2 『再会は傷跡を抉る』
後ろからつけられていることには気づいていた。それでも歩みを止めることはせず、買い物袋を握りしめたまま早歩きで歩き続け、路地裏への曲がり角を曲がる。
我ながら、自分の行動にあきれていた。わざわざ顔を出しておいて、結局逃げ出すとは。
そもそも、自分は一体何がしたかったのだろうか。旧友に卒業の祝いの言葉をかける? 旧交を温める? それをしてもいい、むしろすべきなのかもしれない。
しかし、ちっぽけな自分のプライドはそれを許さず、あと一歩を踏み出すには至らなかった。
「ルーク!」
昔からよく知る鈴のような声が自分の名を呼ぶ。その呼び止めに、ついに観念したルークは人気のない路地裏で足を止めた。そして振り向くと、自分を追いかけてきた金髪の少女の顔を見る。
「ミア」
名前を呼ばれたミアは、安心したかのように小さく微笑む。その整った顔つきは、かつてほぼ毎日を共に過ごした幼少期と比べて大人っぽい凛々しさが加わっているが、まだどこかあどけなさが残っている。
「来てたんだね」
ミアは歩み寄りながら話しかけてくる。ルークは逃げ出したことへの気まずさから咄嗟に自分の行動を誤魔化す。
「ま、まあなんつうか、たまたま通りかかったっていうか……」
「ふふ、そんなこと言って、相変わらず嘘が下手なんだから」
ミアに呆気なく嘘を見破られたルークはきょとんとする。しかし、そんなやり取りも昔と変わらないことを思い出す。昔から、ミアの前では嘘も強がりも通用しなかった。
「……卒業おめでとう」
「ありがと」
なんともぎこちないやり取りと、時間が二人の間を流れる。それも当然、時間という壁が二人の間を隔てているのだ。
そんな中、先に口を開いたのはミアの方だった。
「ねぇ、折角だから、ちょっと話さない?」
*
対照的な黒と白の装いに身を包んだルークとミアは、人が行き交う商店街を並んで歩く。
「明日マークルに帰るよ」
「え、もう?」
「うん。最終試験のあと時間あったからもう荷造りは済んでるの。だから、みんなとは明日でお別れ」
二人やロニーの家がある村は、フラーグル魔法学校があるケインズという大きな町の郊外にある村だ。村といっても、住んでいるのはケインズの騎士やその家族が大半を占めている。
ケインズからの距離は、一日で往復できない程離れていなかった。しかし、フラーグル魔法学校は全寮制の学校であるため、生徒は校内にある寮に住んでいた。
「寮生活は楽しかった?」
「うーん、どうかな。夜は結構騒がしい日もあって大変だったけど……まあ、それなりにはね」
「そっか……」
ルークははるか遠くに感じる記憶を手繰り寄せる。まだ、ルークがフラーグルに通っていた頃の記憶。いや、正しくは、『通えていた』頃の記憶だ。
「……ルーク?」
ミアが恐る恐るといった様子でルークの名を呼ぶ。
ルークが学校に通えなくなったのは、学校が嫌になったからなどといった理由ではない。もっと単純である。それは、『才能が無かったから』だ。
有名な魔法剣士を父親に持ち、かつてその剣術の天才的な才能で神童とまで言われていたルーク。しかし、それも魔術を本格的に習い始めるまでの話だった。
それは、フラーグルに入学して間もない頃の事。魔術入門のクラスでの出来事だった。
*
――落ち着け、落ち着け、落ち着け。
ルークは心の中で何度も唱える。しかし体の震えが止まらない。
「焦らなくていいから、落ち着いて?」
そんなことは分かっている。落ち着こうとしている。しかし、横から自分の様子を見守る先生の目と、自然と自分に集まってくる他の生徒の視線がルークに刺さり、ますます焦燥感を掻き立てる。
――落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け。
ルークはただ一点、自分の机の上に置かれた教科書を見つる。そして、人差し指に金色のリングを付けた左手をそれに向かってかざすと、心を落ち着かせようと深呼吸をする。
目をつぶり、本が宙に浮かぶところを想像した。
「――はぁ……」
集中が途切れ、ルークは目を開け、期待を込めて本を見る。しかし、先程から本は一ミリも動いていない。
周りがクスクスと笑う声と囁きがやけに大きく聞こえる。その中には、よく剣で負かしていたあのギデオンの姿もあった。ルークは目を合わすまいと慌てて顔を背けるが、もう遅かった。
「おい、どうしたんだぁ? 出来てないのお前だけだぞ?」
「こら、やめなさい」
すぐさま先生が注意するが、ギデオンはにやにやしたまま腕を組む。最悪だ。よりによってギデオンとは。
それに加え、この魔法が出来ていないのはルークだけだという新情報まで加わり、ルークの呼吸はますます乱れ、体の震えも大きくなる。
「大丈夫よ、落ち着いて、ルーク。少し時間が掛かる人もいるから……」
先生は励ましているつもりなのだろうが、語尾が弱々しい所がよりルークの焦燥に拍車をかける。それに、他の人が出来ているのにまだ自分には出来ていない、その事実に焦りと悔しさが沸き立ってきていた。
「落ち着いて、もう一回だけやってみて?」
そう言う先生の目が、腫れ物に触るようにルークに接してくる態度が、自分が本当に情けない立場にいるように感じて、憤りに似た焦りを感じる。
――落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け焦るな焦るな焦るな焦るな
何度も唱えながら、ルークは目をつぶって手をかざす。
その時、ルークは異変を感じた。急に体が不可解な浮遊感を感じて焦って目を開けると、目の前の本が目に入る。
しかし、本は見た所机からは浮いていない。しかし、変化があった。それは、ルークから見て本の位置が先程よりも下になっている。
「あれ!?」
ルークは本を見ようと下を向いて気づいた。なんと、浮いているのは本ではなく自分の方だった。ルークの足は教室の床から三十センチほど浮いたところにあった。
「できた……?」
のだろうか。本に浮遊魔法をかけるつもりが、自分自身に魔法をかけてしまったということだろうか。
ルークが自分の状態を把握すると、すぐに体は降下を始めてやがて床に足が付いた。
周りを見ると、ルークを中心にして集まって来ていた他の生徒たちは呆気に取られていた。ルークは地に足が着いたことと、何よりも浮遊魔法が使えたことに安心したことを隠しつつ、
「ま、まあ、出来ないフリしてたっていうか? こうした方が皆注目するしさ……」
「はは……」とルークは作り笑いを浮かべながら、得意げな顔をする。しかし実際は、今初めてやったのだが。
それでも、ルークは国内有数の魔法剣士の息子なのだ。そんなルークが魔法を使えないわけ――
「ぶはははははは!」
その時、周りの生徒たちの中から大きな笑い声が起こる。それは単純に面白くて笑った、という笑い声ではなかった。その笑い声は、人を嘲るような笑い方。ルークにとって最悪なことに、その声の持ち主は――
「『出来ないフリしてたっていうか』って……マジで傑作だわ」
ルークの声を真似して先程のセリフを繰り返すのは、ギデオンだ。ルークはこの時、全く状況が理解できなかった。今のギデオンの嘲りは何だったのか。
その疑問に答えるかのように、ギデオンはその左手を前に突き出す。それを見て、ルークは全てを理解した。
「――ッ! お、お前……」
ギデオンの左手の指輪は、いつかの決闘の時とは違ってしっかりと白い光を放っている。次の瞬間、ルークの体は自由を失い先程と同様に床から足が離れる。
「うわぁ!」
「残念、オレ様の魔法でした!」
宙に浮き戸惑うルークを見たギデオンは腹を抱えて笑う。て周りを囲んでいた生徒たちも笑い始める。先ほどよりも高く浮くルークの顔は、自分でも分かるくらいに真っ赤に染まっていた。
「ギデオン・アルゲイル! 今すぐ止めなさい」
先生の叱責に、ギデオンは魔法を解いた。しかし宙に浮いている状態だったため、ルークは地面から一メートル弱の高さから床に落ちる。ルークは木製の床に頭を打ち、鈍い音が上がった。
「大丈夫ですか、ルーク?!」
頭痛がする中ルークが目を開けると、倒れたルークに駆け寄って心配そうに顔を覗き込む先生の顔があった。落ちた時の衝撃のせいか、先生の顔がぼやけて見え、声は響いて聞こえる。
「だ、大丈夫です……」
ルークはこれ以上の恥をかくまいとするが、これ以上の恥をかくというのもなかなかの難儀だろう。先生はルークの無事を確認すると、怒りながらこちらを遠目で見ていたギデオンの元へ歩み寄る。
「一体、何を考えているの!? 授業が終わったら先生の所に来なさい!」
そんな先生の叱責が遠くに聞こえる。ルークは上半身を起こすと、ぼやける視界を治そうと目をこすった。すると、目に入ってきた。周りに群がる生徒の表情。
興味のないふりをして、横目にこちらを見る顔。
――やめろ、俺を見るな。
ルークを見てクスクスと笑う顔。
――やめろ、俺を笑うな。
床に座り込むルークを憐れむ顔。
――やめろ、そんな目をするな。
そして、先生に怒られながら、こちらの視線に気づいてほくそ笑むギデオンの顔。
直後、ルークの視界は真っ赤になった。皮肉にも、この時のルークの動きは生まれてきてから今までの中で一番洗練されていた。
「この、クソ野郎がぁぁぁ!」
ルーク・スレッドマン
本作の主人公です。