六の宿 「鵺返し」 その四
「良かった、もう元気になったんだね」
専門学校の教室で坂手瞳子ちゃんがそう言ってくれた。
「うん。ありがとう」
「はい、ノートのコピー」
「助かります……!!」
熱はしっかり下がって、身体の重だるさもなくなった。
朝、様子を見に来てくれた先輩に状況とお礼とを伝えると、「昨日の薬が効いたみたいならまたあげるよ」と言われた。受け取った小箱には大手製薬会社のロゴがしっかり印刷してあって、ああ、呪いがプラシーボってつまりこういうことだったのかと、私は膝からガクっと力が抜けてしまった。まあ、全然いいけど。
ただ私の回復とは別に、先輩の顔はまだ怪訝そうだった。
「鵺がね、まだ引っかかるんだ。呪符に『鵺返』と書く意味が、どうしても分からない」
と言って。
「……瞳子ちゃん、鵺って妖怪知ってる?」
私はダメ元でそう話してみた。坂手家の、蛇神様を祀る家の子なら、何か知ってることがないかもと思って。
「ぬえ? ああ……鵺ね。知ってるよ」
和風モンスターとしては漫画でもゲームでも定番だよねみたいな雑談を少ししたあと、瞳子ちゃんは言った。
「ちょうど変な話を、こないだ親戚から聞いたよ」と。
それは、こんな噂話だった。
***
坂手家の親戚筋、××家。五日宿内のその家には、老夫婦が二人で暮らしていた。
そこの主人は骨董品が大好きで、全国からいろんなお宝を集めてた。
中でも一番お気に入りだったのは、一枚の掛け軸。そこには一匹の妖怪が描かれていた。
妖美に、力強く。しなやかに、そして彩やかに。
鵺だった。京の都を恐怖に陥れたという、妖鳥にして雷獣。射殺されてなお祟ったと言われる正体不明なるものの、想像上の姿絵。
とある高名な絵師の最期の一枚だというそれを、その老人は殊の外大切にし、そして知人達にも広く自慢した。雑誌にさえ載ったとも。
それがある日、盗まれた。
狭い、人目の少ない田舎で起きた珍しい犯罪。目撃情報も得られず、警察の捜査は難航。
結果、犯人は今でも見つかっていないという。
老人は怒った。
犯人を許さない、絶対に探し出すと意気込んで、町内広報や地方新聞にまで情報提供依頼を載せた。懸賞金付きで。
しかしそれも実を結ばなかった。返って来たのは悪戯めいた偽情報や、いい歳してムキになるなといった旨の、嘲笑の声だけ。周囲からの反応はどこまでも非協力的で、むしろ敵対的だった。
老人は激怒した。日を追うごとに、その火勢は増すばかりだった。
手あたり次第に周囲の人間に詰問した。
『お前が犯人だろ!』
知人にも、親戚にも、毎日電話した。自宅の古い黒電話から、繰り返し繰り返し。
『お前が盗んだんだろ!』
『許さないからな!!』
と。
それが、ある日を境にぱったりと止んだ。
老人は言った。『もう諦めた』と。
『もうどうでもよくなった、怒りでどうかしてた。自慢ばかりしてた上に皆を根拠もなく疑ってた私が悪かった。反省する』と。
そして彼は、自分のコレクションを全て手放すことにした。
知人、友人、親戚は勿論、欲しいという人々全てに、自慢だった骨董品を無料か、格安で譲った。
そしていつの間にか、五日宿から去っていった。
***
「何ていうか、哀しい話だよね。本当の話かどうかは置いてもさ」
そう呟く瞳子ちゃんに、私は追って尋ねた。
「その骨董品たちって、全部処分……できたのかな?」
「さあ、でも処分するだけなら何とかなるもんなんじゃない? 最悪ゴミに出すとか、フリマで売るとかさ」
その時、ちょうど予鈴が鳴った。
「……鈴芽ちゃん? 大丈夫? まだ調子悪い?」
授業の準備を慌てて始めながら、瞳子ちゃんがそう言ってくれた。
「大丈夫だよ」
私はそう呟いた。
震えの走る手を、机の下でどうにか抑え込んで。




