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女子ボートレーサー と市役所職員  作者: 池井 けい
第1章 住民課、丹沢純也
6/20

06 丹沢、初めてのボートレース場 編

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【あらまし】

 丹沢純也は速水爽香が実際に住んでいるか調査を行ったが確認できなかった。


 丹沢の部屋に同期入所の税務課の由利源吾(ゆり・げんご・30歳)がやって来た。

由利「丹沢さんが市役所を辞めたら、二度と丹沢さんと会えなくなるかもしれないし。私の最後の頼みだ」

と言って由利は落ち込む丹沢を無理矢理ボートレース場に誘った。丹沢がボートレース場に行くのは初めてだった。初めて見るボートレースに、丹沢は次々ととっぴな言動をとる。


 はたして、丹沢は爽香の居住確認が出来るのだろうか……

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【主な登場人物】

速水爽香(はやみ・さやか)  20歳女 転入届が虚偽なのか調査されている

丹沢純也(たんざわ・じゅんや)30歳男 窓口担当、主人公、単純な人間

由利源吾(ゆり ・げんご)  30歳男 税務課職員、丹沢と同期入所

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【前書き】

●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております

●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました

●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです

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【01】 丹沢、初めてのボートレース場


 翌日、日曜日。丹沢の部屋に税務課の由利がやって来た。

 由利源吾(ゆり・げんご・30歳)、丹沢と同期で入所し、業務は税金の賦課(税金をかける)を担当している。由利は大学で言語学を専攻していただけあって、日本語には滅法詳しかった。

 二人は同期であり、お互い独身ということもあり、職場以外でも親しくしていた。周りでは、二人の会話を聞いていて「まるで漫才のボケとツッコミね」と言う者さえ居た。


由利「どうした? 元気がないな」

丹沢「やっぱりわかるか?」

由利「当たり前だよ、何年付き合っていると思っているんだよ」

丹沢「みつきだっけ?」

由利「ボケるにしても、こっちが『年』で聞いているのに『月』で答える奴があるかいな!」

丹沢「ははははは」

由利「どうせボケるのなら『80年』とか『誇張ボケ』して欲しいな」

丹沢「そうだった、失敗失敗。相変わらず鋭いな」

由利「性分だから仕方ない」

丹沢「そうだな」

由利「丹沢さんが辞めるという噂を、住民課の職員からチラッと聞いたが、本人に聞いた方が間違いないと思って、ここに来たよ」

丹沢「『本人に聞きたい』と言うのなら辞めさせる鬼塚課長に聞けば良かったのに?」

由利「……」

 由利が突然、部屋の中を見渡して何かを探し始めた。

丹沢「おいおい、無視かよ!」

由利「『無視ボケ』の練習もしておかないとな」

丹沢「グッドだよ!」

由利「なんで、あんな悪党の鬼塚から聞かなあかんねん? 当然、親友の丹沢さんに聞くだろう?」

丹沢「ははははは。そうか『退職願』の件、知っていたのか」

由利「ビッグニュースだからな。一体何があったのか詳しく聞かせてくれないか?」

丹沢「ああ、構わないよ」


 丹沢は、速水爽香が転出証明書を持っていなかったこと、番号札が531番で350人待ちだと思っていたこと、二か月後に転入届を受付したことなど事細かに話した。

由利「そうか、番号札が531番で、今188番が呼ばれたから、あと343人待ちだって。そんなおバカが今どき居るのか?」

丹沢「居たんだよ」

由利「行列の出来るラーメン店だって、いくらなんでも343人は並ばんぞ」

丹沢「ははははは」

由利「そんな面白いヤツが、まだ生存しているんだ?」

丹沢「うん、しかもこの街に」

由利「街中に警戒警報が必要だな」

丹沢「そんなバカな」


由利「そうか、転出証明書を持ってなかったのか。世の中、転出証明書が必要書類だと知らない人は多いんじゃないかなぁ」

丹沢「なるほど。一般人からすると、常識には入らない訳か」

由利「決して常識とは言えないだろ」

丹沢「私が毎日、転出証明書を見ていたから、常識だと錯覚していたんだな」

由利「その女性が役所に来たのは、二度とも曜日は水曜日だったんだ?」

丹沢「それが何か?」

由利「いや、確認しただけだ。そして『仕事は水に関係あり』って言ってたんだな」

丹沢「ああ」

由利「それともうひとつ。その女性はテニスボールを持ってたって?」

丹沢「うん、なんのおまじないなんだろうな?」

由利「変わっているな」

丹沢「うん」

由利「金曜日は、その女性の自宅に行っても会えなかったんだ?」

丹沢「あぁ、そうだ」


由利「それだけで住民課長は虚偽の届け出だと決めつけたのか?」

丹沢「いや、それだけではないな。その部屋の水道使用量が、一ヶ月で風呂2、3回分だったらしく『そんな量で人が住んでいる訳がない』と」

由利「あの課長、そこまで調べたんだ」

丹沢「うん」

由利「相手もなかなかやるもんだな」

丹沢「相手を褒めてどうするんだ」

由利「相手を知ることも必要だろう」

丹沢「いつもながら冷静だな」

由利「ところで、どうだ、ボートレースにでも行ってみないか?」

丹沢「また急にどうしたんだ?」

由利「丹沢さんは、ボートレースを見たことがないよな?」

丹沢「うん。ない」

由利「こんな近くにあるのに?」

丹沢「あまり興味がなくて」

由利「退職するのなら一度ぐらい見ておいた方がいいんじゃないか? 次の就職活動に入ったら忙しくなるから」

丹沢「次の就職ねぇ?」

由利「私は、ちょっとボートレースが見たいな」

丹沢「こっちは、そんな気分じゃないんだ」

由利「そんな、ふさいでいてもしょうがないだろう?」

丹沢「でも、仲間たちが、私のために速水爽香の部屋を見張っているというのに、私だけボートレース場に居たら、仲間の信頼を裏切ることになる」

由利「そのことなら大丈夫。私が嫌がる丹沢さんを無理矢理誘った、と伝えるから」

丹沢「でもなぁ~」

由利「もう、退職届を出したんだろう?」

丹沢「うん」

由利「役所勤めの最後ぐらい、私とデートしてもいいだろう?」

丹沢「なんで男とデートしなきゃいけないんだ?」

 丹沢がぶっきらぼうに言った。

由利「まぁ、そう怒らずに。丹沢さんが市役所を辞めたら、二度と丹沢さんと会えなくなるかもしれないし。私の最後の頼みだ」

 由利が両手を合わせて、土下座をして頼み込んだ。

丹沢「わかった、わかった! そこまでされちゃ、仕方ないな。でも、ちょっとだけだよ」

由利「もちろん、ちょっとだけさ。よし決まった! これからボートレース場に行くぞ!」

丹沢「ところで、いろんなレジャー施設があるのに、なんでボートレース場なんだ?」

由利「そんなことは簡単さ。単に私が、ボートレースが大好きだからさ」

丹沢「なるほど、それは分かりやすい理由だな」

由利「こんな面白い遊びは、他に無いぞ。一度見たら病みつきになるって」

丹沢「ほんとかなぁ?」

由利「まあいいから、行くぞ!」


 埼玉県『ボートレース戸田』。

 日曜日ということもあって場内は賑わっていた。丹沢と由利は入場料百円を払って中に入った。

由利「いまどき百円で一日中ボートレースを見て楽しむことができんだから安いものだ」

丹沢「それは安いな。今、どこのレジャー施設に行っても千円以上かかるぞ」

由利「うん、まったく」

丹沢「ボートレースって両手でオールを漕いで競うのかい?」

由利「ははははは、そんな訳ないだろ!」

丹沢「じゃぁあ、ペダルを漕いで競うんだ?」

由利「スワンボートじゃないって!」

 丹沢は無理におどけて見せた。由利もそれにのった。


丹沢「いゃー、初めて来たけれども素晴らしい所だねぇ」

由利「えーっ、初めてなんだ」

丹沢「それが何か悪い?」

由利「ボーレース場がこんなに近いのに一度も来たことがないなんて信じられない!」

丹沢「由利さんみたいに、ギャンブラーじゃないからね、私は」

由利「ギャンブルは、いいよー。ギャンブルをやってる間は、仕事のことも世間のこともすべて忘れてそれだけに夢中になれるから」

丹沢「それはいい。今は正にその気分だ」


由利「いいかい、ここでは船外機をつけたボートが時速80キロで水面を走っていくんだぞ」

丹沢「スピード違反で捕まるぞ!」

由利「大丈夫。今日はパトカーが居ないから」

丹沢「そうだよな、今日はパトカーも休みだよな。……って、どうやってパトカーが水の上を走るんだよ!」

 丹沢が、ノリツッコミの練習をした。

由利「レースの距離は1800m、その距離を6艇のボートで競うんだ」

丹沢「2艇で勝負するんじゃないんだ?」

由利「2艇だと観客全員、舟券が的中しちゃうからな」

丹沢「ふむふむ、6艇ってことは全部で6枠か。中には競馬と間違って『1―8』とか買う客も居るんじゃないの?」

 丹沢はギャンブルをしないが、テレビで競馬中継を見たことがあった。

由利「いない、いない!!」

丹沢「そうか、ならいいが。この世の中、いろんな奴が居るからな」

由利「速水爽香の番号札のことか?」

丹沢「ぐははははは!!!」

 由利の言葉が、丹沢が考えていることの的を射た。


丹沢「レース場に、こんなに人がいるとは思わなかったなぁ。それに女性客が多いのにびっくりしたなぁ」

由利「あぁ、年々女性のファンも多くなるね」

丹沢「へぇー、そうなんだぁ。この観客の中に速水爽香が居たら最高なんだけどなぁ」

由利「居るかもね?」

丹沢「居ない居ない! そんなテレビドラマじゃあるまいし、居る訳がない! 居たってこんなに多くちゃ見つからないよ」

由利「もし、速水爽香に遇ったら丹沢さん、顔わかるの?」

丹沢「もちろん、わかるよ」

由利「もう何週間も顔を見てないのに覚えてる?」

丹沢「それは忘れないよ、あれだけ揉めた相手だから」

由利「なるほどね。でも、それだけが理由なの? 結構、丹沢さんの好きなタイプだったりして?」

丹沢「とんでもない、誰が好きになるかって! 嫌な女さ、うるさくて、攻撃的で」

由利「そんな女性なんだ」

丹沢「ただ、それでも私は、会う人誰でもみんなを好きになろうと努力はしているんだ。年齢とか、外見とか、性格とか関係なく」

由利「丹沢さんは、ストライクゾーンを広げようと努力しているんだ」

丹沢「そう言うことかな、まぁ窓口業務を長年やってきたからなぁ。この仕事を続けるためには、誰でも好きになることが必要なんじゃないかな?」

由利「もし速水爽香に会ったら50mぐらい離れていてもわかるかい?」

丹沢「多分ね」

由利「そんなに離れていてもわかるんだ。丹沢さんは視力がいいんだな」

丹沢「両眼とも視力は1.5だけれど、」

由利「それはすごい、実はボートレーサーも視力が良くないとボートレーサーにはなれないんだ」

丹沢「へぇーっ、視力って大切なんだ」

由利「うん。そうだ、丹沢さん市役所やめたらボートレーサーになってみては? きっと良いレーサーになると思うな」

丹沢「それはいい情報だ、でも年齢制限は大丈夫かな?」

由利「あっそうか、ダメだ。なら、ボートレースの予想を極めて、舟券師になればいいんだ」

丹沢「舟券師って?」

由利「ボートレースの舟券を買って、的中させ、それだけで食べていく人」

丹沢「そんなすごい人間がこの世の中には居るんだ。舟券を買って食べていくんだ。舟券ってそんなに美味しいのか?」

由利「ちゃうちゃう」

丹沢「お前はチャウチャウ犬か?」

由利「舟券をそのまま食べる訳がないだろう。マヨネーズとケチャップをかけて食べるんだよ」

丹沢「そうか、マヨネーズとケチャップをかけて食べるのか、そこにマスタードもかけたいな……って、そんな訳ないだろ!」

 丹沢が由利の胸を軽く叩いた。

由利「公務員は、仕事を辞めても失業保険が出ないんだから、舟券師は適職かも?」

丹沢「そうか、うん、選択肢のひとつにしておくよ」


由利「丹沢さん、ちょっとここに居てもらえるかな。私、ボートレースの専門紙を買ってくるから」

丹沢「そうか、じゃあ私も一緒に行くよ」

 二人は専門紙売り場に行った。専門紙売り場で3種類、『リード』『探求』『ニーズ』という名の競艇専門紙が売られていた。

由利「丹沢さんはどの専門紙を買う? 私が払うよ」

丹沢「そうか、悪いな」

由利「私が誘ったからさ」

丹沢「そうだな、どれがいいかな?」

由利「丹沢さんは3種類の中から好きなの選んでみて、私は丹沢さんの選んだ以外の専門紙を買うから」

丹沢「一緒じゃなくていいの?」

 丹沢が競艇専門紙『リード』を、遅れて由利が『探求』を手に取った。

由利「別の専門紙だと予想が違うから。載っている情報も多少違うし、データは多い方が当たる確率が高くなるでしょ」

丹沢「やっぱりギャンブラーは違うなぁ。私なんか素人だから、舟券を買っても多分当たらないんだろうな」

由利「もし予想がつかないときは、舟券を買わなくてもいいんだよ」

丹沢「そうなんだ、見てるだけでもいいのか」

由利「でも、もし良ければ百円でもいいから舟券を買うと、そのお金の一部が地域や福祉に寄付されて丹沢さんは日本に貢献できるよ」

丹沢「なんかそれテレビのコマーシャルで見たことがある。そう言うことだったんだ」

由利「うん」

丹沢「よし、わかった。今何レースだい?」

由利「これから1レースだ」

丹沢「じゃあ1レース百円だけ買ってみる。どれどれ、」


【02】 予想の印


 丹沢がボートレース専門紙の1レースの所を見始めた。

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『ボートレース戸田』 4日目 1レース 予選 男女混合一般戦

◎ 1号艇 柳田  肇 32歳 A1級 勝率6.76  成績141551

×  2号艇 野川 孝弘 47歳 B1級 勝率4.60  成績6 2 22 

○ 3号艇 三上  昴 24歳 B1級 勝率5.47  成績536 21

  4号艇 森尾 真紀 39歳 B1級 勝率4.89  成績2 3441

△ 5号艇 天崎 智一 35歳 B1級 勝率5.36  成績22534

  6号艇 山田 修二 27歳 B1級 勝率5.16  成績F 6 6 

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丹沢「あれっ、これ、人の名前が6人書いてある。競馬の『オグリキャップ』や『ハイセイコー』みたく、ボートレースも『トップボート』とか『グレート レーサー』みたいな名前があるんじゃないの?」

由利「丹沢さん本当に初めてなんだなぁ。ボートレースでも競輪でもオートレースでも人の名前、つまりレーサーの名前で出場するんだよ」

丹沢「へぇー知らなかった、とにかく初めてだからね。公営競技のレーサーはみんな好きな名前を付けるのかと思った」

由利「馬は名字や名前がないから9文字以内の馬名を登録するのだけれど、人間には名前があるからね」

丹沢「ははははは。じゃぁ、プロレスラーみたくリングネームを作れば良いのに。「アントニオ猪木」みたく、例えば『ゴーイング佐藤』とか」

由利「ははははは。そーだね、ボートレーサーもレーサーネームを作ったら面白いだろうな。『マクリ加藤』とか『インニゲ北原』とか」

丹沢「ははははは、さっぱりわからない」

 丹沢が顔を細目でたれ目にして言った。

由利「ごめんごめん、忘れて!」

丹沢「よし決めた、『1―3』を買う」

由利「それ一番人気の舟券だよ。あんまり配当がつかないけれどいいの?」

丹沢「一番人気って?」

由利「このレースで言えば、舟券を買う人の多くが『1着が1番』、『2着が3番』になると思っているってことさ」

丹沢「由利さんは、なんで多くの人が『1着が1番』になると分かる訳?」

由利「だって専門紙に、1番の選手の所に二重丸『◎』が付いてるだろう」

丹沢「二重丸『◎』? えっ、この印と一番人気とどう繋がる訳?」

由利「二重丸『◎』は、『本命』と言ってこのメンバーで1着の可能性が最も高いという印だよ」

丹沢「えっそうなの???」

由利「えっ丹沢さんはなんだと思ったんですか?」

丹沢「天気の『曇り』の記号だよ」

 由利が大きく足下から崩れ、地面に手を着いてコケた。由利のオーバーなリアクションである。

丹沢「だって、今、曇りだから」

 丹沢が空を差しながら平然と言った。

由利「丹沢さん本当に初めてなんだな。なんにも知らないんだ?」

丹沢「そうだよ、さっきも言ったじゃん」

由利「 じゃぁ『1―3』の『3』も、もしかして天気記号の『快晴』ってこと?」

丹沢「当たり!」

 由利に向かって指さして言った。

由利「ガクッ!!」

丹沢「今日の天気予報は『曇りのち快晴』だろ」

由利「丹沢さんの予想は、天気予報の予想と一致させる訳だ」

丹沢「そうだよ。しかし由利さんは良く天気記号を覚えているね」

由利「こんなことで褒めてもらえるとは思ってもいなかった。できれば他のことで褒めてもらいたかったな」

丹沢「ははははは」

由利「良かった、良かった。丹沢さんの笑い声が聞けて。退職願を出した男とは思えないな」

丹沢「退職願を出したくらいどうってことないさ、命まで取られる訳じゃないし。ははははは」

由利「そうだよね。市役所を辞めたら舟券師になればいいんだから」

丹沢「舟券師かぁ。それはともかく、気分転換の意味で誘ってもらってよかったよ、感謝してるよ」

由利「私もボートレースを見ると気分がスカッとして、脳からドーパミンがでるんだ」

丹沢「どんな感じで出るんだ?」

由利「ドーパーっと」

丹沢「ははははは」

 二人が何度もやってるギャグだった。


【03】 どこがゴールなんだ?


 由利と丹沢は舟券を買うと、第1ターンマークに近い所で見ることにした。由利が丹沢にターンの迫力を見てもらおうとの計らいであった。

丹沢「さぁ、『1―3』でゴールしろよ。だが待てよ?」

由利「どうかした? 」

丹沢「どこがゴールなんだ?」

由利「ゴール?」

丹沢「そうだよゴールだよ、ゴールラインがどこにもないじゃないか」

由利「ははははは。そうだよな。初めてボートレース場に来た人の多くが『ゴールはどこか?』って聞くね」

丹沢「そうだろう」

由利「あそこに大きな時計みたいな物があるだろう?」

丹沢「ああ」

由利「あの時計の横がゴールラインだ」

丹沢「そうか。でもゴールのテープが無いからわかりにくいなぁ」

由利「まぁ仕方ないんじゃないか? 水面だから」

丹沢「それなら私がスイミングパンツをはいて、立ち泳ぎをしながらチェッカーフラッグでも振ろうか?」

由利「それは良いアイデアだ! 今からスイミングパンツを買ってこようか?」

丹沢「いいよ、いいよ。こんな話、そんなに膨らませなくていいから」

由利「ははははは。丹沢さん、泳ぎは得意なの?」

丹沢「うん、得意だよ。こう見えても学生の頃は『フジヤマの()()ウオ』と言われていたんだから」

由利「えっ? 『フジヤマの()()ウオ』じゃなくて?」

丹沢「『立ち泳ぎ』が得意だったから『()()ウオ』だね」

由利「ははははは。でも、チェッカーフラッグを振るのが男じゃなぁ」

丹沢「じゃぁ、アーティスティックスイミングのお姉さんたち6人を呼んで、泳ぎながら一斉に旗を振らせたら? 絶対に観客が増えるぞ!」

由利「それはいい! でも、レーサーがお姉さんたちに見とれて事故を起こしかねないな」

丹沢「なるほど。でもその方が客が増えるのになぁ、残念!」

由利「確かに」

丹沢「ところで、あの時計、今何時なんだ?」

由利「ああ、あれね」

丹沢「数字も無いし、止まっているみたいだし、役に立たないなぁ」

由利「そりゃぁ、お宅の課長だろう」

丹沢「いや、あれでもいい所もあるんだよ」

由利「どこが?」

丹沢「職員みんな、メンタルが強くなる」

由利「そうかい?」

丹沢「それと、あれほどの悪者が居るお陰で、私のような2番目の悪者が目立たないで済む」

由利「ははははは」


 丹沢が大時計を指さし、

丹沢「あの置時計は、何に使うんだ?」

由利「なんであれが置時計だと思うんだ?」

丹沢「まさかあれは腕時計じゃないだろう。あれを腕にして歩いている人間を見たことが無い」

由利「ははははは。じゃぁ、目覚まし時計とは思わないか?」

丹沢「それも無いな」

由利「どうして?」

丹沢「あんな大きな時計のアラームが鳴ったって、てっぺんのストップボタンが押せないもん」

由利「ははははは。素晴らしい!」


 その後、由利は、スタートと大時計の関係を簡単に説明した。そして最後に、

由利「大時計の地点を、時計の針が真上の『0』から『1』秒後までに通過しないといけない、というのがルールなんだ」

丹沢「随分詳しいんだな」

由利「もう何年もボートレースやってるからな」


【04】 転覆だ! レーサーが沈んだままだぞ!


♪ファンファーレとともに、6名のレーサーが水面に出てきた。

 戸田ボートレース場、第1レースが始まった。

丹沢「おっ、ボートが6コ出てきたぞ」

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『ボートレース戸田』 4日目 1レース 予選 男女混合一般戦

◎ 1号艇 柳田  肇 32歳 A1級 勝率6.76  成績141551

× 2号艇 野川 孝弘 47歳 B1級 勝率4.60  成績6 2 22 

○ 3号艇 三上  昴 24歳 B1級 勝率5.47  成績536 21

  4号艇 森尾 真紀 39歳 B1級 勝率4.89  成績2 3441

△ 5号艇 天崎 智一 35歳 B1級 勝率5.36  成績22534

  6号艇 山田 修二 27歳 B1級 勝率5.16  成績F 6 6 

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 6艇が、丹沢の居る場所から遠い第2マークに集まっていた。

丹沢「ところで1番はどいつだ? 何色のヘルメットだい?」

 由利が大きく足下から崩れ地面に手を着いた。由利のオーバーリアクションである。

由利「白だよ白」

丹沢「ピンクじゃなかったんだ」

由利「ピンクなんか走ってないだろう? なんでピンクなんだよ?」

丹沢「私がピンク大好きだから」

由利「そう言う理由?」

丹沢「そう言う理由じゃ悪い?」

由利「スケベな奴だ」

丹沢「そんな、褒めないでくれ」

由利「ボートレースでは、ピンクの色は無いんだ」

丹沢「だから変だと思ったんだ」


由利「いよいよ始まりますよ」

実況「スタート10秒前、5秒前、3、2、1、スタート!!!」

丹沢「おっ、6艇が一斉に走り出したぞ! すごい音だな」

由利「よしっ、森尾行け!」

 6艇が轟音をなびかせ2人の目の前を走って行く。

丹沢「おおーっ!!!」

 丹沢は、その迫力を肌で感じた。

丹沢「これじゃ、ドーパミンも出るな」

由利「そうだろう。ドーパーっとね」

丹沢「すごいなぁ、ターンマークを目指して複数のボートが、ごちゃごちゃになったぞ!」

由利「あそこのターンで順位がほぼ決まるんだ」

丹沢「危ない!!!」

由利「ぶつかった!」

丹沢「一艇ひっくり返ったぞ!」

由利「転覆だ!」

丹沢「大丈夫かな?」

由利「ケガしてなければいいんだが」

丹沢「レーサーが沈んだままだぞ!」


 そう言うと丹沢は上着を脱いで、観客席から第2ターンマークで転覆した舟の方に走って行った。それを由利が追いかける。

丹沢「私が助けてやる!!」

由利「ちょっと待って!」

丹沢「レーサーの命がかかっているんだぞ!」

由利「丹沢さん、待って! 待って!」


 丹沢がズボンを下ろしながら水面淵のフェンスに登り始めた。由利がその下げたズボンを捕まえた! 

 丹沢は、ズボンを脱ぎ捨てようと、ズボンを蹴飛ばした。由利はズボンと一緒に蹴飛ばされた。  

 丹沢は、フェンスを越えたが、バランスを失った。

丹沢「ああっ、落ちる!」


 ボートレース場の水面には、『消波装置』という波を消すオレンジ色のボードが浮いている。

 消波装置は、両岸から1mほど離してコース一面に張り巡らされている。丹沢は消波装置とスタンドの間の水面に落ちた。

「ドボン!!」


 その時だった。1マークのブイ付近からレーサーが、ひょっこり浮き上がって来た。

 そして、続いて丹沢も水面に浮き上がって来た。

丹沢「あれっ? あいつ浮いて来たぞ」

 丹沢が沈んだはずのレーサーを横目で見ながら言った。


由利「丹沢さん、レーサーが浮き上がって来た。大丈夫みたいだよ」

丹沢「えっ!」

 丹沢が水面から答えた。

丹沢は急に力が抜け、脱力感が全身に伝わっていった。

「ブクブクブク……」

 丹沢が一旦沈んで、また浮き上がった。


由利「転覆したレーサーだけれど、溺れて沈んだ訳じゃないんだ」

 由利がフェンス越しに言った。

丹沢「えっ! なんだって? それ、早く言ってよ~」

由利「だから『丹沢さん、待って! 待って!』って、叫んだじゃない」

丹沢「そうだっけ?」

由利「そうだよ。言っても聞かなかっただろ。レーサーは、転覆したボートの下に隠れていたんだよ」

丹沢「なに言ってるの? 6人で、かくれんぼしてたの?」

由利「ひっくり返ったボートの下で、ハンドルを握っていたんだよ。『ハンドルだけはどんなことがあっても絶対に離すな』って養成所で教わるらしいよ」

丹沢「なんのために?」

由利「そこが一番安全だから」

丹沢「どういうこと?」

由利「ボートのプロペラってとても危険なんだ。腕や足が切れてしまうくらいに。だから他のボートに轢かれないようにボートをたてにして身を守るんだ」

丹沢「それで身を隠していたのか?」

由利「うん。選手の中には、ハンドルを放さないように、握力を付けているものも居るんだ」

丹沢「それ、早く言ってくれる?」

由利「それ、早く聞いてくれる?」

丹沢「この水の中に居る私の立場は、どうなるんだ?」

 丹沢が水面に顔を出しながら言った。

由利「潜ってタニシでも取って来る?」


 そこに場内警備員2名がかけ足でやって来た。

警備「あなた、何やってるんですか!!!」

 警備員が水面に浮かんでいる丹沢を指さしながら言った。

丹沢「はぁ、えー、まぁ、そのー」

由利「丹沢さんは、転覆して落水したレーサーを助けるために飛び込んだのです」

警備「丹沢さんて言うのね、この人?」

丹沢「はい、そうです」

警備「丹沢さん見えますか? あそこにレスキュー艇という船がいるのを」

 警備員が落水したレーサー付近を指さしながら言った。

丹沢「えっ?」

 転覆したレーサーの近くにレスキュー艇が停まっていた。

警備「ボートレース場には、事故があったときのために、常にレスキュー艇が待機しているんです。ご存じないのですか?」

丹沢「それ、早く言ってくれる?」

警備「それ、早く聞いてくれる?」

警備「まさか、あなた、レースを妨害するために飛び込んだんじゃないでしょうね?」

由利「丹沢さんは、本当に落水したレーサーを心から心配して飛び込んだのです!」

警備「怪しいな?」

由利「そんな言い方をしなくても。丹沢さんは『純粋』なんですよ!」

警備「『純粋』なのか、『アホ』なのか、良くわからないなぁ?」

由利「『アホ』かも知れませんが、こんなに純粋な人は滅多に居ないんです!」

警備「わかった、わかった。今回は見逃すから早くそこから出て!」

 丹沢は水面から陸へと這い上がり、フェンスを登ってスタンド側に戻ってきた。丹沢が出てきたことを確認すると警備員2人は戻って行った。


 丹沢はボートレース場内のトイレに行き、濡れたポロシャツを良く絞り、手洗い場のハンドドライヤーで乾かし始めた。由利もそれに付き合った。

丹沢「ところで今のレース、1、2着は?」

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『ボートレース戸田』 4日目 1レース 予選 男女混合一般戦

◎ 1号艇 柳田  肇 32歳 A1級 勝率6.76  成績141551

×  2号艇 野川 孝弘 47歳 B1級 勝率4.60  成績6 2 22 

○ 3号艇 三上  昴 24歳 B1級 勝率5.47  成績536 21

  4号艇 森尾 真紀 39歳 B1級 勝率4.89  成績2 3441

△ 5号艇 天崎 智一 35歳 B1級 勝率5.36  成績22534

  6号艇 山田 修二 27歳 B1級 勝率5.16  成績F 6 6 

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由利「1着1番、2着5番、3着4番」

丹沢「あれっ3番はどうしたんだ?」

由利「転覆したのが3番だよ」

丹沢「なーんだ。じゃあ掛け金が戻ってくるのか?」

由利「いや、転覆は失格となりお金は戻ってこない」

丹沢「ってことは、ハズレってこと?」

由利「早い話がそうなる」

丹沢「遅く言ってもそうだろう?」

由利「まぁ」

丹沢「なんだ、それなら助けに行くんじゃなかった」

由利「まぁ、変わり身の早いこと!」

丹沢「冗談だよ、ははははは」

由利「ははははは」


丹沢「ボーレースのことは良く知らないけれど、誰だって好きで転覆している訳じゃないんだろ」

由利「うん、その通り!」

丹沢「3番のレーサーは転覆したけれど、すごいと思うよ」

由利「えっ! どうして?」

丹沢「舟券を買ってくれた人のために、その内の百円は私だけれど。勝利にこだわり、危険を冒しても、ターンマークへ突っ込んでいったからさ」

由利「だからボートレースは『水上の格闘技』と言われているんだ」

丹沢「なかなか良いキャッチフレーズだね」

由利「うん、私も気に入っている」

丹沢「ボートレーサーは、自分の舟券を買った人のために一生懸命仕事しているんだよ」

由利「自分のためにじゃなくて、ひとのためにか」

丹沢「自分のためだけなら、そんな転覆や大ケガ、更には命の危険まであるのに突っ込んでいかないだろう」

由利「ある意味、市役所職員である消防職員が火の中を助けに行くのや、丹沢さんが市民のために全力で窓口業務を遂行しているのと同じってことだな」

丹沢「世の中みんな一生懸命働いているんだよ。ははははは。それはそうと、さて次は当てるぞ!」

由利「そうだよ、次こそ当てよう!」

丹沢「さて、ボートレース専門紙の予想はどうなっている?」

由利「どれどれ、」


 トイレでポロシャツを乾かしているうちに第2レースは終わっていた。

由利「第2レースは終わっちゃったね」

丹沢「じゃぁ、次は3レースだな」

由利「うん」

丹沢「なになに?」

 丹沢が専門紙を折り返して、3レースの出走表に目をやった。

由利も同じように専門紙を折り返して、3レースの出走表を見始めた。


丹沢「なんだ、これは!!!」

 そう言うと丹沢が思わず専門紙に顔を近づけた。

 由利が隣でニヤニヤしながら丹沢の顔を見つめていた。丹沢の顔が専門紙で隠れた。

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『ボートレース戸田』 4日目 3レース 予選 男女混合一般戦

◎ 1号艇 寺島  翔 34歳 A1級 勝率7.17  成績215112

  2号艇 上條 進一 55歳 B1級 勝率3.84  成績6 2246

○ 3号艇 眞野 英三 36歳 A2級 勝率6.09  成績13 324

△ 4号艇 三善 秋幸 26歳 B1級 勝率4.52  成績426 53

×  5号艇 徳山 秀紀 38歳 A1級 勝率7.01  成績122122

  6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00  成績6 6666

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 丹沢はボートレース専門紙を顔から少し離すと、6号艇を指さし、

丹沢「なんだ、これは!!! まさかあいつか?」

 丹沢は、眉毛を上げて叫んだ

 そこには『速水爽香』と印刷されていた。

由利「ついに見つけたね!」

 由利が声高らかに言った。


【05】ついに爽香を発見か?


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『ボートレース戸田』 4日目 3レース 予選 男女混合一般戦

◎ 1号艇 寺島  翔 34歳 A1級 勝率7.17  成績215112

  2号艇 上條 進一 55歳 B1級 勝率3.84  成績6 2246

○ 3号艇 眞野 英三 36歳 A2級 勝率6.09  成績13 324

△ 4号艇 三善 秋幸 26歳 B1級 勝率4.52  成績426 53

×  5号艇 徳山 秀紀 38歳 A1級 勝率7.01  成績122122

  6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00  成績6 6666

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丹沢「本当にあいつなのか? それとも同姓同名か?」

由利「『あいつ』の方だと思うけれど」

丹沢「本当に速水爽香かどうか6番の選手の顔が見たいな、何か良い方法はないかな?」

由利「あそこに赤と白のソフトクリームみたいな三角のブイがあるよね?」

丹沢「うん、見える」

由利「あれが第2ターンマークで」

丹沢「うん」

由利「第2ターンマークの所に、レースが始まる前、必ず6選手全員が集まるんだ」

丹沢「なんのために?」

由利「コースの取り合いと、スタートラインまで助走をつけるために」

丹沢「ふーん、そうなんだ」

由利「あそこなら、レーサーの顔がいちばん見えるよ」

丹沢「わかった! よし、そっちへ移動しよう」

 二人は、第2ターンマークに近い方へと歩いて行った。

丹沢たちが第2ターンマークに最も近い地点にやって来た。

由利「第3レースのレーサーが出てくるまで少し時間があるな」

丹沢「それなら第3レースの舟券を買ってくるよ」

由利「そうだな。そうしよう!」


 舟券売り場で、

丹沢「1着を気の強い速水爽香で、2着をその他大勢全部、百円ずつください」

売場「『気の強い』って6番のこと?」

丹沢「そうそう、それそれ」

売場「レーサーは皆んな『気が強いからね』」

丹沢「そうなんですか?」

売場「そうよ。そうでなくちゃやっていけないでしょう? 6番から流すのね?」

丹沢「『流す』?」 

 横から由利が、

由利「そういう券の買い方を『6番から流す』と言うんだ」

丹沢「そう? じゃぁそれで」


 丹沢は百円ずつ5点、合計五百円を買った。

由利「6番から流しか」

丹沢「『流し』って、ここは台所か?」

由利「ボケるにしては面白くない!」

丹沢「確かに」

 丹沢がうなだれた。

丹沢(う~ん、まだまだボケが未熟だな。そう考えると吉本の連中はすごいな)

由利「うん。それにしても丹沢さん、すごい舟券を買ったね」

丹沢「何が凄いの?」

由利「頭が(1着が) 6番なら、配当が相当つくよ」

丹沢「へぇーそうなんだ。オッズ(配当金の倍率)を見ないで買ったからさっぱりわからないや」

由利「速水爽香の今までのレース成績を見た?」

丹沢「いや見てない。とにかく6番が、私の探している速水爽香だと信じて買ってみた」

由利「速水爽香が1着だと当てるのでは無く『速水爽香が転入者本人だ』と当てたいのね?」

丹沢「そうなるかな」

由利「そうだと思った。それじゃ、舟券予想になってないよ」

丹沢「『速水爽香が本人である』と信じて、私の夢を託してみた」

由利「丹沢さんらしいな。でも、速水爽香が1着になるのは相当難しいよ」

丹沢「どうして?」

由利「木曜日から昨日の土曜日まで5回すべて6着だよ」

 速水爽香にとって、デビューから2節目。1節目では周回展示で転覆。この2節目もオール6着と良い所が無かった。

丹沢「それって良くないの?」

由利「私の知る限りでは、ボートレーサーの中で最下位のクラスだな」

丹沢「でもまぐれで1回ぐらい1着になることは?」

由利「ないね。そんなにボートレースの世界は甘くないから」

丹沢「甘くない?」

由利「ボートレーサーは、みんな生活がかかっている。レースの賞金で家族を養っている訳でしょ」

丹沢「ふーん」

由利「みんな1着になるため、そして優勝するために必死に練習して、何百レース何千レースを経験してきているから」

丹沢「ふむ、ふむ」

由利「速水爽香は、ボートレースの学校を卒業して、まだ間もない。レース経験もほとんどない。このメンバーでは1着どころか3着以内も無理だろうね」

丹沢「ふーん。ボートレースの学校と言うのがあるんだ?」

由利「あるよ」

丹沢「3年間の通学が大変だな。今、電車も混むし、痴漢も多いからな」

由利「ないない。正式には『ボートレーサー養成所』だけれど。全寮制で1年間だ」

丹沢「でも、学校を卒業しているんだから一人前のレーサーじゃないの?」

由利「自動車の運転でも、自動車学校を卒業したばかりの者と十年運転している者と運転技術は格段の差だよね」

丹沢「それはそうだ。駐車場のます目の中に車を停める時、かかる時間が全然違うしね、上手い人は一回でマスの真ん中に駐車するもんね」

由利「それと同じようにボートレースでも、直線を走るのはともかく、ターンをする時には経験がものを言うんだ」

丹沢「そうかぁ、そうなんだ。でも、私は彼女に賭けてみるよ」

由利「絶対に無理ですよ」

丹沢「絶対に?」

 丹沢は、けげんな顔をした。


【06】 ゴールインしたのに、なぜ失格なんだ?


♪ファンファーレとともに、6名のレーサーが水面に出てきた。


丹沢「おっ! いよいよ始まったな。6番のレーサーの顔を見ないと。6番は何色だ?」

由利「緑」

 丹沢と由利が居るスタンドからレーサーの位置まで、約70mの距離があった。

丹沢「ヘルメットをしてなければ、顔が分かるけれど、ヘルメットで良く見えないな。しかも横顔だし……」

由利「6番のレーサーの声援を送ってみたら? ひょっとしたら振り向くかもしれないよ」

丹沢「よし、やってみよう!」

由利「うん」

丹沢「速水頑張れ~!!!」「速水頑張れ~!!!」

 丹沢が大声で叫んだ。

 その瞬間、速水爽香がチラッと丹沢の方を見た。ほんの一瞬の出来事だったが丹沢と由利はそれを見逃さなかった。

丹沢「見たぞ!」

由利「確かに彼女こっちを見た!」

丹沢「やった、やったぁ~!!」

 丹沢がジャンプして喜んだ。そして両手を上げて、手を振った。

由利「うん、やったね!」

丹沢「やっぱりあいつだ。間違いない。そうか『お水関係』とはこのことだったのか!」

由利「丹沢さん、やったね!!!」

 由利が丹沢を抱え、背中を叩いた。

丹沢「でも全然反応してくれなかったね、手を振ってくれるとか、」

由利「そうだね」

丹沢「やったね。まさかこんなところで見つけるなんて思いも寄らなかった」

由利「戸部さんに連絡をして、ハッピーハイツの見張りを中止にしないと」

丹沢「そうだな、みんなにもお礼を言わなくちゃ。あとで電話するね」

 丹沢はあとで携帯電話で戸部考一に連絡した。


実況「進入はインから1、2、3、4、5、6、」

丹沢「よし、速水頑張れー!」

 6艇が一斉に助走し始めた。ボートレース場内にエンジン音が勢い良く響き渡った。速水爽香は、コース大外をボートレース場一番奥から走り出し、スタートラインである大時計に近づくにつれてそのスピードを増していった。


実況「大時計が回り、10秒前、5秒前、3、2、1、スタート」

丹沢「スタートだ!」

 ちょうど丹沢の目の前を速水爽香が通った。丹沢は、爽香の顔をヘルメット越しに確認した。

丹沢「間違いない! 彼女だ!!!」


 横一線の揃ったスタートだった。第一マークまでの直線では、爽香のボートが半艇身ほどリードした。爽香が第1ターンマークを左へ旋回しようとしたがターンが膨らんだ。


 向こう正面では、トップが1号艇、2着が2号艇、3着が3号艇、少し遅れて4着を5号艇、5着を4号艇、最下位が6号艇、枠順通りで走っていた。


 そして2周目、内側を走っていた5号艇と外側を走っていた4号艇が接触し、4号艇のレーサーが水面に落ちた。その事故を横目に見ながら速水爽香は大外をスピード落として旋回した。

丹沢「あっ、4号艇が転覆だ!」

由利「いや、あれは『転覆』ではなく『落水』だね」

丹沢「『転覆』と『落水』は違うのかい?」

由利「舟は浮いたままで、レーサーだけ落ちたので、この場合は『落水』だね」


 最下位を走っている6号艇、速水爽香に向かって、スタンドから罵声が飛んだ。

観客A「バカ野郎、いつになったら、ちゃんと走るんだよ!」

観客B「速水へたくそ! 金返せ!」

観客C「帰れ速水!」

観客D「水面のクズ!」

観客E「浮遊物、引っ込め!」


丹沢「速水さん、観客から随分言われているね」

由利「言ってる連中は、ハズレたからうっぷん晴らしをしているんだろう」

丹沢「速水さん、可哀そうだな」

由利「速水さんが悪いんじゃないよ。自分の予想が下手なんだよ。それを棚に上げて罵声を浴びせるなんて卑怯だよ、とんでもない奴だ!」


丹沢「あーあ。由利さんの言った通り、速水爽香は最下位かぁ~」

由利「残念ながら……」

丹沢「あそこから抜く事は無いのかな?」

由利「転覆や落水などの事故があった場合は、抜いてはいけないことになっているんだ。救命救助が最優先だからね」

丹沢「へーっ、そうなんだ。そうだよね、命は最優先だよ、そう思って私も飛び込んだんだから」

 5艇は最後3周目に入った。 5艇の順位は変わらなかった。4艇がレスキュー艇の外側を走り抜けた、だが最下位を走る6号艇速水爽香だけがレスキュー艇の内側を走り抜けた。

由利「あれっ!」

 不思議そうに声を出した。

丹沢「どうかした?」

由利「いえ……?」

 由利が首をかしげた。


 少しして先頭の艇がゴールした。後続も次々ゴールした。

 場内アナウンス、

「1番ゴールイン、2番ゴールイン、3番ゴールイン、5番ゴールイン。なお4番は落水により失格、6番は走行指示違反により失格です」

丹沢「あれっ? 6番ゴールインしたよね?」

由利「うん、ゴールインした」

丹沢「なのになぜ失格なんだ?」

由利「6号艇は最後、レスキュー艇の内側を走ったからね」

丹沢「レスキュー艇の内側を走ってはいけないの?」

由利「うん、事故の状況にもよるけれど、レーサーは救助の邪魔をしないように、レスキュー艇の外側を走らなければならないんだ」

丹沢「そうなんだ」

 事故状況により、レスキュー艇の内側を走行するのか、外側を走行するのか、ランプ(航走指示灯)により指示が出る。

由利「もちろんレースも大事だけれど、何より大事なのはレーサーの命だからね」

丹沢「それはそうだ。命より大事なものはない」

由利「うん」

丹沢「それにしても、さすが由利さんだな。ボートレースのことはなんでも知っているんだね」

由利「とんでもない、まだまだ知らないことがだらけだよ」


 爽香がレース場のピットに戻ってきた。

爽香(またやっちゃった、失格だ。しかも、現在まですべてのレースで最下位。こんな新人いるのかしら? こんなことを考えながら走っているからレスキュー艇の外か内かを走る指示灯を見落としちゃうのよね)


【07】 ボートレーサーは、開催中、外に出られないの?


 レース場のスタンドで、

丹沢「よし、速水爽香を見つけたから、ボートレース場の事務局に電話して、本人に連絡を取ってみる。『念には念を入れよ』だ」

 丹沢は、そう言うとすぐに電話をした。

丹沢「事務局ですか?」

事務局「はい」

丹沢「私、美浦市役所の丹沢と申しますが、実は速水爽香選手に連絡を取りたいのですが、この電話をつないでいただけませんか?」

事務局「速水爽香は開催期間中、確かに当宿舎に寝泊まりしておりますが、」

丹沢「良かった!」

事務局「ボートレースの規則により開催中は選手に連絡を取る事は一切できません」

丹沢「えーっ! なんでよー」

事務局「誠に申し訳ないのですが開催が終了しましたら直接本人に連絡してください」

丹沢「そんなぁー、緊急なんですが!!」

事務局「緊急かも知れませんが、誠に申し訳ございません」

丹沢「本人確認をしたいのです」

事務局「すみません。電話等いっさい受付しておりません」

 事務局員がそう言うと、電話は一方的に切れてしまった。

丹沢「あれっ! 切れちゃった」

 由利はそれを聞いても微動だにしなかった。


 そんな様子を見ていて由利が言った。

由利「話には聞いていたが、やっぱり、いっさい電話は受付していないんだな」

丹沢「それってどういうことなの?」

由利「ボートレースは、全国のファンがパソコンやスマホで舟券を購入するだろう。だから選手は八百長やそれに関して疑われる行為をしてはならないんだ。そのため開催中、選手は外部の人間と一切連絡が取れないんだ」

丹沢「そうか、そのぐらい厳しくしないと観客に信じてもらえないし、公正なレースはできないからなぁ。納得」


 その後、由利は丹沢と別れて自分の部屋に戻ってきた。由利の部屋には、契約して取っているスポーツ新聞が床に置かれていた。スポーツ新聞には『ボートレース戸田』の、本日のレースと出場メンバーが載っていた。新聞は出場メンバーが載っている面が見えるようにして折られていた。 そして新聞の第3レース、速水爽香の名前が由利によって、しっかりと赤線で囲まれていた。

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【後書き】

素晴らしい作品がたくさんある中、本編を選んでいただきありがとうございました。m(__)m

まだまだ未熟ではありますが、皆様に愛される作品となりますよう努力を重ねていく所存です。m(__)m

読んでくださった方々には「感謝、感謝」です。「本当にありがとうございました」m(__)m

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