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初恋  作者: 明石 みなも
後日談
20/21

彼の忠心(グイード視点)

 ユリウスの弟のグイード視点です。

 あんまり需要は無さそうですが、第三王子のカールの話です。

「うっ、うぅっ……! アンネ、アンネぇ」


 グイードは感心していた。

 反省を促すため、という名目で辺境送りになって一カ月。

 地獄のしごきと他の地方の騎士から恐れられている北方の訓練を受けてまだ失恋を引きずっている。


 この監視対象はまだ余裕があるのかもしれない。

 とりあえず、明日はもっときつくしても大丈夫と教官に伝えておこうと決意する。

 そんなことを考えていると「おいっ!」と声を掛けられた。


「グイードお前慰めるとかしろよ!」

「えー、めんどくさー」

「お前! 僕は王子だぞ‼︎」

「パウル殿下にくれぐれも優しくするなって頼まれてるし」

「兄上ぇぇぇぇぇぇ‼︎」


 彼の監視対象、第三王子のカールはダァンッと両手を床に打ちつけた。

 グイードはおしおき中のカールの監視役だ。

 選ばれた理由は、二つ。

 行き先の北の辺境とドゥフトブルーデ家の領地が隣で仲がいいことと、カールがユリウスをいじめていた過去があるので、間違っても手心を加えないだろうと見込まれたのだ。

 だから、心苦しくとも厳しくするつもりだ。


 今二人がいるのは北の辺境伯に仕える騎士たちが暮らす宿舎である。

 二人が使っているのは二人部屋で、室内は狭くシンプルだ。それぞれのベッドとクローゼットくらいしか家具がない。

 そして何より壁が薄い。


『こんな時間に騒ぐんじゃねぇ‼︎』

「ごめんなさい‼︎」


 ドンッという音と共に壁の向こうから怒鳴られ、カールは反射的に土下座をして謝っている。

 すっかりこの地でものを言うのは身分ではなく武力だと骨身に染みて理解したらしい。


 今回、カールを預かるにあたって国王陛下からカールには死なない程度で何をしてもよしと書かれた文書が届いているので、誰も遠慮がない。


 それ故に第三王子なのに見習い騎士と同じ扱いをされているわけだが、とても活きがいい。

 一日の訓練を終えてこの大声が出せるなら、やっぱりもうちょっとしごけるし、先日カールが泣いて拒否した特別訓練もできそうだ。


「おい、お前も謝れよ。というか、何を考えている」

「大声出したの、俺じゃないんで。

 いやぁ、カール殿下元気なんでやっぱり今度の山中偵察訓練参加できるんじゃないかなって……」

「い、いやだいやだいやだいやだ!!!!

 あれだけはぜったいやだ!!!!!!」

『うるせぇっ!!!!!!

 いい加減にしろ!!!!!!』

「申し訳ございません!!!!!!」


 ゴン、と頭を打ちつけて謝るカールにやっぱり元気だとグイードは感心した。





「グイードお前……。教官に何言った……」

「元気が余ってるみたいなんでもっと厳しくして大丈夫ですって言っといたぞ」

「お前……。なんてことを……」


 ぐったりとベッドに横たわり死んだ魚の目をするカールの様子に、見立てが正しかったと満足する。

 でもまだ話す余裕があるようだし、もう少し追い込めるかもしれない。


 グイードは幼い頃、食事も喉を通らなくなるくらいしごかれたものだ。

 食べないと明日のしごきに耐えられないので無理矢理飲み込む。

 訓練とはそこまで自分を追い込んでからが本番だ。


「あ、そうだ。

 パウル殿下たちがアンネ嬢の側室になった記念舞踏会に出席するために帝国に向かって出発したってよ」

「お前正気か。

 今のこの状態の僕にその話をするのか」

「だって、ヘルマン兄上から『帝国からお迎えの船が来たんだけどすごーい! めっちゃでっかい上、使用人いっぱいいるー! 音楽家とか女優までいて夜はオペラとか上演するんだって! すごーい!』みたいな手紙届いたから」

「ヘルマンそんな奴じゃないだろ!」

「ヘルマン兄上口下手なだけで心の中では割と無邪気だよ」


 そして筆まめだ。

 グイードはカールについて辺境に来てから二、三日に一通の頻度で手紙を受け取っている。

 話題は主に今の辺境の訓練内容だ。

 ヘルマンはあまり王太子から離れられないので、自分の鍛練の参考にしたいのだろう。


「なんでも最新式の客船らしくて、陸路だと一カ月かかるところを一週間で帝国に着くらしい。

 帝都近くの都市まで大きい運河で行けるからあっという間だな」

「そうか……」

「まぁ、国力を誇示する意味もあるだろうが、アンネ嬢のためにそれだけやるって愛されてるんだな」

「……うぅぅぅ、何故なんだ、アンネぇ」


 カールは枕に顔を埋め、しくしく泣き出した。

 湿っぽい。そんなに泣くなら始めから全力でぶつかればよかったのに、チマチマと妙な小細工をしているから奪われるのだ。


 アンネはカールの初恋の少女だ。

 ユリウスたちが出会ったあの茶会で一目惚れしたそうだ。

 しかし、その時は婚約者どころか婚約者候補にもできなかった。


 ユリウスをいじめた件のペナルティだ。

 あのいじめはユリウスを揶揄うカールを見た他の令息がユリウスは養子だと噂し始めたのが発端だ。


 主導したわけではないが、きっかけになっているし、その後、周りを諫めることもなく、むしろ同調していじめを助長した。

 王子の立場への理解も自覚もないものに婚約者などまだ早いと、彼だけ先延ばしされたのだ。


 静かだと思ったら、カールは枕に顔を埋めたまま寝ていた。

 苦しくないのだろうか。体勢も妙に真っ直ぐだ。背筋がピーンとしている。

 グイードはそっと掛け布団をかけてあげた。




「くぅ、寝違えた首がまだ痛い……」

「あんな体勢で寝落ちするからだよ」

「わかってたんなら起こせよ!」


 今日のカールは首を押さえているものの、ベッドに座っている上、怒鳴る元気があるらしい。

 温室育ちのお坊ちゃんと侮っていたが、そうでもなさそうだ。

 明日の様子次第では教官に更なるしごきを要請できる。


「監視役は、もっと優しい奴にしてほしかった……」

「えー、俺が優しくないって?

 そもそもカール殿下がちゃんと側近作っとけば俺以外も来てくれたんじゃねーの?」

「うぐっ!」


 痛いところを突かれてカールは黙りこんだ。

 カールは側近がいない。

 侍従や護衛はついていたが、彼らはあくまで国王が選んだ者で、カール自身には忠誠を誓ってはいない。


 本当は子供の時から自分で側近になる者を選び出して、仲を深めておかなければいけなかった。

 上の二人は何も言われなくともそうして、今では自分の選んだ者のみで身の回りを固めている。


 カールは一切そういうことをしていない。

 王妃が心配して、令息たちと交流を深めるように促しても、当たり障りのない関係しか築いて来なかった。

 だから今、寝違えた首を心配してくれる人もいないのだ。


 そもそもカールは影の薄い王子だ。

 何事においても人並み以上に優れている王太子ダーヴィトに、同じくらい優秀で、気さくな人柄から人気のある第二王子パウル。

 優等生二人に対してカールは目立った長所がなかった。


 失敗はないが、大きな功績もない。

 王家にはカタリーナという扱いの難しい、王女のような存在もいたので、ますますカールの影は薄く、陰口ひとつ、言われない有り様だった。


 周りはカールに何も言わなかった。だからこそ、カールは拗らせて、捻くれた。

 彼は勝手に兄二人と自分を比べ、卑屈になり、王子としてやるべきことを放棄した。


「……もう寝る」

「そうか、おやすみ」


 カールはグイードに背を向け、もぞもぞベッドに潜り込んだ。

 盛り上がった掛け布団がなんだか煤けて見える。


 グイードは兄弟と自分を比べたことがないので、カールの気持ちはよくわからない。

 そっくりなヘルマンとは性格が正反対だし、ユリウスはなんか生き物として違いすぎる。


 気持ちはわからないが、できることはあるのだ。

 グイードはカールの寝息がし始めたことを確認すると、軍医に貰ってきた薬をこっそり寝違えた首に塗っておいた。




「おかしい……」

「何が?」

「お前訓練終わりにちょっとかわいい子に声掛けられてただろ!」

「ああ、刺繍入りのハンカチ貰った」

「なんでお前モテてるんだよ! 筋肉のくせに‼︎」

「あの子、辺境伯のご令嬢の侍女だよ。

 うちの家とここ、領が隣で昔からの付き合いだから前からの知り合い」

「な、なんだ……。義理か……」

「前からお慕いしてましたって言われたけど。

 ときめくよな」

「ちくしょおぉぉぉぉぉ‼︎」


 一晩休んだおかげかカールはとても元気だ。

 これなら教官にもっとしごいて貰えるだろう。


 グイードにハンカチをくれた彼女は前から彼もかわいいな、と思っていたのでこれを期に告白してお付き合いすることになった。


 一番の心配事だったユリウスが幸せになり、残りの息子の女っ気のなさに両親が気づいてしまったので、いいタイミングだった。

 二人も安心するし、これでユリウスに見せつけられても辛くない。

 彼女はグイードの天使だ。


「なんでだよ……。なんで僕はモテないんだ……」


 カールは涙目でぶつぶつ言っている。

 多分、一緒に訓練している辺境の騎士たちも女性に声を掛けられたり、ものを貰っているからだろう。

 王子でおしおき中のカールに近づく剛の者など滅多にいないというのに、全然わかってないようだ。


「殿下はほら、王都にいた時取っ替え引っ替えしてたじゃん」

「……なんか、皆にこれっきりですよ、ちゃんとアンネ様を口説いてくださいねって言われた……」

「できたご令嬢ばっかじゃん。殿下見る目あるな」

「そういうことじゃない……」


 残念ながらモテていたわけではないようだ。

 美形なのにモテない上、好きな子にも振り向いて貰えない。

 そんな可哀想なカールに同情した女性たちが茶番に付き合ってくれていたらしい。

 自分に悪い噂がつきかねないのに優しいご令嬢たちだ。


 まぁ、彼女たちの優しさも虚しく、カールはアンネを口説くどころか横から掻っ攫われてもう手の届かないところに行ってしまったわけだが。


「僕の、何が悪かったんだろう……」

「まず、正面から好きだって言わないことだな」

「だって、だって……。恋愛は惚れた方が負けって言うじゃないか……」

「殿下は有利な立場でいたかったのか?」

「い、いや……。ただ、アンネが素っ気なかったから……」


 多分、カールはよくもわかってないのに恋の駆け引きなるものをしてみたのだろう。

 グイードは母から「恋は闘い」と教わった。


 恋とは確かに惚れた方が負けだ。だから相手を同じ恋と言う土俵に引きずり落とす。

 全力で口説いて引き分けに持ち込むのだそうだ。

 つまり、恋は敗北を認めるところから始まる。


「殿下は一目惚れだろ? 惚れた方が負けなら最初っから負けてんだよ」

「……そうか。僕は、最初から、負けてたのか……」

「そうだよ」


 カールはしょぼくれて布団に包まった。また泣いたまま寝落ちしてしまったようだ。

 もう寝違えないように、そっと回復体位をとらせる。

 明日はグイードもカールに厳しくしようと思う。

 失恋に効くのは筋トレだ。




「なんでお前まで……。僕に筋トレさせるんだ……」

「昨日元気だったから」

「お前……。お前……」

「声が出るならまだ余裕があるな」

「やめてほんとにやめて」


 口は動くがカールはぐったりベッドに横たわったままで、目は死んでいる。

 しばらくはこれくらいのしごき加減で勘弁してやることにした。

 カールはなんだかんだ言いながら、さぼらず訓練をこなしている。根は真面目なのだろう。


「この調子なら王都にもすぐ戻れそうでよかったな」

「……」


 カールのおしおきが終わるのは、本人が反省したと監視役や教官が認めた時だ。

 監視役のグイードとしてはもう十分だと思っている。

 ただ筋肉が足りないので王都に行っても筋トレは続けるべきだ。


 カールは喜ぶでもなく、無言で目を閉じている。

 眠ってしまったのだろうか。


「……帰って、僕の居場所はあるんだろうか」


 長い沈黙のあと、そう呟いた。

 グイードに話しかけているというより独白に近かった。


「父上の次はダーヴィト兄上がいるし……。

 ダーヴィト兄上の補佐にはパウル兄上がいる。

 父上と母上は二人がいれば満足だし……。

 じゃあ僕は、どこにいればいいんだろう……」


 きちんと自分の居場所を作ってこなかったのはカールの責任だ。

 でも、彼だけに責任を問うのは間違っている。


 カールがまだ幼いうちにカタリーナの問題が起こり、国王夫妻はそちらに気を取られた。

 上の王子二人もカタリーナという敵の出現で自分の地盤固めに必死で、家族はカールを気にかける余裕がなくなった。


 そしてカールは自分の頭の上で交わされる駆け引きについていけなかったのだろう。

 自分に近づく者が味方か敵かの判断もつかない。

 彼は、邪魔にならないよう、そっと避ているほかなかったのだ。


「グイードのところはいいよなぁ……。兄弟仲良くて」

「仲良くないと父上との手合わせでボコボコにされるからな」

「そうか……。でも、ドゥフトブルーデ侯爵は、優しいだろう……」

「まぁ、鍛練の時以外はな」

「いいなぁ……」


 ぼんやりそう呟き、カールはまた寝違えそうな姿勢て寝落ちした。

 とりあえず仰向けにして両手を組んでおく。


 もしかしたら、かつてカールがユリウスを標的にしたのはドゥフトブルーデ家が家庭円満だったからだろうか。

 はたから見れば、ひとりだけ毛色が違うのに、変わらず大切にされるユリウスが妬ましかったのかもしれない。


 なんにしろ、カールはいつか必ず王都に帰らなければいけないし、家族とも向き合わねばいけない。

 それは、誰も代わりになれないことだ。




「グイード、ユリウスが偽装結婚って本当か⁉︎」

「はぁ?」


 カールは先日落ち込んでたのが、嘘のように元気だ。

 元気な上おかしなことを言っている。

 兄夫婦の結婚は神と国に認められた正式なものだ。

 一体どこのどいつがそんなありえない話をカールに吹き込んだのか。


「な、なんか、カタリーナの療養が終わるまでの偽装だって……」

「偽装でなんで結婚までする必要があるんだよ」

「だよなっ⁉︎ カタリーナ、戻って来ないよな⁉︎」

「来ない来ない。それ多分王太后が広めようとしてたガセだ」


 カールの関心はカタリーナが戻って来るかどうかにあるらしい。

 カタリーナ自身はカールを歯牙にも掛けていなかったが、カールからしたら家族との断絶の原因はカタリーナにある。

 だから相当嫌っているようだ。


「……ガセ?」

「ガセだ。俺は詳しく知らないが、パウル殿下あたりが広まる前に対処したはずだ」

「そ、そうか……」

「カール殿下はちょっと噂を鵜呑みにしすぎだ。

 例の釣書の件も社交界の噂をまるっと信じてたせいだろう?」

「うぅっ!」


 ここに来る原因となったアンネを助けるためにグレゴリオに釣書を渡そうとした事件。

 あれはアンネがいるのに釣書を送ってきたと元々印象が悪かったことに加えて、社交界に流れるあまり良くないその令嬢たちの噂を知っていたため、躊躇いなく差し出してしまったようだ。


「噂ほど不確かなものはないんだから、丸呑みにするんじゃなく一度持ち帰って確かめるくらいしないと駄目だぞ」


 そう言っておや、と思う。

 カールはだいたい苦言を呈すると逃げるのだが、今日は聞く気があるらしい。


「……グイード、人は変われるんだろうか」

「変われるぞ。時間がかかるし、辛いけど」

「僕も、変われるだろうか」

「変われる」

「わかった」


 今の話の何がカールの琴線に引っかかったかはわからない。

 何かが響いた結果、カールは何かを決意したようだ。

 それは喜ばしいことだが、ひとつ確認しておかなけれはいけないことがある。


「殿下、さっきの噂、誰に聞いた?」

「さっきの? ユリウスのやつか? あれは、通りがかりに聞いたんだ。

 あの、アンネの従姉の……」

「エレン・リンデンバウム」

「そう、そのご令嬢と自分は婚約してて、今は貸してるんだとか、吹聴してる奴がいてな。よく考えたら、ありえないよな……」


 ありえないも何も、エレンが婚約していたのはユリウスただひとりだ。

 もしかして義姉はとんでもない妄想野郎に付き纏われているのだろうか。


「言ってたの、知ってる奴?」

「見たことあるような……。あ、一度教官が『あいつも王都から来たんだ』って教えてくれた奴かもしれん」

「ほぉ」


 それならグイードも覚えている。

 彼らと同年代のパッとしない男だ。

 こんな辺境にいる奴が広まる前の噂を何故知っているのか。調べてみる必要がありそうだ。


「そいつがどうかしたのか?」

「いや……。

 そういえば教官に殿下の訓練もっと厳しくして大丈夫か訊かれたなって思い出して。

 大丈夫ですって答えておいたぞ」

「お、お、お、お前……⁉︎

 な、なんてことを……」

「また明日も頑張ろうな!」

「もういやだ……」


 そう言いながらも、カールはグイードが教えた疲労回復効果のあるストレッチをして寝た。


 噂とその主から気を逸らすことができたらしい。

 王子のカールにはあまり近づいてほしくないので、忘れているうちにさくっと調べてしまおうと思う。




「グイード、今日は、何日目だ……」

「三日目。やったな、あと一日だ」

「まだ一日もあるのか……」

「大丈夫。最後の方とか意識が途切れて体感時間が短くなるから」

「いや、それだめなやつ……。

 それに最後は偵察訓練があるだろう」

「おっ、覚えてたか。えらいな〜」

「お前……僕を馬鹿にしてるだろう」


 今日の二人はいつもの部屋、ではなく鬱蒼とした森の中にいた。

 北の辺境領で最も過酷と言われる山中偵察訓練の真っ最中なのだ。


 この訓練は年に一度、辺境領とドゥフトブルーデ家の領地の境にある、イエティが生息すると噂の山で行われる。

 四日間山中を偵察をしながら行軍し、最終日に仮想の敵陣に潜入し、情報を持ち帰るという訓練だ。

 訓練を主導するのは辺境側だが、境目で行うので、ドゥフトブルーデ家側の騎士も協力しているし、参加もしている。


 装備は皮の鎧に短剣。

 持ち物は地図や方位磁石、薬のような衛生用品や、携帯食料と水筒など。

 彼らは斥候という設定なので、身軽にしている。

 但し敵に気づかれないため、灯りや調理に限らず火の使用は厳禁だ。


 隙ができやすい食事は一日一回、仮眠も一時間で、それ以外の時間はずっと山の中を歩き続ける。

 心身ともに極限状態に追い込まれたところを最後の敵情視察訓練で、如何なる条件下でも任務を遂行できるか試される。


 熟練の騎士でも脱落するこの訓練に、カールは自分から志願して参加した。

 そして、三日経った今、弱音を吐きながらも正気を保っている。


「お前はなんでそんなに元気なんだよ……」

「この訓練参加すんのこれで三回だからな」

「お前、頭、おかしい」

「そんなことねぇよ。辺境のこの訓練とうちの領の雪中行軍訓練を完遂するのが北の男の嗜みだぞ」

「お前ら、頭、おかしい」


 その頭がおかしい訓練に自分も参加しておいて酷い言い様である。

 しかし、その眼差しは絶対完遂するぞという気迫に溢れている。

 辺境に来たばかりのまったく訓練についていけてなかった頃と比べると、目覚ましい成長だ。


「王族でこの訓練参加したのカール殿下が初めてだから自慢できるぞ」

「いや、多分引かれる……」

「ヘルマン兄上は羨ましがると思うぞ。

 なかなか王太子殿下の傍を離れられないからどっちの訓練も参加できてないんだよな」


 ユリウスも長年カタリーナに束縛されていたので、実は北の男の嗜みを身につけているのは兄弟ではグイードだけだ。密かな自慢である。

 

 王太子殿下と聞いてもカールの集中は途切れない。

 吹っ切れた、というより腹を括ったのだろう。

 カールが今までやってきたことは変えようがないし、いきなり家族関係がよくなることもない。


 でも、カールの心持ちひとつで見える景色は変わるはずだ。

 何より今のカールには兄二人にはない鍛え上げられた筋肉がある。筋肉さえあればもう卑屈になることはないだろう。


「……お前、なんか変なこと考えてるだろう」

「全然」


 むしろ世界の真理と言っていい。




「グイード、遅かったな。どうしたんだ、一体」

「うーん、ちょっと野暮用でな」

「まさかデートか?」

「いや、デートは明日」

「えっ……。嘘だろう……?」


 今日はいつもの二人部屋で、順調に交際が進んでいる彼女とのデートを報告したら何故か絶望された。

 「そんな、馬鹿な……」とまで言われている。一発殴っても許されるんではないか。


 先日の山中偵察訓練をカールは見事に完遂した。

 そのためおしおきも終了が決定して、もうすぐ王都に帰る予定だ。

 グイードも監視しなくてよくなったので、最近二人は別行動が多い。


 最後は白目を剥きながらも訓練を完遂したカールはすっかり辺境の騎士たちの尊敬を集めている。

 そのため、カールは今騎士たちに引っ張りだこなのだ。

 おしおき中、外出できなかったので今は色んな場所に連れ出され、忙しい。


 そういった経験のないカールは嬉しいらしく、最近は寝る前にどこへ行ってきたのかグイードに話すのが日課だ。


「僕は明日も野郎共と遊ぶ予定なのに……」

「よかったなぁ、友達ができて」

「えっ、ま、まぁな」

「送別会もしてくれるらしいな」

「う、うん」


 なんだか急にカールがそわそわし出した。

 送別会が嬉しいのだろうか。いくら顔がよくとも男がもじもじするのはキモい。


「その、そのだな、グイードにはずっと世話になったな」

「まぁ、監視役だからな」

「うん、そうだな。でもだな、僕は感謝してるし、その、申し訳なくも思っててな……」

「ふぅん?」


 話の行き先がわからず、首を傾げる。

 カールはチラチラこちらを見ているが、目は合わない。


「……昔、僕はユリウスをいじめただろう。

 一応、罰は受けたが、本人にまだ謝ってない。

 けじめをつけるためにもちゃんと謝りたいんだが……」


 思わぬ提案に思わず真顔になってしまう。

 彼の表情を見たカールは何を思ったのか、顔を歪めて泣きそうだ。


「すまん、やっぱり駄目だよな……」

「いや、謝るのは別にいい。

 いいんだが……。果たして殿下に耐えられるかどうか……」

「いいのか⁉︎

 待て、耐えるとはなんだ」

「兄夫婦のイチャイチャに」


 グイードの言葉に、今度はカールがスンッと真顔になった。


「イチャイチャ……?」

「ユリウス兄上は誰に見られていようと気にせず嫁とイチャつくから、多分殿下が謝罪してる間も義姉上を横に置いてイチャつくと思う」

「くっ、う、うおぉぉぉ……」

「想像で白目剥いてるようじゃ、本物は耐えられないぞ!」

「だ、大丈夫だ。絶対、耐えてみせる!

 はっ、そうだ。恋人がいれば耐えられるんじゃないか⁉︎」


 そんな理由で恋人を作るなよ、とは思うが、面白そうなので止めない。

 失恋をいつまでもぐずぐず言い続けるよりずっと健全だ。


 目の前でいかに恋人を作るかで頭を悩ませるカールを見て、今日捕らえた男のことを思い出す。

 例のエレンの婚約者を名乗る怪しい男だ。


 彼はリンデンバウム伯爵の甥だった。

 伯爵の実家の男爵家は領地がなく、彼も王都住まいのはずだ。

 何故こんな辺境にいるのかと思ったら、左遷されたらしい。


 リンデンバウム伯爵はある時から実家と完全に縁切りをしている。

 縁切りされる前は少しばかりの援助金を貰っていたのだが、それがなくなり男爵家は生活が苦しくなった。

 さらに、リンデンバウム伯爵や、その姉に頼りたくとも、ミステル侯爵家が圧力をかけ、近づけなくしてしまったそうだ。


 男爵はそこで身持ちを崩すほど駄目人間ではなかったらしい。

 豊かとはいい難いが、男爵家はなんとか存続し、今は代替わりしている。


 男爵の子供たちだが、長男は男爵のあとを継いで、次男は商家に婿入りし、三男は文官になった。

 この三人は真面目に働いているようだ。


 エレンと一番年が近く、親に「お前は将来伯爵になるんだ」と言い聞かされて育った四男は、騎士を志願していたが実力が足りず、兵士になった。


 彼は性格に難があり、同僚たちと諍いを起こすことが多く、王都勤務から辺境に配置替えされたそうだ。

 辺境には似たような理由で送られてくる騎士や兵士がたくさんいる。

 そういった今の王家に不満がある層は王太后の派閥に取り込まれていることが多い。


 彼もそのひとりだったらしい。

 王太后が広めようとした噂を知って、彼はかつての夢を思い出した。


 親に何度も言い聞かされた、伯爵になる夢だ。

 エレンは彼のことなど頭の片隅にもないというのに滑稽だ。

 滑稽で、どこか悲しい。


 カールがこの地で大きく変わったこととは反対に、どんなに環境が変わろうと変われない人間もいる。

 一度見た夢を忘れられない彼は、たいした罪は犯していないので、このまま辺境に残ることに決まった。

 ここにいてくれた方がエレンの身は安全だろう。


 問題も片付いたし、訓練も完遂できて、すっきりした気持ちでグイードは辺境を去れる。

 カールは少し名残り惜しいようだ。

 せっかく仲良くなった騎士たちと別れるのが寂しいのだろう。

 だから、ひとつ提案した。


「冬になったら雪中行軍訓練受けにまた来ような」

「嫌だよ!」


 そんなことを言いつつもカールは絶対訓練に参加すると、グイードはもうよくわかっているのだ。

 訓練の内容は自衛隊を参考にしています。

 こんなことをやってるなんて本当にすごい……。

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― 新着の感想 ―
[一言] カールくん、いろいろ間違ったけど、結果として得難い友人と筋肉が手に入って、よかったねぇw
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