第十四話 死闘4
どうも、こんばんは。
更新遅滞常習犯、夕顔でございます。
とうとう一ヶ月以上間が空いてしまいました。
申し訳ありません。
取り敢えず、二ヶ月更新停止状態にならずに済んでほっとしております。
以前からお読みいただいている読者の方々は、もう内容なんて頭の中から消えてしまっているかと思いますので、軽く粗筋だけでも載せておきます。
この街に国際指名手配者である、魔術師キリファが潜伏しているとの情報を受け取った紫音達は、警戒のために、巡回を始める。
市内北部にある神社へと立ち寄った際、そこにキリファを発見。すぐさま交戦を始める。
召喚魔術の使い手であるキリファは、七つの大罪・暴食を司る魔王ベルゼブブを召喚して対抗する。
その過程で紫音の弟子、幸が気絶。ベルゼブブ相手では勝ち目が薄いと考えた紫音は、沙耶に幸を連れて助けを呼びに行かせた。
しかし、助けを呼びに行った沙耶も、キリファに見つかり、止むなく交戦する羽目に。
キリファは、ケルベロス、オルトロスという神話クラスの怪物を召喚する。沙耶は、これらを相手に善戦。
ついにはオルトロスを倒すことに成功する。だが、その代償として、片足に酷い怪我を負ってしまう。
残るはケルベロスのみ。しかし、沙耶は重症。どう戦うのか?
一方その頃紫音は、此方もベルゼブブ相手に善戦していた。そしてついに、必殺の一撃を放つことに成功する。
だが、そこで力尽き、気絶してしまう紫音。果たしてベルゼブブを倒すことはできたのか?
ここは、とあるマンションの一室。
ほぼ最上階に位置し、辺りの景色を一望できる。
夜の帳が下り、闇に包まれたばかりの街を眼下に、金髪碧眼の美少女はため息を漏らした。それほど大きくは無い街だが、歓楽街のネオンが夜の街に彩りを添える。
だが、そんな彩りさえも超越してしまうような、圧倒的な現象が街に起こっていた。正確には街にではない。町の北部にあるちょっとした森からだった。
その森の一区画から、赤い柱が何の前触れもなく地面から生えたのだ。否、赤い柱ではなく、それは炎だった。ありとあらゆるものを、一瞬にして灰塵に帰す、恐るべき“赤”が高度を上げ、上昇していく。
あっという間に雲を突き抜け、遥か上空まで立ち上る。
そんな、一種の幻想的ともいえる光景を、その少女は何の感慨も顔に浮かべずに眺めていた。
「高度の認識阻害。そしてこの紫音の魔力。極めつけは、我が一族の秘術の発動、か」
少女は再びため息を漏らした。まるで、長い年月を生きた老人の様な、ある種の諦念を含んだため息。少なくとも、この少女には似つかわしくないものであった。
スッと腕を上げて何かを掴む様な動作をする。身に着けた肌着が僅かな衣擦れの音をたてた。
彼女が身に着けているのは肌着のみ。扇情的な衣装ではあるものの、彼女が着れば、劣情よりも畏怖を与える衣装となる。
「のう、紫音。お主は厄介事に巻き込まれるのがよっぽど好きらしい。…………全く、心配する存在が居ることも考えもしない癖に……。いや、妾の存在など、端から頭にないのであろうな。」
明かりが付いていない暗い室内で、抜けるような白さの素顔に引かれた真紅の唇が弧を描く。そこに自嘲の意を見いだせる者は、この室内には居なかった。
「まあよい。それでも妾は行かねばならんのだろう。自身の為に」
行かなかったら、終わりなき自身の生の最後の瞬間まで後悔するだろう。そう、自身で完結させると、そっと呟いた。
「ふん。精々誇るがよい。紫音よ。この“夜の絶対王”、アリカ・ル・フェルナを動かしたのだからな。そして、恐れるがよい。紫音に仇成す者ども。妾は、今、機嫌が悪い。生きていられると思うなよ……?」
最後に凄惨な笑みを残して、夜の王者はその場から消えた。
――――――――
ここは、とある神社の参道。
夕方と呼ぶには日が暮れ、夜と呼ぶにはまだうっすらと夕焼けの名残が残るころ。
そこには、不気味な暗色のドームが横たわっていた。
明らかにおかしい現象が起こっていると言うのに、誰一人として、その場に居合わせている人はいない。そして、遠目にでも、その光景を目撃した人物はいなかった。
そんな、日常から切り離された非日常に、微細な変化が訪れた。ドームの天井に、僅かな罅が入ったのだ。
その罅は、次第に周囲に広がって行き、ある瞬間、何かに耐えきれなくなったかのように粉々になった。まるでガラスが砕け散った時のような、澄んだ破壊音が非日常に響き渡っていく。
そして、その後を追うように、灼熱の炎が天高く吹き上げた。さながら火山の噴火を連想させる炎の柱は、やがて雲を突き抜け、果てなき空を突き上げていく。
しかし、眼下の街の住人に、その炎を見た物は居なかった。誰一人として気付いた者はおらず、何事もなく1日が終わろうとしている。
炎は、我関せずとばかりに、上へ上へとただひたすら上昇していった。上空は風が吹き荒れているのか、炎柱がところどころで身をくねらせる。しかし、その先端部の勢いは衰えることを知らない。月に届かんと身をくねらせるその姿は、神々しい龍神を彷彿とさせた。
だが、龍神の思いが叶うことは無かった。遥か上空まで上り詰めた炎は、急速に勢いを減少させ、ついには霧散してしまう。
後には、龍神の存在があったことを証明する、円形に切り取られた雲が漂うのみであった。炎が消滅した瞬間、役目を終えたかのように漆黒の半球が粉々に砕け散り、跡形もなく崩れ去っていった。その破片は風に乗り、運ばれていく。
空に黒き風が舞った。
そのドームの跡地。
その中でも炎柱があった所は、人知を超えた高温に石畳が蒸発し、地面が顔をのぞかせていた。
その焦土と化した場所と、そこからわずかに離れた場所に人影があった。本来なら有り得ないはずの現象。非現実の住人である退魔師でさえ、ほんの一握りしかこの炎に耐え切れる者はいないだろう。
1つの人影は、男だった。
壮年とも言うべき年齢だろうか。灰色の髪で、かなり大柄な体格、煤一つ付いていない紺のローブを着ている。そして、人を威圧し、平伏させる王の威厳を纏っていた。長年玉座に座り、人を使ってきた者にしか身につかないであろう覇気。自然に発散される覇気に、周りに木々もおし黙り、静寂を保っている。
もう1つの人影は、石畳に気を失っているのか、ピクリともせず横たわっている少年だった。
黒髪の、まだ少しあどけなさを残す顔立ち。硬く閉じられた目は、何か苦痛に耐えているように見える。平素であれば、どこにでもいそうな好青年、と言った感じで、この場には似つかわしくないだろう。しかし、その少年の手は血塗れで、そのそばには、銃と思しき残骸が転がっていた。それだけが、唯一、少年が非日常に身を置いていることを証明するものだった。
男は、顎に蓄えられた灰色の髭に手をやってそっと独白する。
「流石……と言ったところか。精霊憑依弾……。精霊を弾丸に憑依させていたのか……。だが、単純に憑依させるのは困難。だからあえて銃把に憑依させるという手順を踏んで、作業の難易度を下げたのか。だからこそのリボルバー式拳銃。オートマチックであれば、リボルバー式よりも威力は高いが、銃把の部分に余裕が無い。時代錯誤の銃使いかと思ったが、なるほど、きちんと考えられている……」
まるで、誰かに言い聞かせている様な口ぶりだが、周囲に人はいない。
この男の癖なのだろうか。
「――しかも、単純な威力なら“風の申し子”を憑依させた方が高いにも関わらず、“火蜥蜴”を憑依させた。確かに、威力ではそれなりの物を持つが、“風の申し子”ほどではない。先ほどの現象から察するに、狼煙の役割も担っていたということか。我が認識阻害の結界を張らねば、確実に、外の退魔師に知られていた……。如何に我であっても、これほどの高度な認識阻害と、精霊の炎を防ぐことを両立できない……。認識阻害の結界を張った以上、右腕を犠牲にせねばならなかったか……」
男は、左腕で、ダランと力無く下げたままの右腕をそっと撫でるように触れた。触れたそばから、サラサラと黒い粉が右腕の裾からこぼれおちていく。
その時、一陣の風が吹いた。風は零れ落ちる粉を乗せ、遥か遠方まで運び去っていく。そして、下げられたままのローブの右腕が、その風に煽られ、はためいた。
「右腕は完全に炭化したか。後1週間は使い物にならんな。…………しかし、人の身で、この魔界の王、ベルゼブブの身体に傷を付けるか。たとえ我が全力の1割程度しか力が振るえぬとしても、快挙であろう。誇るがよい、名も知らぬ小僧よ。そなたは、魔界の王に一太刀浴びせかけたのだ。後世まで誇れる偉業である」
自らをベルゼブブと名乗った男は、目の前に横たわっている少年に、語りかけるように呟く。
そして、少年の傍らまで歩くと、残った左腕で軽々と少年を抱き上げ、肩に担いだ。
まるで、気を失っている少年をいたわるような、ゆっくりとした動作だった。気絶している少年は、深い眠りについているのか、目覚める気配が無い。
少年を担いだまま、神社の境内の方向へ、悠然と歩いていく。
そのまま、闇の中へゆっくりと姿を消していった――――――。
――――――――
「くぅぅぅ…………はっ、はっ、はっ、はっ…………」
少女は、石畳の脇に生えている木にもたれかかりながら、襲い来る痛みと必死に戦っていた。少女の顔は苦痛に歪み、端正な、整った顔立ちを台無しにしている。
どれほどの苦痛に耐えているのか、その様子から容易に窺い知ることができるだろう。
「――がぁ! ぐぉぉ…………。はっ、はっ、はぁぁ…………」
辺りには、もうもうと砂煙が舞い、全く視界が効かない。
少女の口から洩れる、くぐもった悲鳴が最高潮に達してから数秒。彼女は、何処か安堵した表情で、限界まで吸い込んでいた息を吐き出し、自身の右足にあてがっていた両手を離した。
「流石に、完全に、折れてしまった足を、元の位置に、戻すのは、骨が折れるね…………」
息絶え絶えに呟く少女。彼女の右足は、健康的な小麦色の肌を血が汚し、さらには赤黒くはれ上がっていた。左足と比べても、相当腫れ上がっているのが分かる。
少女は、懐をごそごそと弄ると、長方形の和紙を取り出し、右足に貼り付けた。良く見ると、和紙には、墨と筆を使った草書体でびっしりと文字が書き込まれているようだ。
「生きとし生ける者どもに、一時の回復の加護を与えん」
少女が呪文を唱え終ると、柔らかな光を出しながら、まるで空中に溶けるようにして紙が姿を消した。と同時に、少女が立ちあがる。折れた右足を庇う様子も無く、自然な動作だった。
少女の足は、先ほどまでの無残な様子ではない。あたかも、傷そのものが以前から存在しなかったように、傷一つない状態でそこにあった。
「効果時間は、約5分……。それまでに決着を付けないとね……」
段々と、砂煙が晴れてくる。
うっすらと見えた先の光景に、首があらぬ方向へ圧し折られた、巨大な犬の姿があった。否、ただの犬ではない。その首は、完全に折れているものの、その付け根の部分が二股に分岐しており、それぞれに独立した頭部を形作っていた。
双頭犬――――オルトロスは、完全に、その息の根を止められていた。
少女――沙耶は、晴れてきた砂煙を振り払い、物言わぬ屍となったオルトロスのもとへ向かう。
「出てきなよ。そこにいるのは分かってる」
沙耶は右斜め前方――沙耶から見て、2時の方向――に声をかけた。
しかし、答える声は無い。そのまま、3秒、4秒と過ぎ去っていく。その間に、沙耶は、何時でも反応出来るように腰を軽く落とし、霊気を両足、そして両目に集中させた。両目に霊気を集めているため、周囲の光景が、薄い緑に色づいていく。
そして、ある一定の濃さまで緑色が達した時、不意に、世界が変わった。
沙耶は、ゆっくりと目を閉じる。もはや、視覚など不要。沙耶には、周囲の光景が360度認識できていた。さらには、障害物によって遮られて見えないはずの林の先まで、認識できている。
それは、視覚しているが、視覚していない。もはや、物を見る、と言う行為を超越しているのだ。
月島流奥義五感禁術・犠牲天眼。
両目に『木』の陰である『甲』の霊力を集中させることで、視覚を広範囲に分裂、拡散させ、周囲のありとあらゆる場所を見通す技である。
しかし、奥義、と題されている通り、霊力の細やかなコントロールと、かなりの量の霊力を必要とするため、非常に難易度が高い。
さらには、高濃度の霊力を両目に集中させるため、目に掛かる負担が大きく、使い続ければやがて失明してしまう。また、短時間発動していただけでも、一定時間がたてば回復するものの、その直後は視力が大幅に下がってしまうのだ。その為、月島流の技の中でも、禁術に指定されている。
非常にリスクが大きい技であるが、その反面、恩恵も大きい。実に使いどころが難しい諸刃の剣なのである。
沙耶は、その場で1つ大きく深呼吸。
「シィッ!!」
そして、跳んだ。
真上に跳躍、その後足の裏に霊力を集中、爆発させ、ケルベロスの居る場所へ、さらに跳躍する。木々の枝の隙間を縫うように跳び込んだ。
地面に激突する直前で、一本の太い枝に掴まる。勢いをそのままに、ぐるりと逆上がりの様に、一回転。腕が千切れそうになるほどの衝撃が襲いかかるが、耐える。勢いを殺して、ケルベロスの目の前に音も無く地面に降り立った。
まだ、ケルベロスはそこにいる。そう確認した沙耶は、今まで全方位100メートル近くまで向けられていた天眼の対象を、自身の周囲3メートル程度に集中させる。
今まで脳に流れ込んできていた情報が、一気に詳細な物へと切り替わった。周囲の木々の一本一本の葉まで明確に認識できるほど、事細かな情報が沙耶の脳に流れ込んでくる。
頭がパンクしそうだ。
脳髄を駆け巡る鈍痛に、沙耶は僅かに顔を歪めた。
情報の量的には、今までのものとさほど差は無いのだが、情報が細かくなったため、脳の負担が倍増したのだ。
「グロォォォォル!!」
3つあった首の内、1つが無くなり、いささか不格好になったケルベロスが吠える。だが、それでも威厳十分。一般人なら、この動作だけで気絶してしまうだろう。
まあ、その程度で退魔師が気絶していれば、退魔師の名折れと言うもの。沙耶は、顔色一つ変えずに、凌ぎ切った。
「破ァッ!」
この時、ケルベロスとの距離は、約2メートルほど。沙耶は、ケルベロスが吠え終わると同時に、勢いよく大地を蹴ってその懐へと飛び込んだ。
間髪入れずに半身になり、ガラ空きのケルベロスの胸部に肘を突き立てる。ドスッと言う鈍い音がして、肘は深々と突き刺さった。
「グオァ!?」
怯むケルベロス。クリーンヒットした肘鉄は、ケルベロスにそれなりのダメージを与えたようだ。
だが、沙耶は、そのまま連続で攻撃を加えようとはせず、バックステップで距離を取った。会心の一撃を放った筈なのに、顔色はあまり良くない。
「さっきの犬っころもそうだけど、やっぱり、こいつら滅茶苦茶硬いね……」
沙耶が、肘をさすりながら呟く。骨折していたり、罅が入っていたりしていないものの、あまりの衝撃に肘から先がしびれて感覚が無くなっているのだ。
どうやら、先ほどの一撃の際、命中の一瞬に霊力を纏わせ強化したが、それでも強度が間に合わず、ダメージが此方にも跳ね返って来たようだ。
しばらくさすっていると徐々に感覚が戻って来たようで、手を開いたり閉じたりして感覚を確認した後、腰を落として戦闘態勢に入った。
一方ケルベロスの方はと言うと、先ほどの一撃のおかげか、沙耶に向かって来ようとはせず、じっと警戒して、動向を窺っているのみである。
再び、漆黒の番犬と祓いし者は対峙する。
「――スゥゥゥ…………ヴォォォォォ!!」
先手を打ったのはケルベロス。有りっ丈の空気を胸にため込み、己の肺活量を最大限に利用し、強烈な勢いで吐き出す。吐き出された呼気は、大きな口を飛び出した瞬間、その身に紅蓮の焔を纏い、ありとあらゆるものを焼き払う殺戮兵器となった。
ケルベロスは、炎を吐き出しながら、その首を薙ぎ払う様にして振った。当然の如く、炎も薙ぎ払われる。
薙ぎ払うようにして振るわれた炎の奔流が、容赦なく周りに密集して生えている木々に襲いかかる。木々に燃え移った火は、瞬く間に辺りに蔓延し、大規模な森林火災となってケルベロスを包み込んだ。
だが、ケルベロスは全く堪えていない。さらには、炎を浴びることを楽しむようなそぶりまで見せた。本来なら、何物をも焼きつくす業火も、地獄の番犬には何の効果も発揮しないようだ。
「ウォォォォン!!」
ケルベロスは吠えた。
周りを炎に包まれ、遠吠えをするその姿は、この世のものとは思えないほど壮絶な光景である。正に、地獄の番犬に相応しい。
しかしその咆哮は、自身を鼓舞し、相手を委縮させる類のものではない。苛立ちから来るものだった。勘の鋭い者が聞けば、その中に僅かな苛立ちが混じっていたのが感じ取れただろう。
では、ケルベロスを苛立たせるものは一体何なのか。
言うまでも無く、沙耶――――敵が炎に巻き込まれていない事である。
ケルベロスが炎のブレスを吐くために、予備動作――肺に最大まで息を溜める動作――をした時、否、その前の段階で、もうすでにケルベロスとは十分な距離を取っていたのである。
何故そのような、予知じみた行為が可能だったのか。
無論それは、この短時間でケルベロスの動きを完璧に理解し、次にどのような動作を取るか手に取るように分かるから、では無い。
秘密は、先ほど天眼の対象を自身の周囲に集中させたことにある。
集中させた時の天眼の精度は、天眼の範囲内にあるすべての木々の葉、一枚一枚が鮮明に見えるほどだった。これは、常識を逸脱した、とんでもない精度だと考えてよい。
さて、天眼の範囲は、自身を中心として半径3メートル程度だった。当然ケルベロスもすっぽりとその範囲内入っているはずである。
天眼の精度が、常識を逸脱した、化け物じみたものであるならば、ケルベロスの体毛の一本一本まで詳しく見ることができるはずである。さらに言うなれば、その体毛の下、皮膚、そのさらに内側に存在する、はち切れんばかりに発達した、強靭な筋肉の動きまで、皮膚の動きを通じてつぶさに観察できるはずである。
生き物が、ある動作する場合、特別な動作で無い限り筋肉を使い、身体を動かす。また、動かす際に使用する筋肉は、縮むことしかできないという性質上、別の器官を使わない限りは代用することができない。
ならば、その筋肉を観測することが出来、尚且つその動きを瞬時に細かく分析出来るのであれば、その観察対象の動作を予測することが可能である、と言える。
勿論、こんなことをしようと思えば、スパコン並の性能を持った機器と、全身に電極なりを付けた被験者が必要になって来るので、実戦で使うことは、まず不可能だと考えていい。
しかし、理論上は、対象の筋肉をどんな形であれ正確に観測できること、観測結果を元に瞬時にその先の行動を予測できる演算機構がある、と言う条件をクリアしているのであれば可能であり、また、演算能力に多少の問題があったとしても、ある程度までなら可能性を絞ることが可能である。
さて、沙耶の使用する天眼は、正確な観測が可能である。そして、問題は演算能力であるが、天眼の情報を、情報過多による鈍痛に悩まされながらも処理しきっていることを鑑みると、演算能力には問題が無いと言えるだろう。
つまり、沙耶は天眼を使用すれば、相手の行動を予測することが可能なのだ。
そして、この行動予測こそが、天眼の真骨頂。1対1の戦闘において、相手の行動を予測できることは強力な切り札になる。
沙耶は、ケルベロスが息を吸い込んだ瞬間、それを予知し、石畳のある参道の部分まで後退したのだ。
「ウォォォォン!!」
再びケルベロスの遠吠えが聞こえてくる。直後、燃え盛る木々を薙ぎ倒して、参道に飛び出してきた。
沙耶は、全く慌てることなく半歩下がる。
その瞬間、ガチン! と音を立てて必殺の牙が空を噛んだ。
「せいっ!」
沙耶は、噛みつきが空振りに終わったことで出来た隙を見逃さず、ケルベロスの上の頭の顎に跳び膝蹴りを食らわせる。
「グォッ……!」
顎の下に直撃した膝は、一番上の頭に軽い脳震盪を引き起こした。目を回した事によって、頭が自重を支えきれなくなり、首がダランと垂れ下がる。
これまでにない好機! これで終わらせる!
無防備な頭を横殴りに蹴りつけ、さらに蹴りつけた勢いを利用して後ろ回し蹴り。さらにまた回し蹴りの回転を利用したストレート。身体の回転と捻りを最大限に利用した渾身の一撃は、深々とケルベロスの顔面へと突き刺さった。
だが、沙耶の演舞の様な連撃もそこまでだった。
沙耶がストレートを決めた瞬間、残っていた左側の頭が、噛みついてきたのだ。
渾身の一撃を決めた直後であるため、沙耶には僅かな隙が出来ていた。本来ならば、無抵抗の相手を攻撃するのには問題ない程度の隙。しかし、沙耶は残ったあと一つの頭を忘れていた。
攻撃をあっさりと許してしまうような、致命的すぎる隙。
沙耶は、成す術もなく左肩を噛みつかれた。
柔らかい皮膚を突き破って、牙が体内へ侵入する。
ブチブチブチ! と筋繊維が断ち切られるおぞましい音が体内に響く。そして、骨に当たった時の、ガツンという音と共に漸く止まった。
その瞬間、激痛が脳内を駆け巡り、目の前で火花が盛大に散った。一瞬意識が遠ざかり、周囲が暗くなったが、さらに後から来た苦痛に気絶すら出来なくなる。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァッ!!」
激痛に、思わず叫び声が口から迸る。
熱い熱い熱い熱いィィッ!!
噛みつかれた肩が急速に熱を持ち、まるで焼き鏝を当てられたようになった。
どう考えても、噛みつかれただけの痛みではない。退魔師と言う戦闘経験が豊富な職業についている沙耶なら、この程度の怪我なら2、3回は経験している。
経験があるのと、我慢できるのとはイコールではないが、それでも、未経験と経験済みでは我慢が効く程度が異なって来る。
経験しているはずの沙耶でも我慢しきれないような痛み。
その原因は、牙にあった。
ケルベロスの3つの頭の内、左の頭は毒のブレスを吐いた。毒のブレスを吐くならば、その牙にも毒腺がある可能性が高い。
そして、この牙には毒腺があった。
その毒の種類は神経毒。血液に直接注入しなければ効果を発揮しないタイプだが、一度血液内に入ってしまえば、10秒ほどで身動きが取れなくなってしまう様な、かなり強力な毒だ。しかも、性質の悪い事に、苦痛を倍増させるという効果もあった。
この面白くもないおまけのせいで、沙耶はこれほどの苦痛を味わったのだ。
ズボッと音を立てて牙が抜かれた。血と牙の先から滲み出た半透明の毒で、牙がぬらぬらと光を反射している。
牙を抜かれた反動に耐え切れず、沙耶は、糸の切れた操り人形の様に地面に崩れ落ちる。崩れ落ちた沙耶は、身じろぎ一つしない。否、出来ない。もう完全に毒が回ってしまったのだ。
それを見たケルベロスの瞳が、まるで愉悦を感じているかのように、スウゥっと細くなる。
そして、大きく口を開け、食らいつく。目の前が暗闇に包まれる。
それが沙耶が最後に見た光景だった…………。
読んでいただき、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
私としては、良く書けました。
ですが、死闘編がこの話で終わると言っていたのに、もう後一話ほど続きそうです。
冬休み中に更新できたらいいなぁ……。
感想、批判、指摘、誤字脱字の指摘、その他もろもろ待ってます!(辛口でもオッケイです。また一言だけでも大丈夫。作者の励みになります)
それでは皆様。
良いお年を!