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初恋  作者: 明石 みなも
本編
10/21

新しい挑戦

 緑が深まり季節が春から夏へ移り変わる頃、アンネは王都へ旅立った。

 茶会に参加するためだ。

 父と祖母が同行しているが、伯母はまだ離縁してそれほど日が経っていないのでエレンと一緒に留守番だ。


 アンネがレッスンを始めて約三ヶ月。その成果を王都でお披露目することになったのだ。早いとはエレンも思うが、祖母の判断だ。

 ここでお披露目して、自分はちゃんとできるのだと自信をつけさせたいとのことだ。


 アンネは気合十分で闘志に満ち溢れていて、伯母の方が緊張していた。今も挙動不審で大好きな仕事が手についていない。

 そういう時は祖母ではないが、エレンがお茶に誘って話をするようにしている。


「アンネは大丈夫かしら」

「大丈夫だよ。とっても頑張ってたもの。伯母様から見てもアンネは立派な貴族令嬢になれてたでしょ?」

「勿論よ。あの子は頑張ったわ! でも、でも意地が悪い人はどこにでもいるわ。

 あぁ、二年前の我が国で四番目に多く輸入されたものとか、隣国との陶磁器に関する貿易協定の条項の七番目とかの質問されたら……。あの子、勉強はまだまだだから……」

「うーん」


 それはエレンも答えられない。

 それに多分、そんな質問をしてくる令息令嬢は稀だろう。伯母は心配しすぎである。

 アンネのおかげか伯母の他人行儀な態度はなくなった。自然に伯母と姪として話せている。


 相変わらずせかせか落ち着きなく働いているが、これもまた伯母の個性と邸の者たちには受け入れられつつある。

 何より伯母は本当に仕事ができる人なので、とても助かっている。

 以前は何かと父に負担がかかっていた。しかし、今は伯母が秘書のように仕事を整理して効率よくまとめてくれるので、仕事が早く終わり父が休める時間が増えた。


 エレンも手伝ってはいたのだが、子供の手伝いの域を出ないし、父が「エレンが手伝ってくれてる……。尊い……」と泣いて仕事にならない。

 本当に伯母が来てくれてよかった。


「お祖母様が一緒だから大丈夫だよ」

「うーん、確かにゾフィー様が一緒なら……」


 不思議なくらい伯母は祖母のことを信頼しているので、祖母が一緒なことを思い出すだけで表情が緩む。

 一体二人の間でどんな話があったのかはわからないが、この短期間にここまでの信頼を勝ち得る祖母の手腕は大したものだ。


 実は祖母だけではなく、ブランシュにもアンネのことを頼んである。

 今のアンネは公爵令嬢ではなく、リンデンバウム伯爵家の縁者という不安定な立場だ。

 ブランシュに気に掛けて貰えれば、少しでも不快な思いをせずに済むはずだ。

 なので、アンネの事情を書き添えて、彼女の奮闘を詳しく書いた手紙を送ったのだ。


 アンネは頑張った。休むのは眠る時だけで他の時間は常に祖母の厳しいチェックを受けていた。それでも一度だって弱音を吐かなかった。

 そのため礼儀作法はほぼ完璧。他はまだまだ追いついていないが、それでもハイペースで進めている。

 凄まじい努力の結果、アンネの放置されていた素質はグングン伸びている。ここで折れてほしくはない。


 伯母には大丈夫と言ったが、エレンも結構心配している。

 うまくいきますように、と王都がある北の空に向かってこっそり祈った。




 だいたい一ヶ月経ち夏になったら父たちは帰ってきた。

 アンネは満面の笑みである。とてもわかりやすい。

 とりあえずエレンはお茶に誘った。


 今日の茶菓子は桃のタルトだ。

 ただのタルトではない。桃をカットもせずに丸ごとちんまりしたタルトの上に載せたインパクト抜群のタルトだ。

 桃は皮を綺麗に剥いて種も抜き、その空洞にはカスタードクリームがみっちり詰め込まれている。

 旬の桃は蕩けるように柔らかく、不思議とさっぱりしたカスタードクリームと溶け合い絶妙な味わいだ。下のタルトも水っぽい桃が載っているのにサクサクで香ばしい。


 アンネは臭いものを嗅いだ猫のような顔をしていたものの、食べ始めると止まらず、無言で完食した。

 エレンも勿論完食した。桃のタルトの店も王都から来た菓子職人がやっている。三年前からズュートに住み始め、今ではすっかり大人気だ。特に桃のタルトが並ぶ頃は行列がすごい。

 並ぶ気持ちがわかる、年に一度は食べたい味だ。


「はー……。なんかこれ食べたら色々どうでもよくなったわ」

「えぇー。お土産話楽しみにしてたのに」

「じゃあこんな茶菓子出すんじゃないわよ」

「おいしくなかった?」

「おいしかった!」

「それはよかった」

「もぅ。調子狂うわ」


 アンネはプクッと頬を膨らめた。と、思ったらこれから悪事の相談をするのかと思う笑顔を浮かべた。


「まぁ、やることはやって来たわ」

「? お茶会に参加して来たんだよね?」

「そうよ。やたら『変わったね』って言われるから、今暮らしてる家ではちゃんと勉強させて貰えるんですって言っておいたわ」

「それ、公爵家への当てつけじゃ……」

「あたしを苦しめたんだからちょっと白い目で見られるくらいしてくれないとね」

「まぁ、それもそうか」


 カスターニエ家がアンネにしてきたことを完全に詳らかにすることはできない。そこは身分差があるのでどうしようもない。

 でも噂として広めるくらいはやっても許されるのではないか。是非ともアンネと伯母を苦しめた分周りにひそひそされてほしい。


「そう言えばミステル侯爵令嬢と話したわ。あんたのはとこよね? 割ととっつきやすいのね」

「あ、本当? ブランシュ元気だった?」

「元気だったけど、忙しそうだったわ。

 あんた知ってるかしら? 『今年注目のカップル』って新聞で毎年紹介されるんだけどあれに選ばれたもんだから」

「知ってるよぉ。パウルとブランシュの記事読んだもん」

「嘘でしょ⁉︎ 叔父様あんたに新聞読ませてんの⁉︎ 絶対『エレンに読ませちゃいけないことばっかり書いてある』って新聞そのものも教えてないと思ってた!」

「どれだけわたしを箱入りだと思ってるの?」


 実は我が家で取ってる新聞は読ませて貰えていない。でもエレンはもうそこまで子供じゃないので外出先でこっそり読むことを覚えたのだ。


 貴族の成人は十六歳だ。その年になったら、結婚ができるし、夜会に出られるようになる。「今年注目のカップル」はその年に夜会デビューした中で特に目立つカップルたちを紹介するだけの記事だ。合わせて来年デビューする注目予定のカップルも紹介される。

 本当にただそれだけの記事なのに人気があって、紹介されたカップルはその年やたらと招待状を貰い、とても忙しくなると言う。


「他に何か変わったことあった?」

「他に? うーん。来年注目される予定のドゥフトブルーデ侯爵令息とナルツィッセ伯爵令嬢が目立ってたくらいかしら? 他は特に何もなかったわ」

「……そう」


 すぐに別の話題を振ったので、エレンの様子が変わったことにアンネは気づかなかった。




 リンデンバウム家は夏頃から秋祭りの準備に入る。

 領主のリンデンバウム家がやることは祭りの間の警備や屋台の選定、資金援助など。主に裏方ばかりだ。唯一の見せ場が祭り開始の号令をかける時だろうか。

 祭りを行う領都で有志を募って結成された運営委員が細々とした準備をほとんどやってくれるが、最終責任者は領主である。

 去年まで、父はこの期間忙殺されていた。今年は伯母のおかげでちょっと忙しいくらいでおさまっている。


 秋祭りは二部構成になっている。昼間は豊穣の女神デメテルに感謝を捧げる儀式があり、夜になると酒の神デュオニュソスに今年の新酒を捧げる……という名目の宴会が始まる。

 なので、自然と昼は子供の、夜は大人の祭りと分けられ、屋台も昼と夜では別のものに変わる。

 田舎の祭りだが、結構煩雑なことが多いし、大々的に酒が振る舞われるので揉め事も起こる。


 でも、領民が一番楽しみにしている催しなので、面倒なんて言わないのだ。

 エレンも少しずつ手伝いをしているが、アンネは初参加だし、純粋に祭りを楽しんで貰おうと色々説明していた。

 その中で、祭りの運営委員や警備を担当する騎士や自警団にわかりやすいように揃いの服を着て貰っている、という話になった。

 あまり高価なものではないが、実用的で忙しい彼らが動きやすいシンプルな作りの服だ。


 それを聞いたアンネが、「お祭りなんだからもっと派手に仮装でもしたら?」と言い出した。

 仮装。

 楽しそうではあるが、果たして受け入れて貰えるだろうか。とりあえず父に相談すると、「じゃあ今年の服はエレンとアンネに任せようかな」と丸投げされてしまった。

 こんな、ひとつの仕事を丸ごと担当するのは初めてだ。不安もあるが、なんだかとてもわくわくもする。


「なんであたしもなのよ」

「アンネが言い出しっぺだからじゃない?」


 仕立て屋との打ち合わせの当日、アンネは唇を尖らせて文句を言っていた。


「アンネ、嫌だった?」

「別に嫌ではないけど……」


 そうは言うが、どうにも気が進まない様子だ。

 やっぱり嫌なのだろうか。

 ちょっと不安だが、エレンひとりでやってみようか。

 と、心配していたのだが、仕立て屋が現れるとアンネは一変した。


「ねぇ、これなくしちゃうと普通の服じゃない?」

「そうですねぇ。一応流行は取り入れた普通の服ですな」

「脱ぎ着のしやすさを考えるとこの形がベストなんですけど……。仮装って難しいですね」


 アンネと仕立て屋の主人とデザイナーの議論はとても白熱している。

 仮装の提案は仕立て屋たちに大歓迎された。普段絶対頼まれない依頼だから楽しそうとのことだ。

 エレンは議論に参加せず、のんびりお茶を飲んでいる。正直、田舎に引きこもっているので流行に疎いし、センスにも自信がない。

 ここはアンネに任せ、エレンは皆に仮装をして貰えるように説得する方を頑張ろう。


 三人はもはやエレンを忘れているように見えるくらい熱中している。

 だから、油断していたのだ。


「ちょっとエレンそこに立ちなさい!」

「ブフッ」

「姫さま、採寸させていただきますねぇ」

「えっ、なんで?」

「ほらさっさと立つ! あたしたちも仮装するわよ!」

「えっ、なんで?」

「あんた領主の娘じゃない。目立たなくてどうすんのよ」

「えぇ……?」

「それに楽しそうでしょ」


 そう言って、アンネは悪党みたいに笑った。

 アンネが楽しいならいいことである。でも別にエレンまで仮装しなくてもいいのではないか。

 首を傾げるエレンにアンネは「領主の娘なら体張って民を楽しませてやりなさいよ」と言われ、それもそうかもな? と一応納得して採寸を受け入れた。




 仮装の衣装の試作品は打ち合わせから三日後に届いた。

 異例の早さだ。今回は特殊な服なのに、気合いの入り方の違いだろうか。


 衣装のテーマは神々の時代である。当時の人々が着ていたらしい服を現代の流行を取り入れてアレンジした。なんでもアンネがかつて観劇で見た衣装を参考にしたようだ。

 白を基調にドレープがたくさんあるゆったりした印象の服だ。

 古代の人々は一枚布を上手いこと纏っていたようだが、慣れない人間がそれをやるとたちまち全裸だ。なのでこれは古代風の衣装なだけで普通の服と同じように脱ぎ着できる。動きやすさも配慮されているそうだ。

 ズュートは年中温暖だが、祭りの時期は夜になると肌寒いので外套も用意されている。


 アンネも太鼓判を押す出来で、早速エレンは運営委員や警備の代表と話しに行くことにした。


「あたしたちの仮装のデザイン見てほしいって手紙来てるわよ」

「えー……。わたしそういうの、よくわかんないよ……」

「じゃああたしが進めとくけどいい?」

「いいの? じゃあアンネに任せるよ」


 何故かアンネの瞳が怪しく光って背筋に寒気が走った。

 何か早まってしまった気がするが、気のせいだと思いたい。

 衣装の方はとてもあっさり受け入れられた。祭りだからちょっと変わった格好をしてみたいそうだ。気合いを入れて臨んだだけになんだか気が抜けた。


 エレンは父に試作品を見せてから衣装を人数分発注し、割とあっさり初仕事は終わった。

 ほとんどアンネがやってくれたので、エレンの手柄ではない気がする。


 次はもっと頑張ろうと決意していると、アンネに連れ出され、仕立て屋に着くと取っ替え引っ替えドレスを着せられた。

 よくわからず、されるがままになっているうちに試着が終わったのか解放された。今何が起こったのだろう。通り魔に遭った気分だ。


 一月ほどで発注した衣装は届いた。

 エレンの仕事はあとこれを皆に配るだけだ。

 アンネはあれから仕立て屋に通いつめている。頑張っているな、と思うと同時に不安も覚える。

 結局エレンは自分の仮装の衣装を見ていない。どんな仕上がりかアンネに訊いても例の悪党スマイルを浮かべるだけで何も教えてくれない。


 そんな一抹の不安を抱えたまま、祭りの当日がやって来た。

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