十の宿 「冷たい誰かの手」 その七
「本当にありがとうございます。何から何まで」
私は頭を下げてバッグを肩に担ぐ。
「いや、世話になったのはこっちもお互い様だ。それより本当に、無理はすんなよ」
「私もついてる、大丈夫だ」
「……ああ、そうだな」
空ノ介さんに見送られて、私と先輩はバスに乗り込んだ。
「……意外だ」
「? 何がですか?」
「いつもの空じいなら『だから心配なんだよ』くらいのことは言うんだけどな」
先輩が割と本気な感じでそう呟く。私は
「今回の件で信頼を勝ち取ったんですよ」
「どうだか。だいたい、それを言うなら……」
「……? 何ですか?」
「いや、何でも。少し疲れた。着いたら起こしてくれ」
「あ、はい」
先輩は座席に深くもたれて目を閉じる。私はその白い頬と、その向こうの窓の外に広がるすっかり雪化粧した五日宿の白い山々とを見る。綺麗だな、どっちも。
起こしてくれとは言ったけど、多分先輩は寝てるわけじゃない。目だけ閉じて、何かを考えてるんじゃないかな。
先日の騒ぎについてかな? それとも神主さんに無理言って特別に休ませてもらった、この年末年始についてだろうか? それとも、それとも……。
私は私で考えをまとめないといけない。そう思ってる。
先輩に言えること。言いたくないこと。絶対に言えないこと。その逆に、絶対伝えたいこととかも。
でもそれらの内一つを言わないでいると、別の言いたいことが言えなかったり、その逆だったりするから困るんだ。どうしようかな。難しいや。……でも、ちゃんとしなきゃな。
目を閉じてそう思いを耽らせながらバスに揺られる。瞼には雪に反射した白いお日様の光が射していて、ほのかに明るい。何も見えなくて暗いはずなのに少し明るくて、白く感じられるのに黒いとしか形容できないその光景は、真逆なはずなのにあの吹雪の最中に見た白い闇を思わせる。
やがて少しずつ、その白さと黒さが曖昧になってゆく。あ……眠いのかな。私。
眠っちゃったら先輩を起こせないから気をつけないといけない。だけど闇は少しずつ濃さを増してゆく。
ああ、うん。解るよ、今なら多分、解る。
私はあの闇を恐れた。恐れてた。今もまだ少し怖い。
だけどなぜだか、本当にその理由まではどうしても解らないんだけど、なぜか
私はあの闇をどこか懐かしく想ってる。
私を包んでくれた闇。私を、視てはいけない何か、知ってはいけない何かから遠ざけてくれていたような。そんな優しさにも似た想いを今の私は理解できてるような気がした。
だから今も、その闇に包まれたがっている私がいた。
先輩の考え。先輩の想い。先輩の知りたがってること、隠したがってること。
それを知りたいという想いごと、この闇が包んでくれてたらな。ずっと。……ずっと。
「降りるよ」
声。あのときと同じように届いた、あの人の声。
「あ……はい。すみません」
「いいよ。君の方がまだやっぱり、疲れてるみたいだね」
そう言って少し困ったように笑う先輩。その冷たい手に促されて座席から立ち上がる、私。
「さ、懐かしい我が家だ」
「あは……はい。ホントそうですね」
それは雪をすっかり被って真っ白に様変わりしていた。でも見間違えたりなんかしない。確かにそれは私達のアパートだった。玄関前までの通路はざっと雪がどかされていて、普通に歩いて行けるようになっていた。誰かが雪かきしてくれたのかな。
「大家さんですかね?」
「おそらくね。挨拶に行きたいけど、確か昨日辺りから旦那さんの実家へ里帰りしてるとも聞いてる。また、年明けだね」
「はい」
先輩が鍵を開けて、二人で玄関に入った。懐中電灯がひとつ転がっていたから、それを私は拾い上げる。電池は当然切れていた。
それから階段を上って、互いの部屋の前へ。
「あ、そうだ……」
「どうかした?」
「食料がもうほとんどないんでした。直売所って、今日やってますかね?」
「大晦日だから無理かな。まあ、私は空じいから幾らか手土産をもらってるから、とりあえず今日はそれで凌ごう」
「え、いいんですか?」
「もちろん。ただし、ほとんどが神社で参拝客用に振る舞うために大量についたモチの余りだろうから、覚悟しておくように」
先輩が苦笑する。
「はい。私、おモチ大好きです!」
「なら良かった。最悪は三食モチになるけど、まあ死にはしないだろう」
「大丈夫ですよ、バスももう動いてますし、明後日くらいには街へ買い出しにも……」
と、私が楽観的な観測を述べてる言葉が不意に
ピンポーン
と鳴った玄関チャイムに遮られる。何だろうと階下へまた降りた私達の前には宅配業者さんと荷物が一つ。
***
「クール便、年末年始も届けてくれるって聞いてね。丁度受け取れたんなら良かった。良いお年をね」
「ありがとうお母さん!!」
通話を終えて私は先輩に笑顔を見せる。
先輩もご機嫌だ。それもそうか。おモチだけだったはずの食事に黒豆と伊達巻と数の子、それに伊勢海老とローストビーフがついたんだから。
「食べたらどうします?」
甘い伊達巻を美味しそうに食べ終えた先輩に向けて、伊勢海老の殻を剥きながら私は尋ねた。
「君は?」
「うーん……実家なら大晦日は早めに晩ごはんを済ませて、年明けまで家族であれこれ話しながらテレビ観て、年越しソバ食べて寝る感じですけど」
「初詣には?」
「行かないんです。多分、お父さんが一人で家族の分もお参りしてくれてたんじゃないかと」
「あ…………そうだったね」
「気にしないでください。ウチのそういう習慣も、お姉ちゃんが亡くなったことも、全部みんなで割り切ったり乗り越えたりしていけるって、今なら思えるんです。だから忘れないように、先輩だけじゃなく大家さんや、神主さんや瞳子ちゃん達にも、話せるときには話しておきたいです」
私は本心からそう言う。
「分かった。私ももう、気にしないよう努めるよ」
「ありがとうございます」
「こちらこそね」
先輩はお箸で黒豆をつまんでその小さな口に運ぶ。
私も剥き終えた伊勢海老を口に入れて味わう。うん、塩加減が絶妙だ。めっちゃ美味しい。
「あ、それで今日これからの話ですけど。私、今から一眠りしておこうかなって」
「今から? まだ夕方だよ」
「はい、初日の出を見に行きたいんです。で、よければその……先輩と一緒に」
「えっ……?」




