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女神の追憶片  作者: 楸むく
雨の国と銀灰の治癒士
21/45

一章 十 「閑話休題」



 ゆっくりと、意識が浮上する。

 とても懐かしい夢を、見ていたような気がした。


 パチパチと、薪のはぜる音が心地良い。頭上から聞こえる数人の話し声の中に、夢の中で常に共にあった者の響きを感じて、薄く目を開ける。少し力を入れただけで酷く重い目蓋に唇を噛み、諦めてすぐに閉じた。どれだけの時間、眠っていたのだろう。せめて会話だけでも聞き漏らさぬようにと、肩にかかる毛布をそっと握った。








 ロイドが語る過去の出来事に、ジェンとミーニア、そして王子レグロは、静かに耳を傾けた。双子にとって、彼の口から出る人物の名は、どれも雲の上の存在だった。家族だと思って接してきた親代わりの青年は、知れば知るほどに自分達との間に溝が生まれていく。下水と暗闇と無法者達の街で、突如差し込んだ月明りのように現れた青年の姿が、鮮明に脳裏に浮かんだ。


 暖炉の熱が行き渡り始めた隠れ家の一室で、全てが始まった十九年前のことを、ロイドは淡々と話した。


 士長家の跡取りとして育ったアルビスと、弟のサフィラ。謎多き執政家の一人息子、ザイン。後にアストルムとなった、町人の子マグナス。四人は友人になり、各々程度は違えど今も少なからず親交があること。

 そして、アニマの宿る本のこと。少年達がこの不思議な本の秘密を共有するようになるまで、それほど時間はかからなかったという。


 ひとつ息をつきロイドが瞼を伏せると、様子を伺うようにジェンがそっと右手を挙げた。


「質問、いいですか」

「ああ」

「その本、家系図って言いましたよね?ロイドさんが見た、今の王妃様のページって、その後結局どうなったんですか?一応予想はついてるんですけど、本当にその通りになったのかなって」


 ジェンが言っているのは、ロイドの目の前で家系図の内容が更新された時の事だろう。現国王イーオンから二本目の線が伸び、王妃ミラのページが二分割された。およそ十九年前、まだ双子達が産まれる前の出来事だ。


「恐らくお前が予想してる通りだよ、ジェン。あの日、父と母が召集された会合。議題になったのは、陛下が御側室を迎えることの可否だった」

「じゃあやっぱり、その本は本当に生きてて、記録してたって事ですね。すごいや」


 そうだな、とロイドが相槌をうつと、今度はミーニアが無言で挙手をした。促すように、軽く首を傾け視線を渡す。


「質問というより確認なんだけど……つまり、その夜、国王様がもう一人妻を迎えることを決心されたから、そういうふうに本が更新されたってこと?」

「その通り。ミラ王妃、つまりレグロ殿下の母君は、御成婚後長くお世継ぎが出来なかった。当時の術士長だった俺の父が精細な流査(りゅうさ)を行った結果、子が出来にくい体質だとわかった。悩まれた末に、御側室を迎えてはどうかと、ミラ()自ら陛下に進言されたそうだ」

「……天眼ってそんなとこまで『視える』の?」

「いい質問だな。正直、その点に関しては俺もずっと引っかかってる。少なくとも、俺にはそういった所謂『体質』の部分までは視えない。アニマが『生物の現在の状態』を表すものである以上、流査にも限界があると思ってる。当時、なぜ父がそういった判断をしたのか、俺にはわからない。まあ、肉眼と違って視力を測る方法もないから、絶対とは言い切れないけどな」

「ふうん……」


 自分から外された視線を追って、ミーニアはロイドの瞳を見つめた。

 ミーニアは、ロイドの眼の色をとても綺麗だと思っている。落ち着いた色合いが、彼によく似合っている。その青灰色の瞳が僅かに険を帯びたのを、長い同居生活の中で初めて見た。父親の話題になると、ロイドは複雑な表情をする。


 ロイドが何も喋らなくなったことで、室内は急に静かになった。ジェンが席を立ち、下火になった炉に薪をくべる。その様子を眺めながら、ミーニアは横目で王子の様子を伺った。


「王妃様、すごい悩んだんでしょうね。あたしだったら絶対無理。別の妻とか」


 火搔き棒を片手に、兄が咎めるように妹の名を呼ぶ。王子レグロは、悲しげに窓の外を眺めた。


「父上と母上は……不仲だと、やはり思われているのでしょうか」


 王と妃との間がうまくいっていないというのは、誰もが一度は耳にしたことがある噂だった。成婚前から囁かれていた噂話が、二十年以上経った今でも生きていて、それがこうして王子の耳にまで届いている。娯楽が少ないのも困りものだと、ロイドは気遣うようにレグロに応えた。


「王家が正妻以外に(きさき)を迎えるのは歴史上初めてのことで、当時はかなり議論されたと聞きます。それでも、お二人の意思は固かった。その後、翌年にはマリナ妃が王宮に迎えられ、更にその翌年、第一王子となるクラルス殿下が生まれた……陛下も、ミラ様も、お互いを想っていなければできないご決断だったと、俺は思っています」

「それは……どうして、そう思うのですか」

「少し、差し出がましいことを言いますが……殿下が今こうしてここにいることが、その証だと俺は思います」

「それは、どういう……」

「……詳しいことは、城に戻られてからご自分でお確かめください」


 ロイドがふわりと微笑むと、困惑したようにレグロが目を見開く。


「城に……戻る……?」


 反芻するように口にしたレグロを挟んで、ジェンとミーニアが顔を見合わせる。城下の町でさえ、今朝の有様だ。少なくとも暫くはどこかに身を潜め、渦中の城へは近付かないのが賢明な判断ではないのか。炉の調整を終え元の席へ戻りながら、ジェンが疑問を投げる。


「戻るって……忘れ物しましたー、とかじゃないですよね。ロイドさんの実家なら、抜け道とか知ってるのかもしれないけど……なんのために?わざわざ捕まりに行くみたいなこと」

「俺が城を出たのはもう十年も前だ。抜け道もなにも、自分の部屋の場所も覚えてるか怪しい。それでも、遅かれ早かれ城に潜入することになるはずだ。俺の推測が正しければだが」

「もったいつけてないで、早く教えてよ。聞く準備できてるけど」


 そうだな、と返しつつ、ロイドは一度姿勢を崩し、大きく肩を回した。


「少し、休憩しよう」


 言いながら立ち上がり、窓際まで歩くと壁に軽く凭れる。「喋りすぎて疲れた」と冗談めかして言えば、双子と王子も、張っていた緊張の糸をゆるゆると解いた。


「あ。今更ですけど、僕たちこれからロイドさんのこと何て呼んだらいいんです?『アルビスさん』?もしかして『アルビス様』?」

「『様』はないでしょ、さすがに」


 思いがけない提案に、ロイドは面食らった。年月で言えば「アルビス」だった期間の方が遥かに長い。それなのに、城を出て自由気ままに暮らした「ロイド」としての現在(いま)があまりにも穏やかで、本来の名を呼ばれると心がざわつく。


「今まで通りでいい。ロイドで。俺は表向き、父から勘当されたことになってる。メンシズじゃなくなった以上、アルビスと名乗る資格もない」

「そうなんだ……もったいないですね。せっかくかっこいい名前なのに」

「それは…………ありがとう」

「……なんでそこで照れるんです?」


 口許を片手で隠し目を逸らしたロイドの様子に、ジェンは肩をすくめた。本当に、この人の感情の起伏ポイントはよくわからない。謎だ。


 どこを見るでもなく窓の外を眺めながら、ロイドは首の後ろで束ねていた髪をするすると解き、少し横の位置に結び直しながら言った。心なしか、居心地が悪そうに見える。


「名前の意味を知ってから、どうもしっくりこないというか、荷が重いというか……」

「へえ。意味って?」

「…………『白い宝石』」


 間が開くこと、たっぷり十秒。ジェンが吹き出した。


「ふっ……はは!」

「別に、合ってなくはないと思うけど……まあ…………ふっ」


 ミーニアも、肩を震わせている。愉快そうに笑う双子と、首を傾げ大きな瞳でロイドを見つめる王子。ロイドの雨具屋での生活態度を知る二人からすれば、その姿と宝石とはどう頑張っても結びつかないのだろう。昔の自分なら憤慨して食って掛かるところだろうが、今はこの気兼ねない距離感が心地よいと感じるのだから、人間変わるものだ。

 ふと思い至って、ちらりと暖炉前のソファに目をやる。小さく、毛布が身じろぎした。


「ちなみに、『サフィラ』は『青い宝石』だ」


 言い終わると同時、毛布の塊が動く。


「余計な……ことを言うな」


 唸るように言い、サフィラが緩慢な動作で身を起こす。頭痛がするのか、片手で額を押さえている。


「っ!!サフィラ!目が覚めたのですね!」


 弾かれたように、小さな王子が駆け寄り、その背を支える。

 和やかだった室内に、再び緊張感が満ちる。ロイドは天眼を開き、弟の様子を窺った。発熱は、依然としてある。だが、疲労が示すアニマのブレは、ほとんど視られなくなっていた。「余計なこと」を言ったロイドを、睨む元気もあるようだ。ならば。


(ここからが本題……か……)


 照らし合わせなくてはならない。ロイドがかき集めた情報と、そこから導いた推測と。サフィラが抱えている、この国の「嘘」と。レグロが背負う、過酷な真実とを。







久々のプロフィールコーナーです。


〈サフィラ・メンシズ〉

・年齢 26歳

・身長 174cm

・誕生日 4月12日

・髪 青色、腰までの長さ、普段はハーフアップ

・眼の色 藤色

・好きなもの 研究、鉱物

・苦手なもの 社交辞令


魔術士長。ロイドとは母親違いの兄弟。中性的な容姿。良くも悪くも極端な性格のため敵を作りやすいが本人は気にしてない。几帳面で若干潔癖、運動は苦手。左耳の黒い魔石のピアスは、マグナス曰く反抗期に自分で開けた。母親(クラヴィア)至上主義で母の頼みは断れないため、年々増える縁談をどう断るかで四苦八苦中。

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