03 速水爽香のデビュー戦(後編)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【あらまし】
爽香のデビュー戦が始まった。爽香は卒業しているにも関わらず、養成所教官の松木四朗から宿題が出された。
松木「デビュー戦の開催6日間、すべてのレースで無事故完走すること! もし、それが出来たらケブラーズボン(ケガ防止用ズボン)、3着以内に入れたらレース用シューズをプレゼントする」
速水爽香のデビュー戦が始まった。6日間の結果は……(省略)。6日間のレースが終わり、爽香の携帯電話に松木教官からメールが入る。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【主な登場人物】
速水爽香 20歳女 新人ボートレーサー
田並浩次 42歳男 勝率3点のB級ボートレーサー
八巻恵夢 25歳女 爽香の一期上のボートレーサー
松木四朗 50歳男 ボートレーサー養成所教官
荘野幸照 57歳男 ボートレーサー養成所教官
常 連 常連の観客
初 客 初心者の観客
客 A スタンドの観客
客 B スタンドの観客
新井英児 34歳男「ボートレース戸田」の舟券師
金子洋平 61歳男 スタンドの観客
栗原哲也 61歳男 スタンドの観客
老 人 スタンドの観客
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【06】3日目、第1レース(本日1回目の乗艇)
『ボートレース戸田』 3日目 1レース 予選 男女混合一般戦
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 高原 義久 39歳 A1級 勝率6.33 モーター - 5466
2号艇 柴田 明宏 47歳 B1級 勝率4.16 モーター × 253
3号艇 小森 賢二 39歳 B1級 勝率4.36 モーター ○ 3 53
4号艇 小林 亨 40歳 B1級 勝率4.96 モーター △ 53 4
5号艇 桑田 純一 56歳 B1級 勝率4.73 モーター ◎ 66 4
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
メンバーは、男子5名、女子1名。爽香は唯一の女子で6号艇。
スタンド(観客席)で初心者の客が
初客「このレース、女子はひとりなのかい?」
すると隣に居合わせた常連客が
常連「ええ」
初客「ふーん」
常連「今、男子レーサーは約1400人、女子レーサーは約200人ですからね、その割合からして、こうなっちゃうんでしょうねぇ」
初客「そうかい、1400人と200人かぁ。じゃぁ女子は頑張らないといけねぇなぁ」
常連「そうですね。7対1の割合だから、女子は7倍頑張らないと」
初客「じゃぁ、その女子の舟券でも買ってみようかな?」
常連「いや! それはやめた方がいいですよ」
初客「えっ! なんでだい? 女子がひとりだけだから頑張るんじゃねぇのかい?」
常連「大外のコースで、女子で、新人じゃぁ、どう転んでも無理でしょう?」
初客「大外で、女子で、新人じゃダメなのかい?」
常連「『どうしても』って言うのなら止めませんがね、私から見たらお金をどぶに捨てるようなものですよ」
初客「ほーっ、そうかね。じゃぁ試しに、『6』から全部に流して『6-1』『6-2』『6-3』『6-4』『6-5』と百円ずつ買ってみようかな?」
常連「もし、その順に来たら、配当が1万円ぐらい付くかも知れませんよ」
初客「それは楽しみだ!」
♪ファンファーレとともに、6名のレーサーが水面に出てきた。
気温21度 晴れ 追い風1m 水温20度 波高1cm
実況「進入はインから1、2、3、4、5、6、」
実況「大時計が回り、10秒前、5秒前、スタート」
実況「ほぼ横一線のスタート」
初客「よしっ! 6号艇行け!」
この客の声援に応えたのか6号艇が徐々に前に出て行った。
初客「他艇より半艇身は出てるぞ!」
初客「そのまま! 1マーク、マクれ! マクるんだ!」
初客「行け! 全速ターンだ!」
初客「……」
初客「あれっ!」
初客「まっすぐ行っちゃったよ」
爽香は隣の艇が邪魔になり、なかなかハンドルが切れなかった。
爽香は5号艇と一緒に、ターンマークから随分離れた所でターンした。
初客「随分遠い所でターンするんだな」
常連「5号艇にくっつきすぎましたね。あれじゃ回れない」
初客「そうなんだ」
1マークを回った時点で、5号艇が5番手6号艇が6番手を走った。
初客「あちゃーっ!」
常連「……」
初客「あんたの言う通りだ」
常連「……」
2分ほどして、
実況「3番ゴールイン、2番ゴールイン、1番ゴールイン」
実況「4番ゴールイン、5番ゴールイン、6番ゴールイン」
結果は、321456の順でゴールした。
初客「5百円玉がどぶに落っこっちゃった」
常連「いつか拾えますよ」
初客「そうだといいが」
常連「6号艇は今節がデビュー戦ですからね。なかなか頭を取るのは大変ですよ」
初客「う~ん。でもプロ野球だと新人がいきなりヒットを打ったり、カラオケだとプロとアマチュアの差が無かったりするんだけれどなぁ」
常連「そうですね。カラオケなんか上手な素人が居ますからね」
初客「そうだろう」
常連「そう言う点、ボートレースはプロと新人の差が開いてますからね。こういう競技は珍しいかもしれませんね」
初客「新人が1着を取るのはそんなに難しいのかね?」
常連「そうですね。過去のデータによれば、デビューして初勝利まで平均345日となってますね」
初客「えーっ! 約1年じゃないか!」
常連「ええ」
初客「レースで言うと、何レース目で初勝利なんだい?」
常連「そういうデータは無いんですが、100レースぐらいかかる選手はザラに居ますよ」
初客「ほーっ。それを最初に聞いておけば良かった」
常連「でも、夢を買ったと思えばいいんじゃないですか?」
初客「いや、夢より金がいい」
常連「ははははは」
【07】3日目、第7レース(本日2回目の乗艇)
『ボートレース戸田』 3日目 7レース 予選 男女混合一般戦
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 塚田 竹之 44歳 B1級 勝率4.06 モーター ◎ 54213
2号艇 竹下 伸二 45歳 A1級 勝率6.34 モーター △ 36231
3号艇 城内 俊之 40歳 B1級 勝率5.22 モーター ○ 6 265
4号艇 高足 淳子 49歳 A2級 勝率5.46 モーター - 13225
5号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター × 1 266
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6 6
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
メンバーは、男子4名、女子2名。4号艇と6号艇が女子レーサー。
先ほどの初心者の客が
初客「今日はあんたの後を追いかけていいかね?」
常連「いいですよ」
初客「なんか、色々と教えてもらえそうだから」
常連「いえ、何も教えることなんかないですよ」
初客「いやいや、私にとって、あんたから聞くことすべてが勉強になる」
常連「そうですか」
初客「あんたはボートレースに詳しいんだな。相当儲けているんじゃないのかい?」
常連「いえ、儲かってはいないです。ただ、負けてもいないですね」
初客「てぇ言うことは、トントンってことだ」
常連「ええ、プラマイゼロですかね」
初客「そいつはすごいや!」
常連「儲かりはしませんが、ここで楽しんでますよ」
初客「そう、それが何よりだよ。私も今日で二度目なんだが、レーサーが爽快に走っているのがいいね。それと何より楽しみなのは、食べもんだよ」
常連「いいですねぇ~」
初客「3階のフードコートでしっかり食べるのもうまいけど、1階2階の売店で焼きそばや赤飯を食べるのが好きでねぇ」
常連「私も好きです。たまらないですよねぇ~」
初客「気が合うね」
常連「レースに集中している時は、席に座ってゆっくり食べてなんかいられないからねぇ」
初客「なるほど。私は家での食事とは違って、外で立ち食いと言うのが気ままで、何よりくつろげるんだよなぁ」
常連「ははははは。家ではくつろげない訳ですね」
初客「そりゃそうだよ。妻のご機嫌を取らなきゃならんからね。まずい手料理でも『うまい』と言わなきゃならんし。毎日私の好きな物が出る訳でもない」
常連「ははははは」
初客「フーテンの寅さんじゃないけど『男はつらいよ』」
常連「ははははは」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 塚田 竹之 44歳 B1級 勝率4.06 モーター ◎ 54213
2号艇 竹下 伸二 45歳 A1級 勝率6.34 モーター △ 36231
3号艇 城内 俊之 40歳 B1級 勝率5.22 モーター ○ 6 265
4号艇 高足 淳子 49歳 A2級 勝率5.46 モーター - 13225
5号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター × 1 266
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6 6
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
初心者の客が出走表を見ながら、
初客「次のレース、女子レーサーが2人出場しているけど、この『4号艇、高足淳子』は見送りかね?」
常連「いい質問ですね」
初客「そうかい、嬉しいね。ははははは」
常連「この選手は女子でもトップクラス、男子に引けを取りませんよ」
初客「そうかね」
常連「選手になって、もう35年ぐらいになるんじゃないですか? いい選手ですよ」
初客「なんでも良く知ってるねぇ」
常連「暇だから、選手のことを知ろうと、しょっちゅう『ボートレーサー名鑑』を読んでるんですよ。愛読書ですね。言わばボートレースのバイブルです」
初客「すごいねぇ~。で、もうひとりの『速水爽香』は消していいのかな?」
常連「はい。出場選手は5人だと思っていいんじゃないですか?」
初客「そうすると狙いは『2-4』かな?」
常連「素晴らしい! 大正解!」
初客「A級ふたりでいいかな?」
常連「絶対とは言いませんが、普通に買えば『2-4』となるでしょうね」
初客「そうか。じゃぁ『2-4』を5百円買って来るよ」
初客が舟券を買いに行った。
常連「私は責任を持ちませんよ。自己責任でお願いしますね」
常連が初客の背中に向かって言った。
初客「ああ、わかってるよ」
初客が背中で答えた。
♪ファンファーレとともに、6名のレーサーが水面に出てきた。
気温22度 晴れ 追い風1m 水温21度 波高1cm
実況「進入はインから1、2、3、4、5、6、」
爽香(隣は田並のおっさんか)
爽香(このおっさんにだけには負けたくないわ)
実況「大時計が回り、10秒前、5秒前、スタート」
実況「ほぼ横一線のスタート」
爽香(スタートでは負けてないわよ!)
爽香(今度こそターンマークの近くで旋回するからね)
第1ターンマークに6艇が集中した。まさに団子状態、一番外側の爽香のヘルメットまで水しぶきで濡れた。
爽香(水しぶきで前が見えない! どこに突っ込んで行けばいいのよ!?)
爽香はコース取りに自信を無くしていた。
この日2回目の乗艇も、結果は大差の6着。隣を走っていた多並が5着。爽香は2周目以降、前を走る田並を追い抜こうと試みたが、逆に差がつくだけだった。
爽香(田並のおっさんにも勝てなかったわ)
爽香(本日2回乗りのチャンスを生かせなかったわ。とにかくみんなのターンは速い!)
爽香(あの1マークでの、攻めぎ合いに突っ込んで行く勇気があたしには無かったわ)
爽香(悔しい! 意気地なし!)
爽香は自分を責めた。
爽香(いつか練習を積んでこの借りを返すからね)
観客席では、
初客「当たった、当たった!」
常連「良かったですね」
初客「あんたのお陰だよ。あんたに言われなければ『4号艇の高足淳子』は、完全に見送っていたな」
常連「そうですか?」
初客「どうも女性は信用できなくてな」
常連「なにか女性に痛い目にあったことがあるとか?」
初客「妻にも娘にも。取引先の女性に、町会の女性。銀行の女性に生命保険の女性。キャバクラ嬢にソープ嬢。挙げたらキリがない」
常連「ははははは。それは不信になりますね」
初客「でしょう?」
常連「でも前半のレースで、よく『6号艇の速水爽香』を買いましたね」
初客「うん、迷ったんだけどね。20歳の娘なら純心だろうし、顔写真を見ても純朴そうだった。私のハートもジュンジュンしてきて、ときめいたんだよ」
常連「ははははは。女性に痛い目にあわされた割には、今も女性が好きなんですね」
初客「いやいや。女子レーサーが20歳だったからだよ。人間、男も女も歳を重ねたら、ただ恐ろしいだけだ」
常連「ははははは」
初客「でも驚いたね。この『2-4』が一番人気で、配当が390円とは。皆んなちゃぁんと選手分析してるんだなぁ~」
常連「そうですね。ネットやテレビでの観戦を含め、観客は選手を良く見てますよ。当てようと必死ですからね」
初客「それに比べたら、私なんかカモネギなんだろうな。競艇場に金を落としているだけだ」
常連「ははははは」
選手宿舎の食堂。夕食。田並浩次と速水爽香がいつもと同じ、並んで座っていた。そして田並は今日のレースについて話し始めた。
田並「やはり5コースから行くのは難しいな」
爽香「先輩のようなベテランでも1マークは突っ込んでいかないのですか?」
田並「車で言えば横殴りの雨の中、交差点をかなりのスピードで通り抜けるようなもんだからね」
爽香「うんうん。先輩でも突っ込んで行く勇気はないですか?」
田並「『勇気』と『無謀』は紙一重だからな」
爽香「……」
田並「艇と艇の間を確実に通り抜けないと大ケガにつながるからね」
爽香「うんうん」
田並「イチかバチか、みたいなレースは出来ないよ。競争相手にも迷惑をかけるし」
爽香「そうですよね」
田並「1マークを突っ込むには、それなりの技術力と判断力がないと」
爽香「……」
爽香が黙って頷いた。
爽香(もっともっと練習をしないと)
爽香は心に強く誓った。
【08】4日目、第1レース。えっ、フライング?!
『ボートレース戸田』 田 4日目 1レース 予選 男女混合一般戦
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 桑田 純一 56歳 B1級 勝率4.73 モーター △ 215 35
2号艇 多尾 龍之 39歳 B1級 勝率4.15 モーター ○ 35461
3号艇 渋佐 治世 46歳 B1級 勝率4.84 モーター × 446 34
4号艇 小森 徹 40歳 B1級 勝率4.96 モーター ◎ 53442
5号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6 66
6号艇 八巻 恵夢 25歳 B2級 勝率1.66 モーター - 6 5656
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
メンバーは、男子3名、女子3名。爽香は5号艇。
爽香(初めての5号艇。黄色のカポックを着るんだ)
カポックとは、選手が身につけている救命胴衣である。ケブラー(繊維)で作られており、プロペラが当たっても切れない優れものだ。
爽香(5号艇だけれど、新人だから6コースへ出なくちゃ)
♪ファンファーレとともに、6名のレーサーが水面に出てきた。
気温21度 晴れ 追い風2m 水温21度 波高1cm
実況「進入はインから1、2、3、4、6、5、」
爽香「よし、いいぞ」
実況「大時計が回り、10秒前、5秒前、スタート」
大時計の針が真上の『0』を指し、爽香はいつもどおりのスタートを切った。
爽香(えっ! 4号艇があんなに早いスタート!)
爽香は最下位で第1ターンマークを旋回した。
場内放送「4号艇フライング!!」
4号艇が、大時計の針が真上(0秒)を指す前にスタートラインを通過したのだった。
場内の観客、
客A「フライングかよ」
客B「まぁいいか。(4号艇に関する)賭け金が、そのままの金額で戻ってくるんだから」
客A「そうだな」
フライングした4号艇は、第1ターンマークからそのままピットへと戻り、レースは残り5艇での争いとなった。
先頭が1号艇、2番手が2号艇、男子が先頭グループを走った。
3番手が3号艇、大先輩の女子レーサー、4番手に一期上の女子レーサー、5番手の最下位が爽香。女子3人が第2集団となって走った。
速水爽香と一期上の八巻恵夢との差はさほどなかった。しかし、追いつきそうに思えても、なかなか差は縮まらない。
爽香(たった一期上なのに走りっぷりは全然違うわ。1年であんなにうまくなっちゃうのね。さすがに養成所での訓練生同士のレースとは違うわ。当り前よね。勝率が悪いと引退勧告されてしまう世界ですものね)
結局そのままゴールし大先輩の女子レーサーが3着、一期上の先輩が4着。爽香が5着最下位に終わった。
爽香(私以外の5艇のターンは、養成所の模擬レースとはまったく比べものにならないほど速いわ!)
爽香(この速さでみんなB級? えっ! と言うことは、A級は……)
爽香は愕然とした。
【09】5日目、第1レース(本日1回目の乗艇)。消波装置にぶつかる!
『ボートレース戸田』 5日目 1レース 予選 男女混合一般戦
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 萩谷 淳史 38歳 A1級 勝率6.32 モーター ◎ 213523 4
2号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター - 1 2665 5
3号艇 野部 香折 38歳 B1級 勝率4.44 モーター △ 435 16 5
4号艇 赤塚 人志 44歳 B1級 勝率4.05 モーター ○ 3 164 35
5号艇 城内 俊之 40歳 B1級 勝率5.22 モーター × 6 2654 3
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6 56 6
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
朝の10時10分、競艇場1階スタンド。水面横のフェンスで、舟券師の新井英児(あらい・えいじ・34歳)は朝から選手たちの練習を見ていた。
そこに常連客二人、金子洋平(かねこ・ようへい・61歳)と栗原哲也(くりはら・てつや・61歳)がやって来た。常連客二人は、この男が舟券師だとは知らなかった。
金子「やってる、やってる。今日も練習しているね」
栗原「でも、誰が(エンジンが)いいのか、さっぱりわからんよ」
金子「まぁ俺たち素人じゃ、ただ見ているだけだね。ははははは」
栗原「うんにゃ」
舟券師の新井は、二人の会話を無視して、ピットから次々と出て来る選手をじっと見つめていた。
金子が舟券師とは知らず、気軽に見ず知らずの客に話しかけた。
金子「お客さん、どうです、(エンジンが)伸びてる選手いますか?」
新井「いや私も、どの選手が良いのかわからないんです。ただ、見てると爽快でね。何よりもあのエンジン音がいい!」
金子「エンジン音ねぇ。なんか噂によるとプロと言うか舟券師は、エンジン音も聞き分けて、良い悪いを判断するらしいね」
新井「それはすごい」
栗原「それ、本当かい? 俺にはどれも同じ音に聞こえるけれどな」
金子「俺も同じ音にしか聞こえないけれど、舟券師と言う奴は聞き分けるらしい」
栗原「じゃぁ、聴診器でもつけてんじゃないのか?」
金子「ははははは」
新井(聴診器をつけていれば舟券師か……。だったら世の中の医者は、みんな舟券師になっちゃうな)
栗原「だいたい、この世に舟券師なんて存在するのかい? ボートレースの配当だけで生きていくなんて無理だろう?」
新井(ここに居るよ)
金子「全国の競艇場に必ずひとりは居るって聞いてるけれど」
栗原「ホントかなぁ? そんなこと誰が言ってた?」
金子「複数の人間が言ってるけれど、ボートレースに詳しいある小説家も言ってたな」
栗原「どこで言ってた?」
金子「雑誌の対談でも言ってたし、レース場のトークショーでも言ってたよ。舟券師に会ったこともあるって」
栗原「へぇーっ。実在するんだ」
新井(そうなんだ。じゃぁ、私もいつかその小説家と会うことがあるのかな?)
栗原「舟券師なんて、ボートがすべてで、家庭も無い、彼女も居ない、つまらない人生を送ってるんだろうな」
金子「うん」
栗原「きったない格好で、髪は伸び放題、髭ぼうぼうで、足も短いんだろうな?」
新井(勝手に決めるな!)
金子「髭はわかるが、なぜ足が短いんだ?」
新井(そうだ、そうだ!)
栗原「一年中、競艇場の中を歩き回っているんだろう? 足も短くなるさ」
新井(えっ! そういう論理?)
第1レースのスタート展示が始まった。
インコースから123456の順、横一線のスタートだった。
続いて周回展示。ほぼ出走表の通りのエンジンの出来だった。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 萩谷 淳史 38歳 A1級 勝率6.32 モーター ◎ 213523 4
2号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター - 1 2665 5
3号艇 野部 香折 38歳 B1級 勝率4.44 モーター △ 435 16 5
4号艇 赤塚 人志 44歳 B1級 勝率4.05 モーター ○ 3 164 35
5号艇 城内 俊之 40歳 B1級 勝率5.22 モーター × 6 2654 3
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6 56 6
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
金子「さて、1レース、どれを買おうかな?」
栗原「3号艇の野部香折はどうかな?」
金子「どれどれ、」
金子が専門紙に目を通した。
金子「38歳か、ちょうどいい年齢だな。しかも三日目に1着を取ってる。このメンバーなら男性に交っても行けるかもな?」
栗原「だろう。まぁ、1着は1号艇の萩谷淳史でガジガジだろうけれど」
金子「A1級でこの勝率で1号艇は反則だろう。誰がどう見ても負ける訳がない」
栗原「うん、負けるパターンが浮かばないよ。エンジンもいいエンジンを引き当てたし」
金子「じゃぁ、1号艇のA級レーサー萩谷淳史が1着、2着に3号艇勝率4.44の野部香折で行ってみるか?」
栗原「うん、それで間違いない。決まりだな」
金子が近くに居た舟券師に、
金子「お客さんの予想はなんだい?」
新井「難しいな。でも女子レーサーは消したよ」
金子「えーっ!」
栗原「どうして?」
新井「ここじゃ、どう見ても無理だろう?」
栗原「って、ことは俺たちは外れるってことかい?」
新井「まぁ、こればっかりは何が起こるかわからないけれど、私は買わないな」
栗原「じゃぁ、何を買うんだい?」
新井「予想は『1-5』一本と言いたいけれど、『1-4』有り得るな」
栗原「じゃぁ『1-5』『1-4』の2点を買えばまず間違いないってことかい?」
新井「うん」
新井が頷いた。
金子「『5』の城内俊之は5コースでターンマークから遠いだろう?」
新井「そうだね」
金子「『4』の赤塚人志は『勝率4.04』。それに対して『3』の野部香折は『勝率4.44』。野部香折の方が、勝率がいいんだよ」
新井「そうだね」
金子「それでも『1-3』は消しちゃうのかい?」
新井「どうしても、あなた方が『1-3』を買うと言うのなら勿論反対はしないよ」
金子「……」
栗原「……」
新井「ただ、女子の勝率と言うのは当てにならないからなぁ」
金子「えっ、どういうこと?」
新井「女子レーサーと言うのは『ヴィーナスシリーズ』とか『オールレディス』とか女子だけのレースが多いだろう。だから男女混合戦と違って上位を取り易いんだ。それで勝率も高くなる。半年間ずっと男女混合戦に出場していたら、そんなに勝率は高くないだろうな」
金子「確かに」
栗原「お客さんの予想は『1-5』なんだね?」
新井「城内俊之なら5号艇と言えども、1マーク差すなり、まくるなり自由に捌ける腕を持ってるよ。仮に3番手を走っていても、3周の間には2着まで上がれる技術があるよ」
金子「ほぉーっ」
新井「もし抜けないとしたら、4号艇の赤塚人志が2番手を走っている時だろうな」
栗原「オッズはどうなっているんだい?」
3人が対岸にある大きなオッズの電光板を見た。
【オッズ】
『1-3《8倍》』、『1-4《3倍》』、『1-5《4倍》』
栗原「『1-3』で8倍だ。いいねぇ!」
栗原は、新井の話を聞いたが、
栗原「俺は『1-3』一本で行くよ。金子さんは?」
金子「うーん、『1-3』、『1-4』、『1-5』。3通り買うよ」
栗原「それじゃ、あまり儲からないだろう?」
金子「でも堅そうだから。まず当て癖をつけてだね。お客さんは?」
新井「私は見送りだね。買わないで見てるよ」
金子「えっ! なんで?」
新井「自分の予想の『1-5』、『1-4』を買っても儲からないからね」
栗原「見てるだけじゃ、つまらないだろう?」
新井「そんなのしょっちゅうだよ。やるのは一日ひとレースか、ふたレースだね」
金子「でも、もし『1-5』が来たら、『あぁ買っておけば良かった』と後悔しないのかい?」
新井「いえ、まったく」
金子「へぇーっ。まぁいいや、我々は舟券を買って来るよ」
新井「どうぞ、どうぞ」
金子と栗原は舟券売り場へと向かった。
数分後。
金子と栗原がそれぞれ思いの舟券を買って戻って来た。
金子「あれっ? さっきの人居ないなぁ?」
すると近くに居た老人が
老人「あの人はどこかへ移動したんだろう」
金子「えっ? 俺たち嫌われたかな?」
老人「いや、きっとひとりになりたかったんでしょう」
金子「そうなんだ」
老人「あの人、本人は言わないけれど、多分これ(ボートレース)だけで食べているんだと思うよ」
金子「えっ!」
栗原「えっ!」
金子「ほんとかよー。ってことは?」
老人「そう、あんた方が話題にしていた『舟券師』かも知れないねぇ」
栗原「嘘だろっ?!」
金子「ははははは」
栗原「……」
金子「おじさんは、なんでそう(舟券師だと)思うんだい?」
老人「私も隠居暮らしだから暇さえあればこの場所に来るんだけれどね、あの人必ずいるんだよ」
金子「へぇ、いつも居るんだ」
老人「うん。で、勝負するのは、一日ひとレースか、ふたレース」
金子「ああ、本人もそう言ってたね」
老人「それで帰りは大金を持って帰るんだよ」
金子「えーっ!」
栗原「なんで、そんなことを知ってるんだい?」
老人「いやぁ恥ずかしい話なんだけれど、あの人、めったにここから動かないんだよ」
金子「うんうん」
老人「でね。動くときは私、こっそり後をつけるんだよ。本人に絶対に気付かれないようにね」
金子「うんうん」
老人「どんな舟券を買うのか知りたいじゃない?」
金子「うん、確かに」
栗原「そりゃ知りたいな」
老人「ところが何度後をつけても、何を買ったか一度もわからなかった」
金子「……」
栗原「……」
老人「体で券売機の画面を隠すように買ってたよ」
金子「ガードが堅いんだな」
老人「払い戻しの時は、チラッと画面が見えるんだが、何を買ったかはもう興味が無かったので覚えてないな」
金子「レースが終わってからじゃ意味ないもんな」
老人「ただ、いつも払戻機から出た札束を握り締め財布にしまっていたよ。ぶ厚かったなぁ~」
金子「それ、何回ぐらい見たんだい?」
老人「何度もだよ」
金子「へぇーっ、あの人、すごい人だったんだ」
栗原「やっぱり舟券師だったのか?」
金子「栗さん、舟券師のことをなんか言ってたよなぁ?」
栗原「えっ? そうだっけ?」
金子「『舟券師は、きったない格好で、髪は伸び放題、髭ぼうぼうで、足も短い』とか、」
栗原「ははははは。そんなこと言ったっけ?」
金子「『舟券師は、一年中、競艇場の中を歩き回っているから足も短くなるんだ』とか」
栗原「ははははは」
栗原が笑ってごまかした。
老人「ははははは」
老人も楽しそうに笑った。
老人「あの人は、もう戻って来ないだろうな」
栗原「そうかなぁ?」
老人「きっとどこかで自分の足を見てると思うよ」
金子「ははははは。栗さん、舟券師のことをメチャクチャこき下ろしていたもんなぁ」
栗原「だって、まさか舟券師、本人だと思わなかったもんなぁ」
金子「あそこまで舟券師を侮辱するなんて、たいしたもんだよ」
栗原「それ褒めてんのか?」
金子「なんせ、頭のてっぺんから足の先までけちょんけちょんに、けなしたんだからな。よくあれだけ悪口を思いつくよ」
栗原「そこまで言うなよ」
金子「舟券師に対する偏見と冒涜だな」
栗原「誰だってそう思うだろ? こんな水際で一年中暮らしている生き物なんてタニシか舟券師ぐらいだぞ」
金子「自分勝手な先入観だな」
老人「そう言えば、」
金子「はい?」
老人「そう言えば、」
金子「なんですか?」
老人「あんた」
老人が栗原を指さして、
老人「あんた『舟券師はボートがすべてで、家庭も無い、彼女も居ない、つまらない人生を送ってるんだ』とも言ってたなぁ」
栗原「良く覚えてるなぁ~。そこまで俺を責めます?」
老人「まぁ、弱っている時に、一応とどめを刺しておかないとな。ははははは」
金子「ははははは」
栗原「そ、そんなぁ……」
栗原がガックリとうなだれた。
競争水面では、男子4名 女子2名のレーサーがゆっくりボートを動かしていた。
爽香(昨日は、フライング艇があったので5着だったけれど、結果は最下位。自分で自分が情けない。とにかく悔しい!)
爽香(今日は、みんなの大外をスロットレバーをゆるめず、全速でターンしてみよう……)
♪ファンファーレとともに、6名の女子レーサーが水面に出てきた。
気温22度、晴れ、追い風2m、水温21度、波高1cm。
実況「進入はインから1、2、3、4、5、6、」
実況「大時計が回り、10秒前、5秒前、スタート」
爽香は今日も6コース、スタートは横一線だった。爽香が第1ターンマークに差し掛かった。 爽香は他の5艇の大外を全速でターンした。その勢いで艇が対岸の消波装置へと流れて行った。
爽香(あっ!!! 消波装置《オレンジ色のボード》にぶつかる!!!)
爽香は、あわててスロットルレバーを離した。
ボートのサイド面が、消波装置にぶつかった。しかし、やっとのことでなんとか艇を立て直し、爽香は走り続けた。
爽香(良かった! なんとかなりそうだわ)
2分後、結果は大差の6着。
爽香(今日は、もう1回乗れるので、次こそ頑張るわ!)
爽香(今日もう1回のレースと明日のレースを完走すれば松木教官からケブラーズボンがもらえる。『3着以内に入れたらレース用シューズ』と言うのは無理かも知れないけれど、ケブラーズボンはもうもらったようなものね。フフフフフ)
【10】5日目、第7レース(本日2回目の乗艇)。周回展示で何が起きた?
『ボートレース戸田』 5日目 7レース 予選 男女混合一般戦
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 吉川 聖 45歳 A2級 勝率5.48 モーター ○ 2 13562
2号艇 乙川 康文 45歳 A1級 勝率6.38 モーター ◎ 1565311
3号艇 原島 加那 25歳 B2級 勝率0.00 モーター △ 5 34265
4号艇 石河 正人 63歳 B1級 勝率5.26 モーター - 663 423
5号艇 大柳 和高 38歳 B1級 勝率5.13 モーター × 14444 5
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 6 566
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
第6レース6号艇。男子4名 女子2名。
本番レースの前、周回展示が始まった。6名の選手が1号艇から順番に、一定の間隔を空けコースを2周走る。観客はその航走を見て、エンジンの調子やターンの技量を確認し予想の参考にする。競馬で言えば、パドックのようなものである。
爽香は6号艇なので船隊の一番後ろを走っていた。
ボートレースをボートレース場で初めて見る客(初客)が、場内にやって来た。この客は、いつもはケーブルテレビでボートレースを観戦していた。
初めて本場(ボートレース場)にやって来たその客が、水面を走っているボートを見るやいなや、
初客「おっ! 第6レース、『1―2』! 吉川、乙川の順で走ってる!」
ボートの横には大きく選手の名字が書かれてあり、それを見ながら叫んだ。
初客「くそーっ! 1―2で固かったか。もうちょっと早く来れば買えたのになぁ」
初めての客が、今買った競艇新聞を握り締めながら悔しそうに言った。
初客「そうだよな、やっぱり1枠の吉川で間違いないよな。うーん、ショック!!」
それを聞いていた隣の常連客が、
常連「ショックのところ、話しかけて申し訳ないのですが、」
初客が少しムッとした表情で、
初客「うん、なんだい?」
初客が怪訝そうに言った
常連「これ、周回展示ですけれど、」
初客「えっ!!! ははははは。そうかい。そうだよなぁ、ははははは、1着から6着まで随分差がついちゃってるものなぁ。ははははは」
さっきまでの態度が嘘のように打って変わって、初客が笑ってごまかしにかかった。
常連(コイツ、笑って自分の知識の無さを消そうとしている……)
初客「いやいや、これはお恥ずかしい」
常連「いいえ、私も以前、間違えたことがありますから」
常連客は太っ腹だった。
初客「そうかい。そう言ってくれると嬉しいねぇ。フォローしてくれて、ありがとよ」
初めての客がそう言った時だった。水面で、
爽香「あっ!!!」
周回展示走行中の爽香が叫んだ。
向かい風にあおられて爽香の乗る6号艇が転覆した。初客がそれを見て、
初客「えっ! 本当に周回展示かい? 本番じゃないの? だって6号艇、転覆したよ!」
常連「えっ! あっ本当だ!」
1周目第2ターンマークを周った所で、ボートがひっくり返っていた。
初客「周回展示でも転覆するのかい? あり得ないよね」
常連「あの6号艇は、今節デビューした新人ですから」
初客「あっ、そうなんだ。あっ、バカだねぇー。レースする前から転覆するなんて。着替えのパンツ持っているのかなぁ?」
常連「持っていると思いますよ」
初客「なら、いいけど。持ってなかったら俺のを貸してやろうと思ってさ」
常連「サイズが合わないと思いますけど」
初客「そうかい」
常連「6号艇の速水は、お客さんの『1―2で固かったか』が聞こえて、2周目と言うことも忘れて、1号艇に抜かれないように、ターンを無理したんじゃないですか? もし、1号艇に抜かれたら『1-6』になっちゃいますからね」
初客「うまいことをいうねぇ~。ははははは」
常連「ははははは」
2人が大声で笑った。
転覆した爽香が、水中から水面に浮き上がって来た。
爽香(うわっ、やっちゃった! 誰か、スタンドで笑っている?)
爽香(向かい風が、へさきの下に潜り込んで来たのよね)
爽香(どうしよう、恥ずかしい)
爽香が恥ずかしがっているうちに、レスキュー艇(救助艇)が、爽香の目に見る見る大きくなって見えてきた。
爽香はプカプカ浮きながら、観客席と逆の方向に向きを変えた。
レスキュー艇が爽香のところまで近寄った。
救助員「大丈夫ですか? ケガは?」
爽香「大丈夫です。なんともありません」
爽香がそう答えると、レスキュー職員が爽香を舟のデッキまで一気に持ち上げてくれた。爽香はデッキに座り込みうつむいた。レスキュー艇はピットへと向かって走って行った。
スタンドで別の客AとBが
客A「速水は大丈夫そうだな」
客Aが独り言のように言った。
客B「そうですね。ケガもなさそうですね」
隣に居合わせた客Bがそれに答えた。
客A「選手になって初転覆が周回展示とはね、」
客B「本人にとっては、いい思い出になるんじゃないですか?」
客A「でも良かったよなぁ」
客B「えっ、何がですか?」
客A「6号艇で2周目を回った所での転覆だから後続艇がなくて」
客B「そうですね。轢かれなくて済みましたね。そういう点ではついてますね」
客A「うん、デビュー早々レスキュー艇にも乗れたし」
客B「いいことづくめじゃないですか」
客A「ああ、将来が楽しみだな」
客B「そうですね。追いかけてみたいですね」
客A「わしら気が合うね」
客B「ええ、ボートレースファンって、知らない人でもすぐに話しかけ、すぐに仲良くなっちゃうんですよね」
客A「そう、その通り。3階のフードコートなんかに行くと、みんな知らない者同士で『ああだの、こうだの』と、話し合っているからね」
客B「これもボーレースの楽しみのひとつですよね」
客A「その通り!」
爽香は本番のレース、欠場となった。エンジンは水に浸かり整備が必要なのだが、展示後は、エンジン整備をしてはいけないという決まりがある。そのため、必然的に欠場となってしまうのだ。そして、事故点も付いた。
爽香は、ピットで泣いていた。
爽香(ついにやってしまった! デビュー節での欠場、舟券返還金の発生、係員から半端なく怒られた。惨めだ、涙が出た、悔しい! これで松木教官からケブラーズボンのプレゼントも無くなった。今頃、松木教官はどう思ってるんだろう?
松木教官から『絶対に泣くなよ』と言われていたのに、ごめんなさい、約束を守れませんでした。本当にごめんなさい)
【11】6日目(最終日)、第1レース。大外の全速ターンより、最インを突いてみよう!
『ボートレース戸田』 6日目 1レース 予選 男女混合一般戦
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【出走表】
1号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター △ 12665443
2号艇 赤塚 人志 44歳 B1級 勝率4.05 モーター ◎ 31645256
3号艇 木森 沙也 28歳 B1級 勝率4.13 モーター - 42656653
4号艇 小森 賢二 39歳 B1級 勝率4.36 モーター ○ 35351224
5号艇 小河 智幸 40歳 B1級 勝率5.43 モーター × 64153425
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 6 66656欠
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
爽香は、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。
爽香は、朝を迎え、作戦を練った。
爽香(昨日、大外の旋回がダメだったから、今日はターンマークに最も近い所、最インを突いてみよう。それでダメならもう打つ手なしね)
第2レース、男子4名 女子2名。レース本番。
♪ファンファーレと共に、第2レース6名のレーサーが水面に出てきた。
気温19度 曇り 追い風2m 水温20度 波高1cm
爽香(今日は、昨日と同じ失敗をしないわよ!)
爽香(気温より水温の方が高いんだ。でも絶対落ちないからね。温泉に湯治に来てるんじゃないんだから)
スタート15秒前。そして、14、13、12秒前。爽香はスロットレバー(アクセル)を引き加速した。
スタート5秒前。そして、4、3、2、1秒前。
爽香(スタート!)
ほぼ横一線のスタートだった。
第1ターンマーク、
爽香は、他の5艇が回ったところをコースの奥から差しを試みた。
爽香(うわっ! 前を行く船外エンジンのしぶきで前が見えない。しかも他5艇の航跡がぐちゃぐちゃにうねっていてあたしのボートが浮いちゃう。これは無理だわ)
第1ターンマークを回っただけなのに、もう大差がついていた。
爽香(みんなは舗装された道路を走っているのに、私だけでこぼこ道を走っているようなもんだわ)
結果、とてつもない大差の6着。
【12】 松木教官からのメール!?
デビューした開催が終わった。欠場1回、それ以外はすべて最下位という結果だった。レース場から自宅までの長い道のりを爽香はスーツケースを引きずりながら歩いていた。
爽香(ついにデビューの節が終わってしまった)
爽香(本当に惨めだ。誰とも会いたくない)
爽香(あたし、養成所の松木教官になんてことを言ってしまたんだろう。『事故完走だったらケブラーズボン。3着以内だったらレース用シューズ。もうゲットしたようなものです。教官、約束ですよ』と)
爽香(甘かった! 自分が恥ずかしい。松木教官の言っていた『すべてのレースで無事故完走すること』が、出来なかった)
爽香(そしてもうひとつの『フライングや転覆などの事故を起こしても絶対に泣くなよ』これも、今、約束を破りそうです)
そう思った瞬間、爽香の目から涙が一気にあふれ出た。
爽香(二つ目の約束も破ってしまいました)
爽香「ううーっ、」嗚咽がこぼれた。
爽香はスーツケースもそのままに、道路端に泣き崩れてしまった。
それからどのくらいの時間が経ったろうか。たまに通る人が、かがんで丸く縮こまっている爽香のことを、見て見ぬふりをして通り過ぎて行った。
爽香(こんなことで、これからボートレーサーをやっていけるんだろうか?)
爽香は、たまらなく不安になってきた。そして、やっとのことで立ち上がり、再び歩き始めた。自宅までの長い帰り道、歩きながら涙が止まらなかった。その涙を何度も何度も手で拭ったが、涙が枯れることはなかった。
爽香(あー、やんなっちゃう)
そんなとき、爽香の携帯電話が鳴った。
爽香(メール? う~ん、見たくもないわ。う~ん、誰よ?)
松木教官からのメールだった。
爽香(えっ! 松木教官?)
爽香(お叱りか? それとも『やっぱり、私の言った通りだろう』って?)
爽香(あーっ、見たくない)
爽香(でも、返事が必要なメールかも?)
爽香(あ~、見たくないわ)
爽香が恐る恐るメールを開いた。
松木「結果は残念だったな。今頃泣いているのかな? お前は昔っから泣き虫だったからなぁ」
爽香(教官、まるでどこからか、あたしを見てるみたいね)
爽香は辺りをぐるっと見回したが誰もいなかった。
爽香(そうよ、その通り。泣いてるわよ!!!)
松木「泣くのも気分転換には必要だから許そう」
爽香(でも、許してくれるんだ)
爽香の口元が、ほんのかすか緩んだ
松木「涙でボートコースの水面があふれるくらい今日は泣いてみろ。いいかその分、明日からは練習して頑張るんだぞ。ガンバルンバ、ルンバ、ルンバ」
爽香「グスン」
松木「いいか、よく聞けよ。『選手というのは、負けた分だけ精神力も技術力も伸びるんだ。逆に勝った分だけ伸び悩むんだ』だから負けることで恥じる必要もないし、そんなこと、選手全員が経験することなんだ。負けは、成長するための栄養素だと思えばいい」
爽香(そうなんだ)
松木「明日からは、負けても泣くなよ。負けたら『練習しよう』って、そう思え」
爽香(そうか、練習か)
松木「一流選手は、みんなそうして失意の底から這い上がり、今があるんだ」
爽香「……」
松木「わからないことがあったらいつでもメールをくれ。私もわからないけれど、なんとかなるさ。ははははは」
爽香(教官らしいわ)
松木「愚痴ならいくらでも聞くぞ。ははははは」
爽香(ありがたいわ)
松木「そうそう、私の長財布に、いつも30万円が入っている。これからは、お前のために使おうと思ったのに使えなかった。本当に残念だよ。これじゃ、お金が増えるいっぽうで財布が壊れそうだ。じゃぁな」
爽香「30万円なんて持ち歩いてないくせに見栄張っちゃってさ。ふふふふふ」
泣いていた爽香に、笑顔が戻って来た。
福岡県柳川市のボートレーサー養成所、職員室。
松木四朗教官と荘野幸照(しょうの・ゆきてる・57歳)教官が話をしていた。
荘野「松木さん、速水爽香のデビュー戦、ダメでしたねぇ」
松木「まぁ、あんなもんだろう」
荘野「周回展示で転覆しちゃいましたねぇ」
松木「ああ。デビュー戦を、ひとりで水神祭したんだろう」
ボートレースで『水神祭』とは初勝利した時に、先輩や同期、仲の良い選手たちに担ぎ上げられ、ボートレース場の水面に投げ込まれる儀式である。
荘野「なるほど、そう言う言い方もありますね」
荘野がにやけた。
松木「本当の水神祭なんて、何年かかるかわからないからな。ははははは」
松木は、そう言うとポケットから長財布を取り出し中身を確認し始めた。
それを見ていた荘野が、
荘野「あれっ、松木さん、それしか持ち歩かないの?」
長財布には、二千円しか入っていなかった。
松木「あれっ? (福沢)諭吉(壱萬円札)が居ないぞ? なんで居ないんだ。どこかに出かけたのか?」
荘野「福沢諭吉は、ひとりで勝手に出かけないですよ。野口英世が、ふたりしか居ないじゃないですか?」
松木「うん。おかしいなぁ? 双子の野口英世しか留守番してないとは?」
荘野「いつもなら、もっと入ってるんですか?」
松木「もちろん!」
荘野「いくらぐらい?」
松木「30万円!」
荘野「嘘でしょう?」
松木「ははははは」
荘野「それが、松木さんの夢なんでしょう?」
松木「ははははは」
荘野「ははははは」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【後書き】
たくさんの作品の中から本編をお読みいただきありがとうございました。m(__)m
まだまだ未熟ではありますが、皆様に愛される作品となりますよう努力を重ねていく所存です。m(__)m
重ね重ね御礼申し上げます。本当にありがとうございました。m(__)m
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




