黒い霧の魔術師
ゆく道は険しく怨敵は強大、独りでは力及ばず、他者の助力が必要となったとき……手を伸ばすことは止む無きことか、それとも道連れを選ぶに等しいのか。
しかしいまさら引き返す道などない!
深き音を響かせる者よ、我が悲願の礎となってくれ……!
それにしても混んでいるな、商店の並ぶ通路は人でいっぱいだ。武具、道具、衣服に保存食……金さえあれば充分に準備は整えられることだろう。いい匂いもしてくるのでどこかに料理店もあるはずだ……が? これは……どういうことだ?
宝石店がある? 店内には明らかに冒険者風ではない身なりの……あの青い軍服はエシュタリオンのものか、さっきの職員もそこの出身らしい、あの肩章の模様からして高い階級に違いないし、なにより傍らには白いドレス姿の淑女がいる……。
なぜ、こんなところにあんな身なりの連中が? いったい何の用事でここにいる? 軍人だけなら顔を出すこともあるかもしれないが……。
……まあいい、俺には関係ないことだ。しかし……それにしてもどこも人でいっぱいだな、これといって目的が明白じゃない俺が割り入るのもあれだし……と、まごついているから突き当たりのドアに着いてしまったか。右手に曲がればまだ商店は続いているが、この先は……? ああ、外なのか。
夕日も去りつつあり、もうほとんど暗い。涼しい風が通り抜けている。そういやこの先にあるあの塔が図書館だったな。まあついでだしちょっと覗いてみようか。今も冒険者数人が入っていくところだ。
図書館も石造りのようだな、正面には〝ニワトコ図書館〟と彫られた看板、それに立派なドアだ、材質は樫かな……っと、開けた途端にまたも喧騒が、立ち並んでいる本棚、大きなテーブル、それらを囲うはやはり冒険者たち、黙々と書物を読み耽っている者、真剣な面持ちで議論をしている集団、ここにもこんなに人がいるんだな。
天井はぶち抜き構造で一望できる、上階も本棚だらけ、人だらけ……。いったいどれだけの本があるんだ……? こんなにあっては何から調べればいいのかすら分からないな。
ええと、司書みたいなひとはいないのかな? ……いや、あの手押し車の女性、書物を運んでいるみたいだ。胸元に名札らしきものが光っているし司書で間違いないだろう。案内を頼むことにするか。
「あの、ちょっといいかな?」
「はい、なんなりと」
うおっ、このひとかなりの美人だな……! 深く青い瞳、肌は透き通るように白く、三つ編みをお団子にした金髪がきらきらと輝いている……。無骨な黒縁眼鏡をかけているせいでぱっと見、分かりづらいが……。
「あの、初心者なんだけれど、おすすめの本とか……あるかな?」
「それならば一号の本棚をごらんください。出入り口すぐにございます。号数は本棚の最上部右端にあるプレートをご参考に。デヌメクネンネスの伝記がおすすめですよ」
しかしこのひと……何か妙だな? 具体的にどうこういえないが、何かが……。
「……そうかい、ありがとう」
「それではごゆっくり」
えっと、出入り口すぐの……一号本棚、これだな。そしてデヌメク……なんとかの本がおすすめらしいと。
さてデヌメクデヌメク……あった、ずいぶんとぼろっちい本だ、いったいいつ頃に出版されたものだ? 破いたりしないように気をつけて読まないとな……と、ちょうどいいところに椅子があった。よし、ここでゆっくり読んでみるか……。
ハイロードではありとあらゆるものが与えられる。
生きる糧、脅かされる恐怖、仲間との友情、未知なる文明の遺産……。
そのすべては語る、ここが始まりであり、そして終わりだと。
始まりであり、終わりだって……? いったい何のことだ……?
多少なりとも情緒があるのはこの序文だけ、あとは実に簡素な文体で淡々と書き記してあるばかりだが……こいつはいったい……?
冒険者を襲い食らう獣人の群れ、肉食の巨大甲虫、樹木を装う魔物に始まり、大量の死体が捨てられる谷、触れると肉が腐る毒の沼地、結晶でできた宮殿ときて、さらには冒険者を罠に嵌めて殺し回る怪人や雷雲を呼ぶ巨獣、そして暴君の如き振る舞う邪竜にまでいたる……。
……嘘だろう? さすがにここまでのことが、あるわけが……。
いや、噂はあったか、おとぎ話のようだったが、この地には伝説の怪物たちがひしめいていると……。でも噂は噂、そう思ってやって来たのに……。
いや、でも、中心部とやらに辿り着こうなんて最初から思っていないしな。近所でそこそこ稼いで、道具屋などを開業する資金の足しにする。それだけだ、それだけ……。
……故郷でも魔物と呼ばれる存在の被害はあった。あのバックマンと対峙したことだってある。生前に近い姿のまま、墓より蘇った死者たちが何十と徘徊し、市民に襲いかかっていたあの光景は数年経った今でも生々しい。その脅威に対抗するため突貫でこのブレイドシューターの試作品をつくり、懸命に戦ってなんとか十体ほど倒したし、そのことを誇りにすればこそ、ここへとやってくる自信へと繋がっていたが……もしかしたら、その程度の経験などここでは無に等しいものなのかもしれない……。
「失礼いたしますね」
おっと、誰かと思えばさっきの司書さんだ、近くのランプに油を足していく。
……いったん宿に戻るか。今日はもう疲れたし……施設の把握は明日以降でもいいだろう。
外は……日が沈んで赤みはもうない。敷地内にはところどころ灯りがあるが、外壁の外はきっと真っ暗だろう。山の夜は暗いというか闇だ。圧倒的な黒の世界……。
闇から逃げるように宿へと戻ると、明るく賑やかな喧騒が迎えてくれる。なんだかほっとするな……って、おいおい、こんなことで冒険なんてまともにできるのかよ? はあ、我ながら小心者というか……。
……それはともかく、どうしようかな、ひとまずラウンジへ……いや、座れるんだろうか? あるいは勝手に座って大丈夫か? ここは俺の席だ! なんて縄張りを主張してくる輩はよくいるからなぁ。
……なんて考えているとほらきた、ラウンジ片隅のテーブルが一つ、綺麗に空いている。他はぎゅうぎゅうなのになんでここだけ……?
たまたまか、それとも有力者の特等席なのか、分からないが……とどのつまり俺はその不確定要素から逃げるのかどうかって話だな。
ふん、座っちまおう。変に気にしていても始まらないしな!
はあ、それにしても……ここからどうしようか? 仲間といってもなぁ、どう探す、いや何を基準に他人を信用する? あるいは一人でやる? しかしな……この地は思った以上にヤバそうだしな、死んでしまっては元も子もないし……って、なんだっ? 肩を叩かれた、びっくりしたぜ……!
「相席、よろしいかな……?」
深く低い男の声、赤茶色のローブ姿、顔はフードの陰になっていてまるで見えない……。
「あ、ああ、どうぞ……」
俺のような新参者が断るわけにもいかないだろう。しかし、なんだか怪しい風体だな、いわゆる魔術師と呼ばれる類いだろうか? 俺にはまるで使えないが、そういう力をもった人々はたまに見かけるな。素手で薪に火を点けたり、どこからともなく水を生み出す人を見たこともある。神に愛されし者たち……とはよくいわれるが、知り合いの司祭は魔術など使わないし、話題にも出さない。
それはそうとこの状況、どうしようか? べつに放っておいてもいいというか、むしろ無闇に話しかけない方がいいのかもしれないが……あんまり無関心でいてもな。
「……ええっと、あの、あんたも、ハイロードへ……?」
「いかにも」
いや、何を聞いているんだ、ここにいるんだから当然じゃないか。
「……その、怖くないのかい? どうにも凄まじいところのようだが……」
「無論、怖いさ」
「ではなぜ、そんなところに向かおうとするんだい……?」
本当に俺ってやつは、何を聞いているんだ……。
「とある魔女を探しに。君は?」
「魔女……」向こうにはそんなのもいるのか「俺は……金だよ。道具屋とか、そういうのを開業する資金や知識が欲しくて、遺物とやらを探しにね……」
「近道は危険にもよく繋がっているものだ」
「……だろうさ、今になってびびってきているところだよ……」
ああ、こんな無駄に吐露して、いったい何になるというのか……。たまたま相席しただけの他人、しかも顔も見えない相手に対して……。
「ワルドだ」
「え……?」
「私の名はワルド・ホプボーン。君は?」
「あっ、ああ、失礼、レクテリオル・ローミューン……」
「ほう、立派な名だな」
「名前だけだよ……」
そう、名前だけだ。
今ならなおさら、俺には何もない。
「もしかして、冒険の同行者を探しておるのかね?」
「え、ああ……?」それは、そうだが「まあ、えっと、セルフィンとかいう狩人を探していてね」
「魔術師はどうかね?」
……なに? なんだいきなり……。
「なんだい……? もしかして、俺と組みたいっていうのかい……?」
ローブの男は首肯したようだが……。
しかし、なんでこんな、いきなり……?
「……なぜだ、なぜ俺を?」
「直感だよ」
「勘……だけでかい?」
「おかしいかね?」
「いや……」
本気かよ……? そんな理由でどこの馬の骨とも知らないこの俺と組もうってのか、危険極まるであろう地へ赴くというのに……? 何かそう……。
「胡散臭いかね?」
「えっ? あ、ああ……」
い、勢いで肯定してしまった……もちろん失礼だろうが、率直な気持ちには違いない、あえて訂正はしない……。
しかし、小さく笑ったところを見るに、男は特に気分を害した様子もないようだ……?
「いや、だっておかしいじゃないか……そう、使い捨てにでもされるとか、勘ぐるのは当然だよ」
「そうだな、やむを得なく見捨てる場面は多々ある。しかし、それは君にとっても同じことではないかね?」
俺の方が見捨てるって……?
そうだな、そう……。
思えばそうだ、俺だって同じ、怖いのはお互い様……。
「無理にとはいわんよ。だが、私は役に立つぞ」
「魔術かい……?」
「さよう、強大な魔物に通常の武器は通じ難い。多少、腹に穴が空いたとて動きを止めん者どもが当たり前のように徘徊しておるのだからな」
「……俺の得物は火薬で刃を飛ばす銃のようなものなんだ。……例えばこいつは、通じるのかな……?」
「どれ」
置いたシューターを……杖で叩いた? 金属製なのか、深い振動音が鳴り響く……。
「なるほど、まずまずよさそうだ。槍や鉄砲などよりは役に立つかもしれん」
「そう、か……」
「しかし、より深部ではそうもいかんだろうがな」
「深部……。あー、あの、俺はあんまり奥には……」
「うむ、それは個々の自由であるな。道中まででも構わんよ」
「そ、そうかい……?」
ならいいか……いいのか? 本当に? 出会ったばかりの男を信用するなんてあまりに軽率じゃないか……? それともここじゃあこういったお誘いは普通なのかな……。
う、うーん、どうしよう、魔術師か……。そういや、あのときバックマンを俺より多く倒していたのも魔術師だったな、すごい火炎をあびせたりして……不可思議な術だったが、どうやって習得するんだろう? 彼に教わることもできるのだろうか……?
……ああ、そうだよな、前向きに考えるべきじゃないか? というか、いつまでもびびっていてどうするってんだ、こんなリスクに臆しているような奴がこの先の冒険で上手くいくって、そんなことないだろうよ……!
よし、ここは勢いでいい、決めてしまおう……!
「よ、よし……分かった。では、ご一緒しようか、よろしく……」
「うむ、こちらこそよろしく」
……といったものの、大事なことがないがしろだ。
「あの、一応、顔とか……」
「ローブを脱いだとて見えはせんよ。魔術によって我が姿は闇より深い霧に覆われ、何者の目にも映らんのだ」
「なに、前が見えないのか?」
「ああ」
まさか、さっきの杖は、音で……?
「失礼だが、大丈夫なのかい……?」
「問題はない。もし邪魔になったときは捨て置いて構わんよ」
「そんなこと……」
「案ずるな、周囲の状況は反響で把握できる」
……反響、やはり音でか……!
「前が見えぬぶん、聴覚は鋭くなってな」
「……音を頼りに動くって? 確かにそういうことができる人もいるとは聞くが……それはあくまで日常生活の範囲で……」
「今では眼よりよく見える」
魔術師が杖を突くと、また、どこか心地よい音が響く……。
「信じられぬなら無理にとはいわぬが……」
「あ、いや……」捨て置いて構わないとまで言い切ったんだ「いや、勘ぐって悪かった……信じるよ」
「気にすることはない。訝しく思えてしまうのも当然のことであろう」
……上っ面でいっているようには感じない。だからというわけじゃあないが、なんとなく、この男は信用していい気がする……。
「ときに、寝床は確保した後かね?」
「いや……まだだよ。部屋は空いているのかな?」
「冒険が始まればまともな寝床になどありつけんよ。ここで慣れておくとよい」
「いやそれは……」
仮にこの魔術師は信用できるにしても、周囲は見知らぬ輩ばかりなことには変わりない。こんなとこで隙を晒して大丈夫なものか?
「……まあ、寝るぶんにはベッドでなくてもいいけれど、よく知らない連中が周囲にいるってのはね……」
「不安や不快にも馴れておかねばならん。向こうではそのような状況が当たり前であり、そのせいで精神を病む者もいるほどだ。私やここにいる者たち程度を怖れるようではまだまだ……」
「そ、そうかもしれないが……」
「狩人が見つかるまで少しかかろう、それまで修行だな」
おっと、いきなり師匠ヅラときたもんだ。でもいろんな意味で先輩ではあるだろうし、言い分そのものは正しく思える……。
「分かったよ……でも、ここに居座っていいものなのかい?」
「汚さず、大人しくしていれば文句などいわれんさ」
ふと、魔術師は懐から小さな鞄を取り出し、テーブルに置いた……。
「では、おやすみ」
お、寝ちゃうのか……?
いや、なんでまたわざわざ鞄を取り出し、そこに置いたんだ?
「あの、俺、晩飯に行くけれど……? その鞄は、いいのかい?」
「ああ。席は確保しておこう」
「それは、どうも……」
……どういうことだ? 身をもって安全を実証しようというのか? でもそんな……。
うーん……まあ、新参の俺が注意することでもないが……。
まあいいや、お手並み拝見というやつか、いや違うか? それより今は俺の飯だ、マジで腹が減ってきたぞ……! 商店街、いい匂いをたどって……あったあった、商店の通路を曲がった先にあった、ニワトコ大食堂って看板が掲げられている。さて混んでなければいいが……と案の定、混雑しているよ、何十もの席があるのにほとんど埋まっている……いや、カウンター席にいくつか空きがあるな? あそこにしよう。
よし、そしてメニューはと……壁に貼ってあるのがそうか……って、異様に安いなっ? 相場の半額以下だろう……!
「はい、いらっしゃい!」おっとカウンターからコックが顔を出してきた「なんにするんだいっ?」
「ええっと、じゃあ……パンと羊のソテーと野菜のスープにするよ」
「はいよ!」
しかし、これだけ頼んでも安いパン二つぶんほどの値段とは、土地柄からしてもあり得ないだろう。おそらく助成金によって実現できているんだろうが、各国はそれほどまでに俺たち冒険者に期待しているんだろうか?
「はぁい、どうぞぉ」
おっと早いな! 給仕が手早く料理を並べてくれた。まあこれだけ盛況なんだ、回転をよくしないと客から不満が出るんだろう。はだけた衣服の女たちが行ったり来たり、みな歩調がリズミカルで体幹が崩れない。相当に訓練されているな。
さてお味は……うん、おいしい! パンも羊肉も柔らかい、野菜もしなびたものを使ってはいないようだ、山歩きの後だし、なおさら体に染みるなぁ……!
……よし、食った、想像以上にうまかったな。コックの腕前もかなりのもの、山奥の宿とは思えない質だ……っと、さっさと席を空けるか、いつの間にか人が並んでいる。
さて、ラウンジへと戻ったが……魔術師とその周辺は先ほどまでといっさい変わりがないな。鞄も盗まれていない。なるほど自ら実証してくれたらしい。
……そうだな、思えば、ここで悪名が知れたら後に響くもんな。みなが目指すは中心部、そして遺物などのお宝であり、目の前の小金に夢中になっても結果的には損……どころか最悪、報復に遭うかもしれないしな……。
なるほど、そう考えるとなんだか気が楽になってきた。意識も横になりたがっているし、そろそろ寝るか……。