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九の宿 「真倉恋」 その一

 その日は何だか失敗ばかりだった。


 寝坊、忘れ物、CADツールの操作ミス、携帯の充電切れ、企業説明会への参加申請漏れ等々。そして今もまた、もう一つ。


「そういや真倉先輩って、下の名前何て言うんだっけ?」

「恋、だよ。恋愛の『恋』の字で、『れん』」

 坂手の瞳子ちゃん家での勉強(ダベりお茶会)中にそう聞かれて答え、名前からして可愛いとかズルいよねと続けようとした瞬間に、私は思い出した。

『下の名前は坂手さんには伏せておいて欲しい』っていう、先輩の言葉を。


「ふーん……恋と書いて、『れん』かぁ……」

「ど……どうかした?」

「ううん。いや、中学の時、一つ上の学年で一人だけ退学騒ぎ……じゃないや、本当はただの転校だったのかな? そんなのがあって、確かその人と同じ名前なんだよね」

 瞳子ちゃんは長い髪を耳元で梳き上げながらそう言って、顔を上げた。目が合う。

「あ、多分ただの偶然で、関係はないと思うよ。苗字は全然違うし」

 言い訳みたいに言葉を続ける瞳子ちゃん。私は「あ、うん」とだけ返す。


 それから少しして私は坂手家を後にした。瞳子ちゃんは親戚が隣町でやってる会社へ見学に行くらしい。「鈴芽ちゃんも一緒にどう?」って誘われたけれど、私の希望職種とは微妙に違うので断った。

 坂手家最寄りのバス停に着いて、時刻を確かめる。結構時間あるなぁ、どうしよう。

 私はとりあえず、その辺をぶらぶら歩いてみた。どこか、実家付近の雰囲気にも似た町並みの中を。

 冬がそろそろ近い山間部の町。それなりに厚着してるけど、それでも少し寒いな。日差しは優しくてあたたかいけど、風は乾いてて、冷たい。そんな午後の景色。


 『遠目に見たことあるって程度で、直接話したことはないんだけど……』

 と言った瞳子ちゃんの声が、不意に頭をよぎる。声は続けた、先輩と同じ名前をしたその人についての言葉を。


 フルネームは、式部恋しきべ・れん

 度のきつそうな厚い眼鏡をかけた長い黒髪の少女で、校内でも屈指の優等生だったと。


 九の宿 真倉恋


「この道の真ん中はね、正中と言って神様の通り道なのよ。だから端に寄って歩かないとね」

「は、はい」

 年配の女性にそうたしなめられて、私は頭を下げる。足元の砂利が鈍く光って見えた。

ここはバス停から少し歩いた先にあった、林の中の小路。脇に立つしっかりした檜の看板には「雪分神社」と書かれてる。

 ちょっと前に先輩と石碑を巡ったのもあって、お地蔵さまや寺社への興味が増してた私は、古いけど立派な石の鳥居を見つけてその奥にふらふらと入って行ったのだった。参拝のマナーとかも知らないのに。

「いやいや、ご立派な心掛けですな」

 横から別の、低く良く通る声。顔を上げると、白い装束に紺色の袴を履いた人が歩いて来るのが見えた。結構年配らしいけど腰も伸びてて背の高い、男の人。えっと、住職さん……じゃなくて……

「あ、神主様ですか? こんにちは」

 年配の女性がそう言って頭を下げる。

「こ、こんにちは」

 私もそれにならった。

「はい、こんにちは。雪分ゆくまり神社へようこそ。よろしければご案内しますが、どうですか?」

 神主さんは穏やかにそう言って微笑む。すると参拝客らしい女性は

「ありがとうございます。では、よろしくお願いしますわ」と言ってまた頭を下げた。

「そちらのお嬢さんは?」

 と、神主さんは私を見て言ってくれたけど

「いえ……私はゆっくり見て回りますから」と返す。またマナーの事とか、色々言われたくないし。

「分かりました。足元にはお気をつけてくださいね。では……」

 ゆるりと一礼して、神主さんは年配の女性を伴って参道の先へと歩いて行った。


 はー。ちょっと助かったかも。あのタイプのおばさんは話も長そうだし、失敗続きの私はまた色々やらかして怒らせちゃいそうだったから。

 でも……あれ?

 さっきの神主さん。どこかで会ったことがあるような気が、する。


 まあいいや。私は参道の端をゆっくり歩いて進む。その先に『本堂』と書かれた看板があったけど、さっきのおばさんは神主さんとそっちの方に行ったらしいから、私は先にその横にあった売店っぽい場所を見て回ることにした。

 おお、何だか立派だ。失礼だけど、こんな山間部の奥にある神社だとは思えない。

 白く光る木の棚に、お札やお飾りやお守り、おみくじなんかが何種類も並ぶ。どれも丁寧に、几帳面にディスプレイされていて、ガラスケースも綺麗に拭き上げられてる。そう言えばさっきの人以外にも参拝客さん達は結構いるみたいだし、有名な神社だったりするんだろうか? 建物とか敷石とか見ても、神社っていうより、繁盛してる雑貨店みたいにも見える。

 折角だから何か買おうかな。就活も近いし、お守りか、おみくじか。そんな風に私が売店のディスプレイを眺めてると。


「こんにちは。何かお探……ゴホンっ!」

 唐突に、声を咳払いで強引にキャンセルかけたような音が、売店の奥から響いてきた。

 見上げる私。その先にいた人影と、目が合う。

「え?……あ…………きゃあっ!」

 声が漏れる私。だって、だってだって……え?

 か……可愛い。何?……天使?!

 いや、違う違う。巫女さんだ。白い装束に深紅の袴。白い肌。長い黒髪。そして同じく黒い、大きな瞳。小学生みたいな……


「真倉、先輩……ですよね?!」

「何のことですか?」

 私に先輩と呼ばれたその巫女装束の女の子は、目を逸らせつつ裏声でしらばっくれた。

「それは、いくら何でも苦しいんじゃないですか……?」

 半笑いになりながら私がそう問い詰めると、

「……分かった。観念する」

 先輩は真っ赤になった頬と涙目になった目をこっちに向けて、そう答えたのだった。いつもの声と口調とで。


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