表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女子ボートレーサー と市役所職員  作者: 池井 けい
第1章 住民課、丹沢純也
2/18

02 速水爽香のデビュー戦(前編)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【あらまし】

 爽香のデビュー戦が始まった。爽香は卒業しているにも関わらず、養成所教官の松木四朗(まつき・しろう)から宿題が出された。

松木「デビュー戦の開催6日間、すべてのレースで無事故完走すること! もし、それが出来たらケブラーズボン(ケガ防止用ズボン)、3着以内に入れたらレース用シューズをプレゼントする」

 速水爽香のデビュー戦が始まった。初日、二日目の結果は……。


※観客の心理と予想、選手の心理と思惑、それらの会話と同時に物語は進んでいきます。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【主な登場人物】

速水爽香  20歳女 新人ボートレーサー

松木四朗  50歳男 ボートレーサー養成所教官

田並浩次  42歳男 勝率3点のB級ボートレーサー

八巻恵夢  25歳女 爽香の一期上のボートレーサー

常 連   常連の観客

初 客   初心者の観客

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【前書き】

●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております

●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました

●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


【01】速水爽香のデビュー戦


 ボートレース戸田。爽香にとって、1節目。

 速水爽香は、ボートレーサーである。そして、爽香のデビュー戦が決まった。5月10日から5月15日までの6日間だった

 ボートレースは一般的に50名前後のレーサーが、ひとつのレース場に集まり、6日間にわたり優勝を目指して行われる。優勝すればわずか6日間で、総額百万円以上の賞金を手にすることができる。一般社会では、まずありえない収入であり、それがなによりもボートレーサーにとっての魅力なのだ。


 前述が基本的な開催形式で、開催日数は暦などにより、賞金はレースのグレードにより様々なパターンがある。ちなみにボートレースで最も高い優勝賞金は、ひとレースで1億円である(※現在はもっと高い)。

 ひとレースは、スタートしてからゴールするまで約1分50秒、このことが「ボートレースは2分で1億円稼げる!」と言われるゆえんなのである。


 5月9日の朝、爽香は自分の住む共同住宅『ハッピーハイツ』から歩いて40分、ボートレース戸田の選手宿舎に向かった。その距離は約3キロ、本来なら自転車で行っても良いところなのだが、爽香には自転車を買うお金が無かった。

 天気が良く、5月の空気は爽快だった。爽香は気持ち良く歩きながらボートレーサー養成所教官、松木四朗(まつき・しろう・60歳)の言葉を思い出していた。


【回想の始まり】


 それは、卒業式が終わり、爽香が養成所の門を出るところでの立ち話だった。

 養成所教官、松木四朗が爽香に近寄って来た。

松木「ここまでよく頑張ったな。卒業おめでとう!!!」

爽香「ありがとうございます」

 爽香が頭を下げた。

松木「速水が入所した時、速水が最初に脱落して、卒業は無理だと思ったけれどな」

 ボートレーサー養成所では定期的に試験があり、それに合格しない者、前期の成績で下位1割の者、これらは次の課程へは進めない。また、訓練について行けず、自主退学する者も多かった。

爽香「自分でも、いつ退所になってしまうのか、常に心配でした」

松木「頑張れた一因は、なんだね?」

爽香「ハングリー精神です」

松木「そうか。『ハングリー』か」

爽香「ウチは母子家庭で貧しかったから、いつもお腹を空かせていました。わたしのような学歴も知識も無い人間が、これから食べていくためにはこれしかないと思いました」

松木「生きる環境がそうさせたってことか?」

爽香「はい。同期の子に言っても理解してもらえませんでしたが、食べる物が無いと言うのは、本当に辛いです」

松木「そうか、まるで日本の戦争中と戦後だな」

爽香「人は『辛い』の漢字に『一(いち)』の漢字を足せば、『幸せ』になる。と簡単に言いますが、じゃぁ、どこに漢字の『一』の横棒が落ちているのでしょうか?」

松木「うむ?」

爽香「『宝くじ』? 『大富豪と結婚』?」

松木「いや、それは違うな」

爽香「私には、漢字の『一』がボートレースに思えて来たのです。レース場の水面か、またはボートの引き波か、そんな風に見えて。我慢して、我慢して、この養成所を卒業さえすれば、そこに食べ物があるんじゃないかと」

松木「……」

 松木が口を挟まず神妙に聞いた。

爽香「今の時代、三日も四日もろくに食べてないなんて人、居ないですよね」

松木「……」

爽香「お腹が減りすぎて万引きをしようと思う人、お腹が減りすぎて動けなくなってしまう人、居ませんよね」

松木「……」

爽香「私は、そんな経験をしてこれまで生きて来ました。だから、他の研修生ほど養成所が辛くなかったんだと思います」

松木「……」

爽香「養成所では、お腹いっぱい食べられるだけで幸せでした。最初に食事を見た時には涙が出ました、あまりにもおいしそうで。お母さんは今頃……」

松木「……」

爽香「だから、母にはお腹いっぱい食べさせてあげたいし。そしていつかは、母に家を建ててあげるのが夢です。このハングリー精神こそが養成所で脱落しなかった理由のすべてです」

松木「そうか。その話、もっと早く聞いておけば良かったな」

爽香「……」


松木「これからは、育ててもらった母への恩返しか?」

爽香「そうです。その通りです」

松木「毎回一生懸命走れば、いつかは家が建つから」

爽香「そうですか?」

松木「そうさ、ただし絶対に焦るなよ、そして慌てるなよ。『焦るな』の『あ』と、『慌てるな』の『あ』、このふたつの『あ』が大事なんだ」

爽香「『焦るな』と『慌てるな』は、同じ意味じゃないんですか?」

松木「『焦るな』とは、すぐにA級になりたいとか、早く1千万円稼ぎたいとか」

爽香「『慌てるな』は?」

松木「レース中にどんなことが起こっても冷静に、と言うことだ」

爽香「わかりました」

松木「賞金よりも、ひとレースで釘1本買えるぐらいの気持ちで乗艇するんだな」

 (※賞金は3着以内に入らないともらえない)

爽香「それでは、間に合いません」

松木「大丈夫だよ。現に、私だってレーサーをやっていて、現役の時に家を建てたんだから」

爽香「でも、教官はきっと腕が良かったから家を建てられたんです」

松木「いや、同期の中でも獲得賞金は少ない方だった」

爽香「そうですか?」

松木「本当さ。A級になるのも同期の中で遅かったし」

爽香「それでも家が建ったんですか?」

松木「コツコツ長くやったからな」

爽香「でも、それでは母が死んじゃいます」

松木「大丈夫。母親は死なないよ」

爽香「どうして、そんなことが言えるんですか?」

松木「母親ってものは、自分の子が立派になるまでは、死なないように出来ているんだよ」

爽香「教官のお母様もですか?」

松木「ああ、もちろん。まだまだ長生きするんじゃないか? 私が立派じゃないからな。ははははは」

爽香「ふふふ」

松木「その夢、叶えろよ」

爽香「はい、頑張ります」

松木「うん。きっとだぞ」

爽香「今日、脱落せず卒業できたのは松木教官のお陰でもあります。本当にありがとうございました」

 爽香の目から涙がこぼれ出た。


 爽香は、一年間の養成所生活で、爽香は松木教官から特に面倒を見てもらったような気がしていた。同期の中で、年齢が一番下、そして女性であり、小柄であり、力もなかった。

 そのせいで何度も脱落しかけたのを松木教官によって救われた。結局、卒業成績は下から2番目という結果だったが、卒業ができただけでも爽香にとっては奇跡と言えた。同期訓練生の約半分が途中で脱落し、退所していったのだから。


【02】卒業しても養成所教官、松木四朗から宿題が


松木「泣くな爽香。これからが勝負だし、お前の人生は今、始まったばかりなんだぞ!」

爽香「はい」

松木「お前がここを出ても、私は生涯ずうっとお前を見守っているからな」

爽香「はい」

松木「しかも、これで養成訓練がすべて終わったわけではないからな」

爽香「えっ?」

松木「これからは、特別延長授業だ」

爽香「なに言ってるんですか教官! ついに脳をやられちゃいました? 現役時代のケガの後遺症がまだ残ってるんですね」

松木「バカを言ってるんじゃない。頭がおかしいのはケガする前からだ」

爽香「ははははは」


松木「では、さっそく宿題を出す」

爽香「嘘でしょう? 本当に宿題?」

松木「デビュー戦の開催で、とにかくすべてのレースで無事故完走すること!」

爽香「はい!!」

松木「もし、それが出来たらケブラーズボンをプレゼントするよ」

爽香「本当ですか?」

 『ケブラー』とは、プロペラ(スクリュー)が当たっても切れない特殊な繊維である。

爽香「そんなの誰でもできますよ。ははははは」

松木「そうかな?」

爽香「だって6日間の開催で、仮に9レース出場できるとしたら、9レース全部6着でもいいんでしょう? フライングや転覆が無ければ」

松木「そうだ、その通りだ。それと、反則(不良航法など)もダメだぞ」

爽香「わかってます。反則もしません」

松木「そしたら、ケブラーズボンだな。何か賞品がないとレースに対してモチベーションが上がらないからな」

 ケブラーズボンは、バイク用などにも売られている。

爽香「あれ、最低でも1万円はしますよ。教官、教官の安い給料で大丈夫ですか?」

松木「ははははは。1万円なんて私にとっては、ティッシュ1枚みたいなもんだ。それで、ケガを防げれば、安いもんじゃないか」

爽香「またまた、無理して。ティッシュがもったいないからって、トイレットペーパーで鼻をかんでたくせに?」

松木「見てたのか?」

爽香「見たくもないのに見ちゃいましたよ」

松木「ははははは」

爽香「一番ひどかったのは、鼻をかんでから、『今日はこういう鼻でした』と言って。鼻をかんだトイレットペーパーを広げて私に見せたでしょう?」

松木「そんなことしたかなぁ?」

爽香「覚えてませんか?」

松木「覚えてる。きれいな鼻水だったろう?」

爽香「どこが?」

松木「ははははは」

爽香「あれ、みんなにやってるんですか?」

松木「いや、人は選ぶ」

爽香「どう選んでるんですか?」

松木「かんだ鼻を見せて『パワハラ』とか『セクハラ』と言う奴にはやらんよ」

爽香「なるほど。奥さんにもやるんですか?」

松木「やらんよ」

爽香「どうして?」

松木「一度やったら、向こうはトイレから出てきて、『今日はこういうウンチでした』と言って、お尻を拭いたトイレットペーパーを広げて私に見せて来た」

爽香「ははははは」

松木「『俺は検便の検査技師か!』と返したんだが、この時はさすがにカミさんに負けたと思ったね」

爽香「上には上が居るんですね」

松木「そう、ボートレースと一緒で、絶対に勝てない相手って居るもんだよ」

爽香「じゃぁ、今も奥様には頭が上がらない訳ですね」

松木「その通り」

爽香「教官はチャラチャラ音がするお金しか持ってないのに、ケブラーズボンなんて言っちゃって大丈夫ですか?」

松木「ははははは。まぁ、そう言うことは、全レース無事故完走してから言ってくれ」

爽香「教官には、悪いのですが、無事故完走しちゃいますよ」

松木「お前こそ、事故を起こして泣くなよ。すぐ泣くんだから」

爽香「もう、プロのボートレーサーになったのですから、絶対に泣きません。勝負に生きて行きます」

松木「そうだといいのだが」


 教官の松木は、爽香が入所したときの挨拶を思い出していた。

爽香「福島県から来ました速水爽香です。母子家庭で育ちました。私の夢は、母に一軒家をプレゼントすることです。どんなに辛いことがあっても母のために頑張ります!」

松木(あれから一年、これまでに数多くの訓練生を見てきたが、こんなに素直で根性のある訓練生は居なかったなぁ。私は今まで訓練生にえこひいきなど一度もしたことはないし、これからも絶対にしない。だけどこの子だけは、デビューしてから特に頑張ってほしいと願わずにはいられないな……)

 松木は何か自分が爽香の父親の代わりをしているような錯覚に陥っていた。それと同時に、爽香には、そうさせる何かを持っていたのだった。


松木「無事故完走出来ると思って、喜ぶのは早いんじゃないか?」

爽香「大丈夫です! 無事故完走、必ずやり遂げます」

松木「よし、わかった。その意気だ」

爽香「はい」

松木「ところで、レース用のシューズは、あるのか?」

爽香「とりあえず一番安いのを買います」

松木「そうか。それと、もし3着以内を取ったらメールをくれ。良いシューズをプレゼントさせてもらうから」

爽香「本当ですか?」

松木「ああ、もちろんだとも」

爽香「すぐに3着以内に、入ってしまうかもしれませんよ」

松木「ははははは」

 松木が一段と大きな声で笑った。

爽香「何がそんなにおかしいんですか?」

松木「まぁ、走ればわかるよ」

爽香「無事故完走だったらケブラーズボン。3着以内だったらレース用シューズ。もうゲットしたようなものです。教官、約束ですからね!」

松木「大丈夫だ。まだ、ボケてないから、自分の言ったことは守るよ」

爽香「本当ですか? 教官、近頃少しボケてきたような気がするんだけれどなぁー」

松木「ははははは」

爽香「逆に、もし無事故完走できなかったらどうしましょう?」

松木「俺には、何もくれなくて良いからな」

爽香「やったー」

松木「だけど、」

爽香「『だけど』なんですか?」

松木「フライングや転覆などの事故を起こしても絶対に泣くなよ。本当にお前は泣き虫なんだから」

爽香「大丈夫です。そんなことで泣くわけがないでしょ」

松木「それと、転覆しようが、相手にぶつけられようが、絶対に大ケガだけはするなよ。お前の夢が消えるような大ケガだけはしないでくれよ、頼むから」

爽香「はい。絶対に守ります」

松木「お前の夢が叶うことが、私の夢なんだから」

 教官の言葉を聞き、爽香の目から涙がこぼれた。

松木「あまり泣くな。せっかくの美人が台無しだ」

爽香「すみません。では、ここで」

松木「うん」

 松木が寂しげな表情を見せた。

爽香は養成所の門を出た。他の卒業生は、みんな家族と一緒に帰って行くのに、爽香だけは、ひとりぼっちだった。母子家庭でお金も無く、母は養成所の有る福岡県柳川市まで、とても来ることは出来なかった。

【回想の終わり】


【03】レース開催前日、『前検日』って何?


 本番レースが行われる前日を『前検日』とも言う。これは『前日の検査日』を略したものである。

 爽香は、『ボートレース戸田』に着いた。出場する選手たちは、レース前日に会場入りすることを義務付けられている。もし遅刻したり、『選手登録票』を忘れたりした場合などは容赦なく帰され欠場となる。

 レース前日、集められた選手たちは、携帯電話を事務所に預け、健康診断、ボートの割り当て、エンジンの割り当て、試運転、スタート練習などを行い、最終的に選手宿舎の各部屋へと移動する。


 そして選手宿舎での夕食。

 地元埼玉の選手男子5人、女子3人が固まってテーブルに並んで座っていた。

 爽香のテーブルの左隣に、同じ埼玉支部の先輩、田並浩次(たなみ・こうじ・42歳)が座っている。田並は食事が終わると、

田並「お嬢さんは、明日がデビュー戦なんですって?」

 田並浩次は上品な物言いをする選手だった。

爽香「はい」

爽香(『お嬢さん』なんて、初めて言われたわ)

田並「いいね。夢があって」

爽香「はい」

田並「『ゆく人くる人』かぁ~」

爽香「……」

田並「大晦日の深夜に放送される番組で『ゆく年くる年』ってあるだろう?」

爽香「……」

田並「去る年があって、来る年がある。ボートレーサーも来る人が居て、去る人が居る」

爽香「えっ?」

田並「私もそろそろ去らないといけないんだろうな」

爽香「えっ!」

田並「勝率が悪いんだよ」

爽香「勝率、どのくらいなんですか?」

田並「前期は、最後三国(競艇場)で負けて散々だったからな」

爽香「……」

田並「『三国で破れて、()()あり』ってね。勝率が3点台じゃなぁ」

爽香「はぁ? 意味わかんない?」

 爽香の右隣りで一期先輩の女子レーサー八巻恵夢(やまき・めぐむ・25歳)がその会話を聞いていた。

 恵夢は『国破れて()()在り』の漢詩を思い浮かべながら、

恵夢「()()()()を文字ってるのよ」

爽香「()()()()? 国見の宿舎で?」

田並「明日のデビュー戦、ちゃんと見ておくからね」

爽香「はい、お願いします」

 爽香が田並に向かって頭を下げた。

田並「デビュー戦は、スタートしてどう走るか考えていますか?」

爽香「はい。まっすぐ走ります」

田並「うん、それはいいことだ! 私もそうしているよ」

 それを周りで聞いていた何人かが笑った。そして田並と周りの選手が自分の部屋へと去って行った。


 食堂に残った速水爽香と先輩の八巻恵夢が、

恵夢「なんか会話が噛み合ってなかった感じだし、変な会話だったね」

爽香「えっ、そう? ちっともそう思わなかったわ」

恵夢「ほほほほほ。そうよね、会話が変だと思ったのは私だけよね」

爽香「明日は頑張らないと! 埼玉支部のみんなや、観客の声援に応えないと!」

恵夢「そんなに頑張らなくてもいいと思うけどな」

爽香「えっ! 先輩、何を言ってるんですか。最低でも3着以内、最高なら1着を目指して頑張ります!」

恵夢「まぁ、気持ちはわかるけれど」

爽香「ボートレーサーになった以上、勝負にこだわっていきますから」

恵夢「……」

 恵夢は返す言葉も無く自分の部屋へと引き上げていった。


 前検日の夜、爽香は夕食、入浴をすませ部屋に戻った。

爽香(さぁ、明日からレースだわ。無事故完走、そして目標は3着を取ること。これで、ケブラーズボンとシューズをゲットだわ。ふふふふふ)

 爽香は夢を膨らませ、夢の中へと入って行った。


【04】初日第1レース。初めて来た観客が大時計を見て、


『ボートレース戸田』 1日目 1レース 予選 男女混合一般戦

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【出走表】

1号艇 赤塚 人志  44歳 B1級 勝率4.05 モーター ○ 

2号艇 立野 友芳  64歳 B1級 勝率4.95 モーター ◎ 

3号艇 芝田 明広  47歳 B1級 勝率4.16 モーター - 

4号艇 塚田 竹之  44歳 B1級 勝率4.06 モーター △ 

5号艇 野部 香折  38歳 B1級 勝率4.44 モーター × 

6号艇 速水 爽香  20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

※『モーター』のうしろの印は、モーターの予想印


 メンバーは、男子4名、女子2名。爽香は、6号艇で一番外側を走る。一般的に新人は、しばらくの間6号艇となる。その理由は、内側のコースを走るほど、より高度な運転技術を必要とし、何よりも内側を走る分、もし止まったりしたら外側の艇が次々とぶつかり、大事故につながる危険性があるからだ。新人は、それを考慮しての枠番(6番・緑色)だった。


 レース場競争水面。爽香が、ピットで6号艇に乗艇した。

 爽香は出走メンバー全員をチラ見した。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【出走表】

1号艇 赤塚 人志  44歳 B1級 勝率4.05 モーター ○ 

2号艇 立野 友芳  64歳 B1級 勝率4.95 モーター ◎ 

3号艇 芝田 明広  47歳 B1級 勝率4.16 モーター - 

4号艇 塚田 竹之  44歳 B1級 勝率4.06 モーター △ 

5号艇 野部 香折  38歳 B1級 勝率4.44 モーター × 

6号艇 速水 爽香  20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

爽香(こんなアラフォー世代や年金をもらっていそうなおっさんに負ける訳にはいかないわ)爽香(負けるとしたら、30代の女子レーサーだけ。少なくともあの60過ぎの爺さんには負けるはずがない)

爽香(もしここで年金受給者に負けたら、恥ずかしくて二度と福島に帰れないわ)

爽香(まぁいいか。負けたらずっと埼玉で暮らせばいいか)

爽香(ダメダメ! そんな弱気じゃ。絶対に3着以内に入って賞金とレース用シューズをもらうんだから!)

爽香(さぁ、選手になって最初のレース。最低でも3着、最高なら1着を目標に走るわよ!)

 デビュー戦にも関わらず、爽香に緊張感はそれほど無かった。


 ピットのランプが『出走』に変わり、6選手がエンジン音を鳴り響かせてコースに出た。6名の選手が乗ったボートは、第2ターンマークへと向かう。

 第2ターンマークは、スタートラインまでの助走をつける出発点であり、6選手はここで、何コースから出発するかを競う。

 ボートレースと競馬との大きな違いのひとつに、ボートレースではスタート時点で必ずしも「枠番通りに並ばない」ことが挙げられる。ボートレースでは、圧倒的にインコース(1コース)が有利となる。なぜなら楕円形の大きなコースを走るからだ。それは陸上競技にも通ずる。

 それゆえ、数名の者は少しでもターンマークに近いインコースを取ろうと必死になる。数十年前には、自分がインコースに入るために、他の選手に向かって「どけ!」と叫ぶ選手も居たと言う。


 爽香は第2ターンマークを超えて、ゆっくりと岸沿いに艇を滑らせた。そして、大きく深呼吸しながら気持ちを整えた。

爽香(ついに、ボートレーサーとして最初のレースが始まる……、落ち着くのよ!)

 爽香は自分に言い聞かせた。

爽香(メンバーは全員がB級。これなら勝てない相手ではないわ)

 爽香が冷静に現在置かれている状況を分析した。

爽香(女性で体重が軽い分、直線で伸びるはず。男性相手に豪快にまくるからね!) 

爽香(3着以内に入れば、松木教官からレース用シューズがもらえる)

 ボートレース用シューズは安いものでも2万円、高い物は10万円を超える。

爽香(この中で私が一番若いのよ。年寄りたちに負けられますか! なんてったって私の年齢はみんなの半分以下なんだから)

爽香(運動神経だって、反射神経だって視力だって、私が一番なはず)

爽香(松木教官には悪いけれど、10万円のシューズを買ってもらうわ。へへへへへ)

爽香(そうだ! もし1着を取ったらヘルメットも頼んでおけば良かったわ)

爽香(ヘルメットはみなさん、20万円から30万円の物を使ってるみたいだし)

爽香(あー、失敗した。言っておけば良かった)

 爽香は悔しい表情を見せた。


 やがて爽香はコース西側の一番奥にたどり着いた。スタートラインまでは270m前後あるだろうか。

 コースの中央にスタート用の大時計がある。スタート1分前、大時計の白い針(1分針)が回り始めた。

 スタート15秒前、そして、14秒前、13秒前。

 今度は大時計の黄色い針(12秒針)が回り始めた。12秒前、11秒前

 爽香はスロットレバー(アクセル)を握り加速した。

実況「進入はインから1、2、3、4、5、6、」

実況「10秒前、5秒前、スタート」 


 スタート5分前、一方『ボートレース戸田』スタンド(観客席)では、ボートレースに初めて来た50歳ぐらいの観客が、

初客「初めて来たけんど、でっけぇ(広い)な」

 隣に居合わせた60歳ぐらいの常連客が、

常連「ここは、初めてですか?」

初客「うん、初めでだ。福島から見に来だ」

 少しなまっていた。

常連「わざわざ福島から見にこられたのですか?」

初客「前から一度見だかったんだけれども、東北にはボートレース場がないからねぇ」

常連「そう、残念ですよね」

初客「でも韓国にはあるのにね。韓国でボートレースをやっていると聞いた時は、びっくらこいだよ」

常連「よく知っていますね」

初客「4年前に、韓国の選手と日本の選手が大村ボートレース場でレースをしたって新聞で見だからさ」

常連「そうでしたか。なんでも東北は、冬になると水面が凍ってしまうからレース場を造れないらしいですよ」

初客「なら、温水にすればいい」

常連「なるほど、それなら落水しても寒くないですね。ははははは」

初客「今日は暖かくて気持ぢいいねぇ」

常連「今頃の季節(5月)は気持ちいいですよ」

初客「うんだな。ところであの大きな時計は目覚まし時計かい?」

 スタンド中央の水面寄りに設置された直径3mのスタート用大時計(発走信号用時計)を指さした。

常連「えっ?」

初客「あんな大きい時計は見たことない。さすが東京だな」

常連「ここは埼玉で、東京ではないですよ」

初客「でも、この荒川の向こうは東京。まぁ東京みたいなもんだ」

常連「そうですね」

初客「ディズニーランドは千葉県にあるのに『東京ディズニーランド』って言うんだろう」

常連「そうですね」

初客「そうだよ。だから、ここも『東京ボートレース』で、いいんでねぇの」

常連「良い名前ですね。でも、ちょっと厚かましくて言えないです」

初客「それに比べると千葉は厚かましくて、面の皮が厚いんだな。『東京ドイツ村』なんて、東京都とあんなに離れているのに『東京ドイツ村』って名前にしちゃったんだからビックリだ」

常連「厚かましいとまでは言いませんが、」

初客「千葉県の連中は、なんでも『東京』って、くっ着けちゃうんだからなぁ」

常連「『東京基督教大学』とかもありますよね」

初客「埼玉の人は、千葉や東京の人にいじめられているって聞いたよ」

常連「えっ? どんなふうに?」

初客「千葉の人が埼玉の人に会うと、千葉の人が埼玉の人の鼻の穴にピーナッツを詰めるんだ、って聞いたよ」

常連「ははははは。それは噂だけですよ」

初客「東京の人が埼玉の人に会うと、埼玉県人かどうか調べるために、埼玉県の名産品を地面に置き、踏み絵をやらされるって聞いたけれど」

常連「名産品って?」

初客「深谷のネギとか、川越の芋とか」

常連「ははははは。それも噂です」

初客「そうかい。それなら良かった」


初客「あの大きな時計のベルが鳴ったら、ものすごい音がしそうで怖いな」

常連「大丈夫ですよ。音はしませんから」

初客「ならいいけども。福島競馬のファンファーレみたいに鳴り響くかと思ったからよ」

常連「選手は、あの時計を見ながら、スタートするんです」

初客「ああ、そうなんだ。わしゃぁ、また、レースが始まる時、寝ている観客を起こすためかと思ったよ」

初客「なるほど、そういうのも必要ですね」

常連「いや、うるさいから要らんわい」


初客「ところで、スタートラインってのは、どこに引いてあるだんべ?」

 初めて来た客が水面のあちこちを見ている。

常連「ラインは無いですよ。水面の上に線を引くのは、難しいですからね」

初客「なら、ロープを張ってみたら?」

常連「それは良い考えですね! でも、もし水面にロープを張ったら、6艇のスクリュー(プロペラ)が引っ掛かって、全部のボートがひっくり返ってしまいますよ」

初客「あっ、そっか。そりゃぁ、気づかなかったなぁ~」

常連「でも、昔、1975年に津競艇場で水中にロープを張って、あるボートを転覆させようとした者も居たんですよ」

初客「ほんとかね、そりゃびっくりだわ。それで、実際にボートは転覆したのかい?」

常連「レース前に、水中に張られたロープを発見して事なきを得たんですが、犯人は見つからず仕舞いでした」

初客「犯人が、あんたじゃねえべよな?」

常連「とんでもありません」

 常連客が慌てて手を横に振った。

初客「いや、妙に詳しいから、あんたが犯人かと思ってよ、」

常連「当時は有名な話でしたよ。私は昔からボーレースの熱狂的なファンだったんですよ」

初客「へぇー、そうかい。」

常連「はい、今は『ボーレース(BOAT RACE)』と言いますが、当時は『競艇』と言う方が多かったですね」

初客「犯人は、そこまでしてでもレースを当てたかったんだろうねぇ?」

常連「恐らくは」

初客「わしは、福島で漁師をやってんだがね。しかし、そんなことに時間と労力とを使うんなら、同じ水中のロープでも、地引網のロープを引っ張った方が儲かるんじゃないんかね」

常連「ははははは。そいつは愉快だ。あなたの言う通りです」

 ボートレースは、水面にスタートラインは引けないので、スタートライン5m手前に、赤と白の旗を付けたロープを空中に張ってある。このロープのことをボートレース用語で「空中線標識」と呼んでいる。


 話は戻り、競争水面。

 スタート15秒前、そして、14秒前、13秒前。

 今度は大時計の黄色い針(12秒針)が回り始めた。12秒前、11秒前

 爽香はスロットレバー(アクセル)を握り加速した。

実況「進入はインから1、2、3、4、5、6、」

実況「10秒前、5秒前」 


 爽香はスロットレバー(アクセル)を引き加速しスタートのタイミングを合わせた。

爽香(《時計の針が》4秒前、青・白の空中線《スタートライン85m手前》を通過)

 爽香は心の中で点呼確認した。

爽香(《時計の針が》2秒前、黄色・白の空中線《スタートライン45m手前》を通過)

爽香(《時計の針が》0秒の少し前、赤白の空中線《スタートライン5m手前》を通過)

爽香(スタート正常!)

 大時計を過ぎたら直線150mを全速力! 艇内に体を沈め、風の抵抗を最小限にした。

 行く先に、紅白模様の三角コーン(ブイ)が水面に浮いている、それが第1ターンマークである。


 第1ターンマークまで、残り30m、20m、10m。

 内側5艇はすでにハンドルを切り旋回に入っている。

爽香(あっ! ハンドルの切りが遅れた!)

 爽香は、ターンマークを過ぎてしまい、他艇より15m奥でターン。

爽香(ダメだ!)

爽香(他艇の様子を見すぎたんだわ! これじゃ遅い!)


 ボートレースは、同じコースをぐるぐる3周走って勝敗が決まる。爽香は最下位のままひと回りした。

 2周目、爽香が第2ターンマークに近づくと先頭が折り返して走って来るのが見えた。

爽香(げっ! 2番、3番、1番の順だ!)

 爽香が今走っているメンバーを思い浮かべた。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【出走表】

1号艇 赤塚 人志  44歳 B1級 勝率4.05 モーター ○ 

2号艇 立野 友芳  64歳 B1級 勝率4.95 モーター ◎ 

3号艇 芝田 明広  47歳 B1級 勝率4.16 モーター - 

4号艇 塚田 竹之  44歳 B1級 勝率4.06 モーター △ 

5号艇 野部 香折  38歳 B1級 勝率4.44 モーター × 

6号艇 速水 爽香  20歳 B2級 勝率0.00 モーター - 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

爽香(先頭は2号艇、64歳のおっさん? ウソでしょう? 1号艇はどうしたのよ?)

爽香(ひょっとして、年寄りの順に走っている?)

爽香(64歳に、47歳に、44歳だったかな?)

爽香(ボートレースって、年功序列の世界なの? 私は実力の世界って聞いて入ったのに……) 

 周回を重ねるごとに差は開いていった。

 スタートして2分後、レースは終わった。結果は6着。5着と大差の6着だった。


 爽香はピットに戻り、数人でボートを陸上に上げた。爽香も他艇を陸に上げるのを手伝う。それが終わると、先輩選手たちのボートの移動や船首に付いている艇旗の交換などやることはいっぱいある。自分のことだけやっていれば良いと言う訳ではない。自分のレースが終わったからと言って落ち込んでる暇さえも無かった。


 その夜、宿舎の食堂で、

田並「速水さん、デビュー戦見せてもらったよ。いい走りだったね」

速水「えーっ? ちっとも良くなかったです」

田並「どうしてだい?」

速水「まず、6着の最下位でしたし、最初のターンもターンマークから随分離れた所でしてましたから」

田並「そうかね。うーん、最初からそんなに欲張っちゃいけないよ」

速水「そうですか?」

田並「まだまだ先は長いんだし」

速水「それよりびっくりしたのは、2号艇が1着になったことです」

田並「あぁ、立野さんか」

速水「そうです。もう年齢が60代とかの方ですよね?」

田並「うん」

速水「2号艇が2コースから差し切ったんですか?」

田並「うん、そうだよ」

速水「えーっ、そんな俊敏に1マークを捌き切ったんですか?」

田並「うん」

速水「私よりも年齢が3倍? とかなのに」

田並「ははははは。お嬢さんは、面白いことをいうねぇ」

速水「ごめんなさい。はっきり言い過ぎましたか?」

田並「でもレース経験は向こうの方が1000倍とかあるんじゃないのかい?」

速水「まぁ、確かに。こっちはレース経験が1ですからね」

田並「明日の番組じゃぁ、お嬢さんと私が同じレースになったみたいだよ」

速水「えっ、そうなんですか?」

田並「うん」

速水「容赦なく行きますからね」

田並「ははははは。面白いお嬢さんだ」

速水「もし、ぶつかったらごめんなさいね」

田並「かまわんよ。レースになったら先輩後輩もないし、手加減もなしだ。全力でぶつかってくることだね」

速水「はい、そのつもりで頑張ります」

田並「うん、楽しみにしているよ」

 多並が食堂を後にした。


 今日も速水と隣に座っている先輩の八巻恵夢が残った。

八巻「速水さんは、なんでもズバズバ言うのね。隣で聞いていてハラハラしちゃったわ」

速水「そうですか? 自分としては正しいことを言ってるつもりなんですけれど」

八巻「そうね。私もそのくらい度胸があれば、もっと成績が良かったかも」

 八巻の過去の成績はそれほど良くは無かった。ボートレーサーになってから、結婚し出産を経て今回レースに復帰した。

速水「田並さんに『お嬢さん』って言われて、私嬉しくなっちゃう。そんなふうに呼ばれたことがないから」

八巻「ほほほほほ。あの人、誰にでもそう呼ぶのよ」

速水「えっ、そうなんですか?」

八巻「私も実際そう呼ばれているし」

速水「えーっ、そうなんだ。がっかり」

八巻「あら、言わない方が良かったわね」

速水「いえ、そんなことは無いです」

八巻「でも、私は『お嬢さん』って呼ばれるの、あまり好きじゃないのよ」

速水「えっ、そうなんですか?」

八巻「なにか世間知らずのいいとこのお嬢さんって感じがして、ボートレーサーには似合わない気がするの」

速水「そっか。私だけなんですね『お嬢さん』って言われてウキウキしちゃうのは」

八巻「いいんじゃない、ウキウキしてレースをしてた方が絶対に楽しいわよ」

速水「きっと八巻さんは、本当のお嬢さんなんですね。私はニセのお嬢さんだから喜んじゃうんです」

八巻「ほほほほほ。速水さんて面白い」

速水「どうせニセモノですからね」

八巻「明日、頑張ってね」


【05】2日目、第1レース。選手体重が軽いと、3つのことで有利?


『ボートレース戸田』 2日目 1レース 予選 男女混合一般戦

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【出走表】

1号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター - 1

2号艇 小河 智幸 40歳 B1級 勝率5.43 モーター - 64

3号艇 原島 加那 25歳 B2級 勝率0.00 モーター ◎ 5

4号艇 木森 沙也 28歳 B1級 勝率4.13 モーター △ 42

5号艇 桑田 純一 56歳 B1級 勝率4.73 モーター × 66

6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター ○ 6

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績


 スタンド(観客席)で、昨日とは別のボートレース初心者の客が

初客「3号艇と6号艇は勝率ゼロだけれど、間違いじゃないのかい?」

常連「3号艇は育休明けの選手で、半年から1年休んでいましたからね。6号艇は新人ですね」

初客「ほぉー、育休制度もあるんだ?」

常連「ボートレーサーの福利厚生はしっかりしてますよ」

初客「他のスポーツ競技と違って、ボーレースは男女一緒に走るのかい?」

常連「ええ、ボートレースでは、男子も女子もないです」

初客「あるのは実力だけ。ってことかね?」

常連「その通りです」

初客「でも、やっぱり男子の方が強いし、一流選手は男子ばっかりなんだろ?」

常連「そうですね」

初客「なんで男子レーサーの方が強いんだい?」

常連「脚力や腕力の差でしょうね」

初客「脚力や腕力? ボートは人間が走るわけじゃないのに?」

常連「機動力はもちろんエンジンです。しかし、ターンの時は、瞬時に正座からスクワットして腰を浮かし、手はハンドルとスロットルレバーを強く握りしめ、四つん這いみたくなります」

初客「四つん這い?」

常連「ええ、私たち観客からその姿を見ると、まるでライオンが獲物を狙って飛びつくような姿なんです」

初客「ライオンが獲物をねぇー、素晴らしい例えだな」

常連「ええ、とても素敵でカッコイイですよ!」

初客「うん、うん」

常連「世間では、それをモンキーターンと呼んでいます」

初客「ああ、それなら聞いたことがあるなぁ」

常連「それなら、良かった」

初客「正座からスクワットして体を起こすために脚力を使うのはわかったけれど、なんで腕力が必要なんだね?」

常連「見てください、あのボートの形を」

初客「うん、見たよ」

常連「ボートの先端は薄くなっていて水面から浮いてますよね」

初客「うん、そうだね」

常連「エンジンの回転を上げると舟の先が浮いて、推進力は斜め上の空中の方へ行ってしまうんです。それだとスピードは出ません」

初客「それはそうだな」

常連「そこで、水面での推進力を最大にするために、舟の先に自分の体重をかけ、舟全体を水面と平行に保つんです」

初客「なるほど、その方が速いだろうな」

常連「艇の先端を押さえつけるために、エンジン力に負けないだけの腕力が必要となります」

初客「うん、わかった。非常にわかりやすい」

常連「それともう一つ大事なのが、体幹です」

初客「体幹?」

常連「ボートは、波によって常に揺れています。そのボートを安定して操縦するために、選手は体のバランスを保ち、インナーマッスルを鍛えるのです」

初客「よくわからんな。俺は横文字に弱いし」

常連「まぁ、舟が揺れても落ちないように体を鍛えるってことです」

初客「そうか。ならバランスボールで練習したらいいんじゃないか?」

常連「なぁーんだ、知っているじゃないですか」

初客「俺の大好きな選手で『ワンダフルマザー』というニックネームの女子選手が居て、その選手がバランスボールに乗っている画像を見たことがあるよ。ははははは」

常連「それを早く言ってくださいよ」

初客「ははははは、そりゃ悪かったのぉ」

常連「あの『ワンダフルマザー』と呼ばれている女子選手が好きなんですか?」

初客「ああ、大好きだね。」

常連「なんで好きなんですか?」

初客「なんでだろう? なんてったってボートレース界の『ワンダフルマザー』だからな」

常連「それ横文字ですけれど。『横文字に弱い』んじゃなかったでしたか?」

初客「あぁ、そうか? いや、『ワンダフルマザー』はカタカナだろ?」

常連「ははははは、そうですね」

初客「しかし、女子レーサーなんだから、少しハンデをもらってもいいよなぁー」

常連「ハンデですか。しいて言えば、最低体重制限が、女子は47kg、男子は51kgです」

 (※現在は、男性選手の最低体重が変更されている)

初客「体重が軽いレーサーと重いレーサーと、レースにどう影響するんだい?」

常連「レースにおける三要素で軽い方が有利ですね」

初客「『三要素』って?」

常連「まず一つ目に、体重が軽い方がスピードが出ます」

初客「スピードかぁ、そうかも知れんな。豪華客船と小型ボートの走り方を比べれば明らかだもんな」

常連「二つ目に、加速が良いです」

初客「加速ね」

常連「三つ目に、小回りがききます」

初客「小回りなんだ」

常連「はい」

初客「ボートレースって、1着を取るためには、いろいろと難しいんだなぁー」

常連「はい。ボーレースは、ただ単純に水面をぐるぐる回っているように見えますが」

初客「ミズスマシみたいだな」

常連「実はとても奥が深いんです」

初客「さすが人間だな」

常連「ですので、」

初客「もういいや。難しい話はここまで。さぁレースを楽しむぞ」

常連「そうですね」


♪ファンファーレと共に、第1レース6名のレーサーが水面に出てきた。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【出走表】

1号艇 田並 浩次 42歳 B1級 勝率3.00 モーター - 1

2号艇 小河 智幸 40歳 B1級 勝率5.43 モーター - 64

3号艇 原島 加那 25歳 B2級 勝率0.00 モーター ◎ 5

4号艇 木森 沙也 28歳 B1級 勝率4.13 モーター △ 42

5号艇 桑田 純一 56歳 B1級 勝率4.73 モーター × 66

6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター ○ 6

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 メンバーは、男子3名、女子3名。爽香は6号艇、新人なので一番外側を走る。

爽香(今日は、昨日と同じ失敗をしないわよ!)

 スタート15秒前。そして、14、13、12秒前。爽香はスロットレバー(アクセル)を引き加速した。

爽香(《時計の針が》4秒前、青・白の空中線を通過)

爽香(《時計の針が》2秒前、黄色・白の空中線を通過)

爽香(《時計の針が》0秒の少し前、赤白の空中線を通過)

爽香(スタート正常!)

 1号艇から5号艇までが横一線のスタート。6号艇だけが半艇身遅れた。

 爽香は体を艇内に沈め、風の抵抗を最小限にして1マークへと向かった。


 そして2分後。

 結果は、2号艇、1号艇、3号艇の順にゴール。爽香は大差の6着。進歩なし。昨日と同じ負け方をした。

爽香(6コースでスタートが遅いと、もう何もできないわ。勝てるわけがない! 悔しい! 今頃、松木教官が『それ見たことか』と思っているんだろうな)

爽香(さて、勝率3点の田並さんは……と?)

爽香(えっ! 2着に入ったじゃん。それでも辞めちゃうのかな?)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【後書き】

たくさんの作品の中から本編をお読みいただきありがとうございました。m(__)m

まだまだ未熟ではありますが、皆様に愛される作品となりますよう努力を重ねていく所存です。m(__)m

重ね重ね心より御礼を申し上げます「本当にありがとうございました」m(__)m

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ