罠
どれほど悲鳴が遠くとも気魂は震え均衡は崩れるもの。
どれほど嘆きが近くとも利己に沈む心意は動かぬもの。
目がなく、耳もなく、伝えるべきこともなく、見上げればいつも雷雲が空を埋め尽くし、骨と皮だけの犬が延々と彷徨う世界でわたしたちはひたすらに向き合っている。
わたしは敵である。あなたの敵である。
わたしたちは剣を交えては倒れ、そしてまた蘇るだろう。
永遠に永遠に、魂ごと砂となるまで……。
凶賊たちが奇声を上げながら突っ込んでくるぞっ! こんなの多勢に無勢どころの話じゃないっ……が、ワルドが跳んだっ! 着地と同時に杖を地面に突き立てる、草原が放射状に盛り上がって、あのときのあれかっ! あの人数だ、いきなりやられたら混乱必至だろうっ、奴らが一斉にひっくり返っていく……!
「ゆくぞっ! 次からは合図をしたら跳ぶのだっ!」
おいおいまさか正面から突っ込むつもりかっ? 確かに多人数を相手に遠回りをするのは危険かもしれないがっ……あの大勢へと挑むか普通っ……?
「ちっくしょおおおおっ……!」
「ニェェエーイ!」
奴らが起き始めている、急がなければっ……とにかく全力で走り抜けろっ……って、体勢を崩したままでも凶賊たちが飛びついてくるっ……? が、エリの鳥に弾き飛ばされたっ!
「鳥たちも万能ではありませんっ、掴まれないようにして下さいっ……!」
だがこんなに密集した間を縫うとなると足元がおぼつかないっ、綺麗に避ける余裕はないっ、危険を覚悟で凶賊たちを踏みつけっ、蹴り飛ばしながら進むしかないっ……!
「次からは円形に放つぞっ! タイミングよく跳べ!」ワルドがまた杖を突く!「今だっ!」
うおおっ……再度、地面が波うっていく! 奴らがまた一斉にすっ転んだっ、着地の勢いで凶賊の背中を踏んだ、手を踏みつけた、ちょうどいいところに顔がある、邪魔だっ、膝でもくらいなっ……!
「三撃目! ゆくぞっ!」またやるのか!「よし、跳べっ……!」
なんとなく縄跳びを思い出すなっ! 凶賊たちが一斉にすっ転ぶのは壮観だっ……!
「ニァアー!」
アリャが軽やかな身のこなしで蹴りを入れまくっている、エリは躓きそうになりながらもなんとか進んでいる、うおっとナイフやら石やらが飛んでくる、鳥たちが弾いてくれる……というか奴ら、いい加減に投げまくるせいで同士討ちになってんじゃねーかっ? ナイフが刺さって悶えている奴がいるぞ、いいのかよっ……?
「みな無事であるなっ? 突破は近い! このまま突き進み、森に入るぞっ!」
よしっ、汚い絨毯もそろそろ終いだっ、だが奴ら、すごい勢いで追ってきやがるぞっ? そこまで懸命になることかよっ……?
とっ、とにかく走り続けるしかないっ……よし、森の中まであと数メートル、入った……! これでかなり撒き易くなるはず……っと、あれっ? 奴らの姿がまだ草原に? 森まで入ってこないようだ……?
あらためて振り返っても……やはり追って来ていない……。フリかと警戒しても……周囲に妙な気配はない、な……?
「おいっ? もう追って来ていないようだぞっ……?」
……よし、足取りを緩めよう。森の中の道なき道は極端に行動しづらい、無闇に走っても体力の消費が激増してしまうだけだろう。
「はあ……いきなり何だってんだ、あんな数で集まりやがってさぁ……」
「ぬう……あるいは軍事行動であろうか? それにしては統率が取れておらんかったように思えるが……」
施設を動かしたからやってきた? みたいなことをル・スゥーはいっていたが、あそこはあの凶賊たちと何か関係があるのか……?
「して、これからどうしましょうか……?」
「うーん、ハイロードへと戻りたいところだけれど……」
コンパスで確認してみよう。
「ええっと、方角からして……西の方へと向かうべきかな」
「よし、ゆこう」
奴らから逃げるためとはいえまた森の中……しかも今回はかなり深く入り込んでしまったからな、早くハイロードへと戻らないと不味いことになりかねない。もし四方八方から獣の襲撃に遭ったら対処は難しいぞ……。
「……アリャ、周囲に何かいないか……?」
「イナイ」
「いない……?」
「イナイ」
「本当にぃ……? いろんな気配があるような……」
「イナーイ」
「いないかぁ……よかった」
「アッ!」
「ああっ……? えっ……なにっ?」
「アクビ、デソウ」
くっ、ケタケタ笑いやがってよお……!
……それにしても、茂った森は妙に薄暗いな、草で足元が見えない……蛇など危険な生き物が潜んでいてもおかしくない……。
……ここは森という、いわば有象無象の集積……だが、草木の実在が視界を覆い、足に絡みつくたびに嫌というほど個々の存在に気付かされる……。俺も、あの樹も、この草も、確実にここにいる。俺たちは関係している……。
……だからこそ、俺たちはあらゆる脅威とも繋がっている。森の中では人知れず大樹が横たわり、食われる虫や獣も枚挙にいとまがないだろう。ここでは生死が密接に繋がっている。
「……ところで」ふとワルドが口を開いた「君たちにいいたいことが山ほどあるのだがな」
そういやお説教が待っていたんだったな。だがゆっくり聞いている余裕はないぞ……。
「……しかし、説教など吹き飛んでしまうほどに希有かつ妙味のある体験であった。まさか彼奴らと食事を共にすることとなろうとは……」
「はい、とても……不思議な時間でした……!」
エリの語調にどこか熱がこもっているのは運動量のせいだけではないだろう。確かにあの体験はそうあることではない……。
「敵意がさしたるほど彼奴らにあったわけではなさそうだが……レクの振る舞いによって態度が軟化していたことは明らかであった。君が彼奴らを理解しようと努めた結果であろう。感服したよ」
「はいっ、同感です……!」
「ヨクヤッタ!」
あれっ、なんか褒められちゃったよ。
「よ、よせよ……たまたまさ……」
悲しいかな、あまり褒められ馴れていないからな、なんだか照れくさいぜ……。
まあ、必死になった甲斐があってよかったよ……。
「……それにしても彼ら、会合とかいっていたよな? あんなところでやるなんて……もちろんこの地に詳しいわけじゃないが、なんだか奇妙じゃないか? 話し合いなんて自分らの……町とかあるのか知らないが、そういうところでやればいいのに」
「うむ……おそらくあの施設そのものに用があったのだろうな」
「なんなんだろうね、あそこ……」
「多目的施設とおっしゃっていましたが私たちには一切、情報を開示することができない場所のようでしたね」
「ああ、含みのある言い方をしていたな」
「巨人たちはあの施設を補修しており……つまり管理をしているのでしょう。そして我々の侵入を禁止していません。叫びはしましたが、阻止はされませんでした」
「どうして叫んだんだろうな? あるいは警告……された?」
「おそらくは……。察するに巨人は人間の敵ではない、しかし人間同士、異人種同士は敵対し合う可能性がある、多目的とは多種族的……いえ、ただの憶測に過ぎませんね……。単に、作業現場に近づくなという意味かもしれませんし……」
「むう、巨人が味方だといったかね? どうにも君たちは物事を楽観視してしまう傾向にあるようだな」
「……といいますと?」
「君にはシン・ガードとあの巨人どもがまるきり別種だなどと思えるのかね? 私にはそうは思えん。そして近似種だとするならシン・ガードと同様の性質を持つ可能性を懸念すべきであろう。つまり、どちらも条件次第では人間を標的にするということだ」
「不意に敵対してしまう可能性があると? 一理ありますが……」
……うん? 何か頭に当たった……って、アリャかよ。いつの間にか樹の上にいる。
「ハナシ、ワカラン!」
そこからよく聞こえるな? でも巨人についてか……。
「そうだよ、よく分からんなって話をしていたんだ」
「ホーウ……?」
「それより周囲に異変はないか?」
「ウーン、ナンカ……ツイテクル……ヨウナ?」
なるほど大なり小なり気配はあるみたいだが……ごちゃごちゃしていてよく分からないんだよな……。
「そうか、ヤバそうだったらすぐに教えてくれよ」
「ウゥー……ナンカ、ヘン……?」
……変か、アリャの勘は信用できる、警戒した方がいい……と、さっそくか、羽音が聞こえてきたな、これはあの甲虫くさい、左後方から一匹? 視認できた、いやにふらふらしているが……。
「あれじゃないか? アリャ、任せた」
「ヘーイ、ヨッ!」
矢を射った、倒したな、いや、まだ落ちていない……?
「ムゥー? ヨッ!」
二射目も当たったみたいだが……まだ落ちないか。まあ、たまには当たりどころが悪いことも……いやっ、あの甲虫、どことなくおかしいぞ、別種の何かかっ?
「ア、アタマ、ナイ……!」
……頭が? よく分からんが俺がやるか、狙いをつけろ……よし、撃つっ……! 命中する……がっ?
「うおおっ……?」
何だっ? 爆発したっ? ただの甲虫ではない、ボムビーみたいな奴かっ……?
「気をつけて! また来ます!」
続いて二匹! さっきと同じようにふらふら飛んでくる! 再装填……!
「任せろっ!」
「ニェー! ワタシ、ヤルッ……!」
おっとアリャ、いつの間にか樹から下りている、右足に弓を装着? 弦を両手で持ち、足を伸ばして……引いたっ……! どんな妙技だよっ?
「ブチコロース……ヨッ!」
射った……! おおっ、爆発が一度に二つっ……! 射線軸に重なった時を狙ったか、やるなっ!
「すげぇ、やったな!」
「オーウッ!」
「待て、まだおるぞっ!」
うおっ、何だあれはっ? ごつい影、でかい、熊っ? 木陰より出てきた……が、あれはっ……?
「マタ、クビ、ナイ……!」
本当だ、首が、ない……! 頭部が欠損、代わりに金属のような蓋? だけがある……!
さらにまた何か来るぞ、人型だ、人間なのかっ……? だがやはり首がない……! 拙い動きで、こちらへとやってくる……!
「むう、新手か、だが人間だと?」
「ワルド、奴ら、首がない!」
「なぬ?」
「あいつら、首がないんだよ!」
さらに別方向から足音、鹿のような……と思えば、これにも首がない……! それが走ってくる、転ぶ、立ち上がる、転ぶ……走ってくる……!
「これは……」エリの鳥が多数、飛んでいる!「いったい何事なのでしょう……!」
まだ来るぞ、方々からゆらゆらと首のない影がわいてくる……! また羽音、甲虫らしき影が複数、くそっ……どうするっ?
「慌てるでない」ワルド……!「囲まれては面倒だ、急いでここを離れよう」
そ、そうだ、現状ハイロード方面からは来ていないらしい、さっさと逃げるに限るか……!
「よし、走ろう!」
相手は遅い……いやっ、首なしたちも加速しただとっ? 転げ回りながら、手足を振り回しながらっ、狂った動作で追ってくるっ……!
「ぬうっ、煩わしい!」
ワルドが光線を連続照射っ、奴らを貫く……! ものの、血を噴き出しながら平然と追ってくる……!
くそっ、何なんだよ……! いくら不可思議なこの地だからってこんなのおかしいだろっ……! 奴らとの距離が縮まる気配はない、しかし振り切ることもできないっ……!
「マエ、ヤバイッ!」
うおっ! 一面、巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされているっ……? 確かにこいつはヤバい、が……!
「振り切ることが難しそうだ、待ち伏せしよう! 蜘蛛の糸で足止めできるかもしれない! 逃げ続けるより撃破した方がいい!」
「よかろう! だがこの巣の巨大さ、おそらく灼熱蜘蛛のものだ! 決して触れてはならんぞ!」
慎重に蜘蛛の巣地帯へと侵入する、エリの鳥たちが体のあちこちにとまった……!
……さあ、来てみろ、首なしども……!
そろそろだ……。もうすぐ現れる……。
ぞろぞろと迫って……。
……くるはず、だが……?
まだか……?
まだ……。
……いや、来ない?
なぜだ……?
「……警戒されたか?」
「首がないのにかね?」
羽音もしないな……。
「ウウー! アッチ、ナンカ、イル!」
「まさかっ」エリだ!「ここへ追い込むことが目的なのではっ?」
ぐっ……なんだとっ……?
しかし、あり得るっ……!
「アソコ! ヤバイ……!」
指差す先、灼熱蜘蛛……が、複数……地面に落ちたまま、まったく動いていない、すでに死んでいる……? いやしかしっ、死骸の中央だ、人影らしきものが……!
「あいつはっ? 蜘蛛に捕らえられたんじゃ……ないよなっ?」
人影は動いている、何らかの作業をしている?
「よく、生きて戻れたものですな」
うっ! 話しかけてきた……! 柔らかい、男の声……。
「あ、あんたは……?」
「あなた方が巨人の肩に乗った時は歓喜しましたよ。計画はかなり以前よりあったのですが、こういった罠は偶然性が強く、なかなか機会に恵まれない」
なんだ、何をいっている……?
「ええ、冒険者が巨人の肩に乗った時、施設の破壊という引き金を引くことでわたしの作品が完成するはずだった……という未練がましい、つまらない話ですよ」
「何者だ……!」
「世間では……よく、蒐集者と呼ばれていますね」
なっ……なんだとっ! あいつがっ……?
「おぬしがあの建造物を破壊したのか?」
「あの周辺に住まうキングブルたちに興奮剤を? もちろん用意はしていましたがね、なんと、それを撃ち込む直前にあれらは争い始めたのです、そしてそのまま施設を破壊してしまった」
こいつ、マジで何をいっているんだ……?
「……複雑な心境でしたよ。かねてより夢想していた罠がわたしの干渉なく設置され、また作動していたのですから。これではいささか我が所業とは言い難い……」
しかし、あいつが蒐集者だと……? 冒険者を千人近くも殺し、そのコインを蒐集している怪人……?
「狼狽しましたよ、もちろんね。ですがさらなる衝撃がわたしを襲いました。あなた方が無事に生還したことです。冒険者とゼロの衆を鉢合わせ、敵対させる状況的作品となるはずだったのに……誤算でしたよ。彼らがいたこともまったくの計算外だった」
彼ら……あの七人のことか?
「……罠とは、寡黙に暴れ狂う偶然性をいかに制御するかの試みです。これは完全なる敗北でしょうな、認めざるを得ない」
ワルドが呪文を唱え始める……! ものすごい力の気配を感じるぞ……!
「ああ、今は止めましょう、これは挨拶に過ぎません。本来ならばわたしから出向くべきでしたが……今後のために糸を採取しておく必要があるそうなのです。それにしても灼熱蜘蛛は素晴らしい、わたしの友といっていい、ああ友よ」
その友の死骸が辺りに散らばっているがな……! と、周囲に光の壁が形成されている……! ワルドが両手を突き出し、強大な力が収束していく……! これはあれか!
「光の魔術ですか、わたしには通じませんよ」
「現世より去ね、奸賊めが!」
うおおおっ……凄まじい光が眼に突き刺さるっ、なんて目映さっ……! 前のよりすごいぞ、とても眼を開けていられない! まぶた越しでもかなり明るいほどだ! それにけっこう熱い! 周囲から轟音がっ、光がさらに強くなるっ……!
「くうっ! みんな、無事だよなっ?」
「はっ、はい!」
「ニギェエー!」
……だが、やがて……光が収まっていく……? もう目を開けていいかな……って、うおおっ? 草木がごっそり消えて燃え盛っているっ……!
だがやったろう、これは、さすがにっ……?
「素晴らしい魔術だが……今のわたしとは相性が悪いのだよ」
うっ! 奴の声……!
「予感がある、君たちの中に天の使いがいるという予感が……。そうでなければわたしの構想があのように瓦解するはずもないのだ。ゆえに、わたしは試さなくてはならない」
「さっ、さっきから何をいっている! お前は何者だ、何がしたいんだっ!」
「わたしは人間だよ。ハイ・ロードの膝元にあるただの人間……。それ以外の何者でもありはしない……」
炎の中に、人影がある……!
「おお、君がそうなのだね……またも現れたか……!」
人影の声音が重苦しく変わる……!
「くまなく殴打し皮を剥ぎ、四肢を刻んで酸をかけ、醜い獣に食わせ辱めてやろう……!」
なに……? 何だそれはっ……?
「その間、天に向かい救済を乞うがいい……。悲鳴は呼ぶために上げるのだ……」
いったい何を……いや、人影が……消えた? というか急に霧が出てきた!
「私の魔術だ。山火事にしてはいかんのでな」
ああ、濃霧が周囲を鎮火させていく……。
「や、奴は……?」
「去ったようであるな」
確かに気配はない、首なしたちの姿もないようだ……。やはりあれは奴の仕業だったのか……。
「……何なんだ? どうにも巨人によってあの施設へと誘導されたことが……奴の罠になるはずだったが……失敗してどうこうという話のようだが……」
「……らしいが、妄言の類であろう」
言い分がまるで意味不明だったしな……。
「ハイ・ロードともいっていたよな……? それってあの……」
エリはうなり、
「あるいは……裏教典の関係でしょうか……」
裏教典……? なんか聞いたことのあるような……。
「あやつは罠を駆使するという。今後ゆく先には気を配らねばなるまいな」
「ちっ……なんだってこんな……!」
……つーかマジでおかしくねぇ? あの図鑑にあった超危険個体とやらに該当するような連中と……なんでこう、立て続けに出会う事になっているんだよ……?
「……心を落ち着かせよ。無闇に懸念を重ね心を摩耗させてはならん。それこそあやつの思う壺である」
「アイツ、チョーヤバイ! ヤバイヤツ、ブチコロス!」
「ああ……そうだな」
そう、仕掛けてくるなら返り討ちにするだけだ。
気弱になってはいけない、どす黒い気配を背に感じようと……。