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初恋  作者: 明石 みなも
本編
14/21

円満な新婚生活

 百合の花が強い日差しにも負けず花開く頃、エレンは物陰からこっそりユリウスの様子を見ていた。


「先生もっとお腹へっこませてよ。見つかっちゃう」

「とっくに見つかっとるわ。ほら、坊っちゃんがチラチラ見てるぞ。行ってやれ」

「嘘‼︎」


 本当だった。割とがっつり見られていたので、観念して物陰から出る。

 暑くなったので鍛練中の体調を見に来た先生とユリウスの元へ歩いて行く。


 今のユリウスは鍛練だけでなく、訓練もしている。

 ズュートに夏が来て、また祭りの準備が始まったからだ。

 王都から伯母と一緒に帰って来た父により、ユリウスは祭りの警備の責任者に任命された。


 エレンとしては昔の約束通り、ユリウスを案内したかったのだ。

 だが、父は「いつか、ここの領主になるんだから」と言い、ユリウスもやりたがったので彼の意思を優先した。


 しかし、心配である。

 警備は毎回リンデンバウムの騎士たちと地元の自警団が協力して行っている。

 昼間は迷子を保護するくらいでそこそこの忙しさだが、夜は紛れ込んだ未成年を捕まえたり、酔っ払いを介抱したり、酔っ払いの喧嘩を仲裁したり、酔っ払いに絡まれたり、とにかく大変なのだ。


 それに騎士たちや自警団には少ないが女性がいる。

 エレンや先生によりユリウスの状態は周知されているが、一緒に訓練して大丈夫だろうか。

 それが心配でこっそり物陰から見ていたのだ。すぐ見つかったのでまったく様子を見られていない。

 ユリウスは今のところ顔色もいいし、緊張しているようには見えない。


「暑いからそろそろ休憩だ。飲み物と摘めるもん頼んできてやったから感謝しろ」


 先生がそう声をかけると歓声が上がる。タイミングよく侍女たちがピッチャーやバスケットを持って現れた。

 ユリウスは受け取れないので代わりに行くと何故かとてもいい笑顔で皆とは違うバスケットを渡された。

 周りの者にも生暖かい笑みで見られて居た堪れない。

 お願いだから「これだから新婚さんは〜」みたいな目で見ないでほしい。


 二人は木陰のベンチに座ってバスケットを開けた。中には蓋付きのピッチャーに入った冷たいお茶とフルーツサンドが入っていた。大きな枇杷を三つも挟んだものと、パンと同じサイズにカットされたメロンを挟んだものだ。いずれもクリームたっぷりだ。

 大変おいしそうだ。

 でもこれはユリウスのものなのでエレンは食べないのだ。お茶だけは貰おう。


「昔みたいに分けて食べようか」

「食べる」


 お呼ばれしたら応えなくてはいけない。人類の義務だ。

 クリームたっぷりのサンドイッチを手でちぎって分けるのは難易度が高すぎるので、普通にメロンのものと枇杷のものをひとつずつ貰った。

 

 メロンは大ぶりなのに、舌で潰れるほど熟れていて、濃厚なクリームに負けない甘さだ。枇杷の方はクリームにヨーグルトでも入っているのか、酸味があって、それが枇杷の甘さをより引き立てていた。


 どちらも素晴らしくおいしく、うっかり無言で完食してしまった。

 ハッとして隣のユリウスを見ると、フルーツサンドを片手ににこにこしている。


「た、食べないの?」

「食べるよ。あ、もう一個いる?」

「もうお腹いっぱいだよ」

「そう? 残念。食べてるところ、すごくかわいかったのに」


 さらりとそういうことを言うのはやめてほしい。

 そもそも食事は毎回一緒に食べている。エレンが食べるところなんて飽きるほど見ているだろう。


 やっとユリウスはフルーツサンドを食べ始めた。

 最近のユリウスは先生曰く「成人男性の適正量」の食事が完食できるまでになった。

 ユリウスは鍛練をしているのでもう少し食べた方がいいらしい。細身ではあるが、もう抱きしめても骨の感触はしなくなったので一安心だ。


「ユリウス、訓練は大丈夫? 女の人たちとうまくやれてる?」


 そのため、今の心配事はそれ一択だ。

 ユリウスはふんわり微笑んだ。


「うん、大丈夫だよ。皆のおかげでうまく話せてる」

「話せるようになったの⁉︎」

「うん。女性との間に男性に立って貰うんだ。そうすると姿が見えないからか、怖くないんだ」


 エレンはユリウスを見てから休憩する騎士たちを見る。いずれも劣らぬ屈強の男たちだ。

 女性騎士は女性としては大きいが、あの男たちの影には完全に隠れるだろう。

 しかし、はたから見ると異様な光景だ。話し合う美青年と女性騎士に挟まれる筋肉。

 でも本人たちはとても真剣で、真面目なのだ。それでうまくいっているならいいのだ。


「よかったねぇ」

「うん。これでもっとエレンの役に立てそうだよ」

「わたしはユリウスが側にいてくれるならなんでもいいよ」

「エレン……」


 ぎゅっと手が握られる。

 金木犀色の瞳に見つめられると、あの懐かしい夢見心地が戻ってくる。


「そういうのは部屋でやってくれ」


 先生に呆れた顔で言われて、慌てて手を離す。

 また皆に生暖かい目で見られていて、エレンは縮こまった。




 ユリウスの体調が安定したため、最近二人は部屋を移った。

 祖母が準備をしてくれていた、コネクティングルームだ。わざわざ廊下に出なくても互いの部屋を行き来できるので、エレンは夜になるとユリウスの部屋のベッドで寝ている。


 ユリウスに仕事ができたことで四六時中べったりではなくなったし、最近は遠乗りにも行けていないが、散歩の習慣は続いている。


 朝の清しい空気に、エレンの大好きな花の香りが芳しくだだよっている。

 ユリウスと同じ色の金木犀と銀木犀だ。一時は見るのを避けてたりもしていたが、今はこの上なく安らかな気持ちになれる。

 ユリウスが隣にいてくれるからだ。


 迷路のように植えられた木々の間を手を繋いで歩いていると、離れていた十年の月日すら埋まっていく気がする。


「いい香りだね」

「うん。一番好きな香りなの」

「ぼくも好きだな」


 そんな、なんでもない話をしているだけで、不思議と満たされる。

 好きな人と好きな花を見るだけで、こんなにも人は幸せになれる。

 なんだかエレンばっかり幸せで、もっとユリウスのためにできることをしないとな、と思う。

 ふと、気になっていたことを思い出した。


「ユリウス、お父様とうまくやれてる?」

「うーん、多分。たくさん助言してくださるよ」

「本当? 撫でさせてとか言われてない?」

「い、言われてないよ……」


 ユリウスの返事に胸を撫で下ろす。

 父にとって小さい頃から知っているユリウスは親戚の子くらいの親近感があるはずだ。懐に入れた者には優しい父からしたらかわいくて仕方ないに違いない。

 しかし、いい歳をしたおじさんが立派な青年の頭を撫でていたらちょっとアレである。


「もし言われたら素直にきもいですって言っていいからね。うちのお父様、愛情が過剰なの」

「それは、エレンだけにじゃないかなぁ……」

「アンネにも言ってたもの」

「彼女は姪だからだよ。流石にぼくにはそんなこと言わないよ」

「そうかなぁ」


 ユリウスはそう言うが、エレンはその点だけは父を信用していない。父がユリウスを困らせないようにしっかり見ておこうと思う。




 祭りの当日は晴天で、大変な賑わいだった。

 今年のエレンはちゃんと神殿まで辿り着けて手伝いもできた。ケーキも配り終わって一息吐けたところだ。


「姫さま、見て〜! かわいい?」

「かわいいよ。お母様に作って貰ったの?」

「うん!」


 エレンの前で少女がクルクル回る。たまご色のワンピースの背中に白い布で作った羽が縫いつけられている。

 他の子供たちも何かしら普通とはちょっと違う何かが付け加えられた服を着ている。


 アンネが導入した仮装は未だに続いている。

 今では領民たちも仮装し始め、中にはリンデンバウムで用意する衣装より本格的なものを自作する者すらいる。

 元々祭りの由来である神々の時代の仮装だったのに、最近ではなんでもありになってしまった。


 エレンの今年の仮装も魔女なので人のことを言えない。

 葡萄色の大きな三角帽子を被り、マーメイドラインの葡萄色のドレスの上に黒いマントを羽織った仮装は魔女らしくて子供たちに好評だった。

 「食べちゃうぞ〜!」と言いながら追いかけるときゃあきゃあはしゃいで逃げていく。何度も脅かされに戻ってくるのでなかなか大変だった。


「エレン!」


 そろそろ日が落ちるので片付けを手伝っているとユリウスが駆け寄ってきた。

 ユリウスの仮装は首なし騎士のデュラハンらしいが、当然ユリウスに首はあるのでただの麗しの騎士になっている。

 ワインレッドと黒を基調にしているのでやや悪役っぽいが、ユリウスの優しい顔立ちではどうやっても悪役にならない。


「お疲れ様」

「ユリウスこそお疲れ様。まだこれからもあるけど大丈夫?」

「うん、まだ大丈夫」


 当たり前のように抱き寄せられて、口付けでもしそうな距離で見つめ合う。

 遠くで黄色い悲鳴とか、囃し立てるような指笛の音がして恥ずかしい。

 ユリウスはあまりこういうスキンシップを人に見られても羞恥を覚えないタイプらしく、ひたすらエレンばかりが恥ずかしがっている。


 体勢が恥ずかしいが、ユリウスの体調も心配だ。警備では街中を見回るのだ。馬には乗れないので必然的に女性とすれ違う機会も増える。

 見たところ、顔色はいいし、変な汗をかいたり、震えたりもしていない。昼間は問題なかったようだ。

 しかし、エレンはもう帰らなくてはいけない。騎士たちにはよく頼んでおいたが、置いていくのは不安だ。


「ユリウス、無理しないでね。辛くなったら周りの皆に頼って。お父様も助けてくれるから」

「うん、ありがとう。絶対無理はしない。遅くなるから先に寝ていてね」

「うん。待ってるよ」


 そう言葉を交わして別れた。

 夜の祭りは明け方まで続く。いつもは父が完徹するが、今年は深夜でユリウスと父が交代する。

 ユリウスのおかげでまた少し父の負担が減った。エレンももっと頑張って父に楽をさせてあげたいものだ。


 空が色を変え始めたので、エレンは急いで帰路に就いた。




 ぼんやりと慕わしい匂いがする。意識は朧だが、慣れ親しんだ暖かさに擦り寄る。


「ユリウス」


 まだ眠たくて、目が開かないので感覚だけを頼りに手を伸ばす。探さなくても暖かい体は自分からエレンの腕の中に入ってきた。

 逆にすっぽりと包まれる。


「起こしてしまってごめん」

「だいすき」

「えっ」

「だいすき」


 世界一落ち着く場所に収まって、エレンは再び眠りに落ちた。




 いつも通りユリウスの腕の中で、いつもの時間に目覚めてエレンは困っていた。

 いつもよりがっちり抱き込まれていて、身動きが取れない。

 ユリウスは昨夜遅かっただろうから、もう少し寝たいだろう。それに付き合って二度寝してもいいのだが、完全に目が覚めてしまって、まったく眠気がない。


 なんとか抜け出そうともぞもぞしたら、ユリウスが目を開けた。起こしてしまったようだ。


「ユリウスおはよう。起こしてごめんね」

「……エレン」


 朝の挨拶をすると、ユリウスはほんにゃりと柔らかく気の抜けた笑みを浮かべた。

 確実に寝ぼけている笑顔だ。加減ができていない力でぎゅうぎゅう抱きしめられる。


「エレン、結婚式したい」

「結婚式?」


 突然何を言い出すのだろう。二人はとても簡素だったが、結婚式をやっている。


「だめ?」

「いや、駄目じゃないけど……」


 領主をやっている貴族は王都と領地の両方で結婚式を挙げたりする。

 王都での挙式はシンプルこの上なかったので、領地で盛大に式を挙げてもいいかもしれない。


「うん、やろっか、結婚式」

「ほんと? エレンのウェディングドレス、楽しみ」

「わたしはユリウスの正装が楽しみだなぁ」


 ぽやぽや笑っているユリウスはやっぱり半分以上まだ夢の中にいるが、もう取り消しはきかないのだ。

 なんとかこの腕から脱出し、すぐさま父に相談したい。


 結局、脱出は叶わなかった。

 ユリウスはしばらく経つとだんだん目が覚めてきて、自分が言ったことを思い出して赤くなったり、青くなったりしていた。


「ベッドで言うことじゃなかった……。や、やり直しさせて……」

「えぇー? 駄目」


 無意識で言ってくれたことが嬉しかったので、それだけは却下した。




 結婚式に関して父に相談すると「やろう! 是非!」と言ってすぐさまドゥフトブルーデ侯爵に手紙を送っていた。もう一度やっていると言っても相談する必要があるのだ。


 祖母はクローゼットの奥から母のウェディングドレスを出してきた。

 昔ながらの首のつまった奥ゆかしいデザインで、トレーンがなく、ベールも短めのところに活発な母らしさが出ていた。

 祖母は「古臭いかしら」と言っていたが、直せばいいのだ。一から作ると時間もお金もたっぷりかかってしまう。

 現にブランシュのドレスは急がせても一年半かかると手紙に書いてあった。

 もう結婚しているのだからそんなに時間をかけていられない。参加する人が楽しければいいのだ。


 伯母は張り切った。「そういう催しの采配は久しぶりだわ!」と大興奮だ。

 とても助かるし、伯母が生き生きするのはいいことだ。ただ、倒れない程度にしてほしい。


 結婚式は来年の初夏ぐらいに挙げる予定に決まった。

 それに伴い春に二人のお披露目を兼ねた舞踏会を開くことも決定した。父とユリウスが相談してそうなったのだ。

 次期当主が領地に引きこもってばかりでは今後のためによくないと言っていたが、エレンは不安である。


 ユリウスはもう女性に近づかれた程度では怯えなくなった。

 祖母や伯母となら話せるし、女性騎士たちとも筋肉の壁なしで接することができるようになった。

 体型は細身のままだが、エレンの腕が回らないくらい、厚みのある体になった。

 一見すると健康に見えるが、先生が言っていたように、心の傷は目に見えないのだ。完治したかは本人にすらわからないだろう。


「大丈夫だよ。エレンがずっと隣にいてくれるでしょう?」


 勿論だ。ユリウスのためならどんな甘いものの誘惑も耐え抜いて、誰にも隣を譲らない。

 しかし、そのエレンは夜会デビューどころか六歳の時から社交場に出ていない。不安しかない。


 祖母にレッスンの申し入れをすると、早速「笑顔があまりにもだらしない」と呆れられた。

 ここ半年、幸せすぎたので仕方がないと思う。


 年が明けて春になるまで、リンデンバウムは楽しみな結婚式と試練の舞踏会の準備で忙しかった。

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