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七の宿 「古代ヶ丘」 その四

『多分、波長が合ったんだよ。というか、影響を受けたというべきか』

 少し前のあの人の言葉。言葉通り以上の意味が分からなくて、自分なりに考えたっけ。

 例えば、波長といえば音波や電波。それを適切に発したり受け止めたりすることで、情報を伝えあうことができるもの。波長が想定と違っていれば、発したものを受け取ることはできない。意味は失われてしまう。

 例えば影響。ある物事の作用や働きが、別の物へ響き伝わるということ。響かせるためには、伝えるためには、それらの物どうしは何かで繋がっていなければならない。つながり。あるいは、縁。それを通して伝わるものが、ただの情報でなくて、もっと強い意味を持つ何かだったなら?

「……だからって、何でこんなものを視なきゃいけないの? 何で?!」

 泣きそうだった。泣けない方が不思議なくらいだった。

 だって、だって、

 もしかしたらあの人は、

 いつもいつも、こんなおかしなものたちに囲まれて、こんなおかしな世界を視せられていたのかもって、考えてしまっていたから。


 *** 


 だからもう、それからはできるだけ、何も考えないように気をつけながら私は歩いた。

 細かい砂利ばかりだった地面が草地になってきてることにもあまり注意を払わずに、

 多分きっと恐らくこっちなんだろうと思う方角を目指して真っ直ぐまっすぐ歩く。

 低木が生い茂ってて進めないならその切れ目を探して進んだ。

 大きな木が並んで生えてる場所は一本ずつ避けて進んだ。

 虫の声や獣っぽい何かの匂いや鳴き声は気にしないことにした。

 だって何もない場所から少なくとも何かある場所へは来れたってことじゃない?

 だって森の中に森があるのだなんて当り前じゃないですか? 森なんだから。木と木と木で、森。

 森の中には小屋があるんだ。魔女がいるよ。

 子どもを生きたまま鉄串で目と手足とを刺して包丁でお腹を切り裂いて内臓は鍋で煮込んで肉は直火で焼いて脳味噌はスープにして余った骨で小屋を作る魔女が。

 怖いな。もう、帰ろう。帰りたい。

 帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい。

 こんな所にいたくない。帰りたい。

 あの人のところへ、あの人のいる場所へ、帰りたいよ。

 がさがさがさがさ。

 足音がする。自分の足音。

 がさがさがさがさ。

 足音がする。自分のじゃない足音。

 区別は簡単だ。自分が足を止めても鳴り続ける足音があったら、それは自分以外の足音だもんね。

 それが聴こえたら私はじっとして待つんだ。そしたらほら、足音はどこかへ去ってゆく。

 でもねでもね、彼らはどこへ行くんだろう? 私は何で、それを避けるの?

 教えてあげようか、鈴芽。うん、教えて? なぜ?

 彼らは████████████が████████████。

 あなたは████████████もう██████████████████。

 そうだったんだ、なら、隠れてても仕方ないね。ならいいや。

「あのっ!!」

 私は声を出す。足音に向かって。

 隠れていた茂みから顔を出した私は見た。

 白い脚。白い足。それだけだった。他には何もない 脚と足だけの彼ら。その群れに向かって、一生懸命に聞いた。

「バンガローに帰りたいんです。どっちへ行けばいいですか?」と。

 がさがさがさがさ。

 がさがさがさがさがさがさがさがさ。

 彼らは当然何も言わないで、さっさと歩いて行ってしまった。ああ……そう。

 ならもう、私もついて行くしかない。そうするしかないじゃないですか!

 だって行かないと、帰れないと、帰れない。

 この場所から出られない。

 出られなかった人たちもいたかも知れないとあの人は言った。じゃあ、その人たちは、帰って来られなかった人はどうなったの? どうなるんだろう?

 もしかすると、と私は考える。

 篝火の向こうの人影のことを、

 黒い手のことを、

 水面に浮いた月のような何かのことを、

 そして今、目の前をぞろぞろと歩いてゆく白い脚と足の彼らのことを。

 考えて考えて、そしてまた、考えるのをやめて、歩いた。歩き続けた。


 暗い黒い夜空にまた別の顔が黄色く浮かんで、

 緑のカタマリみたいな森に白い足と赤い道が青い列をなして黒紫に染める。

 それがあんまりに不鮮明だからおかしいんだと思い出す記憶。夏休みの筆洗いバケツ。お姉ちゃんの服の袖。葉太のよだれかけ。

 お父さんは寝ていて、お母さんは笑っていた。

 近所のバス停にはクジラが間違ってやってきて、

 その天辺にはお城が建っている。正しい向きだけど崩れたら大変だ。滑り台で逃げよう。車が落ちてくる前に。

 道路に飛び出しちゃだめだよ、鈴芽。

 海にも気を付けて。川にも。山にも。森にも。

 火事も地震も雷も。いつだって全部私たちを狙ってるんだ。

 分かってる。分かってるよ。

 でも、だめなんだよ。

 何が? 何がダメなの? 決まってるよ。もう決まってるんだよ。私じゃないんだよ。

 私じゃない? 私じゃないなら、誰なの? あなた?

 それとも、葉太? お父さん? お母さん? ……それとも……

 うん。

 そうだよ……待ってるよ鈴芽。

 待ってるの? 待ってくれてるの? なら……行かなきゃ。

 待ってくれてるところへ。

 待ってくれてる、あの人の……

 あの、可愛い……いつも強がりばかり言う、本当はすごく寂しがり屋の…………奇麗な黒い髪の……あの……………………あのひとは…………


<先輩はバンガローだよ。あなたを待ってるよ>


 私は目を開けた。

 地面が見えた。


 見上げた。黒い塊を。薄灰色の煙を細く立ち上らせている、炭のカタマリを。

 それは燃え尽きた篝火だった。歩いて、歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて、

 やっとたどり着いた先に待っていたのは、この変な場所に来て真っ先に見た篝火の、燃えて終わった後の有様だった。

 全身の力が抜けて、私は膝を地面につけて、頭を下げて項垂れた。それが少し前の事で。

 目を閉じて息もできなくなって、痛くて怖くて震えて歯をかちかち鳴らして、

 どこで何をどう間違えたんだろうと分かるはずもない自問自答さえもできなくなって、そのままもう地面と一緒になってしまえたら良かっただなんて、

 信じ切ってしまっていたそんなときに聴こえた、声。


<先輩はバンガローだよ。あなたを待ってるよ>


 もう一度確かに聴こえたその声に、瞳を向けて私は視た。

 バッタだった。

 大きな一匹のバッタが飛び跳ねて、炭のカタマリの傍から羽を広げて滑空した。


<どうしたの?>


 声がまた、聴こえた。

 地面には一匹のバッタ。


<逃げたいなら、今のうちだからね。……頑張って>



 ***



「おはよう」

「おふぁよう……ございます」

 眩しい光と声。

 バンガローの木製ベッドを見下ろして、可愛らしい黒髪の間から丸い黒目が瞬きながら挨拶をくれたので、私も反射的に返す。

 膝が痛い。あと、おでこも。

「ひどい寝相だね。どんな夢を?」

「よく……覚えてません」

 重だるい身体をどうにか持ち上げて、体勢を変える私。寝る前には脱いで荷物の上に置いてたはずのショールが肩に乗ってる。その端の方を視ると、ひどく汚れていた。あれ、何でだろう? さらによく視ると、パジャマもだ。特に足元、膝の上も下もドロだらけで、やばい。ベッドシーツも当然、土くれや木の葉、それに木炭みたいな黒いカスが散乱してるのが視える。

「うわぁああ……何でこんなことに。ベッドもこんな汚しちゃったら弁償ですかね……?」

「ん……? 何がだって?」

「え?」

 先輩が不思議そうに問い返す声を聴いて、私はもう一度自分と、服と、ベッドを順に見た。

 何も汚れておらず、散らかってもいなかった。何でもない、普通の恰好と状態だった。

「あ……あれ?」

「何? まだ夢の途中だった?」

 先輩が微笑んでそう言う。私はその笑顔を見上げる。

「ど、どうなんでしょうね……。まあいいや、とりあえず起きます。お腹空いたし」

「……ああ、そう。顔を洗いに行くなら付き合うよ」

「はい」

 頭をぽりぽり掻きながら、私は立ち上がって先輩の一歩半くらい後を追うように、歩いた。

 サンダルを履くとき、指の間がひどく痛んだ気がしたけど、気のせいだろう。

 それに、隣のバンガローの軒下。横倒しになった虫カゴの蓋が開いてるように見えたのも。


 ***


 トイレの手前の手洗い場で、私と先輩は顔を洗った。冷たい水が気持ちよかった。

 それからタオルで手と顔を拭いて、またバンガローに戻ろうと道に出たそのとき、一匹の大きなバッタが草むらから飛び出して、目の前を横切って行った。

 半透明の羽根を朝日に白く輝かせて。

 私はそれを黙って見送って、そして何故だか微笑んだ。


「バッタは苦手じゃなかったの?」

「あれ? そう言えば……」

 先輩に指摘され、私は自分でも意外に思った。なんで今、私は笑ってるんだろうと。

「でも……先輩は好きなんですよね? バッタも、チョウも」

「ああ、うん」

 黒い髪の毛に振りかけた問い。優しい肯定を返してくれる声。

「なら私も、好きですよ」

 そう自然に口から出た言葉。よく分からないけど、多分理由なんて、大して無くてもいい気がする。

「随分いい加減だね」とでも言いたそうな先輩の視線を下から感じるけど、それ以上返せる言葉は見つからないから、仕方なく私はまた歩き出す。帰る道へと。


<今度はもう、迷わないでね>


 草原の朝のそよ風を、そんな優しい声のように背中で聴きながら。


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