初めてのお茶会
王都に来た時は冬の終わりだったのに季節はすっかり春を迎えた。夜の冷え込みも穏やかになり、春の花が咲き始めた頃、ついに王宮の茶会の日がやって来た。
エレンは初めてミステル侯爵家に行った時のような手入れをされて、相変わらずラベンダー色のドレスを纏い、若草色のリボンを髪に結んだ。
エレンのクローゼットは未だにラベンダー色で埋め尽くされたままだ。でも今日のドレスは繊細なレースがたっぷり使われたもので、とても気に入っている。
王宮に着くと女官が待っており、すぐ会場に案内された。場所は庭園で、咲き乱れる季節の花を愛でながら交流を深めるという名目らしい。
堅苦しくならないよう、カジュアルな立食形式でホッとした。
今日の茶会は伯爵家以上が参加の条件なので、エレンは一番下っ端だ。よく知らない身分が上の人と同じテーブルに着くのは気まずいだろうと、不安に思っていたのだ。
この中で唯一親しいミステル兄妹は先に着いていて、エレンに気づくと近寄って来た。
エレンもはしゃいで駆け寄ろうとして、祖母の片眉が視界の隅で上がるのを見て、思いとどまった。説教の前兆なので自然と背筋も伸びる。
眉の動きだけでエレンを操る祖母は流石だ。
祖母は結局、何も言わずに庭園をあとにした。付き添いの貴婦人たちは別室で茶会があるのだ。
エレンははとこ二人と合流した。今日の二人は例えようもない美しさで、ミハエルは胸のポケットに、ブランシュは髪にぽってりとしたラナンキュラスを飾っている。まるで花の精のようだ。
会場を見回せば季節の花を飾っている子供は多い。花を愛でる茶会だからだろうか。
生花はすぐ萎れてしまうが、二時間程度なので汚くなる前に終わるはずだ。
それにしても、庭園に集まる子供たちは皆美形揃いだ。着飾っているので、まるで妖精の集会でも始まるのではないかと思ってしまう。
令嬢たちは軒並み美少女で、これでは王子様たちも迷ってしまうのでは、と要らぬ心配をする。
本日の主役は三人いる。十三歳の第一王子、ダーヴィト、十歳の第二王子パウル、八歳の第三王子カールだ。
彼らの年齢に合わせて、今日は十五歳から六歳までの子供が招待されている。エレンは最年少の方だ。
エレンは誰のことも知らないが、ミハエルはすでに第一王子と友達で、将来側近として仕える約束をしているそうだ。
今回の茶会はお嫁さんだけではなく、王子様が自分に仕えてくれる人を選ぶためのものでもあるようだ。
エレンにはさっぱり関係ない話だ。
そんな話をしていると、ざわついていた参加者が奥の方から静まり返っていく。
人垣の向こうに煌めく金髪のたおやかな美女が楚々と歩いて来た。あれが王妃様だと言われなくともわかった。彼女の後ろには三人の少年がついて来ている。
あれが王子様方だろう。顔立ちは少しずつ違うが、揃いの金髪碧眼で、まさに絵本の王子様そのものだ。
彼らは参加者の前で並ぶと、まず王妃様から一言ご挨拶があった。それが終わると近くの参加者から四人への挨拶が始まった。
エレンはミステル兄妹と一緒に挨拶をした。声をかけてくれるのは王妃様だけで、王子様方は軽く会釈だけしてほんのり笑って見ている。
エレンも挨拶をすると王妃様から話しかけられた。
「ズュート領からだと遠かったでしょう?」
「はい、四日ほどかかりました。でも初めての旅なので楽しかったです」
「まぁ、それはよかったわ。初めての王都を楽しんでね」
「ありがとうございます」
特に目立つこともなく、当たり障りのない言葉を交わし、後ろに下がる。胸を撫で下ろした。挨拶さえ終われば、今日の茶会はほとんど終わったようなものである。
他の子供たちの邪魔にならないように隅に避けて、挨拶が終わるのを待った。
全員の挨拶が終われば、そこからは自由な交流が始まる。王妃様は退出して貴婦人たちの茶会に参加するそうだ。
早速それぞれの王子に釣り合う年頃の令嬢が彼らを取り巻く。ブランシュも行くのかと思ったら行かないらしい。
「行かなくていいの?」
「うちはもうお兄様が第一王子殿下の側近に内定しているもの。わたくしまで王子殿下の婚約者に収まるのはよくないわ」
「そうなんだ。難しいんだね?」
「そう、ちょっと難しいのよ」
ミハエルは令嬢に埋れて見えない第一王子を助けに行くはずだったのだが、美少年すぎて自分も令嬢に囲まれて見えなくなった。
ブランシュは「あらまぁ」と言うだけで助けてはあげないらしい。エレンもあんなところに飛び込んで行く勇気はない。
ミハエルはエレンよりずっとお兄さんなので多分大丈夫だ。なのでブランシュと一緒にお菓子のテーブルに向かった。
用意されているお菓子はなんとも豪勢なことにチョコレート尽くしだった。チョコレートは輸入品なので高いし、貴重なのだ。エレンは生まれてからまだ二回しか食べたことがない。
艶々と光る花や宝石の形をしたプラリネ。真っ白なクリームとの対比が美しい、ずっしりしたケーキ。真っ赤なラズベリーソースが添えられたムース。
見ているだけで幸せになれる。
勿論見ているだけじゃなく食べたい。お腹が許すならば全種類食べたい。
どれから食べようか、とキョロキョロしていると、いつの間にかブランシュがいなくなっている。
不安になって探すと、近くで今度は令息の人垣ができていた。どうも、その中心にブランシュがいるらしい。
美少女だから仕方がないね、と納得してチョコレートに向き合った。
ブランシュはエレンよりお姉さんなので自分でなんとかできる。多分。
エレンは決して薄情なんかではない。こんなに綺麗でおいしそうなのに誰にも見向きされないチョコレートと向き合う優しい人間なのだ。
テーブルに近づくと女官が花の香りがする冷たいお茶をくれた。周りにはエレン以外誰もいないので暇そうだ。お礼を言っておいしく頂いた。
どれから食べようかとうんうん悩みながらテーブルの前をウロウロする。改めて、とても種類が多い。
エレンはそれほどたくさん食べられないので、数を絞らなくてはいけないのだが、選べない。
ブランシュとミハエルがいれば分け合って全種類制覇もできたのだが、見捨て、もとい、二人は他の人と交流している。邪魔はできない。
他の子と仲良くなって、分け合えないかと周囲を見渡すが、始めからお菓子に直行する令嬢はエレンだけだった。
かわりに綺麗に整えられた花々に隠れるようにしている令息を見つけた。
あんなところで何をしているのかわからないが、彼は明らかにひとりで、皆に混ざる気もないようだ。
チョコレートは好きだろうか。エレンと一緒にチョコレートを食べてくれたりしないだろうか。知らない少年とチョコレートを分け合うのは淑女的にダメだろうか。
色々悩んで、エレンはチョコレートの誘惑に負けた。
エレンはまだ六歳なので、淑女的にダメでも大目に見て貰えるはずだ。
早速、少年に近寄って声を掛けた。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……」
少年は唐突に話しかけられて驚いたのか、挙動不審になった。
立派な礼服を着ているが、生成り色の緩やかに波打つ長い髪が顔を覆ってしまっている。身綺麗だが、だらしない印象だ。
「初めまして。エレン・リンデンバウムと申します」
「……ユリウス・ドゥフトブルーデ、です」
「あの、よかったらあっちで一緒にお菓子を食べませんか?」
「えっ……?」
「全部、とってもおいしそうなんです! 半分こしたら色々たくさん食べられて、楽しいと思います!」
「そ、そう、ですね……?」
エレンよりは年上らしいユリウスは大人しい性格なのか、エレンの勢いに引いている。
厚かましいと思われてもチョコレートのためだ。なんとしてでも一緒に来て貰う。
「やっぱりそう思いますよね? じゃあ、行きましょう!」
「あ……。待って、待って、ください。その、ぼくと一緒にいるとあなたにとってよくないので、やめた方がいい、です」
おずおずと、しかしはっきり断られてしまった。でも理由がよくわからず、納得がいかない。
「どうして一緒にいるとよくないんですか?」
「ぼくが嫌われているからです……」
「誰から?」
「み、皆、です」
「どんな理由で?」
「ぼ、ぼくの顔が、変だから……」
そう言うとユリウスは泣き出してしまった。
まさか泣かせてしまうとは思っていなかったエレンは動揺する。とりあえずハンカチを差し出した。
「よ、汚れます……」
「メイドが綺麗にしてくれますから」
遠慮をするユリウスの顔を強引にハンカチで拭く。領地の子供たちはこんな感じで母親たちに顔を拭かれている。たまに雑巾で拭かれていてびっくりする。
そして、ユリウスの顔にもびっくりした。
美少年なのである。
ぱっちりした金木犀色の瞳の、少女と見まごう美少年だ。ミステル兄妹にも負けない、間違いなく美形である。
顔が変、と言っていたが、どこが変なのか。醜くなければ大きな傷もない。この顔が変だなんて王都の人々の審美眼は厳しすぎる。
それとも田舎育ちのエレンの目がおかしいのだろうか。
でも、エレンが美形だと思ったミステル兄妹は大人気だ。ユリウスだけが変なんてやっぱりおかしい。
「ユリウス様の顔は変じゃないと思います」
「でも、皆が」
「皆って本当に皆ですか? 一部の人じゃないですか?」
「それは……」
「ユリウス様はかっこいいので堂々としてていいと思います」
「かっこいい?」
「はい!」
本当はかわいいと思っているが、かっこいいと言っておいた。
定食屋の看板娘のお姉さんが、「男はかっこいいって言っておけばだいたい機嫌が良くなる」と言っていたので、かわいいよりかっこいいがいいのだ。
これで機嫌が良くなったらチョコレートを一緒に食べてくれるに違いない。それに悲しい時には甘いものを食べるべきなのだ。
「あ、の、ぼ、ぼくで、よかったら……。一緒に行きます……」
「やった! ユリウス様がいいです!」
やっぱりかっこいいは効果があると証明された。
嬉しくて、つい飛び上がってしまい、慌てて取り繕う。祖母に見られたら説教待ったなしの瞬間だった。
ユリウスに無作法だと呆れられてないか見ると、何故か耳まで真っ赤になっていた。
暑いのだろうか。
ユリウスの髪は令嬢と同じくらい長いし顔を覆っているので暑いのかもしれない。エレンも夏場は襟足が鬱陶しくて堪らないことがある。
暑いようだし、これからクリームやソースたっぷりのお菓子を食べるので髪は結った方がいい。
エレンは躊躇いなく自分のリボンを外した。予備のリボンなんて持ってないし、リボンは飾りで外しても髪型は崩れないので、エレンにはどうしても必要なものではない。
「髪を結った方が食べる時に楽ですよ。よかったらこれ、使ってください」
「えっ、でも」
「あっ、自分ではやり難いですよね。わたしがやります」
「いや、あの」
さっと背後に回り、長い髪を手櫛で整え首の後ろでひとつにまとめる。
ユリウスが何やらごにょごにょ言っているが、聞く余裕がない。
最近、蝶々結びを会得したのだが、三回のうち二回は何故か片結びになってしまうのだ。集中しないと失敗する。
なんとか今回は蝶々結びができたようだ。ホッと息を吐いてユリウスを見るとやっぱり顔が真っ赤だった。相当暑かったらしい。
髪も結ったし、チョコレートを食べに行こうとしたら、「あの」とユリウスに声をかけられた。
「リボンを貰ってしまったので、かわりにこれを」
そう言って、胸ポケットに入っていたポピーを差し出した。よくわからず首を傾げると、そっと髪に刺される。
「うん、とてもかわいいです」
そう言って、花が咲くように笑った。
その瞬間、確実にエレンの時間は止まった。
大きく心臓が跳ね上がり、時間が動き出す。何故だが顔が熱くなって、足元がふわふわする。
何が起こったのかわからない。なんだかくらくらするし、具合が悪くなったのだろうか。
何の病気かわからないが、ユリウスから目が離せなくなってしまった。
「チョコレート、食べに行きましょう」
手を引かれて、また心臓が飛び出しそうなほど跳ねる。一体自分の身体に何が起こったのか。
まったくわからないし、ユリウスしか見えないし、チョコレートの味がしない。
エレンは混乱したまま勧められたものを食べて、誘われるまま庭園を散策した。
初めてエスコートをされて歩いたので、どんな花が咲いていたかなど見えていない。心臓はずっと忙しなく、一瞬たりとも落ち着いてはくれなかった。
一回りする頃には茶会の終了時間になり、そこでお別れするはずだった。
「後日、ハンカチのお礼をさせてください」
そう言うユリウスの手にはいつの間にかエレンのハンカチが握られていた。渡していなかったと思ったが、何しろ記憶があやふやなのだ。
エレンはとにかく何度も頷いた。
ふわふわ夢見心地のままブランシュと合流すると「わたくしのこと見捨てたでしょ!」と怒られたような気がするが、まるで頭に入ってこなかった。