10 ◎1m50センチの鯉っているの?
【11】 カフネンキン?
金塚「ところでお客様、」
客女「はい?」
金塚「本当は、最初から六さんと結婚したかったんじゃないですか?」
客女「本当にどちらの男性と結婚しようか、迷っていたのよ。隣の予想屋さんの方が全然イケメンだったし、話しも面白かったし、ふふふふふ。でも、やさしさとか、真面目さという点から言ったら格段の差で、六さんの方が比べ物にならないくらい上だったわね。でもそのことに気づいたのは、あの勝負をしてから半年後のことだった。バカよね。こんなことに気づくまで半年もかかるなんて」
金塚「六さんと暮らした15年の間、結婚しようとは思わなかったのですか?」
客女「一度も思わなかったわ。結婚のメリットって、なんだかよくわからなくて」
金塚「でも、一緒に暮らしていたんですよね」
客女「ええ、」
金塚「ずうっと、10年以上、同じ屋根の下で」
客女「ええ、」
後ろで、
千歳「金塚さん『15年』じゃなくて『10年以上』って言ったわよ」
美南「これって寡婦年金の対象じゃないのかしら?」
千歳「寡婦年金の要件って、確か『夫と内縁関係の期間が継続して10年以上』よね」
美南「そうです。間違いありません」
千歳「それを意識して『10年以上』って言ったのね」
地獄耳の課長が近寄ってきて、
課長「なんだ、その『カフネンキン』って?」
美南「国民年金から出る遺族年金みたいなものです」
課長「ふーん。結婚してなくとも出るのかい?」
千歳「出る可能性はあります。他にもいくつか要件がありますので、ちょっと調べてみないと何とも言えないですけれど」
美南「でも、トライする価値はありますよね」
千歳「私もそう思うわ」
金塚「思い出したくないことまで、思い出させてしまい、すみませんでした」
客女「いいのよ。久しぶりに思い出したわ、あの頃を」
金塚「思い出したことは無かったんですか?」
客女「無かったわ。あの頃が、あたしの青春だったけれど、ちょっと苦い思い出だから、蓋をしちゃったのよ」
金塚「すみません」
頭を下げた。
客女「いいのよ。こんな時しか、蓋を開ける機会が無いから」
金塚「最後に、また六さんのことで聞きたいことがあるかも知れないので、お客様のお名前と電話番号を伺ってもいいですか?」
客女「ええ、いいわよ。でも、もう、話すことはないと思うけれど」
そう言いながら、金塚の差し出したメモ用紙に、名前(橋田愛実)と電話番号を書いた。
金塚「長時間、ありがとうございました。六さんについていろいろ知ることが出来て良かったです」
愛実「六さんもきっと喜んでいるわ」
そう言って橋田愛実(はしだ・まなみ・52歳)は帰って行った。
【12】 1m50センチの鯉っているの?
金塚年昭が自席に戻った。
美南「鯉の話ですが、ちょっと出来過ぎた話ですよね。本当に鯉って1m50センチの大きさにもなるのかしら?」
金塚「私にはよくわからないなぁ、鯉と一緒に暮らしているわけでもないし、釣りの趣味もないし」
千歳「そうだ!」
金塚「どうしたんですか?」
千歳「確かボートレース場の方に、美浦市が運営している自然博物館がありますよね」
課長「うん、あるよ。私の知り合いの職員も務めているけれど」
千歳「それならちょうどよかった課長に電話してもらって、本当にそんな大きな鯉があのボートレース場にいるのかどうか確かめていただけますか?」
課長「そうだな、久しぶりに丸橋(館長)さんの声も聞きたいし」
そう言うと課長は美浦市の自然博物館に電話をかけた。
すぐに課長の知り合いである館長の丸橋清子(まるはし・きよこ・59歳)が電話に出た。
課長は金塚から聞いた話をし、1m50センチの鯉がいるのかどうか確認をした。
丸橋「鯉は60センチぐらいが普通ね、大きいものでも1mが限度よ」
課長「えっ、そうなんだ。鯉は大きくても1mまでか」
丸橋「ええ、そうよ。井手さん1m50センチの鯉を探しているの?」
課長「うん? まぁな。鯉のぼりに揚げようかと思って」
丸橋「相変わらずバカね。本物を吊るしたら重くてなびかないわよ」
課長「ははははは」
横で、
美南「やっぱり、1m50センチの鯉なんていないんだ」
千歳「橋田さん、話を盛ってたのかしら?」
課長「以前、ボートレース場のボートが大きな鯉にぶつかったって話を聞いたんだけれども本当かな?」
丸橋「そのことね。そのことなら知ってるわよ」
課長「えっ! 本当に!」
丸橋「もうずいぶん昔の話だけれども1m53センチの魚が朝、水面に浮いていたのよ。あれは鯉ではなくて、アオウオという魚よ」
課長「アオウオってどんな魚なんだい?」
丸橋「アオウオも鯉の仲間ではあるのだけれど、中国原産の外来種で大きいものは1m50センチ位にもなるわね」
課長「鯉ではなくてアオウオだったんだ!」
丸橋「ボートレース戸田では、1960年代にアオコが大量に発生して、水面が緑一色になってしまったのよ」
課長「『アオコ』ってなに?」
丸橋「アオコとは、微細な植物や生物によって水面が緑色になる状態を言うの」
課長「ふむふむ、わかったような、わからないような。とにかく水面が緑色になってしまうんだな、」
丸橋「そう。それで、緑色を取り除くために、取り除いた後は再発を防ぐために、外来種のアオウオという魚を放流したのよね。そのことによってアオコがなくなり、再びきれいな水面に戻ったのよ。多分その時のアオウオが繁殖して、あのニュースになったんだと思うわ」
課長「『あのニュース』って? 新聞?」
丸橋「テレビよ」
課長「テレビでもやったんだ」
丸橋「ええ、たまたま見たわよ」
課長「じゃあ、なぜアオウオが浮いていたのか、原因は知っているのかい?」
丸橋「ボートレースのボートにぶつかったんだでしょう」
課長「どうしてそう思うんだい?」
丸橋「死んで浮いていたのが1匹だけだったし、上がった魚が傷ついていたからよ。病気や自然による死骸なら大量に発生するはずだし、魚に傷はつかないわ」
課長「そうかやっぱりそう思うか」
丸橋「それ以外、考えられないわ」
課長「やっぱり、そうか!」
その後、ほんの少しだけ雑談をして、課長は電話を切った。
美南「鯉じゃなくてアオウオだったんですね」
千歳「でも、それ以外あの女性の話すべて本当だったのね」
後日。
美南「あの女性、寡婦年金をもらえそうですね」
千歳「受給条件は?」
美南「これです」
書類を見せた。
・死亡者が、保険料を25年以上納めている
(免除期間を含む)
【注:平成29年8月1日以降の死亡は、十年以上に変わった】
・夫との婚姻関係が十年以上ある
(事実上の婚姻関係を含む)
・死亡当時、その夫に生計を維持されていた妻
千歳「ほんとだわ。該当しそうね」
美南「あの女性が、60歳になったら、65歳になるまでの5年間もらえますね」
課長「65歳以降は?」
美南「自分の年金がもらえるので、打ち切りです」
課長「あっ、そうか」
金塚「まぁ、年金を5年早くもらえると思えばいいんです」
課長「なるほど。で、事実婚でもいいんだね」
金塚「それで、私がしつこく聞いたのです。事実上の婚姻関係があればOKです」
課長「じゃあ、私も今の本当の結婚生活以外に『事実婚』と言うのをやろうかな?」
美南「それは『不倫』です!」
課長「ははははは」
千歳「ははははは」
金塚「ははははは」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【後書き】
本作『予想屋の結婚を賭けた熱き戦い』を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
物語の語り手ともいえる市役所職員、金塚年昭の視点から振り返ると、この物語は「制度の壁」と「人間の体温」の葛藤を描いたものでした。
市役所のカウンターは、ときに残酷な場所です。冒頭で描いたように、困窮している人に免除が下りず、高所得だった離職者が全額免除になる。法律という物差しは、個々の人生の複雑な事情を汲み取ってはくれません。そんな不条理に頭を下げ続ける金塚の前に現れたのが、予想屋の「六さん」こと穴吹六郎でした。
六さんが語った、一生を賭けたボートレースの思い出。それは、マニュアル通りの対応しかできない公務員に、法律の向こう側にある「生きる意味」を突きつけてきました。余命宣告を受けながらも、誰かに頼りにされることを生きがいにし、自分の予想に誇りを持つ彼の姿は、過去に公務員として「市民のために」と口先だけで語っていた金塚自身の甘さを、優しく、しかし鋭く問い直してくれた気がします。
物語の終盤、彼が納めた滞納分の保険料は、金銭的な価値以上の重みを持っていました。「命より法律が大事とは思えない」と金塚が放った青臭い言葉に対し、六郎は自分なりの流儀で答えを出してくれました。六郎が遺したお金と、一人の女性への15年越しの想い。それを知ったとき、金塚のなかで「年金」という無機質なシステムに、確かな血が通ったのです。
『ボートレース戸田』で実際にあったアオウオの事件をモチーフに、勝負師の粋と、窓口から見える人間模様を紡ぎました。
金塚の言葉で「人生『何年生きたか』じゃなくて、命を閉じるときに『幸せだったと思って死ぬ』か、『つまらなかったと思って死ぬ』か、です」。
客に言われた「いい予想だったよ」は、死にゆく六さんが幸せに思えた一言でした。六さんのように「幸せだったと思って死ぬ」ことの難しさと尊さが、読者の皆様の心に少しでも残れば幸いです。
最後に、戸田の空の下でエンジン音を聞きながら、六さんの情熱に触れた金塚の驚きと感動を、私自身も忘れないようにしたいと思います。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【結びに代えて:この物語のメッセージ】
この物語は、単なる年金の制度解説ではありません。
「法律」というルールの中で、どう「心」を救うか。
「死」というゴールを前に、どう「生きた証」を残すか。
六郎が賭けたのは、お金ではなく「愛する人の未来」でした。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【小説の鍵:ボートレースの基礎知識と「六さんの戦い」】
物語をより深く楽しむために、穴吹六郎が命を懸けたボートレースの特殊なルールと、運命を分けたポイントを整理しました。
1.「イン」が圧倒的に有利な世界
ボートレースは1周600mのコースを3周する競技ですが、最大のルールは「左回り」であることです。
1コース(最内)の有利さ: 最も走行距離が短い内側を走る1号艇が、勝率約50%以上と言われるほど圧倒的に有利です。
カド(角):4コース付近の艇が、助走距離を長く取って一気に加速し、内側の艇を飲み込んでいく戦法を「カドまくり」と呼びます。
2.運命を分けた「アオウオ(鯉)」の正体
六郎が結婚を逃した伝説のレース。その原因となった「スロットルレバーを離した」行為は、本来なら八百長を疑われるほどのタブーです
3.予想屋という「粋」な商売
競艇場に立つ予想屋は、単に数字を売るだけではありません。
トッピング: 六郎が例えたように、レースに「夢」や「期待」という色付けをする仕事。
ご祝儀: 予想が的中した客が、感謝の気持ちとして渡すチップ。六郎が最後に受け取った大量の札束は、彼の数十年に及ぶ予想屋としての信頼の証でした。
4.知っておきたい「寡婦年金」
物語の終盤で職員たちが奔走した制度です。
事実婚でもOK。戸籍上の夫婦でなくても、生計を共にしていた証明があれば認められる場合があります。
六郎の愛: 自分がもらえないとわかっていながら、死の間際に滞納分を完納した六郎。それは、残される彼女に「年金」という名の最後のプレゼントを贈るための、彼なりの「人生最高の予想」だったのです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【作者よりお願い】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 一人の予想屋が最期に賭けた「人生の勝負」と、残された人々の想い。もしこの物語が少しでも心に響きましたら、下の評価欄(☆☆☆☆☆)からポイントや、ブックマークをいただけますと幸いです。
皆様の一つひとつの応援が、執筆の何よりの励みになります。「六さん、お疲れ様」という気持ちを込めて、ぜひポチッと応援をお願いいたします!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




