九の宿 「真倉恋」 その三
「脅かせたい訳じゃないんだがな。まあお節介な助言くらいに思っててくれ。この五日宿に住む連中は基本的に内弁慶なんだ。外から来た人間にはだいたい親切で優しいが……」
細い目をこっちへ真っすぐに向けて、神主さんは言葉を続ける。
「一旦村に溶け込んだ人間には色々面倒なことを言う奴も多い。いや、面倒言うだけなら可愛いもんだが、それだけで終わらん場合もあるのさ。例えば……そうだな、あの『鵺返し』の件とかもその一例だ」
神主さんはそこまで話すと一旦言葉を切って、お茶を一口啜った。伏せ気味にしたその瞳には、多分私の表情が多分はっきり写ってるだろう。
そうだった。瞳子ちゃんから聞いた、鵺返しの件で亡くなったらしいお爺さん。彼は盗まれた掛け軸を取り戻そうと意気込んだけれど、周囲からの反応はどこまでも非協力的で、むしろ敵対的だったって。なら、彼が『呪い』という手段に訴えなければならなくなった理由の一つは……
「思い当たったかな。そうさ、掛け軸盗まれた爺さんは本来被害者なのに、かなり手痛い非難や嫌がらせを周りから受けたんだ。『厄介ごとを起こすな、周囲を巻き込むな』っていう、そんな流れがこの村じゃ当たり前に生まれちまうんだ。田舎特有の閉塞感と言ったら解りやすいかな」
「あ……はい」
私の反応から察して言葉を選びながら、空ノ介さんはまた話を続ける。口調は荒いけど話自体は感情的でなく論理優先で、やっぱりどこか真倉先輩の語り口を思わせる。
「そんで、一度異端視された人間は村全体からそういう扱いを受けやすくなっちまう。抜け出せなくなるんだな。その流れから」
『流れ』と、空ノ介さんは何度も言った。
それはもしかすると、いつだったか先輩が言ったこの村を流れる『歪んだ流れ』に関係してるんだろうか。穢れとも言ってたっけ。そして……昔はもっときれいなはずだった、とも。
「それは……先輩もですか?」
私は尋ねた。まるで促されたみたいに。
「ああ、俺はそう思ってる」
神主さんは言い淀まなかった。
「恋が吞み込まれたのは相当な深みだったはずだ。北集落にあるこの神社はまだマシだったから、長い休みのときとかはここに匿うこともできたが、それにも限界があってな。いや……言い訳だ。俺も無力だった」
吐き捨てるように自嘲して、神主さんはまた言葉を切った。少し歪ませた口元に悔しさを滲ませて。
「……悪い。嬢ちゃんには辛い話を聞かせたな」
「いえ……ありがとうございます」
謝ってくれる神主さんに、私は私は首を横に振って見せてから、お礼を言う。だって、これは知らないといけないことだ。きっと。
先輩本人は、私に知られたくないって思ってるかもだけど。それでも。
「そうか。こっちこそありがとうな」
口元を少し緩めてそう言ってくれた神主さんは、またお茶を一口啜ってから、
「あいつは、恋はな……偉いやつだと思うよ」
と呟いた。続けて小声で「自慢の姪だ」とも。
「周りが自分を忌むのを、あいつは呪わなかったんだ。あいつにできる範囲で受け入れて、それが叶わなくなった時でさえ諦めなかった。勉強し、見識を広め、親さえ騙すような形で転入試験を受けて……村を出て行った」
私は声を出すことも、頷くこともできないままで、ただその言葉を聞いた。
「俺はな……あいつはずっと、この五日宿を恨んでると思ってた。俺自身がそうだったからな。神さんを奉るっていう責務が無きゃ、俺もこんなとこさっさと出て行きてぇんだ。でも、あいつは違った。髪を切って、兄貴とあのクソ嫁を離縁させてから、平然と境内に現れてこう言ったんだ。
『空じい。巫女のバイト募集してるって?』
……とな」
***
「……それにしても、嬢ちゃんはよく恋の話を疑わんかったな、幽霊信じとるんか?」
「え……いえ」
私はどうにかそう答えて、息を一回吸い直す。それから頬をもう一度拭って、ティッシュの箱を返しながら、出せる範囲で声を繋いだ。
「先輩も……別に信じなくていいって感じで……でも、嘘ついてるようにも見えなかったし……」
「ああ、あいつらしいな」
「信じたのは、幽霊とかじゃなくて……先輩です。私が……」
私自身が、先輩を信じたいと、いつの間にか思ってたから。
そう言いたかったけど、言葉が、胸が、詰まる。
「分かった。ありがとうな」
空ノ介さんはそう言ってくれた。
伝わったのかな? なら、良かった。
「それに……」
「うん……?」
「私にも、少し視えるように……なったし」
自然と呟いた言葉。一瞬、止まる空気。
「……何?」
「え……?」
空ノ介さんの表情が、固まった。開いた口。見開いた眼。
「あんたにも……視えた? 視えとるんか?」
眉をきっと寄せて、そう言った口がきゅっと閉じられる。
その顔に、さっきまでの柔和さはない。でも、怖れや嫌悪感も感じられない。怒りや哀れみも。
ただ、問われた。それは本当の事かと。
「……はい」
私は答える。目を真っすぐに前へ向けて。
「五日宿に来てから視えるように……先輩は、土地と波長が合ったというか、影響を受けてしまったと言っていました」
「あいつ……!」
「あの……先輩は、この事を?」
「俺には言っとらん。多分、誰にも」
「……」
自分で聞いて、そう返答されて、我ながら少し変な話だなと思った。こんなこと、他人に言わないのが普通のことだから。でも、
「とりあえず……なら先にこっちも言っておくが、俺は何も視えん。でも俺は、あんたと恋の話は信じとるからな。理由は……まあ、あんたと同じだと思ってくれていい」
少しだけ照れくさそうに、空ノ介さんはそう言って、それから
「そんで、その上ではっきり言うが、この五日宿は普通じゃない。特に『裏手』だ。あそこには絶対に近づくな。恋も、そう言っとるだろ?」
「は……」
その時、
あははははっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
白い顔の女が
目を見開いて
その声音と光景が鼓膜の奥と瞳の奥とを同時に震わせた気がして、私の呼吸が一瞬止まる。
「……どうした?」
神主さんの、空ノ介さんの、声。
「え……えほっ……す……すみま……せん」
少し、むせただけですと小声でどうにか答え、お茶碗の底に残っていた冷えたお茶を、喉に流し込む。
宿りの家。
先輩がそう呼んでいた、あの場所。
「とにかく……あそこは人の立ち入っていい場所じゃねえ。特に、あんたは『視える』ようだから余計にだ。まあ入れないように柵もあるようだが、何の間違いでも、足を踏み入れることは絶対にしねえようにな。とりあえずは、そうしてりゃ安心だ。大抵のことは、恋が上手い事やってくれるだろう」
声が出せないでいる私に、空ノ介さんは穏やかに声をかけ続けてくれる。
でも、
その低い良く通る声は、次にこう続けた。
「ただ、恋は……どうもあの場所について嗅ぎまわっているようだな。もしそうしているのを見つけたら止めて欲しい。絶対に、だ」
……と。




