八の宿 「おどろ岩」 その二
「……まだ先ですか?」
「うん、もう少しだね」
バスに揺られて十分程度。『お弁当』の気まずさも落ち着いてきて、私と先輩はまた普通に言葉を交わす。
「どこまで行くんです?」
「邪魔峠だよ」
「じゃま……峠?」
「そう、私達が普段使う国道は、南下していくと棚田を抜けて駅前の市街地へ出るよね。でもその手前に、西へと伸びてる細い道があるはずだ。割と新しめの」
「えっと……そうでしたっけ?」
「うん。私達が通学で使うバスは基本的にそっちへは入って行かないから、気にも留めてないのは分かるよ。でもね」
ちょうど、先輩がそう言葉を区切った時、バスがウインカーを出して、信号のない交差点を右へと曲がりはじめた。
「この車は、その方面へ向かう数少ないバスの一つなんだ。多分、ここから結構揺れると思う。そのつもりでいた方がいいよ」
「えっ……はい」
先輩が言った通り、バスはそれまでよりも少し大きめに揺れながら進んだ。上り坂になって速度は少し落ちてるはずなのに、身体がゆっくりと揺すられる。左へ、右へと。
「この緩やかに蛇行してる峠道が、通称『邪魔峠』。そこに、今日一番見たいと思ってた調査対象があるかもしれないんだ。……おどろ岩が」
バスの賑やかな走行音の中、真倉先輩はその岩の名前を口にした。その言葉の通り、おどろおどろしいような、あるいは逆に、こういう田舎ならいかにもといった感じの、曰くありげな名前を。
「おどろ岩、ですか」
私がその名前を呟き返すと、先輩はいつものように、すらすらとその由来を語ってくれる。……その内容は、要約するとこんな感じだった。
その峠には昔、『おどろ』という名の鬼が居すわっていた。
おどろは峠を通る旅人を追いかけまわして襲ったり、嘘の道を教えて騙したりしていた。
おどろのせいで邪魔峠を越えられなくなってしまった旅人達は協力して、山の上から大岩を落として退治しようとした。それは成功し、鬼は岩の下敷きなった。
しかし、旅人達の苦難はむしろそれから始まった。今度はおどろを潰したはずのその岩が、夜な夜な山中を動き回っては旅人に危害を与え始めたのだ。
岩相手には言葉も刀も、何も通じない。岩に怨念を宿らせたおどろは、鬼よりもなお凶悪な存在となり果てたのだった。
「そのあと、どうなったんですか?」
「岩の姿のまま、旅の尼僧に封印されたとさ。よくある昔話だね。で、その封じられた岩、おどろ岩と呼ばれているものがこの邪魔峠のどこかにあるらしい」
「へぇ……」
よくある昔話……か。さすがに作り話なんだろうけど。
「その岩が、本当にあるんですか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。まあ、だからこそ行ってみたいんだよ。実際にね」
そういう伝承って、まず目立つ岩とかが元々そこにあって、その岩自体や他の落石とかへの警告とかを織り交ぜて後から作られるものが多いようだと、以前に先輩から聞いていた。だから、岩が本当にあったとしても不思議じゃないことは私にも分かる。それに、
「岩があるかどうかや、その場所の地形や雰囲気なんかで、伝承の持つ意味が変わってくるかも……ってことですね?」
「うん。ありがとう、そう理解してくれてると嬉しい」
こっちを見て微笑む先輩。私は「いえ……」と口にして、窓の外を見る。さっきまで比較的開けてた道が、少しずつ木々に覆われてゆく。
「次は『座間』。次は『座間』です。お降りの方はボタンを押してお知らせください」
やがてそう流れた車内アナウンスに、先輩は座席横のボタンを押して応える。
「次、停まります」
流れる自動音声とチャイム音。
「『ざま』……?」
「邪魔峠の、今の呼び名だね。停まったら降りよう」
先輩はそう言いながら、手元のメモ帳を畳んでポケットへと入れた。
私は窓の外から射す木漏れ日が先輩の黒い髪と白い肌をまばらに照らしてるのを横目に見ながら、自分も降りる準備をする。
それからバスは三分程走ってから停まり、その後また走って行った。
降りた私達二人だけを峠に残して。
***
その場所にはバス停の案内板一つだけがあった。あとはただ道と、その両側に続く木々だけが見える。そんなお世辞抜きで何もない場所なのに、道のアスファルトだけは真新しくて、変な感じがする。
「山側は果樹園になっててね、観光果樹園もいくつか営業してるから、ほとんどそのお客や関係者のためのバス停なんだと思う」
「なるほど」
言われてみれば、山側には入って行ける小道があって、『五日農園』だとか『みどりファーム』だとかって看板も見える。それと、
「あの写真もお願いしていいかな」
「あ、分かりました」
道の端に、小さなお地蔵さんが何体か立っていた。あれも先輩の研究対象なんだろう。私はこれまでと同じように、高さを測って写真に収める。
石でできたお地蔵さんはかなり古そうな気がする。道路のアスファルトが奇麗すぎるから、その対比のせいなのかな? それに、表情がどことなーく厳しめにも見える。
「な、何だか視線感じますね」
「お地蔵さんのかい?」
「はい……多分」
調べ終えて先へと歩く私達と、そこに佇み続けるお地蔵さん。互いに通り過ぎるだけだったなら、きっとそんな視線は感じなかったんじゃないかと思うけど。
「これも土地との縁、ですかね?」
「そうとも言えるね」
先輩が嬉しそうに微笑んだ。春先に教えた言葉を私が覚えてたからかな。だったらいいな。
「もう少し歩くよ。大丈夫かい?」
「はい。まだ平気です」
「分かった」
緩くカーブし続ける峠道を、私達は二人で歩いた。日はまだ高く、風は穏やか。気温は結構高いみたいだけど、空気が乾いてるからか、そんなには暑く感じない。
やがて私達は坂を上り切った。その先の道は大きく湾曲していて、右手側は急な崖のように落ち込んで見える。何だか怖いな。
そのときだった。……ううん、本当はもう少し前だったのかもしれない。
不意に、背筋が冷たく感じた。
何だろう、変な違和感。私は周囲を見渡す。別におかしなものは見えないのに。
「……? どうかしたかい?」
「いえ……何だか……」
答えにならない返事だけを返して、私は探す。違和感の正体を。
湾曲した道の山側は果樹園らしく整頓された木々と山肌だけが見えるし、崖側はガードレールと……あれもお地蔵さんかな?……灰色の何か、その下に深い杉林が見えるだけ。後は何も……ううん、違う……!
「せ……せんぱい!」
「何? どうかしたかい?」
「あのお地蔵……目が……!」
私は見た。はっきりと。ううん、見えなかった。目が。それに口や鼻も。
崖側のガードレールの手前に見える何体かのお地蔵さんに……
「顔がないです! 何で? 何でですか?!」
「え……? ああ……なるほど」
声を震わせる私。顔のないお地蔵の、その視線の違和感。
見られてないのに見られてるような、居心地の悪さ。
だけど先輩は、そんな悪感情なんかぜんぜん感じさせない表情と歩調のままに道路を歩いて進み、お地蔵さんの前に立ち、それからその背後を覗き込んだ。
「これ、こっちが顔だよ」
「…………え?」
***
山の中で、他に誰も見てないからかな。私は多分、ものすごくレアなものを見た。声を上げて大笑いする真倉恋、その人の笑顔を。
「あ……あははははははは!」
まんま小学生みたいな幼い顔が、まんま小学生のように大笑いして、少し涙ぐんで、それにちょっと咳き込んで、お腹を押さえて苦しそうに、それでも楽しくてたまらないって仕草を。
「もう……そんな笑わなくてもいいじゃないですか!」
「ご……ごめん。だけど、ご……ごめん。あはは……だって、あんまり君が真面目に怖がってたから」
まあ実際、私もこれは傑作な笑いごとだと思う。回り込んで覗いたお地蔵さんの顔は、少し厳しそうだけどもちゃんとした柔和な微笑みを浮かべてて、それを見た途端に私の感じてた寒気も違和感も、一気に消え失せたから。
「わ……わかった。もう、笑わない。このことを誰かに話したりもしないから、君もどうか、水に流して欲しい」
おかしさを飲み込むように先輩はそう言って、口をぎゅっと閉じた。目はまだ、少し笑ってたけども。
「は……はい」
私も、これ以上この話を続けたくもなかったし、素直にそう答える。
「じゃあ、これも同じように調べておこうか。崖には気を付けてね」
「分かりました」
とりあえず頭を切り替えて、私達はそれまで通りに高さを測ったり写真を撮ったり、メモをとったりする。
それから、道路に戻ってその先を見た。長く緩い右カーブの先は逆方向へのカーブになってるみたいで、その手前にも同じようなお地蔵さんが見える。
「あれを調べたら、最後にしよう」
先輩はそう言って、また歩き出した。




