試練の舞踏会
感じの悪い人物が登場します。
苦手な方は注意してください。
菫の花が咲く頃、二人は無事王都に着いていた。
こちらに来てまずしたのが、ドゥフトブルーデ家に挨拶に行くことだ。
ズュートで行う結婚式に家族全員で参加してくれることになったのだ。
ただ、ドゥフトブルーデ家の舞踏会と王宮の夜会にも参加することになってしまった。
ユリウスがリンデンバウムに婿入りしたので、それを知らせるのと、エレンは今年夜会デビューなので、ひとつは王宮の夜会に参加した方がいいというのがその理由だ。
ユリウスは大丈夫だと言うし、今更ひとつが三つに増えたところでそう変わらない。
これから貴族として生きていくならこういった付き合いはどうしても避けられぬものだ。エレンも腹を括ってユリウスを支えることにした。
久しぶりに訪れたドゥフトブルーデ邸ではヘルマン以外の家族全員が二人を待っていた。
ヘルマンは遅れて来るそうだ。王太子の側近は忙しい。
「こうしてまた会えるなんて夢のよう」
目を潤ませて、侯爵夫人がエレンの手をとる。隣の侯爵はかっこいい眉毛を下げて、すでに泣いていた。
横では侯爵の生き写しに育ったグイードが元気になった兄を見て目を丸くしていたはずだが、何故かぶぅん、ぶぅんと風を切る音がした。
「兄上元気になってよかったー!」
おそらくグイードがユリウスを抱え上げてぐるぐる回していた。エレンの目には捉えられないスピードだ。
理解ができず、呆気に取られるエレンをよそに侯爵がグイードをぶん殴り、侯爵夫人がフラフラのユリウスをキャッチしていた。素晴らしい連携だった。
完全に酔ったユリウスはエレンが膝枕で介抱した。
必死なあまり意識してなかったが、親の前でこれはかなり恥ずかしい。
赤面するエレンに対し、侯爵にぶっ飛ばされたグイードはしくしく泣いていた。「見せつけられてる……」と漏れ聞こえたが、なんのことだろうか。
ユリウスがある程度回復したところで本題に入った。
まず、ドゥフトブルーデ家の舞踏会とその招待客についてだ。
舞踏会にまずい人物は呼んでいないとのことだが、何しろ人数が多い。なので、早めに来て一曲か二曲踊っていってくれれば帰っていいそうだ。
側にヘルマンかグイードが常にいるように配慮してくれるそうで心強い。
それから王宮の夜会について。
これは一月ほど先にある王子のお披露目会に出るのが良さそうという話だった。
去年結婚した王太子妃が無事第一子を出産したのだ。
とりあえず、お祝いの言葉さえ言っておけば、こちらも早めに抜けて問題ないそうだ。
ユリウスにとても配慮してくれているし、慣れないエレンでもなんとかなりそうで安心した。
でも今年はこれで乗り切れても、来年、再来年があるのだ。ユリウスはともかく、エレンは甘やかされすぎなので、もっと頑張らねばならない。
話が終わり、そろそろ帰ろうかと席を立ったら、丁度よくやっぱり侯爵そのものに育ったヘルマンが帰ってきた。
ユリウスを見てこれ以上なく目を見開いたと思ったら次の瞬間抱きしめていた。
兄弟の久しぶりの抱擁に感動する間もなく、ユリウスは万力のように締め上げられて人体からしてはいけない音が出ていた。
再び侯爵がヘルマンを殴り飛ばし、夫人がユリウスを助け起こしていた。
ユリウスはまたエレンの膝に戻ってきた。
なんというか、ドゥフトブルーデ家の愛情はバイオレンスだ。
その日、ユリウスは回復しなかったので一晩泊めて貰ってから帰った。
あれだけのことがあったのに寝て起きたら復活しているユリウスはやっぱりドゥフトブルーデ家の人間だな、と実感した。
試練だと気合いを入れて臨んだが、拍子抜けするほどすんなり二つの舞踏会は終わった。
リンデンバウム家の舞踏会は父がかなり招待客を厳選したし、王宮の元女官であった伯母が采配するので手抜かりはない。
その上祖母が目を光らせているので、エレンは好きなだけ初披露のダンスに緊張していられた。
ユリウスは例の噂があるので、絡まれるのではないかと案じていたがそんなことはなく、終始和やかだ。
おかげでユリウスも落ち着いて、むしろ緊張しているエレンをうまくリードしてくれていた。
むしろ懐かしい人々が集まってくれて、エレンには楽しいだけの会となった。
ミステル家の大伯父が祝いの言葉を述べてくれてとても感動し、ミハエルはかっこよく育ちすぎてて引いた。
普段手紙のブランシュとアンネに久々に直接会えてたくさん話せたのが、何より嬉しかった。
二人はユリウスのことをわかっていて、負担にならない距離を保ってくれるので安心できる。
アンネは知らない男性にエスコートされてきた。
もしかして過去のユリウスいじめの件を知って第三王子、カールを連れて来なかったのかと思い尋ねると、肩をすくめて誤魔化された。
アンネがダンスをしている間、ブランシュがこっそり教えてくれたところによると、最近カールはアンネ以外をパートナーにして夜会に参加しているらしい。
しかも毎回別の令嬢だ。
ブランシュ曰く、アンネはカールのことが好きでも嫌いでもないので、気を引きたいらしい。別の令嬢と仲良くするところを見せつけ、嫉妬されたいのだ。
アンネにそれは逆効果だと思う。今の二人はあくまで婚約者候補で、互いになんの拘束力もない。
父親の公爵が王族との縁をどれだけ望んでいても、アンネはそんなもの無視して自分が望む相手を選ぶだろう。
カールはアンネが全然わかってない。
それにやり方が子供っぽい。
結局、ユリウスよりもアンネの心配ばかりして我が家の舞踏会は終わった。
ドゥフトブルーデ家の舞踏会はもっと楽だった。
無口無表情のヘルマンがユリウスの隣に立ち、周囲を睥睨していたからだ。
ダンスを二曲続けて踊ったあと、話しかけてきたのは知り合いばかりである。
エレンは未だにヘルマンの声を聞いたことはないが、弟想いの優しい兄だということはよくわかった。
今のところまったくエレンが役に立っておらず、落ち込んだ以外は至って平穏に二つの試練は去った。
次なる最後の試練は出だしから躓いた。
遅刻したのだ。
決して出発が遅かったわけではない。先に出た父と祖母とそう変わらずに出発した。
その数分の間に小麦を積んだ荷馬車が横転して道を塞ぐという事件が起こっただけだ。
結果、遠回りすることになって遅刻したのだ。不可抗力だ。
待機していた執事に招待状を見せたところ「こちらからお入りになると目立ちませんよ」と気を利かせてくれた。
遅刻する人が結構いるのかもしれない。
そんなわけで、二人はこそこそ会場入りしたのだ。
「カタリーナ・ナルツィッセ! そなたとの婚約を破棄する!」
水を打ったような静寂の中、そんな言葉が響き渡ってユリウスと二人、唖然としてしまった。
それは、この場どころかこの国にいないはずの人の名だ。
会場のど真ん中にぽっかりと人の輪ができていた。
その中心に、男女二人が睨み合い、男性に手を掴まれて横に立つ女性がいた。
睨み合っているのは銀髪で王族と同じ碧眼の儚げな美人と黒髪の背の高い青年だ。エレンの位置からだと青年の顔は見えない。
もうひとりの女性は淡い金髪で後ろ姿だけだが、とてつもなく見覚えがあった。
「そして、このアンネ・カスターニエ嬢と婚約する!」
やっぱり! と内心叫ばすにいられなかった。一体何が起こっているのか。アンネはなんであんなことに巻き込まれているのか。
疑問符ばかり浮かぶが、彼らの話は続いている。
「な、何故……」
初めて見たカタリーナ・ナルツィッセは噂に違わぬ美しさで、折れそうなほど細かった。声もか細く今にも倒れてしまいそうだ。
「わからぬか。
祖国の王位を手に入れるため、この俺に王配になれなどとのたまう傲慢さだ」
誰かが息を呑む音が大きく聞こえた。
カタリーナの野望は今まで限られたごく一部の者しか知らなかった事柄だ。それがこの場で暴露された。
「帝国の皇子たる俺が、何故こんなチンケな国の王位を奪う協力をしてやらねばならんのだ。
そも、ろくに帝国に馴染めなかったそなたに女王など務まるものか」
カタリーナは震えるばかりで言葉もない。
彼女を取り巻く貴族たちも信じられないようなものを見る目で彼女を見ている。
「さぁ、アンネ。国王の許可を貰いに行こうか」
「お、おやめになってください……」
「ま、待ってください、グレゴリオ皇子! 彼女は私の婚約者です!」
「ふん、婚約者候補だろう。俺に逆らえると思っているのか?」
カタリーナを置き去りにして、アンネを引きずるように皇子は国王の前に移動し、おそらくカールとおぼしき青年がそのあとを追う。
ちらりと見えたアンネは本意ではないようで弱々しい顔を作りながらも目が苛立っていた。
国王は苦虫を噛み潰したような表情で三人を別室へ誘導した。
残された人々はそのまま動けず、静まり返っている。
――カタリーナを見ながら。
その中で、まず動いたのはパウルだった。カタリーナも別室に移動させないと仕切り直しも解散もできない。
俯いて震えていた彼女はバッと顔を上げ、ぐるりと会場を見渡した。
そしてピタリとユリウスを捉えた。
「会いたかったわ、ユリウス! わたくし、やっと解放されたの!」
カタリーナは淑女にあるまじき速さでユリウスに向かってくる。人々は咄嗟に避けたので真っ直ぐ一本道ができてしまった。
彼女を止める者は誰もいなかった。
「ずっとあなたの元へ戻れる日が来ることを夢見ていたの。また婚約を結び直しましょう!」
掠れながらも響く声で健気な乙女らしいことを言いながら、彼女の目はギラギラしていてユリウスへの好意は見て取れない。追い詰められた獣のようだ。
近づくにつれ、彼女は細いと言うよりやつれていることが見てとれた。まるで、一年前のユリウスのようだ。
異様すぎるカタリーナの様子に及び腰になる自分を叱咤する。
ユリウスを守ると、もしカタリーナと対峙しても真っ直ぐ受け止められる大人になると誓ったのだ。
ユリウスを背に庇うため前に出ようとしたのだが、本人に腰を引き寄せられ、できなかった。
見上げると、動揺もなくカタリーナを見据えていた。
「おやめください、ナルツィッセ嬢。ぼくはもう、あなたの戯れには付き合えません」
「戯れなんて、何を言ってるの? 婚約をし直して、また一緒に仲良くすごそうと言っているの」
「あなたと仲良くしたことはございませんし、婚約もしていません。ぼくは国王陛下に頼まれてあなたの護衛としてそばに控えていただけです」
「なに、なにを言っているの⁉︎」
エレンも知らない事実に目が丸くなる。
婚約していないって嘘だろう。思わずユリウスを見上げるが、彼はカタリーナを睨み続けている。
だからエレンはカタリーナの視線が彼女に向いたのに気づかなかった。
「……そこのあなた、何故ユリウスの隣にいるのか知らないけれど、どいてくださる? 今は混乱して変なことを言っているけれど、わたくしとユリウスは愛し合っているの」
そう言葉を投げかけられて、カタリーナの顔を正面から見る。
憔悴しきった、哀れな女だ。とても可哀想だ。でも、その声は傲慢さが滲む冷たいもので、瞳はギラギラと威圧的だ。
愛し合っていると言ったのに、そこにはひとつの愛も見て取れなかった。
「申し訳ございません。そのお願いは聞き入れかねます。わたしは彼の妻ですので。
それに、わたしずっとユリウスに恋をしているのです」
だから譲れないのだ、と含ませ、またユリウスを見上げた。今度はちゃんと目が合った。
その瞬間かつてと同じ幻視が見えた。
次々に花開く蕾。
エレンの胸に芽生え、むしられても育ち続けたものが、今花開いた。
それは髪に飾られたポピーであり、二人で見た藤であり、プロポーズと共に贈られた赤い薔薇であり、降り注いだ銀木犀だった。
これが恋なのだ。
ユリウスと出会って恋を知り、会えない間に理解を深め、そしてやっとはっきりと形を持ってエレンの心に現れた。
これがエレンの恋で、できればユリウスの中にも同じものが育っていてくれたら嬉しいと瞳を覗き込む。
そこに確かに同じ熱を見て、またひとつ蕾が開いた気がした。
もはや今のエレンにはユリウスしか見えていなかった。
現実に戻ったのは、彼女の冷たい言葉が聞こえたからだ。
「ユリウス、わたくしはお前でいいと言っているの」
「お断りします」
完全に健気で哀れな乙女の顔をかなぐり捨てた命じる声で、何か続けようとしたカタリーナに被せて、ユリウスは拒否した。
「ぼくは、あなたでは嫌です。
ぼくもまた、エレンに恋をしているのです」
ユリウスの言葉に、カタリーナは茫然自失の体で立ち尽くした。
そのまま瘧にかかったように激しく震え出し、低い唸り声を上げる。彼女は髪を掻きむしると、ユリウスに向かって突進してきた。
「そこまでにしてもらおうか!」
素早くカタリーナを組み伏せたのはグイードだった。パウルが過剰な人数の衛士を呼び、厳重に囲ませ、暴れる彼女を連れて行かせた。
「皆、本日は我が子の誕生を祝うために集まってくれたのにこのようなことになって申し訳ない。後日かわりの催しをするので、今日は解散ということにしてほしい」
タイミングを見計らったように王太子がそう言って視線を集め、その隙に二人はパウルに無言で会場を追い出された。
これはこのまま帰れということだと理解し、他の貴族が出て来る前に二人は馬車へと急いだ。
「エレン」
「もう大丈夫、頑張ったね、ユリウス」
ヒューヒューと苦しげな呼吸音が馬車を満たす。
加減を忘れた力で抱きしめられてエレンも苦しかった。
でもこれが、ユリウスが助けを求めている証だと思えば耐えられた。
「エレン」
「ここにいるよ。ずっと一緒だからね」
背中をゆっくりと撫でる。
激しい呼吸を繰り返しているのに、体はとても冷たかった。
少しでも、エレンが暖められるといい。
一年ぽっちじゃ、心の傷は癒えなかった。
でも、ユリウスが苦しい時ちゃんとエレンが側にいられた。
馬車が邸に着いても、二人はしばらく出て来れなかった。
あと二話ほどで終わります。