ……! しかし、下にいては危険だ!

 そして、鼠たちがどっと入ってきたっ! ア、アデサは動かない、呑み込まれたっ? 馬鹿な、一応シューターが刺さったんだ、鼠の顎とていつまでも耐えられるとは思えない……!

 下はもはや鼠の海、しかも、壁を走ってこのタペストリーに飛び移ろうとし、波打ち際のようにうごめいている……!

 これは、これは、どうするっ……? 奴はどうなった? 奴のいた場所は小さな山になっている、食われているのか?

 ……いや、そうとは思えない、奴は扉の付近にいて、そこから動いていないようだ、これは耐えられると思った方がいい……!

 俺はとにかく上へ……タペストリーを登っていく、しかし出血が多く、内臓への痛手も大きい……。このままでは落下まで時間の問題だ……!

 やられる前にやるしかないっ! 俺は片手でシューターを撃つっ!

 ……しかし、傷ついている上に片手では当たらない、残り三発すべて外れ……しかも、この状態では再装填も出来ない……。

「ア、キラ、メロ……。ネズミ、ニ、クワレ……」

 奴の声が断続的に聞こえてくる……。くそ、奴はなぜ無事なんだ……? シューターが刺さったんだ、あの状態では長時間は難しいはずだ……。

 それとも奴も痛手を負っているのか……? だからまともに喋れないのか……?

「ア、キラ……メ、オチ、ロ……。クワ、レル、ガ、イイ……」

 そして奴は……短く、幾度もせせら笑う……。

 笑っているということは……余裕があるということか……。

 ……くそ、体に……力が、入らなくなってきた……。怒りに任せて……突っ走るからだ……。

 奴は……笑っている、あとは、鼠に任せるつもりか……。

「ハヤ、ク、オチ、ロ……」

 こ、これまでか……。くそ、こんな死に様……。

「ハ、ヤク、オ、チロ……!」

 くそ、くそ、くそぉおお……!

 あ、諦めるな……! 奴には、奴らにだけは負けたくない……!

 考えるんだ、やるだけやらねば、死ぬに死ねん……!

 考えろ、何かあるはずだ、なにか……!

 なにか……! なにか……?

 ……そうだ? そういえばおかしいぞ、奴はなぜ最初に俺の攻撃を回避した……? あんなに強靭な体なんだ、まっすぐ突っ込んできてもいいはずだ……。

 ……いや、シューターが効いたんだ、様子見で回避に専念することは妥当な判断か……? でも、次の一撃はしっかり弾いたぞ……?

 光線のことはどうだ? 光線は弾けるが、刃などの物体は無理なのか……? いや、刃でも弾けたんだ、光線だって通じる可能性はある……。

 ともかく、確かなことがひとつ。攻撃が通じる時と通じない時があるってことだ……。では、両者の違いは……?

 そう、そうだ、俺の攻撃を弾いたとき、奴は動いていなかった……! そして今も……!

 もし動けるなら、ここまでやってきてもいいはずだ……。このタペストリーを揺らすとか、奴なら嬉々としてやりそうなものなのに……!

 それに、さっきから喋り方もおかしい……。笑い声も断続的だ……。これは悠長に喋ることが出来ないからでは……?

 これらを踏まえて考えれば、こう推測することが出来る……。奴は硬いのではなく、硬化出来るに過ぎないと。そして動いてしまうと硬化が解けてしまうのだと……!

 これは栄光の騎士にも通じる事柄だ、あいつも硬化できるものの、その間は柔軟性が著しく損なわれるって話だった……!

 よし、光明が見えてきた……! あいつをどうにかして動かすんだ……!

 しかし、どうする? 挑発でもしてみるか……?

「……ど、どうしたクズ野郎……! そんなところでじっとして……高いところは苦手なのかっ……?」

 だが、奴は反応しない……。

「その剣は……肉をちょっと切る程度のものかっ……? そこら辺の包丁より使えないなっ……!」

 これならどうだ? しかし奴は動かない……。

「あれだけ殺すとか言っていたのに……鼠に頼りっきりなのかっ……? 断罪者が笑わせるぜ……!」

 まだ動かない……。だが逆に確信出来た……って、奴が飛び退いたっ! そして周囲の鼠を吹き飛ばすっ!

「ヌカしたな! 死ねぃ!」

 つっ、剣が飛んできたっ……!

「うおおっ!」

 かわそうと、しかし肩に衝撃……! 刺さりこそしなかったが、この傷も深い、か……。

「チッ……! ダガ、オワ、リハ、チカ、イ……!」

 奴は……またすぐに硬質化したようだ……。

 あまり痛みを感じないんだ……。一瞬なら、ああも出来るか……。

 これは……いささか、甘かったな……。

 だが……それは奴も同じだっ……!

 俺はシューターを手放し、遺物を手にする……! これならほとんど反動はない、傷ついた腕でも、なんとか当てられる……!

 俺は奴を……いいや、奴に襲いかかっている鼠たちを撃つ、撃つ……撃ち続ける……!

 こいつは賭けだ……だが光線をも弾くあの硬化、複数の要素を両立出来るとも思えん……!

「ウォッ?」

 鼠の山が崩れた、奴が倒れたんだっ……! やったぞ、推測は正しかった、鼠たちの顎が通ったんだ……!

「お前の体、血を吸うんだろ……? そしてその間は硬質化出来ない……!」

 しかも、吸血は任意には行えない。血がついたら勝手に吸ってしまうんだ、まるで毒を受け入れてしまう胃腸のように……。

 根拠はやや希薄だったが、剣を振り回している最中に胸元の血が消えていたところを見るに、まったく見当外れとも思えなかった。そしてこの推測は、いま実証された……!

「チィッ……!」

 奴は飛び起き、鼠に追われながらホールの外へ……逃げたと思えばまた戻ってきた……! そして絶叫する!

「バカなァアア! いっ、痛みは制御されているはずっ!」

 奴と相対するは、蒐集者……! 体表になにやら文様が浮き出ており、アデサを指差している……! そして蒐集者の周囲の鼠たちも暴れ狂っているぞ……!

「そうしてもがき苦しめる分だけ、確かに軽減されていますとも」

 アデサは暴れる、暴れれば硬化も出来ないはずだ……。ということは……。

「バッ、バカな、そんなバカな、このワタシが、こんな、こんなぁああァアアアアアッ……!」

 あとは、見るに堪えん……。

 ……いや、それより……。俺も、そろそろ限界だ……。

 俺は、奴に負けなかった……。その満足感に力が抜けてくる……。

 ああ、周囲が暗くなってきた……。血を、流し過ぎたな……。

 景色が流れ……気付くと、蒐集者の顔が、眼前に……。

「さあ、助けてあげましょう」

「……お、お前の……。助けなんか、いらん……」

「今は仲間でしょう? それにあなたを助けんと勇む彼らの邪魔をしましたのでね、足を引っ張ったお詫びはしませんと」

「み、みんなに、何を……」

 し、しかしだめだ……抗う気力もない……。

 そして、意識が遠く、なってゆく……。


                  ◇


 ……気がつくと、ベッドの上だった……。すぐ側で、エリが突っ伏すように眠っている……。それにみんなの姿も……。

「おっ、起きたかい!」

 窓辺に座っていたフェリクスが立ち上がる。

「心配したよー!」

「あ、ああ……すまない……」

「謝るならエリさんにだよー。どういうわけか、ふらふらになりながらも治療していたんだから……」

 まさか……蒐集者に、何かされたのか……?

「目が覚めたか」

 ワルドと黒エリがやってくる。

「エリは……いや、みんなも……奴に何かされなかったか……?」

「ああ、蒐集者だ」黒エリは舌打ちをする「どのような魔術か知らんが、急に全身に激痛が走ってな……」

 激痛……。それはアデサのときと同じ……?

「この体、どうにも痛みを軽減出来るようだが、それでも動けなんだ……」

「そう、か……」俺はため息をつく「すまない、一人で突っ走って……」

「ふん、鼠の渦中に入り込まんとするのはさすがに軽率だったな」

「でもあれだよね、悪い奴を倒したんだよねー。やったじゃないか!」

「戦いには勝ったと思うが、あのままじゃ死んでいたのは俺だったな……」

「彼奴が邪魔をせねば皆で袋叩きに出来た」ワルドだ「あの男、まるで君の成長を期待しておったようだ」

「そうか……」俺はエリを見やる「エリにも無理をさせたな……」

「そうだ、反省しろ。お前の命は、もはやお前だけが独占している訳ではないのだぞ」

「ああ……すまない……」

 黒エリは困った顔をし、

「分かったのならいいさ、今は休め……」

 そして黒エリはエリを抱いて部屋を出て行った……。ワルドは俺の方を向き、

「しかし、君の行動も分からぬ訳ではない」

「ワルド……」

「君の義憤を煽りたくなかったのであまり話題には出さなかったが、オルフィンの里で彼女に話を聞いてはいたのだ、暗黒城でのことはな」

「そう、か……」

「世には悪辣なる者がごまんといるとは知っておったが、輪をかけて邪悪な一味よ、気が高ぶるのも無理はない。そして疑問なのだが」

 ワルドは振り返り、ドアに向かって言い放つ。

「なぜ、暗黒城を放置しておいたのか、聞かせて貰えるかね?」

 ドアが開き、ホーさんが現れる……。

「あそこは懐かしくも忌むべき場所……。クルセリアに明け渡し、その後は干渉を控えていました……。よくない噂も、聞かぬふりをして……。しかし、けっきょくはそれもまた罪、なのでしょうね……」

「あなたは、いったい……」

「申し訳ありませんが……。彼と二人きりで、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか……?」

 ワルドとフェリクスは顔を見合わせるが、ひとつ頷いて部屋から出て行った……。そしてホーさんは俺の方を向く。

「断罪のアデサを葬ったとか……。彼の信仰は聞きましたか……?」

「ええ……! 下らない戯言でしたがね……!」

「いいえ、あれは裏教典の深奥に繋がる思想なのです……」

 う、裏教典の……? そしてホーさんはヴェールを脱いだ。黒い肌、金色に輝く瞳、紫色の毛髪……。

 たしかに美しく、そして若いな……。ギマの年齢はよくわからないが、スゥーとそれほど違うようには見えない……。

 そのとき、ふと、彼女の雰囲気が変わる……。どこか影があっても穏やかな気配が……まるで冷たく静かな夜のように凛としていき……黒い聖女と呼ばれるにふさわしい存在感を示し始める……。

「……しかし、どういうことなのです? 奴は苦しむ者が悪だと言い放ったのですよ、そんな物言いにいったいどんな正当性があるというのですか……?」

「アデサの言う通り、肉体には悪の種が内包されています。殴られれば痛み、痛めば憤怒が沸き起こり、その憤怒は憎悪を生み、そして他者を悪と見なし、その心身を害してよしと思うようになる」

「それは……そうかもしれませんが、苦しむ者こそが悪だなんて……」

「その言葉だけでは、なんと不遜なる思想かと思えるでしょうね。ゆえに裏教典として、本来は密かに伝えられるべきものだったのです」

「裏教典とは、邪悪なる信仰なのでは……?」

「いいえ、もともとはレクテリオの助力となるべき思想です」

「レクテリオ、世界再生の……」

「崩壊後の荒廃した時代には既存の倫理や秩序は通じません。ゆえに、崇高なる理念に基づいた生き方が必要となるのです。それがなくては、再生も滞ってしまう」

「し、しかし、どうしても納得がいきません。苦しんだ者が悪などとは……」

「そう思ってしまうのも当然でしょうね、彼らは錯誤しているのですから」

「錯誤、やはり間違っているのですね」

「苦痛の責は感じた者に非がある。その境地に至らぬ者はこれを否定し、邪悪なる者はこれを免罪符に自身の欲望を発露させることでしょう。このようなことが起こってしまうがゆえに、裏の教典として、ふさわしき者にのみ、秘密裏に伝えられているのです」

 もともとは邪悪な思想じゃないってことか……。

 しかし、どういうことだ? 苦痛の責は感じた者に非があるとは……。

「よく、分かりませんが……つまりは苦痛を感じて、そこに責を覚えたとするなら、その矛先は元凶に思える他者にではなく、自身にこそ向けるべきである……みたいなことなのですか……?」

「そうです」ホーさんはひとつ頷く「なぜなら、あなたの苦痛はあなたのものだからです」

「自身を害しようとする他者に非はないと?」

「その通り」

「傷付けられ、殺されそうになっても、ですか?」

「そうです。まずはそのことをすっかり認めなくてはなりません」

「それは、なすがままにされよ、という意味なのですか……?」

「いいえ、よく自身の保全を放棄せよという意味にも解釈されますが、そういうことではありません。悪はそれを認めた己にのみ、存在するということです」

「極めて、難しいことですが……ならば、容認出来なくもない……」

「ええ、しかし、至難なのはその境地に至ることではありません。その境地を保つことです。あなたにはそれが出来るかもしれない」

「なぜ、俺をそこまで……」

 ホーさんは難しい顔をする……。

「……彼があなたを見ているからです」

 彼、彼とは……。

「蒐集者……?」

「いいえ、罪を喰らう男、デヌメクネンネス、です」

 デヌメクか……!

「彼は放埓に裏教典の深奥を囁いて回り、残酷なる者たちに愚かな大義名分を与えています。そう、ブラッドワーカーは彼が生み出した集団といっても過言ではないのです」

「なっ、なんだってっ……?」

「しかしその目的は私と同じ。聖域に至る者への輩出にあります」

 聖域……。

「彼は堕ちる者は勝手に堕ちればよい、そこから聖域の境地に辿り着けばよし、そうでなくとも聖域に至る者への糧になればよしという、あまりに冷徹な行動原理に即して行動しています」

「では、ブラッドワーカーはただの搾りカスだと……?」

「無責任に捨て置く行為です」

「しかし、その方が純度の高い候補者が生まれる」

 うおっ! いつの間にか、デヌメクが窓辺に立っているっ!

「レクテリオラ・ホーヴァート。君のようにね」

 レ、レクテリオラ……?

「君は堕ち、そして昇った。この工程を経てこそ、人は候補者足りえるようになるのだよ」

 ほーさんは金色の目を細め、

「そうは思いません。私にあるのは無数の楔、聖域には程遠い。その境地に至るには彼のような資質がまず必要なのです」

「資質が必要、か。それこそ冷徹というものだよ。誰しもが堕ち、そして昇り得る資格があることを認めるべきだね」

 ホーさんより黒く冷たい気配を感じる……。

 このままじゃ、なんだかやばい気がするぞ……!

「ま、待った待った! 勝手に話を進めないでくれ……!」

「そうだね、君がどう生きようと君の自由だ。押し付けはよくない」

 デヌメクはニッと笑んで、ふと消えた……。

 な、何だったんだ……。

 俺はホーさんを見やり……よかった、さっきのように冷たい雰囲気ではなくなっている……。

「あ、あの、レクテリオラって……」

 ホーさんはひとつ、ため息をつく……。

「あの男が勝手にそう呼んでいるだけのこと……お気になさらずに……」

 そ、そうはいってもなぁ……。

「話の腰が折れてしまいましたね……。続きは後ほど、機会があれば……」

 ホーさんはヴェールを被り、部屋を後にしようとする……。

「ちょっと、待って下さい」

「はい……なんでしょう……?」

「失礼ですが、あなたはなぜ、戦わないのですか……? あなたならばアデサなど敵ではないはず……」

「私は……己の悪と戦い果てた亡霊です……。なるほどこのおぞましき力で彼らを葬ることは出来ましょう。ですが、圧倒的なる力で世に働きかける愚行は過去に幾度も犯した私の罪……。あの頃より多少は成長し……判別が出来るようになっているとしても……どうしても、過去の繰り返しに感じ、手が止まってしまうのです……。ゆえに、私に出来ることはただ、あなたのような若人を見守り、幾ばくかの助力することだけ……」

 そしてホーさんは音もなく去っていった……。

 過去、か……。ホーさん……いや、黒い聖女は暗黒城にて悪の研究をしていたらしいが……。

 それからややして、ワルドたちが戻ってくる。

「……なんの話をしていたのかね?」

「裏教典と、悪について、かな……」

 俺はたどたどしく、先の話をする……。ワルドはうなり、

「ううむ、裏教典にそのような意義がな……」

「でも、よく分からないなー。ブラッドワーカーってとてもひどい集団じゃないか、過去にどんな過ちを犯したのか知らないけど、ぱぱっとやっつけてくれればいいのにさー」

「過ぎたる力に畏怖を覚えることは悪いことではない」ワルドだ「可能に酔いしれ、傲慢をよしとする者の末路は悲惨なものであるからな」

「不可能性は人の証明、か……」

 蒐集者の話はこういったことにも繋がっているのだろうか……?

「そういや、鼠はどうなったんだい?」

「どうやら片付いたようであるな。しかし、その後も魔物の襲来は断続的に起こっておるようだ」

「そうか……」俺は唸る「アデサは俺を恨んでいた。他にもそういう奴らが来るかもしれないな……」

「返り討ちにしてやろうぞ」

「ああ……」

「しかし、いまは休む……というより食べた方がよいな。傷は癒えたはずだが、失った血までは戻らん。ここへ持ってくるかね?」

「いや、そのくらい、動けるさ……」

 ベッドから降りるとすごい立ちくらみ……! フェリクスが支えてくれる……。

「貧血だねー。肩を貸すよー」

「ああ、すまないな……」

 俺たちは食堂に向かう……。失血の影響はかなり大きいな……。足に力が入らない……。

「それにしても……なんだか嫌な感じじゃないか……? 何かが奇妙だ、そんな気がする……」

「このような事態だ、不安感に悩まされるのも当然であるな」

「まあ、そうなんだけれど、何かが……」

 そして俺たちはまたバーへ、人気はあまりないな……。幾人かのギマがテーブルを囲み……その中央にはド・フーだ……。何やら気難しい顔でぐもぐもと話し合っている……。

 何かあったのだろうか……? 彼らを横目にカウンター席へ向かおうとすると、突然、ド・フーが勢いよく立ち上がった……! そして大股でこちらへやってくるぞっ……?

「な、何だっ……?」

「レック、相談があるんだぅ!」

 そ、相談……?

「な、何の……?」

「おいらは勝ちたいんだぅ!」

「勝ちたい……。魔物に……?」

「大食いだぅ!」

 お、大食い……。

 大食い……?

「な、何それ……?」

「知らないのかぅ? 食べる量を競い合う真剣勝負だぅ!」

「し、知らん……!」

「フィンなのに知らないなんてモグリだぅ!」

 ド・フーはテーブルに両手を突く……!

「ビッグ・ジョンは強敵だぅ! このままでは五連敗、もう体調を理由に言い訳は出来ないぅ!」

 ビッグ・ジョン……。

「えっと、そのひとと大食い勝負をするのか……?」

「そうだぅ! 決戦の日は近いぅ!」

「で、何で俺に相談を……?」

「フィンだからだぅ!」

「ああ……俺たちと同じ種族だから……」

「ジョンはギマだぅ! 何でも、古きフィンの大食い王を敬愛しているらしくって、ビッグ・ジョンという名はそこからとったらしいぅ!」

「へえ、襲名しているみたいな……?」

「そうだぅ! あいつは自称、二代目ビッグ・ジョンなんだぅ! まったく、ギマの誇りはないのかって話だぅ!」

 大食いで誇りねぇ……。

「その上、あいつは初代ビッグ・ジョンを史上最強の大食い王だと認めてしまっているんだぅ! これは由々しき問題だぅ!」

「そう、なのか……?」

「レックにとっては誇らしいことだろうけど、おいらたちギマにとっては屈辱だぅ!」

 いや、別に誇らしくなんかないんだけれど……。

「ということで、勝負だぅ!」

「はあ……えっ?」

「勝負だぅ!」

「な、なんで俺っ?」

「レックじゃなくてもいいけど、とにかくフィンを倒して勢いづきたいぅ!」

 な、なんてどうでもいい話なんだ……! さっきまで真面目な話をしてたのに、なんだこの落差はっ……!

「ほう、面白い……」

 なっ、なぜかワルドが呼応したっ……?

「大食いということは、限界まで食べることが許されている、ということであるな……?」

「もちろんだぅ!」

「い、いやいやいや! 歳を考えないと!」

「実はな、私は生まれてこの方、飽食において限界を味わったことがないのだ……。大食いとやらに挑戦したことはないが、そう捨てたものではないかもしれんぞ……!」

「ひとひねりだぅ!」

 ま、まじかよ……! 本気でやるつもりか……? というか、いまもそれなりに魔物がやってきているんだろう? こんなことしてていいのかっ……?

 そして何だかよく分からないままに、どんどんとソーセージを挟んでいるパンが運ばれてきた……。

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