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六の宿 「鵺返し」 その五

「……鵺の呪符かぁ……××家の爺さんだな。ああ、知らないことも無ぇ」

「知ってること、全部言ってよ」

「別にいいが……あんまし妙な事に首突っ込まねぇって約束するんならな」

「ああ、約束する」

「ん、分った。……えっとな。あの爺さん、完全にイカれてた。『犯人捜しは諦めた』って言ってたのもウソだ。ああいう輩はもう、捻じ曲がった性根は死ぬまで……いや、死んでも治らんのじゃねぇかな」

「で?」

「骨董品の、多分全部だろうな、呪符を仕込んだのは。俺も買ったぞ」

「は?」

「興味あったからな。それに売れ残りばっかり大量に遺っても、婆さん可哀そうだろ。昔は結構美人のお姉さんだったんだぞ?」

「分かったから、それで?」

「あったよ。化粧箱の折り込んだ中にな。多分同じ奴だ。『鵺返、此者死願』って雑な字で。勿体無ぇよなぁ。結構な唐津の絵皿なのによ」

「どう思った?」

「呪符ではある。が、多分狙いは掛け軸盗んだ犯人じゃなく……自分自身だろうな」

「……? どういう……」

「分かんねぇか? 呪い返しを願ったんだよ。呪符が誰かに見られるのも、文字通り折り込み済みでな。そんであの爺さん、自分自身が呪われたかったのさ」

「自分自身が?! 何故?」

「つまりよ、『鵺返』ってのは二重の意味だ。『鵺を返せ』それと『鵺さま、呪いを我に返してくれ。死を願ってくれ』ってな。そしたら成れるかも知れねぇじゃねぇか」

「何に?」

「まだ分かんねぇのか……えっと、要するにな……」


 そこまで通話を続けたとき、隣室の襖が開いて床板を軋ませる足音が聴こえた。

「鈴芽が来るかも。また電話する」

「ああ……じゃあ、またな」

 私は電話を切り、思考を切り替える。


「先輩? いますか」

 引戸を軽く叩く音に続いて、そう優しく問う声。私は息を軽く吸って、

「ああ、どうぞ」

 と応える。

「すみません。なんだか急にジュース飲みたくなって。下の道の自販機まで行きませんか? お礼に一本奢りますから」

 扉をするすると開けた鈴芽は、申し訳なさそうにそう言った。

 

 ***

 

「すみません、こんな夜中にわざわざ……」

「夜に独りで出歩くなって言ったのは私だから、気にしなくていいよ」

 片手に懐中電灯と小さなビニール袋とを持って、私と鈴芽は夜道を歩いた。最寄りの自販機までは徒歩で十五分。これでも近い方だ。数か月前にそれが設置されるまでは、夜中に飲食物を購入したければタクシー呼んで町へ繰り出すしか手はなかったのだから。

 

「あれ……?」

 自販機でジュースを二本買い、釣銭を取ろうとした鈴芽が小さく呟いた。

「どうかした?」

 私は問う。

「お釣りが見当たらなくて……ん?」

 ちゃりんと音がした。自販機からでなく、背後から。

 一瞬早く振り向いた私。それに続こうとした鈴芽。

「スズ!」

 私は声を上げる。驚いて、こっちを見る彼女。

「釣銭は諦めて、行こう。こっちだ」

「は……はい」

 私は来た方向から見て右手側へと伸びる横道を照らし、鈴芽の手を引いてそちらへ歩き出す。

「もしかして……見ない方が……良かったですか?」

「!……視えたのかい?」

「少しだけ……ぼんやりと服や靴くらいまでは……」

 顔は視えなかったのか……なら、まだマシな方だな。私は冷や汗の嫌な感触を我慢しつつ、横道を歩き続ける。

 

 やがてその道の先に流れる川へと行き当たった。少し下流には橋がある。それを渡ればアパートの方へ戻れるだろう。

「君はここに来てから、随分と悪いものが視えるようになったようだ」

「……そうなんですか?」

「それまでは見た事がなかったんだろう? 多分、波長が合ったんだよ。というか、影響を受けたというべきか」

 私は、鈴が過剰に怖がっていないことを確認しながら言葉を選ぶ。

「初めて会ったときに言ったのを覚えてる? この土地を出るなら、早い方がいいって」

「あ、はい」

「まだ、間に合うかも知れないよ」

「先輩は……私とお隣同士が嫌なんですか?」

「は?」

 予想しなかった返答。

「いや、別にそういう訳では」

「…ふふっ。ごめんなさい、冗談です」

 互いに弁解めいた言葉を交わし、それからややあって、

「私は平気ですよ」

 と、鈴芽はそう囁く。

 暗くてその表情は分からないけれど、声は普段通りに私の鼓膜を震わせた。


『だって、先輩が守ってくれるんでしょう?』

 そんな言葉が続くように何故か思えたけど、実際には彼女の言葉はそこで途切れた。

「この先、橋だから足元に気を付けて」

「あ、はい」

 私が促すと鈴芽は素直に応じる。

 いつから、彼女はこうだったっけ? 私は思い出そうとして、首を横に振る。それはまた後だ。

「……先輩?」

「ん。ああ、ちょっと考え事をね」

「どんな?」

「うん。……そうだな、この川のことで例えようか。スズ、この川は綺麗だと思うかい?」

 歩き続けながら、私たちは会話を続ける。

「あー……はい、綺麗な川だと思います」

「昔はもっと綺麗だったんだ。そのはずだったんだよ」

「……え?」

「拾ってどうにかなるゴミや水質とかの話じゃない。穢れ……っていう方が意味は近いと思う。それが流れ込んできて、歪んだ流れができてしまったんだ。……私は、それを元のあるべき流れに戻したいと思ってる」

「それって……」

「できることなのかどうかは、分からない。だけど、それをやらないでいる訳にもいかないと考えているんだ」

 真意が鈴芽に理解してもらえるかどうかなんてあまり思案しないで、でも、だからこそ限りなく本音に近い言葉を私は呟いた。

 鈴芽はそれ以上何も聞いてこない。

 もしかしたら、呆れられたのかも知れないな。でも、それならそれでいい。仕方ない。


 アパートが近づいてきた。灯しておいた玄関の灯りが、少し眩しいくらいに感じられる。

 私は振り返った。それから、鈴芽の顔を見る。

「どうかしました?」

 手元の懐中電灯の反射光と玄関灯の光が、その柔和な口元と鳶色の瞳を輝かせた。彼女は微笑んでいた。

「いや、何も。ただね」

 

 私は、思考をまとめ上げる。

 先刻の電話の内容。『婆さんが可哀そう』だと言ってた。つまり……主人の方は既に亡くなっている。恐らく病死だろう。自ら望んだ呪い。その精神への作用が肉体を蝕んだのだ。

 呪いはプラシーボと同様だ。逆に言えば、過剰なプラシーボの様な強い思い込みはもはや「呪い」だとも言える。

 鈴芽への「呪い」は私の「言霊」により解けた。それはただのプラシーボでもあったはずだ。なのに、


 彼女はあの紙を目にする前から、電話の音を聴いていた。


(「その電話にもし出ていたなら、あんたは鈴芽に何をした?」)

 私は背後の影を睨みつけた。

 歓喜に沸いた顔。猿を思わせる弛んだ頬と歪み上がった口元。

 纏った衣服こそ人間のものだが、その下にはきっと、狸の胴体と虎の手足、蛇の尾があるのだろう。


 そして、その得体の知れない影はこちらを見失った。

 最早、あれと私達との間には何の縁もないのだから当然だ。

 あとは、どこへなりと彷徨うがいい。


「ただ、明日がゴミの収集日で丁度良かったと思ったんだ」

「ああ、だからこっちの道を回ったんですね」


 懐中電灯だけを持った片手を見慣れたアパートの方へ向けて、私は歩いた。

 鈴芽と二人、高さの違う肩を並べて。

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