第9話、儀式
悶々としながらも朔の日が来た。この日未明、月に一度の告朔の儀式がある。
長い祝詞を朗々と夜燈が述べる。尚王は土を盛った壇を前に座っていた。三つの壇はそれぞれ尚王以前の三代を表す。勇王、豊王、團父だ。尚王の斜め後ろには夜燈。さらに後ろに祭儀官が並んでいる。告朔とは、祖霊に月の始まりを告げ、先月の結果と今月の予定を報告する儀式である。万事滞りなく進むようにと祈願する。
本来、王であり祖霊の子孫である尚王が主として儀式を執り行うべきだが、進行を夜燈が代行している。
「――恐み申す」
澱みなく紡がれていた夜燈の祝詞が途切れた。その言葉は詩のように流れては朔の夜空に消えて行った。日の出前、星の光と松明の灯りだけが儀式を見守っている。
祭儀官が一頭の羊を連れてくる。太った大きな羊だ。それを壇の前で殺し、その首を切って流れ出る血を受ける。細工の施された吉金の器に注がれた血を取り、尚王は一度壇に注いだ。それから血に口をつける。まだ生温かい。ねばっとした血はしょっぱいような生臭い匂いを纏わせて喉へと入っていった。
これは贄、犠牲だ。かつて黎華では豚を、皓華では牛を主に使ったそうだが、この華では羊が使われることが多い。もともと豚や犬が使われていたが、皓華は大型の牛や馬を使うようになった。もちろんこれは負担が大きい。育てるのが大変なほど、天は喜ぶと考えたようである。しかし赫華ではこの大規模な祭祀を無駄遣いと捉えたようだった。
ともかくも、羊は一息に殺され、血は地と人に染み込んだ。続いて羊の体は裂かれ、それぞれ定められた穴に入れられる。土を被せ、塚にし、ここでもまた祝詞が唱えられる。座した夜燈が高らかに謡いあげる、そのはずだった。
祝詞がぶつりと途切れた。尚王が後ろを向けば、夜燈は胸を押さえてうずくまっていた。祭儀官が身じろぐ。動揺しなかったわけではない。しかし、それより祖霊に無礼があってはいけない。霊とは子孫を守るものでもあるが、同時にとても恐ろしい鬼神でもある。尚王は壇に向き直ると、厳かに口を開いた。
「かけまくも畏み祖霊に聞こしめせと申し上げる。本日、朔より――」
何年も夜燈の祝詞をすぐ近くで聞いてきたのだ。このくらい、何も見ずとも暗唱できた。祖霊を祀り、今月の予定を述べ、つつがなく終わるようにと祈る。最後に深く地に頭をつけるほどの礼をし、儀式を終える。
……やはり夜燈が狙われたのだろう。しかし、俺を邪魔だと思っているにしても、誰かに殺されるのは気分がわるい。むざむざと殺されてよいはずがない。たとえそれが夜燈が買った恨みだとしても、尚王が王である以上、王城での暗殺を許すわけにはいかない。大舟が処断されて欲しくはないが、だからと言って夜燈が死ぬのも嬉しくはないのだ。
「ありがとうございます」
夜燈は祭儀官に支えられて退出した。顔色は悪くない。今はすっかり立ち上がり、歩けるまでになっていた。一時的なものだったようだ。夜燈は自分が倒れたことよりも、尚王が祝詞を続けたことのほうが驚いたらしい。尚王の顔を見るなり、安堵したように礼を言ってきた。
「きちんと覚えておられたのですね」
「王としての務めを果たすことは当然だろう?」
「ご立派になられました。まだまだ小さいと思っておりましたのに」
「そんな……もう十四だぞ。このくらいできる」
夜燈は小さな子が初めて歩いたのを褒めるように言うので、尚王は苦い顔になった。まるで赤子のように扱われると腹が立つ。
「そうですね。もう私がいなくても大丈夫でしょう」
ほっとしたように言った夜燈。珍しくまっすぐに褒められて調子が狂う。
「ともかく、叔父上。調子が悪いなら医師を呼べ」
「……はい」
やはりすぐに殺すつもりはないようだ。……毒を使ったやつは、夜燈に何かを伝えたいのだろうか。