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十の宿 「冷たい誰かの手」 その十

「……ほら、見てくださいよ。もうすぐですよ」

「うん」

 鈴芽の促すままに、私は東の空へ顔を向けた。霧のような雲と、赤紫の山肌が霞んで見える。


 謝罪の言葉は、にべもなく遮られてしまった。それも仕方ないことかも知れない。そもそも、許しを得たいとも得られるとも思ってはいないのだから。

 でも、それでも私は「すまない」としか言えないんだ。

 他に告げられる言葉を探してみても、もう見つからない。見つけられない。

 後に残っているのは、最期にと用意した一言。ただ一つ、それだけ。


 全ては、私の不明が招いてしまったことだった。

 こんなことになる前に、彼女を、横沢菜種をどうにかして祓わなければいけなかった。君の実家で彼女のことを知った時に、私がすぐ気付いてさえいれば……。


 君と初めて会った時、君の肩越しに薄いもやを視て、随分弱い霊が憑いているんだなと思った。

 そういった類のものは誰に憑いていておかしくないし、何の気にも留めなかった。しかも、そのぼやけた薄い霧のようなものからは、悪意など何も感じ取れなかった。

 それが……君が宿りの家の近くに行ってしまったと聞いた時からだ。あの霊は視えなくなっていた。その時も私は、君に憑いていた浮遊霊か何かが剥がれてしまったんだろうくらいにしか考えていなかった。


 でも今なら分かる。あの霊は君についていた菜種さんだったんだ。


 君はこの五日宿に来て、この土地の……宿りの家の影響を受け、悪いものが見えるようになってしまった。以前に言った通り、おそらく君の血筋がこの土地と波長が合ってしまうんだと思う。だからそれは、菜種さんにも当てはまる。

 君はあそこで私の姿を見たと言っていたが、きっと違う。その後ろ姿は、家に引っ張られてしまった菜種さんだったんだ。

 私がこの仮定にたどり着いたのは、君の実家でお姉さんの話を聞き、君が五日宿の怪異を自分自身の眼でも視ていると知って、更にしばらく経ってからだ。

 遅すぎた。しかも、それに気が付いたところで、手の施しようがなかった。

 君をあの家に近づかせないようにすることと、この土地にいる守り神と少しでも多く縁を結ぶこと、そして彼女の正体を秘匿すること以外、私に出来ることは何も思いつかなかった。


 その結果……君が一人になった上に、吹き下ろす吹雪と停電の闇とが、家とアパートとを繋いだ一瞬の機を突かれて……あんなことに。


 ………………。


 ……彼女は最初から、鈴芽のことを恨んで取りついていたのだろうか?

 ……理由があったとはいえ、自分の存在すら忘れてしまっていた妹に対して、ずっと怒りを抱いていたのだろうか。

 ……それとも宿りの家の影響のせいで、良からぬものへと変貌してしまったのだろうか。

 

 ……そもそも、彼女は本当に悪いものだったのだろうか?


 鈴芽に自分の姿を見て欲しかっただけじゃないのか?

 近くに居たかっただけじゃないのか?

 ただ、鈴芽と会話がしたかっただけなんじゃないのか?

 それ以前に、彼女は自分が死んだことにすら気づいていなかったのではないか?

 そしてあの時、本堂の扉を自らの手で開けてしまっていたら、鈴芽はどうなっていたんだろうか。


 ………………。

 …………。

 ……。


 止めよう。今更どう考えても埒が明かないし、意味もない。


 君が振り祓った霊の正体を知る人間は、この世で私しかいない。

 君がそれを知る手段もきっとない。

 私が口を噤んでいれば、君がこの事実を知る機会は一生訪れないだろう。

 だからせめて、この咎は私が背負おう。

 そして君は、できるだけ早くこの村から……この閉塞された場所から出ていくべきだ。


 この場所にいる限り、また同じようなことが起こる可能性は拭えない。

 私は結局、何も出来ないし、出来なかった。

 私はこの力で、きっと自分には何かが出来るんだと思っていた。

 自分にしか出来ない何かがあるはずなんだと、そう思い込んでいた。

 その結果がどうだ。君を守るなんて上辺だけの大口をたたくだけ叩いて、隠れて丸まっていることしか出来なかった。


 情けない。

 情けないよ。

 情けなさ過ぎて……涙も出てこない。

 こんな力、何の役にも……


「……ぼんやりしてますね」

 鈴芽の声が横から響いて、思考が一瞬途切れる。声に促されて眼を上げると、いつのまにかもう朝日は昇っていた。ただ、雲がまだ多く残っているせいか、鈴芽の言う通りにその光は随分と弱く、朧げで。


 折角ここまで登って待ったというのにこれだと、君にとってはさぞかし残念だろうな。以前にここの景色を自慢するように語ってしまった自分の言葉を悔やみつつ、私は視線を横に向けた。

「でも、すごく綺麗です」

 東の空を見つめたまま、彼女はそう言った。

「そうかな」

 私は曖昧な返答を返し、もう一度空を見た。鉛色の雲を幽かに透かせるような、赤とも黄色ともつかない陽光。空全体は未だに薄暗く、深い藍色に占められている。それら複数の色が疎らに交じり合い、融け合っていて、まるで溶鉱炉か何かを描いた抽象画を思わせる。確かに、見方によっては美しいと思えなくもない。

 でも私にとっては、早朝や夕暮のフィールドワークをしていればよく目にする空模様のひとつだ。大した感慨は湧かない。

 そんな風に、ありふれた景色だと決めつけてしまっているからだろうか。

 それとも、今の私は綺麗な景色を見て感動する心も、既に萎えてしまっているからだろうか。

 そうかもしれないな。だとしたらそれは……

「少し、寂しいですね」

「え?」

 私は驚く。内心思っていたことを見透かされたのか。それとも、思わず口にしていたのかと思い、戸惑う。

「この景色です、すごく奇麗なのに、なんだか寂しい感じもしませんか?」

 私は鈴芽の顔を見上げた。朧げな朝日の色が滲む瞳は、じっとこちらを見つめていた。 私の眼を。

「先輩。ごめんなさい」

 鈴芽が言う。


「怒らないで聞いてください。……私、先輩が何か、私に隠してるって思ってます」

 小さく、しかしはっきりと彼女はそう告げた。


 ***


「あ、えっと。それを責めてるわけじゃないんですよ? ただ、伝えたかったんです。伝えたいと思ったから……私、本当はそのために先輩とここまで一緒に来て、お日様を見たかったんじゃないかって、今思ったんです」

 私は慌てて、そんな変な弁解をした。しまったな、何でこんなことを言い出しちゃったのかとほんの少しだけ悔やみながら。


 でも、

 言わなくちゃ。もう後には引けない。

 だって見たくないから。

 これ以上、先輩のこんな哀しい顔を、そのままにしておけないって思ったから。


 先輩は驚いたような、私が何を言ってるのか分からないといった様子で、少し首を傾けている。

 でも、その口からは否定の言葉は出なかった。だから私は続ける。

「ほら……おどろ岩のときとかも言ってたじゃないですか。言えることと言えないことがあるし、真実は分からない。事実からどう受けとるかしかない、みたいな」

「うん」

 相槌をくれた先輩。その表情は変わらないままで。黒い瞳の奥にはまだ、太陽の光は届いていないみたいで、私は、

「本当にそれって、その通りだと思うんです。たとえば私の、父さんが……」

 それが悲しくて、

「菜種お姉ちゃんの事を……母さんに思い出させないように気遣ったのだって……」

 哀しくて。

「きっとその時は必要だったこと、今なら……今なら分かるし……」

 いけない。

 私の声に少しずつ、涙の色が混じりそうになる。でも少し息を吸って、それを飲み込んだ。

「だから……いつでも本当のことを言ってほしいだなんて、言いませんし……思いません。……先輩は……せんぱいは……」


 先輩は、そのままでいいんです。

 言いたくないことは、ずっとずっと隠しててくれても。全然。

 でも、言いたくなったらいつ言ってくれても、いいんです。

 

 だって私は先輩の友達なんですよ。

 だって先輩は、私の一番大切な友達なんですよ……?


 だから、今だけは。

 本当のことを言わなきゃいけなくなるその時が来るまでは。私をここに、

 先輩の傍に……いさせてください。


 ………………そう言わなきゃ。

 なのに、


 飲み込んだはずの涙が胸の奥からこみ上げてきて、声が止まる。

 だめだ、もう少し、あともう少しだけだから。言わないと。告げないと。

 だって、私のこの手は、想いを伝えてくれないから。

 言葉にしないと、伝えられないから。

 だから言わなきゃ。なのに……なのに……


「鈴芽」

 声が聴こえた。

 いつのまにか足元の雪を見ていた私の眼。それが、引かれる手と優しい声とに促されて東の空へと向いた。


 雲が晴れていた。

 小さな、真っ白な朝日が、藍色だった空を鮮やかな赤紫に染めて、輝いている。

「…………あ」

「これでもまだ、寂しいかい?」

「いいえ……」

「そうだね」

 涙に遮られることなく、自然に口から出た言葉と、答えてくれる傍らの声。

 そして、


「……明けましておめでとう。今年もどうかよろしく」

 その声は、そう続いた。

 私は驚く。

「あ!!! ああ……! そう言えば、すっかり忘れてました!!」

「そうだね。実は私もだ」

 横を向いた私。こっちを見つめている先輩。

 その瞳に映る。赤い朝焼けの色。


「あ…………あはは……!」

「ははっ…………ははは!」

 響く笑い声。輝いてから透き通ってゆく、お互いの白い吐息。


「明けまして……おめでとうございます、先輩!」

「うん、おめでとう」

 頬と、瞳を赤く染めた先輩。それにきっと、同じ色をしてる私。

「そして今年も、どうかよろしくお願いしますね」

「こちらこそ」


 ……伝わった…………!

 伝わってた……きっと。

 私は口にしてないのに、思い描いただけの言葉が大切なこの人に。先輩に。


 それはもしかして、その言葉自体の持つ力だったんだろうか。

 言霊と呼ばれる見えないし聴こえない力。それをもしかして、先輩は特別な瞳で視て、感じてくれたんだろうか?

 そうかもしれない……でも、きっとそれだけじゃない。

 だって私にも解ったから。先輩は何も語ってくれてないのに、私にその想いが今、伝わったんだから。

 だったら、もしかして誰だってそんな風に、感じられるのかもしれないな。

 ほんの幽かな、見えないくらい儚くて、聴こえないくらい静かな、でも確かにそこにある力みたいな何かが。


 例えばそれは手の温度や感触かもしれないし、

 例えばそれは記憶の奥底にある誰かの声かもしれない。

 それらが混ざりあって、結ばれて、心の中で形になる。

 そんな奇跡みたいな、でも当たり前のような力が、

 私の中やあなたの中、誰の中にもきっとあって。


 ひとりひとり、その形や色や響きは違うんだろうけど、それでも。

 もしもそんな不思議な力が、ほんの僅かにでも私達に許されるのなら……


「こちらこそ……今年もよろしく」

「はい先輩!!」



 私は、私達は、

 この手を繋いでいたい。

 たとえほんの少しの間だけだったとしても。

 たとえその先に、今よりもっと、ずっと、

 遥かに深くて暗い、悲しい終わりが……待っていたとしても。





 ***





 ………………そして、

 そうであるならば、どうしても突き止めなければならないだろうな。


 宿りの家……

 この負の連鎖の根源。


 あの場所に潜む、本当の悪霊。


 ()()()()()()()()の正体を。

完結です。ありがとうございました。

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