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女子ボートレーサー と市役所職員  作者: 池井 けい
第3章 ボートレース予想プロ集団の結成
27/40

07 ♡レンタルビデオとお化け(後編)

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【あらまし】(このエピソードはホラーコメディです。他のエピソードを読まないで、このエピソード前後編だけ読んでも楽しめます。)


 平沼潤平はワンルームマンションに住んでいる。ある日潤平は、大家と不動産会社の会話から、真上の部屋で女性が亡くなったことを知ってしまう。


 それからというもの、次から次へと不吉なことが潤平に襲い掛かる。

 血の滴る音『ポタッ、ポタッ』という音。

 刃物を研ぐ音『ジャッ、ジャッ、ジャッ』という音。

 夜遅くには窓に髪の長い女の影が。

 潤平は精神的に完全にまいってしまうのだった。

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【主な登場人物】

三輪詩音 31歳女 レンタルビデオ店店長

平沼潤平 28歳男 国民健康保険課職員

坂口大輔 28歳男 国民健康保険課職員

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【前書き】

●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております

●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました

●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです

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【01】 黒縁メガネに、大きなマスク


 夜9時、潤平がアダルトビデオを返しに行った。厳選に厳選を重ねた2本を返却の箱に入れた。借りるときはカウンターでだが、返すのは返却箱に入れるだけで良いシステムになっていた。

 店長の三輪詩音は、度の入ってない黒縁メガネに、大きなマスクをし、長い髪は団子ヘアにしていた。普段はメガネもマスクもしていない。レンタルビデオ店の店員だとばれないように、普段の格好と職場の格好とを変えていた。それは、アダルトビデオを借りる男性と街中ですれ違った時、詩音が気にするより、お客様が気にするだろうという配慮に基づくものだった。

 詩音はカウンターで返却されたビデオをひとつひとつ拭いていた。

詩音(あっ、平沼さんだ)

 平沼潤平の入店に気が付いた。詩音は必ず入店者を見るようにしている。怪しい人物かどうかチェックするために。しかし、入店した客とは、絶対に目も合わせないし、まったく気付かない振りをする。それが詩音のやり方だった。


 平沼潤平はこのビデオ店の店長が、自分の住むワンルームマンションの階段でぶつかりそうになった女性だとはまったく気づいていなかった。

 いつものように、お笑いのビデオコーナーを見て、それが終わるとアダルトビデオのコーナーへと姿を消した。

 結局、平沼潤平は、お笑いのDVD1枚とアダルトもの1枚を手にしてカウンターへと向かった。平沼潤平は二つ折り財布からこのレンタルビデオ店の会員証を取り出し、

潤平「一週間でお願いします」

 詩音はビデオのバーコードを読ませながら、

詩音「はい、一週間ですね。330円になります」

 平沼潤平はいつものように料金を支払い店を出た。


 平沼潤平の勤務時間は、8時半から17時15分。一方、詩音の勤務時間は16時から24時30分。それゆえ、二人がワンルームマンションですれ違うことはなかった。

 ある日のことだった。不動産会社から平沼潤平と三輪詩音それぞれに電話があった。

不動産会社「4年に1回、ガス設備法定点検が義務付けられておりまして、料金は無料、15分ぐらいで終わります。立ち合いが必要なものですから、平日でご都合の良い時間はありませんでしょうか?」

潤平「では、28日の4時で」

不動産会社「わかりました」

 同じように不動産会社が三輪詩音に電話をした。

詩音「では、28日の3時で」

不動産会社「わかりました」


【02】 ガス設備法定点検


 28日、平沼潤平は、美浦市役所を午後3時から休暇を取り、家へと戻った。一方、三輪詩音は、出勤前の午後3時にガス設備法定点検を受けていた。

点検員「以上で点検終わりです。配管もお風呂も異常はありませんでした。ご協力ありがとうございました。こちらが報告書になりますので、サインをお願いできますか?」

 詩音はサインをし、2枚複写の内の1枚をもらった。時刻は、3時15分。詩音は、そのまますぐに、出勤できるように、団子ヘアに黒縁メガネと大きなマスクを着けていた。

一方平沼潤平は、自転車でワンルームマンションに戻ると駐輪場に自転車を停めた。

 平沼潤平が階段を上り始めた。階上から、メガネとマスクを着けた詩音が下りてきた。二人がすれ違った。

潤平「おや?」

詩音「まずい!」

 そのまま二人は、遠ざかって行った。その後平沼潤平は自分の部屋に入り、ガス設備法定点検の係員が来るのを待った。

 平沼潤平は、ガス設備法定点検の係員が来るまでの時間、考えていた。

潤平(あれっ? さっき階段ですれ違った女性、いつも行くレンタルビデオ屋さんの店員だよなぁ?)

潤平(えっ? なんでここに居るの? なんか僕、返し忘れていたっけ?)

潤平(それとも、借りて、もう一週間経った?)

潤平(いや、そんなはずはない。借りたばかりだ)

潤平(って、ことは。ん? ここの住人?)

潤平(うそだろっ、それはちょっと恥ずかしいな)

潤平(『ワルサの女』借りたのばれている?)

潤平(『ウルトラの乳』も? うそだろっ)

潤平(気になるな。ようし、今晩、勇気を振り絞って、あのレンタルビデオ屋さんに行ってみよう。服装が、さっき階段で会った時の服装なら同一人物ということになる)

 部屋のドアがノックされた。

点検員「ガス設備の点検に伺いました」

潤平「はーい」


 その夜、平沼潤平は外食で中華食堂に入った。

潤平「ラーメンと餃子、お願いします」

店員「はい、ありがとうございます。ラーメンと餃子入りました」

 大きな声で店員が復唱する。

潤平(ラーメンと餃子が、どこに入るんだ? ポケットか?)

 ひとりでツッコミを入れた。

 やがて、ラーメンと餃子が目の前に置かれた。

潤平(やはり、この組み合わせは最強だな。ククククク)

 ラーメンとギョーザを食べ終わると平沼潤平はレンタルビデオ店に向かった。


 ビデオ店の中へ入ったが、昼間階段で見た女性の姿は無かった。

潤平(うん? 休みか?)

 そう思い、アダルトコーナーへと向かった。

 大きなのれんをくぐり囲まれた部屋に入ると、昼間階段ですれ違った女性が居た。詩音が返却されたDVDを元の棚に戻していた。

潤平「あっ!」

 思わず声が出てしまった。

潤平(昼間会ったときとまったく同じ服装。そこに黒いエプロンを着けている。あーーーっ)

 その声に気付いて、詩音が振り向いた。

詩音「……」

 詩音は、何も言わず、うつむき加減に会釈した。そして、まだ片付け途中のDVDを抱えて、カウンターへと戻って行った。


 しばらくして、平沼潤平はお笑いのDVDを1枚持って、カウンターへ向かった。誰も客は居なかった。

 平沼潤平は二つ折り財布からこのレンタルビデオ店の会員証を取り出し、

潤平「一週間でお願いします」

詩音はビデオのバーコードを読ませながら、

詩音「はい、一週間ですね。165円になります」

 平沼潤平が、料金を会計皿の上に置いた。と、同時に

潤平「同じマンションだったんですね」

 詩音が黙って頷いた。

潤平「なんか恥ずかしいな」

詩音「いいえ、お得意様です。他の店に行かないでくださいね」

潤平「えっ?」

詩音「今日は、DVD1枚でいいんですか?」

潤平(やはり、覚えられている)

潤平「なんか、恥ずかしくて」

詩音「私は気にしませんけれど。そうだ、これ使ってください」

 そう言うと無料レンタル券5枚つづりを会計皿の上に置いた。

潤平「えっ! いいんですか?」

詩音「はい、はんそくよう(販促用)クーポンですから」

潤平「はんそく(反則)?」

詩音「ごめんなさい。販売促進の略語です」

潤平「そうですか。それは助かるな。800円ぐらい儲かるな」

詩音「良かった。これからも来てくださいね。売り上げを落としたくないんです」

潤平「えっ! だってバイトでしょう?」

詩音「すみません。一応店長なんです。ふふふふふ」

潤平「えっ!」

詩音「驚いてばかりなんですね。ふふふふふ」

 詩音のマスクが揺れていた。

潤平「だって……、」

 言葉に詰まった。慌てて、

潤平「ビデオ店の店長って、メチャクチャたいへんでしょう。ライバル店もある訳だし」

詩音「明るく楽しい生存競争ってとこですかね」

潤平「ああ、いいなぁ。その明るい受け止め方が」

詩音「はい、明るく仕事させていただいています」

潤平「あぁ良かった、明るい方で。これで遠慮なくビデオが借りられそうだ」

詩音「はい、またのお越しをお待ちしております」

 詩音が頭を下げた。潤平は、DVDとクーポン券と領収書を持ってその場を去った。お店を出るなり、

潤平「ふーっ」

 大きくため息をついた。


【03】 刃物を研ぐ音『ジャッ、ジャッ、ジャッ』が……


 三輪詩音は、今日の仕事を終え、自分の住むマンションへ帰った。マンションに着いたのは深夜1時だった。自転車置き場に自転車を停め、鍵をかけ、鍵を抜こうとした。

詩音「あれっ! 抜けない!」

詩音(古い自転車だから、鍵の錆びもひどいわ。茶色い錆びで鍵の体積が増えている感じだもんなぁ)

 詩音は、鍵を前後左右にカチャカチャやりながら、力ずくで鍵を抜いた。


 3階、303号室、詩音の部屋。

 詩音は自分の部屋に戻ると、備蓄してあるカップ麺に熱湯を注ぎ、3分待つ間に瓶詰のメンマと、タッパーに入っている焼き豚を冷蔵庫から取り出してきた。

 3分が経ち、蓋の紙をはがした。カップ麺から湯気が立ち上る。においが詩音の鼻に入って来た。

詩音「う~ん、最高!」

 熱くてすぐに食べられないので、詩音は冷たいメンマと冷たい焼き豚をカップ麺の中に入れてかき混ぜる。これでちょうど良い温度になる。そこに好みや体調に合わせて小瓶のラー油を数滴たらす。

詩音「完璧!」

 毎回、自画自賛する。こうして食べた方が、おいしく感じるからだ。

詩音(カップ麺、メンマ、焼き豚。やはり、この組み合わせは最強ね。フフフフフ)


 2階、203号室、潤平の部屋。

 深夜、不気味な音が聞こえてきた。潤平はその音で目が覚めた。『ジャッ、ジャッ、ジャッ』。

潤平(なんだ、この音は?)

潤平(刃物を研いでいる音?)

潤平(嘘だろう、以前の血の滴る音から、今日は刃物を研ぐ音に変わった。亡霊は、僕を殺す気なのか?)

 ブルブルブル。全身に鳥肌が立った。すると、そのせいか妙にトイレに行きたくなった。

潤平(ビールが効いたか?)

潤平(う~ん、行きたくないなぁ)

潤平(トイレに出て来そうだな、亡霊が)

潤平(う~ん、でも我慢できなくなってきた、まずい!)

潤平(う~ん。大輔がいればなぁ~)

潤平(仕方ない、行くか、)

 勇気を振り絞って潤平は、起き上がると、すべての部屋の灯りをつけ、光量(明るさ)を最大にした。潤平は、トイレは大でも小でも便座に座るようにしている。尿が飛び散るのを防ぐためだ。潤平は、パンツを降ろし便座に腰掛けた。そして、ゆっくりと放尿し始めた。

 その時だった!!!

『ジャッ、ジャッ、ジャッ』

 頭のてっぺんから頭の芯へ沁み込んでいくような、刃物を研ぐ音が聞こえてきた。

潤平「うわっ!」

慌てて立ち上がった。尿が、床へ放たれた。

「ピチャピチャ」

潤平「あっ、まずい!」

潤平(な、なんだ! 今の音は?)

潤平(不気味だなぁ。しかも、座って用を足す意味がまったく無かったなぁ)

 潤平は、トイレから一歩出て、トイレの天井を見上げた。

潤平(むむ。何もない)

潤平(気のせい? そんなわけがない、あんな大きい音)

 潤平は、部屋の全部を見渡した。

潤平(誰も居ない)

 潤平は、さっきの恐怖で止まった残りの尿を便器に放出した。そして、一度水を流した。

『ジャーッ』

 トイレットペーパーホルダーから、ペーパーを外し、外にまき散らした尿を拭き始めた。

潤平(くそっ、亡霊はなんの恨みがあって、僕を狙うんだ。なにか悪いことでも僕がしたか?)

潤平は、床にまき散らした尿の半分ほどを拭き、そのトイレットペーパーを便器に入れ、一回水を流した。いっぺんに大量の紙を流すと詰まりそうな気がしたからだった。

『ジャーッ』

 潤平は、再度残りの床にまき散らした自分の尿を拭きとった。

潤平「OK、完璧だ」

 そう言うと、拭きとった紙を便器に放り込み一度水を流した。

『ジャーッ』

パイプが詰まるのを防ぐため、念のため、もう一度水を流した。

『ジャーッ』


 数分前、3階303号室のトイレでは、

 詩音は食べ終わると、微細な便意を感じた。

詩音(食べれば出る。これは道理よね。でも最近便秘で、)

詩音(そうだ! 自転車の鍵と紙やすり)

 詩音は、自転車の鍵と紙やすりを持ってトイレに入った。便座に座ったが、便が出ない。詩音は、左手に自転車の鍵、右手に紙やすりを持ち、床にトイレットペーパーを敷き、前かがみになって、鍵を磨き始めた。

『ジャッ、ジャッ、ジャッ、』

 音がした。茶色い錆が、トイレットペーパーの上に落ちた。

詩音(いい感じ。しかも『体を前かがみにして、かかとを上げると便が出やすい』って言うし、一石二鳥ね)


詩音(出たっ!)

 階下で

潤平『うわっ!』

 ほぼ、同時だった。

詩音(あらっ? 下の人、起きているんだ)

 階下で水を流す音が聞こえた。

詩音(今ね!)

『ジャーッ』、詩音も、階下に合わせて水を流した。

詩音がお尻を拭き、錆の粉の付いたトイレットペーパーを丸め始めた。

少しして、階下から

『ジャーッ』

 水を流す音が聞こえてきた。

 そのあとも、二度、水を流す音が階下から聞こえてきた。

詩音(4回も水を流して。しかもこんな夜中に。平沼さん、お腹の調子でも悪いのかしら?)

 詩音は、トイレを出ると、自転車の鍵に食用油を塗った。そのあと、203号室の様子を見に階段を降りだ。


 潤平は、床に撒いた尿を拭きとりほっと一息ついていた。

潤平「ふーっ、やれやれ」

潤平はダイニングに立ち、水のボトルを取り出そうと、冷蔵庫の扉を開けた。冷蔵庫の中を覗いていると、

『コツ、コツ、コツ、』

 誰か階段を歩く音が耳に入った。

潤平「嘘だろっ!」

 冷蔵庫の奥の光を見ながらつぶやいた。

『コツ、コツ、コツ、』

 その足音が、潤平の部屋へと近づいて来た。

潤平(間違いなく一歩ずつこっちへやって来る。来るな、来るな!)

潤平(亡霊よ、来ないでくれ~!!!)

潤平は、冷蔵庫の中に頭を入れたまま、冷蔵庫のドアを閉めようとしていた。

潤平(部屋の灯りを点けたのがいけなかったのか? こんな夜中に、明かりを求めて、生き返ったのか? ううう~)

『コツ、コツ、……、』

潤平(むむっ。止まった。いや消えたのか?)

 潤平は息を止めた。

潤平(音が消えた。ふーっ、良かった)

 潤平は、そーっと、冷蔵庫のドアから顔をずらした。

 キッチンの窓が見えた。

潤平「うわっ!」

 長い髪の女性が窓の外からこっちを見ている。

潤平(で、で、出たぁ~っ!)

 声が出なかった。

腰を抜かし、四つん這いで、布団の方へ向かった。

急いでリモコンで電気を消し、布団の中に潜った。

潤平(この前見た、あの同じ女だ。魂が残っているんだ!)

潤平(うう~っ)

 全身に鳥肌が立っていた。

潤平(もう、ダメだ。耐えられない)

 布団の中で、震えていた。


 203号室のドアの外。

詩音(あれっ、灯りが消えた)

詩音(お腹の調子が良くなったのかな?)

詩音(じゃぁ、いいっか。治すのには、寝るのが一番だし、帰ろっと)

 詩音は、自分の部屋へと戻って行った。


【04】 潤平、恐怖に対して我慢の限界!


 潤平の我慢は限界に達していた。

潤平(これ以上は耐えられない。なんとかしないと、亡霊に殺される!)

潤平(ここから引っ越すか? それしかないか?)

潤平(でも金がかかるなぁ。10万、20万、無い訳じゃぁないけれど、こんなことで使うのはもったいないし、納得いかないなぁ)

潤平(このマンションで、部屋だけ変えてもらうとか?)

潤平(うむ、待てよ。あの亡霊は、歩けるんだから部屋を変えても追いかけてくる?)

潤平(ダメだな。少し冷静になろう。う~ん)

潤平(なにか良い方法は? と)

潤平の頭にレンタルビデオの、店長の顔が突然浮かんだ。

潤平(うん、あの女性?)

潤平(レンタルビデオの店長、このマンションの3階に住んでいるはずだぞ!)

潤平(そうだ、この前のガス設備法定点検の日、彼女は階段を上から降りてきた。僕は、駐輪場から階段を上って行った。彼女が階段を上るということは、1階には住んでないということだ)

潤平(すると、残るは、2階か、3階)

潤平(2階の僕以外の住人は、顔を見たことがある。2階じゃないな)

潤平(そうだ、やっぱり3階だ。彼女は3階に住んでいる)

潤平(ということは、彼女、亡霊についてなにか知っているんじゃないのか?)

潤平(まさか、まさか彼女が亡霊の変身!!!)

潤平(うっ! そんなバカな!)

潤平(昼間はレンタルビデオ店の店長、夜は悪霊?)

潤平(一人二役? 坂口さんのジョーブ君と平凡な公務員みたいなものか?)

潤平(いや、そんな可愛いものではない)

潤平(あのマスクの下? 口が大きくて、人を飲み込むことが出来るとか?)

潤平(それとも口裂け女?)

潤平(なんで、あそこまで大きなマスクを普段からしているんだ?)

潤平(謎だらけだ。とにかく、彼女に聞いてみよう)

潤平(何か知っているかも。でも彼女に聞くのは怖いな)

潤平(もし、彼女が悪霊なら、かえって餌食になるようなものだ)

潤平(『飛んで火にいる夏の虫』ってことわざがあったっけ。まさに僕のことか?)

潤平(ひょっとして、彼女が僕の真上の部屋、303号室に住んでいるんじゃないか?)

潤平(僕を部屋に引きずり込んで、僕の背中から研いだ包丁でグサッ!)

潤平(まさか!)

潤平(とにかく、冷静に対処しよう、冷静に)

潤平(今から、レンタルビデオ店に行って、彼女の様子を見てみよう)

 潤平は、早速レンタルビデオ店に行った、

 レンタルビデオ店に入ると、すぐに店長の三輪詩音を見つけることが出来た。詩音はカウンターの中に居た。潤平は、チラ見した。

潤平(なんら普通の女性と変わりない)

詩音(平沼さんだ。気付かない振りをしよう)

 潤平は、いつもどおり、カウンターを通り過ぎ、お笑いのビデオコーナーに行った。そして次もいつもどおり大きなのれんをくぐってアダルトコーナーに行った。

潤平にとって『のれん』のイメージは、『飲食店』でもなく、『銭湯』でもなく、『レンタルビデオ店』だった。

 アダルトコーナーに行くと、

潤平「おっ!」思わず声を上げてしまった。

 新作で面白うそうなタイトルのDVDが棚の一番良い所に陳列されていた。

潤平(これは、なかなか良いタイトルだ!)

潤平は『イマニエル夫人』のDVDを手に取った。

潤平(どれどれ、)

 潤平が、DVDケース裏面の説明を読み始めた。

潤平「なになに、」

説明「居酒屋の女将と常連客がおりなす物話。常連客が店に行くと女将が『あなたのために、いも煮を作っているの。奥の部屋で待っていて。()()()()から』と奥の部屋に誘うのだった」

潤平(ばかばかしい。誰がこんなうまいタイトルを考えたんだ。監督か? それとも脚本家か?)

 潤平はけなしながらも、その抜群のセンスに嫉妬していた。


 結局この日は、DVDを何も手にせずカウンターに行った。潤平は、客が居ないのを見計らって、三輪詩音店長に声をかけた。

潤平「すみません」

詩音「はい、こんばんは」

 詩音は、いつものように団子ヘアに黒縁メガネ、そして大きなマスクをしていた。

潤平「こんばんは。実は、困ったことがありまして」

詩音「はい、なんでしょう?」

潤平「住んでいるワンルームマンションのことなんです」

詩音「えっ、ワンルームマンション? 不動産会社でなく、私にですか?」

潤平「ええ、住んでいる方に、相談があるんです」

詩音「相談ですか? ごみの出し方とか、町会のこととかですか?」

潤平「いえ、そうではなく、もっと深刻な問題なんです」

 神妙に困った顔で言った。

 詩音が改めて潤平の顔を見ると、目の下にクマが出来ているのを、はっきりと見て取れた。

詩音(そう言えば昨日の夜中、平沼さん、お腹を壊したのか、トイレを4回も流していませんでした? それで寝られなかったのね。かなり具合が悪そう……)

潤平「ええ、まぁ」

詩音「相談って、平沼さんのお体のこととか?」

潤平「まぁ、それに近いです」

詩音「あっそうか。ちょっと、ごめんなさい」

 お客がカウンターにやって来て、詩音が潤平に謝った。

潤平「どうぞ」

 と、潤平は客に言って、潤平は5、6歩後ずさりし、DVDの棚を見ている振りをした。

詩音「では、330円になります。あちら、出口の方でお渡しします」


 客が去り、再度潤平は、カウンター内の詩音に話しかけた。

潤平「店長さんは、同じマンションの何号室に住んでいるのか、聞いても大丈夫ですか? 無理にとは申しませんので。というのは、ちょっと気になることがありまして。いつもエッチなビデオをお借りしているから、店長さんの部屋番号を聞くのは、変なこととか、嫌らしいことを連想されるかも知れませんが、決してそんなことはありませんので、それだけは誤解しないでいただきたいのです。一応、これでも市役所の職員なんです。あまり言いたくは無かったんですが、信用していただきたくて、あえて、言いました。ごめんなさい、こんな質問をして、お気を悪くなさらないでくださいね」

詩音「いえ、とんでもない。ごめんなさい。私こそ謝らないと。私、平沼さんの真上に住んでいます。うるさいんでしょう?」

潤平「やっぱり! そうでしたか!」


 また、客がカウンターに近づいて来た。それを察知して、潤平は同じように、5、6歩後ずさりした。

 客が帰った。潤平がカウンターに戻り、

潤平「ここでは、話が出来ないですね」

詩音「ですね」

潤平「どこか他の場所で、店長さんの都合の良い時間に相談できないでしょうか?」

詩音「良いですけれど、時間が合わないかも?」

潤平「時間が?」

詩音「私が仕事を終えるのは夜中の0時半ですし、出勤前の午後3時頃なら良いのですが、昼間は平沼さん、市役所でしょう?」

潤平「そうか、そうですね。時間が合わないですね」

詩音「それとも、夜中、私の部屋で平沼さんの困りごとをお聞きしましょうか? 夜中の1時ごろなら帰っていると思うのですが、」

潤平「えっ、303号室ですか?」

詩音「はい」

潤平(やっぱり、僕を部屋に引きずり込んで、僕の背中から包丁でグサッ!)

潤平「ううーっ」

 潤平が肩をすくめ、武者震いした。

詩音「本当に具合が悪そうですね」

 また、客がやって来た。

潤平「わかりました。行きます。1時に。そして5分で帰りますから心配しないでください」

 そう言うと潤平は慌てて店を出た。


 夜中の1時3分前。

 潤平は、自分の部屋の時計をじーっと見ていた。

潤平そろそろだな

 そんなとき、階段を誰かが急いで駆け上がる音が、聞こえたような気がした。

潤平(今の音がそうかな)

 潤平は3分ほど待って、部屋を出た。階段を上り、三輪詩音の部屋に向かった。

『トントン』ドアをノックした。

詩音「はーい」

 中から詩音の声がした。

潤平「平沼です」

 ドアが開いた。

詩音「どうぞ、入ってください」

潤平「よろしいんですか?」

詩音「はい、立ち話じゃ寒いですし、近所に聞こえますから」

 詩音は帰って来たばかりなのか、まだマスクとメガネを装着していた。

詩音「どうぞ、座って」

 部屋の真ん中に小さなテーブルがあり、そこに座った。反対側には、シングルのマットレスベッドが置かれてあった。

潤平(やっぱり女性の部屋なんだなぁ)

詩音「今、コーヒーをいれますね。コーヒー、大丈夫ですか?」

潤平「大丈夫ですが、いいですよ。仕事帰りでお疲れでしょう?」

詩音「いいの、いいの。私が飲みたいんです。コーヒーを飲むと、やっと、仕事が終わったって感じで、オフのスイッチが入るんです」


 詩音が、コーヒーの準備をした。潤平は、その詩音からいっときも目を離さないようにしていた。

 詩音がコーヒーと砂糖とミルクを持ってやって来た。

 詩音が潤平の前にコーヒーを置くとおもむろに、メガネとマスクを外した。

 潤平は思わず、じっと口元を見てしまった。

潤平(普通だ。良かった!)

詩音「散らかっていてごめんなさい。帰って来たばかりで、片付ける時間が無かったの」

潤平「いえ、突然の僕がいけないんです。ごめんなさい。メガネ外しちゃっていいんですか?」

詩音「ああ、これ。度が入ってないんです。メガネもマスクも顔を隠しているだけなんです。メガネとマスクは業務用の顔。普段、その辺の通りでお客様とすれ違った時、わからないようにしているんです。顔を知っていると嫌でしょう?」

潤平「そうですね、なるほど。そうだ! 『すれ違った』と言えば、ここの階段で鉢合わせして、4回ぐらい左右に動いたことありませんでしたか?」

詩音「ありましたね」

潤平「そうか、あのときの人だったんだ。本当に、メガネとマスクを着けるとわかりませんね。じゃぁ、あのときから、僕のこと知っていたんですか?」

詩音「ですね」

潤平「お恥ずかしい。その時から今日まで、僕のこと変態と思っているでしょう?」

詩音「とんでもない。その逆です。平沼さんはいい人です。だからこうして、部屋に入れたんです」

潤平「そうかなぁ。店長さんに、いいことした覚えがないんだけれど」

詩音「たくさんありますよ。ふふふふふ」

潤平「店長さんは、あの店、長いんですか?」

詩音「いえ、今年からです。転勤で来ました」

潤平「じゃぁ、まだ数か月ですね」

詩音「はい」


潤平「そうだ、早く本題に入らないと、店長さんのお邪魔になってしまう」

詩音「大丈夫ですよ。で、なんでしょう?」

潤平「実は、言いにくいなぁー」

詩音「大丈夫ですよ。なんでも言ってください」

潤平「すみません。気を悪くしないでくださいね」

詩音「どうぞ、続けて」

潤平「この部屋のこと、ご存知ですか?」

詩音「ああ、事故物件のことですか?」

潤平「そう、良かったぁー。店長さんからその言葉を言ってもらって」

 潤平が、ほっとして頭がガクッと下がった。

詩音「もちろん知ってますよ。知った上で借りたんですもの。だから家賃が安いんですよ。ふふふふふ」

潤平「いくらぐらい? ちなみに、僕の所は5万円です」

詩音「37,500円。25%引きです」

潤平「それは、安い! でもね、事故の内容って、ご存知ですか?」

詩音「はい」

潤平「それを、聞いてもいいですか?」

詩音「ええ、入浴中の心肺停止だったそうです」

潤平「心肺停止? 自死じゃなくて?」

詩音「はい、働き盛りの50代の女性で、入浴中の突然死です」

潤平「本当ですか? くどいようですが、自死ではないのですね」

詩音「はい、不動産会社の方がそう言ってました。事故物件は告知義務がありますし、嘘を言ったら、業務停止になることさえありますから、本当だと思いますよ」

潤平「なぁーんだ。それを早く言ってくださいよ」

 潤平は、一気に力が抜けた。潤平が座ったまま後ろに倒れた。

詩音「どうしました? 大丈夫ですか? 具合が悪いの?」

 潤平が、ふっと起き上がった。

潤平「大丈夫です。それを聞いて安心しました。帰らないと、こんな真夜中に女性の部屋に居たら、周りから何を言われるか」

詩音「私は、まだ、いいですけれど。用件は、それだけだったんですか? 事故内容を聞くだけ?」

潤平「あっ、そうか。僕はてっきり若い長い髪の女性が、風呂場でリストカットして自死したものだと思っていました」

詩音「えっ、本当なんですか?」

 今度は詩音が気味悪がった。

潤平「はい、見たんです」

詩音「嘘でしょう?」

潤平「本当です。亡くなった女性の亡霊を二度も見ました」

詩音「キャッ!」

潤平「ごめんなさい。脅かすつもりは無かったんですけれど、」

詩音「私こそ、ごめんなさい」

潤平「それで、毎晩眠れなくて」

詩音「だから、目にクマができているのね」

潤平「クマが出来ていますか?」

詩音「ええ」

潤平「そうか、まいったなぁ」

詩音「リストカットの話、誰から聞いたんですか?」

潤平「えっ? あっ! 誰か言ってなかったっけ? あっ! えっ?」

詩音「……」

潤平「そうだ! 数か月前、僕が部屋に居たら、真上の部屋から不動産会社と大家さんとの会話が聞こえてきて、」

詩音「ええ、」

潤平「大家さんがこう言っていたんだ。『まさか、このお風呂場で女性が死ぬなんてねぇ』って」

詩音「ええ、それで?」

 詩音が前かがみになって、聞き始めた。

潤平「それで、なんて言ってたっけなぁー」

 潤平は、必死にそのときの会話を思い出していた。

潤平「そうだ! 不動産会社が、『バスユニットはすべて新品のものと交換します』って言っていた」

詩音「それで?」

潤平「大家さんが『やはり家賃を下げないとダメかしら』と」

詩音「うん、」

潤平「不動産会社が『そうですねぇ、』と」

詩音「うん、」

潤平「大家さんが『今後はそう言う人が入居しないようよく見てよ』って」

詩音「うん、」

潤平「不動産会社が『それがわかれば苦労はしないんですが』と」

詩音「うん」

潤平「……」

詩音「それで?」

潤平「それで、終わり」

詩音「他に、会話は無かったの?」

潤平「ない」

詩音「ねぇ、どこに『リストカット』が出てくるの?」

潤平「あっ、そうだよね。ははははは」

詩音「ん、もう、脅かすんだから」

潤平「でも、『お風呂場で女性が死ぬなんてねぇ』って言葉と『今後はそう言う人が入居しないようよく見てよ』って言葉を聞いたら、自死を連想するでしょう?」

詩音「そうね。『お風呂場で女性が死ぬなんてねぇ』は、ともかく。『今後はそう言う人が入居しないようよく見てよ』は、ちょっとひどいわね。『心肺停止』までは、外見でわからないものね。私だっていつ死ぬかわからないもの」

潤平「大家のおばちゃん、家賃を値下げさせられた不満を、不動産会社に、つい言っちゃったんだろうな」

詩音「多分、そうね」

潤平「そうか、でも良かった。こうして店長さんから事実を聞いてホッとしたよ」

詩音「平沼さんの『心配』がなくなって良かった!」

潤平「それこそ『心配停止』だよ」

詩音「ふふふふふ」

潤平「ははははは」

 二人の笑い声が、近所に響いた。


潤平「おっと、まずい!」

詩音「何が?」

潤平「笑い声が、下に響くかも?」

詩音「下の人は、居ないわよ」

潤平「あっ、そうか。ははははは」

詩音「ふふふふふ」

潤平「それで、思い出したぞ!」

詩音「何を?」

潤平「『リストカット』だと、思い込んでしまった理由だよ」

詩音「えっ、なになに?」

 詩音は、興味を示した。

潤平「僕の部屋で、真夜中、血の滴るような音が聞こえて来るんだよ。『ポタッ、ポタッ』って。それがしばらく続くんだ」

詩音「それ、何時ごろ?」

潤平「3時ごろ」

詩音「ゴメン! それ、私」

潤平「えっ、な、なんで?」

詩音「仕事から帰って、お風呂に入りながら手で洗濯するの。それで、絞らないで干すから」

潤平「えっ、絞らないの?」

詩音「その方が、しわにならないから」

潤平「なぁーんだ」

詩音「ホント、ゴメン!」

 詩音が潤平に向かって両手を合わせた。

潤平「でも、良かったよ、それが聞けて。これでこれからは、その音が天井から聞こえても子守唄のように聞こえるだろうな」

詩音「ホント、ゴメン!」

潤平「同じことでも、ある時から急に気になることもあるし、ある時から急に気にならなくなることもあるし、面白いもんだね」

詩音「これから、絞るから」

潤平「いいよ、いいよ。原因が分かったから」

詩音「平沼さん、やっぱり、やさしいんだね」

潤平「そうかなぁ? そうだ!」

詩音「まだ、あるの?」

潤平「この前は『ジャッ、ジャッ、ジャッ、』って、まるで、包丁を研いでいるような音がトイレの天井から聞こえてきたんだ」

詩音「それ、何時ごろ?」

潤平「3時ごろ」

詩音「ゴメン! ホント、ゴメン! それも、私」

潤平「えっ、な、なんで?」

詩音「自転車の鍵が錆びて抜けなくなったから、トイレで自転車の鍵を紙やすりで磨いていたの。ホント、ゴメン!」

潤平「なんでトイレで?」

詩音「私、便秘症でトイレが長いものだから、つい時間節約のために」

潤平「そうか、時間は大切だよ。時間は減ることはあっても、増えることは絶対にないからな」

詩音「平沼さん、やっぱり、やさしいんだね」

潤平「そんなことは、ないさ」


詩音「ねぇ、そのとき、平沼さん下痢してなかった?」

潤平「えっ、どうして?」

詩音「続けてトイレを流す音が4回聞こえてきたから」

潤平「あっ、それか。トイレに座り、小さい方をしていた時『ジャッ、ジャッ、ジャッ、』って、まるで包丁を研いでいるような音が天井から聞こえてきたので、思わず立ち上がっちゃったんだ。そしたら、そこら中、おしっこをばらまいちゃって」

詩音「ふふふふふ」

潤平「トイレットペーパーで、拭いては流し、拭いては流し、していたんだ」

詩音「ふふふふふ」

 詩音は、潤平が小便小僧になった情景を目に浮かべた。

詩音「ホント、ゴメン!」

 詩音が潤平に向かって両手を合わせた。


詩音「もう、他にないわよね。あったら、この場で謝ります」

潤平「もう、無いです」

詩音「良かった」

潤平「あっ、そうだ!」

詩音「まだ、あったんだ」

潤平「でも、これは、店長さんじゃないと思うんだけれど、」

詩音「こことか、店以外では『店長さん』より『三輪さん』の方がいいな」

潤平「はい、そうします。では改めまして、三輪さん」

詩音「はい、」

潤平「本物の亡霊を二度、見たんです」

詩音「そうだ、最初にそう言ってましたね」

潤平「そうでしたっけ。すぐ忘れちゃうんです」

詩音「どこで見たのですか?」

潤平「僕の部屋の外です」

詩音「部屋の外で? 平沼さんも部屋の外に居たの?」

潤平「いえ、僕は部屋の中に居ました」

詩音「亡霊が出たのはいつ?」

潤平「さっき話した、おしっこをばらまいたとき」

詩音「ふふふふふ」

潤平「この話、受けますね」

詩音「ええ。私のせいなのに、ゴメン、笑っちゃって」

潤平「いえ、笑いが取れて嬉しいです。持ちネタにします」

詩音「それがいいわ。それで、その亡霊の顔とか姿は?」

潤平「亡霊が窓の外に、黒い影で映っていたんです。だから顔はわかりません」

詩音「姿は?」

潤平「若い女性で、髪が長いんです。その髪が風で揺れていたような」

詩音「ゴメン! それも、私」

 詩音が潤平に向かって両手を合わせた。


潤平「えっ、な、なんで? 三輪さん、髪、長くないし?」

 詩音が黙って、団子にしている髪をほどいた。長い髪がだらんと垂れ下がった。

潤平「わっ!」

 潤平の体が、少し後ろに引かれ座ったまま飛び上がった。

潤平「そうだ、これだ!」

詩音「ホント、ゴメン! 団子ヘアは、業務用なの」

 詩音が潤平に向かって両手を合わせた。

潤平「な、なんで、ドアの外に居たの?」

詩音「平沼さんが下痢して、ひとりでもがき苦しんでいるかと思って見に行ったの」

潤平「そうか、三輪さん、やっぱりやさしいんだね」

詩音「そんなことないわ。ドアの所まで行ったんだけれども、部屋の電気が消えたから、大丈夫なんだ、と思って引き返したの」


潤平「そうだったのか。そう言うのって、以前にもなかった?」

詩音「あったわ。平沼さんの部屋から、『うわっ!』って、すごい悲鳴が聞こえたから、飛んで行ったの。強盗にでも入られたかと思って。すっごい心配したのよ。でも強盗じゃなくて、平沼さんのお友達だったみたいで、安心して帰っちゃった」

潤平「その時、『あなたのことが心配で』とか言ってなかった?」

詩音「多分、言ってたと思う。だって、ホントに心配したんだから」

潤平「そうだったんだ。その声を僕は勘違いして、てっきりリストカットして亡くなった女性が僕を引きずり込もうとしているのかと」

詩音「ふふふふふ」

潤平「ウケるような話だった?」

詩音「う、ううん。その怖がりようって、『可愛いな』と思って」

潤平「お、おっほん」

 潤平が咳ばらいをした。

詩音「あっ、照れてる」

潤平「帰ります。安心したので帰ります。おいしいコーヒー、ご馳走様でした」

 潤平は丁寧に頭を下げ、立ち上がった。

詩音「ホントに、ゴメンね。また、店に来てね。絶対よ!」

潤平「うん」

詩音「すごいエッチなビデオ入荷しておくから」

潤平「うん。エッチビデオを借りると思うけれど、スルーしてくださいね」

詩音「うん」

 潤平が詩音の部屋から出て行った。


【05】 二人だけのアダルトコーナー


 数日後、潤平は仕事帰りに、アダルトDVDを借りに行った。夕方の6時だった。

詩音の『また、店に来てね。絶対よ!』の言葉が、潤平をレンタルビデオ店に足を向けさせた。

潤平(『また、店に来てね。絶対よ!』って、銀座のクラブじゃないんだから)

 ツッコミを入れながら、潤平は店に入った。だが、どこにも詩音の姿は見当たらなかった。その場で、店内すべてをぐるっと見回したが、それでも、どこにも見つからなかった。

潤平(『また、店に来てね。絶対よ!』と、言われて来たけれど、今日は休みかな。そりゃぁ、店長だって、休まなきゃ身が持たないよな。いいことだ)

潤平(でも、まぁ、良かったのかな。大人のDVDを借りるとき、あまり、タイトルを見られてもなぁ)

潤平(過去に一回だけだったけれど、新入のバイトさんに『このグッチョリーナ1巻と3巻ですがよろしいですか?』と、言われたことがあったっけ)

潤平「ははははは」

 思い出し笑いをした。

潤平(この前、チェックを入れた、『イマニエル夫人』が、どうも、気になるんだよなぁ)

潤平(タイトルが素晴らしいんだから、内容も、凝っていると思うんだけれど、期待していいのかなぁ?)

潤平(それとも、見掛け倒しで、つまらないまま終わってしまうのか?)

潤平(とにかく、良くても悪くても、見なければ始まらない)

 潤平はエッチDVDの中でも、単にその行為ではなく、そこまでのいきさつ、お互いの心理、環境や情況を描写しているモノが好きだった。そうなると、対象のDVDは千分の一以下に、減ってしまう。

 

 それなら、一般の映画DVDを借りれば良いという言い方もあるが性描写が少なすぎ、待たされて待たされて2、3分で自分の診察が終わってしまう大学病院のようなもので、あまり好きになれなかった。

 要するに、この手に関してだけは、好みがうるさかった。毎回、厳選に厳選を重ねて借りているのだが、近頃はハズレてばかりである。時には、ハズレを想定して2本借りるのだが、2本ともハズレというパターンが多かった。

 それで、最近はエッチDVD1本、お笑いDVD1本にしている。


 店内の片隅に、大きなのれんがかかっている。潤平は、それを片手でヒョイっと、跳ね上げて、のれんが宙を舞っている間に顔をくぐらせるのが好きだった。

 店に来るほとんどの客は、二枚の布の間をスッと、他の誰にも気づかれないように入るのだが、跳ね上げて入るのが、潤平にとっていなせなような気がした。

しかし、そこから出るときは、布の間を後ろ向きにそっと出た。

 潤平がいつものように、のれんを片手でヒョイっと、跳ね上げて、のれんが宙を舞っている間に顔をくぐらせた。

潤平「おっとっと!」

 潤平の目の前に、店長の詩音が立っていて、返されたエッチDVDを棚に戻していた。不意を突かれた。油断をしていた。

詩音「元気になったみたいね」

潤平「うん。すべて店長さんのお陰だよ。感謝している」

詩音「スルーするつもりだったけれど、誰も居ないから話しかけてもいい?」

潤平「うん」

詩音「これ、」

 詩音がちょうど、棚に戻そうとしたDVDを手にしながら、

詩音「面白いタイトルでしょう?」

 詩音が『イマニエル夫人』のビデオを潤平に見せた。

潤平「ああ、それね」

詩音「知っているの? 入って来たの、けっこう最近なのに」

潤平「前回来た時に、チェックだけはしておいた」

詩音「さすがね。じゃぁ、まだ見てないのね」

潤平「うん」

詩音「結構、人気があるのよ」

潤平「そうかぁ、じゃぁ、今日借ります」

詩音「ありがとうございます」

 詩音がDVDを手渡した。

潤平「ただ券も、もらったし」

詩音「そうよ」

 詩音は、業務用の黒縁メガネと大きなマスクを着けて話していた。

潤平「この前、店長さんがメガネとマスクを部屋で外した時、あまりに美人なんでびっくりしたよ」

詩音「またぁ~。うまいのね」

潤平「本当だよ。いつだったか、初めて階段ですれ違った時も、『綺麗な人だなぁ』って思ったんだから」

 本当は(小綺麗な人だな)と思ったのだが、『小』の字を取って言った。その方が店長が喜ぶと思ったからだった。

詩音「そうだったんだ。私って、罪作りね」

潤平「ここに置いてあるDVDのどの女優さんより、店長さんの方が綺麗だよ」

詩音「嬉しいわ。今度、私も脱いじゃおうかな?」

潤平「ははははは、ノリがいいね」

詩音「平沼さんが、ノセルからよ」

潤平「ははははは」

詩音「でも、良かった。平沼さんが本当に元気になって」

潤平「そうだよ。ここ数ヶ月間、恐怖で、心臓が止まりそうだったんだから」

詩音「知らなくて、ゴメンね」

潤平「どれだけ精神的な苦痛を受けたことか。おまけに同僚の坂口大輔と抱き合うハメになり、職場で僕は同性愛者だという噂が流れているんだから」

詩音「ふふふふふ」

潤平「大輔は、本気だったかも知れなけれど」

詩音「わかったわ、あなたに与えた苦痛を何らかの形で返さないとね」

潤平「そうだよ、この貸しは大きいぞ」

詩音「DVDを貸す側の私が、借りができるとはね」

潤平「ははははは」

詩音「いいわ。今度、お詫びに何か用意して、あなたの部屋に持っていくから、部屋で待っていて」

潤平「いつ?」

詩音「そうね。今度の土曜日。午後2時半」

潤平「わかった。たとえ親の葬式があっても出かけないようにする」

詩音「ふふふふふ」


 土曜日、午後2時半。

 潤平の部屋のドアがノックされた。

潤平「どうぞ」

 詩音がドアを開けた。

詩音「入ってもいいの?」

潤平「もちろん」

 詩音はバッグを抱えて部屋の中へ入って行った。潤平は、詩音が抱えているバッグの中にプレゼントが入っているのだと思った。

 テレビの前に、潤平がこの前借りた『イマニエル夫人』のDVDが置かれてあった。

詩音「『イマニエル夫人』のDVD見たの?」

潤平「うん、見た」

詩音「どうだった?」

潤平「良かったよ」

詩音「どんな話なの?」

潤平「あらすじを言っても、かまわないの?」

詩音「いいわよ。でも、仕事があるから、3時半までには、ここを出ないと」


【あらすじ 始まり】

潤平「わかった。主人公は、18歳の山形県のとある町に住んで居る女性なんだ。東京を夢見て、猛勉強をして、東京の大学に進学するんだ」

詩音「うん」

潤平「彼女が東京に来て、初めてパチンコをするんだ。すると、なんとセブンが揃って、大フィーバー、球がじゃらじゃら出て、受け皿からどんどんこぼれ落ちるんだ」

詩音「すごい!」

潤平「隣に座っていた若い男性が『これを』って、自分の履いていたスニーカーをパチンコ台のテーブルに差し出す。そこへ彼女が球をどんどん詰めていくんだ」

詩音「近くにドル箱が無かったのね」

潤平「うん、球が入りきらず、男性はもう片方のスニーカーも差し出す。そんな様子を見た店員が慌ててドル箱を持って来るんだ」

詩音「楽しそう!」

潤平「隣に座っていた男性は大学生で、二人はすっかり意気投合。彼女は店員さんに両替方法を教わり店を出る」

詩音「うん、それで?」

潤平「女性は男子大学生に『お礼に、手料理を食べていって』と、一緒にスーパーで食材を買い、二人は彼女のマンションへ」

詩音「そう、来ないと!」

潤平「彼女、山形出身だろ、名物の『いも煮』を作るんだ。そして、部屋で待つ彼に、『今、煮えるから』と」

詩音「でたっ!」

潤平「『いも煮』を食べて、食欲が満たされれば、次は性欲ということで、二人の絡みのシーン」

詩音「ふむふむ」

潤平「やがて、二人は大学を無事卒業し結婚する。男性は証券会社、女性は銀行に勤める」

詩音「そこは、早い展開なのね」

潤平「うん。どうでもいい所だからね」

詩音「そうよね」

潤平「女性は、夜、上司と『お得意様回り』をさせられ、飲まされたうえホテルに連れ込まれ犯されてしまう」

詩音「エロビデオにありそうなパターン」

潤平「男性も証券会社のお局様に誘われ、不倫をしてしまう」

詩音「その手のシーンを増やしているのね」

潤平「そのことにより、夫婦の仲は崩壊してしまい、妻が言うんだ。『都会が悪いのよ!』って」

詩音「田舎と違って、都会は悪い人が多いからね」

潤平「二人はやり直すため、夫婦共に会社を辞めてしまう。夫は福島の出身で、実家は漁師。二人は夫の福島の実家に入り、夫は父親と一緒に船で海に出る。妻は空いた時間を使い居酒屋で働き始める」

詩音「そう、それがいいわ。二人が再び仲良くなれば一番よ」

潤平「ところが、2011年3月11日、夫と父親が海に出たが大津波で船は戻って来ない。何日経っても戻らず、行方不明者扱いとなってしまう」

詩音「あの時は、そういう人が多かったものね」

潤平「それからというもの妻は食べるために居酒屋で開店から閉店まで働くようになったんだ」

詩音「ふむふむ」

潤平「ある日、可愛がってくれていた居酒屋の女将(オーナー)が転んで骨折。女将は歩けなくなり彼女に『この店を頼むよ』って言って、老人ホームに入ってしまうんだ」

詩音「奥さん居酒屋を任されて、ひとりきりになっちゃたわね」

潤平「うん。そこに、妻が居酒屋で働き始めたのと同じ頃から来だした常連客の男性が居てね、」

詩音「でたっ!」

潤平「お互い、惹かれ合うんだ」

詩音「そこ、高倉健さんと倍賞千恵子さんの『駅』っていう映画に似ているわね」

潤平「そうなんだ? 今度、それ借りようっと」

詩音「これも、いい映画よ」

潤平「うん。それでね、」

詩音「それで?」

潤平「居酒屋で奥さんが『あなたのために、いも煮を作っているの。奥の部屋で待っていて。()()()()()から』って」

詩音「思い出のいも煮ね」

潤平「彼女は、のれんを店の中に入れ、お店を閉めるんだ。そして、奥の部屋へ」

詩音「相手は違うけれど、大学生の時、彼女のマンションでいも煮を作ったのと同じシーンになるわね」

潤平「うん、二人でいも煮を食べて、その後、一緒に寝るんだ」

詩音「エッチなシーンになるのね」

潤平「二人はベッドに入り、裸で軽く抱き合うには抱き合うんだけれど、エッチの前に奥さんがつぶやくんだ、『東京暮らしの夢が破れ、銀行で支店長になる夢が破れ、幸せな結婚の夢が破れ、夢なんて、早く捨てた方がいいのよね』って」

詩音「深い言葉ね。その常連さんはなんて答えるの?」

潤平「『うん、そうだね』って」

詩音「そうかぁー」

潤平「そして奥さんが『平凡が一番ね。こうやって抱き合っているだけで幸せ。都会も、たくさんのお金も、結婚もいらないわ』」

詩音「『平凡』かぁ。大切よね」

潤平「ベッドで女性が『私は、こんなちっぽけなお店をやっているけれど、あなたは何をやってるの?』って常連さんに聞くんだ?」

詩音「うん、うん」

潤平「『あなたと同じ、ちっぽけなお店をやってます』って答え、二人は、ふかーい、ふかーい交わりに入るんだ」

詩音「刺激的!」

潤平「ずうっと交わっている最中に、常連さんの回想シーンが同時に映像で流れる。彼女がパチンコでフィーバーした時に、ドル箱を持ってきた店員が、常連さんの若い頃だったんだ」

詩音「えっ!!!」

潤平「常連さんは彼女に憧れて、この居酒屋までやって来ていたんだ。そして今、この福島県内で大きなパチンコ店を経営している」

詩音「大きな店だったんだ。でも、言えないわよね」

潤平「常連さんの心の声で、『ようやく、夢が叶ったよ』って言って『END』の文字さ」

詩音「うーん。人生って、複雑ね」

【あらすじ 終わり】


潤平「ところで、何か頂戴できる物があるの?」

詩音「そうよ。用意してきたわ」

潤平「なに?」

詩音「今、用意するから」

と、言って詩音はバッグを抱えて立ちあがった。

詩音「驚かせたいから、ねぇ、目をつぶって、両手の手のひらを上に向け、前へならいをしてくれる?」

潤平「うん」

 潤平は、素直に目をつぶり、手のひらを上に向け、前へならいをするような格好をした。

 その潤平の両腕の間に詩音が入って行った。

 詩音は、潤平の背中に両手を回し、自分の顔を傾けて潤平の唇にチョンとキスをした。

詩音「これで、借りは、返却済みよ」

潤平「なんか、びっくりして、三輪さんが、亡霊なのか、人なのかわからなくなってきた」

詩音「もう一度すればわかるわよ」

 二人は、より濃厚なキスをした。さっきの潤平の話が、二人を刺激していた。

潤平「亡霊でも人でもないな、三輪さんは、悪魔だ」

詩音「小悪魔と言って。ふふふふふ」

 詩音は、強く身を寄せた。

潤平「そうだね、小悪魔だね。ははははは」

 今度は『小』を付けた。そして、潤平もしっかりと詩音の身体を抱きしめた。

詩音「大輔さんよりいいでしょう」

潤平「大輔の身体はいいぞ、肉体美で。ははははは」

詩音「ばーか」

 そう言うと再度キスをした。

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【後書き】

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

 都会の片隅、壁の薄いワンルームマンションという閉塞的な空間で巻き起こる、勘違いと恐怖、そして少しの官能を交えたドタバタ劇をお楽しみいただけたでしょうか。


 物語の着想は、日常に潜む「音」への恐怖でした。深夜、上の階から聞こえてくる不可解な音……、それがもし血の滴る音や刃物を研ぐ音に聞こえてしまったら? そんな一度思い込むと止まらない「負の連想ゲーム」に翻弄される公務員・潤平の姿をどこか滑稽に、かつ切実に描きたいと考えました。


 一方で、ヒロインである三輪詩音は、メガネとマスクで素顔を隠す「職場の顔」、そして自室で自転車の鍵を磨く「私人の顔」という、多層的な魅力を持つ女性として造形しました。彼女が潤平の「亡霊」の正体であったという結末は、恐怖と安心が表裏一体であることを示唆しています。


 潤平が抱いた「亡霊への恐怖」が「小悪魔への恋心」へと上書きされたように、読者の皆様の日常にある小さな不安も、何かのきっかけでクスッと笑える思い出に変わることを願っております。m(__)m

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【作者よりポイント応援のお願い】


 最後までお読みいただき、ありがとうございます!

 亡霊の正体が「団子ヘアの店長」だと分かった時の潤平の安堵(と、ちょっとした恥ずかしさ)が伝わりましたでしょうか。


 もし「この二人の勘違いっぷりに笑った!」「小悪魔な店長、いいな」と思っていただけましたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、応援ポイントをいただけると嬉しいです!


 皆さんのポイントが、潤平の「恐怖心」を「やる気」に変える原動力になります。よろしくお願いいたします!

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