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WRECKTHERION(仮題)  作者: montana
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実在の胡乱なる主

現世はありとあらゆる不可能性に満ちている。

歪む規律、踏み躙られる尊厳、萎縮する義憤、色褪せてゆく愛情……。

嘱目に適わぬ現実を痛感し、その身に刻まれし宿命を悟ったとき、人は虚無に呑まれ、退廃の徒として人界の影となる。

さりとて絶念にはまだ早い。内なる闇に蹲う者こそ、眩耀なる外方を推知するに相応しい存在なのだ。

さあ、虚空に祈りを捧げよう。我々は不能の体現者、なにより人間に相違ないのだから……。


                  ◇


 しばし館内を巡るがフェリクスの姿はない。執事に尋ねてみても見ていないという。飯でも食っているのかもしれない、食堂にでも行ってみるか。

 しかし地図を見ても食堂の表記はない……地下にあったカジノの隣にバーがあるようなので、そこだろうか? 昇降機の前にいる執事たちに聞くとその通りだそうで、俺はまた地下へ……。というか、地下には牢獄があるんじゃなかったか? それはもっと下なのだろうか?

 そしてまたカジノに行くと、ちらほらギマたちの姿が。ゲーム台を眺めてはぐもぐもと何か言い合っているが……まあ、どうでもいいな。それよりバーだ、左手からいい匂いがする。観音開きのドアが開かれており、白いテーブルクロスが見えた、きっとあそこだろう。

 中はけっこう賑わっていた。多数の酒瓶を背にするカウンター席、それにテーブル席が複数、グゥーやプレイメイカーの面々がテーブルを囲んでおり、カウンター席にはワルドやエリ、そして黒エリの姿が、他にも皇帝派の巨漢や怪しげな男の姿もあるな。しかしフェリクスはいないようだ、俺はワルドたちの元へ……。

「やあ」

「フェリクスはおったかね?」

「それが見付からなくてね。執事たちに聞いてもだめだった」

「む、妙であるな」

「放っておけ」黒エリだ「今までもふらりと消えてはひょっこり現れることが幾度もあった。気にするだけ損だぞ」

「でも状況が状況だしなぁ……」

「あっ、レックー!」

 見るとジ・ジューが手を振っているので……手を振り返すと、フォークに突き刺さったでかい肉のようなものを片手にこっちに来る……。

「や、やあ……」

「これ柔らかくておいしいよ、はい、あーん!」

 あーんって、とても口に入りきらんぞ……。グゥーの助け舟を期待するが、あいつ、目を逸らしやがった……!

「い、いや、今は仲間を探しているんだよ。金髪で青い服のフェリクスって奴、知らないかい?」

「知らないなぁ。みんな知ってる?」

 プレイメイカーの面々は首を振る。

「そうか……」

「見たぞ」

 おっと、端の方から声が。あれは皇帝派の……どことなく怪しげな男だ。痩せ型で鼻筋が長く、眠そうな目……。毛髪は油できっちりと固めてある。そしてその隣にはさっき見た巨漢。兜を脱ぐとちりちり髪の四角い顔、なかなか強面だな。黙々と飯を頬張っている。彼らに近付こうとすると、ジューが肉の刺さったフォークを手渡してきた……。

「これ、ランサーレイヴンの肉なんだけど、クセが消えてて美味しいの。じゃあ、またねー」

 えっ、マジで……? やっぱり倒した魔物を食うんじゃないかぁ! まあ、食べるなら死を無駄にしていないとも言えるしな、有り難く頂戴させてもらうか……。

 そして一口頬張ると確かに柔らかくて美味い! 香草を使っているのだろうか、芳しい香りが後味爽やかだ。

 ……と、いかんいかん、彼らに話を聞かなければ……。

 近付くと、怪しげな男は口元を上げる。

「ヨデル・アンチャールだ。こっちはディーヴォ・アッバゥ」

 俺も名乗り返す……。

「彼、役者だったんだろう? 陛下がファンでな、先ほどまで我々の部屋で談笑していたよ」

 部屋で、談笑ぉ……?

「そ、そうなのか……。でも、その口ぶりからしてもういないんだよな?」

「ああ、なんでも稽古をするとかで、聖騎士団の奴と会うってさ」

 今度は聖騎士団かよ……。

「稽古ねぇ……」

「それが出来そうな場所といえば東西のホールかね?」

 なるほど、そこそこ広くて戦場になっていない場所、か……。

「そうか、分かった、ありがとう」

 そしてバーを出ようとすると、黒エリに呼び止められる。

「……その肉を持ち歩くのか?」

 あっ、そうだ、さすがにそれは行儀が悪い……。俺はワルドの隣へ、でかい肉を頬張り、勧められたパンや煮込み料理などを食べるとしっかり満腹だ……。

 ああ……腹一杯になったら眠くなってきたな……。でもあいつを探さないとな……。

 のろのろ立ち上がるとエリがすすっとやってきて、

「レクさん、私もお手伝いします」

「でも、東西のホールにいる可能性が高いし、多分、すぐに見付かるよ……?」

「万一のこともありますし……」

 ああ、確かにそうだな……。もしそこにもいないとなると、エリの鳥に頼った方がいいかもしれない……。

「分かった、じゃあ一緒に行こう」

「はいっ」

 そして俺たちは東西のホールを目指すが、意外というかなんというか、黒エリはついてこなかった。まあ、あまりエリにべったりなのもね……。

「そういや黒エリはあれかい、黒い服を注文したのかい? 入浴前に……」

「は、はい、なぜ分かったのですか……?」

「いや、君が黄色いワンピースになっているのに、あいつだけ元の服に近い装いだったからさ……。それに黒が好きそうだし……」

「ああ、なるほど……」

 あいつ、変なところで気を遣いやがって……。エリゼは優しいわん、か……。

 そして俺たちは一階へ。さて東と西のホール、どちらに向かうか……? まあどっちでも同じか。ひとまず東のホールにでも向かおう……。

 ホールに入ってまず目に入ったのはたくさんの馬の彫刻だった。それらは輪を描くように並んでおり、それぞれ駆ける動作の一瞬を切り取ったかのように躍動的で、全体においては連続性があった。

 しかし、何だか覚えのある嫌な気配がするような……。

「見事な彫刻ですな」

 うお、彫刻の陰より蒐集者が現れやがった……! 奴は微笑みながら、ゆっくりと近付いてくる……!

「お前……なぜ、こんなところに……!」

「この彫刻を鑑賞していたのですよ。あなたたちこそ、なぜここへ?」

「仲間が二人、見えなくてな……」

「そうですか。状況が状況ですゆえ、懸念はありましょう」

「いや、まだ当てはあるんだ、じゃあな」

 さっさと去ろうとしたが、エリが奴の前に出る……。

「あなたは一体……? 悪しきを行い、それで主が本当に振り向いて下さると……?」

 おいおい、今はそいつに構っている場合じゃ……。しかし、エリは立て続けに訴えかける……。

「主とは救世主のことです、ならばこそ、主を敬愛する我々もまた、人々を救済しようと働きかけるべきではありませんか……!」

 蒐集者は俺たちの近くで立ち止まると、厳かに口を開いた……。

「その救世主とは、ロード・シンによる終末を予言し、その後に再生の手引きをした人物のことですね」

 なに? 救世主ってたぶん神人のことだよな、その存在にロード・シンが絡むだと……? エリも初耳なのだろう、表情に狼狽が浮かぶ……。

「主はロード・シンと関係があるのですか……?」

「その主は、特別ではあっても神性なる存在とは言い切れません。かつて世界が滅び、歴史が崩れたとき、瀕死の人類は肌や立場を超越し、手を取り合いました。その結果、彼らの背景にある文化や宗教もまた複雑に絡み合い、しかし煩雑化し……それゆえ、潜在的に体系化が望まれたのでしょう、人々は救済の父と呼ばれたある人物の生き様に数多の教義を投影し、やがて彼ごと神格化したのです。それが神人であり救世主の正体だと言われています」

 なに……?

「ところで、暗黒城にいた女性の名はエオ・エール・イラーでしたね。しかしその実、あれは名前とは思えません。ある宗派における賛美歌、輝ける神よ、神よ……というくだりの一節に違いないのですから。そしてその賛美歌は複数の言語が混ざって出来ており、そこにも先に述べた融合の事実を散見することも出来ますね」

 エオの名が、賛美歌の一節……?

「おそらく複製を繰り返すうちに自身の名を忘れ、賛美歌をそれと混同してしまったのでしょう。しかし名前より賛美が残るとは、見上げた信仰心です」

 恐ろしい記憶も消えていなかったがな……!

「そう、だったのですか……。ですが、人々より投影されしそのお方が偉大なる救世主であることには違いなく、神格化は神性において必然であったと……」

「神性において救済は必須でしょうか?」

 エリは言葉に詰まり、蒐集者の言葉に押されるように……数歩、後退した……。

「ほう、その様子からして、あなたも考えたに違いない。そう、当然のごとく疑問が湧くはずです。これほど世に苦痛と苦悩が蔓延しているのに、なぜ神は何もして下さらないのか……。なぜ、罪なき子供を二人も奪い去ったのか……」

「おいっ、なぜそのことをっ……!」

 反射的に出てしまった怒号、しかし俺の怒りを制したのは他ならぬエリだった……。

「な、なぜ、ですか……?」

「言わずとも察しているはず。神性において救済は含まれない」

「いいえ!」エリが、声を上げる!「私はそうは思いません! 主と人は不可分です、私たちが希望を捨てない限り……」

 しかし、途端にエリの声音が弱々しくなり、途中で消えてしまった……。

「主と人は不可分、それはわたしもまったく同意見です。しかし私はこの目で、そして手で感じてきたのです。救済もなく、私に不可能性を突きつけられた者たちの悲惨をね……」

「……あなたはあまりに実際的です……。どうしてそうも希望を打ち据えるのですか……? 私たちの主を奪わないで下さい……」

 胸中に、怒りが込み上げてくる……! しかし、痛恨なのはエリだけではなく……なぜか、蒐集者の顔にも、窺えた……。

 ……怒りは、この場にはそぐわないのかもしれない……。なので、俺は努めて冷静に、奴に問いかけることにする……。

「……つまり、お前は……様々な宗教のイメージを投影されたその人物の再臨を……願っているわけではないということなのか……?」

 蒐集者は頷く……。

「そうです、私の信仰はもっぱら実在の胡乱なる主へ向けられているのです」

 実在の胡乱……。つまり、いるかどうかわからん、だとぉ……?

「う、疑わしいってなんだよ……?」

「主は実在が胡乱なのですよ。人は永遠に不完全なる存在なのですからね」

「……なに? それはどういう意味なんだよ……?」

「知的生物ほど、相反の概念から逃れられないという意味ですよ」

「わ、分からない……」

「つまり、我々が確かに実在しているように、神は確かに実在しない、ということです」

 なっ……なにぃいい?

「いや、いやいや、じゃあ、なんでお前は……!」

「実在しなければ信仰を諦めると?」蒐集者は大きく首を振る「違います、違います、それでは信仰として惰弱です」

 ちょっと待てよこいつ、なんだとぉ……?

「いや、いやいや待て、そうじゃないっ! そりゃあ概念上はいいさ、実在している存在すらまったく正しく認識することができる保証もないんだろうし、実在しない存在を愛することもあるだろう、それはいい! だが俺が問題としているのはそこではなく、お前の悪事の原動力たる主への呼びかけとやらが虚無へ向かっていそうな点にあるんだよ! 人を罠に嵌め殺し回って、その動機は何だと尋ねれば信仰の為という。それでも納得はいかないが、まあ少なくとも分かり合えないということだけは分かるというのがさっきまでだったのに、今度は信仰の対象が実は存在しないとか言い始めたらいよいよ何がなんだか分からんだろうっ! ええっ?」

「それゆえに虚空への祈りというのです。ちなみに、白い教会の白はそこからきているのですよ」

「なっ……なにぃいいぃ……?」

 俺はとっさにエリを見やる!

「……はい、それは聞き及んだことがあります……。あくまで異端の教義とされているそうですが……」

「し、しかし、虚空ってなんだよ? 虚空に祈ってどうするんだよ! 東方の禅ってやつかっ?」

「おお、禅をご存知なのですか? ええ、その概念も含まれますね」

「いや、聞きかじった程度だよ! それより、いないと思ってる相手に対してあれこれしても降臨もクソもないってのはどうなんだ!」

「ええ、ええ、あなたは以前にわたしの矛盾を指摘しましたが、それもまた決定的な糾弾ですね」

 しかし、蒐集者はかえって嬉しそうだ……。すべて承知だっていうのかよっ?

 くそ、さっぱり分からん! こいつはいったい何を考えているんだっ? やはり単なる狂人なのかっ?

 だがひとつ、分かっていることがある! こいつは今、喜んでいるってことだ! こいつ投げやりに応対するとすぐ怒るからな、喜んでいるのは俺が理解してきているからで、相応に核心に迫っているってことのはずだ……!

 ええと、冷静になろう、その必要がある……。俺は今、こいつにどんな態度を取った? そうだ、糾弾していた、ならば欲しいのは否定なのか……?

 そういやこいつのこと否定しまくっているけれど、そのことにはぜんぜん怒ったりしないんだよな……。ということは、もしかして、否定されたいのか……?

 しかしなぜ? 否定が何に繋がる? えっと、こいつの発言から否定に関係するのは……不完全ってくだりか……?

 そういや、ちょっと前に不完全とか不可能性がどうとか言ってたな……? その辺で突っついてみるか……?

「えっと、ええっと……ようは、お前はどうしようもなく不完全ってことでも言いたいのか?」

「ええ、その通りです」

「まあ、そうじゃないと完全なる神を外に置けないもんな」

「ええ、その通りです……!」

 おおっ? 妙に好感触だ、まったく嬉しくないけれどなっ!

「つまり、お前は自身の不完全性を強く証明したいのかよ?」

「その通り」

 でも……普通はそんなことで躍起にはならんだろう。不完全性なんて、人は普通に生きているだけでも痛感するものだ。むしろ完全無欠になりたいって願うのが当たり前……。

 そう考えるとこいつ、けっこう傲慢な考えの持ち主だな。前提として何でもできちゃう的な自惚れがあるんじゃないのか?

 そう、そういやこいつ、最初の罠だって偶然性を利用したものだったのに、しくじったことをいやに気にしていたな。そんな曖昧なものに拘泥するのもおかしいと思ったものだが……。

「お前は……内心、自身に完全性を感じているんじゃないのか……?」

 そのとき、蒐集者は驚いた顔をする……。

「ふ、不完全性なんて俺たちにとって当たり前のこと、お前は傲慢過ぎるのか、あるいは相応の力があるのか……。ともかく、どこか普通ではない判断基準があるように思える。それはお前の言動もそうだが、行動にも現れていた気がする……」

「ほう、例えば……?」

「この広い地で罠を張るのは大変だ。魔物が巣食っているからな、せっかく捕らえたり殺したりしても横取りされる危険がある。ではずっと見張っているのか? それもまた危険だ、魔物の襲撃に遭うかもしれないし、獲物に発見され、反撃される危険もある」

「確かに……」

「それに、俺たちの攻撃を受け続けたのも奇妙だ。余裕にしてもあまりに危険だし、その機械の体なら修復も容易なのだろう、いまいち自罰にならない。まるで何かを試したかったみたいだ」

「なるほど……」

「そしてさっきまでの言動、まるで内心、自身を特別な存在と認めている節がある。強大な武器や魔術を扱えるのかもしれないが、そんな奴がいちいち罠を使うだろうか?」

 そう、考えるほどに奇妙なんだ……。しかし、あることを前提にすれば、ひとつの答えが導き出せる……ような気がする……。

 しかし、まさかだろう……。そんなこと、あり得ないはずだ……。

 まさか、だが……。

「……お前、なにか予知みたいなことをしてるんじゃあるまいな……?」

 エリは口元に手を当てる……。

「まさかっ……? ですが、それではまるで預言者……」

 そのとき……! 蒐集者より、不吉な力が流れてくる……!

「レクテリオル・ローミューン……。そしてエリヴェトラ・メザニュール……」

 蒐集者の声音が低くなり……顔を剥がした……!

「それは断じて違う……! わたしは預言者ではあり得ない、例え表層上、それに近しい力があるように思えるとしても、そのような神聖なる領域にあるはずがない……!」

 こっ、こいつ、予知のことは否定しないのかっ……?

「も、もしや、俺たちに関する予知が外れたから、そんなに構ってくるのか……?」

 蒐集者は否定をしない……。マジかよ、予知だと? 自分で言っておいて何だが、そんなふざけたことが可能なのか? だがそう考えると辻褄は合う。どこをどう見たら俺なんかが天の使いだと訝しんでいたが、つまりは予知を外したから特別視していたんだ……!

「以前、我が身を晒したときはいささか危なかった。多少は自罰を演じてみようと思ったものだが、最後の一撃はまるで読めなかったよ。人は自身こそよく見えぬもの。あなたこそが真の半身に違いない……」

 そうか、あのときは本当に好機だったわけだ……。

 蒐集者はふと、頭上を見上げる……。

「……鳥はいつも飛んだ後だ。宿り木に止まっている姿を見ることは叶わず、すでに飛び去った後なのだ。我々はいつもそれを見送るだけ、いつもそう……。ゆえに止まっていたはずの宿り木を指差し、あそこにいたに違いないと信じることしか出来ない。そしてその間にも白い鳥は空へ飛び立ち、影はそれに縛られ地を這ってゆくのだ……」

「あの、何を言っているんだ……?」

 そして奴は周囲を歩き始める……。

「……わたしは花が好きだった。教会の周辺に花を植え、豊かな庭にすることが何よりも楽しかった……」

 いきなり何なんだ? それに花が好きぃ……?

「ある季節、わたしはふと、見慣れぬ花に気が付いた。近隣の二種の特性が受け継がれていたので、おそらく異種交配したのだろう、それはそれは美しい、紫色の花だった……」

 というか、マジで何の話だよ……!

「ある日、わたしは住んでいた田舎町よりほど遠い都市へ出向いた。そこの教会にいる司祭と会う約束があったからだ。そうして教会への道を歩んでいると、見事な花々が咲き乱れる屋敷を見付けた。思わずそこに立ち尽くし、見惚れていると、その屋敷の主人が現れた。わたしは心よりの賞賛をし、主人は喜んだ。そしてわたしが相当な花好きであると知ると、彼はとびきりの温室へとわたしを招待してくれた。そこで彼は花々を交配させ、美しさを際立たせたり、別種をつくろうとしていたのだ。わたしはそのことにとても興味を抱いた。心底楽しそうに思えた。しかし、その後、教会へ赴き、そのことを話すと……司祭は難色を示した。娯楽のために新たな花をつくるのは命を弄ぶ行為だと、彼は罵ったものだ」

 そういうもの、なのか……?

「しかし、わたしはそのような教義は耳にしたことがなかった。ゆえに反論したが……彼はとても古い文献を所有しており、そこにはたしかに、悦楽を目的に異種交配をしてはならないというような意味にとれる言葉が載っていた。それゆえに、当時のわたしは泣く泣くその道を諦めたものだ……」

 そう、だったのか……。

「そ、それも不可能性の……?」

「まあそうだが、ただの昔話だよ」

 表情のない骸骨の顔が、少し笑んだような気がした……。

 というか、なぜ唐突に昔話……? 蒐集者は顔を付け直し、微笑む……。

「フェリクス君は西側にいますよ」

 そして奴は去ろうとする……って、話は終わりっ? けっきょく、ええと、どういう話だったんだ……?

 ま、まあ、それはともかく、今のうちに聞いておきたいことがある……!

「待った、ひとつ、聞きたい!」

 奴は振り返る……。

「あのルドリックとかいう奴、エオを虐げ、赤子を殺した野郎かっ?」

「……その通り。彼には見境がまるでありませんのでね」

「そうか、奴がそうなのかっ……!」

「おや、あなたにしては珍しい。積極的に戦うおつもりのようですね?」

「ああ!」

「彼は手強いですよ。まだまだ早い」

「そんなことは関係ない。それより、お前も赤子を手にかけたことがあるのかっ?」

「子供を相手にしても意味がありません。彼らは可能性に満ちてはいるものの、その使い道には未だ暗いですからね。わたしの標的は可能性を最大限に引き出せる知力と体力に恵まれた者でなくてはなりません。そう、この地を踏まんとする冒険者のような、ね」

 冒険者専門ってわけかよ……!

「それに、赤子をよく殺すのは実の親と相場が決まっているものです。加えて、子供を痛め付けるのもごく身近な者が多い。そうです、彼らの可能性は常に脅威に晒されている。その暗澹たる現実に、わたしが手を加えることなどなにもありませんとも……」

 そうして奴は去っていった……。まだ聞きたいことはあったが、なんとなくそんな空気ではない……。次の機会を待つか……。

「あの方は……」エリが呟くように言った「不可能性の探求者なのですね……」

「けっきょくただの狂人って線も充分にあると思うがな……」

「ただの狂気ならば、さほど恐れることもありませんが……」

 ……何がどうあれ、奴は冒険者を狩る邪悪な存在であり、俺の敵だ。それ以上でも以下でもない……。

「……さあ、いこう。西側に……」

「はい……」

 ……エリは気落ちしているな。さっきのやりとりが堪えたのだろう。ここで、何か言ってあげたいが……。

「……なあエリ、神性には救済の属性が含まれると俺は思うよ」

 エリは顔を上げ、俺を見詰める……。

「神様は……いると思わせてくれるだけで、俺たちは気が楽になっているんじゃないかな……? 実際的に何か働きかけてくれるかどうかは……俺たちにはよく分からないし、あまりそこに拘ってもさ……」

 エリは目を瞬き……そして、僅かに微笑んだ……。

「そう……そうですね。その通りだと思います……。私たちはいつだって救われていた……」

「それに、あいつは言っていたんだ、救済には主の恩恵が必要だ、みたいなことをさ……。だから、根っからは否定していないのかもしれない……」

「彼もまた、救済を望んでいるのでしょうか……?」

「ああ、きっと、そうだろうと思う……」

 そして俺たちは西側のホールへ……。するとそこには二人の男……って、フェリクスが片膝を突いている!

「おっ、おい、何をしている!」

「ああ、違うんだよー」フェリクスはすぐに立ち上がった「稽古を付けてもらっていたんだ」

 ああそうか、そうだった。えっとこの聖騎士団の青年は……クレイヴ・ステンキッド……だったか?

「いや、すまない、勘違いをして……」

 クレイヴは十字の槍を立て、僅かに微笑む。

「ああ、気にしないで」

「しかし何でまた稽古を……?」

「いやぁ、何やらすごい数の魔物がやってきてねー。僕はぜんぜん活躍できなかったんだ。だから少しは真面目に戦闘の訓練をしようかなとねー」

「そうか……」

「稀有な能力を持っているのに、今まで活かさなかったのはもったいない話だ」

「稀有な能力だって?」

「洞察と模倣の能力に優れている」

「へえ……」

 洞察力があるなら模倣にも長けるってことか。まあプリズムロウの一員だし、外見は普通でもいろいろと強化されているんだろう。

「しかし、筋力と心意気が足りないな。今のままでは溜め込んだ技能を活かせない」

「僕、鍛えてもあんまり筋肉付かないんだよねー」

「そうなると強力な武器を手に入れるしかないな」

 武器か……。これが終わったらアージェルのところへ行くし、運が良ければそこで何か手に入れることが出来るかもしれないが……。

「それで、稽古はまだ続けるのかい?」

「いや、私はそろそろ休もうかと思っている」

「うん、僕も疲れたよー。いろいろありがとう」

「なんのことはないさ。ではまた」

 そしてクレイヴは去っていく。聖騎士団の連中とはけっこう強い壁を感じるが、彼はいい奴っぽいなぁ……。

「それにしても、ちょっとだけ心配したぜ。その辺で倒れてるんじゃないかってな」

「そうなの? ごめんねー」

「いいさ、じゃあ……俺たちも戻るか」

 そして自室付近の廊下でエリと別れ、部屋に戻るが……室内は暗いな……って、謎の人影! いやワルドかっ? おお、びっくりしたぜ……! 危うく声を上げるところだった……。

「問題はなかったようであるな」

「あ、ああ、こいつ、稽古してたよ」

「ほう?」

 俺はホールでのことをワルドに説明する。

「なるほどな、強力な武器か……」

「地下へ行ければなぁ」

「私は構わぬが、本当にゆくのかね?」

「そりゃあ……行くさ。入れるかどうかは別としても、アージェルの様子が知りたいしな……」

「冷淡な意見だが、半日ほど一緒だっただけであろう? しかも彼女は望んでそこに留まった。そこまでする義理はあるのかね?」

「……望んだっていうのとは、少し違うと思うんだよ。たぶんだけれど、他に行き場がないんだ、そんな気がする……」

 ワルドは唸り、

「そうか……そうかもしれんな……」

「というか、部屋暗くない? 他みたいに明かりを点けられるんじゃないかなー」

 それらしいものを探すと、入り口のドア付近に丸い突起があった。なのでそれを押してみるがまるで動かない……。もしや回すんだろうか? 試しにやってみると、室内が一気に明るくなった!

「おお、やはりこれか」

「昼間みたいに明るいねー。夜でも楽に本が読めそうだよー」

 そしてフェリクスは風呂へ向かった。俺はそろそろ寝るかなぁ……。

「眠る際には鍵はもちろん、机かなにかをドアの前に置いておくのがよいな。気休めくらいにはなるだろう」

 そこまで心配しなくても……とは思うが、俺たちはカタヴァンクラーの素性をよく知らない。念には念をだ、やっておいた方がいいだろうな。

 そしてフェリクスが戻り、俺たちは鍵をかけて机をドアの前に移動させる。そして並ぶベッドに横たわり……ああ、いいベッドだ! なんだかんだで疲れたしなぁ……! もう、すぐにでも眠れそうだ……。

 ふわふわとした睡魔の足音が大きくなってきたとき……ふと、フェリクスの声がした……。

「……僕らさ、思えば、帰る場所とかないよねー。レクは家を出たし、ワルドさんは故郷を奪われたんでしょう? 僕だって死地に送られて、のこのこ帰ったら殺されちゃうかもしれない。それはシスも同じかもしれないし、エリさんも故郷を追われて……。アリャちゃんくらいじゃない? 帰れる場所があるのって……」

 ……急になんだ……? しかし、言われてみればそうだな……。少なくとも俺には帰るべき場所なんてものはない……。

「ああ……。そう、だな……」

「みんな、もし目的を果たしたらどうするの?」

 どう、するって……どうしようか……?

「もし、決着をつけ、生き残ったならば……」ワルドだ「一度、ゴッディアに戻るよ……」

「戻る? でも……」

「噂だが……既に紅の門が開けられ、地下都市への道が開かれておるらしい……。そしてここと同じく、冒険者たちが挑戦をしておるとか……」

「そう、なのか……。それで、地下都市を目指すのかい……?」

「さあて、どうかな……。正直、先のことはあまり考えていない……。そこまで楽観的になれる相手ではないからな……」

「そうか……」

「君は道具屋を開くんだったな……。場所のあてはあるのかね……?」

「ないな……。……冒険者の宿、とか?」

 ワルドはくすりと笑う……。

「それもよいかもしれんな……。フェリクス、君は……?」

「理想を言うなら、また俳優業に戻りたいかなー……。まあ、それでも見知らぬ国になるんだろうけどねー……」

 そうか、またやりたいのか……。

 そういやエリはどうするのだろう? 復活させた子供たちとどこかに移り住むのだろうか……? そのとき黒エリは……?

 まあ、今は聞く気になれないな……。生きて冒険者の宿に戻れるかすら分からないんだし……。

 無力な俺は明日も生きられるよう祈るのみ……。その祈りがどこかに届くのか、それとも届かないのか、それすらも分からぬままに俺は……自然とそれを行っていることに気付く……。

 俺はひとつ、大きなあくびをする。夜の静寂は深みを増していき、後はただ、睡魔に身をまかせるだけだった……。

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