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WRECKTHERION(仮題)  作者: montana
27/149

無抵抗の戦い

 すべての苦痛には意味があります。

 あるはずです。

 残酷と無関心……。

 その蔓延が虚無でしかないとするなら、

 ああ……現世とはなんと恐ろしい魔境なのでしょう。

 痛みに意義を見出すのです。

 もしくは、ひたすらに畏怖しなさい。

 神妙であるべきです。

 悪魔の誘惑に負けないためにも……。



 謎の美女が向かった先は……また階段か、しかし頭上は開けている、青空だ……! 屋外へと出るか……!

「……これは!」

 空は開けていて青い、しかし周囲は……案の定とでもいうべきか、黒い煙が辺り一面に立ち籠めている……。

 だが煙たくはないな? あるいは霧のようなものか? いずれにせよこんなに真っ黒じゃ周囲の状況はよく分からないな……。

「……この、黒い霧のようなものは何なんだ……?」

「よくは知りませんが毒性はないそうです」

 そうなのか? まあ息が苦しいとかはないしな。

「……ここは、大まかにどんな構造の建造物なんだ?」

「ここは甲板のひとつで、全体像としては円柱状の各ブロックがその側面を接点に集合しているような形状です。それと私はエオです。エオとお呼び下さい」

「えっ? あ、ああ……」

 円柱の集合体か……。下から見たときの印象そのままだな。

 それにしてもこの美女、エオか、靴はどうしたんだ? 服は着ているのに……それにあの腕輪もないな? まあ、あれはなくていいんだが……。

 さて、どうするか……依然として脱出のめどは立たないが、いずれにせよ行動しないと……。

「次はいかがいたしましょう?」

「そうだな……ここの情報がたくさん手に入る場所へ行きたいな」

「情報……中央制御室でしょうか?」

 制御室か……!

「そうだな、そこがいい。どこにあるんだい?」

「はい、案内はいたしますが……あの辺りはかなり危険ですよ」

「そうだろうが……こうしていても始まらないしな」

 虎穴に入らずんば何とやらだ。だがエオはおそらく戦力にならないだろう。守りながら行けるのか……いや、そもそもだ?

「えっと、ところで君は……死んだのでは?」

「そうなのでしょうね。ですが、こうしてまだ生きています」

 ……復活したとでもいうのか? だが、首をはねられていたんだぞ……?

「ではまいりましょう」

 甲板を先へと進むと……急にデカい壁が現れたな。また別の円柱へと入るんだろう。さて、危険な輩がいなきゃいいが……と、

「これは……」

 急に緑が? 植物の姿が、広大な造園が広がっている……こんなところで栽培しているのか? いや、そうしないと食料など得られないか、見たことのない植物が茂っているな、緑色の果実が生っている、なかへと入ればまるで森のようだ……。

「ここで少し、お休みしますか?」

 休む……休むか……? 確かにここなら人目につかないだろう、それにおあつらえだ、腰かけるのにちょうどいい岩もある。

「ああ、そうするか……」

 エオが果実をちぎり、差し出してくるが……うーん、空腹だし好意はありがたいんだが、ここの食い物はちょっとな……。

「いや……俺はいい」

「そうですか? おいしいですよ」

 エオが頬張るが……あれはっ? 果実が真っ黒だぞ……!

「だ、大丈夫なのか、それは?」

「はい、もちろんです。ずっと以前より食べていますから」

 また黒、外の黒い霧と関係があるのか?

 だが、やっぱり食う気にはなれないな……。

 ……それにしてもこのエオの言動は気になる。どうして俺を天の使いなどと見なすのか、蒐集者との関係はあるのか……。

「エオ、君は……ここで何を?」

「ここを楽園への船とすべく、この身を祈りに捧げています」

 祈り……それに、

「楽園への船、だって?」

「はい、ここで苦痛に堪え抜くことにより、楽園への道が開かれるのです」

 何だそれは……? と思ったのが伝わったか、エオが哀しげな表情になる……。

「天使さまならば……我々の信仰のありようをしっかりと把握して下さっているのではと……いえ、これも必要な苦しみなのでしょうか……?」

 そ、そんな事を聞かれてもな……。

 しかし、苦しみに堪えて楽園へ、だって……? ああされたこうなったと俺に訴えかけていたのはそのためか……。

「……悪いが俺は天の使いなどではないよ。脅されてここへと送られた、ただの人間だ……」

 ああ、落胆させてしまったかな……だが実際にそうなんだから仕方がない……。

「……あなたさまに自覚がおありにならないだけなのかもしれません。希望はいつでもここにあります……」

 いや、そんなに前向きな解釈をされてもな……。

「……しかしその、苦しむことを善しとするような信仰とはいったい……?」

「それは……私たちがどう解釈しているかという問いかけなのでしょうか? いいえ、さもしい真似はいたしません」

 エオは首を振り、顔を上げる……。

「……お答えいたしましょう。もしもこの信仰が無意味……なものであったとしたなら……この世のありとある苦しみもまた無意味なものとなるからです。それは何より恐ろしい事でしょう、だからこそ……」

「……人は、この世から苦しみをなくす努力をすべきなんじゃないのかい……?」

「苦しみがただ消え去るべきものでしかないのなら、かつて苦しみ抜いた数多の人々の嗚咽とはいったい何だったのでしょう……?」

 ……それは、そういう疑問もあるのかもしれないが……。

「だが、そこに過度な意味を見出しても辛くなるだけじゃないのかい……?」

「いいえ……私にはそうする必要が、義務があるのです……」

「義務だって……? そんな、いったい何の義務がある?」

「見てしまったからです……」

「見た、何を……?」

「世にもおぞましい光景を、です……」

「……それは、どんな……?」

「そ、それは……」

 エオは幾度も深呼吸をし始める……。額には脂汗が……。

「い、いや、そんなに辛いなら話さなくても……」

「いいえ……お話、いたしますとも……」

 いったい、何があったというんだ……?

「……私はかつて教典の信徒として、裏教典派討伐軍の遠征に参加したことがありました。争いは望みませんでしたが……ええ、そのときの私もあなたさまと同じく、人を苦しめ、それを信仰の糧とする邪教徒が赦せなかったがゆえに、強攻策もやむを得ないと考えていたのです。そして裏教典派が集うと噂される、ある町に駐屯した夜……どこからともなく、ものすごい数の敵影が現れました。同行していた部隊はいとも容易く壊滅し、その巻き添えとなって町も滅び、気づいたときには不気味な……そうです、切り刻まれた死体だらけの、血と肉片の地獄に私はいました……」

 なにぃ……?

「逃げ出そうにも鎖に繋がれ……身動きのできない状態でした。周囲にも繋がれていた人々がたくさんおり、一人ずつ様々な責め苦を受けてゆきました、老若男女を問わず……。早期に殺されてしまった方々はある意味、幸せだったのかもしれません。責め苦は徐々におぞましいものになっていったのですから……」

 こ、これはとんでもない話なのでは……。

「ですが……私だけは何もされませんでした。陵辱され、拷問される人々を尻目に、私だけは無事で……ただ、凄惨な光景を見せ続けられて……もちろん目を背けましたが、見なければ全身に痛みが走りました、怪我を負っていないのに……」

 ……そういった形の拷問、なのだろうか……。

「そうした日々が過ぎ、どれだけの時が経ったか、たくさんいた人々は少しずつ減り、ついに十人ほどになっていました。……みな惨たらしい状態でした、生きているのが不思議なほどに……。そして、その中に一人、女性がいました……。彼女はさほど外傷も負っておらず、ですが、お腹が大きくなっていました」

 ……なんという……。

 それにエオの額から脂汗が滴っている……!

「おい、無理して話さなくても……!」

「あの悪魔は……悪魔たちは……! 生まれた子を、新生児をですよ、あの、悪魔たちは、いともたやすく……く、砕いて……その母親の口に……」

 なっ……なにぃいいいっ……?

 ばっ、馬鹿な、そんな事がっ……?

 いくら悪党だからといって、そんな事をするかっ……?

 あまりに信じ難いが……!

「あ、あれはとても、とても人間のすることではなかった、人がしてはいけないことだった、でもあった事には変わりなく……そして、これからもあり得ることにも変わりなく……もし、もしもそこに意味などないのなら、この世は間違いなく地獄そのものに違いないのです……!」

 エオ、汗だくになっている……当時の恐怖を思い出したのだろう……。

 しかし、これは……何と言葉をかけたらいいものか……。

 新生児を……?

 いや、それはもはや悪党とかそういう次元じゃない……!

「……そう、そうです、私はその時より、あらゆる力に畏れを感じ……徹底して無抵抗を貫くほかなく……」

 言葉が徐々に、嗚咽の音を含んでいく……。

「わ、私には何もできなかった……! 私にできることはただ苦痛に意味があると信じて、ここで祈ることだけで……!」

 ……裏教典に傾倒する者が凶悪だとは聞いていたが、まさかそこまでとは……。

 くそっ、話を聞いただけで吐き気がしてきやがるぜ……!

「この船はもはや悪魔たちのもの……。今日も外から人々を誘い込んでは邪悪に浸し、同族にしようとしているのです……。だからこそ悪意に傾倒しなかった人々は聖なる存在……そうです! 楽園にもっとも近い人々……そうでなくてはならないのです……! 私は、私たちはその苦しみを受け切って、この悪魔の住処を楽園へ向かう方舟に浄化せねばならない……! 要たる主はこの惨状をご存知なはずです、そしていつか来たる降臨も私たちの信仰によるもの、悪魔の所行では決してありません、そしてやがてはこの世で苦しんでいるすべての人々が主のお膝元にて安息を得るのです……!」

 ……なるほど、蒐集者などの裏教典派の悪魔とその犠牲者たちによる信仰の戦いか……。

 だが、あまりにも痛ましい……! なによりそこまでのクソ野郎どもがいるのなら……!

「その悪魔どもとはつまり、ここで暴れている連中なのか?」

「愚かにも互いに殺し合い、ずいぶんと減りましたが……ええそうです、いつも血に飢え、辺りを徘徊しています……!」

「……蒐集者も悪魔の一人なんだな?」

「しゅ、蒐集者っ……!」

 エオ、大きく仰け反る……!

「か、彼は……拷問には加担していませんでした……。いえ、私が何もされなかったのは彼の思惑なのでしょう、そういう意味では、そうなのかもしれませんが、彼は……彼は……私の傍に寄り添い、よくこう呟いていました……」

「な、何を……?」

「昨日は来なかった、今日もまだ来ていない、明日も来ないだろう……」

 それは……要たる主、の事か……?

「昨日は来なかった、今日もまだ来ていない、明日も来ないだろう……」

 エオの手が、震えている……。

「そ、そのような事を、幾度も、幾度も……。それは拷問を見つめる事とは別種の恐怖でした、まるで信仰心が枯れていきそうな……ゆっくりと虚無に堕ちていくような冷たい感覚……」

 あんな妄言を言い放っていた蒐集者がそんな事を……?

「……ですが、私はその囁きにも堪えました……! ええ、悪魔の牙はすべて受け止め切ってみせますとも……! この身で、信仰心で……!」

 これは……。

 なんといういじらしさだろう……。

 だが……。

「そうか……話は分かった。しかし俺はどちらにも組しない。クソ悪魔どもにはもちろん、無抵抗の戦いを続ける君たちにもな」

「いけません、残された悪魔たちはみな圧倒的な力をもっています、いくら天の使いさまであれども武力で競っては……」

「さっきもいったがそいつは勘違いだよ。俺はまったくもってただの人間だ。すまないな……」

 エオは祈るように握った手を強く握りしめる……。

「え、ええ……そういった苦しみは……馴れていますし……」

 彼女は……自身の苦しみを無駄だと思いたくないに違いない。俺だってそう思いたい、楽園への順番待ちの最前列にいると……。だが俺はどう足掻いたって天の使いなどではないし、無責任にそれを肯定してやることはできないんだよ。そうさ、ただの人間として行く手を阻む悪魔……いや、クズ野郎どもをブチのめすだけだ……!

「とにかく襲ってくる奴らが悪魔なんだろう? 必定、そいつらを撃退するだけの事だ」

 しかしエオは首を振る……。

「ですが、彼らをはっきり分けることは難しいかもしれません……。もはや、この聖なる戦いは二色の闘争ではないのですから……」

「それは……?」

「悪行を重ねたからこそ良心の呵責に苦しむ者がいる一方で、無抵抗の戦いに疲れ果て悪行に傾倒してしまう者もいますから……」

 ……なるほど、そうかもしれないな、酷い事をして平然としていられる、まったくどうしようもない輩なんてそうそういるものではない。大抵は善悪の間を行ったり来たりするもの……。

「そうか……だがいずれにせよ同じだ。行く手を阻むなら撃退するまでさ」それに疑問がある「ところで君たちはどうしてここから出ていこうとしないんだ? ときおり着陸したりすると聞いたが」

「出られないのです。降下し門が開く際には決まって悪魔たちが集まっていますし、各所に透明な壁が出現して脱出を阻むのですから……」

 おお……そいつはヤバい話だな……。なるほど、出られないからこそ恐るべき状況に晒され続け、しまいにはおかしくなっていくのかもしれない。

「しかし人間はそれほど見なかったな。いるのは人型だが異形の奴らばかりだった」

「ここでは死して蘇った際に、心のありように応じて肉体が変異してしまうそうです。とはいえ異形ゆえに邪悪というわけではありません。心を病んでいたり、身を守りたいがゆえに変異してしまう方もいますので……」

 死んでも蘇る……のか、バックマンのように……? そしてあの奇妙な連中はそうして変化した人間だと……。

 だがエオは? 幾度も死んでいるはずなのに異形と化してはいないようだが……そう、それはつまり完全なる復活なんじゃ……?

「……君はリザレクションを知っているかい?」

「リザレクション……? いいえ、存じ上げませんが……」

 知らないか……。まあ復活させているのはこの暗黒城だろうしな。

 ……なるほど、ここの実情は大方わかった、後はどうやって脱出するかだな。とくに透明な壁の話はかなりまずい、まずはそこを攻略する必要がありそうか。

「その透明な壁は壊せないのかい?」

「破壊できたという話は聞きませんが……ただ、中央制御室で操作しているという噂は聞きます……」

 なるほど、やはりそこへ向かう必要がありそうか。

「よし、では壁の消滅を含め、そこへと向かおう」

「はい……ですが、彼らは……」

「難敵だっていうんだろう? でも行くしかないさ」

 そう、もはや退路はない、前へと進むしかないんだ。

「さあ、出発しよう」

 ……なんだか吹っ切れてきたしな、あんな話を聞かされてはいつまでもビビッているわけにもいかないだろう。

 さて、果実園を出た先はまた外だが……やはり黒い霧が立ち籠めているな、しかし……。

「おい、大丈夫なのか?」

「先導いたします」

 エオがまっすぐ霧の中へと入っていく、すぐにその姿が見えなくなりそうだ……って、何だっ? いま彼女のうめき声が聞こえたぞっ……?

「ど、どうした……」

 ……って、うおっ? き、霧の中から何かが飛んできたっ、あれは腕っ? 腕だっ? エオのっ……?

「エオッ!」

 ……敵だっ! 異形の怪人、霧の先に、かすかに見える! 大男、頭部にはでかい口しかない? 筋肉の塊、肥大した左腕から刃のようなものが幾本も突き出しているっ……!

「エオッ……!」

 無事、ではないだろうがまた復活できる? しかしっ!

「やりやがったなっ!」

 もはや容赦はできん、狙って……いや、速い! 霧から出てくるのかっ? 突っ込んでくるっ……!

 だが何にせよ左腕だろう、使うのは! 大振りだっ……かわせば至近距離、隙だらけだぜっ、スティンガーッ!

「くらえぃいいっ……!」

 ……どうだっ、ご自慢らしいその左腕をぶった切られた気分は! だが油断はするまい、シューターで仕留め……なにっ、逃げ出しやがったっ……?

「おい待てクソ野郎っ!」

 シューターの方が速い! 背中から貫いてやる……!

 ……撃ってやる!

 ……やれっ!

 ……やる、前にっ……! 霧の中へと、消えやがった……!

 くっ、チャンスだったのに……!

 背を向けている相手には撃てなかった……!

 この馬鹿野郎、甘すぎるだろっ……! クソ野郎どもを倒すんじゃなかったのかっ……?

 ……それとも、安易に殺せば奴らと同じだとでも? こんな状況で何をくだらない、悠長な……。

 ……いやっ、どうでもいい、それよりエオだ……! たしか霧に入った直後にやられたような感じだった、近くにいると思うが……。

「エオッ! エオーッ!」

 反応がない、それらしい死体もない……というか飛んだ腕もない? あの辺にあったよな……?

 ……いったい、どういうことだ? まさか回収された? 誰に? それらしい気配はなかったと思うが……。

 ……でもまあ、そうだな、だからこそといっては変だが……なんとなく、またすぐに会えそうという期待は残る……か。

 ……いずれにせよ、こんなところで立ち惚けてもいられない、今は先へと進むしかないだろう、霧の中は危険だろうが……。

 ……それにしても、風があるのにどうしてこの霧は晴れないんだろう? ずっと放出され続けているんだろうか? こう視界が悪い中を進むというのは……一瞬たりとも気が抜けない……感覚を研ぎ澄まさなければ……かすかな気配にも敏感に……音を聞け、足元にも気をつけろ……足音を立てるな……。

 ……だが、霧が薄まってきた? 意外と早くに抜けられるか、それに何か見えてきた、四角い、入り口か……? エオはあそこへと向かうつもりだった……?

「……おっ」

 入り口の直前で霧が晴れた、振り返ると黒煙のように黒いもやが流れている……また何か出てこないとも限らない、さっさと建物に入るか……警戒を怠らないように……。

「……うっ、これは……?」

 入って十メートルほど先から床が……抜けている、しかもその底一面に棘が突き出ているっ? これはいったい何だっ……?

 ……通り抜けさせないための措置か? いや、それなら壁でいいはず、もともとは落とし穴だった? それにしては大仰か、あるいは魔術で跳躍したり壁をつたって進むような、能力がある者だけが限定的に移動できる箇所、それともあのボートリスみたいなのが必要だとか……。

 向こう側までざっと三十メートルはある、俺には通り抜け不可能だが……しかし、ここはエオが向かっていった先だ、彼女には通れる算段があった? だが例えば飛べたり大きく跳躍できるような魔術があるなら……もう使っていそうなものじゃないか?

 ここを通るつもりじゃなかったという可能性は大いにあるが……もし何か策があるとしたら……そうだ、そもそもあの棘を破壊すればいいんじゃないか? どれも鋭利だが細長い、折ったり曲げたりできそうだし、深さも二メートル強という程度、上れない高さじゃない。

 ……問題は着地する場所の棘をどうやって破壊するかだが……おあつらえ向きに壁の一部が破壊されていて手頃そうな瓦礫があるんだよな。棘の強度も知りたいし、試しに叩きつけてみるか?

「よし……」

 瓦礫を持ち上げてぇ……!

「……おらっ!」

 ……って、えええっ? いっ、いま瓦礫がっ? 宙で弾んだぞっ? 見間違いじゃないっ、足元で少し弾んでっ……底へと消えた……。

 どういう事だ……いや明白だ、小さな破片が、塵がまだ浮いている……じゃない、ここには……!

「みっ、見えない、床ぁ……?」

 ある、あるわ、触ることができる、確かに床がある! ガラスか? いやそれにしては透明すぎるし、あんな衝撃を与えて割れないのもおかしい……。

 ……もしやエオがいっていた透明な壁、か……?

 そうか……この道があることを知っている者だけが進めるようになっているんだ……。

 あそこの壁が崩れているのは瓦礫というより塵が必要だからかもしれない。それを撒いて道を把握しながら進むため……。

 問題は強度だが、瓦礫の衝撃に耐えたほどだしおそらく問題ないだろう、だがそうだとしても……ここを通るのは怖いなぁ……!

 でも進まないと……おそらくエオもここを通るつもりだったんだろうし……よし、まずは片足を乗せて……すぐに戻れる体勢のまま、徐々に体重をかけて……。

「……おお、大丈夫そうか……?」

 よし、よぉーし……! びびるなレクテリオル・ローミューン、男を見せろよぉ……!

 さあ行くぞ……慎重に、慎重に……! 警戒を怠るな、床がまっすぐに伸びているとは限らないぞ、都度、塵を利用して道を確かめながら進め、焦るな、ミスッたら終わりだぞ……!

 ……でも、なんだろうこの虚しい恐怖は……。ここでバキッと割れて……誰も知る事もなく死んで……それってかなり寂しいよなぁ……って、前方に蒔いた塵が下へと落ちていったっ……?

 やはりか! 道はまっすぐじゃないっ……! 微妙に右へ左へと曲がっているっ、面倒というか性悪というかせこい真似をしやがってっ……!

 つーかこんなところで敵に遭遇したらかなり面倒だぞ……って! 思った途端にかよっ! 何か来やがった、あれは……何だ? 頭が魚のように細長い白い怪人、ふらふらしながらこっちへと歩いてくるが……くそっ、応戦しないと……いやっ?

 ……マジか、普通に転落したぞっ? 棘の上にばったりと倒れ伏している、全身が貫かれている……。

 いったい何だったんだ……ここの住人だろうに……いや、しかしあれは……! 奴の死体、溶け始めた……! 針の山に吸い込まれていくっ……?

 まさか……あるいは? エオの死体がなかったのも溶けて吸い込まれたから……? そうして取り込まれて、また再生されると……?

 ……いや、今は余計な事を考えるな、気を抜かず慎重に……見えない道はもうすぐ終わりだ、よし、よし、焦るな……もうすぐ……!

「よぉし……!」

 やった、渡り切った……!

 よし、よし、やればできるじゃないか……!

 ……はあ、どっと疲れたが……なんとかなったな……。

 ……さて、すぐに動かないと、ここは何をするにもいい場所じゃないしな……この先は……。

「おおう……」

 ……ここは円柱部分か? 巨大な吹き抜け構造だ、底がまるで見えない……! 嘆きのような風音……壁に沿って螺旋状の階段が続いている……ところどころにドアもあるが……。

 さて上るか下るか……って、上のドアが開いたっ……? というか、

「エオッ……!」

 無事だった……とは言い難いだろうが、とにかくまた復活はできたらしいな……!

「よかった……また会えたな!」

「はい、エオです。こちらです」

 エオ、さして感慨もなく案内を再開するなぁ……。

 淡々と階段を上っていくものの……どこか足どりがおぼつかない感じだ……。

「なあ、ふらついていないか? 少し休んでも……」

「大丈夫です、案内をまっとういたし……」

 ……エオッ! 宙に舞った、開いたドアからでかい手がっ? 突き飛ばされたっ、吹き抜けを落下していくっ……!

「なっ……なにぃっ……?」

 ドア、激しい音を立てて閉まった! 誰だ、何だあの手はっ? いやそれよりちくしょう、またやりやがったな……!

 だが怒りに任せて行動するな、足場が狭い、下手にドアの前に立つのはヤバい、まずはゆっくり近づいて……ドア側の壁に張り付く事はできた……!

 ……よし、ここまではいい、さて次は……そうだな、まずはドアノブを破壊してやろう、スティンガーッ!

 よし一撃で吹っ飛んだ、次は……って、絶叫だっ? 部屋の中から聞こえたがっ?

 いったいどうした……いやっ、ドアが開いたっ……くるかっ?

 ……こない? いくら待っても何も出てこない、ドアはだらしなく開いたままだ……。

 ちっ、仕方ない、こちらから出向くしかないか、ゆっくり慎重に……覗き込む……。

「うっ……?」

 ……誰もいない? 家具があるだけだ……。

 ……だが雰囲気はおかしい、本棚や机、鉢植えらしきものが……どれも萎びている?

 植物はともかく家具が萎びているのは奇妙だが……いずれにせよ死んでいるような様子だ? ともかくやってやった気分はするな、仇は討てたか……?

 とはいえエオ……また会えるんだろうが……なんというか、人の死が軽くなっていくようなこの感覚は馴れないな……。

 ……さあ、進もう。彼女は上へと向かっていった、下は深いが上は天井までそう遠くない、その先にも梯子で上れるようだが……先にはいったい何が……?

「うっ……?」

 梯子を上った先はドーム状の広間……一面ガラス張り? で明るいが、またも奇妙な彫像が並んでいる……し、あいつはっ? あの時の、仮面の大女だ……! ちょこんと長椅子に座っているが……というかこっちを見た、いやそれよりやはりかよ、彫像たちが動き出したぞっ……!

 鉈のような刃物を持った奴、全身に刺青? の奇抜な男に斬りかかったっ? 俺が標的じゃないのかっ? 他のも互いにやり合っているようだがっ……いやっ、流血の中、仮面の大女だけがこっちへとやって来ている……!

「ま、またお前か! やめろ、戦う気はないっ……!」

「ウニルマエー」

 何がっ……? 何やら喋ったようだが意味はさっぱりだ、しかし……よく見たらこの女、どことなくアリャに……って! 彫像だった白マントの男だ、大女に飛びかかろうとしているっ……?

「おいっ、後ろだっ!」

「ムギュルニァー!」

 指を差した先にいち早く気づいた、でかい金槌がものすごい勢いで振り回されるっ、白マント男が思いきりぶっ飛ばされたぞっ、間違いなく必殺の一撃だろう……!

「ウァ、ニェア、ムリャルアォー」

 ……仮面の大女、接近しても襲いかかってくる気配はない、どうにも敵意があるわけじゃなさそうだな? やはりアリャに近い人種なのか? ここの住人じゃないのかも……って、彼女の背後に銃らしき武器を持った明滅している奴が……!

「危ねぇっ!」

 大女を庇う、というか体躯がでかいし体当たりになったが……銃撃? は外れたぞ、しかし出たのは銃弾などじゃない、稲光のような閃光だ!

「ウギャルアォー!」

 おい違うっ、俺のは攻撃じゃない……って、向こうに金槌を投げた! と同時に疾い! 金槌をかわした銃撃者の顔? を飛び蹴りで粉砕したっ……! あれは起き上がれないだろう……!

 すごい身体能力だ、大金槌を拾ってまたこちらへとやって来るが……いつの間にか彫像同士の戦いが終わっているな、さっきの銃撃者が最後に残った奴だったらしい。

「ウマルタ、ムリャム、クワルエオー」

 やはりよく分からないが……語調が明るいので好感を得たようだ……って、背後に気配っ? ああっ、エオだ……!

 生きていた、いや蘇ったか……!

「あの先にあるリフトから中枢近くまで行けるはずです」

 ここの有様を問いはしないのか……だがいい、のんびりしていられないしな!

 それで何だ、あの先のリフト……ああ、ベランダのようなところに何か乗り物があるな……っとエオ、ウニャムニャと大女に話しかけている……!

「話せるのか、彼女はいったい何者なんだ?」

「オルフィンの方のようです」

 オル、フィン……。

 やはりアリャに近しい民族のようだな? 言語も聞いたことがあるような雰囲気だし……。

「ここから出たい、出るなら協力し合おうとおっしゃっています」

「そうなのか! そいつは心強いな! ではさっそく行こう!」

「はい、ゆきましょう」

 このベランダのような場所はつまり発着場か、大型のボートリスのような乗り物に座って……エオが操作すると浮き上がる!

「これは……! このまま飛び去ることは……」

「残念ながらできません……範囲外へと出てしまうと強制的に戻されてしまいます」

「そうか……」

 まあそうだろうな……これで逃げられるなら苦労はないだろう。

 ……それはそうと見えてきたな、黒雲漂う巨大な城の中央部にでかい円盤状の……一見して緑が多い、立派な庭園が広がっている……。

 そしてその中央には絢爛な大屋敷が……ある。

「では降ります」

 乗り物は庭園の端にある発着場へと降り立ったが……。

「……目的はやはりあの屋敷かい?」

「はい、そうです。こちらです」

 ……周囲に妙な気配はないようだな、エオは乗り物から降りるなりどんどん歩いていくが……あれほど死んでいると警戒心がなくなるんだろうか……。

 とくに何の襲来もなく……手入れされた庭園を進むと屋敷を覆う外壁が見えてきたが……正面からいくのか? 正門なんてもっとも警備が厳重だろう、通れると思えない……いやっ? なぜだ、あっさりと門が開いたぞ……!

「おいエオ、これは罠じゃ……?」

「このお屋敷の外郭周辺はあまり危険ではありません」

 本当かよ……と思っているうちに屋敷へと辿り着いてしまったが……エオの言動からしてこれが平常なのか? だがこの先に制御室があるんだろう? 何の警備もないとはとても思えないが……。

「ここからは警戒が必要です」

 それはそうだろうが……。

「……なら、裏口から入った方がいいんじゃないのか?」

「ここしか入り口は知りませんので……」

 まあ、それもそうなんだろうが……って、

「これはっ……?」

 いったい何だっ……? エントランスホールに異様な機械が並んでいるっ? しかもその多くに凶悪な刃物や棘、重りなどがついているが……まさかこのどれもが拷問器具なのかっ……?

「いらっしゃい、とでもいっておくわよ!」

 うっ、やはり見つかったか、頭上の渡り廊下に人影が……!

 青黒いドレス、青紫の髪色の女だ、ふてぶてしい笑みを浮かべ見下ろしている……!

「エーオ、また痛めつけられにきたのぉ?」

 嫌らしい笑い声が響き渡る……!

「それに、ああー! 件の贄ね、なんかそういう話があったわね! わざわざ連れてきたの? 気が効くじゃない!」

 ……もしかして、暗黒城の姫ってあいつの事か……?

「あらっ? でも腕輪がないじゃない! ちょっと話が違うじゃないのよ!」

「ええ、私が外しました」

「じゃあどうやって脅すのよ! あんた馬鹿じゃないのっ? やっぱりつっかえないわねー!」

「お陰で助かったさ! さあ、さっさと地上へ着陸しろっ!」

「はあっ? 着陸ってあんた、これだけの質量のものをどこに降ろせっていうのよ! 制御が難しくて降下だって危ないんだから! もし失敗したら地面がこう、ごしゃあああああってなって周囲の環境だって破壊されちゃうかもしれないわよ! そうしたら微妙なバランスの生態系が崩れて奥からものすごい動物がやってきていっさいがっさいめちゃくちゃよ! そんなことになったらどうすんのよ! 責任とれるのーっ?」

 ううっ? なんか思いがけない方向から否定されたがっ?

「そもそもあんたに残された道は一つしかないんだから! そう、私の眷属になるの! なるっていいなさいよ! ほら早く!」

 そういわれてもな……。

「まあ、あえて俺の立場を表明するなら……お前たちをぶちのめしてここを解放する男ってところかな!」

 女は笑い出す……!

「そんなのできるわけないでしょ! あんたは私のおもちゃになるってもう決定してるんだから! さあ来なさいよあんたたち! そろそろエオを笑えないわよ! たまには役に立ちなさいよね!」

 げっ、奥からぞろぞろと怪人たちが……! 威勢よく啖呵を切ったものの、この数はヤバいな!

「でも殺すんじゃないわよ! あんたたちはいっつも……」

 ……どうした? 女の様子が……って、肩を叩かれた?

「うっ?」

 いつの間に! 男がっ? 手の平が眼前にっ……!

「なっ……?」

 し、視界がっ……? ゆらぐ……?

 こ、こいつはまずい……!

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