初めての友達?
また感じの悪い人物が登場します。
苦手な方は飛ばしてください。
髪にリボンの代わりにポピーを飾った心ここにあらずな状態のエレンを見て、迎えに来た祖母はにんまり笑って「あらあら」と呟いた。
そして次の朝に届いた手紙を見て、またにんまり笑って「あらあら」と呟いた。
「エレン、ドゥフトブルーデ侯爵家のユリウス様からお手紙が届いているわ」
「ほんと?」
昨日の夢見心地が抜けないエレンはぼんやりしながら手紙を読んだ。別れ際に約束したように、ハンカチのお礼に邸へ招待したいとのことだった。
それを祖母に伝えると「んふふ」と珍しい笑い方をし、父が慌て出した。
「えっ、ちょ、どういうこと⁉︎」
「どうもこうもありません。お茶会でユリウス様と仲良くなったのでしょう。ねぇ、エレン」
「う、うん。一緒にチョコレートを食べて、お庭を散歩したの……」
「そ、そんな‼︎」
ぼんやりしたまま答えると、何故か父がショックを受けていた。何か悪いことでも言ってしまっただろうか。
エレンは昨日からユリウスのことを思い出してはぼんやりしているのであまり細かいことを気遣えなくなっている。
「ドゥフトブルーデ家は騎士を輩出する家系の中でも名門中の名門。ユリウス様は次男ですし、婿入りもできる。これ以上ない物件ですよ」
「うぅっ! いやでも早すぎると思います‼︎」
「昨今は自分で婚約者を見つける風潮で婚約も遅くなってきていますが、早くて悪いことはありません。
それにご覧なさい、このエレンを」
「う、うわぁぁぁぁ‼︎
エレン、エレン、もうちょっとでいいから僕だけのエレンでいて‼︎」
「? わたしはお父様の娘だからずっとお父様のエレンだよ?」
「そうじゃない……。でも嬉しい……」
よくわからないが父に抱きしめられたので、背中に手は回らないが抱きしめ返しておいた。ただ、頬ずりをするのはやめてほしい。
邸への招待は明後日で、エレンは祖母に教わりながら手紙の返事を書いた。
そしてそのまま怒涛のレッスンが始まった。
「なんとしてでもあちらの方々に好印象を与えねばなりません」
目をギラギラさせてそう言う祖母は今までで一番怖くて、夢見心地は吹っ飛んだ。エレンはレッスンに真剣に取り組んだ。
一方の父は情緒不安定で、エレンを見るたびに涙目になり抱きついてくるようになってしまった。
抱きしめられるのはいいのだが、髭がじょりじょりするので頬ずりは本当にやめてほしい。
訪問当日は祖母が選んだ菜の花のドレスを着せられた。
父はどうしても外せない用事があったので祖母と二人で出掛けた。馬車に乗っているとまた夢見心地な気分が戻ってきて、ずっと窓に張り付いていた。
祖母はそんなエレンを咎めず笑ってさえいる。
見ているのに見えていない街並みを抜け、大きな門扉を潜る。ミステル侯爵家のように長いアプローチの先に同じくらい大きく、まるで趣が違う邸が建っている。何というか、要塞のようにどっしりしている。
ここにユリウスが住んでいるのだ。
玄関の前で馬車は止まり、祖母の方のドアが開き、まず祖母が御者の手を借りて降りた。
次はエレンだ。
「エレン!」
降り口に立ったエレンの元に邸から飛び出して来たユリウスが駆け寄る。
今日は長い生成り色の髪をきちんと纏めて、あの時あげた若草色のリボンで結んでいる。
ユリウスは恭しく手を差し出した。
「お手をどうぞ」
そう言って、蕩けるように笑った。
その瞬間、エレンはぴょこんと頭をもたげた双葉を幻視した。
それが何かはわからないが、確かにエレンの中で何かが芽生えたのだ。
ユリウスの金木犀色の瞳と目が合う。
心臓が飛び出して爆発してしまいそうになりながら手を借りて馬車を降りる。
目が合うだけで平静でいられなくなるし、ぼんやりしてしまって何も手につかないけれど、ユリウスと一緒にいれば芽生えた何かがわかりそうな気がした。
その後、エレンはお茶とお菓子でもてなされたが、例によって覚えていない。
ユリウスから新品かと思うほど綺麗になったハンカチと、お礼にとユリウスの髪と同じ色のリボンを貰ったことは覚えている。
先方は夕食にも誘ってくれたようだが、エレンのポンコツぶりに祖母は丁重に断ったらしい。確かにとんでもない粗相をやらかしそうな有り様だった。
ずっとユリウスを見つめるだけの訪問が終わり、渡されたハンカチとリボンを抱きしめて邸に帰ると、父が難産の牛のように唸りながら待っていた。
エレンを見ると山羊よりすごい跳躍をして抱きついてきたので、浮ついた気分は完全に吹き飛んだ。
「今からそんなに動揺してどうするのです。落ち着きなさい」
呆れた祖母が父をそう叱責したのだが、当の本人は迷子の羊のように泣いていたので、可哀想になってエレンはその日、一緒に寝てあげた。
髭が痛い頬ずりも耐えたので、エレンはとても優しいと思う。
それから二人は互いの邸を行き来して交流を深めた。
相変わらずユリウスを見るとエレンはふわふわして胸がぽかぽかしてくるが、最近は落ち着いてきて普通に話せるようになって来たのだ。
ユリウスの家族であるドゥフトブルーデ家は両親と三兄弟の五人家族だ。
騎士団長をしている父親のドゥフトブルーデ侯爵はエレンが今まで会ったことのある人の中で一番立派な体格をしている。
とてもムキムキで、くっきりとしたかっこいい眉毛が特徴だ。騎士団では「イエティ」と呼ばれて恐れられているらしい。
イエティとは雪山に住む怪物の名前だそうだ。
侯爵の灰色の髪と、ドゥフトブルーデ家の領地が雪がたくさん降る北国だからそう言われ始めたらしい。
でも、エレンの知っている侯爵はいつも笑顔でお土産を持たせてくれるいい人だ。どこも怖くない。
エレンが一番よく会う母親の侯爵夫人は、赤毛で背が高く、いつも凛とした美しい人だ。
結婚前は騎士をしていて、「薔薇の騎士」と言う二つ名で呼ばれるほど人気があったそうだ。
いつもきびきびしてかっこよく、エレンに会うと抱き上げてくれる。とても優しい。
ユリウスは今九歳で、上に十三歳の兄、ヘルマンと八歳の弟、グイードがいる。
驚いたことに二人は侯爵がそのまま縮んだのかと思うほどそっくりだ。
ただ、性格は正反対だ。ヘルマンは無表情で無口だ。エレンはまだ声を出したところを見たことがない。
逆にグイードはとても人懐っこくお喋りで、夫人に怒られるまでしゃべり続ける。エレンはすぐ仲良くなった。
侯爵は仕事で、ヘルマンは第一王子の側近に決まったのであまり会わない。
こちらも父が忙しく、都合がつかないことがほとんどだ。
しかし、その間にも両家の交流は進み、一緒に出かけることになった。
行き先は公園だ。藤の花が満開らしく、それを鑑賞しに来たのだが、同じ目的の人で結構混み合っていた。
エレンとユリウスは手を繋いでいたので大丈夫だったが、一緒に来た祖母と侯爵夫人とグイードとは逸れてしまった。
「動き回ると見つけにくいから、ベンチに座って待っていようか」
「うん」
ユリウスの提案に頷いて、二人は空いているベンチに座り、お喋りをしながら待つことにした。
藤の花は遠いが、いい香りは漂ってくる。それにエレンは花の周りによくいる黒くて大きいブンブンいう虫が苦手である。
虫は嫌いではないが、あれは顔に向かってくることがあって怖い。
「エレン、今日はぼくがあげたリボンを使ってくれてるんだね。ありがとう」
「わたしの方こそ素敵なものをくれてありがとう。似合ってるかな?」
「勿論だよ。今日の若草色のワンピースもとても似合ってる。かわいい」
ユリウスに褒められ、照れてしまう。
いつもとても細やかに褒めてくれるので、エレンは自分が実はとんでもない美少女なのではないかと勘違いしそうになる。
そういう時はブランシュの顔を思い出すと冷静になれる。
真なる美少女とはああいう顔で、エレンは普通だ。
父は一日百回近くエレンをかわいいと言うが、あれは親ばかと言うのだとエレンはもう知っている。
褒め言葉が照れ臭くて、俯いた時だった。
頭に衝撃が走り、後ろに引っ張られ、ベンチからずり落ちそうになった。
思わず伸ばした手をユリウスが掴んで、エレンを抱きこんで支えてくれた。なので地面に倒れることはなかったが何が起こったのかわからず、エレンは目を白黒させた。
「何をするんだ‼︎」
「うるさい! こいつのせいでおれは父上に怒られたんだ!」
頭皮がずきずきして、髪を引っ張られて倒れそうになったのだとわかった。
ふと気がつくとユリウスに庇うように抱きしめられている。急速に体温が上がっていく。
ユリウスは弟のグイードより小柄だが、同じ鍛練をしているそうでとても身体がしっかりしているし、力持ちだ。
「お前、どけよ! 孤児のくせに貴族のおれに逆らうな!」
「っ! どかない! エレンに酷いことをする気だろう‼︎」
いつものようにほわほわしそうになって、二人の怒鳴り合いに正気に戻る。
ユリウス越しに見える少年が聞き捨てならないことを言った気がする。顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。
「……あなた、誰?」
見覚えはあるが、誰かは思い出せなかった。
あちらはエレンを知っているので、顔見知りではあるのだろう。でもまるで思い出せなかった。
少年は一瞬ぽかんとして、すぐにまた赤くなった。
「お前! おれのこと忘れたのか!」
「あなたのことなんて知らない。それから、間違ったこと言わないで。ユリウスは孤児じゃないよ」
「はっ! お前はハコイリのお嬢様だから知らないんだろ! こいつは孤児で、侯爵家に引き取られたって皆言ってる! だって親と全然似てねーもんな‼︎」
思わず、何を言っているんだろう、と未知の生物を見る目で見てしまった。
「ユリウスは侯爵様のお母様に似てるんだから、親に似てなくてもちゃんと親子だよ」
「は?」
「だから、ユリウスはお祖母様に似てるの。それに侯爵様と同じ色の瞳だよ」
ねぇ、とユリウスを見ると困ったように笑った。
ユリウスはかっこいい眉毛の侯爵にも、凛々しい侯爵夫人にも似ていないが、可憐な美人の祖母に瓜二つである。
肖像画を見せてもらった時、将来はエレンより美人になってしまうなぁと思ったものだ。
皆言ってる、という言葉にふとユリウスと出会った時のことを思い出す。
もしかして、ユリウスが両親に似ていないから顔が変だといじめられていたのだろうか。
そこら辺を問い詰めようとしたら、少年は真っ青な顔色になって、身を翻して走り去った。
逃げられてしまった。でもユリウスの前でそんなことを訊くのは無神経だし、本人に訊くのはもっと悪いのでこれで良かった気がする。
それに今回はエレンが原因だ。
「ユリウスごめんね。わたしのせいで変な子に絡まれちゃった」
未だに誰か思い出せないが、エレンに突っかかってきたのは明らかだ。ユリウスに嫌な思いをさせてしまった。
「ううん。……エレンは嫌じゃない? ぼくと一緒にいるの」
「どうして?」
「だって、あんなことを言われて、嫌われてるし」
「ユリウスにあんなこと言う人たちとは仲良くしたくない。ユリウスがいいよ。
だって、ユリウスは大事な友達、だもん」
「エレン……」
もし本当にユリウスが孤児でもエレンはきっとユリウスを選ぶだろう。ユリウスは優しい。本当は強いのに絶対に暴力に訴えない。
そういう人が一番強いのだとエレンは思っている。そんなユリウスと友達になれて、とても嬉しい。
でも、この気持ちは本当に友達に対するものだろうか。違和感がある。
あの日芽吹いたものは今もすくすく育っている。今までの友達と仲良くなった時、こんなことはなかった。
エレンにとってユリウスは何なのか。
抱き合ったままでいるところを探しに来た侯爵夫人に見つけられ、説教が始まったので、その違和感は追求できなかった。
翌朝、昨日会った少年のことを父と祖母に話した。エレンは思い出せないままだが、二人ならわかると思ったからだ。
二人は据わった目で「任せて」と言った。一体何を任せるのかはわからないが、二人ならうまくやってくれるだろう。
それからも両家の交流は続いて、いつの間にかミステル家も混ざるようになった。
ミハエルとヘルマンが第一王子の側近同士で、仲良くなったのだ。
相変わらずヘルマンは一声も発しないが、ミハエルはどうやって仲良くなったのだろう。
あと、ミステル侯爵夫人が若い頃からドゥフトブルーデ侯爵夫人のファンであった。
おおらかでおっとりしたミステル侯爵夫人がドゥフトブルーデ侯爵夫人の前では真っ赤になってもじもじしている。
それを物陰から見て、ブランシュと二人で「あれは何してるんだろうね?」と囁き合った。
ブランシュは忙しいのかあまり遊びには来ない。
なんでも難しいお客様が来るんだそうだ。たまにエレンに会いに来ると疲れた顔をしている。
よくわからないが、とりあえずそういう時はブランシュの好きなクッキーを分けてあげている。疲れた時には甘いものなのだ。
交流する家が増えて、集まる人数も増えたはずなのだが、いつも気づけばエレンはユリウスと二人っきりになっている。
その日もいつの間にか二人でドゥフトブルーデ家の庭にある四阿で休んでいた。
今は薔薇の季節で、侯爵が夫人のために作った薔薇の庭園が盛りなのだ。
珍しい品種のものがたくさん植えられており、初めて見るものばかりでエレンははしゃいでいた。
ユリウスは何故だかずっとぎこちなく、そわそわしていた。
トイレだろうか。エレンに気にせず行ってほしい。
夏が近づいて来て暑くなったので、侍女が冷たいお茶を出してくれた。勿論お菓子も一緒である。
ユリウスと話しながらおいしく頂いたのだが、やっぱりユリウスはそわそわしている。トイレを我慢しているのだろうか。
トイレ行って来ていいよ、と言うのは淑女的にダメだと思うが、エレンとユリウスの仲ならギリギリ大丈夫だろうと口を開く。
「あの」
先手を取られた。
まぁ、やっぱり淑女がトイレとか言ってはいけないだろうからなるべくユリウスが言い出しやすいように優しく「なぁに」と返事をした。
「エレン、あの、あのね」
「うん、なぁに?」
トイレ行きたいと言うだけなのにユリウスはやけに緊張していて、きょとんとしてしまう。
そんなエレンの前に赤いものが差し出された。
「大きくなったらぼくと結婚して!」
「……えぇ?」
想定とまったく違う言葉に理解が追いつかない。
目の前にあるのは一輪の赤い薔薇で、エレンでも知っているプロポーズで渡す定番の花だ。
結婚。ユリウスと結婚?
エレンはまだ六歳なので、結婚なんてまだずっと先のことだ。まだ想像もつかないそれをユリウスとする。
わからないはずだ。なのに、何故か胸の奥からぽかぽかするものが湧き上がって来る。
気づけばエレンは薔薇を受け取っていた。
「エレン! ありがとう‼︎」
お礼の言葉と共に抱きしめられて照れるし、なんだかうまく言葉が出てこない。
「あの、あの、わたしの領地はすごい田舎だよ……」
かろうじて出たのはそれだけだった。まずいことに本来は先に言っておくべきことだ。
「大丈夫、ぼくの領地も田舎だよ。
そうだ、夏になったら遊びに来て。王都よりもずっと涼しいんだ」
「じゃ、じゃあ、秋になったらわたしの領地に来てね。お祭りがあるの」
「うん、行く。絶対行く。それで冬になったらエレンが見たがってた雪を見に行こうよ。
それで、また春が来たら王都でたくさん花を見よう。そうやって、一緒に大人になろうね」
「うん!」
目の前にどんどん未来の計画が出来上がっていって、エレンは目を輝かせた。
ずっとユリウスと一緒というだけですべてのものが輝いて見える。
ユリウスはやっぱりただの友達ではなかった。それが何かエレンにはまだわからないが、一歩近づいた気がする。
ちゅっという可愛らしい音と頬に当たった柔らかいものに思考が途切れる。
離れた場所にいた侍女が猛烈な走りで二人の間に割り込んで「それ以上は駄目です‼︎」とユリウスを止めた。
頬にキスくらいで大袈裟ではないだろうか。エレンは毎日父に二十回以上されている。