05 爽香の餃子事件 編
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【あらまし】
新人ボートレーサー速水爽香のこれまでの成績(着順)、
第1節『結果、6・6・6・6・5・6・欠・6』
第2節『結果、6・6・6・6・6・失』
第3節『結果、6・6・6・6・6・6・6・F』
第4節『結果、6・6・6・6・6・5(最下位)・失・6・6』
第5節『結果、6・6・6・5(最下位)・6・6・落・6・6』
爽香は賞金がもらえず、家賃が払えない。挙句の果てに不動産屋から催促の電話がかかってくる。そこへ丹沢と由利が、食料を差し入れにやって来た。
丹沢はどこか恵んでやるような、爽香はほどこしを受けているような、そんな二人のプライドがぶつかり大喧嘩に発展して行く。
そして爽香の6節目『宮島ボートレース』が始まった。結果は……?
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【主な登場人物】
速水爽香 20歳女 女子ボートレーサー
丹沢純也 30歳男 美浦市役所住民課主事
由利源吾 30歳男 美浦市役所税務課主事
安宅達矢 35歳男 先輩の男子レーサー
竹添未来 22歳女 爽香と同期のレーサー
横塚悠夏 22歳女 爽香と同期のレーサー
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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ここまでの爽香の成績(レース結果)
●第1節(爽香にとってのデビュー戦)。ボートレース戸田。
『結果、6・6・6・6・5(最下位)・6・欠(転覆)・6』
5着は1艇がフライングしたため。実質の最下位。
●第2節(爽香にとって2場所目)。同じくボートレース戸田。
第1節(爽香にとってのデビュー戦)が終わり第2節目も、ボートレース戸田だった。
『結果、6・6・6・6・6・失(違反により即日帰郷)』
速水爽香は、6回走って、6着5回、失格1回、そして『即日帰郷』に終わった。
●第3節(爽香にとって3場所目)。ボートレース蒲郡。
全部で8回乗り、着順は、
『結果、6・6・6・6・6・6・6・F』
Fの後、爽香は里見先輩と車で帰った。
●第4節(爽香にとって4場所目)。ボートレース児島。
全部で9回乗り、着順は、
『結果、6・6・6・6・6・5(最下位)・失・6・6』
ラブホテルで特訓した後も成績は振るわなかった。
●第5節(爽香にとって5場所目)。ボートレース常滑。
全部で9回乗り、着順は、
『結果、6・6・6・5(最下位)・6・6・落・6・6』
唯一の5着は、一艇がフライング失格したことによるものだった。
つまり爽香は、出場した全レース、最下位だった。
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【01】 ボートレーサーにはA級とB級があるの?
爽香がボートレーサーとしてデビューしたのが5月、それから9月末日まで5カ月間の出走回数は40回。その間の成績は5着3回、6着32回、欠場1回、失格1回、フライング1回、転覆1回、落水1回。4着以上は未だにない。
爽香の部屋。丹沢と由利が来ていた。
丹沢「どうだった常滑は? うまく走れた?」
爽香「全然ダメ。二人に協力してもらって練習したのに。だから過料の6千円も返せないわ」
丹沢「そうか」
由利「泥縄式にやっても、やっぱりダメか?」
爽香「そんなことないわよ、きっと後で成果が現れるわ」
丹沢「なんだ?その『泥縄式』って? 速水さんはわかった?」
爽香「わからなかったけれど最後の文に対して答えたの」
由利「丹沢さんの解釈は?」
丹沢「泥の中に縄を張り、相手レーサーを転ばせること?」
由利「バイクのクロスカントリーか! ブッブー。『慌てて準備を始める様子のこと』さ。『泥棒を捕まえてから縄をなう』に由来する。言い換えれば『一夜漬け』かな」
丹沢「私に恥をかかせるな!」
爽香がそれを聞いて笑っていた。
由利「笑うってのはいいね。『この世で一番素敵なことは笑うこと』だって、(女優の)オードリー・ヘップバーンが言っていた」
丹沢「誰だ、それ?」
爽香「漫才師よ」
由利「いいです、忘れてください」
爽香「あたし、万年6着でお客様に本当に申し訳ないわ」
丹沢「『お客様に申し訳ない』って言ったって、お客様はそんな万年6着のレーサーの舟券なんか買ってないって」
爽香「それが居るのよ」
由利「えーーーーーっ!」
爽香「ねぇ、ちょっと驚きすぎじゃない?」
由利「だって、そんな4着でさえ無理なレーサーを、よく1着や2着狙いで買うよなぁ」
丹沢「いつの時代だって大穴を狙うボートレースファンがいるんだよ」
爽香「そうなのよ」
丹沢「『1―2』で300円なんて配当じゃ儲からないだろう」
由利「そりゃそうだ、300円じゃ夢がないな。でもボートレースで最も出やすい連勝単式の組み合わせは『1―2』なんだ」
連勝単式とは、1着と2着をそれぞれ当てる買い方である。
丹沢「うん、そうだろうな。わかる気がする」
由利「1コースと2コースのレーサーが1、2着を取ることから当然配当が安くなる」
爽香「ボートレースは、左回りにぐるぐる回る競争なので、内側に入る1コースの方が断然有利なのよ。これは陸上のトラック競技も同じよね」
由利「逆に6コースの選手が来たら1万円を超える配当になるかも」
爽香「確か『万舟券』って言うのよね」
丹沢「なんか宝くじを買ってるみたいだな。掛け金が百倍になるなら夢があるな」
爽香「あたしって夢のドリームジャンボなんだ」
丹沢「そうだよ、速水さんは、みんなの夢を背負って走っているんだよ」
爽香「だから、あたしは、そのお客様方の夢を壊したくないわけ、わかった?」
丹沢「あっそうか、僕は速水さんを励ますつもりだったのに、バケツを掘っちゃったな」
由利「『バケツ』じゃなくて『ボケツ(墓穴)』だろ」
爽香「ははははは」
丹沢「えっ『墓穴』が正しいの? 私は真剣に『バケツを掘る』が正しいと思っていた」
由利「どうやって『バケツ』を掘るんだよ」
丹沢「ほら、小学生のとき、バケツに土を入れて朝顔栽培しただろう? あれだよ、あのイメージだよ」
由利「朝顔栽培をしていて、どうしてバケツを掘る、になるんだよ」
丹沢「それはだな、つまり、みんなに『ぼくのバケツには、みんなのより綺麗な朝顔が咲くんだぞ!』って言いふらしていたのに、一向に芽が出ない。それで掘ってみたら、『あっそうだ、タネを入れなかった!』ってね」
由利「そんなバカな小学生が居たんだぁ」
爽香はその会話を聞いて笑っていた。
丹沢「バカで悪かったなぁ」
由利「だいたい、今は朝顔栽培に、昔のような水色のポリバケツなんか使ってないんだよ」
丹沢「えーーーーーっ!」
由利「驚きすぎだろ?」
丹沢「今、水色のポリバケツじゃないのか?」
由利「今は『あさがお栽培キット』と言って、青い給水鉢と黄色の受皿、支柱、ジョーロ、朝顔の種、虫メガネ、メジャーまでセットになって売っているよ」
丹沢「それは本当か?」
由利「嘘だと思ったら市役所の教育委員会に聞いたらいい」
丹沢「種まで付いているのか?」
由利「そうだよ、それが何か?」
丹沢「僕の小学生の頃は、朝顔の花が咲き、やがてタネが出来、そのタネを次の一年生にプレゼントしていたのになぁ~」
丹沢は上を向いて、
丹沢「いい先輩だろう」
丹沢が、手で目をぬぐった。
由利「そんな小芝居をするな!」
爽香は会話を聞いて、また笑っていた。
丹沢「やっぱり速水さんは笑っているときが一番だよ」
由利「あの映画俳優のマリリンモンローが言っていた。『笑顔は女の子ができる最高のメイクアップよ。A smile is the best makeup a girl could wear』って」
丹沢「流暢な英語だな。それを福島弁の英語で言うと?」
由利「そんなもん出来るか!」
丹沢「しかし、そう言う名言がすぐ出るのは、由利さんに教養がある証拠だな、いつからそんな教養を身につけたんだい」
由利「今日よう(教養)」
爽香がまた笑った。
丹沢「それかい、今日のオチは」
由利「お前が言わせたんだろ」
由利がそう言って丹沢の頭を叩いた。
丹沢は頭を由利の方に叩きやすいように差し出していた。
爽香がまた笑った。
爽香「あたしも、とにかく頑張らなくちゃね」
丹沢「ボートレーサー養成所を卒業し、デビューしてからだいたい何回ぐらい走ると、初めて1着が獲れるんだい?」
爽香「100走から200走はかかるんじゃない、中には200走以上かかるレーサーも複数いるわ。最も遅いレーサーでは、459走目と聞いたことがある」
丹沢「えーーーーーっ! 459走!」
由利「勝てればまだいい方で、一勝もしないで引退したレーサーもいるよ」
丹沢「えーーーーーっ!」
由利「驚きすぎだろ」
丹沢「200走するのに何ヶ月かかるんだい?」
爽香「1、2年はかかるわね」
丹沢「そんなに1着を獲るって難しいんだ」
爽香「練習に練習を重ね、地獄のような特訓をして、胃液を吐いて、血を吐いて、」
丹沢「緊張と疲れから下痢を続けて初めて1着が取れる訳だ」
由利「下痢までは要らないんじゃないか」
丹沢「そうか、ちょっと話を盛り過ぎちゃった。へへへへへ」
由利「今居るレーサーは、A1、A2級はもちろんB1級も本当に上手いからな。卒業したばかりのレーサーとは相当技術の差があると思うよ」
丹沢「そのA級とかB級ってどうやって決めるの?」
由利「半年ごとの勝率によって決まるんだ」
丹沢「A級とかB級とかクラスによってどう違うの?」
由利「クラスによって出場できる回数が違うし、A1級になると賞金の高いレースにも出られるから収入に大きく影響がでてくるね」
丹沢「そうか、A1、A2、B1というのは、市役所や一般の会社に例えると、部長、課長、係長に相当するんだ」
爽香「でも会社と違うのは、会社は係長を何年やると課長になれるとか、段階を踏んで昇進していくけれど、ボートレースの世界では成績さえ残せば半年で上位級に上がれるし、飛び級も可能なのよ」
丹沢「そうなんだ」
爽香「もっと細かく言うと、クラスはA1、A2、B1、B2、4つのクラスがあるの。ボートレーサー養成所を卒業して、最初はB2級としてデビューし半年ごとに見直しがあるわ。あたしはB2級」
丹沢「でも上のクラスに上がるのはたいへんなんだろう」
爽香「そう、その通り。上のクラスに上がるのは至難の業ね」
丹沢「半年や一年で先輩方に勝てる職業なんてひとつもないからな」
由利「そうだよ」
丹沢「私だって市役所住民課に異動した1年目は覚えることだらけで、こんな業務も住民課なの? って、ビックリするだけで終わっちゃったな。例えば妊婦さんの母子手帳。母子手帳や定期検診の検査票を渡してその説明をする業務とか、新築の家に『何番何号』という住所が印刷された住居表示用プレートを作って渡すとか、台風の被害に遭った家の方に『床下浸水』などの罹災証明書を発行するとか、お墓を移転する際に必要な『改葬許可証明書』を発行するなど、」
爽香「ふ~ん、母子手帳って病院でもらうのかと思っていた」
由利「私も、恥ずかしながら同じ市役所に居ても知らなかったよ」
爽香「住居表示用のプレートも建築業者が作っているわけではないのね」
美浦市役所では、スチール板にプラスチックの数字を職員が貼り付けて手渡していた。
由利「知らなかったなぁ」
丹沢「だから1年目なんてどの職業も見ているだけで終わっちゃうのは仕方ないことだと思うよ」
由利「そう考えるとボートレーサー養成所卒業後、初レースで1着を獲ったレーサーがいるというから驚きだな」
爽香「そんなの信じられない。きっと、大昔の話だわ。あたしなんか40回も走って4着さえ獲れないのよ」
由利「速水さんは大器晩成型だから今はじっくり力を着けていけばいいんじゃないの、将来きっと花開くよ」
丹沢「そうそう、『ウサギとカメ』の話のカメでいいと思うよ、いつか賞金が入ったら過料金返してくれればいいよ」
爽香「そこなんだ。丹沢さんはあたしの成績より貸したお金が大事なのね」
丹沢「そんな事はないよ、それは誤解だ。私が大事なのはお金ではなくて速水さんの体だよ」
爽香「そうかあたしの体が目的だったのね、さぁ帰って、帰って!」
突然爽香は機嫌をそこね、丹沢と由利の二人は追い返されてしまった。爽香の部屋を出て由利が言った。
由利「丹沢さんは、速水さんの健康を気遣っていたのに、彼女、誤解していたな」
丹沢「まぁ、スケベだから誤解されても仕方ないさ」
【02】 餃子とポンデケージョ
数日後。
爽香の携帯電話が鳴った。
爽香「はい、」
不動産屋「速水さん、先月の家賃が口座から落ちておりません」
未払い家賃の催促だった。
爽香「すみません、賞金が入ったらお支払いいたします」
それが精いっぱいの答えであり、今の爽香にはそれしか言えなかった。
不動産屋「速水さん、今月も口座引き落としができなかった場合は、退去していただきます」
爽香「すみません、支払えるように頑張ります」
涙ながらに答えた。
爽香の部屋の冷蔵庫は、ほとんど空っぽだった。今、唯一冷蔵庫の中にあるのは、キムチだけ。このキムチひとつまみで、ごはんを二杯食べていた。
それ以外にある食べ物は、部屋の隅に茶色くなったバナナ。5本100円で買い、まだ2本残っていた。5本のバナナを2週間かけて大事に食べている。よほどの空腹に耐えられない時にしか、食べないようにしていた。
そんな時に、丹沢と由利がやってきた。爽香のことが心配になって様子を見に来たのだった。
丹沢「冷凍のポンデケージョと餃子を買いすぎちゃって、おすそ分けに来たよ」
爽香「ポンデケージョ?」
丹沢「ナチュラルチーズがたっぷり入ったブラジル発の小さめパン、だよ」
爽香「えっ、いいの?」
丹沢「もちろんだよ。大きなスーパーで買ったんだ。安いけれど量も半端じゃなかったな」
爽香「大きなスーパーってどこ?」
丹沢「もし爽香さんが引っ越すことになったら、引っコストコろにあるスーパーだな」
爽香「わかった! カタカナ4文字のお店ね!」
由利「なんちゅう会話をしてるんだ、いやらしい」
爽香「レーサーは、感が良くないとできないのよ」
丹沢「しかし、この部屋はなにもないなぁ~、相当ビンボーなんだな」
爽香「ミニマリストと呼んでくれる」
丹沢「そのミニマリストって?」
爽香「不要な持ちものを減らして自分に必要な最小限のものだけで暮らす人のこと、よ」
丹沢「なんか、この前会った時よりやせたんじゃないか、貧乏人だから?」
爽香「ばかねぇ、レーサーだから減量しているのよ」
由利「ちなみに冷蔵庫って何が入っているの?」
爽香「なんでも入っているわよ。たくさん、いろんなものが」
由利「見てもいい?」
爽香「ダメ!」
由利「なんで?」
爽香「個人情報だから」
由利「個人情報?」
爽香「そうよ、個人情報」
由利「冷蔵庫の中身が個人情報なんて聞いたことがないな」
爽香「個人情報よ、だって冷蔵庫の中にはいろんな人が入っているんだから」
由利「こんな小さい冷蔵庫に人が入れるわけないだろ」
爽香「入れるわよ」
由利「誰が?」
爽香「にんじん、とか、ピーマン、とか」
「じん」と「マン」のアクセントを強くして言った。
由利「それが言いたかったんだ」
爽香「ふふふ」
丹沢「さては、空っぽだな」
爽香「そんなことないわよ」
丹沢「だって全然賞金もらってないんだろ」
爽香「そんなこと言わなくても」
丹沢「図星だな」
爽香「……」
丹沢「黙っているところを見るとやっぱり冷蔵庫の中は空っぽだな」
爽香「あるもん、中にちゃんと食べ物がはいっているもん」
爽香の目に涙がにじんでいた。
丹沢「じゃぁ、見せて!」
由利「もういいよ、入っていようが無かろうが。二人ともそんなことで揉めるなよ」
爽香「だって、この人がいじめるから」
爽香の目に涙が溜まっていた。
丹沢「いじめてるんじゃないよ、心配しているんだよ」
爽香「もう帰って!」
爽香は、もらった餃子とポンデケージョの袋を開け、一個ずつ取っては投げ、取っては投げ、二人にぶつけた。餃子は投げにくかったのか、
爽香「シューマイとたこ焼きの冷凍ならもっとぶつけられたのに!」
そう言って投げ続けた。部屋中に餃子とポンデケージョが散らかった。
丹沢と由利は、早々に部屋から外へと逃げ去った。
外に出てから、
丹沢「結局、また今日も追い出されちゃったな」
由利「あそこまで言うことはないだろう!」
丹沢「だって、事実だろう?」
由利「わかってないなぁ。事実なら何を言ってもいいのか?」
丹沢「いいだろう」
由利「目の悪い人に『何も見えないんですね』、母子家庭の子供に『父親がいなんですね』、空気を読めない奴に『バカだから相手の気持ちがわからないんですね』って、言ってもいいのか?」
丹沢「最後の例えは、私か?」
由利「ほーっ、それはわかるんだ」
丹沢「それぐらいわかるわ!」
由利「いいかい、丹沢さんは、人の傷口をえぐって、そこに塩を塗り込み、そのあとガブリと噛みついているようなもんさ」
丹沢「そこまで言うか?」
由利「本当の友達だから言うんだよ」
丹沢「……」
由利「そろそろ気づいてもいいんじゃないか?」
丹沢「何を?」
由利「その性格だよ」
丹沢「性格?」
由利「『100%相手の気持ちになって考える』ってことだよ」
丹沢「相手の気持ちになっているから、餃子とポンデケージョを届けたんじゃないか」
由利「いや、丹沢さんは自分が満足するために、餃子とポンデケージョを届けたんですよ」
丹沢「それどういう意味?」
由利「食べるのにも困っている彼女に、餃子とポンデケージョを届けて優越感に浸っているんですよ、丹沢さんは。つまり上から目線なんです。『賞金をもらってないから食べ物を恵んであげるよ』って言ってるようなもんだよ。彼女が怒るのはもっともだと」思いますよ」
丹沢「随分、彼女の味方なんだな」
由利「もういいですよ!」
由利は丹沢から離れ、ひとりで帰って行った。
その頃、爽香は、
爽香「あたし、何をやっているんだろう。こんなことで、いらいらして」
部屋に飛び散らかった餃子とポンデケージョをひとつひとつ拾い始めた。
餃子をひとつ拾うと、涙がひとつ落ちた。またポンデケージョをひとつ拾うと、涙がひとつ落ちた。
爽香「一生懸命餃子を作った人に、……野菜を作った人、豚を育てた人、その人に対して、あたしはどんなにひどいことをしているんだろう」
そうつぶやくと、また涙が床に落ちた。
同じ頃、丹沢は近くの公園で寝転がり夜空を見上げていた。
丹沢「何をやっているんだろう。女性を泣かせて」
空を見上げた目に涙が溜まった。
丹沢「月って揺れてたっけ?」
丹沢「公務員なんだよ。全体の奉仕者なんだよ。みんなの味方にならなきゃいけないのに、なんで、市民をいじめているんだよ」
丹沢は、爽香の涙顔と由利に注意された言葉を思い出していた。丹沢は、だんだんと自分に腹が立った。
同じ頃、爽香は自分の部屋で、
爽香「あの二人だって、あたしのことを思って差し入れしてくれたのに、それを投げつけるなんて」
丹沢と由利、二人の顔が浮かんだ。
爽香「『買いすぎちゃって、おすそ分け』なんてまったくの嘘……」
爽香の脳裏にその時のシーンが浮かんだ。
爽香「あたしに気を使わせないように言ってくれているのに。私ったら」
投げつけた餃子とポンデケージョをすべて拾い集めた。それでも餃子の皮のかけらが部屋のあちこちに残っていた。爽香は、床に座り込み両膝を抱えて、そのかけらを爽香はじっと見つめていた。
同じ頃、丹沢、
丹沢「由利さんの言うとおりだよな、」
丹沢「もし逆の立場で、自分が爽香に餃子を買ってもらったら……」
丹沢は、夜空の星を見上げた。
同じ頃、爽香、
爽香「世界の中のいくつかの国では、食糧も無く飢餓に苦しんでいる子がたくさん居るのに、もったいない」
爽香「洗わなくっちゃ」
拾い集めた餃子とポンデケージョを水で洗い始めた。
爽香(あちこち欠けて、餃子に穴が空いちゃった。自分のターンが下手なのを餃子に当たっちゃったわ)
爽香(あたし、まだまだだわ。この餃子を食べて力を付けるから。ごめんね餃子クン)
そう自分に言い聞かせて、餃子とポンデケージョを冷凍庫に入れた。
爽香のLINEの着信音が鳴った。
由利『先ほどは怒らせちゃってすみませんでした。
怒ったときは「ガララーガ」と5回言うと収まります。
「ガララーガ」は、怒りを収める魔法の呪文で、世界中で使われています。
これからの人生で、怒りだけでなく気持ちを鎮めたいとき時には使ってみてください。
今度会う時は楽しくやりましょう。では』
爽香「なんだろう『ガララーガ』って? 回文遊び?」
爽香はインターネットで調べた。
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【スマホ画面】
ガララーガ選手はアメリカ大リーグの投手。
2010年6月2日、完全試合(誰も塁に出さずに勝利すること)目前。
26人をアウトにし、最後のバッターがファーストゴロ、ガララーガ投手がファーストのベースカバーに入り、ファーストが投げたボールをキャッチ。
きわどいタイミング。一塁塁審は両手を広げ『セーフ』とコール。
その時、ガララーガ投手は、怒りもせずにニコッと笑った。
結局、完全試合は成立しなかった。試合終了後、審判がビデオを確認すると、ランナーよりボールキャッチの方が早かった。実際には完全試合だったのだ。
後日、一塁塁審が自分の誤審を認め、ガララーガ投手に謝罪すると、ガララーガ投手は『完全な人間なんて居ないんだから、いいんだよ』と、審判を責めることは無かった。
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爽香(すごい! なんで許せるの? 野球はあまり詳しくないけれど、野球の完全試合って偉業なんでしょう?
高校時代、野球部の試合で、9回にエラーして逆転負けしたことがあったわ。それから野球部は雰囲気が悪くなったって聞いたけど)
爽香(『完全な人間なんて居ないんだから、いいんだよ』かぁ~、最高の言葉ね。それにしても由利さんってなんでもよく知ってるんだな。
あれっ、ガララーガ投手って何歳だろう? 高校野球の学生は17、18歳だからまだ人間として未熟で、感情を表に出すけれど、って、ひとのことは言えないか)
爽香がインターネットの画面を確認した。
爽香「えーーーーーっ、ガララーガ投手28歳。まだ28歳なのに間違った判定に対してニコッと出来るの? 人間出来てるなぁ~!」
爽香「それに比べ、たんたんたぬきの丹沢さん何歳? 30歳? 40歳? 50歳? 50には行ってないか。人間としてまだまだよね」
しばらくして、丹沢。
丹沢「ハックション! 夜の公園は冷えるのか?」
丹沢がLINEを打って送った。
しばらくして、爽香がLINEを見た。
丹沢『ごめん、言い過ぎた。
人間誰しも一度や二度、公園でひとり寝転がりたい時ってあるじゃない?
だから、今そうしている。
仕事で揉めた時には「相手がまともで自分が異常なのかな」と振り返るようにしている。
だから、今も同じように振り返っている。
今となって「自分が異常だった」と気づいた。本当にごめん。』
少しして爽香がLINEを返した。
爽香『餃子とポンデケージョありがとう!
なんで、さっき、そう素直に言えなかったんだろう。
きっと、直前に不動産屋さんから家賃の催促をされたからね。
そう、あなたの言う通り、冷蔵庫の中は空っぽ。
あるのはキムチだけ。
なにかひとから施しを受けたようで悔しかった。
いつも空腹な時は、夢を食べて我慢して来たから……
結局私って、見栄っ張り。本当にごめん。』
丹沢『お互い、人生あせるのを止めようよ!
夢って、今日、明日叶うものじゃないし。
人生なんて曇りガラスを一生懸命拭くようなもんじゃない?
拭いても拭いても先が見える訳じゃないし。
それでも、拭けば見えるような気がして、何度も磨き、もがき、苦しむ。
無駄なことを何度も何度もして人生終わるんだろうな。』
爽香『無駄なケンカしちゃったね』
丹沢『うん。焦るなよ、数え切れないくらいいっぱいあるんだから』
爽香『なにが?』
丹沢『明日が』
爽香『そうだよね。ずっと、ずっと明日があるんだものね』
丹沢『うん。おやすみ』
爽香『おやすみ』
爽香(『焦るなよ』か。松木教官にも同じ言葉を言われたっけ)
爽香は、松木教官に「そうさ、ただし絶対に焦るなよ、そして慌てるなよ。『焦るな』の『あ』と、『慌てるな』の『あ』、このふたつの『あ』が大事なんだ」と言われたことを思い出していた。
【03】 デビュー後、6か月目
爽香が丹沢に餃子を投げつけてから1カ月以上が経った。
爽香は『ボートレース戸田』に練習に来ていた。そこには、先輩の安宅達矢(あたか・たつや・35歳)が居た。
爽香「もう40走したのに、1着どころか4着以上もないじゃないの」
爽香のひとり言とは言え、近くの者に聞こえていた。
達矢「なに、焦ってるんだい?」
丹沢と別れて1カ月以上が経ち、丹沢にLINEで『人生焦るのを止めようよ!』と言われたのも爽香は忘れていた。
爽香「もう生活費がないのよ。それに、これ以上借金するところもなくなったわ」
達矢「だから?」
爽香「次の節で、一発勝負を賭けて、賞金がもらえなかったら辞める!」
達矢「辞める?」
爽香「そう、辞めるわ」
達矢「なんでそこまで?」
爽香「家賃を滞納しているから。今月いっぱいで、あの部屋を出なくてはならないの。もう夜逃げするしかないわ」
達矢「夜逃げしてどうするんだい?」
爽香「どこか住み込みで働けるところを探すわ」
達矢「実家には戻らないのかい?」
爽香「実家の母親が苦しいのはわかっているわ。私と同じくらいひどい生活をしているはず。もうこれ以上迷惑はかけられない」
達矢「そうか、お母さんもお金が無いのか」
爽香「そうよ、だからあたしは高校を卒業して、収入の良いボートレーサーの道を選んだのよ」
達矢「そうだったんだ。二人とも苦労しているんだな」
爽香「なんとか母親に恩返しをしたかったんだけれどなぁ~」
達矢「一年間頑張って養成所をやっと卒業したんだろう?」
爽香「そう、松木教官に何度も助けられながら、やっとの卒業だった。やっぱり、やっとの卒業じゃこの世界で通用しなかった。私がバカだったのよ」
達矢「そんなことないさ。福岡の女子レーサーで、養成所での成績は下から2番目、デビュー期の成績は最下位。それでも、今や女子賞金ランキングで5本の指に入っているレーサーがいるよ」
爽香「すごいね、あのレーサー、木野世奈さんでしょう」
達矢「うん」
爽香「でも、あたしはそんなに待てないわ。だって、今、お金が要るんだもの」
達矢「そうかぁ~」
爽香「ごめんね。何か先輩に当たっちゃったみたいで」
達矢「う、ううん。僕に出来ることがあれば言って」
爽香「ありがとう。先輩は関係ないのに、話を聞いてもらっちゃって。すべてあたしが悪いのよ。ボートレーサーの平均収入が一千万円と聞いて、誰もが一千万円もらえるものだと、あたしが勘違いしてしまったのよ」
達矢「平均だからな。入りたての子がすぐに一千万円はもらえないよ」
爽香「そうよね。だから勘違いした私がバカだったのよ」
達矢「確かに一千万円は魅力だよ、普通の女子が大学を卒業して就職したって、年収一千万円なんて、一生もらえない金額だからな」
爽香「もういいの。とにかく次の(ボートレース)宮島で、家賃を稼げなかったら夜逃げする。そのときは、引っ越しを手伝ってくれる?」
達矢「おいおい、随分物騒なことを言うなよ」
爽香「先輩。月末は、斡旋(出場)が入っているの?」
達矢「入ってなかったと思うよ」
爽香「ねぇ、車、持ってる?」
達矢「うん」
爽香「じゃぁ、連絡したら車で来てくれる?」
達矢「僕の持っている車は乗用車だよ。レンタカーで、バンか軽トラックを借りた方がいいんじゃないか? もちろん費用は出すから」
爽香「先輩優しいんだね。でも大丈夫。あたし荷物ないから。」
達矢「荷物、無いのかい?」
爽香「うん、私が福島から持って来たのは夢だけ。あとは全部置いて来たから」
達矢「そうなんだ」
爽香「そのときは連絡するから、電話番号教えて」
達矢は、紙に電話番号を書いて渡した。交換に爽香も電話番号を達矢に渡した。
【04】 第6節(爽香にとって6場所目)。宮島ボートレース場。
フライング休みが明け、6節目の出場となった。
初日、2日目とスタートタイミングだけを合わせに行った。成績は6着3回だが、限りなくゼロスタートに近くなるよう、その感覚を体に染み込ませた。
宮島 3日目 4レース 予選 男女混合一般戦
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【出走表】
1号艇 竹内 徹 51歳 B1級 勝率4.99 モーター△ 245
2号艇 亀島 修二 45歳 A2級 勝率5.44 モーター- 23 2
3号艇 吉沢 成人 40歳 A2級 勝率5.45 モーター○ 5 12
4号艇 植松 政治 49歳 A2級 勝率5.46 モーター- 31 5
5号艇 横塚 悠夏 22歳 B2級 勝率0.00 モーター× 66 6
6号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター- 66 6
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※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
そして3日目、勝負に出た。4レース、枠番6枠で6コース。
イチかバチか、爽香はコースの一番奥から艇を起こし、スタートラインを通過するときは全速で、なおかつ他の艇よりも早いトップスタートで行かなければならないと思った。
イン1コースのレーサーが、早いスタートを切った。爽香はまだ大丈夫と、1コースのレーサーよりも早いスタートを切った。
『00(ゼロゼロ)』の1番スタートを切り、結果は2着に入った。
連勝単式は『1―6』で、6,250円、
3連勝単式は『1―6―2』で、31,110円の高配当となった。
その日の夜の宿舎。
同期で他支部のレーサー、竹添未来(たけぞえ・みき22歳)と横塚悠夏(よこつか・ゆうか22歳)が居た。
未来「爽香、頑張ったね」
悠夏「タッチスタートだものね」
爽香「勘通りの完璧なスタートだったわ」
未来「明日も目いっぱい行くの?」
爽香「もちろん行くわ!」
悠夏「あまり無理しない方がいいんじゃない?」
爽香「えっ! どうして?」
未来「まだ、全国のレース場に慣れてないんだし、最低一年間は安全なスタートをして、じっくりと各ボートレース場の特性を学んだ方が良いんじゃない?」
悠夏「里見先輩からも(ボートレース)蒲郡の帰りに、車の中でそう言われたんでしょう」
爽香「ダメ!!! 今のあたしにそんな余裕はないわ!」
その語気に他の二人が圧倒され黙り込んでしまった。
爽香「あたし、稼がないと。お金がないのよ。家賃を払わないと部屋を追い出されるの」
悠夏「そうなんだ。家賃、払ってないんだ」
爽香「うん、二か月分滞納中」
悠夏「ご両親に家賃を出してもらったら?」
爽香「離婚して父はいないわ。母が女手ひとつであたしを育ててきたの。その母親も今は無理したせいで体を壊してるわ」
悠夏「そうだったんだ」
未来「じゃぁ今、お母さんも実家でひとり暮らしなの?」
爽香「うん、でも実家と言っても、福島県で賃貸住宅に入っているの」
悠夏「お母さんも大変ね」
爽香「だから、もう母には何も頼めない。本当は、逆にあたしが母を援助していかなければならない立場なのよ」
悠夏「でもね、そうは言っても、このボートレーサーというのは、そんな一朝一夕に稼げるもんじゃないのよ」
爽香「わかってるわ。でも部屋を出されたらおしまいでしょ。あたしの選手生命がかかっているのよ」
悠夏「だから明日もスタート行くわけ?」
爽香「そう、明日負けたら廃業。引退してどこか住み込みのアルバイトをするわ。アルバイトは、学生時代からいくつもやっていたし、慣れたもんよ」
宮島 4日目 6レース 予選 男女混合一般戦
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【出走表】
1号艇 沖田 祐介 35歳 A1級 勝率7.32 モーター△3324 4
2号艇 根塚 隆之 39歳 B1級 勝率3.20 モーター×656 3
3号艇 繁松 幸一 39歳 A1級 勝率6.43 モーター-341151
4号艇 速水 爽香 20歳 B2級 勝率0.00 モーター- 66 62
5号艇 横塚 悠夏 22歳 B2級 勝率0.00 モーター× 6 666
6号艇 中畑 守 41歳 A2級 勝率5.41 モーター○233 54
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翌日、4日目6レース
12時15分、スタート展示が始まった。
爽香は4枠4号艇、しかし、新人なので暗黙のルールで6コースに入った。
向かい風1m。
【スタート展示】
爽香は昨日のこと、『00』のタッチスタートの経験を踏まえ、今日は『03』のスタートを目標に、昨日よりほんの少し遅らせ気味に発進させた。
大時計の12秒針が回りその針が真上を指した。微妙なばらつきはあるものの6艇全艇が一斉にスタートラインを通過した。
その後、コース2周を走る展示航走を終え、爽香はピットに戻ってきた。
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【スタート展示】
スタートタイミング内から18.13.17.12.09.03
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ピットに戻ると、すぐにスタート展示航走の写真を見た。『03』のトップスタート(6艇で一番早いスタート)だった。まさに思い通りのスタート展示に爽香は満足した。爽香はレース本番待合室で静かにそのときを待っていた。
ブザーが鳴り、本番待合室を出て、水面までの通路を歩く。水面に出ると、ボートの前で6人が並び係員に敬礼。
係員から「無事故完走をお願いします」と一言。6人はボートに乗った。
『始動』のランプが点灯。両腕でスターターロープを思いっきり引く。一発でエンジンが掛かった。
そしてスタート5秒前、スロットルレバー(アクセル)は、左手で全速まで握りしめられている。
4秒前、3秒前。じっとランプを見つめる。
2秒前、体重を艇の前に掛ける。
1秒前、体重を後方へ下げる。
『出走』のランプが点灯!
体を引き、引いた体重の反動を利用し、艇旗を除けながら思いっきり全体重を艇の左前方に乗せる。
艇首が浮くのを防ぎ、プロペラ(スクリュー)による前進力を高める。
6艇一斉にピットを離れた。爽香はすぐに速度を落とし、大外6コースに出た。
プール(水面)の淵をゆっくりとボートを走らせる。そして進入コース最奥、10秒前、艇を起こし始めた(アクセルを握ることにより艇の先端が持ち上がる状態のこと)。
プール(水面)淵からスタートラインまで260m、この距離を最高にうまく走ることが勝利へつながる。
スタート5秒前、爽香はフルスロットル(アクセル全開)で走る。
爽香(よし、スタート展示通りだわ『03』でいける!)そう確信した。
スタートライン、爽香は他艇を半艇身引き離していた。
全速でスタートラインを通過した爽香は、第1ターンマークに達するまでに、他艇と1艇身差をつけた。
そのまま大外を全速ターン、最インの1号艇は爽香の引き波を受け後退。差した(内側を突いた)3号艇とバックストレッチ並走となった。
爽香は、1着、悪くても2着を確信した。
そのときだった。コース遠方に赤ランプが回っているのが目に入った。そして『4』の数字が点いていた。
爽香「えっウソ!!! なんで、なんであたしがフライング?」
まったく納得しないまま爽香はバックストレッチからピットへと戻って行った。
ピットに戻って壁に張り出されたスタート写真を見た。
『02』のフライングだった。
爽香「ウソ!」
信じられなかった。
爽香は係員に詰め寄った。
爽香「大時計が壊れているんじゃないですか!」
係員「スタートに随分自信があるんだな」
係員が偉そうに言った。
爽香「はい、何度も確かめてスタートしたんです」
係員「なんども確かめてか」
爽香「はい」
係員「では、何を確かめたんだ?」
爽香「初日、2日は、エンジンの回転と、調子。そしてスタート練習でのスタート勘。昨日3日目は、それを確かめたうえで『00』のスタートを切ることが出来ました」
係員「なるほど」
爽香「今日は、昨日の経験を生かし、ほんの少しだけ加速のタイミングを遅らせました。それにも関わらず、逆にフライングだなんて信じられません」
係員「昨日のスタート展示のときの風速は?」
爽香「追い風1mでした」
係員「今日のスタート展示のときの風速は?」
爽香「向かい風1mです」
係員「良く覚えているな、たいしたものだ」
爽香「はい、風はスタートタイミングを計る命ですから」
係員「すると本番でも同じタイミングでスタートできたんだな」
爽香「はい!」
係員「ならば、フライングだよ」
爽香「えっ、なんでですか?」
係員「あなたが加速を始めた瞬間、追い風1mに変わったんだよ」
爽香「えっ!」
係員「あなたは大時計しか見てなかったんだよ」
爽香「……」
係員「(スタート手前)80m空中線(青と白の三角旗)を見たか?」
爽香「あっ!」
係員「ボートが動き始めてからは、微妙な追い風でも向かい風に感じる。垂れ下がって微妙に揺れている旗は、追い風か向かい風か見にくいもんだ」
爽香(追い風に変わっていた……)
係員「それが『05』の誤差を生んだんだよ」
爽香「そんな落とし穴が」
爽香は、肩を落としてうなだれた。
爽香(これであたしの選手生命が終わった……)
本日のレースがすべて終了した。爽香は、6節走って早くも2本目のフライングを犯してしまった。爽香は60日間出場停止となる。
宿舎に戻ると
未来「だから『無理しない方がいいわよ」』って言ったでしょ」
悠夏「各ボートレース場の特性があって、時間帯で風向きや風速が変わるところが多いのよ」
うなだれている爽香に、追い打ちをかけるように同期の言葉が心に突き刺さった。
良かれと思って言っているのだろうが、廃業を決めた爽香にとっては、もうどうでも良いことだった。むしろウザイと思った。が、それを我慢して無言を保つのが精いっぱいだった。
5日目、6日目
爽香(もうどうでもいい)
それが、爽香の本音だった。
爽香(スタートなんてどうでもいい。レースなんてもうどうでもいい)爽香は投げやりだった。
スタートに精彩を欠き、残りのレースはすべて6着で節を終了した。
爽香(これで、すべてが終わったんだ。ごめん、ひとりで先に帰るから)
爽香は同期ふたりを残し、荷物をまとめ宿舎を先に出た。
帰りの電車、腹をくくったせいか、落ち込んではいるものの、背負っていたものがはずれ少しすっきりしていた。
爽香(さぁて、部屋に帰ったら何をしようかな、とりあえずおもいっきり寝るぞ!)
夜遅く、爽香は自分の部屋に戻って来た。爽香は自分の部屋に戻ると布団を敷き、布団をかぶって寝始めた。
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【後書き】
たくさん素晴らしい作品がある中、本編をお読みいただきありがとうございました。m(__)m
まだまだ未熟ではありますが、皆様に愛される作品となりますよう努力を重ねていく所存です。m(__)m
重ね重ね御礼申し上げます。本当にありがとうございました。m(__)m
あきらかな内容の間違い、誤字、脱字、コンプライアンス違反などありましたら、なんでも結構ですのでお申し付けくださいませ。m(__)m
【ボートレース関係者の皆様へ】
いつもボートレースを楽しませていただいております、ありがとうございます。m(__)m
ボートレーサーの皆様だけでなく、ボートレース関係者の方々、特に裏方として運営や現場そして宿舎を支えている方々には感謝の気持ちでいっぱいです。m(__)m
これからは逆に、ボートレース関係者の方々に楽しんでいただこうと思い、この作品を書き始め、そして今後も書き続けてまいります。
皆様方に少しでも恩返しが出来たら幸いです。何とぞ宜しくお願い申し上げます。m(__)m
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