07 ◎予想屋『六さん』、人生最後の大勝負
【08】 午後2時50分、第9レース
それから2日後。
ボートレース戸田最終日。予想屋『六さん』が、人生最後の大勝負に出た。
六郎「もう俺もこれが最後かもしれない」
お立ち台の横にいる助手に向かって言った。助手は、黙って頷いた。六郎は、自分の命が燃え尽きようとしているのを、朝起きた時から感じ取っていた。
六郎(思えば、16年間、良くやってきたものだ)
六郎は、つくづくそう感じた。
六郎(市役所のあんちゃんが『死ぬ間際まで、出来る仕事があっていいですね。私たちは、定年で辞めさせられちゃうから』と、言ってたけど、本当だな。この仕事で良かったよ。短いけど、いい人生だった。悔いはねえ。今日、悔いのない最後の予想をするよ)
六郎が国民年金課の金塚の顔や表情を思い浮かべながら人生を振り返った。
そして、六郎が、木で作ったお立ち台を右手のひらでやさしく撫ぜ始めた。
六郎(このお立ち台も、手作りの割には、ここまで良くもったもんだ。予想が当たれば『お立ち台』だが、予想がハズレればお客様から罵声を浴びる『死刑台』に早変わりよ。因果な商売だな)
六郎(プロスポーツの選手たちがよく『結果がすべて』と言うが、その最たるものが俺たちだろうな。予想が当たれば、ご祝儀で万札を数枚貰えることもあるが、ハズレれば『ふざけんなバカヤロー』と言って客は去って行く)
六郎(この世界は、世襲制。新規参入はできない。俺が助手をしてた頃、親父が言ってたっけなぁ。『客は鉄火場(ギャンブル場のこと)に居ると、熱くなり気も荒くなるし、言葉も荒くなるんだよ』と)
『鉄火場』とは、元々、刀や包丁の刃を作る鍛冶場のことであるが、公営競技場、パチンコ店、雀荘、株式市場を指して言う者が居る。
【回想の始まり】
六郎の父「ボートレース場は他のスポーツ同様、真剣勝負の『スポーツ競技場』なんだよ。客に『鉄火場』なんて言わせちゃいけねえや。第一『鉄』っていう字は「金」を「失う」って書くから、こいつはいけねえや。こんな言葉、いつか無くさないといけねえな。おめぇの立つ場所は立派な『スポーツ競技場』なんだからな」
【回想の終わり】
六郎(親父が言ってたとおり、ボートレースは、今や立派な『スポーツ競技』として人々に認知されている。『2連単』『3連単』などの舟券は、その競技をより楽しく、より夢中にするためのひとつの材料に過ぎないのだ。ラーメンで言えば、『チャーシュー』『煮卵』などのトッピングと思ってもいい。だから、俺たち予想屋は、最高のトッピングを客に提供しなければならないんだ)
六郎は、今日がその集大成のトッピングを作れる日だと考えていた。
お立ち台。午後2時半。
六郎がいつものように客に向かって口上を述べていた。
六郎「いやぁ、ハズレちまったな。第8レース」
六郎「アイスクリームにトッピングで梅干を乗せちゃったようなもんだよ。ガハハハハ」
六郎「こんなこと言ったって、あんた方には、わからねえよな。それぞれうまいんだけれど、相性が悪かったよな。『5―6』の舟券買って、『1―2』で走っていたら、見ていても、つまんねえもんだなぁー」
六郎「こんな予想をしちゃってすまねえーなぁ。やっぱり1号艇は、強いよ。でも、言ったとおりだったろ『できれば、このレース見送ってくれ』って。六さん、悪いことは言わねえ。ちょっとでも、みんなに儲けて帰ってもらいてえから親心で言ってんのよ」
六郎「みんなに何年もの間、支えてもらって来たから、その信頼を裏切ることは死んだって出来ねぃやな。さて、そこでだ! そこでだよ、次が、六さん、最後の大勝負だ!」
六郎「六さんからの恩返しだ。もし、次当たったら、帰って一杯やるか、残りのレースは、見るだけでいいよ。その分の多めに第9レースを買っとくれ」
六郎「いいかい。今日は、インの1号艇が強い。第1レースから、今の第8レースまで、8レース中7レースが、頭(1着)は『1』だ」
六郎「これが、魚釣りで言えば、『撒き餌』だよ。いいかい、次も『1』から売れるぞ! 『1』しか売れない! 『1』で総かぶりだ!」
六郎「しかし、しかしだよ。俺の予想は違う! 100%当たるとは言えないけれど、俺がここに立ってから一番の自信あるレースだ。しかも、オッズは予想以上に高い。これを勝負しない手はないだろう」
六郎「どうだい、お客さん、買える範囲で買ってみないかい? いい夢、見たくないかい? 奥さんにうまいもの食べさせたくないかい?」
客A「俺、乗った!」
客B「大勝負、するよ」
客C「ああ、今日はこれに賭けて終わりにするわ」
客D「六さんが、そう言うんなら」
客E「六さんと心中だい」
客F「六さん、いつもと気迫が違うなぁ」
客G「ひひひっひ」
客H「9レースのトッピングは、なんだい?」
客I「早く予想が見たい!」
客J「頼むよ!」
予想舟券の数字が、書いてある小さな紙切れが、どんどん売れた。
客がお立ち台に作られたテーブルに、百円玉を「コン」と気持ちよく置き、その手のひらをその位置で、広げたまま、客は待っている。六さんは、二つ折りされた小さな紙を、客の手のひらに強く押し当て、手のひらを握り返した。
六さん(温ったけえな。これが人情ってものよ)
六さんは、客の手のひらの温もりを感じていた。
客A「おっ!」
客B「げっ!」
客C「え、えっ!」
客D「へえーっ!」
客E「大丈夫か?」
客F「ほんとかよ!」
客G「はっはははは」
客H「うーん?」
客I「えーっ!」
客J「なるほど」
予想が書かれた二つ折りの紙切れを広げたリアクションは、様々だった。
客がひととおり予想の紙切れを手にし、客が引けると、六郎が助手に耳打ちした。
六郎「第9レース『4―1』一本で間違いない。この舟券を10万円買っといておくれ」
助手は舟券売り場へと足早に向かった。
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【出走表】 戸田 最終日 一般戦 第9レース 一般競争
1号艇 坪内 康成 34歳 A1級 勝率7.44 モーター◎ 6 3 12123
2号艇 金城 龍司 39歳 A1級 勝率7.05 モーター○ 235 4 121
3号艇 宇佐 淳一 31歳 A1級 勝率6.66 モーター- 1 64241 3
4号艇 濱本 直光 29歳 A1級 勝率6.55 モーター- 2 442 633
5号艇 鵜川 眞弘 38歳 A1級 勝率6.64 モーター△ 115 342 4
6号艇 作山 章二 32歳 A1級 勝率6.69 モーター× 264 34 12
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
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六郎の予想はこうだった。4号艇は、毎日毎日よく練習している。しかも昨日は、『直線タイムも良かった』と助手から報告を受けている。毎回4号艇は、いい線いっているのだがレース展開で不運が続いた。今日は一回乗りで、どうしても頭を取って帰りたいはずだ。勝率も稼いでおかないと、次期A1級を維持するのに勝率が足らない。しかも次の開催も格上の相手が揃っている。4号艇が今日勝たなければならない理由は、上げればきりがないほど出てきた。こんなことは、六郎にとって滅多にないことだった。
そして、2着候補は1号艇、インコース得意の選手で、マクられても張りに行かず2着に残るのもうまい。最終日、出目(勝ち舟券の数字)が『1』で並ぶことも、昨日の時点で予想済みだった。
午後2時50分、第9レース。
♪ファンファーレと共に、6名のレーサーが水面に出てきた。
実況「進入は枠番通り」
6艇が第2ターンマーク付近待機水面でコース取合いの駆け引きをしていた。
いよいよ大時計が回った。
実況「10秒前、5秒前、スタート!」
スタート時点で、4号艇が突出していた。
六郎「よし!」
六郎(もし、4号艇がフライングでもお客様が損することはない)
六郎は、常にお客様のことを考えていた。
第1ターンマークに到達した時点で、4号艇はまくり切っていた。2番手にイン残した1号艇、外をマクった5号艇が走っていた。
六郎「うん、いいぞ」
向こう正面第2ターンマークの手前、1号艇は舟を外へ持ち出した。逆に5号艇は内側へと切り返した。
ターンマークを5号艇がほとんどスピードを落とさず先に回ったが膨らんだ。1号艇は、外から舳先がターンマークにかかるかからないギリギリの所を旋回した。
手前ホームストレッチでは、5号艇の内に1号艇が追いつき、1号艇の舳先は、5号艇の艇尾から見る見るうちに同体となった。
2周目第1ターンマーク、1号艇は内側の利と捌きの差を見せつけ、すんなりと2番手独走態勢に入った。
六郎「出来たな」
それは、このレースが『4-1』で確定し、出来上がったことを意味していた。
そして、1分半後、
場内アナウンス「4番ゴールイン、1番ゴールイン」
六郎が何万回と聞いて来た「ゴールインコール」。今回ほどこんなに心地よく聞こえたことはなかった。
六郎(終わったな)
六郎はレース観戦から『六さん』のお立ち台へと戻ったが、台の上には上がらなかった。そして助手に、
六郎「店を閉めるぞ」
語りかけるように言った。
助手「はい」
残り3レース、選抜戦、優勝戦を残して六郎は、店を閉めることにした。予想屋業界では、滅多に見られない光景である。
六郎の予想によって舟券を当てた客が次々と『六さん』の元へと集まって来た。
客A「2700円もついたよ」
1号艇が2着で2700円は、異例の高配当だった。それだけ、1号艇の頭で売れたのだ。
客Aが1万円札を六郎の胸ポケットに押し込んだ。ご祝儀である。もちろん、ご祝儀は義務ではない。気分を良くした客の厚意なのである。
客B「今までで、一番突っ込んだよ」
六郎「そうかい?」
客B「ありがとな」
そう言って、ご祝儀5万円を六郎の胸に突っ込んだ。
客Cも黙って千円、六郎の胸ポケットに押し込んだ。
客D「やったね」
そう言って、3千円を六郎の胸ポケットに無理矢理押し込んだ。
客E「六さんと心中した甲斐があったばい」
2万円を六さんの胸ポケットに押し込もうとしたが、もう胸ポケットは、札でいっぱいだった。
客E「なんだ、胸ポケットはいっぱいかよ」
そう言って、六郎のズボンのポケットに2万円を突っ込んだ。
六郎「チンポは、触るなよ」
客E「そんな元気のねえチンポ、誰が触るかよ」
六郎「ガハハハハ」
六郎はさっきから、お立ち台には上らず片付けの準備を始めていた。
客F「六さん、帰っちゃうのかい?」
六郎「ああ。悪いな」
客G「ははははは」
客H「かみさんに、ウナギ買って帰るわ。ごっそさん!」
そう言って、千円を六郎のポケットに入れた。
客I(俺も、初めてご祝儀してみようっと)
払戻金の端数400円を黙って六郎のポケットに入れた。客Iは800円買っていた。
六郎「ありがとね」
客J「帰るなんて、どうしたんだい? 顔色が悪いようだけれど、まさか病気じゃねえよな」
六郎「病気なわけねえよ。ボクサーだって、チャンピオンのまま引退したいって気持ちがあるように、俺も今日は勝ったまま帰りたいんだよ。後の3レースは自信がねえのよ」
客J「なら、いいんだけど。また、頼むよ!」
六郎「ああ」
客J「ほんとだよ。『六さんだけが頼りなんだから』」
六郎「ああ」
六郎は、涙を流した。
客J「泣いてんのかい?」
六郎「泣くわけねえだろ」
その声が涙声だった。
客J「だって、涙が、」
六郎「予想が忙しくてトイレにも行けず、おしっこ、し忘れたんだよぉ」
客J「そうかい。目からおしっこか。ならいいんだよ」
六郎「……」
客J「いい予想だったよ」
客Jがしみじみと言った。
六郎は、泣きながら店を閉め、助手と一緒に、最後上がらなかったお立ち台を後にした。
それから1週間後、穴吹六郎は息を引き取った。恐らく、最後のお立ち台で見た光景と、客Jの「いい予想だったよ」という言葉を思い浮かべながら……




