第十五話 死闘5
どうも、大変お久しぶりです。
更新が、またもや遅れてしまいました……。
申し訳ありません。
ですが、次回から少しずつ更新期間を縮めていきたいと思います。
具体的に言うならば、次回の投稿は3月末までに。
一ヶ月以内に投稿したいと思いますので。
どうか見捨てないでやってください。
それでは、第十五話 死闘5 どうぞ!
コツ、コツ、コツ、コツ。
もはや夕暮れではなく、夜の闇に包まれた空に、靴が立てる乾いた音が沁み渡っていく。
肩に担いだ人の重みに、いつもより大きな音が出た。
風が木々を揺らし、葉の擦れる音が靴音にアクセントを加える。
コツ、コツ、コツ、コツ。
不変のリズムが辺りに響く。一度も乱れることの無いそれは、彼の厳格な性格の表れだろうか。
コツ、コツ、コツ、コツ。
雲が切れ、薄暗かった辺りが淡い月光に晒される。光に映し出された彼の姿は、纏っているローブが幽鬼の様で、この世の物とは思えなかった。
死人を肩に担いで地獄へ連れ去る死神。傍から見れば、そんな風に映るのかもしれない。
あながち、間違いとも言いきれないが。
だがそれも一時のこと。すぐに月は雲に隠れて、死神の姿を隠してしまった。
再び闇に包まれた彼は、そんなことを気にする素振りもなく、不変のリズムで闇の奥深くへと消えていった。
――――――――
「ここかの……」
目の前には鳥居。その奥は参道で、両脇が林になっている。
そんな神社の入り口に、突然、少女が現れた。何の前触れもなく突然に。
少女は明らかに丈のあっていないダボダボのコートを着ており、相当の長さでズルズルと地面を擦っていた。
金髪に、コートからわずかに覗く肌は雪のように白い。まだ年齢は幼そうで、将来は相当な美人になるだろうと予感させる容姿。
少女は現れるなり一言そう呟くと、そのままスタスタと参道の中を歩いていく。
「この奥におるのか……。ふむ。相手は相当な実力者の様じゃしのう……。ちぃと気を引き締めていかんと、殺るどころか殺られてしまうかもしれんの。久々に全力を出してみるか……」
殺るやら殺られるやら、物騒な言葉が少女の口から飛び出す。一般人から見れば奇妙の塊であろうが、少女にしてみれば、これが日常である。
少女――アリカは、しばらく無言で歩いた後、唐突に口を開いた。
「ここが紫音のおった場所か。少々時間が経っておるが、未だに酔いそうなほどの魔力が漂っておるわ……。この状態はちと不味いの」
ここまで途切れることなく整備されていたはずの石畳は、黒い塊になってあちこちに鎮座していた。どうやら、超高温でドロドロに溶かされた後、冷えて固まったらしい。
周囲の地面も黒く炭化しているし、どういう原理なのか、この辺りの木々だけ黒く炭化した切り株だけになっているが、その向こう側の木は無傷で何事もなかったように生えている。
そして、吸血鬼のアリカでさえ魔力酔いしてしまいそうなほど、この辺りは魔力に満ちていた。
魔力。
魔術は、魔力を糧に発動する。――それはつまり、魔力がエネルギーを内包している事に他ならない。
そして、魔力と言うエネルギーが全くない状態では、すべての生き物は生存不可であり、しかし、逆に過剰に存在しても、生き物に悪影響を及ぼす事が確認されている。勿論、このことは裏の世界の人間しか知らないことだが。
しかも、厄介なことに、魔力が一ヶ所に過剰に存在したまま時間が経つと、やがて魔力は淀み、濁り、変質し、瘴気と呼ばれるものに変化してしまう。
瘴気は、生き物に悪影響を……なんてレベルじゃないほどの影響を与えてしまう。生命そのものを作り変えてしまうのだ。
瘴気に長時間蝕まれ続けた生物は、やがて魔物と呼ばれるナニカに変質してしまう。魔物は、どんなレベルのものでも、“魔業”と呼ばれる特殊な魔術を扱えるほどの魔力を持ち、それを無意識下で行使することにより、人知を超えた能力を持つようになる。
驚くべきことに、最低クラスの魔物でも、ライオンなどの大型肉食動物を軽く屠ってしまえるほどの力を持っているのだ。
当然のことながら、瘴気によって影響を受ける生物は、動物だけではない。植物だって、魔物化してしまうのだ。おかしなことに、植物は元来自我を持たないが、魔物化してしまうと、何故か自我を持つようになり、周囲の生物を手当たり次第に襲うようになる。
想像してみてほしい。瘴気に覆われた森を。森の植物すべてが、魔物化し、手当たり次第に周囲の生物に襲いかかっている様子を。
真に恐ろしいのは、動物型の魔物ではなく、植物型の魔物だと言えよう。
しかも、厄介なことに、そんな魔物たちを生み出す元となる瘴気は、一度発生してしまうと、中々浄化することができない上、放っておけば徐々に勢力を拡大して広がっていくのだ。
その為、『教会』や『寺院』の退魔師たちは、高濃度の魔力を見つけた場合、浄化可能ならば、その場で即浄化を、不可能であれば、即刻『寺院』か『教会』に連絡することが義務づけられている。勿論、瘴気を発見した場合も同様だ。
そんな訳で、現在アリカには二つの選択肢――自分でこの魔力を浄化をするか、それとも、『教会』に連絡するか――が存在する。
勿論、今現在の最優先事項は、紫音の救出であり、一刻の猶予もない。なのだが――
「じゃがのぉ……。これを機会に、妾にいちゃもんを付けられても、後々面倒じゃしの……」
元々、魔物――吸血鬼であるアリカと、『教会』は折り合いが悪い。そもそも、アリカと『教会』は最初、敵対関係にあったのだから。本来なら、未だに敵対関係でもおかしくなかったのだが、ある出来事がきっかけで、アリカも退魔師になることになったのだ。
そのため、未だに『教会』の上層部はアリカに反感を持ち(それはそうだ。ほんの少し前まで敵対関係、しかもアリカは吸血鬼の真祖と言う大物だったのだから)、事あるごとにアリカを『教会』から追放しようとしてくるのだ。
神聖な『教会』に汚らわしい魔物など要らない、と言う訳である。勿論、上層部の中にも、アリカに友好的な者は何人かいるが、大半がアリカが退魔師であることに否定的な者ばかりだ。
勿論、アリカが退魔師でいられるのは、『教会』のトップがアリカに友好的なのと、アリカ自身の力が大きいことが起因しているため、直接的な手段で追放しようと言う様な輩はほとんどいないが。
しかし、アリカが何かをするごとにいちゃもんを付け、酷い時などは、罪をでっち上げられたりするのだ。
はてさてどうしようか。
逡巡は一瞬だった。
「――仕方が無い。悩む方が愚策じゃしな。さっさと浄化するとしようかの」
そう結論付けると、アリカは丈のあっていないコートの中から、一抱えほどもあろうかと言う、巨大なまるい水晶を取りだした。表面には傷一つなく、向こう側が見通せるほど透き通っている。
そんな水晶を何処から取り出したんだ、と言う突っ込みはなしだ。アリカに常識など通用しない。
アリカはその水晶を地面に置くと、声を張り上げ、まるで歌うかのように詠唱を始めた。
「This is a crystal of all the crimes. (これは、あらゆる罪の結晶なり)」
体内で練り上げた魔力を、声に乗せて高々と“詠う”。
「Become a vicarious victim and undertake defilement that brings the manitou to this ground to expiate the committed crime. (犯した罪を償う為に、この地に魔をもたらす穢れを、身代わりとなって引き受けよ)」
高密度の魔力を纏ったその声は、辺りに充満する魔力に掻き消されること無く、隅々まで沁み込むように響いていく。
「The crime is too heavy. (その業はあまりにも重い)」
「――However, repose that it is eternal that the crime is permitted it is a day in what time, and it is sent by the god will be obtained if keeping compensating. (されど、償い続けたならば、何時の日かその罪は許され、神より送られし永遠の安息を得るであろう)」
その声に反応して、徐々に、最初は緩やかに、少しずつ大気の魔力が鳴動していく。
「Expiate the crime. (罪を償え)」
やがて魔力の鳴動は、物理的な干渉を可能にするほど大きくなっていく。
辺りの木々が、強風に曝されたかのように大きく揺れる。
「"Crystal of atonement" (“贖罪の水晶”)」
一瞬の静寂。
その次の瞬間、鳴動が最高潮に達した魔力が、爆発的な勢いで水晶の内部に流れ込んだ。
それに伴って、風も水晶へと吹き付ける。四方から吹きつけられた風は、擬似的な竜巻を形成し、辺りを暴風で蹂躙していく。
「くっ……! 予想よりも、魔力が多かったか……!」
あまりの暴風に、飛ばされそうになる体を魔術で必死に繋ぎとめる。それでも尚、持っていかれそうなほどだ。
数秒? 数分? 数時間? 永遠とも感じられた時間が終わり、漸く風が弱まった。
実際には数時間も経っているはずが無いので、数十秒程度だったのだろう。
「ふぅー……。流石に肝を冷やしたわ……。まあ、無事に封入出来たから、よしとしようかの」
地面に置かれた水晶に目を遣ると、透き通るほどの無色透明から、艶のある漆黒の水晶へと変貌を遂げていた。
アリカは水晶を拾うと、再びコートの中に入れ、何事もなかったかのように歩き始める。
「これで、魔力を封入した水晶は、30個目か。そろそろ纏めて処分せねばならんのぉ……。まあいいか。それよりも、今は紫音の救出が先じゃな。しかし、かなり先に気配があるしのぉ。ここはひとつ、転移して登場と洒落こもうかの……」
そう呟くと、アリカは先ほどと真逆、唐突にその姿を消した。
――――――――。
「……この…の………を頼……」
「御………この…度…………神…だけで…分だな」
何処か遠くから、人の話し声が聞こえてくる。感じるものすべてが、擦りガラス越しの様な曖昧さで感じられた。
苦痛や疲労なども存在しない、まるでふわふわと虚無の空間を漂っている様な……。満ち足りた幸福がそこにはあった。
だけれど、その幸福は、とても危ういものだった。夢と現、両者の均衡が少しでも崩れたなら、あっという間にまどろみの世界は崩壊してしまう。
――――そして、たった今、その均衡は崩壊した。
「うぅん……」
坂を転がり落ちるように、比重が現に傾いていく。水の底から、力強い腕で引っ張り上げられるような感覚。
急浮上した意識は、現実と言う名の水面を越えて覚醒した。
「ここ、は……何処……?」
ふわふわと浮かぶ解放感は何処にもない。あるのは、息苦しいほどに重い、自身の身体だけ。
まだ薄ぼんやりとした視界の奥に、目を引く銀髪の男と、壁の様な威圧感のある大きな男、2人の姿がぼんやりと映し出される。
「確か……師匠が……。そう、だ。キリファとか言う魔術師が、何かを召喚しようとして……」
そこまで記憶をさかのぼった時、霧が立ち込めたかのように曇った思考が、一気に晴れて明確なものに変わる。
そして、自分とやや離れた所に、銀髪の魔術師の姿を認めて、危うく声をあげそうになった。
「――――ッ! 大丈夫……。まだ気づかれてない」
彼とは少し距離があり、幸いにもまだ気づかれてはいないようだ。
自分は今まで気を失っていて、いつの間にかここまで運ばれてきたのだと、少年――幸が理解するまで、さほど時間がからなかった。
「あの銀髪……多分キリファだな。でも、あの大男は誰だ?」
あの大男には見覚えは無い。誰だろうかと首を捻っていると、不意に全身に悪寒が走った。
「“癒せ”」
大男が、短く、よく通る声で言う。たった1単語、しかしその中に、暴れまわるエネルギーを一点に無理矢理おし留めた様な、少しでも何かが起こればそのエネルギーが辺りを蹂躙しそうな、そんな危うさを感じた。
そして、その言葉と同時に、悪寒もより強くなる。
「うっ……。これってあの時の……」
全身を無数のナニカが這いまわっていく様なおぞましい感覚。それは、幸が気絶した時の、あの強烈な感覚と全く同じだった。
「そうか……。あいつは、召喚されようとしていた奴か……!」
ちらりと、一瞬、大きな背中で見えなかった向こう側が見えた。
「え……?」
本当に一瞬だけ。だけどその一瞬で見えたのは――――。
「し、師匠!?」
あの黒髪、あの顔。地面に倒れ伏したその顔は、あまり良く見えなかった。しかし、あれは間違いなく、師匠――紫音だった。数時間前まで一緒にいた者の顔を忘れるはずもない。
思わずその喉から迸った大声に、キリファ達が振り返る。
しまった、と思う間も無く、身体は無意識にその場から逃走を図ろうとしていた。
しかし、紫音達でも敵わなかった相手に、幸が逃げ切れるはずもなく。
「“動くな”」
たった一言で、その身体を地面に縫い付けられていた。
「ぐっ……」
あまりにも絶望的な実力差。すっぽんが月を動かそうとするがごとく、その場からの逃走は、万が一にも不可能。
「やれやれ、もう起きてしまったのか。先に記憶を消しておくか……。面倒だが、もう一度眠ってもらうとするかな。ベルゼブブ。やれ」
こつこつと乾いた足音を鳴らしながら、悠然と此方に向かってくる、ベルゼブブと呼ばれた大男。幸はベルゼブブが近づいてくる前に何とか逃げ出そうともがくが、まるで糸で縫いつけられたかのように、起き上がることができない。
こつ、こつ、と乾いた音に絶望を乗せて、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。その遅い歩みは、余裕の表れか、はたまた、より強く絶望を刻み込もうという嗜虐的な思考の表れか。
「くっそ……! こんなのなんか……」
あらん限りの力で、見えない鎖を振りほどこうともがく。しかし、本人はもがいたつもりでも、傍から見れば、指一つ動かせていない。
遂に、ベルゼブブが幸の目の前にまでやってきてしまった。
「悪いな……。このようなことは我の好く行為ではないが、致し方ない。諦めてもらおう」
聞く者を安心させる様な、腹の底に響く重厚な声。厳しさの全くない、少なくとも、敵に向けるものではない声が、幸の抵抗を止めた。
呆けたように見つめていた幸だが、すぐにハッとして、再びもがき始める。だが、その表情は先ほどまでと比べて、何処か諦めの色が窺えた。
ベルゼブブはそれを何処かかなしげな眼で見降ろしながら、幸を深い眠りへ誘う一言を呟く。
ああ――もう……。どうか……誰か助けて!
幸は抵抗を止め、祈るようにギュッと目を閉じた。
「さあ、“眠――――ぐぅっ!」
しかし、来る筈の眠りは訪れなかった。
何かがぶつかる鈍い音がしたと思えば、ベルゼブブの言葉がうめき声と共に中断される。
「ふむ。タイミングは完璧、じゃのぉ。どうじゃ、幸。待ちに待った、ヒーローの登場じゃ」
この声は。この声は!
「アリカさぁん……!」
自分でも笑えるほど、情けない声が出た。
目を開ければ、涙で白く霞んだ視界に、自分よりも小さな少女の姿。だけど、今はとてつもなく大きく見えた。
「待て待て……再開を喜ぶのは後じゃ。少し、こ奴らを捻って来るとしようかの……!」
そう言って、アリカは幸に背を向け、キリファとの間に割って入るように歩き出した。
「そうそう、巻き込まれんように出来るだけ下がっておくがよい。そなたを縛る力は解除しておいたからの」
幸は慌てて、手足を動かして確認する。
本当だ、確かに動ける。
幸は言われた通りに、そろそろと後ろへ下がった。
当然、黙ってベルゼブブが見逃すはずもなく、彼は幸の動きを止めようと口を開く。
「待て! “動く――「させまいて!」――ッ!」
ベルゼブブが、再び幸を縛る言葉を口にしたその時、アリカが一瞬で特大の火球を形成。彼女は、自身の数倍になろうかと言うそれを、プロ野球の投手も真っ青なフォームで投げた。
ベルゼブブに迫る、火炎の剛速球。
アリカとベルゼブブとの距離はそれほど離れていない。先ほど、アリカが幸を救うために彼を蹴飛ばした為、7、8メートルほど離れている程度。
自動車並のスピードで迫って来る、直径3メートル以上はある超巨大サイズの火球を避けるには、それではあまりにも近すぎた。
絶体絶命。助かる手段はもう何処にもない。普通ならば。
……そう、普通ならば。彼はしかし、あまりにも普通とはかけ離れた存在だった。
「チィッ! “消えろ”!」
また、一言。命令形で放たれたその言葉は、絶体絶命の危機を、いとも簡単に覆した。
まるで初めから存在すらしなかったように、突如として火球が消えうせる。
彼は魔界の王、ベルゼブブ。
その一言一言は、世界に影響を与えてしまうほどに重いのだ。
「…………」
「…………」
夜の絶対王と魔界の王は、お互い無言のまま、にらみ合う。
火花散る目線だけでの戦いは、張り詰めた空気を周囲に漂わせ、重苦しい重圧感となってあたりを支配した。草木一つ音を立てることなく、静寂を保っている。
2人から離れた所にいる幸も、その張り詰めた緊張感に声が出ない。緊張のあまり喉がからからに乾く。唾を飲み込む音さえ、周囲に響く気がした。
こんな拮抗がずっと続くのではないか。そう幸が思い始めた時だった。
パチパチパチパチ。
そんな静寂を強要された空間に抗うように、乾いた拍手が響いた。予想外の乱入に、2人は音のする方を振り返る。
その発生源は――キリファ。重苦しい空気を払うように、キリファは軽い口調で言った。
「流石、流石です。まさか、ただの退魔師と戦っていたら、貴女の様なビックネームが現れるとは思わなかった。弱体化しているとはいえ、魔界の王を前にしてひるむことなく、さらに睨み返すとは……。流石は“教会の先兵”、“夜の絶対王”――アリカ・ル・フェルナ殿だ」
茶化す様な、相手の神経を逆なでする様な見え透いた挑発に、アリカはやや渋い顔になった。
「ふん。妾もこんなところに『極彩色』という大物国際指名手配者がおるとは思いもせんかったわ。魔界の王とか言ったな……ベルゼブブか。どうやら、前にあった時よりも力を付けているようじゃしの……。そう言う訳で、じゃ――――」
――全力で行かせてもらうぞ。
そう宣言するアリカを、キリファは笑いながら遮った。
「いや、流石に吸血鬼の真祖とやり合うのはぞっとしないのでね。此方も、ベルゼブブを召喚したせいで魔力を少なからず食われている。そう言えば、貴女がどうやら懇意にしているあの退魔師……確か、名は紫音と言いましたか? 貴女が目を付けただけあって、ベルゼブブも相当の手傷を負ったようです。……ああ、話が逸れたようだ。その紫音君ですが……此方の手元にあることをお忘れなく。それと、もう1人、退魔師の少女もですが。此方もかなり善戦したようですね。ケルベロスとオルトロス相手に一歩も引かなかったみたいです」
アリカは訝しげな眼でキリファを見つめた。
「まさか……お主、この転移のエキスパートたる妾に、人質を取ろうと? 2対1であろうとあまり関係が無いぞ。並列思考の1つや2つ、訳無いに決まっておろう。ベルゼブブを牽制しながらでも、十分2人を転移させることは可能じゃぞ? それが分かっておらぬお主でもあるまい。一体何を考えておるのじゃ?」
「勿論、貴女が考えているように、人質を取ろう考えているのですよ。貴女こそお忘れですか? 私は召喚師。転移魔術もお手の物です。まあ、前回貴女とあった時は、それほど熟練していたわけではありませんでしたが。今は違いますよ? あまり、昔と同じだと見くびってもらっては困りますね。……ああ、また話が逸れてしまったようだ。転移魔術が得意なら、その逆も然り。妨害も得意と言うことです。私が今ここで戦闘を初めて、この2人を巻き込まない自信は無いでしょう?」
「…………」
この場では、無言は即ち肯定を意味する。そうでなくても、彼女の苦々しい表情を見れば、一目瞭然だった。
キリファはそれを見て満足げに微笑みながら、言葉を紡ぐ。
「そこで、1つ提案です。私としても、こんなところで立て続けに戦っていては身が持たない。もうここから先はお分かりでしょう? 見逃して頂く代わりに、この2人を解放しましょう。勿論、私達の存在を他の退魔師に伝えて頂いても構いません。どうやら、見つかる前に知られていたようですからね。……さあ、どうします?」
さらに笑みを深めながら、キリファは尋ねる。
「――――ああ、そうそう決めるなら1分以内で頼みますよ。増援が来られ「分かった」……この思い切りの良さと言うか、決断力も流石と言うべきでしょうね…………」
アリカが割り込むようにして了承を伝えると、また満足げな笑みを浮かべた。だがその笑みは、悪戯が成功した時の様なものだ。
「なら、2人はここに置いておきますよ。いくぞ、ベルゼブブ。……では、さようなら。どうやら、また会いそうな気がしますが……。再会を心待ちにしておきますよ? レディ?」
最後に、完璧な一礼をして、背を向け歩いていく。後ろから襲われる心配など端からしていない様だ。
そんな2人を見送りながら、倒れている2人を診る。
2人とも特に目立った外傷はないようだ。アリカはホッと胸をなでおろした。
「アリカさぁん! 師匠たち、だ、大丈夫だったんですか!?」
後ろから走って来る幸の声を聞きながら、アリカは1人、ため息を吐いた。
「ふん……。最後まで食えん奴じゃ。幼き頃の影も形もありはせんわ……。ずいぶんとひねくれて育ちよって……。まあ、その割には優しさも残っておったようじゃが」
「アリカさん!」
いつの間にか、アリカの所まで到着していた幸は、心配のあまり涙目になりながら2人を見つめる。
「なに、心配無い。特に怪我はしとらんよ」
そうアリカが告げてやると、ワッと堰が切れたかのように泣き出しながら、紫音に抱きついた。相当心配だったのだろう、しゃくりあげながら何度も何度も、「よ゛がっだ……!」と連呼している。
アリカはその様子を、何処か複雑な表情で見つめていた。
「紫音、お主は中々弟子に慕われておるようじゃの……」
クククッ! と何故か込み上げてくる笑いを噛み殺しながら、夜空を見上げて呟く。
その姿は、普段のアリカからは想像できないほど、弱弱しく、儚かった。
そのさびしげに呟かれた声は、誰にも聞かれること無く、夜空に溶け込んでいく。
「――幸! 2人とも見た目は傷は無いが、分からぬ所に手傷を負っているやもしれぬ。一旦、家に帰るぞ」
だがそれは一瞬の事。次の瞬間には、今まで通りのアリカがそこには居た。先ほどまでの弱弱しさを見事なまでに振り払い、幸に声をかける。
「は、はいっ!」
慌てて目を擦って返事をする幸に、アリカは笑みを浮かべながら頷いた。
「“転移”」
一瞬で展開された魔法陣は、2人を容易く飲み込み、その姿を消し去った。
こうして、紫音とキリファとの第一接点は、一旦の幕引きを見ることとなる。
別れた彼らだが、2人の歯車は噛み合ったのだ。2人が再び出会うのも、そう遠い未来の話ではない。
もう止まらない。止まれない。
がっちりと噛み合った2人の歯車は、連動し、巨大な運命の歯車を動かしていく。
他の歯車を巻き込みながら……。
読んでいただき、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
後半が若干駆け足気味なのは、仕様です。
それはともかく、これにて無事、死闘編を終えることができました。
次回は日常編、それも紫音達抜きの、日常パートになるかと思います。
次回投稿予定は、3月末。
感想、批判、誤字脱字・文章表現の指摘、その他もろもろお待ちしております!
(辛口でもドーンと来い、な作者ですので、遠慮なく送っていただければな、と思います。あ、一言だけでもOKです)