第1章:「恋する女神」
女神が人間に恋をしたとき…
結果は予想外かもしれない。
第1章:「恋する女神」
――水野レン――
野良猫と忘れ去られた石像が、自分の死と関係しているなんて、そんな話をされたら笑っていただろう。
でも、実際にそうなった。
すべては、公園近くの廃れた神社から始まった。ある日、野良猫を追いかけていて、草に覆われた小さな神社を見つけたのだ。そこは忘れられた場所で、苔だらけの穏やかな微笑みを浮かべた少女の石像がぽつんと立っていた。初めて見たとき、なぜか足が止まった。
「誰が彫ったんだろうな……」袖でほこりを払いつつ呟いた。「すごく綺麗な顔だ。こんなふうに放置されてるなんて、もったいないよな」
近くにいた白猫が「ニャー」と鳴き、まるで同意しているようだった。
その日から神社を訪れるのが日課になった。像を掃除して、小銭を供えて、猫が足元でゴロゴロ喉を鳴らす――そんな時間が心地よかった。
……あの日が来るまでは。
猫が神社近くの曲がった木に登り、降りられなくなった。必死に鳴いているのを見て、考えるより先に体が動いた。木に登り、猫を助けて……その直後、世界が回った。
「マジかよっ!?」――それが、俺の最後の言葉だった。
地面に激しく叩きつけられる音が響いた。
最後に見たのは、猫が俺の頬を舐めている姿だった。まるで、生き返らせようとしているかのように。
...
...
「起きて、レン!」
優しい声が、虚無の空間に響いた。
目を開けると、そこは暖かくて優しい空間だった。目の前には、すぐに目を引く女の子が立っていた。銀色の髪、桃色の瞳、白いドレス、そして頭の後ろには光り輝く輪のようなものが浮かんでいる。
「……天使、か?」
俺はぼんやりと尋ねた。
「あなたに会えて本当にうれしいの!」彼女は勢いよく抱きついてきた。「……いや、“会えた”って表現が合ってるかわからないけど、まぁ細かいことはいいよね?」そう言って、さらにぎゅっと寄り添ってきた。
「は? いや、ちょっと待って。何が起きてるの? 最後に覚えてるのは、事故にあったことだけど……」
「あっ、ごめんね!」彼女は少し離れて頭を下げた。「自己紹介がまだだったね。私の名前はプリン。善き魂を二度目の人生へ導く存在の一人。女神……みたいなものかな?」
つまり――俺は死んだってことか。
「あなたは事故にあって、命を落とした。でも、私がここに連れてきたの! どうしても、あなたに会いたかったから!」
「ちょっと待て! 話が早すぎる! “会いたかった”って、どういうこと?」
「あなた、私のこと『綺麗』って言ったでしょ!!」彼女は俺を指差して叫んだ。「それに、あの子猫を助けたの! 本当にヒーローだったよ!」
……そんなこと言ったっけ? でも……この顔、どこかで見たような……
「まさか……神社の像って、お前だったのか?」
「そうだよっ!」彼女は嬉しそうに微笑んだ。「あなたが掃除してくれるたびに、私の心臓がドキドキして……これって、絶対に運命だよね!」
運命……か。
「ねぇ、レン」彼女は顔を赤らめながら近づいてくる。「魔法と冒険に満ちた新しい世界で、新しい人生をあげる。でもね……」
彼女の表情が急に険しくなった。
「きっと、あなたを奪おうとする可愛い女の子たちがたくさんいるはずなの」
……背筋が寒くなった。
「いや、感謝はするけどさ……普通に天国とかはダメなの?」
「ダメーっ!!」彼女は俺の頬をぎゅっと掴んで叫んだ。「いい? 神の祝福と最初のアイテムはちゃんとあげるけど、一つだけ条件があるの! 誰にも“祝福を受けた”ってバレちゃダメ!」
俺が何か言おうとしたその瞬間、背後に光のポータルが現れた。
「それとね~」彼女が耳元で囁く。「私はあなたの女神で、未来の奥さんだから……他の女の子に近づくのは禁止!」
「え、ちょ、ちょっと待――なんだそれ!? 意味わからん!」
「もう時間がないよ~!」プリンは叫びながら、俺をポータルに押し込んだ。
...
……これは、本格的にヤバいやつかもしれない。
...
森の中で目を覚ました。ポケットにはコインの入った袋。そして服装も見慣れないものになっていた。
「……本当に異世界ってわけか……」顔をこすりながら呟いた。
――二週間後。
プリンの話はどうやら本当だった。
俺は異世界に転生していて、見た目も年齢も前世のままだった。それもきっと、彼女の仕業だろう。
調べてみる限り、この世界は俺が昔観ていた異世界アニメによく似ている。王国やギルド、社会階級のシステムなんかもある。
今俺がいる街は「ルミス」というところ。そこまで大きくはないが、インフラもしっかりしていて、商業も盛ん。人も多く、多種多様な種族が暮らしている。どうやらこの街は、そこそこ重要な都市らしい。
一通り状況を理解した俺は、危険や面倒ごとに巻き込まれず、目立たずに静かに暮らすと決めた。
……ただ、一つだけ問題がある。
金がない。
プリンがくれた初期資金も、宿代や食費ですぐに底をつく。突如現れた存在だから、身分登録もされておらず、仕事もできない。
現実的な選択肢は――冒険者ギルドへの登録だ。
そこで一から登録し、簡単な依頼をこなして、身分証明書も手に入れる。
スライム退治とか、素材集めならできそうだ。うん、それがいい。
...
計画を立て、俺はギルドへ向かった。
中は剣士や魔導士でごった返していた。新顔の俺は明らかに浮いていた。とにかく、早く済ませたい。
まずは適性検査を受ける必要があった。渡された規則書によれば、新人冒険者は全員Dランクからスタートし、実績によって昇格していくらしい。
ベテランが簡単な仕事を独占しないようにする仕組み。悪くない。
「水野レンさん?」
受付嬢に呼ばれ、検査へ。
「こちらの球体に手を置いてください。結果が出るまでお待ちください」
言われた通りに手を置くと、球体が……眩しいほどに光り出した。
ざわめきが広がり、ギルド内の冒険者たちが興味津々で集まってくる。
「え、Sランク……!?」受付嬢が青ざめた声を出す。
「うん、すごいよね? ハハ……」俺は引きつった笑みを浮かべる。<これもプリンの仕業か……?>「あの、ランクって……下げられます?」
「無理だ!」カウンター奥のドワーフが叫んだ。「Sランクってのは“象徴”だぞ! 昨日買ったパンみたいに返品できねぇ!」
……あのドワーフの言う通りにするか。さよなら、スライム狩りで稼ぐ予定……
唯一の救いは、Sランクの依頼は報酬が高いこと。……こなせれば、の話だが。
...
問題点:
受けられる依頼はただ一つ――「氷底の竜の討伐」
Sランク2名以上のパーティーが必須。
この国にSランクは他にいない。
「……ってことは、俺は何もできないってこと?」目をピクピクさせながら尋ねた。
「その通りです」受付嬢は気まずそうに微笑む。「でも、最初からSランクなんてすごいですよ。本当に。でも今は……他にSランクがいないんです」
「なるほど……」ため息。
「でも、落ち込まないでください! また来てみてくださいね。もしかしたら、仲間になれる人が現れるかもしれませんよ」
「……ありがとうございます」
ギルドを出る頃には、俺の噂があちこちで広まっていた。
...
――一ヶ月後。
この一ヶ月、毎日ギルドに通っているうちに、なんだか人気者になってしまった。
いろんな冒険者と話すようになったし、受付嬢ともたまに会話する。彼女は優しくて感じのいい人だ。……でも、距離を詰めすぎると、何か起きそうな気がする。
そんなことを考えていたとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
「そこどけ、雑魚どもッ!!」
怒号が響いた。
オレンジ色の鎧をまとった少女が列をかき分けて突入してきた。アーモンド色の髪を三つ編みにし、目はナイフのように鋭かった。……気のせいか? 彼女が現れた瞬間、空が曇ったような……
「何ジロジロ見てんのよ」彼女は腕を組んで睨んできた。
受付嬢がそっと囁く。
「あの人はマヤ、“琥珀の炎”って呼ばれてます。先週Sランクになったばかりですけど……協力プレイは大嫌いなんですよ」
マヤは俺をジッと見つめてきた。
「この街にSランクがいるって聞いたけど……あんたでしょ?」
「そうだ」
「ハッキリ言っとくけど。パーティー組む気はないから。他人と一緒に動くつもりは一切ない」
「それはちょうどいいな」俺は挑発的に微笑んだ。「俺もお前と組む気はないから」
彼女の眉がピクリと動いた。その瞬間、遠くで雷が鳴った。
……この女……絶対に面倒くさい。
――お前とはチームを組まない!――マヤは吠えた。
――完璧だ!――レンは笑った。
その瞬間、二人は理解した。
この出会いが…すべてを変えるのだと。