1 『和やかな旅の友』
「お嬢さん、お名前は?」
向かいに座る老婦人が話しかける。一面緑の大草原のど真ん中を走る馬車。それに揺られる少女は、婦人の声に彼女の方を向いた。
「ミアです」
「ミアちゃん、可愛い名前だねぇ。私はマーサよ。これから一週間よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
ミアは笑顔を返す。マーサとは、これから王都までの一週間の旅を共にすることになる。ミアは人と話すのが得意な方ではないと思っているが、マーサは気さくで親切そうに見えため、内心少しほっとしていた。。
「一人で王都に行くのかい?」
「はい。今年から王国騎士団に入団することになってて」
ロニーを見送ってから約三週間、焦燥感に駆られる病床生活を終え、ミアはやっとの事で旅路に付いている。腹の傷はもうほとんど治った。
本当は後一週間程休むように言われたのだが、医者や母親の反対を押し切ってミアは出発した。馬車での旅になったのは、傷が完治していないミアに親がせめてと言って聞かなかったのだ。
「騎士団? それはすごいねぇ。じゃあミアちゃんは騎士様なのね」
「騎士と言っても、まだまだ駆け出しですが」
ミアは照れ隠しをする。王都の騎士は優秀な者が揃っているため、その一員に慣れたことはミアにとって光栄であった。
「マーサさんは、どうして王都に?」
「私は王都で商店をやってるのよ。仕事の関係でケインズを訪れてて、今回はその帰りなの」
「そうなんですか。商店っていうと……」
ミアの言葉を受け、ミーサさんは隣に置いていた袋に手を入れる。中から出てきたのは、黄色い果物だ。
「果物や野菜を売ってるの。これはオライモン。食べてみる?」
そう言うと彼女は、オライモンの皮を向いた。少し赤みがかかった果肉が姿を現す。
マーサはそれを少しちぎるとミアに差し出した。
「ありがとうございます」
ミアはオライモンを手に取ると、ありがたく口に入れる。歯で果肉を潰した瞬間、強い酸味が口の中に広がってミアは悶える。
そんなミアの様子を見て、マーサは高らかに笑い声をあげる。
「ごめんなさい、少し酸味が強すぎたかしら」
「酸っぱいけど、おいしいですね」
ミアは嘘偽りのない感想を述べる。マーサも同じようにオライモンを口に入れるが、ミアとは違って顔一つ変える事もなかった。
「うん。なかなか良いわね。オライモンはね、腐ると今の三倍は酸っぱくなるのよ。私は慣れてるからか、腐って酸っぱくなったくらいが丁度良いわ」
「ほんとですか。すごいですね」
ミアはゾッとした。ただでさえ酸いというのに、この三倍を口にするなど到底無理だ。マーサはそんなミアの気持ちに気づいたのか、また口角を上げる。
「まあ、うちでは他にも色んな食べ物を扱ってるから。王都で暮らし始めたら是非ドーナー商店をよろしくね」
「はい」
ちゃっかりしたマーサの宣伝にミアも笑顔になる。
実にのどかな旅路だ。これからやってくるであろう一兵士としての日常と比べて、ミアはそう思っていた。
「王都はこれが初めて?」
「いえ、生まれは王都なんです。でも、まだ小さい時に引っ越して、それからはずっとケインズの方で」
「あら、そうなの」
父親ロイドは、ミアが生まれた頃は王都の騎士団に居た。しかしミアが二歳になった頃、彼はケインズに転勤になったのだ。
各都市部の強化として、当時王都からは大勢の兵士が各地に派遣された。同じくケインズ派遣となった者の中には、かつて最強の名を冠していたルークの父ジークも居たそうだ。
「それなら、生まれ故郷に戻るって訳なのね」
「小さい頃なのでほとんど記憶はないですけどね」
ミアは苦笑いを浮かべる。
母の話によると、ロイドも十八歳、今のミアと同じ年齢の時にケインズから王都へ行ったらしい。ミアは、父と全く同じ道を歩んでいるのだ。
父には憧れている。しかし自分が、彼と同じような栄えある道を歩めるかどうかが心配だった。
ミアは、ポケットの中に手を入れた。指がひんやりと冷たいものに触れる。ベアリング校長に貰った父の遺品だ。
ロイドは、ミアの事を信頼してこの箱を託した。「輪を閉じろ」と、「自分を信じろ」との言葉を添えて。
ミアは正直、初めから在ったか無かったか分からない程の自信を完全に失いかけていた。それはもちろん、ルークの事があったからである。
父の意志を継ぎ、人々を守るため魔法剣士を目指してきた。しかし幼馴染という身近な存在さえ守れなかったミアに、人を救う事など出来るのか。
この三週間、ミアは焦燥感に押し潰されそうだった。病床から解き放たれた今、何としてでもいち早くルークを助け出さねば。ルークは生きている、ミアはそう確信していた。
「大丈夫?」
突然声を掛けられ、ミアはふと顔を上げる。そこには、心配そうにミアを見つめるマーサの姿があった。
ミアは自分が深刻な表情をしていたことに気が付く。
「すみません」
「いいえ、いくら昔住んでたと言っても心配よね」
マーサの言葉は完全に検討違いという訳ではない。ミアは「まぁ、そうですね」と答えた。
「王都は良い所よ。沢山の人が行き交ってて、いろんな物が手に入る。でももし不安なことがあったら、何でも聞いて頂戴ね」
「……ありがとうございます」
マーサの優しい言葉に、ミアはハッとする。
マーサだけではなく、ロニーや、これから出会うであろう仲間がいる。だからミアが全てを一人で抱え込む必要はないのだ。
思いがけぬところで人の温かさに触れ、ミアの心は少し和らいだ。
*
王都への旅路は、途中で何か問題が起きることもなく、平和に過ぎていった。
一週間を共にしたマーサとはすっかり打ち解け、今では家族のように仲良くなった。
「ありがとうね」
「ありがとうございました」
ミアとマーサは自分たちをここまで連れてきてくれた御者の人に頭を下げる。無口な彼はそっと会釈をすると、また馬を引いて去っていった。
この世界には、四つの国が存在している。そのうちの一つ、ミアが生まれ育ち、これから忠誠を尽くすことになるのは、フレイ王国だ。
栄えた王都が目に入る。遥か彼方に見えるのは、このフレイ王国の王家が住む王城だ。あそこがこれからミアの勤務先の一つとなる。そしてその周りには、城を取り巻くようにしてレンガ造りの建物が並んでいる。
ケインズも大きな街だが、王都はその三倍はあるように感じた。流石はこの国の中心だけある。
マーサの優しさは止まることなく、ミアがこれから暮らすことになる兵士用の寮まで案内してくれた。マーサの営むドーナー商店もそこまでの道中にあり、寮から通えない程遠くは無かった。
また、道中で兵士も何人か見かけた。ミアはその中に先に発ったロニーの姿が無いか探していたが、残念ながら彼の姿は見当たらなかった。
茶色いレンガ建ての建物の前で、マーサは足を止める。ここがその寮だ。彼女は振り向くと、ミアを見て言う。
「到着よ」
「ありがとうございました」
ミアはここまでのマーサの厚意に感謝の意を述べる。マーサは「いえいえ」と首を横に振ると、ミアの手を握った。
「たまにはお話をしに来てね。これから色んな事があると思うけど、頑張って。応援してるわ」
ミアは嬉しい言葉に、流れそうになった涙をこらえた。
「はい! ありがとうございます!」
そうやって、一週間の仲の二人は分かれた。ミアは去っていくマーサの背中を見守った。最早、ミアは彼女の事を祖母のように親しく思っていた。
*
小さな女子用の寮は静かだった。それも当然、まだ時刻は日が傾いてきた頃。今は大体の人が仕事中で、帰ってくるまであと一、二時間はかかるだろう。
ミアは管理人さんに挨拶をすると、自室の鍵を貰って部屋に入る。二つのベッドが置かれており、ここは二人部屋だという事が分かる。同じ部屋の人はまだ帰って来ていないようだ。
フラーグルに居た時もミアは寮生活だった。基本的にいつも相部屋で、寮での生活は長い。しかしそれは、寮生活に慣れたという訳ではなかった。
正直、これから共に暮らす人がどんな人なのか緊張している。気が合う人ならいいのだが、仲良くなれなかったらどうしよう。そんな不安がミアの中で渦巻いていた。
しかし緊張して待っていても何も始まらないので、ミアは自分の生活場所の準備をする事にした。
布団がめくれ、物が散らって生活感の溢れるベッドの反対側にミアは腰を下ろす。ミアのベッドの上にも、同居人のものと思われる私物が転がっていた。かなり大雑把な性格の持ち主のようだ。
彼女の物に手を出すのは悪い気がしたので、ミアはその周りを先に掃除する。そして少しだが自宅から持ってきた私物を配置した。あとは彼女が帰るのを待つだけだ。
手持ち無沙汰になったっミアは、窓の外を覗いていた。建物は三階建てで、ミアの部屋はその三階の角に位置している。流石王都、多くの人が道を行き交っていた。
しばらくしたとき、部屋の外から騒々しい足音が聞こえてくる。ついに誰かが帰ってきたようだ。その足音は止まることなく、この部屋の前までやってくる。そして、勢いよくドアが開いた。
「ミアちゃん?」
彼女はミアの名を呼んだ。初対面のはずだ。
「ど、どうも――」
ミアの言葉が途切れる。何故なら、その瞬間に彼女が飛びついてきたからだ。彼女の勢いは止まることなく、ミアは成す術もなく抱き着かれた。
ミアは呻く。
つやのある短い桃色の髪。白い肌に先のとがった可愛らしい耳。ミアよりも小さな身長。そして何より――
「む、胸が」