第2話、宴
衡大公こと義忘希は、尚王の祖父、父を助け皓華を倒した重臣である。先の勇王の妻、つまり雅妃の祖父であり大公の称を贈られ北方の大国、衡に封じられた。都からは離れているが、太師として王の補佐をしている。その上、北の異民族を抑えるため軍事に力を入れている衡は、華国にとって重要な地位を持っていた。
そういうわけで、衡大公が都に参上すると王自ら迎えもてなすのである。夕刻、着替えた尚王は、衡大公と宴を催すことになった。とはいえ公のものではなく、王の身内としてのものである。尚王からすれば衡大公は母方の曾祖父であり、夜燈ほど距離が近くないため気楽に話すことのできる相手であった。
離宮に敷かれた上等の筵の上に座り、案を前に食事を待つ。中央に尚王、その左に客人の衡大公、右に仲燿、下座に夜燈がついた。太華では左上位と右上位が王朝により異なっている。赫華の時代は左上位だったとされているが、本当のところはよくわかっていない。ともかく、左上位だとすると衡大公は王の左側に座ったはずである。
その中央には大食案があり、給仕がついて食事を取り分ける。
「尚王様。息災でなにより」
「太師も変わらず元気なことだ」
衡大公はもう八十を過ぎている。それにもかかわらず、しゃんとした出立ちで礼をとった。夜燈が「あのかたは仙人ではないか。でなくば……」と呟いていたのを聞いたことがある。仙人というのは黎華の時代にいたとされる不老不死の人間のことだ。気というこの世界に満ちる力を操り、万事の釣り合いを取り、滞りなく流転させることで不思議な術を使うという。
御伽話もいいところだ。衡大公だって十五年前より確実に歳をとり、いずれ死ぬ。
「太傅がうるさくてかなわぬ」
「はは。夜燈様は昔からそうでした。よく泣いては兄君――尚王様の父君ですな、その後ろに隠れる子でした」
「太師……」
余計なことをと夜燈がわずかに眉をひそめた。三十も半ばになる夜燈を赤子のように語るのは、さすが祖父の代からの重臣といったところだろうか。祖父の太師であり、皓華を倒した父や夜燈の教育もしていたというから頭が上がるはずもない。返す言葉をなくした夜燈を見るのはなかなかに面白かった。
欲のない気の良い老人のように見える衡大公は、その情報を武器に皓華を滅ぼし、彼の一族の恨みを晴らした。義の一族は皓華では最下層であり頻繁に神への贄として殺されていたからだ。祖父は皓華の儀礼を廃し、彼の捧げる酒や穀物などの供物こそ神の求めるところであるとして皓華を滅ぼす名目にしたのだった。……これも夜燈から聞いた話だ。
「では」
尚王は客人に酒を注ぐと起立して平たい玉の杯を掲げた。最初は神に捧げる。それからひと息に飲み干すと、衡大公もならって口をつける。それに次いで夜燈が。これも礼儀と言えるのだが、仲燿は水を好きに飲んでいた。仲燿は王弟ではあるが、王城において「なにもわからない」やつだと見なされている。
「やれ、歳をとると酒がききます」
そう言って衡大公は爵をもち、温められた酒を尚王の杯に注ぐ。酒には種類があり、米酒、黍酒、高粱酒、大麦酒、果酒などがある。客や料理によって使い分けるが、此度は米酒であった。北方では米が取れないため、衡大公は都の米酒が楽しみだと語っていたらしい。それを聞いて夜燈が選んだものだろう。
「酒は百薬の長ですが、飲み過ぎれば害になりますから」
「ああ。では、薬になるだけ飲むことにしよう」
まず猪肉の細い膾、それから炙った川魚に魚醤のタレ、牛肉の羹。出されると、まず小皿にとって床に置き、神に祈って食す。箸とはこの時代取り分けるためのものであり、王であっても手と匕で食べていたという。ともかく、そういう風にして宴は進んで行った。
蒸飯の後に蜂蜜を絡めた蓮根を食べながら、尚王は夜燈と衡大公が話すのをぼんやりと見ていた。本来は主人たる尚王が世話をすべきだが、夜燈が代わっている。政治の話は俺に言うより夜燈のほうがいいのだろう。
……俺は王であるのに。決めるのは全部大宰である夜燈で、俺は王として何もしていない。なにもしていないのに王であることばかりを求められている。俺が王としている意味はあるのだろうか。夜燈が尚王を廃そうとしているとの噂を思い出し、軽く首を横に振った。
「燿、食べてる?」
「ん」
仲燿は夢中で蓮根を食べていた。兄のことなど眼中にないようだ。そう言えば、夜燈はあまり食べていないな。食事にも礼節を要求する彼のことだから、貪り食うのはよろしくないと言うのだろうが、それにしても最初によそわれた分しか食べていないではないか。そう思って見ると、このところ痩せたような気がする。
「おや、いかがなされましたか」
「うん? なんでもない。太師は存分に食べたか」
「はい、十分いただけましたこと天子様に感謝いたします」
衡大公は快活に笑って見せた。老いなど感じさせない、あと十年はこのまま生きるのではないかと思える顔だった。