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初恋  作者: 明石 みなも
本編
11/21

恋とは

 祭り当日は晴天で、秋らしく空が遠く見えた。

 会場は領都の円形広場だ。西側にデメテル、東側にデュオニュソスの神殿があり、それぞれ飾りつけられている。

 神殿の他の施設はすべて閉められその前には屋台が所狭しと並ぶ。

 広場の中央は舞台が設置されていて、昼間は子供たちによる劇が上演される予定だ。

 夜はというと地元の楽器が弾ける者とのど自慢が上がり、その音楽に合わせて酔っ払いたちが踊るという混沌が繰り広げられる。


 昼過ぎに早くも屋台が始まり、それに惹かれて段々人々も集まってきた。

 皆が屋台に夢中の三時頃、父の号令でデメテルの神殿の儀式が始まる。

 儀式と言っても堅苦しいものではない。

 地区ごとにドライフルーツをたっぷり使い、ブランデーを染み込ませたケーキをひとつ奉納するのだ。

 神殿ではお返しに麦の形をした木のお守りを地区の戸数分渡す。このお守りがあれば来年も豊作に恵まれると言われている。


 この儀式には、ちゃんと由来がある。

 冬は、娘が冥府の夫の元へ行き、離れて暮らすことをデメテルが悲しむことで始まるのだそうだ。

 この地に暮らす女性が、悲しむデメテルを少しでも慰めようと捧げたのがドライフルーツのケーキだった。

 「冬になるまでにあなた様のおかげで出来たものです」と言って渡されたケーキをデメテルはとても気に入り加護を与えたそうだ。

 そのためズュートは冬でも温暖で、地の恵も絶えないのだと言われている。


 子供たちの劇でその由来譚が演じられるのだが、何故か本来登場しない女性の恋人が出てくる。しかもその恋人が冥府へ行ってデメテルの娘の夫の冥府の神を殺し、娘をデメテルの元へ取り戻す、と言う筋書きに変わっている。

 神を殺しちゃ駄目だろう。

 とは思うが、冒険要素があるので元の話より人気がある。今では本来の由来譚を知らない者もいるくらいだ。


 エレンはその劇が上演され始めたのを遠目に確認し、本来いるべき場所に視線を送った。

 神殿に奉納されたケーキは一度デメテルの前に置かれたあとその場で切り分け、配られる。

 毎年エレンはそのケーキを配る係をやっていた。

 しかし、今年はそもそも神殿の前までたどり着けていなかった。


「ひめさま、きれい! これどうしたの?」

「ほんもの? はえてきちゃったの?」

「どうかな〜? 引っ張って確かめてみる?」

「えー! ちぎれちゃったら、かわいそう!」

「やさしくするからさわっていい?」

「いいよ」


 エレンより幼い少女たちが目を輝かせて、そっと背中の羽に触る。ふわふわだと綻ぶ笑顔に心が和む。

 でも少女たちに囲まれて、エレンは身動きが取れなくなっていた。


 アンネがエレンに用意した仮装は神話に出てくる世界一の美女、ヘレネだ。

 わかっている。エレンはごく普通だ。なのでとても恥ずかしい。それもこれも全部アンネに丸投げしたせいなので、甘んじて辱めを受け入れよう。


 設定は恥ずかしいが、衣装は素晴らしい。

 百合の花のように裾に向かって広がるドレスで白からワインレッドへ変わっていくグラデーションに染められている。初めて見る細やかなシワ加工が布に施されていて、まるで芙蓉の花びらのようだ。

 一番すごいのは背中の鳥の羽で、木枠に布を貼って本物の羽を縫いつけている。まるで舞台衣装だ。本格的すぎる。

 見た目よりも重いので肩にずっしりくるが、我慢できない重さではない。


 アンネの衣装はエレンのものとはまったく違う。パフスリーブにホタルブクロのような形のスカートで、ロゼワインに似たピンク色のドレスだ。

 非常にボリュームがあるシルエットだが、アンネの華奢な体型を一層引き立てている。布に光沢があり、日を浴びると虹色に光る。

 背中にはやっぱり羽があって、アンネは蝶の羽だ。こちらも木枠に様々な色の布を縫い合わせたものを貼っている。

 仮装の設定は美の女神に妬まれるほど美しい人間の娘、プシュケだそうだ。ぴったりだと思う。




 昨夜この衣装を見せられ、素晴らしい仕上がりに度肝を抜かれ、金額の安さに目が落ちそうになった。

 三桁ほど足りないのでは、と訊くエレンにアンネはあっけらかんと答えた。


「高い素材使ってないもの」

「えっ、嘘でしょ? こんな布初めて見るよ」

「本当よ。この布は最近できたばっかで売り出し中なんだって。ほら、うちに新商品を売り込むにはうってつけの人が来てるでしょ。だから勉強して貰ったわ」

「パウルか……」


 毎年祭りに合わせてブランシュがパウルを連れて遊びに来る。第二王子が表立って訪問すると騒ぎになるのでお忍びだ。

 馬車もミステル家のもので、護衛や使用人もミステル家のお仕着せを纏っている。


 二人は先程到着して、今は用意した部屋で休んでいる。

 明日になったら衣装を着て見せて売り込むのだろう。第二王子に直接営業するなんてアンネは度胸がありすぎる。

 割引きを商人のように「勉強」と言ったり、目覚ましすぎる成長にエレンは言葉が出ない。


 そして今日、本当に衣装を見せながら売り込んでいた。エレンは隣で突っ立っていただけだが、アンネの営業トークがすごすぎてされるがままにくるくる回っていた。

 パウルも興味を持ってくれて、アンネはご機嫌であった。


 そして今はエレンと同じように子供に囲まれて身動きが取れなくなっている。

 ふわふわの金髪を風に流し、美しい衣装を纏うアンネは本物の妖精のようで少女たちに大人気だ。

 そして年頃の少年たちの視線も独り占めしている。


 エレンの方はと言うと、子供だけでなく、大人にことごとく「すっかり大人になっちゃって!」と言われて照れていた。


 広場の真ん中でどっと笑い声が上がる。人集りで見えないが、次の劇が始まったのだろう。

 二柱の神の祭りなので、劇も二種類上演する。今度はデュオニュソスが登場する劇だ。


 二つ目の劇はズュートでワインが作られ始めた由来譚だ。

 ある男がワインをデュオニュソスに捧げたいと思うのだが、作り方を知らなかった。なので神自身に作り方を尋ねたそうだ。

 デュオニュソスは男に丁寧に教えてくれたのだが、男は難しすぎて覚えられない。結局一から十までデュオニュソスに作って貰ったワインを捧げるのだ。

 よく怒られなかったと思う。

 むしろ未だにこっそりデュオニュソスが手伝ってくれるのでズュートのワインはおいしいとすら言われている。


 あの劇が終わる前には神殿に辿り着きたいとエレンは遠い目をした。




 神殿には辿り着かなかった。

 茜色の空を見上げ、明日神官たちに謝らなければと思いながら、疲れきったアンネと労をねぎらい合う。おろしたての衣装もいささか草臥れているように見えた。

 子供たちは帰って行き、大人たちが夜に向けての準備を始めている。

 夜の主役のデュオニュソスの神殿は神官たちがランタンを灯していた。


「二人共お疲れ様!」


 駆け寄って来たのはブランシュだ。祭りを楽しめたのか薔薇色の頬で、大人びた麗しい顔にも無邪気な笑みが浮かんでいる。

 その後ろをゆっくりついて来る金の巻毛で垂れ目の優しげな美青年がパウルだ。

 二人共お忍びなので平民の服を着ているが、美形すぎて浮いている。


「一緒に帰りましょう」

「うん、もうくたくた」


 大々的に酒が振る舞われる夜の祭りに飲酒できない子供の参加は許されていない。

 慣例で貴族の成人は十六歳だが、法律で決まった成人はまだ先だ。なので、ブランシュたちもエレンたちと一緒に帰る。最近はそこら辺が厳密になったのだ。


 そうでないと警備の者たちに捕まってしまう。毎年、今の時間はなんとか夜の時間に紛れ込もうとする若者と警備の者の追いかけっこがそこかしこで起こっている。

 エレンはもう走る気力もない。歩くのもやっとだが、邸に帰るためにはまず馬車が待つ場所まで歩かなければならない。辛い。


「そう言えば、屋台で剥いた葡萄に飴がけしたものを食べたの。新しい店?」

「そうだよ。でも、中が生だしお土産には向かないと思うよ」

「そうなの? 残念だわ、おいしかったのに」


 忙しく、ズュートに来れない家族のため、ブランシュはいつもたくさん土産を買って帰るのだ。

 まだ一週間ほど滞在するので、毎日土産を吟味するのだろう。


「あの店他にも色々あるからお土産にできるもんもあるんじゃない?」

「本当? アンネも一緒に行ってくれる?」

「婚約者と行きなさいよ」


 いつの間にか打ち解けた二人を微笑ましく見ていると、ずっと黙っていたパウルが横にいた。


「いつものものは、部屋の机の上に」


 つい、足が止まってしまった。パウルはエレンを置いて、ブランシュの横に立つ。

 エレンは夕日が沈み、葡萄色に染まる空を眺めて、また歩き始めた。




 邸に戻ると真っ直ぐ自室に戻った。

 机の上に思ったものがなく動揺して、いつもと形が違うものがあって、また動揺する。

 綺麗な包装紙で包まれた箱を恐る恐る手に取った。


 いつもあるのは、花束だ。

 理由は話してくれないが、パウルはユリウスからの贈り物を持ってきてくれる。


 最初に贈られたのは、ネリネだった。

 それからずっと、年に一度だけ、ユリウスから花が届く。メッセージカードはないが、変わらずエレンを想ってくれているとわかって嬉しかった。


 でも、エレンからは何も贈れない。パウルに止められたのだ。

 やはり理由は話してくれなかったが、意地悪をされていると思うほどエレンは子供ではなかった。


 エレンは優しいズュートの地に匿われ、守られているのだ。

 なのにエレンはユリウスのために何もできず、誰も、ユリウスが今どうしているか話さない。

 だから、エレンは自分で調べることを覚えたのだ。

 なので、知っていた。アンネに聞く前から、ユリウスに婚約者がいることを。


 とても悩んだ。

 こうして毎年花を贈ってくれるユリウスの気持ちを疑ってはいない。

 ちょっとはモヤモヤするが、王子のパウルを宅配人に使っているのだ。エレンへの気持ちがなければそんなことできないだろう。


 悩んだのはエレンとユリウスの状態だ。たとえ気持ちがなくてもちゃんと婚約している相手がいるのだ。

 これは、浮気だ。

 いくら恋をしていても、それを理由に不誠実なことをしてはいけないんじゃないか。

 アンネがユリウスたちのことを話題にした時、特にそう思った。


 エレンは、アンネに軽蔑されたらどうしよう、と不安になった。

 伯母とアンネは、要するに伯母の夫が浮気したから理不尽な目に遭ったのだ。きっと、いい感情はないだろう。

 エレンもユリウスとのことを知られたら、アンネに嫌われるかもしれない。

 そもそも、そんな風に思う関係はどんなに想い合っていても許されないのではないかと考えてしまった。


 エレンはユリウス以外にも大切なものがたくさんある。

 ユリウスのために、エレンはそれらを捨てられるだろうか。

 ズュートにいれば、エレンは幸せなのだ。ユリウスを想う時のような切なさはひとつもない。

 不誠実なことを続けるならいっそのこと、かつて胸の中に育ったものをむしり取られたように、今度は自分でむしって、枯らすべきではないかと悩んでいた。


 震える指で包装紙を破かないように剥がし、現れた箱の蓋を開ける。

 中にあったのは、髪飾りだった。

 小さな白い花が丸く集まったデザインで、たくさんある花の部分にオパールが嵌まっている。繊細でかわいらしい、素敵な髪飾りだ。


 白い花なんて色々ある。でもエレンにはそれがあの日降り注いだ銀木犀に見えた。

 一緒に見ようと約束した雪のような花。たちまちあの日の記憶が蘇り、飲み込まれる。今年は近づかないようにしていたあの花の香りすらしてくるような気がした。


「ユリウス」


 名前を呼ぶと、会いたくて堪らなくなった。

 保身に走るエレンとは反対にユリウスは変わらぬ想いを届けてくれる。

 なんの言葉もないが、ひしひしとユリウスの覚悟が伝わってくる気がした。

 エレンは零れそうになる涙を我慢する。

 もう悲しい涙は流したくない。泣くとすっきりするが、大事なものまで流れていってしまいそうで、嫌なのだ。

 エレンは髪飾りを持ったまま立ち尽くした。


 自分の中で育ったものだ。自分の思った通りになると、信じていた。

 でも、そうではなかった。この想いは勝手に芽吹いて、勝手に育って、エレンの心を占有してしまった。

 もうむしって枯れるものではないのだ。

 ならば、この恋に殉じるだけだ。


 エレンはユリウスと出会って恋を知ったが、今やっと少しだけ理解できた。

 愛するものはたくさんいても、エレンの恋はユリウスだけのものだ。たとえ成就しなくとも、エレンの恋はこれだけだ。


 髪飾りを見下ろし、アンネと話すことを決意する。

 軽蔑されても、エレンはこの恋を捨てられない。なら黙っている方が不誠実だ。


 髪飾りを手に、エレンはバルコニーに出た。昼間と同じく空は晴れ渡り、半分より少し太った月が出ている。星も煌めいているが、秋だからか、少し遠く見えた。

 エレンの部屋は南向きで、王都の方角はここからは見えない。でも、同じ空だ。


「ユリウス、待ってるよ」


 会えない時間がエレンを弱気にさせたが、もう迷わない。約束したのだから、それが果たされるまで待ち続けてみせる。


 他の誰かへの不誠実に気をとられ、一番大切なユリウスへの誠実さを欠くところだった。

 いつか、ユリウスの婚約者に非難されても、真っ直ぐ顔を上げて受け止める、そんな強い大人になりたいと心から思う。




 いつか、この無言の恋心に応えられる日が来ることを、エレンはずっと待っている。

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