8 『父の痕跡を感じた』
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時はルークとカーナンの戦いが始まった数分前に遡る。
ルークと別れた後、ミアは展望台に一人でいた。テラスから見える遠くの景色を眺めながら、ミアは先程までのことを考える。
こうなる可能性は分かっていた。ルークが心に深い傷を負っていて、その傷が塞がっていないことも知っていた。
それなのに、何とかなると思っていた。何とか出来ると思っていた。そういった楽観視で、ミアは自分の感情を優先したのだ。
今日ルークをパーティーに招いたのは間違いだったかもしれない。
「フォークス君」
突然後ろから声がかかり、ミアは驚いて持っていたグラスを落とした。しかしグラスは落ちる寸前で止まり、ミアの手元に戻った。
「驚かせてしまったようじゃの」
「ベアリング校長」
ミアは自然と背筋を伸ばした。ベアリング校長とは生徒の中でも仲が良い方だと思っている。それでも、やはり威厳の校長の前ではどこか緊張してしまう。
「卒業おめでとう、フォークス君」
「ありがとうございます」
「君も立派に成長したのう。今の君を見れば、父君もさぞ誇りに思われるだろう」
「……父の望んだようになっていればいいんですけど」
ミアの父親とベアリング校長は知り合いだった。学生時代、ミアの父もまた校長に魔法を教わったのだ。
それもあり、校長は戦争で父親を失ったミアのことを入学当初から気にかけ、ミアはよく相談に乗ってもらっていた。
「ふむ。やはり君を見ると彼を思い出すな」
「え?」
「君の父……ロイド・フォークスも謙虚だった。努力を惜しまず、彼もまた首席で卒業した」
ベアリング校長は懐かしむように顔をほころばせた。そんな校長の様子に、ミアも頬を緩める。
「さて。それはそうと、新たな旅に出る君に贈り物だ」
そう言うと、校長は手のひらをかざした。すると人差し指の指輪が光り、宙に穴が開く。穴から小さな箱が降ってきて、校長の手のひらに落ちた。
「これは……」
「あれは確か……八年前かのう。ちょうど、王都決戦の前じゃ」
王都決戦、戦争にひと段落が着いたとされる、文字通り王都での決戦のことだ。それ以来向こうの攻撃は少なくなり、一応は戦争は終わったことになっている。
そしてその決戦こそ、ミアの、ロニーの、そして、ルークの父親が亡くなった戦いだ。
「ロイドはある日の晩、ワシを訪ねてきた。ずいぶん急な訪問だったもんでワシもびっくりしたのう。彼は眠りかけのワシを起こして、大事な話があると言った」
「大事な話?」
「彼は随分興奮しててのう。それと同時に、焦ってもいた。何かを見つけたとも言っていた」
「何か、って何ですか?」
「ワシも同じ質問をした。じゃが、彼は詳しく教えてはくれなかった。その代わりに、この箱を渡されたんじゃ」
ベアリング校長は片手に持つ小さな箱をミアに見せた。
銀色の箱は恐らく金属でできている。しかし全く切れ目は無く、開けることが不可能なように思われた。
「不思議じゃろ? ワシも試してみたが開け方は分からなかった。ロイドはワシに、これを預かってほしいと言った。そして、時が来たら娘に渡してほしいと」
「え……私に、ですか?」
校長は「そうじゃ」と頷くと、その箱をミアに差し出した。ミアはそれをおずおずと受け取ると、手のひらの上に置いて眺める。
「彼の真意は分からぬ。じゃが、君に伝言だ。『輪を閉じろ』と、君に伝えてほしいと彼は言った」
「輪を閉じる……?」
「言ったじゃろ? 真意は分からぬと。じゃが彼は真剣な顔でそう言っていた。何にせよ、重要なことだとワシは思っている」
ミアはもう一度箱を眺める。父の遺品。生前の父の痕跡に触れることが出来て嬉しいという気持ちが半分、何故これを自分に残したのかという疑問が半分だ。
もし校長の言う通り重要な事なのだとしたら、校長や信頼できる人がもっと大勢いたはずだ。それなのに、父は自分に託した。その事実が、ミアにとっては嬉しかった。
「ありがとうございます。父の遺言通り、この箱の謎を解いてみせます」
「ふむ。期待しとるぞ」
ミアは感謝の気持ちを伝えると、箱をそっとポケットにしまった。
「あともう一つ、ロイドから君への言葉じゃ」
ベアリング校長はミアの目を真っ直ぐに見た。ミアも校長の方に向き直る。
「『自分を信じろ』じゃ」
「自分を信じろと、輪を閉じろ……」
「どちらも短いのう。ロイドは口数の少ない奴じゃったな。でも、的確な言葉じゃ。自分を信じろ。周りに流されるな。自分の判断に自信を持て。特に、今の君にぴったりの助言じゃな」
ミアは顔が火照った。校長もさっきのルークとの一件を見ていたのだろうか。それか、心を読んだか。
だがしかし、校長の言う通り今のミアにとってその助言はかなり的確なものだ。父は、ロイドはこうやって校長が伝言をすることが分かっていたのだろうか。
ミアは、そんな父の想像に小さく息をついた。
「ベアリング校長」
「ん? 何かの?」
「今まで、本当にありがとうございました。いつも、相談に乗ってもらったりして、ご迷惑をかけたことも何度もあったと思います。でも私は、校長に色々な事を教えていただけて良かったです」
ミアは精一杯の感謝の気持ちを込めて言った。この言葉に一つも偽りはない。
校長は呆気にとられたかのように固まったが、すぐに破顔すると小さく「これだから教師という仕事はやりがいがある」と呟くと、
「ワシも君のように優秀な生徒に出会えて良かったと思っておる。これからの活躍に期待しておるぞ」
「ありがとうございます。頑張ります」
「ふむ。ではそろそろワシは失礼するとしよう。若者たちの宴会にワシのような老骨が居れば目障りじゃろう」
「そんなことありませんよ。どうぞ、校長もゆっくりして行ってください」
会場から去ろうとするベアリング校長をミアは笑みを浮かべながら引き止める。すると校長は嬉しそうに笑った。
「ほう。そう言って貰えると嬉しいのう。じゃが残念ながらそれは難しいようじゃ」
ベアリング校長がその台詞を言い終わる間もなく、校長の体が光り始める。それに加え、透けて向こう側が見えるようになってきた。
「これって……遠隔魔法? まさか――」
「そう、ワシは初めからここには居なかったんじゃ。実は王都にどうしてもと呼び出されてのう。出来るだけ長く居たかったがもうそろそろ限界のようじゃ」
「じゃあ、さっきの挨拶したときも本当は居なかったってことですか!?」
パーティーの最初に校長は挨拶をした。もうその時から遠隔魔法を使っていたという訳か。それをこれほどまで離れた距離でここまで長く、しかも本物と見間違えるほど発動させられるとは。
ミアは校長の魔法の実力の高さと大胆さにますます驚かさせられる。
「じゃあな、フォークス君。また会えると良いのう」
「はい。校長も、お元気で」
そのままベアリング校長の姿は薄れていき、やがて完全に消えた。思い返してみれば、確かに校長は卒業式の時から何にも触れていなかった。
卒業式を欠席してまで出向かなければならない用事とは、一体何なのだろうか。まあ、ミアには関係のないことだ。
ミアは再び、ポケットからロイドの箱を取り出した。父の名残だ。ルークの剣のような形見を何も貰っていなかったので、ミアは箱を手にして嬉しく思っていた。それにしても――
――自分を信じろ、か。
正直、ミアは自分に自信がない。だから、努力してきたのだ。ルークみたいに剣が上手くないから、毎日剣を振り続けてきた。ロニーみたいに魔法が上手くないから、毎日練習してきた。
そうしていつの間にか、主席にまで上り詰めた。それでもまだ不安が大きい。
こういうものは性格だから直せないと思う。一度下した判断に対して、後からくよくよ考えてしまうのもそうだ。
しかし、それでも、折角父が励ましの言葉を送ってくれたのだ。八年という長い時間越しの助言は、ミアに響いていた。せめて、今日だけは助言に従ってみようではないか。
ミアは決心する。今日ルークをパーティーに招いたのは正しかった。だから、これから探しに行ってもう一度話をして仲直りをする。そして、ロニーと三人で昔みたいに話そうではないか。
そう思い、ミアは回れ右をして歩き出す。
しかし――
――ミア……ル、ルークが……!
そのミアの決意は、一瞬にして崩れるのであった。