地獄の釜
大巨人はありとあらゆる夢を見る。
生きる糧を得て喜び勇み、脅かされる恐怖に堪え忍び、仲間との友情を育み合い、未知なる文明の遺産に好奇心を震わせる、そのような夢を……今も見続けている。
彼は我々のすべてを知っている。だからこそ、終わりと始まりは必然に他ならないのだ。
◇
レキサルの出血が酷いので治療は彼を最優先に、俺たちはそれを待つ。
「その左肩、折れたか……?」
言われてみれば、ぜんぜん動かすことができないな……。それに痛みが徐々に大きくなっている……。だが助けられて文句を言う愚か者もいまい。
「いや、大したことはないさ。あのままじゃ確実に死んでいただろう、マジで助かったよ」
「ああ……」
というか、黒エリはまだ起き上がらないな……。
「お前……言うほど軽い痛手ではないんじゃないか……?」
「かもしれんな……」
あの衝撃波だ、爆心地の側にいたら、そこらの魔物だって消し飛ぶだろう。いくら頑強とはいえ無事なわけもない……。
それにしても彼は強かった……。決して甘く見ていたわけではないが、これほどまでに強いとは想像だにしていなかった。手数で鳥を凌駕する場合などは想定していたが、まさか単発でエリの鳥を避けてくるとは……。
エリの背中を眺めていると、ふと彼女が振り返った。
「ひとまず、救命は済みました、次は……」
「ああ、こいつに……」
「いいや、こやつだ……」
「ええ? いや、お前の方が深手だろう」
「いいや、お前の方がボロボロだ」
「いやいや、お前、寝たまんまじゃねーか。ボロボロって言うならお前の身なりこそ……」
「自己修復中だ、体力を浪費しない姿勢をとっているだけだ。服は知らん」
呆れた奴だ、なにをそんなに意地を張っているのか……。とはいえ、俺がボロボロなのも確か、攻撃の痛手もあるが、活性の後遺症もまた酷い……。実は、いますぐ横になりたいくらいなんだよね……。
「あの……多少、効率は落ちますが、同時に癒せますよ……」
鳩がぶわっと現れ、俺たちの体に張り付く。そういや戦闘中もこれに助けられたな。
「鳥たちが通じないなんて……まだまだ修行不足ですね……」
エリがぼそりと呟いた。
「いや、通じていたよ。直線の攻撃を封じなければ俺は早々に死んでいた。それに技能の問題でもないと思う。なにかもっと異なる次元の理由があると思うんだ」
「異なる次元……?」
「うーん、たぶん、敵意に関する何かだとは思うけれど……。まあとにかく、同様の事態が今後もそうあり得るとは思えないな」
「ふん、甘く見ている内に後手に回ったな。だが興味深い戦いでもあった、特にお前だ」
黒エリは俺を見やる。
「お前はどう見ても強くはない。なのに人間の身体能力を遥かに超える動きを見せた相手に攻撃を噛み合わせた」
「運が良かっただけさ……」
「運だと、あんな一か八かでか? かえってあり得ない」
「そう言われてもな……。なんとなく確信できた、それだけだよ。説明できるほどの根拠は持っていない」
黒エリは上半身を起こす。
「ふむ、戦力としては見込まれるが、安定まではしていない……といったところか。ともかくあまり無茶はするなよ。恐らく、お前が死ねばこの部隊は瓦解するだろう。噛み合わせの妙味は戦いの話だけではないのだからな……」
「俺が……? まとめ役はワルドだろ……?」
「あの男は聡明だが、あまりに拘りが強い。隊長として見た場合、楽観はできんな。私はお前がやられたらエリを連れて部隊より離脱する」
黒エリはエリを見やり、
「あなたの目的は我が本隊が継続しよう。その方が成功率は遥かに高いと断じておく」
エリは何と答えたらいいのか分からない、といった表情を浮かべる……。
「な、なんで、俺を……そこまで評価するんだ?」
「それは正確な表現ではないな。組織の均衡を保つ役割は、なにもリーダーばかりが担うわけではないという話だ。スケープゴートなどはその典型的な例だな。瓦解しつつある組織に居続けるのは無策に等しい愚行、離脱するのは当然の選択だよ」
俺が……みんなの噛み合わせに必要だって……? 正直、そんな実感はまるでないが……。
「ゆえに、拘泥に操られるがまま先んじて奴らを追ったホプボーン氏は高い確率でしくじっていると思われる。おそらくアリャには手を出すまいと見越し、敵を撹乱、優位性を確保する算段だったのだろうが……残りの二人の冷徹な雰囲気からして、アリャも無事には済むまい……」
「ば、馬鹿な、クラタムにとっては実の妹だぞ……!」
「その思い込みが甘いと言っているのだ……」
そんな、まさか……?
「い、急がなくては……」
しかし立ちくらみが……! 膝を突いてしまう……!
「レクさんっ、まだ傷が……!」
くっ、前よりは多少ましになってはいるが、やはり活性の後遺症は後に引くな……。
そのとき、レキサルが目を覚ました……! 上半身を起こし、俺たちを見やる……。
「も、もう、戦いは終わったぜ……!」
レキサルはひとつ大きく息をし、
「ああ……。私の負けだ……」
「ということは……シンの意思はもう、追わないんだな……?」
「そうだな……」レキサルは唸る「……私には、いまは特に、その意義を見出せない……。フィンの戦士として、すべきことが何か……いま一度、考えたい」
「ああ、俺にできることがあったら、ぜひ言ってくれ!」
レキサルは俺を見詰め、
「君は不思議な男だな。なぜだろう、追っ手が現れたとき、ひどく憂鬱になったものだが、君を見ていると……この戦いに意義があるように思えてきたんだ。そして戦ってよかったとも思う、死者が出なかったのも喜ばしいことだ……」
それは本当に、俺もそう思うぜ……。
「よし、まだ辛いかもしれないが……ここを出よう、ワルドたちが気掛かりだ。黒エリ、どうだ、いけそうか?」
黒エリはひょいと立ち上がり、
「誰にものを言っている。お前より遥かに元気だよ」
まったく、可愛げがないなぁ……。
「君は……ただの人間ではないのだな……」
「故あってな、この地の兵装と融合してしまったのだよ。まあ、なかなかの攻撃だったと称えておこう」
なかなかどころか、思えばレキサルの矢もミサイルってやつにそっくりだったな。とんでもない威力だったし……。
俺たちは荷物を背負い、レキサルは得物を回収する。
「よし、行こう!」
……と思ったけれど、あの壁を開けないとならないんだよなぁ。
「黒エリ、空腹なところ悪いが、あの壁を引き上げられるか?」
「……任せろ」
あいった! また頬をつねられた! 黒エリは壁に指を掛け……力む!
「ふん……大したことはないな」
おお、持ち上がったぞ……! 奥の通路が現れる!
俺たちは壁を潜り……えっと、黒エリがこっちにくる為には、少しの時間、この壁を支えないとならないんだよな……。
俺とレキサルは壁を支える……って、うっお、かなり重い、肩や腕が軋むぅう……! 黒エリが俊敏に潜り、合図で同時に手を離すと、でかい音を立てて壁が降り切った……。
壁の先もまた例の通路……。さて、どう進んだらいいものか……? 道の先に機械兵士の骸が倒れている……。
「気を付けるんだ」レキサルだ「こちら側は攻略していない、機械の兵士たちが未だ残っていることだろう。彼らは音に鋭敏だし、きっとやってくるぞ……!」
マジかよ! たしかに、足音が複数、聞こえてくるぅ……!
「鳥たちで気を引きましょう!」
エリの鳥たちが飛んでいく……! そして遠くの方で光線銃の独特な発射音が……!
「同時に、出口を探します……! それにしても、とても精密な攻撃です、絶対に出会ってはいけません……!」
フィンの戦士が一ヶ月かけているんだ、恐ろしい相手に違いないだろうな……! 俺たちはじっと息を潜めて、待つ……。
「ありました! 行きましょう!」
俺たちはエリに先導され静かに先に進む……。途中でフェリクスが機械人間の骸に躓いてでかい音を立てるなど恐ろしい一瞬もあったが……なんとか奴らに見付からずに済み……やがて上り階段が現れる。
上は明るいな、陽の光だ! 俺たちは急いて駆け上がる……と、足音が複数、後ろから来てるぅ……!
だが出口はもうすぐだ! 飛び出すと同時に光線が背後を通ったぁ! あっぶねぇ!
「おい、みんな無事かっ?」
「大丈夫さー」
そうか……って、フェリクスの背中に焼け焦げが一直線! 掠っただけだろうが、ちょっと危なかったんじゃないか……!
気付くと追っ手の攻撃は止んでおり、足音も聞こえてこない……。外までは追ってこないか……。
出た先は木々もまばらな草地、そして遠目にワルドの背中が見えた……! だが、クラタムたちの姿はない……。
「ワルドッ、無事だったか! アリャは……」
うっ、ワルドがアリャを……治療しているっ……?
慌てて近付くと、よかった、意識はある状態のようだ……!
しかし、身体中、傷だらけだ……。
「ぬかったよ……」
ワルドは力なく呟く……。
「高を括っておった、アリャには攻撃をせんとな……」
くそっ……黒エリの予想が当たったか、まさかクラタムたちがアリャを傷付けるなんて……!
「私に任せて下さいっ」
エリがワルドに代わって治療を引き受ける。
「ムゥー、ヤッパリ、ツヨカッタ!」
アリャは気丈に笑う。しかし、どこか気落ちは隠せない表情だな……。
なにか声をかけよう……としたそのとき、気配が近付いてくる……? 見るとグラトニーズ……いや、あいつは……!
「ジ・グゥー……!」
グゥーは挨拶なのか片手を挙げ、そして俯きながらこっちへやってくる……! これは何だ、どういうことだ……?
「なっ、なんだ、なぜここに……?」
「偶然だとでも思うか? 意味ありげな来訪者は常々よくない話を持ってくるもんさ……」
「よくないって、なんだよ……?」
「分かるだろ」グゥーは溜息を吐く「あれは不味いんだ、とてもな。あれに手を出さないことはこの地に住まう者の不文律なんだよ。あのフィンたち、ここでくたばると高を括っていたが、まさか持ち出すことに成功するとは……」
グゥーは肩を竦める。
「まあ、お前らはよくやったよ。だが、あいつはよくない」
グゥーはレキサルを見やる。
「お前……まだ追うつもりか?」
「いいや、私は降りる」
「そうか……」グゥーは俺に向き直り「よし、ならいい。それじゃあレク、お前もここで手を引くんだ」
手を引け、だと……?
「……なぜだ? シンの意思がやばいってんなら、止めようとすることに異論はないだろう?」
「ないよ、俺はな。でも、止めに行くなら会合に参加しないと」
「会合……?」
「なんというか、まあ、シンの復活を止める会みたいなもんが発足されるらしい。シンの伝説に興味を抱いている者たちが一堂に会するらしいんだ」
「な、何のために……?」
「そりゃあお前、各々フィンを止めるために動いたとしても、実際、他の奴らのことを信じられるか? あわよくばシンの意思を自分のものにしちまおうって考えているかもしれないだろ?」
「俺たちはそんなこと……」
「しないってんだろ、お前たちはそうだろうさ。だが、それを信じない奴らにどう証明するってんだ? お前たちも、どこの勢力かも分からない奴らを信じたりできないだろ?」
たしかに……。つい先ほどもレキサルと衝突したばかりだしな……。
「つまり、相互に監視したいって話なのか……?」
「そうだ、だがいまの話はあくまで建前だろうな。ぶっちゃけた話、みんなシンの意思を狙ってるくさい」
「なにぃ? 止める会なんだろっ?」
「均衡があるんだよ、みんなずっと狙ってはいたんだ、でも他の勢力の手前、動けなかった。だけどそこに空気の読めないフィンが現れ、意思の一つを手に入れちまった。そうなったら動く大義名分が手に入るだろう? 世界を救うことに理由なんか必要ないからな」
「しかし、勝手に動いて救うことは許されない……」
「そうだ、顔合わせという名目の参加表明だ、フィンを止めるなら会合に出なきゃ駄目だ、戦争に参加するにも手続きは必要だろ? 奴らを無視して好き勝手にやると袋叩きに遭って殺されちゃうぞ、こいつはマジな話だ」
「それを……伝えにきてくれたのか?」
「そうだ、優しいだろう?」グゥーは肩を竦める「そして会合に参加するってことは、同時に地獄の釜に身を投じるってことでもある……ってのはもう分かったよな?」
グゥーはかなりマジな顔付きだ……。騙している風には見えない……。
「皆シンの意思を狙っている。騒動に沿って動き、最後に総取りをしようってハラの奴らばっかりさ。だから会合に参加したら、同時に周囲も敵だらけになる」
「羊の皮を被った狼たちの争奪戦ってわけかよ……!」
「だから退けって言ってんのさ! この件はこの地の出来事の中でも飛び抜けてヤバいんだ、誰がどう繋がっているか分からない、後ろから刺されても知らないぜ……!」
「誰がどう……?」
「そうさ! 例えばオ・ヴーはインペリアル・サーヴァントと繋がりがある、知ってたか?」
「な、なにぃ?」
「そう驚くことじゃないだろ、俺とお前だってこうして会話するし、スゥーやホーさんだってお前を助けたろう? ヴーはとにかく魔術の王になりたいんだ、新たな知識を手に入れる為なら誰とでも組むさ!」
「マジかよ……」
「いいか、建前では魔女とフィンの奴らをみんなで止めようって話になると思う。だが、その計画は必ず頓挫するだろう。完全に止めちゃったら後は元の場所に戻して終わりだし、半端なところで奪い取って集め始めても袋叩きになるだけだからな。だからギリギリまで泳がせようとするはずだ」
「彼らを止めようと先んじても、逆に妨害を受けると……?」
「その通りだ! そしてある時を境にそれぞれの思惑が炸裂するのさ、その場で生き残れる自信はあるか?」
「あ、あるわけねぇだろ!」
「だから退けって話なんだ、分かったな? お前たちを狙っている蒐集者もいまはこちらを優先するはずだ、いまのうちに中央まで行っちまえよ」
「なぜ奴が……? いや、世界中の人間を皆殺しにする機会だ、むしろ狙わない方がおかしい……!」
「まあ、お前も俺を疑うだろうが悪いことは言わない、シンの意思を追わないか、追うにしても会合には参加しろよ」
しかしヤバいな、この話が事実なら、クラタムたちが殺される可能性は極めて高い……。アリャの気持ちを汲めばこそ、放っておくことは難しい、か……。
しかし、騒動の渦中に入れば、みんなの命までもが危険に晒される……。俺はグゥーを見やり、
「お前は……なぜシンの復活を嫌がる? ここは滅びないんだろう?」
「外の世界が好きだからさ。命懸けで外に出るのも外が楽しいからだ。僅かながら、知り合いもいるしな。あと、ある町じゃ俺は夜な夜な徘徊する謎の怪人なんだぜ! お前たちを驚かせて、楽しいんだ。俺は外でいいことも悪いこともしたい、なくなったら困るんだよ」
「そう、か……」
「というか、ここだって安全だっていう確証はない。シンの復活に立ち会ったこともないのに誰が担保してくれるってんだ」
た、たしかに……!
「でも、しょうがないさ、俺には止められないし、お前にだって無理だろう。だからせいぜいしぶとく生き残れそうな道を勧めているってわけだ」
グゥーは俺の胸元に指を突きつける。
「さあ、どうする? 俺は既に忠告したぜ。退くならよし、追うなら……会合の場まで案内してやる。追うのに出ないなんて選択はないんだからな……!」
どうする、どうする……?
「時間がほしい、みんなと相談しなくては……」
グゥーは頷く。
「会合は三日後だ、それまでじっくり話をしろ。ここを離れるなよ、時間になったらまた会いにくるからな」
「ああ……ありがとよ」
「礼なんか……! ここまで追ってきて、つまらない死に方なんかされてたまるか!」
グゥーはのしのしと去っていった……。
さあてこいつは参ったぞ、どうしたものか……。
みんなは俺たちの話を聞いていたらしく、絶句した表情を浮かべている……。
「なんということだ……」レキサルは唸る「このままでは二人とも……」
「ウウー……! アニキ、ヤバイ……?」
「クルセリア……藪をつついて大蛇を出したな……」
「ふん、地獄の釜に身を投じる、か……。悪いが、愚かな選択としか思えんな」
「大巨人、ロード・シン……。なぜ、そのような力を求めるのでしょう……?」
「参ったねー。気持ちは分かるけど、やめておいた方がいいと思うなー」
困惑と参加拒否の意向が強いな……。
しかし、このままではクラタムが……。
いや、その前にシンの意思を手に入れようとする奴らを放っておいていいものか……。
でも、俺たちにできることは……少ない……。
悩んでいると、レキサルに肩を叩かれる。
「済まない、君たちを手伝ってあげたいが、私にはすべきことがあるようだ……」
「まさか……?」
「いいや、フィンが狙われた背景だよ、それを調べる必要があると思うんだ」
「なにか心当たりでも……?」
「わからない……。ただ、ざわつくんだ……」
「そうか……だが、かなりきな臭い状況だ、気を付けてくれ」
「お互いに。そういえば、君の名は?」
俺は名を名乗る。
「フィンを想ってくれて有難う、異国の友よ。どうか良き風が吹きますように……」
「お互いにな……!」
レキサルはひとつ頷き、アリャの頭を撫でると風のように去っていった。
フィンが狙われた理由……か。
まさか……。
まさか、な……。
ふと、周囲が暗くなったように思え、空を見上げる。
晴れ模様に雲の群れが押し寄せてきていた。風も強い。
すぐにでも雨になりそうだ。あるいは、嵐になるかもしれない。