九の宿 「真倉恋」 その二
「見ての通り、ここで働いているんだよ」
売店のカウンター越しに先輩はそう言った。悔しそうに歯噛みしながら。
私はまじまじと、もう一度その姿を見る。
ああもう、訳分からないくらいに可愛いな。
ウィッグ(かもじ、と言うらしい)でボリュームアップして垂らした黒髪が、小さな顔と白い肌とを引き立てつつ、どこか大人びた神聖な雰囲気を放ち、白と深紅のぱりっとした巫女衣装が全体のコントラストを整えて先輩本来の可愛らしさと清廉な美しさとを融合昇華させた……とかって言葉でいくら表現しても全然足りないレベルで。
「かわぃぃいい……」
「そういうのはいいから、買うものあるならさっさとしなさい」
どうしても漏れちゃう私の正直な言葉に、先輩はにべもなく普段以上のぶっきらぼうな声で応じる。格好との落差が激しい。
「内緒にしてたアルバイトがまさか、巫女さんだったなんて」
「ここは親戚の神社なんだ。頼まれて仕方なくやってる。給料もいいし。君こそなんでまた、こんな所へ?」
「瞳子ちゃんの家からの帰りに寄ったんです。何となく」
「ああ、坂手さんか」
そう言えば近いんだった。油断してたと呟く先輩の声はまだトゲトゲしくて、どんなに悔しくて憤ってるのかがはっきり伝わってくる。ああ、これはさすがに、このままじゃ良くないな。
「で? 何か買うのか? 買わないなら……」
「あ、じゃあおみくじを、ください」
「はい、百円ね」
硬貨と引き換えに八角形の筒を受け取った私は、それを振って出た棒の数字を先輩に伝える。
「89番だね。はい、きっと大凶だよ」
「え、分かるんですか?」
「個人的な希望だ。私ばっかりこんな目に遭うなんて割に合わないから」
「え、えぇえ……」
いつになく怒気を孕んだ言葉と声とに私は少し狼狽える。けど、その怒りの主はまだ頬っぺたを真っ赤に膨らませながら瞳を潤ませていて、その様子があんまりに可愛くて子猫の威嚇泣きみたいに思えて、私は困りながらも口元をつい緩ませてしまう。その時、
「おい恋! そんな態度があるかぁ!!」
がらりと先輩の背後の扉が空いて、飛び出した手が小さなおでこを黒髪の上からぴしゃっとはたく。
「いっ……痛たっ! そ……空じい?」
「空じいじゃねぇ。神主って呼べ。いつも言ってんだろ」
痛がっておでこをさする先輩に、叩いた男性が詰め寄る。それから
「すんませんね、横沢のお嬢さん。いつもこんな感じでこいつに虐められてるのかい?」
と言葉を続けた。その服はさっき見た白と紺の装束で、顔もさっきの神主さん。だけど、え?
「い、いえ。大丈夫です。それに、横沢って……あれ?」
私はまだ名乗ってなかったはずだけど。
「ああ、自己紹介がまだだったか。悪いね。あたしは真倉空ノ介。こいつの叔父だよ。あんたのことも良く聞かされてる。横沢……えーと、鈴芽さんだね。今後ともどうかよろしく」
背の高いその神主さんは、さっき会ったときとは全然違う口調で、でも全く同じ低くよく通る声で、はっきりとそう言ったのだった。
***
「恥ずかしい所を見せて悪かったね」
「いえ、こちらこそ」
頭を下げる空ノ介さんに、私も半分つられるようにお辞儀する。
『頭冷やしとけ』と、一喝された先輩はそのまま売店勤務を命じられて、それに大人しく従った。私は受け取ったおみくじを開く間もなく、『どうぞこっちへ。お茶出しますよ』という空ノ介さんの言葉に促されるまま、本堂の前の道を歩いていた。
「あと参道とか境内の道なんかは、どこ歩いても構わんからね」
「え、そうなんですか?」
「ああ。さっきの自称マナー講師みたいなオバサンの言葉なんか鼻で笑ってな。まあ一応面倒ごとにならんよう道の端を行くのもいいが、神さんへの敬意なんてもんはどこ歩いたって変わるもんでもねぇからよ」
「は、はあ」
「大事なのは心だ。感謝とか謙譲とか。神さんはそれらを人の行動から推察するんじゃなくて、直に視るもんだと思ってたらいい。そこが人間相手とは違うとこでな……ほら、ここだ」
「あ、はい。お邪魔します」
神社の建物とは違う、少し古いけどごく普通の造りをした住宅の玄関を開けて、空ノ介さんと私は入ってすぐ横にある和室へと上がる。
「こっち座って待っててくれ。すぐに茶を出すからよ」
「あ、いえ。お構いなく」
差し出された座布団に正座して、私は部屋の中を見渡した。蛍光灯の白い光と、外から射す日の光とが部屋を半々に照らして青い畳にぼんやりと調度類の影を浮かばせる。年季の入った和箪笥。頑丈そうな低いローテーブル……っていうか、ちゃぶ台かな。それから細長い柱時計と、その横に比較的真新しくて実用的っぽい書類ケースと電話機。
どこか、実家にあるお父さんの事務部屋を思わせる雰囲気があった。実際、神社に関係する事務に使うための部屋なのかもしれない。
「お待たせ。散らかってて悪いね。掃除は恋がやってくれてるから、どっか汚れてたらあいつのせいってことにしてくれ」
「い、いえ。全然」
「そうかい? ならあいつの手柄だ」
後で褒めてやらなきゃなと続けつつ、空ノ介さんはお茶を淹れてくれた。私はお礼を言って、遠慮なくそれをいただく。瞳子ちゃんの家で飲ませてもらったのに似た、すごくいい香りのする日本茶と、品のある甘さのお茶菓子とを。
「美味しいです」
「なら、良かった」
正直に私がそう言うと、空ノ介さんは微笑んだ。その口調は先輩に似てる気がして、私も表情が少し緩む。
「あたしも一杯もらうか。あ、そうそう。これに見覚えは?」
「え?」
空ノ介さんは自分の分のお茶を注ぎながら、隣に置いてあるお皿を指さしている。綺麗な絵の入った灰色のお皿を。
「そのお皿にですか? ……いいえ、特には」
「ああ、そうか。あん時は箱に入ってたからなぁ。これが十円ってんだから、まあ有難ぇもんだ」
「十円って……あ!」
「そう、思い出したかい? あん時は悪かったね。店番と紛らわしくてよ」
鵺返。そう書かれた呪符の入った鏡。
「警戒しなくていい。これもあん時買った皿だが、あたしは呪符と縁が悪かったみたいでな、何も起きやしねぇ。今じゃ茶請けの皿として大活躍だ」
「は、はあ……」
うん。今ので完全に思い出した。あの時会った人だと。あの、鏡を十円で買った時。
えっ……てことは?
「という訳で本題だ。恋と同じで、俺……いや、あたしも五日宿の奇妙な出来事について、ある程度知ってる。恋に色々『視えてる』こともな。だからその辺は、あた……あーもういいや、俺で……俺に対しては、腹を割って話してくれていい」
「あ……はい」
私は頷く。空ノ介さんの、先輩にどこか似た黒い眼をちらっと見て。
***
空ノ介さんはお茶を一口啜ってから、
「さて、でもまずは俺から話さなきゃだな。恋についてだ。聞いてもらえるか?」
と言った。顔を少し伏せて。でも瞳はこっちに真っすぐ向けて。
「はい」
私は答える。先輩のこと? 私の知らない、過去のこと?
聞きたいと思った。むしろ、聞かせて欲しいとこっちからお願いしたいくらいだ。
でも、空ノ介さんの表情は少し硬くて、これからする話が誰にでも話せるような、話していいような内容じゃないことを暗に、でもはっきりと告げてるように思えた。
「お願いします」
私は背筋を正して座ると、そう言い添える。
「分かった。手短に、要点だけな」
空ノ介さんは神主の装束をすっと正して、できるだけ簡潔に、あまり感情を込めないよう努めながら語ってくれた。
その内容は、私の予想の範囲内のものと、範囲外のものとが半々くらいで混ざったようなものだった。
真倉先輩の過去の名前は、式部恋。
瞳子ちゃんの語った通り、中学の時に退学とも思えるような突然の転校をした、その当人だった。
「式部は、あいつの母の姓だ。俺の兄貴は式部の家に婿入りして、恋が生まれた。そんでご存じの通り、あいつはガキの頃から『視えて』たんだ」
その事実は、周囲、特に先輩のお母さんにとってひどく不本意だったらしい。
元々微妙だった両親の仲は冷え、先輩は家庭内で孤立した。それだけでなく、家庭の外。学校や地域においても。
私は思い出す。
『恋ちゃんのことをよろしくね』
と、少し涙声で語った、小学校の美園先生の言葉を。
「あんた、この五日宿の連中をどう思う?」
「え……どうって……」
神主さんからの不意の問いに、私は言葉を詰まらせる。
「見た感じ、特に問題なく暮らせてるようだが、どんなもんだろう。親切にされてるならいいんだがな」
親切かどうか……か。ああ、それなら。
「はい。皆さんご親切で、すごく良くしていただいてますよ」
嘘じゃないし、お世辞でもない言葉を私は返す。だって大家さんやその家族も、直売所のおじさんやご近所さん達も、みんな優しくていい人だと思うし。
「そうか。あんたが越して来たのは今年の春頃だったかな」
「はい」
「来年はどうなるか分からんよ」
「え……」
空ノ介さんは表情を変えないままで、静かにそう言った。




