23 『運命をも超えた奇跡の研究』
ルークは目の前にある死体を見た。
黒い髪に、馴染みがあるが不思議な印象を抱く顔立ち、それは自分とよく似ていた。
しかしその肌は血の気が抜けて青白く、下に右眼があるはずの瞼は窪んでいる。
「自分の死体を見るというのは、不思議なものだろう」
ヘルツォークの言葉は、これがルーク自身の死体であることを肯定していた。
ルークは訳が分からず混乱する。何故自分が死んでいるのだ。目の前の死体が自分のものであれば、今生きているこの存在は何なのだ。
「驚くのも当然だ。それは、この世界のルーク・スレッドマンの死体だよ」
「この世界……?」
「そう。彼は、君のドッペルゲンガーだ」
聞きなれない単語にルークは眉を顰める。ヘルツォークはそれを見て気持ちを察したようで「すまない」と話を続ける。
「ここアンドロメダは、君のいた世界のパラレルワールド、つまり、並行世界だ。まあどちらも聞き馴染みはないか。その死体は、別バージョンの君なんだよ」
ルークは話についていけていなかった。それも当然、次々とヘルツォークの口から出る言葉は、どれも聞いたことが無かったのだ。
自分がもう一人存在するだけであり得ない話であるのに、世界そのものがもう一つ存在しているというのか。
「とても不思議なことだよね。一方の世界は科学、もう片方は魔法が発達している。嘘だと思うのなら、君とその死体、それとシャノとそのミアって子が証拠さ」
「――! なんでミアの事――」
「私が何も知らないとでも? 君たちの会話なんて筒抜けだったんだよ」
ヘルツォークはさも当たり前のように言い放つ。
覚えている限り、ルークがミアの話をしたのはシャノだけだ。という事は――
「安心したまえ、シャノから聞いたんじゃない。観察室での会話は、全て録音しているんだ」
「嘘だろ、じゃあ……」
シャノの裏切り、ルークが元に戻っていた事、脱出計画は全てバレていたというのか。この作戦は初めから失敗していたのだ。
「話を戻そうか。私の話は信じてくれたかな?」
ルークは死体を見る。もう一人の自分は目を閉じ、ただ眠っているだけのようにも見える。しかしその肌と窪んだ瞼を見れば、彼の魂がもうここにはない事が分かる。
その時、ルークの中で何かが繋がった気がした。
彼の落ち込んだ右眼は、今のルークの赤くなった瞳がある眼と左右が一致していた。ルークの目が赤くなったのは、ここで目覚めた時からだ。
この二つが意味するのは、
「俺のこの目は、こいつの目……?」
自分の右眼の下方を触りながら言う。状況からして、そうとしか考えることが出来なかった。
「ご名答。君が目覚める前に移植したんだよ」
「移植って……何のためにそんな事……」
「簡単さ。こちらの世界の君の意識を、君の体に移すためだよ。先に体の一部を移植しておくと意識が定着しやすくてね」
ヘルツォークは当たり前のことのように淡々と述べる。
ルークは勝手に、移植されるのは知らない誰かの意識だと考えていた。もう一人の自分の意識ならば、ルークが移植する対象として選ばれた事に納得がいく。
「じゃあお前らがやってるのは、アンドロメダで死んだ人の意識を、マギアヘイムで生きているその……ドッペルゲンガーに移すってことか?」
「その通りだ。やはり、中途半端にしか知らなかったんだね」
ルークは、ヘルツォークのこの平然とした様子に、既視感を覚えた。そう、ライラだ。
ライラも自分たちがやっていることが救済だと主張していた。そしてそこには、自分が正しいことに何の疑いも持っていない様子だった。あれは全て、ヘルツォークの受け売りだったという事か。
「何で、そんなに平然としてられるんだよ……! ちょっとは罪悪感とかないのか? お前らがやっていることは、最低最悪な事だって分かんねえのか!?」
ルークは自分の唾が飛ぶのも気にせず、腹の底から湧き上がる怒りを解き放つ。この男に話など通じないのかもしれない。それでも、吐き出さずにはいられなかった。
ヘルツォークは「やれやれ」とため息をついた。
「まだ話は終わってない。最後まで聞くんだ」
やはり、彼にルークの怒りは届いていないようだった。
「先程言ったように、二つの世界はそれぞれ、科学と魔法が発達している。という事は当然、起きる出来事もそれぞれ違うという事だ。それなのに、君とその死体のように同じ人物が生まれている。おかしいとは思わないか?」
ヘルツォークの話に、ルークは我に返った。
おかしいと思うかと聞かれても、ルークはまだ二つの世界の事を知ったばかりだ。そんなところまで考えは及んでいなかった。
しかし言われてみれば、おかしい事にはおかしいかもしれない。
「ずっとその理由が分かっていなかった。科学者達も随分と頭を悩ませてね。しかし今から十数年前、とある結論が出た」
ヘルツォークは如何にも楽しそうに話す。
「それは、生と死さ」
「生と死?」
「分かりやすく言えば、運命が決まっているのさ。片方で生まれた人間は必ず生まれ、死んだ人間は必ず死ぬ。それも面白いことに、それには一、二年程度の誤差しか生まれないんだ」
今度の話は、ルークにも理解することが出来た。しかし、何とも馬鹿げた話だ。科学の話をしていたと思えば、今度は急に運命などと言っている。自分が死ぬことが決まっていて、それが二つの世界の間で共有されているなど、ルークは信じることが出来なかった。
「そんな話、信じられる訳――」
「ない。確かに、それを今ここで証明することは出来ない。でもそう言うのであれば、今ここでシャノの首を切り裂いてやろうか? そうすれば君のミアはどうなるかな?」
ヘルツォークは自分の指をナイフに見立て、首を撫でて見せた。
ルークは顔を引き攣らせる。彼の話が本当ならば、ルークはシャノもミアも失うことになってしまう。
しかしヘルツォークは、ルークのその様子を「はは」と笑った。
「冗談さ。私がシャノを傷つけるわけない。でも、これ以上話の腰を折るのは止めてくれ」
この男は何をするのか分からない。ルークは仕方なく引き下がることにする。
「さあ、ここまでの話は理解できたかな? 我々が生きている、この二つの世界の仕組みについて」
「あ、ああ。じゃあ……」
片方で死んだ人間は、もう片方でも死ぬ。それも経った数年という期間の間に。アンドロメダのルークはもう死んでいる。ヘルツォークが真実を語っているとした時それが意味するのは、
「……俺は、死ぬのか?」
「その質問には回答しかねる。何故なら、それは今後の君の判断にもよるからね」
「俺の判断?」
「私のかねてからの目的は命を救う事。しかしどうしても世界の法則、死から逃れることは出来なかった。私は頭を悩ませたよ。どうすれば、より多くの命を救えるかってね。そして今から五年前、私はある大発見をした」
ヘルツォークは言葉を区切り、大げさに両手を広げて見せた。そして自慢げに言う。
「私は定められた死を回避する方法を見つけたんだ。それがこの研究という訳さ」
「……意識を移す、ってことか?」
「それも、異世界のドッペルゲンガーにね。アンドロメダの死にそうな人、死んで間もない人から意識を抜き取る。そしてその意識をマギアヘイムに同じ人物に移植することで、彼らは死の淵から蘇るんだ」
ヘルツォークは得意げに語る。
そもそも、意識の移植を当たり前のように行っている事にルークは驚く。確かにそうすれば、死んだ人間を生き返らせることは可能かもしれない。しかし器になるのはマギアヘイム人だ。
「でも、結局マギアヘイム人は死んでるじゃないか」
「必要犠牲というやつだよ。しかし考えてみろ。二人死ぬはずだったのに、死ぬのは一人で済むんだ。どうかね、私の研究は命を救っているだろう?」
ルークは返す言葉が見つからず黙り込む。
ヘルツォークの理論で考えれば、確かに彼の研究は命を救っている。死ぬはずの人間が死ななくなるというのは、自然の摂理を越えた救済だ。
移植されるはずだった人間も、死ぬと分かっていた人間だ。しかし、そんなことをしてもいいのだろうか。死ぬと定まっているからと言って、それよりも先に自由と命を奪うなんて。
「で、でも……」
「分かるよ、ルーク。悪だと思っていた存在がそうではなかったなんて、混乱しているだろう。しかし、これが事実なんだ。この研究は、運命をも超える奇跡の研究なんだよ」
ルークの心には迷いが生じてしまっていた。もはや、心の片隅で彼の言う通りなのかもしれないとさえ思い始めてしまっている。
死ぬ運命だからとはいえ、人間の命を奪う事を承諾してはいけないだろう。しかし二つの世界という長い目で見れば、彼らは命を救っている。その事実が、ルークからヘルツォークへの反抗心を弱めてしまっていた。
この二日間、ずっと彼らの事を完全な悪だと思っていた。しかし事実を知った今、その判断は揺らいでいる。もしかすれば、彼らは真っ黒ではなく、グレーなのかもしれない。
しかし、もしそうならば、この二日間は何だったのだ。初めから失敗していた脱出を必死に試みて。シャノの勇気ある行動と、彼女の人生の意味はどうなるのだ。
ルークは頭を抱えた。
「こ、殺すなら早く殺せよ、わざわざ計画の説明なんてせずに」
「殺す? とんでもない。私はただ君に分かってほしいんだよ」
そう言うとヘルツォークは、隣でドロイドに抱かれるシャノを見た。彼女は二人の話を聞いているが、そこに入り込むほどの気力は失っているようである。
「本当は、シャノをこんな目に合わせた君を、今すぐにでも引き裂いてやりたい。しかし彼女は、君の事を助けてあげたいと。私はシャノには弱くてね。可愛い顔で頼み込まれてしまったら断れない」
「じゃあ、お前は俺を――」
「逃がしはしない。折角の研究対象を失いたくはないのでね。その代わりに、君にチャンスを与えることにした」
ヘルツォークはルークの言葉を遮って言う。
「君に移植をするのは止めてあげよう。クライアントには死んだとでも言えばいい。もともと、危険は承知の上だろうからね。その代わりになんだが、君にはここに残ってほしい」