コップの水が溢れた日
『私の話も聞いてほしくて……』
まさか、同じ時期に婚約解消したマイヤも嫌がらせを受けてるんじゃ!?
もしそうだとしたら──
「もちろん聞くよ!」
「ありがとう、アリアちゃん。じゃあ、後でね」
マイヤが胸の前で小さく手を振り、部屋へと戻っていった。
手の振り方まで可愛いなぁ。
……じゃなかった。マイヤの力になれれば嬉しいけど。
夕食を食べ終わり、マイヤの部屋の扉をコンコンとノックする。
扉を開けたメイドさんが、部屋の中へと招いてくれた。
わぁ~、私とは全然雰囲気の違う部屋だぁ。
なんか“マイヤのイメージ”をそのまま部屋にしちゃいましたって感じ。可愛い部屋だなぁ。
椅子に腰を下ろすと、メイドさんが手際よく紅茶を出してくれる。
その後、「本日は失礼します」とマイヤに頭を下げたメイドさんは、そのまま部屋から出ていってしまった。
残ったのは私とマイヤの2人だけ。
ニコニコと笑うマイヤの顔を眺めつつ、私の方から話を切り出した。
「さっそくだけど、話って?」
マイヤが「えっと……」と、躊躇いながらも口を開く。
「アリアちゃんが私をイジメてるっていう根も葉もない噂話を聞いたの」
マイヤが心配そうに私を見つめてくる。
そういえば『私の話も聞いてほしくて……』だけ気になって、すっかり忘れてた。
私の噂話を耳にしたって言ってたよね。気にしてくれてたんだ。
「その噂を聞いた時『イジメられた事は一度もないよ』って言ったの。でも、よく考えたら私が原因じゃないかなって思って……」
マイヤが顔を伏せ、ハンカチを目に当てた。
泣いてる? それにマイヤが原因ってどういう意味!?
しばらく経って、落ち着いたマイヤがゆっくりと顔を上げた。
「ごめんね、アリアちゃん」
「マイヤが謝る理由が分からないけど……さっきの話ってどういう事?」
マイヤが「実は……」と話し始める。
「私とエウロくんが婚約解消した話は聞いてるかな?」
「うん。最初はクラスメイトから聞いたよ。その後にセレスからも聞いた」
セレスがエウロと話す機会があり、本人から直接「婚約を解消したって言ってたわ」と話していた。
「婚約解消の話は、本当なの……。順を追って説明するね」
いつもより元気のない表情でマイヤが微笑んだ。
「アリアちゃんとカウイくんから従兄弟の話を聞いた日、私が『エウロくんって、アリアちゃんの事が好きなのかな?』って聞いたの覚えてるかな?」
「うん。覚えてるよ」
マイヤの突然のビックリ発言だったから、よーく覚えてる。
「アリアちゃんは否定してたけど『そうなんじゃないかな?』ってずっと気になってて。私ね、エウロくんに恋愛感情があったわけではなかったから、特に意識することなく『エウロくん、アリアちゃんが好きなのかも』って、同じクラスメイトの子に言っちゃったの」
な、なんと!
マイヤはエウロに恋愛感情がなかったんだ!!
んー、私の勘は当てにならないらしい。
「今思えば、軽率な事を言ってしまったと思う。クラスメイトの子は、“仮の婚約者”という事を知らなかったから……私とエウロくんが婚約しているのにアリアちゃんが割って入ったって誤解をしてしまったみたいで……」
なるほど!
今の話が『エウロとマイヤの婚約を解消させた』、『マイヤをイジメている』というよく分からない噂に繋がるのね!!
「さらにタイミング悪い事が起こったの。2、3日後かな? エウロくんから『婚約を解消したい』と言われたの。エウロくん、理由は言わずに『女性にこんな失礼な事を言ってごめん』って何度も何度も謝ってくれて。深刻そうな表情をしていたから、私も理由を聞かずに承諾したの」
──!!!
婚約解消の話って、エウロから切り出した事だったの!!?
てっきりエウロはマイヤを意識してると思ってたんだけど??
んー、んー、私の勘は信用できないらしい。
「クラスメイトの子がアリアちゃんの事を誤解してたから、誤解を解きたくて『私とエウロくんは婚約を解消したよ』と伝えたの」
マイヤがクラスメイトの子に話した事で、マイヤとエウロの婚約解消が広まった、と。
私とカウイの婚約解消は目撃者がいて広まった? という事なのかな??
「ごめんね。私がエウロくんとの事を伝えてしまったせいで、さらに噂が悪い方向にいってしまったんだと思う。謝っても許されないけど……噂話の原因は、多分私だと思う」
マイヤが再び顔を伏せ、ハンカチで目を拭っている。
エウロとマイヤが婚約を解消した事で噂話に信憑性が増してしまった。
さらに同じ時期に私とカウイも婚約を解消した事で『私の好きな相手はエウロ』ってなっちゃったのかなぁ??
皆さん、想像力が豊かだなぁ。
……って、感心している場合じゃなかった!
「マイヤは事実を話しただけだから、なにも悪くないよ。それに噂を払拭したくて言ってくれたんだし、本当にマイヤが原因かも分からないし、ね。だから気にする必要ないよ!」
マイヤが「ありがとう」とお礼を言い、私の顔を見た。
やっぱりどこか元気がないなぁ……。んー、これは私を助けてくれた人達もいた事を伝えて「本当に大丈夫だよ!」とアピールするしかない!!
「同じクラスの人たちは噂話を信じてないし……それに噂を鵜吞みにした人たちに取り囲まれた事もあったけど、ミネルが助けてくれたんだ。だから大丈夫だよ!」
実はユラちゃんとサイネちゃん以外のクラスメイトたちも、噂話が広まった後も変わらず接してくれていた。
間違いなく耳に入ってたはずなのに……。それが何より嬉しかった。
……いや、全員じゃなかった。
単純なニティだけは噂を信じてたな。
「アリア~。隣のクラスの可愛い子をイジメてんのか?」
って、ニタニタしながら言われたもんな。
その後、サイネちゃんが「そんな筈ないでしょ!!」って、本気でニティを怒ってた。
サイネちゃんが怒ると思わなかったから、怒りより先に驚きがきたもんな。
「アリアと一緒にいたら強くなったみたい」
と笑ってたけど……。それはいい事なのかな??
笑いながら伝えると、マイヤの表情が一瞬曇った。
あれ? まだ自分のせいだって思ってるのかな??
「そう……だったんだ。そう言ってくれてありがとう」
「うん。だからマイヤが思い悩む必要はないよ! 話してくれてありがとね」
マイヤに感謝を伝えつつ、今度は私がずっと気になっていた事を質問する。
「マイヤは嫌がらせ受けてない? 大丈夫??」
「えっ?」
「マイヤも変な誤解を受けて嫌がらせを受けてたら……って心配になって」
もし嫌がらせを受けてたとしたら、ミネルが私を助けてくれたみたいに私もマイヤを助けたい!!
「アリアちゃんって本当に優しいんだね……」
「そう言われると嬉しいけど、いつも自分の事ばっかりだよ~」
またマイヤがぱっと下を向いた。少しの間、沈黙が走る。
ど、どうしたんだろう? 何か嫌な事でもされたのかな?
心配になってそっと顔をのぞき込むと、マイヤがゆっくりと顔を上げた。
いつもと変わらず、にこやかな笑顔を浮かべている。
「私は嫌がらせとか受けてないから大丈夫だよ。ありがとう、アリアちゃん」
「良かったぁ~」
本当に良かった! なんか安心して気が抜けたなぁ。
「私も早くアリアちゃんの変な誤解が解けるように頑張るね」
「ありがとう!」
「……それでね、もう1つ、私の話を聞いてもらってもいいかな?」
──ああ!!
「そっか!噂話の他に何か話したい事があったんだよね?」
「そうなの。……エウロくんから婚約解消を切り出されたのはさっき話した通りなんだけど、実は私もエウロくんと婚約を解消しようと思っていたの」
へっ!? そうだったの??
知らず知らずのうちに口がぽかーんと開いてしまう。
「──好きな人ができたの」
えーーーー!!
マイヤに好きな人ができた!?
これって……私が聞いていい話なのかな? 聞いていいから話したんだよね? きっと。
こ、これは恋愛のアドバイスを求められている??
よし! こうなった以上は私の経験を絞り出すしかなーーい!!
………………ない。全くない。絞る材料すら持ち合わせていない。
「ええと、ええと……好きな人が出来ると世界が開けるというか(多分)、毎日が楽しくなるよね~(多分)」
ダメだ。こんなんじゃ、ダメだ。
「そうだね」
私が頭を抱えていると、マイヤがクスっと小さく笑った。
「実は、私の好きな人って……オーンくんなの」
オーン!!!?
マイヤの好きな人が…………オーン。
私が戸惑っていると、マイヤが首を傾げた。
「それでね。アリアちゃん、オーンくんと仲がいいから協力してもらいたいなって思って」
……協力。協力って、マイヤとオーンの仲をとりもつ……という事だよね。
今のところ、私はオーンに恋愛感情はない。
本来なら協力できる……はずだった。
でも……オーンは私のことが好きだって言ってくれた。
……改めて自分で“オーンは私のことが好き”って思うのって照れるな。
まぁ、それは置いといて。
協力するってことは、気持ちを伝えてくれたオーンにも、相談してくれたマイヤにも失礼だよね。
つまり、返事は──決まってる。
「ごめん、マイヤ」
「えっ?」
「せっかく勇気を出して言ってくれたのに……協力できない。本当にごめん!!」
協力できない申し訳なさから、深々と頭を下げた。
オーンが私の事を好きという事はさすがに言えない。なんか色々と申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「……それってアリアちゃんもオーンくんの事が好きだから?」
えっ!?
マイヤの発言に驚き、思わず勢いよく顔を上げてしまう。
好きかどうか、かぁ。んー、今の自分の正直な気持ちを言おう。
「ううん。オーンの事は好きだけど、恋愛感情の好きとは違うよ」
いつもの笑顔が消え、マイヤが真面目な顔つきになった。
「……それじゃあ、なんで?」
「な、なんで……そうだよね。そう思うよね。具体的には伝えづらいんだけど、敢えて言うならマイヤとオーン、どちらも大切な幼なじみだからかな。ごめん、意味分からないよね」
説明が難しいな。
私の言葉に目を伏せたマイヤが、ぼそりと呟いた。
「……大切な幼なじみ? そう思ってるなら、普通は協力するんじゃないかなぁ?」
「う~ん。普通はそうなのか分からないけど……マイヤだけじゃなく、オーンの気持ちとかもね。大切にしたいから」
なんか今日のマイヤ……様子がおかしい?
気づけば、マイヤの身体がプルプルと小刻みに震えている。
「オーンくんの気持ちって、それってオーンくんには既に好きな子がいるみたいな言い方だよね?」
「あっ、いや、ごめん。そういう意味じゃなくて。オーンがそういう事を望むタイプだったら、協力したかもしれない。でもオーンはそういうのを望まないんじゃないかなぁ~と思って」
オーンに好きな子がいるっていうマイヤの予想は当たっている。
なんかマイヤに嘘をついてるみたいで、今の自分がものすごく嫌だな。
でも、マイヤの事もオーンの事も大切だから、出来る限り誠実に対応したい。
「アリアちゃんに協力を頼んだ私はダメって事なのかな?」
「オーンがそういうタイプに見えないって思っただけで、協力を仰ぐこと自体は悪い事でもないし、ダメでもないよ!!」
やっぱり、いつもと違うというか、マイヤらしくないな。
さっきからずっと俯いたままだし。何か別な悩みでもあるのかな??
「マイヤ何かあった? なんか震えてるみたいだし……あっ!」
「…………」
分かった。トイレを我慢してるのかな?
真面目な話をしていると、席を外すタイミングって難しいよね。
「マイヤ。気にせずにその、あの、お手洗いとか行ってもいいから、ね」
「……………………」
あれ? 違った?
あっ! 今度こそ分かった! 体調がよくないんじゃ?
「もしかして具合が悪い? 大丈夫??」
「…………そこは」
そこは?
「『協力する』って言うところでしょーー!!」
ええっ!?
思い切り声を張り上げマイヤが、険しい表情で私の顔を見る。
「なんで? どうして? なんでなの!?」
先ほどよりもさらに大きな声で、甲高く叫んでいる。
…………これは、誰??
疲れて幻覚でも見てるのかな? 目をごしごしと擦ってみる。
うん、マイヤに見える。
「失礼ね! 正真正銘マイヤよ!」
「ご、ごめん。きっと校内中の噂の的になって疲れたんだよね? 私はそろそろ帰るよ。ゆっくり休んで」
とりあえず、マイヤを休ませよう! うん、それがいい。
ゆっくり休んで疲れもとれてから、改めて話そう。うん、絶対にそれがいい。
そそくさと椅子から立ち上がり、部屋を出る準備をする。
「待ちなさい。逃がさないわよ」
マイヤが指を下に向け、椅子を指差した。
……座れってことね。
言われた通り、黙って椅子に座る。
何からツッコめばいいのか……。私が黙っていると、マイヤから口を開いた。
「アリアちゃんにイライラしすぎて、つい本性を出しちゃったじゃない」
「……ほ、本性?」
ええと、まだ頭がついてってないんですが……。
さっきよりは少し落ち着いたのかな? 声のトーンが戻ったような??
「アリアちゃんって、私が返してほしい言葉を全く言わないんだもの」
「は、はぁ」
「私がオーンくんを好きで協力してってお願いしてるんだから、そこは『マイヤとオーンくんはお似合いだから協力しよう』になるでしょう!!」
「は、はぁ」
すいません。今までとギャップがありすぎて、まだ整理しきれてないよー。
誰かぁ、助けてーーー!!
両手をテーブルにつき、マイヤが勢いよく立ち上がった。
「しまいには『お手洗いとか行ってもいいから』って……信じられない!」
あ、また声のトーンが上がった。
「恋愛の話をしていて、どこをどう考えたらそこに行きつくのよ!!」
話を続けながら、マイヤが片手で胸を押さえる。
「私はね……はぁ、アリアちゃんなんかに負けちゃダメなの。はぁ、はぁ、一番じゃないといけないの」
──!? なんかさっきとは違う意味で様子がおかしい。
「はぁ、はぁ、アリアちゃんは……はぁ、なにも努力してない……のに」
顔色も悪くなってるし、なんか息切れしてる!?
「はぁ、はぁっ、なんで? はぁ、はぁ……はぁ、なんで、みんな……はぁ、アリアちゃんが好きなの?」
──過呼吸だ!!!
マイヤの身体がふらふらと揺れる。足元もおぼついてない。
「はぁっ、はぁ、はぁ、アリアちゃんなんて……」
危ない!! 倒れる!!!!!
急いでマイヤの元へ駆けより、倒れかけた身体をギリギリで支えた。
ま、間に合ったぁ~。急いで呼吸を整えないと!
マイヤを支えたまま、ゆっくりと床に寝かす。
その間も呼吸は荒いまま、息をするのも苦しそうだ。
マイヤを膝枕し、ゆっくりと上下に背中をさする。
過呼吸って、極度の緊張やストレスが原因だったはず。
少しでも気持ちが落ち着くといいけど……つらそうだな。
マイヤを刺激しないよう静かに、語りかけるように話す。
「ゆっくり息を吐いて」
手本を見せるべく、私も一緒に大きく息を吐く。
「ゆっくり息を吸って」
私も一緒に大きく息を吸う。何度も何度もゆっくりと呼吸を繰り返した。
少しずつだけど、マイヤの呼吸も戻ってきてる。良かった。
汗も引き、やっと落ち着いてきたと思ったら、突然、マイヤが「ううっ」と小さな声で泣き始めた。
すすり泣く声を聞きながら、手を休める事なく背中をさすり続ける。
今まで見てきたマイヤとのギャップがありすぎて驚いたけど……いや、今も驚いてるか。
……マイヤには、自分を追い詰めてまで『一番じゃないといけない』と思うような理由が何かあるのかな?
マイヤの泣き声が徐々に小さくなってきた。
……泣き疲れたのかな? 目がうとうとしている。
さっきのマイヤはまるで、張り詰めていた糸が切れたようだった。
溜め込んでいたものが一気に出たというか……。できれば、このまま寝かしてあげたいな。
穏やかな気持ちで眠れるよう“前の世界”の子守唄でも歌ってみようかな?
マイヤに聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで、懐かしい子守唄を歌う。
効果があったのかは分からないけど、マイヤの目が徐々に閉じてきた。
1分と掛からずにすやすや眠ったマイヤの顔を眺めながら、安心と同時に不安もよぎる。
突然の事で考える暇がなかったけど、過呼吸──極度の精神的ストレスって……。
さっきの話を思い返すと、ま、まさか! 私が原因なのでは……!!?
お読みいただき、ありがとうございます。
11/15(日)更新になります。




