新しい家族
その頃、エレンは悩んでいた。
十二歳になったエレンは大きな変化を迎えていた。
父が離縁される予定の伯母をうちで引き取りたいと言い出したのだ。
父は五男一女の六人兄弟の五番目で、伯母は一番目だ。彼女は早くから王宮に勤め、たくさん仕送りをしてまだ幼い弟たちがいる実家を援助してくれていたらしい。
エレンは父の兄弟にまともな人がいたのだと衝撃を受けていた。
父の兄弟と言えば、長男で男爵をしている例の伯父を筆頭にろくなもんじゃない面子が揃っている。
元王都の騎士を詐称して、リンデンバウムで雇えと暴れたのは次男だった。
正しくは騎士団の事務方で、立場を利用した横領をして指名手配されていたので、父が速やかに突き出した。
医師を詐称して主治医になってやると言ったのは三男だ。
彼は以前、別の領で資格もないのに医師として働き、まずいことに領主の縁者を過失で死なせてしまったらしい。
ズュートに逃げて来たが匿う父ではない。前いた領にお戻りいただいた。
深夜に十歳のエレンの寝室に侵入しようとしたのは五男だ。
我が家の騎士たちが敷地に入る前に拘束したので、エレンは一切会っていないし、どんな目的で侵入したのかは知らない。
ただ、その時の父は祖母より怖かった。
正直、真面目に男爵をやっている伯父がましに見える。何故まともに働かないのか。
ちなみに父は婿入りする前は王宮で文官として働いていたそうだ。
伯母が女官で、父は文官になれたのなら同じ環境で育った伯父たちもなれそうなものだが、違うらしい。兄弟は不思議だ。
弟たちがことごとく犯罪に手を染め、伯母の苦労も報われない。
その苦労人の伯母は、女官時代に今の王妃殿下に仕え、大変信頼されていたそうだ。
そのおかげで男爵家の四男の父が伯爵家のひとり娘の母に紹介して貰えたのだ。
つまり、伯母がいなければエレンは生まれなかった。
父はとても伯母に恩義を感じている。
そして、結婚後、伯母を襲った苦難に憤慨している。
伯母は有り体に言って、行き遅れであった。年下の兄弟が大きくなるまで働きづめだったのだから仕方がない。
その伯母に求婚する男が現れた。
相手は十も年下で、しかも公爵家の嫡男であったそうだ。男爵令嬢の伯母には破格すぎる相手だった。
末の弟と同じ年の青年に口説かれて、伯母は大いに戸惑った。しかも公爵家の嫡男である。
遊ばれていると流していたが、熱烈な言葉に絆されて、ついに求婚を受け入れた。
それが伯母の夫、カスターニエ公爵令息である。
未だに爵位を受け継いでいないので令息のままだ。
彼との結婚は今まで苦労してきた伯母へのご褒美とはならなかった。彼の愛の言葉は偽りだったのだ。
伯母は、王妃の信頼が厚く、とても仕事ができる。カスターニエ公爵家はその人脈と能力が欲しかったのだ。
アインホルン王国には公爵家が三つある。ヴァルヌス、ファイゲ、カスターニエだ。いずれも王族を祖とし、何度も王族と結婚し、準王族として血を守ってきた。
しかし、カスターニエ家はここ五代は王族と縁を結ぶ機会に恵まれていない。
しかも今の公爵夫人は平民育ちの男爵令嬢で、現公爵は周囲の反対を押し切り、当時の婚約者と婚約破棄をしてまで彼女と結婚した。
その行為そのものも評判を落としたが、その後の公爵夫妻の行いがよくなかった。
欲のままに贅沢をし、身分にふさわしい振る舞いを覚えない公爵夫人とそれを許す公爵。生まれた息子の行状も悪く、他の貴族に遠巻きにされるようになった。
贅沢のせいで資産は年々目減りし、カスターニエ家は他の二家に何もかもが劣る状態になってしまった。
そのことに焦りを覚えても、まともな貴族には避けられている。カスターニエ公爵令息は王女の求婚者のひとりだったが、彼女はナルツィッセ伯爵を選んだ。
彼に寄って来るのは公爵家という身分目当てのものばかり。
ここで資金力のある新興貴族ではなく、王妃の女官に目をつけるあたり、彼らの王族への執着が感じられる。次代のために少しでも繋がりが欲しかったのだろう。
伯母からしたら、酷い裏切りだ。
幸せになるために結婚して、待っていたのは結局仕事だった。
始めは内向きの、女官だった伯母でもできる仕事を少し任されただけだったそうだ。働くのが好きな伯母は当たり前のように受け入れた。
それがどんどん増えていき、最終的には伯母とは関係ない領主としての仕事まで押し付けられていった。
当然尋常じゃなく忙しく、休む暇などなかった。皮肉なことに、伯母はその多忙に耐えうる頑丈な体と、慣れない仕事でもこなせてしまう明晰な頭脳を備えていた。
女児ひとりに恵まれたが、出産後すぐに取り上げられて、また仕事に追われる。そんな生活を十年以上続けたそうだ。
父は伯母がそんな暮らしをしているとは知らなかった。
手紙のやりとりはしていたが、妻を早くに亡くし、必死で領地と娘を守っている弟に心配をかけたくないと伯母は何も伝えなかったのだ。
今回、離縁に際して姉の現状を知り、父は何も気づかなかったことに落ちこんでいた。
そして、伯母をうちに引き取りたいと思ったんだそうだ。
「あの家は前々から目先の欲につられて動く感じでしたが、今回はまた酷いですね。王妃様がお怒りなのでは?」
「王妃様は公平な方ですから表だっては何もしてませんが、姉は女官に戻らないかと誘われたそうです。でも……」
「何か問題があるの?」
一通り話を聞いた祖母は片眉を上げた。エレンはカスターニエ家の人々が何でそんなことをするのか理解できなかった。一生懸命働いてくれる人は大切にすべきだ。
父は眉を顰めて続きを話し始めた。
「娘のアンネを姉が引き取ることになってね。娘を抱えて女官の仕事は難しいし……。
兄がうちに来たらいいって言ってるらしいけど、あの人ちょっと信用できないし、あの家の子供は男ばっかり四人もいるからそこに女の子をひとり預けるのもね……」
「あの家を頼ったらあなたのお姉様の給料は根こそぎ取られるし、お嬢さんは下働きをさせられそうだわ」
「あれ? 伯母様の娘は取り上げられたんじゃないの?」
「兄については義母上の言う通りだと思います。
あとエレンも。その通りだよ。アンネは姉から取り上げられて、カスターニエ公爵夫人に育てられたはずなんだ。僕もそこまで詳しくないんだが、公爵夫人に似た愛らしい子で、とてもかわいがられてたらしい。どうして姉が引き取ることになったのか……」
「おかしな話ですこと。まだ第三王子の婚約者が決まっていないのに、その座が狙える立場の娘を手放すなんて」
「そうですよね。いくら姉の夫の愛人が跡取りの男児を産んだからって、姉はともかく娘まで追い出すなんて……」
エレンは複雑な大人の話についていけなかった。
とりあえず、伯母は婚家で酷い目に遭っていた。その上夫には愛人がいて、その愛人が男児を産んだから伯母は娘諸共追い出されることは理解した。
伯母にも従妹にも理不尽な話だ。
それにしても、情報が少なくてわからないことが多い。
今のリンデンバウムで社交をこなしているのはほぼ父ひとりだ。祖母もたまに王都へ行っているが、あの夏以来あまりエレンから離れなくなった。
そのため我が家は女性に集まる情報が圧倒的に不足している。
「あっ、ねぇ、わたし、ブランシュに手紙で訊いてみるよ」
「ああ、そうね。ブランシュなら色々知っているでしょう」
エレンの言葉に珍しくほんのり笑った祖母が同意した。
エレンは王都に行けなくなったが、ブランシュとは主に手紙で交流を続けている。
なんとあれからブランシュは第二王子のパウルと婚約したのだ。昔言っていた「難しいお客様」はパウルであったらしい。
ミハエルは変わらず第一王子の側近のままだが、特に問題はないようだ。
ブランシュは王子の婚約者なので忙しいが、まめに手紙を送ってくれるし、年に一度はズュートまで会いに来てくれる。
その時一緒にパウルがついて来て大変驚いたが、近所のお兄さんのように気安いパウルとはすぐ仲良くなれた。
ブランシュは十六歳で、もう大人の仲間入りをしているので、大人の複雑な話にも詳しいだろう。
「わたくしも友人に訊いてみます。
あなたのお姉様……アガタさん? と娘さんがいらっしゃることには反対はしません。
ただ、ここはリンデンバウムの、エレンの家です。それを尊重していただかなくては困ります」
「勿論です。エレンと合わないなら僕が別に住む場所を探すだけです」
びしりと祖母はいい渡し、父はそれに同調する。そこまで言わなくても、邸に部屋は余っているし、好きに使って貰えばいいのにとエレンは思う。
そういうことじゃないと説教されるので絶対口には出さない。
代わりに祖母が言ったこととは違うが、エレンも父に言っておきたいことを言うことにした。
「お父様、伯母様とかアンネちゃん? とかに『朝のちゅーして〜』って言っちゃダメだよ?」
「言わないよ‼︎」
父は即座に否定した。
祖母は呆れている。
エレンは毎朝父に「エレンちゃん、朝のちゅーして〜」と言われるのだ。エレンが言われるのなら伯母たちだって言われるかもしれない。
「絶対言わないからね! あれはエレンだけ‼︎」
「本当かなぁ。そんなこと言ったらきもいと思われるから気をつけてね」
「言わないってば! えっ、ちょっと待って。エレン僕のこときもいって思ってる?」
「思ってないよ?」
本当はちょっときもいと思っている。
でもエレンは優しい娘なのでそんなことは言わないのだ。
エレンの答えに父は胸を撫で下ろしていた。
正式に離縁の手続きが完了し、ミモザの花が咲く季節に伯母たちが我が家へやって来た。
伯母のアガタは精悍な父とはあまり似ていないが、女官をしていたからお手本のように美しい所作で、雰囲気は祖母と似ている。苦労ばかりだったからか、顔色が悪く、やつれていて年齢よりも年上に見えた。
従妹のアンネはびっくりするような美少女で、伯母に手を引かれて現れた時、思わず見惚れてしまった。
こんなにかわいい子をカスターニエ公爵家は何故手放したんだろう。
ただ、野良の仔猫よりも警戒心が強く、自室として使って貰っている部屋からあまり出て来ない。
離されて育ったせいか、あまり伯母にも懐いておらず、誰が話しかけても喋らない。食事もずっと自室で摂っている。
伯母自身、娘と暮らせるようになって嬉しいと言っているが、どうしてアンネまで公爵家から追い出されたのかは知らないようだ。気づいたらそういうことになっていたんだとか。
アンネの様子を見るに公爵家で何かあったのは明らかだ。
伯母は「ただでおかせて貰うわけにはいかない」と、邸に到着した当日から仕事を要求した。
父が休んでくれと言っても、自分で仕事を探して働いてしまう。仕事中毒だ。
父は「若い頃から働くことしかしてこなかった人だから他に何をしていいかわからないんだろう」と仕事を口実に連れ出し、息抜きをさせている。
しかし、あまりうまくいっているとは言いがたく、伯母は人の仕事を奪ってまで働いている。なかなか道のりは険しそうだ。
エレンもそれぞれ話しかけたのだが、伯母は完全に侍女と同じ振る舞いでエレンと接し、アンネは本物の猫のように毛を逆立て、ダッシュで逃げられた。どちらもほんのり傷ついた。
伯母はエレンのことを姪ではなく「リンデンバウムのお嬢様」だと思っているのだろう。アンネは確実にエレンを敵だと認識している。
どうしたらいいか悩むエレンの元にブランシュからの手紙が届いた。
ブランシュはアンネとは話したことはないので、遠目で見て思ったことと、噂ばかりだと前置きしてあった。
ブランシュはここ二年ほどアンネを見かけていなかったそうだ。
カスターニエ家は病気で臥せっていると言っていたようだが、そんな風には見えなかった。あのダッシュは漁師から魚を奪った猫に匹敵する。
ブランシュもカスターニエ家の言い分を信じていなかったようだ。
彼女の知るアンネはとても活発で物怖じしないと遠回しに言っているが、ちょっと我儘で甘やかされた令嬢だったようだ。
アンネは公爵夫人だけではなく、公爵や父親にもかわいがられていた。
第三王子の婚約者の座を狙って公爵家は積極的に動いていたから、伯母と一緒にアンネを追い出したことにとても驚いているようだ。
何かあったとしたら二年の空白期間だろうが、そこは流石のブランシュもわからないそうだ。
ただ現在のカスターニエ家は早速愛人を引き入れ、跡取りが生まれたと周囲に自慢しては引かれているらしい。
王妃様は結婚して辞めた、幸せになっているはずのお気に入りの女官が酷い扱いを受けていて、祖母の予想通り激怒しているそうだ。
祖母も言っていたが、カスターニエ家の人々は目先のことに気を取られすぎている。
もっと先まで見通す、のは難しいと思うが、今回は予想できることだったはずだ。
それとも彼らは元女官ならどんな風に扱おうと誰も何とも思わないと高を括っていたのだろうか。
もっと人の心を慮る力を養わないと、自慢の跡取りが将来苦労することになる。
ブランシュのおかげでカスターニエ家についてはよくわかったが、アンネのあの状態については謎のままだ。
何故溺愛されていたアンネは追い出されたのか。
そして、彼女にどう接するべきなのか。
エレンは頭を悩ませた。