四の宿 「五怪談」 その一
一つ目、校舎の北側の古い花壇。そこは何を植えても育たない、死の花壇。
二つ目、体育館の地下。そこには誰も知らない隠し部屋がある。
三つ目、職員室前の使われてない水道。栓を捻ると蛇口から血のように赤い水が出る。
四つ目、「校長」と呼ばれる岩。初代の校長が、そこからいつも生徒を見ている。
五つ目、旧校舎の放送室。入ると呪われる。
「その五つ?」
私は尋ねる。
「うん。怖い?」
「怖くない!!!」
明くんの問いに私が答えるより速く、奈津美ちゃんがそう叫んだ。
「ナツ、声が大きいよ」
隣に座った先輩がたしなめる。あ、目が怖い。ちょっと本気で怒ってるかも。
「ごめんなさい……」
シュンと下を向いて小さく謝る奈津美ちゃん。
「それにアキもスズも、ナツの宿題の邪魔だから終わるまでは少し離れてて欲しいな」
「「ご、ごめんなさい」」
私と明君も声を揃えて謝る。なるほど、先輩の方がこの子たちとの付き合いは長いはずだけど、微妙に距離を感じるのは先輩が怖いから……なのかも。
私と明君は居間の敷居を越えてダイニングテーブルへと移動した。
「そうだねぇ……いわゆる七不思議っていうのと違って、五つの怪談っていうのは面白いと思うし、ストレートな怖さはあるかもね」
気を取り直して、さっきまでの話を続ける。
「……で、奈津美ちゃんはそういうの苦手なの?」
「……まあね、ムキになって怖くないって言うけど、本当はメッチャ怖がってるよ多分」
少し顔を寄せて小声で囁きあう私達。しっかり日に焼けた明君のほっぺに西日が照り返って、黒く光って見えた。
五怪談。それは明君と奈津美ちゃんが通う小学校に伝わってる怪談噺だ。五日宿の名前にちなんだのか、五つの小さな怪談で構成されてて、生徒たちは高学年に上がる頃までには上級生や、先に話を聞いた同級生たちから直接口伝で教えられて、嫌でも知る事になってしまうらしい。
「明君は怖くないの?」
「少しは怖いよ。だってやべーじゃん。死ぬとか呪われるとかって、オバケじゃなくても何かあるってことかも知れないし」
「ああ、まあ確かにね」
普段は奈津美ちゃんの方が大人びて見えるけど、意外と明君もしっかりしてるとこあるのかも。私は正直に感心する。
「で、何でこの話をスズ姉に聞かせたかっていうと……」
「……? え、何?」
急に明君が声のトーンを落として目を逸らす。怪談を聞かせた理由? 単なる話のネタとかじゃないの?
「えっと……つまりその……これから学校に行かなきゃいけないんだ。だから、着いて来て欲しいっていうか……お願いします」
「え……あ、はい?」
私は、急にそんなことを言われて目を丸くする。その目で時計を見た。短針は5時を指している。
「何か忘れ物とかなの?」
「図書室の本がいるんだ。読書感想文で、図書室から一冊借りて読んで、その感想書くってやつ」
「えっでもさ、それなら奈津美ちゃんも借りてるんでしょ? 同じ本読んだらいいんじゃない」
「それが……」
そう言って、明君は双子のお姉ちゃんの方を見た。視線に気づいたのか、奈津美ちゃんも目線を上げる。こくりと頷いて見せる二人の顔は、やっぱり双子だからかよく似てて、そして表情までなぜか同じだった。
「つまり……」
奈津美ちゃんも、本を借りるのを忘れている。そういう事らしかった。
四の宿 「五怪談」
小学生も専門学校生も大学生も、夏休みっていうものがある。でも学業を終えて社会へと出た大人には丸一日の休みというのはなかなか訪れないもので、大家の春香さんから今日は夜まで子どもたちを見ていて欲しいと頼まれていた。見返りは大奮発の「家賃10%オフチケット(※他サービスとの併用不可)」。二つ返事で「やります」と答えたのは真倉恋先輩だったのだけど、当の子どもらは「スズ姉遊んで―」と私の部屋の引戸を叩くから結局私も駆り出されてしまっていた。まあ全然いいけど、予定とかなかったし。
「カギはいいの?」
「いいよ。この辺の家でカギとかかけてるとこなんか、ないでしょ?」
「そうだけどさ」
アパート借りたときも「カギは適当で大丈夫」って大家さんは言ってたっけ。不用心というか大らかと言うべきか。奈津美ちゃんとそんな話をしてると、明君も自転車を回して来る。
「恋姉は?」
「学校に電話してただけだから、多分そろそろ……あ、来た。せんぱーい」
私が手を振ると、その小さな可愛らしい人影も軽く振り返してから、坂を降りて近づいて来た。赤い自転車をかたかたと揺らしながら。
「お待たせ、じゃあ行くかな」
「はい」
そして私達四人は出発した。山の中腹にあるという、二人の通ってる小学校へと。
「スズは留守番してても良かったのに」
「いえ、乗りかかった船だし、付き合いますよ」
「……悪いね」
「いえ、そんな」
先輩には見抜かれたかな。私のお節介。
今日丸一日、四人で一緒にいてつくづく思ったのは、先輩が子どもの扱いを微妙に苦手としてるって事だ。ううん、苦手っていうのとは違うかも知れない。もっと端的に、言葉を選ばずに言うなら、
先輩は小さい子を、ほんの少しだけ嫌ってる
そんな風にも思えてしまっていた。
とは言っても、別に四六時中小さい子を目の敵にしてるってわけじゃなくて、行儀よくしてる子には優しく接するし、冗談を察して笑ってあげることもできる。だけど、何か悪戯めいたことをした子には、容赦がない。それがどんなにささいな、子どもだからどうしてもやってしまう悪気のないおふざけでも鋭い目と声とで正論を言って諭すし、ちょっとした子どもらしい口の悪さや大声にも、反応が少し過敏すぎる気がする。
だから奈津美ちゃんも明くんも、先輩と一緒にいる時はどこか緊張してるように見えてしまって、できるだけフォローしてあげたいって、つい思っちゃう。
二人の小さな子たちのこともだし、先輩自身のことも。
「あ……れ……?」
そんな事を考えながら私は自転車のペダルを漕いでいた。普通に、何となく、いつも通り漕いでたはずだった。なのに
……重い。
すごく……ペダルが……重い!!
「ここから坂がきつくなる。慣れてないとかなり大変だから覚悟してくれ」
え? ……これからまだ……キツく?!
「スズ姉、大丈夫? 坂、まだ長いよー?」
奈津美ちゃんが心配してくれる。先頭を走る明君と私との距離は、いつの間にかかなり開いていた。
「が、がんばるっ!」
あああ、この坂の急勾配っぷりと長さは想定してなかった……!
なら、さっきの先輩の「悪いね」っていうのは、別に深い意味なんかなくて、単純にこの道の過酷さを先に教えてなかったからとか、そういう意味、だったのかも……!
「はぁっ……はぁっ……つ……着いた?」
「うん。お疲れ、スズ姉」
「初めて登ったにしては、すごく頑張ってたよー」
「ああ、よく頑張ったね」
明君、奈津美ちゃん、それに先輩が口々に褒めてくれた。あ、あはは。
あーもう……。何か、さっきまで考えてた事とか忘れちゃったな。まあいいや。
坂を登り終えた先には少しだけ開いてる門があって、私たちはそこを自転車に乗ったまま抜けて行った。視界が少し広がる。そんなにだだっ広いわけじゃないけど、山の斜面に視線を押さえこまれてたような感じから解放される程度には、その場所は開けて見えた。ちょっとした遊具と花壇に彩られた、小学校の校庭。その奥には二階建ての立派な校舎と、同じく二階建てだけどかなり古びた木造の校舎が並んで建っていた。私たちはその左側、立派なコンクリート造の校舎へと向かった。
「「すいませーーーん。きましたーーーー!」」
職員室らしい、通用口のある部屋の前で、奈津美ちゃんと明君がそう声を揃えて言うと、少しして、なんだか眠そうな目をした女の人が出てきた。
「あー、兔峠さんたち。それに付き添いの方ね。すみませんねぇ、わざわざ。大変だったでしょう」
「あ、いえ。それほどでも」
「さあ二人とも、図書室へ行きますよ。借りる本は決めてるんですか?」
「あー……えーっと……」
「何でもいいんだよね? だから……」
先生からの問いかけに、奈津美ちゃんも明くんも言葉を濁す。
「決まってないんですね? ……はい分かった。じゃあ今から選びましょう。……すみません、ちょっとここでお待ちになっててください」
「あっいえ、すみませんこちらこそ。大丈夫です」
そんな会話を交わしてから、二人は先生に連れられて校舎へ入って行った。
何だ、私たちはここで待つのか。まあそうだよね。
明君が怪談を話して「着いてきて」って言ったときは、暗くなった校舎に私も入って行くんだろうかって想像しちゃってたけど、そもそも部外者が勝手に入っていいはずもないし、夏休みだからってこの時間に完全に無人ってわけでもない。通学時間外の山道には大人の付き添いが必要だろうけど。
何となく空を見上げる。西の方の山の端は赤く染まってて、濃い雲が所々に散ってその光も遮られがちに見えた。まだ十分明るいけど、あんまりゆっくりしてると帰る頃には暗くなってるかも知れない。
「あの二人の様子だと、本を選ぶのも結構かかりそうですね」
「そうだね。逢魔が刻くらいにはなりそうだ」
「え?」
先輩、今何て?
「おうまがとき?」
「うん。聞いたことないかな? 昼と夜の境の時間だよ。日が落ちて、でも完全には闇夜が訪れていない頃。暗いけど暗くない。明るいけど明るくない。そんな時間を『逢魔が刻』って言うんだよ。逢瀬の『逢』と悪魔の『魔』と書いて、逢魔。つまり『悪いものに逢ってしまう』のは、この時間が多いらしい」
世間話のように先輩はそう言った。
「アキが言った怪談にも丁度良い時間なのかもね。彼は怖いから話したって言ってたけど、多分、怖いもの見たさ的な、そういう興味もあって君に話したかったんだろう。でも実際は」
そう言いながら先輩は胸の前で人差し指をつい、と前へ向け、
「コンクリートの立派な校舎に電灯が光っていて、見守ってくれる大人もちゃんといる。悪いものなんか出そうにない空気だ。……この校舎に関して言えばね」
と、言葉を続けた。
「せんぱい……?」
私はその横顔を覗く。黒く丸い瞳に、白い電灯の光が映り込んで見えた。
あ……もしかして……!
「何か……視えてるんですか?」
私は声を低くしてそう尋ねた。同時に、自分の左右と背後を見渡す。もちろん、何もおかしなものなんか見えない。私の目には。
「え?……ああ。いや別にそういうわけじゃいないんだ。怖がらせてしまったならすまないけど。ただ」
先輩は淡々と答える。顔色も声音も変えずに。
「少なくともここは、君や子どもたちが恐れる必要なんかない場所だと言いたいだけなんだ。だから心配はいらない。君はここにいたらいい」
「え……あの。先輩?」
不意に、先輩は回れ右をして歩き出した。可愛い夏用のサンダルが、ざりっという軽い音で地面を擦る。続けて、
「すぐ戻るから、待ってて」
と、澄んだ声が響いた。
「どこ行くんですか?」
「ちょっとね。散歩みたいなものだよ」
「なら、私も行きます!」
反射的に、本当になぜだか反射的に私はそう言っていた。
待ってなさいって言われたのに。
すぐ戻る、心配いらないって言ってたのに。でも。
「いいよ。じゃあ、おいで」
ほんの少しだけ間を置いてから、先輩は振り返ってそう言ってくれた。
笑顔で。
「仕方ないな」って、言葉じゃなくて目で言ったような、そんな笑顔に見えた。