表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/44

十の宿 「冷たい誰かの手」 その二

 え? と私は思う。

 そうだ、携帯……。画面を開くとその明かりがほのかに私の手元を照らす。先輩からの返事や着信履歴はない。時計を見ると夕方の五時半頃。えっいくら何でもそんなに暗くない時間だよねと思ったけど、忘れてたんだ。厚い雪雲に覆われた空のことを。その暗さのせいで、アパートに着いたときにはすぐ部屋の明かりを点けていて、ずっとその中で過ごしてたから外の暗さに気づいてなかったし、目も慣れていなかった。

 携帯のライトを頼りに電灯のスイッチをいじる。けど点かない。非常用の懐中電灯を探し出して、それで部屋の隅にあるブレーカーを確認するけど、そこにも異常はない。ってことは……

「停電……ってこと?」

 どうしよう。

 電灯が点かないだけならまだいい。でも部屋の石油ファンヒーターは電源がないと動かないタイプのやつだ。近寄って確認すると案の定止まってしまってて、燃え残りの油の匂いが漂ってる。このままだと部屋の中で凍えちゃう。ガスコンロは一応動くっぽいけど、本来暖房用じゃないし火災も怖い。これで暖を取るのは最後の手段だろう。

 そうだ、先輩に相談しよう。メールの返事を待ってる場合じゃない。

 そう考えてもう一度携帯を見た。……あれ?

 圏外。そう表示されてる。うそ、いつも最低3本はアンテナ立ってるのに。

「基地局も停電してるとか、そういうこと?」

 考えつく原因はその程度だけど、それが当たってるかどうかはともかく携帯が使えないのは確かだ。なら、仕方ない。

 私は帰省用にまとめてあったバッグを持ち上げた。中には着替えとかも最低限入ってる。お言葉に甘えて、大家の春香さんちに避難させてもらおう。多分あちらも停電してるだろうけど、あの家の母屋なら囲炉裏も使えるし、アパートよりはマシだろう。何より、この吹雪の中、暗い部屋に独りでい続けるなんて無理だ。だって、


 ……だって、どんなに心細い夜でも、いつも向かいの部屋にはあの人がいてくれた。

 なのに今日はいない。帰って来れるとも思えない。


 そうだった。先輩はいつからだったか、私が五日宿で夜を越すときにはいつでも必ず、同じ屋根の下にいてくれてた。瞳子ちゃんの家でも、古代ヶ丘のバンガローでも。

 そういえば、それはいつからだっただろう。

 ……思い出せない。最初からじゃなかったのは覚えてる。バイト先、つまり雪分神社には先輩の部屋もあるらしくて、私がここに来た最初の日とかはそこに泊まってたって聞いた。けど。


 いや、そんなことは今考えることでもないや。とりあえず大家さんちに行こう。

 荷物はバッグと携帯と懐中電灯だけあればいい。コートを着て、部屋を出る。

「行ってきます先輩」

 向かいの部屋にそう声をかけて、階段を降りた。

 それから覚悟して、玄関のドアを開け……うわっ!

 その瞬間にものすごい風と雪が吹き込んできて、私はたじろぐ。昼前とは比べ物にならない風圧。懐中電灯で外を照らす。真っ白だ。暗い闇夜のはずなのに懐中電灯で照らした先には雪の白い壁だけが立ってるみたいで。

 でも、進まないと。玄関から出て、ドアの鍵を閉める。それから振り返って、大家さんちの方へ。

 ぎゅっ

 ぎゅっ……ぎゅっ……

 歩くごとに、足が雪に埋まって鈍い音がする。歩けないほどじゃないけど、急がないと。

 アパートの門を越えて、道路へ出た。もう少しだ。懐中電灯を大家さんちの方へ向ける。でもその光は雪に遮られてしまって、家の影さえ全然見えない。うう……でも、方向は合ってるはず。足元だけでも照らして……あ、ダメだ。

 見慣れてた道路も完全に雪で覆われていた。車も人も普段ほとんど通らない道路は、道とそうでない部分との見分けなんかつかないし、方角も分からない。

 え? 方角も……分からない? 噓でしょ!? アパートからお向かいまでは、ほんの数十メートルで……なのに。

 懐中電灯であちこちを照らす。でも、見えるのは白い闇だけ。道も地面も木々も空さえも。同じ色。これって、いわゆるホワイトアウトってやつ? 方角だけじゃなくて、上下の並行感覚までも鈍るとかって、あの?

 やばい。

 私は振り返る。そして自分の足元を照らす。探す。

 あ……あった!

 さっきまで進んできた自分の足跡。これだけはまだ、どうにか見える。それを辿ってアパートに一旦戻るだけのことなら、今すぐにでもできそうだ。

 仕方ない。私は懐中電灯を下に向けて照らしながら、来た道を探して引き返す。夜の吹雪を舐めてたわけじゃないけど、このまま私一人で進むのは無理だ。一旦部屋に戻って、携帯が通じるか吹雪が弱まるのを待つ方が、多分いい。

 足跡を辿る。一歩一歩、雪を踏みしめながら。

 ぎゅっ……ぎゅっ……

 白い地面に残る、白い足跡を、ひとつずつ、ひとつずつ。

 ぎゅっ……ぎゅっ……

 ぎゅっ……


 …………あれ……?

 おかしい。アパートは、まだなの?


 足跡はまだ見えた。白い闇の中でも、二、三歩先にあるその小さなくぼみだけは視認できている。それをもう、いくつも踏み越えて私は歩いて戻ってるはずだ。なのに、

 アパートが見えてこない。

 懐中電灯を上に向ける。相変わらず見えるのは白い闇だけ。慌てて光を下に向ける。すると浮かび上がる、自分のつけた足跡。

 頼れるのはもう、それだけしかない。私は足元だけを照らして、足元だけを見て、歩く。歩く。歩く。

 一歩一歩、雪の上を。這うような鈍い足取りで。

 でも、おかしい。やっぱり変だ!

 歩数を数えてみた。一歩の長さをそれに掛け算した。計算が……合わない。

「うっ……ぁあ……っ!」

 思わず漏れた声。意味を成さない溜息と叫び声との中間みたいな音。それも吹きすさぶ風に掻き消されてしまう。白い、白い闇の中へと。

 私は懐中電灯を振った。左右に、上下に、斜めに、背後へも。

 でも見えるのは全部同じだった。白い壁。白い闇。真っ白な雪と、真っ黒な闇夜と、あとはただ……


 ……………………あっ……!


 見えた。

 それは確かに見えた。

 闇が、別の闇で途切れてる。その微かな影が。

 私の目には、それは建物の影のように視えた。その下を照らす。自分の足元。あ、やっぱり。そこには小さな足跡が残っている。

 行こう。こっちだ。

 この足跡について行こう。そうすればもう、迷わない。

 私はそう自分に言い聞かせてもう一度歩き始めた。まとわりつく雪。冷たいどころじゃない凍えた風。それが体温をどんどん奪っているのを今更ながら自覚して、歯がカチカチと鳴る。コートをどれだけかき寄せて肩をすぼめてみても、止まらないその震え。

 でも歩かなきゃ。

 感覚の無くなった指先で、それでもどうにか保持し続けていられてる懐中電灯で、照らす足跡。私の向かう先へ、同じように向かう、その足跡。

 同じように、()()()()()()…………()()()()()


 ………………なぜ?!


 見上げた私。その目が視る。それは建物だった。

 瞬間。

 理解したくなかった何かを私はその一瞬で理解した。

 理解してしまった。


 家だ。

 朽ちた壁。割れた窓。折れた柱。張られている無数の御札。

 古い古い家。いや、家「だった」もの。

 家の幽霊。それは——

 

 宿りの家

 と呼ばれていた、あの雑木林の、あの「裏手」の、あの


 扉が、開いた。

 風が背後から、猛烈な勢いで、でも音も何も感じさせずに、ただ私を、その身体を押し込む。

 倒れ込むようにその土間に膝をつく私。転がる懐中電灯。

 震え続けている肩。寒さじゃない。吹雪はもう私に届かない。

 だって、

 ぴしゃり

 と、扉はもう閉じてしまったから。

 穴だらけの破れた木の扉。赤い紙きれでいくらか穴を覆ってるだけのはずなのに。なのに吹雪はその扉に遮られてしまって。外の世界と、この家の中とが、隔絶されてしまって。

 それが分かる。それが、解る。

 暗いはずのこの空間。消えてしまった光。なのに私の目には視えた。

 黒い土の土間と、赤黒く変色した木の廊下。見えないはずのそれら。見てはいけない、近づいても、考えてすらもいけなかったこの

 宿りの家

 の中に、私は、いる。

 その事実が何よりも、吹雪の最中で凍えてしまうことよりも遥かに恐ろしくて怖ろしくて。

 鳴りやまない歯の音。それが廊下に響き渡るようで。

 息を殺しているのに。音を止めないと。聴こえてしまうといけないのに。

 でないと来る。来てしまう。

 あいつが、あの女が、ここに、私のところまで……


 ぎしり


 その音が私の耳に届いたのはその思考を追い払おうと私が必死にあがこうとした矢先のことだった。


 ぎしり、ぎしり

 ぎしぎしぎしぎしぎし


 近づいて来る、それは足音で間違いなくて。

 見てはいけない。

 聴いてもいけない。

 でももう、聴いてしまっていた。

 怖ろしくて上げられない視線。でも、見つめている足元に、やがてその足音に合わせて


 ぎしり


 と鈍い響きとともに現れた、白い足。


 あ


 あは


 あはははは


 あはっはははははははっはははははははははははははははははははははははははははははははははははっはははははははははははははははははははははっあはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは


 頭が割れてしまうほどに響くその声が確かに、

 確かに私に向けて放たれた笑い声だと私は気付くことができただろうか。

 首筋に触れたその冷たい感触が、細く小さな手だと気付くことができただろうか?

 それが判るか、分からないかすら解らないうちに、

 私の意識は、思考は、たましいは、その声と手とに

 搦められ、捩られ、掻き消されて、


 全てが黒く、赤い、深淵の底へと。融けていってしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ