マヨヒガカフェ
ちょっとシリアス。
誰しも人生に失敗したとかって落ち込んだ事あると思う。
そんな時、どうしますか?
「すみません、お客様。こちら相席よろしいでしょうか?」
季節は春。時間は十四時時過ぎ。
進学や就職を迎え、新たな人生が始まる時期。
布団から体を起こし、眠気眼を擦る。
不図窓から外を見やる。そこには午前授業を終え、遊びに出る若き学生達の姿が見て取れる。また、風に乗って舞う桜は視覚にもこれでもかと良き春を訴えかけてくる。
そんな人々とは打って変わって、此処に居る俺は違った。
大学を中退、就職にも失敗。そのままアルバイトで生き永らえながら、このボロアパートで一人暮らしを続けている。精神的に病んだ時期もあり、その時には生活保護を受けていた。
所謂、負け組に属する。
今でもそんなにテンションが上がるなんて事はないが、今日は何となく、何となく。久しぶりに散歩にでも行ってみよう。そんな気分になった。多分、窓から入り込んでくる楽しそうな声、風に乗る花の香がそう思わせたのだろう。
大学時代に購入した外行きの服に袖を通す。誰かに見られる訳ではないが見た目には気を付ける。少しでも良い服装をしていないと自分のみすぼらしさが寄り見えてしまいそうな、そんな気がしているからだ。多分悲観的過ぎるのだろうけど。
ドアノブに手をかけ、薄暗く陰湿な部屋に束の間の別れを告げる。押し開けばより一層春と言うものを実感する。暖かい風は草木を揺らし、心までも揺れ動かされそうになる程だ。小鳥たちの囀りや川のせせらぎもまた心地よく聞こえる。極めつけは全てを包み込むような陽光。雲一つもない快晴。これほどまでに自分の生きている世界は綺麗だったのかと、そう思わされる。
腐りきった性根が変わることはないのだろうけど。なんて最後に皮肉を込めてみる。
行き交う人々は俺よりも輝いて見える。一人一人が生きる意味を持ち、明日への希望を持っているような眼をしている。自己に否定的である俺はどう転んでもそんな眼は出来そうにない。どこから間違っていたのだろうか。もしくは最初から間違っていたのだろうか。大人になれば就職をして平凡に家庭を築いて温かみに触れて死んでいくものだと勝手に想像していた。が、気付けばこの為体だ。人生は醜態に満ちていた。誰かの助けになることも、一人の人間として真っ当に生きていくことも。何も成しえずこんな年齢までのうのうと生きてきた。伝記やエッセイに書かれている人生の分岐点なんて物はやってこない。何かに感銘なんて受けない。これまでもそうだったしこれからもそうなのだろう。
歩き始めて二十分程度。公園を抜けた先に喫茶店が目に入る。洒落っ気のある外装、普段ならば俺が入る場所に向く筈もなく気に留めないのだろうが……。気づけば店に歩を進めていた。興味がある訳でも、コーヒーが好きなわけでもないのだが。ただ、ちょっとだけお洒落な空気に触れれば何時もの腐った日常を忘れられそう。そんな気もした。
カランカランとベルが音を鳴らす。厨房からパタパタと速足に出てくる女性店員。店内は若い人や奥様方で繁盛。
「いらっしゃいませ! 開いているお席がテーブル席しかありませんがよろしいでしょうか?」
元気な子にそう聞かれ、落ち着きなく「はい」と返す。我ながらコミュニケーション能力の欠如を疑うものだ。
席について注文を済ませる。アイスコーヒーとワッフル、あまり高い食事は出来ないので少々寂しい物になってしまったが……普段のコンビニ弁当、カップ麺、冷凍食品と不摂生を極めてきたような食生活から考えれば十分に良い食事なのだが。
辺りを見渡す。小さい熊のぬいぐるみや観葉植物などが飾られており、店内もお洒落な雰囲気だ。自分の見合って無さに少しこそばゆさを感じる。店に入ったのを後悔していないというと嘘になるくらいには。
「お待たせ致しました」
テーブルに注文したコーヒーとワッフルが置かれる。広いテーブルに一人、それも質素な注文の為余白の方が気になってしまう。そんな事を考えていると……
「すみません、お客様。こちら相席よろしいでしょうか?」
そんな思慮を遮るように質問をされる。どうやら自分が埋めた席以外が開いておらず、四人席であるが故に対面に誰かが座っても構わないか、そういう事なのだろう。当然断る理由もないので快く承諾した。あまり騒がしい人でなければ良いが。
席に着いたのは身なりの良い男性。六十代位だろうか、高そうなスーツに身を包み、白髪さえもダンディに感じる。
「すまないね、こちら失礼するよ」
こんな俺にも配慮してくれたのだろうか。座ると同時に柔和な笑みを浮かべこちらに一礼する。釣られて俺も一礼。
それからして男性が注文したブラックコーヒーが来て、お互いに嗜みながら会話を始める。俺から始めるはずなどない、男性の話が上手だったのだ。ここにはよく来ているのか、美味しいコーヒーだとか、今日はいい天気だとか。そんな他愛もない話。初対面の人間と話しているとは思えないくらい楽しい時間となった。
「じゃあ、本題に入らせてもらおうか」
そう男性が一言呟いた。これまでの柔和な感覚とは違い、真剣な面持ちで話し始める。
今俺が腐った様な生活を送っていること、生に何も感じていない事。何かを成し遂げようとしない事。全てが間違っているのではと思う事。なぜ男性がそんなことを知っているのか、到底見当もつかなかったが……。
言葉が出なかった、全て正論で俺は間違いばかり。だが、男性は最後に言い残した。
「俺は頑張ったから此処に居るんだ」
よくよく見ればその男性は見知った顔。
俺自身だった。
年齢は重ねていても、皺が増えていても、白髪になっていても。男性は、俺だった。
「さて、俺の分は払わないとな」
そういって俺の分の伝票も持って男性は会計を済ませる。俺は唖然としている他無かった。
「何を呆けている、頑張って俺みたいになるんだ。年を取ったらここにきて俺にちゃんと奢れるようにしておくんだぞ」
そう言い残して俺は店を去っていった。
それからの事はあまり覚えていない。何かを無我夢中で頑張った。大学受験の頃より勉強した。分からない事は調べた。新たなものを見に家から出た。
ごく当たり前の事なのだろうが、それまでの俺には出来て無かったこと。俺に追いつくために。
時は経った。やる事は全てやった。若かりし頃に成しえないだろうと思えていた事の大半を気づけば成しえていた。
就職し、家庭を持ち暖かな子にも恵まれた。全ては俺のお陰だった。
時間の空いた十四時過ぎ。俺はある喫茶店に向かった。外から見ても繁盛している洒落っ気の店。来るのは何十年来だろうか。俺は彼の為にここに来た。未来への投資って奴なのかもしれない。
「いらっしゃいませ。 ただいま混んでおりますので相席お願いしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ」
案内された席に座っている若者が一人。洒落た服装だと思っているのだろうが周りの空気から少し浮いている。その時代で浮いていないと思い込んでいた自分が少し恥ずかしい。
若者は此方を見て何かを思っているようだったが気に留めずに話かけていこう、どうせ俺から話しかけることは無いのだろうから。
「すまないね、こちら失礼するよ」
俺は、椅子に腰かけて柔和に笑みを浮かべた。
ありがとうございます。
現実ではありえない事ではありますが、気分転換に喫茶店に行くなんてどうでしょう?
ふふ、相席なんてあったらね。
他にも短編上げてますので、良ければユーザーページから確認してみて下さい。