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二の宿「五日宿」 その一

「先輩……あの、すみません。また……なんですけど」

 私はおずおずとそう告白する。すると先輩は真顔になって、視線を私の顔から下へと移した。私の抱えている箱の中身へと。


「ふんふん。おお、今回はトマトとナスと、冷凍の鯖か。いいよいいよ、持って入って」


 段ボール及び発砲スチロールの箱を抱えた私は促されるまま先輩の部屋へ入る。

「失礼しまーす」

 相変わらず古い本やら何やらが床や棚に整然と並んでいる。私はそれら、先輩の研究対象達を踏んだりしないよう注意しつつ、部屋の隅の流しの前に持ってきたものを置いた。

「しかし、君のご両親はよっぽど君が可愛いと見えるな」

「はぁ。だとしても過保護は止めて欲しいですけどね」


 私は申し訳なさからそう言うけれど、先輩は既に食材を文字通りどう料理すべきか思案を開始してるようで、私の不平には答えない。

「ふむ。ならとりあえず、鯖は今日焼いてしまおう。トマトは昨日もらった野菜と合わせてサラダかな。ナスは明日以降に回して、揚げびたしと焼きで半々といったとこか。スズ、とりあえず君にはトマトサラダを任せた」

「はい。じゃあ鯖の方、よろしくお願いします」

「了解。任せて」


 住人二人だけの辺鄙なアパート、メゾンド五日宿の、今年の五月最初の晩餐メニューは、そんな風に唐突に決定したのだった。



 【二の宿「五日宿」】



 隣室の先輩居住者である「真倉(まくら) れん」さんとは、このひと月でかなり打ち解けることができていた。出身も学校も趣味嗜好も異なる私たちが、何でこんなに交流をスムーズにできてるのかというと、それはさっきみたいに私の実家から届く荷物のせいでもあったと思う。

 私の両親は、初めてひとり暮らしする娘の身を案じて色々送ってくれるのだけど、彼らにはどうも、私の部屋及び冷蔵庫&胃袋の容量が十分に想像できてないらしい。しかも、ここ五日宿のご近所さんたちは皆さん、多かれ少なかれ田畑をお持ちで、何か採れたり出来たりすると必ずお裾分けをくれる。おかげで私は、引っ越ししてきた四月からの一か月で、食材の買い出しには数えるほどしか行かずに済んでる。うん、まあ、それはいいんだけど……。


「はい鯖、焼けたよー」

「うわぁあ……ありがとうございます! よくフライパンでこんな上手に焼けますね」

「私にフライパン持たせたら、魚でもパンでもケーキでも焼いてみせると言ったろ? 何なら米だって炊けるし」

「強すぎます先輩」

「お、サラダもできてるね。じゃあ食べようか」

「はい」


 と、こんな会話が成り立ってしまうくらいには、私は食材の調理と消費を真倉先輩に依存せざるを得なくなってしまっていた。だって、部屋にコンロは一口ずつしかないし、魚焼きグリルとかオーブンとかもない。おまけに私の冷蔵庫はほとんどおもちゃみたいな小さいやつで、どんどん料理して食べていかないとすぐ容量オーバーになる。


 引っ越し二日目、あんな変わった出会いと恥ずかしい引っ越し挨拶とを交わした先輩相手に、その三日後には上記の理由で私は泣きつくことになった。「いいよ任せて。ただし作るのも食べるのも手伝ってね」というお言葉をいただいて、その見事な手腕に「先輩……!」と尊称を送ったのも結構前のことみたいに感じる。


「うひゃぁあ……鯖おいしい……」

「ちゃんと塩してくれてたからね。焼くだけで良いから楽だったよ」

「いやでも、本当にいつも、ありがとうございます」

「こっちも食費が浮くんだから気にしなくて良いよ。お互い様だ」


 先輩は平然とそう言ってくれる。かっこいい。そして、

「おかげで欲しかった古書がもう一冊買える。今月は家賃も滞納せずに済みそうだ」

と、あまり冗談には聞こえないこともしみじみとその口から呟かれる。うーん。何ていうか、ダメ可愛い。


 まあそんな事情のおかげで、私たちは出会ってからの時間の割にはそれなりに親しくなれて、お互いの予定や事情もある程度は情報共有するような仲になった……と、少なくとも私は、思っていた。


「双子は明日も来るんだっけ?」

「はい。私も昼には戻って来ますから、そのあとお預かりです」

「大家さんも助かってるだろうな。田植えとか忙しい時期だし」

「そうなんですか?」

「うん、君はアルバイト料貰ってもいいくらいだと思う」

「お家賃滞納許可チケットなら貰いましたけど」

「……横流ししてもらっていいかな?」

「注意書きありましたよ。『他者への譲渡を禁ずる』みたいな」

「ぐぬぬ……まあいいや。午前中にクッキー焼いとくので、良かったら3人で食べてよ」

「えっ、ありがとうございます!」


 やった、先輩の手作りクッキー! ……って、思ったけど。あれ? 3人でってことは。

「先輩、明日は遅いんですか?」

「大学に昼前から行って、そのままバイトへ出るんだ。明日は戻らない」

「え……泊まりってことですか?」

「うん。心配かい?」


 お箸と口を止めて、先輩はこっちを上目遣いで見上げながら言った。私は正直に「はい」と答える。

「いや、心配いらないよ」

 先輩はそう微笑んで、言葉を続けた。

「ナスはトゲのあるヘタと皮にさえ気を付ければ処理は楽だ。正しく保存すれば日持ちもする。ちゃんと教えるから」

「あ、はい」

 私は苦笑いして頷いた。



 ***



「釣れたー?」

「全然ー」

「スズ姉、何やってるのー?」

「んー。写真撮ってる」


 水を張られた田んぼが、木々や山々を逆さに映して光ってた。私はやや時代遅れな、いわゆるガラケーを構えてそれをデータとしてメモリに蓄えておこうとするけど、このきれいな空気の持つ色彩をそのまま保存することはできないんだろうなと、頭の隅の方では考えていた。

 空も、水も蒼かった。その水の下には田んぼの黒い泥が敷き詰められてるのは勿論頭では分かってるんだけど、でも目に映るのは、上にも下にも蒼の空だ。まるで、空を見下ろしているみたい。天国にでもいる気分。


「ダメだ、やっぱり時間がまだ早いんだよ。部屋でゲームしようよー」双子の弟、明君が言う。

「お母さんが今日はゲーム禁止って言ってたでしょ。今日はお外で遊ぶように!」私は念のために充電しておいた携帯ゲーム機のことはまだ言わずに、そう答える。

「明ー。ダメだよお姉ちゃん困らせちゃ」

 双子の姉、奈津美ちゃんがお姉さんらしくそう言うけど、私は知ってる。彼女もまたゲームを進めたくてウズウズしてるのを。だけど私を困らせたらそれが一層遠のくのを理解して、我慢してるのだ。賢いなぁ。流石あの大家さんの娘だ。


「でも釣れないから面白くない」

「明は釣り下手過ぎ」

「ナツ姉のが下手じゃん」

「なにぃー!?」

 二人とも元気余ってるなぁ。奈津美ちゃんなんか、例の井戸に落ちたってときのケガの名残の包帯が右足にまだ巻かれてるけど、昨日も今日も快活に走り回ってた。実際もう殆ど治ってるらしいけど、それにしても元気過ぎる。


「じゃあさ、裏に行く? あそこなら釣れるかも」と、奈津美ちゃんが提案した。

「裏?」私は聞き返す。

「うん、裏手の池」

「あ、いいね。行こうよスズ姉」

「えぇー……?」

 


 ***



「……裏手っていうのは、この竹藪じゃないんですか?」

「そうだね。アパートの前での会話で出てきた言葉としてなら、確かに普通はここが『裏手』ってことになる。だけどね、ここはそんなに忌むような場所でもないよ。落ちたら怪我する井戸があるって程度で」


 まだ4月だったある日、塞いだ井戸にお神酒を供えに行く先輩に、私はついて行って、そういう話をしたのを思い出した。

「五日宿で生まれ育ったあの若い大家さんにとっては、当たり前すぎて、つい説明が雑になったってことなんだろうね。実際、あのアパートの住人第一号は私で、その説明は必要なかったし」

「なるほど……」

 じゃあ第二号は私ってことなのかな。そう言えば、元々普通の民家だったのを賃貸できるようにリフォームして、まだ一年程度しか経ってないんだとは聞いてたっけ。

「この近隣で『裏手』と言った場合、もう一つ意味があるんだ。むしろ、近づかない方がいいのはそっちだと思う。直売所の横に川が流れてるよね。あの少し上にある雑木林。あの奥だ」

 

「じゃあ、そこには……」

「行かない方がいいだろうね。『裏手』は正式な地名じゃなく通称みたいなものだけど、地元の人間に昔から忌まわしく思われてるらしい」

「なぜですか?」

「そうだな。うーん……」

 何となく聞いただけの質問だった。けど先輩は考え込んで、それから

「それも私の研究の対象ではあるんだよ。だけど詳しいことはまだ言える段階じゃない。とにかく私も君も、少なくとも今は近づかない方が良いだろう。ほら、『郷に入りては』って言うし」

「そうですね」


 『あの場所』についての会話は、そこまでで終わった。

 そのときは。



 ***



「……そこって、行ってもいい場所なの?」

「うん」

「ちょっと遠いから一人では行っちゃだめだけど、スズ姉もいるから大丈夫だよ」

「遠いの? どの辺?」

「お店の向かいの道に入って、すぐだよ」


お店って言ってるのは、直売所のことだろうな。でも「すぐ」って言ってるし、行っちゃいけない場所でもないらしい。どうしよう。

「ねー、いいでしょ? 行こうよ」

「うーん……。とりあえずさ、案内してよ」


 私はそう答えた。先輩が「行くな」と言ったのは「裏手の雑木林の奥」で、池じゃない。位置関係がよく分からないけど、なら案内してもらわないことには判断できないって思ったから。


 自転車に乗って、三人で直売所の向かいの道まで行った。舗装された道が続くその途中、開けた場所に小さなため池が見えた。


「……本当にここは、来てもいい場所なんだね?」

「そうだよ、でも」

「でも?」

「あっちはダメだよ。スズ姉も気を付けてね」

 と、奈津美ちゃんは指さして言った。日に焼けた健康そうな指先が、錆びたフェンスで塞がれた山道を指していた。


「あそこが、『裏手』?」

「うん。クマや毒ヘビが出るから、絶対入るなって言われてる」

「……そうなんだ」

「うん。ねえ、あっちには行かないし、池にも絶対落ちないからさ。釣りしていいでしょ?」


 私は周囲を見渡した。池の周りは表の道から見通せるし、日もまだ高い。携帯を見ると、電波もちゃんと入ってる。なら、平気なはずだ。

「いいよ。でもちゃんと気を付けてね」

「はーい」


 クマや毒ヘビか……なるほど。それは怖いし、現実的だ。子供たちもそれなら言うことを聞いて、入っていかないだろう。

 でも先輩はそうは言わなかった。大家さんもだ。そう言っても問題ないはずなのにそう言わなかったのには何か意味があるはずだった。つまり、少なくともクマや毒ヘビは、本当の脅威じゃないのかも知れない。根拠は……ないけども。


 私はさっき奈津美ちゃんが指さした方をもう一度見た。フェンスと、その先に続く舗装されていない山道。でも、あの竹藪とは違って、もっと道はちゃんとしてて、幅も広くて、木々も生い茂ってるようには見えない。もしフェンスがなくて、入るなって言われてなければ、普通に問題なく入って行ってたかも知れない。


 私は携帯を構えて、なんとなく、そこを写真に撮ろうとした。その時

「スズ姉ぇーーーっ!!!」

 明君の声。

「何?! どうしたの?」

「でかいの! 来てる!! 網! 網取って!!」


 見ると、明君の持ってる釣り竿がものすごくしなって、引っ張られていた。奈津美ちゃんも一緒になって、二人で竿を引っ張ってる。大変だ。私は辺りを見回して、置いてあった網を掴むと、

「待って、今行くから!」

と叫んで二人の方へと走って行った。



 ***



「大漁だったねー」

「ね、いい場所だったでしょ?」

「うん……」


 ていうか重い。最初にめっちゃでっかい、ヒゲのある魚(コイだよと明君は言った)を釣った後、二人は大小様々な魚を断続的に釣り上げた。持ってきたバケツには到底入りきらず、直売所のおじいさんに容器を借りたりして、それでどうにか、私たちは大家さんちの前まで帰って来たのだ。


「この魚、どうするの?」

「しばらくきれいな水で飼うよ」

「しばらく……? その後は?」

「食べる」


 おおう……逞しい。そうだよね。こんなたくさん釣っておいて、ただのインテリアにするわけにもいかないし。


「今日もありがとうね。ご飯食べてく?」

 玄関の外まで、大家さんが出迎えてくれてそう言った。揚げ物のいい匂いがしてくる。「あーいえ。今晩の分はもう用意しちゃってまして……」

 すごく残念だけど、私は断った。昨晩、先輩と下ごしらえしたナスが待ってるから。

「スズ姉、ばいばーい!」

「ありがとねー!」

 明君と奈津美ちゃんがそう言って手を振ってくれた。……ふー。よし、帰ろう。


「……あれ?」

 ふと携帯を見ようとして、それがポケットにないことに私は気づいた。そういえば、結構長いこと見てない気がする。釣りをやめて帰ろうとしたのも、携帯で時間を見たからじゃなくて、公共スピーカーからの「五時です。家に帰りましょう」っていう放送を聞いたからだし。

 記憶を手繰る。そうだ。「裏手」のあの道だ。写真を撮ろうとして止めて、網を取って二人を手伝って…………そのまま置きっぱなしになってる!?


「どうしよ……」

 独り言が漏れた。今は夕方で、しばらくすると日が暮れる。明日取りに行ってもいいけど……五月だし、まだしばらくは明るい。


「よし」

 さっきまで普通にいた場所だ。自転車ならすぐ行ける。場所も分かってるし。怖いことなんてない。「裏手」に行くなとは言われてるけど、あのフェンスを越えて道に入るなんて必要も、そのつもりもないんだから、全然問題ないはず。

 私はそう考えて自転車に跨ると、直売所の方に向けてペダルをこぎだした。


 そう。何も怖いことなんて、ない。

 事実私はそのとき、怖いことがあるだなんて全く思ってなかった。

 だって、


 「本当に怖い」


 っていう感情を、私はその時までまだ、知らなかったのだから。


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