六の宿 「鵺返し」 その一
音が聴こえる。
金属が金属に連続してぶつかる音。ぶつかり続ける音。鐘の音。ベルの音。
ジリリリリン。ジリリリリン。
電話の音だ。私は探す。音の出所を。電話機を。
実家の自室を出て、階段を下りてリビングへ。
あれ? でも家の電話は電子音だったはずだ。この音は、違う。
母方のお祖父ちゃんの家の電話の音だ。黒い、大きな、古い電話。
そう思った直後、私の視界は古い家屋の和室を映し出す。障子を開けて、廊下を進むと音は強くなった。
ジリリリリン。ジリリリリン。
この先に、確か、電話機が…………。
ジリリリリン。ジリリリリン。
リン…………。
音は、私が目を醒ますと同時に止んだ。
変な夢。どうせ実家の夢を見るなら、またあの道を二人で歩く夢が見たかったのにな。
額と背中に寝汗の嫌な感触が付き纏う。
暑い。
なのに、寒気もする。
時計を眺めながら熱を測ると、どっちの数字も微妙な値で、どうしようかと思案したけど、どうにも身体が重くて、私は結局起き上がるのを諦める。
それからまた、電話を探した。
あれ? 「また」?
既視感がある。何でだろう。
……まあいいや。電話、探そう。
散らばってるゴミや服や本とかを手で払いのけて、見つけた充電コードを手繰ると……あった。文明の利器、携帯電話。
登録されてる番号の中から「学校」を選んで発信。それから要件を手短に伝える。
「横沢です。すみません、今日は休みます」と。
通話を終えた電話を床に置いて、私はもう一度布団に横たわる。
すぐにもう一度寝付けるとは思わないけど、起き上がるのが億劫だから仕方ない。
薄く開けた眼で部屋を見渡した。五日宿の、自分のアパートの部屋。
先輩はどうしてるんだっけ? 大学はまだもうちょっと夏休みだって言ってたから、部屋にいるんだろうか?
部屋の外、真倉先輩の部屋の方へと行ける引戸に視線を向けながら考える。
会いたいな。呼んだら来てくれるかな?
でもこんな体調じゃ、お茶もろくに出せないし迷惑かけるだけだから止めとこう。
視線をまた、私は適当に移動させる。そしたら、何かが光って見えた。
鏡だった。
無造作に置かれた黒縁の古い手鏡が、窓から射す薄曇りの空の光を反射させていた。
六の宿 鵺返し
その鏡を買ったのは週末のフリーマーケットだった。
五日宿北集落内で唯一の商業施設「しんせん直売所」の、もう少し先にある公民館広場での、ちょっとした催し。
「私も去年は色々と掘り出し物を入手できたし、君一人でもちょっと覗いてみたらいいんじゃないかな」
別の予定が入っていた先輩は残念そうにそう語った。
私は暇だったので、言われた通りに自転車を濃いでその会場へと行ってみた。
おぉ。なるほど。それは中々盛大な催しだった。
どうも山向こうの別の集落や、麓の町からも物を売りに来た人達が集まってたらしく、それなりに広いはずのその敷地はシートやテントがびっしり並んで混みあっていた。もちろん、それらを買いに来たお客さんの数も多い。早朝から来て並んでたとか言ってる人もいるみたい。すごいな。
食べ物の屋台も色々出てたし、直売所のおじいさんも串焼きとか売ってたりしたので、私はまずそっちの方から回ってみることにした。
脂の乗った地元産牛肉の炭焼きをシンプルな塩胡椒で……ああ、優勝。
これだけでもう、来た甲斐がありました先輩……!
それから季節もののスイカや焼きトウモロコシやかき氷なんかを買ったり食べたり賞味したりした後、少しお客がばらけてきたみたいだったので、食べ物以外の売り物も見て回ることにした。
多かったのは服。それから本やCDや雑貨。それに民具や農具。
古本や古民具は先輩の分野で、欲しがりそうなのも色々見たけど、私にははっきりと判断がつかない物ばかりなので残念ながらスルー。ああ先輩、来たかっただろうな。
でももしかして、そういう何か古いものの中に私が自分で気に入るものとかが無いとも言い切れない。時間もあることだし、私はできるだけ丁寧にそれらを見て行くことにした。
お金はあんまり残ってないけど、それでも何か一つくらい……。
あ、
「十円?」
思わず私は呟いた。顔を向き直して、もう一度その、立ててある札を読む。
『どれでも十円』
確かにそう書かれていた。そして札の奥のスペースには、壺や掛け軸やお皿なんかの骨董品がずらり。
どれも奇麗な、あるいは落ち着いた装飾の入れられているものばかりで、しかも埃とか被ってるようにも、大きな傷とかがあるようにも見えない。ちゃんと手入れされてるものばかりに見える。なのに、
「これ全部、十円なんですか?」
と、私は自然な疑問をその場所にいた人に投げかけた。
「……んあ?」
その人はそう言って、面倒くさそうに髪のない頭を掻く。
「そう書いてあるってこたぁ、そうなんだろうよ」
あくび交じりにそう続けながら、その六十歳くらいに見える、作務衣をだらしなく着た男性は立ち上がると、懐をごそごそし始めた。
え? 何? どういうこと?
状況が微妙に飲み込めないままの私を無視して、男性は懐から年季の入ったお財布を取り出すと、十円玉を一枚取り出して隅に置いてあった小さなカゴに投げ入れた。
とす、という小さな音がして、カゴの中に十円玉が無事に収まったのを横目でちらと見るだけ見ると、男性は小さなお皿の入った箱を一つ手に取って、その場を立ち去った。
……ああ、この売り場の人じゃなかったのか……。
勘違いを少し恥ずかしく思いながらも、売り場の奥の方で身をかがめてる人を見たら、それくらい誰だって間違うだろうなと、私は気を取り直す。それから、もう一度その売り場を見回した。
どれも、奇麗だ。
骨董品の価値なんか全然分からないけど、どの品もすごく「ちゃんとして」見えた。
価値があるのかないのかなんかももちろんさっぱりなんだけど、でも十円なら損もないだろうし、どれか買わせてもらってもいいのかも知れない。
私は自分のお財布を開けてみた。小銭入れのポケットに、十円玉がちょうど一枚だけ鈍く光って見える。なら、何か一つ…………えーっと…………あ。
「これ、いいかも」
小さな黒い縁の、漆塗りの手鏡がひとつ。
敷かれた和紙の上に置いてあるのが見えた。
***
ジリリリリン。ジリリリリン。
また電話の音だ。
今度は前より近い。
ジリリリリン。ジリリリリン。
『今度は前より』……? 前にもこんなこと、あったっけ……?
私は電話を探す。違う。実家の電話じゃない。
お祖父ちゃんの家の黒電話……でもない。
だってここは、五日宿だ。私のアパートの部屋なんだ。
こんな古びた、けたたましい金属音じゃないはずだけど、この部屋で鳴る電話なら私の電話しかない。携帯電話だ。
ジリリリリン。ジリリリリン。
ジリリリリン。ジリリリリン。
ジリリリリン。ジリリリリン。
ああもう……どこに置いたっけ?
散らかった色んな物が邪魔で、見当たらない。早く、早く電話に出たいのに。早くこの音を止めたいのに。
…………あ、
……ああ…………、
あった。みつけた。
……これで、やっと見つかる…………あの…………
「こんな鏡、持ってたっけ」
「……………………えっ?」
私は目を開ける。
「あ、ごめん。眠りかけてたかい? いいよ、そのまま寝てて」
「い……いえ。ごめんなさい。ちょっとまた、ウトウトしちゃって……」
頭を振って瞬きしてから、顔を持ち上げた。その視線の先には、先輩。
黒い鏡の方に身体を向けて座り、黒い髪を少し垂れ下らせてこっちに顔を向けている真倉先輩の丸い瞳が見えた。