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21 『ささやかな人生の意味』

 たった今、目の前でしまったドアをルークは見つめる。


「ちょ、ちょっと、どういうことだよ」


 状況が呑み込めずに困惑する。どういうことだ、閉めたのはシャノで間違いない。彼女は、一体何のつもりなのだ。


「すみません、足、かなり無理してました」


 冷たいドアの向こう側から、シャノの声が聞こえる。彼女の声は先程までとは変わって、痛みに耐えながら絞り出しているような声だった。

 

「足って……」


 ルークは、先程自分が正気に戻った時に、彼女が足を引きずっていたことを思い出した。彼女が痛そうにしていたため、ルークの提案でここまで椅子を押してきたのだ。


「奥の壁の中央にあるのが外へ通じる扉です。ゴミの中には危険物も混ざっているので、何にも触れないようにしてください。扉を出たら――」


「ちょっと待てよ、シャノも一緒に逃げないと!」


 彼女はルークだけを逃がすつもりだ。もしもそんな事をしてしまったら、今度こそ彼女の命はない。シャノが怪我をしているのであれば、これまで同様、ルークが運べばいいだけの話だ。


「俺が椅子を押して逃げるよ! だから――」


「椅子を押したままでは、すぐに追いつかれてしまいます。そうなれば、もう逃げることは出来ません。だからどうか、私の事は置いて行ってください」


 しかしシャノはルークの考えを否定する。

 ルークはドアに近づいて開けようとする。しかしシャノがカギをかけたらしく、ドアはびくともしない。


「何を今更言ってんだよ……早くドア開けろ!」


 ルークは叫びながら何度もドアを叩く。しかしシャノは全くそれに応じようする気配がなかった。


「ここまで一緒に来たじゃねえか、お前を置いて逃げられる訳ないだろ!?」


「私はきっと、足手まといになってしまいます。ここで話している時間はありません。警備もじきに復旧するでしょう。私が時間を稼ぐので、出来るだけ遠くに!」


 なんて頑固なのだ。シャノは本気で、ルークが彼女を置いて逃げるとでも思っているのだろうか。そんな事出来るはずがない。彼女を犠牲にして逃げれば、ルークの脱出には何の意味もなくなってしまう。


「ふざけんじゃねぇ! シャノ、今すぐここを開けろ!」


 ルークはドアに張り付き、必死にドアを叩き続けた。こうしてルークの必死さを見せつければ、彼女の気持ちを動かすことが出来ると信じて。しかし、


「ルーク様、聞いて下さい」


 彼女の頼みに、ルークはドアを叩く手を止めた。


「私はここに来て以来、ずっと代わり映えしない毎日を送ってきました。恐ろしい事をしているなどとは考えもせず、ヘルツォークに仕えて研究を手伝う事を正しいだと信じて。それを果たす事だけが、私の生きがいでした」


 シャノは静かに彼女の胸の内を語り始めた。ルークはドアの前で、見えない彼女の様子を想像しながらその話に耳を傾ける。


「それがこの数日で、何もかも変わったんです。ここで行われている事の真実と、自分がしてきた事を知ってようやく目が覚めました。でもその代わりに、罪の意識が芽生え、生きる目標を失ってしまいました」


 ルークは彼女に初めて会った頃の事を思い出す。

 つい二日、あるいは三日前のことだが、遥か昔の事のように思えた。まるで、シャノとはずっと前からの知り合いのようにさえ感じる。それはもしかしたら、彼女の風貌のせいなのかもしれない。


「でも、私はルーク様と出会いました。ここから出ようと必死にもがくルーク様と、それからミアさんの話を聞いて……私はルーク様を助けるという生きる目標、生きる意味を見出しました」


 ミアの名前を聞き、ルークは驚く。たしか彼女に聞かれて、ミアに謝れていないことを話したのだった。シャノにとってあの話は、大きな意味を持っていたのかも知れない。


「ルーク様と出会い、敵であるはずの私を友達と呼んでくださった日から、まだ二日しか経っていないなんて。でもこの二日間は間違いなく、私の人生で最も価値のある二日間でした」


「シャノ……」


「だから、ありがとうございました。これが私の出来る唯一の恩返しです。どうか、逃げて下さい」


 ドアという隔たりがあるにも関わらず、その言葉からは感謝の気持ちがひしひしと伝わってきた。

 彼女の言い分はよく分かった。ルークと接していた時どんな感情だったのか、今では理解できる。知らず知らずに内に、自分の言動がシャノの心を動かしていたとは。


 しかし、ルークはそれで納得できるはずがなかった。


「ダメだシャノ! それでも、俺はお前を置いて行かない!」


 助けてもらったというのは、ルークも同じだった。

 シャノの助けがなければ、正気を失ったまま、この研究所の真実すら知ることができなかった。ただヘルツォークの話を信じ込み、外に出られることを夢見ながら死んでいっていた所だったのだ。


 文字通り、シャノがいなければ何も出来なかった。だから、ここで彼女を置いてなど行けない。


 しかしその時、間の悪いことに警報の音が鳴り響いた。ルーク達の脱走が

バレてしまったのだ。


「もう時間がありません、逃げて下さい。逃げて、家に帰って、ミアさんに謝って」


 じきに二人の居場所はばれ、すぐさま警備が駆け付けるだろう。こうしては居られない。今すぐに逃げないと。

 それでも、ルークは――


「ドアを開けろ! 今ならまだ間に合う、一緒に逃げるぞ!」


「ルーク様」


「良く聞け、シャノ。俺たちはここまで二人で来た。だからこの先も、お前が一緒じゃないと、意味が無い――」


「ルーク!」


 それは、ミアだった。ドアの向こうから聞こえる、ルークを呼び捨てにする鈴音の声。

 金属の板のせいでシャノの姿を見ることは出来ず、今の声は、完全にミアのものに思えた。


「どうか、私の人生に意味をください」


 必死に訴えるミアの、否、シャノの声。


 それを最後に、片足を引きずりながら歩く足音が聞こえた。


 それなのに、ルークは動くことが出来なかった。


 ルークにとって、シャノを連れずに逃げるのでは意味がない。彼女は何度も助けてくれた、そんな彼女を置いてなど行けない。しかしシャノからすれば、ルークが無事に逃げることが出来て初めて、彼女のしたことに意味があるのだ。


 とてつもない矛盾がルークを襲う。


 シャノを助けなければならない。しかし助けに戻るという事は、逃げろと訴えるシャノの思いを裏切る事、すなわち、彼女の人生の価値を奪う事になるのか。


 ルークは、目の前の銀色のドアを見つめた。

この中には警備ドロイドが何体もいるだろう。ルークの力はそのたった一体にも敵わなかった。その上、ルークは武器すら持っていない。

 それに、そもそもこのドアが開かない。万が一開けられたとしてシャノを助けに戻っても、無事に逃げられる可能性はほぼないだろう。きっと、ここでルークの旅は終わる。そうなれば、ルークはマギアヘイムに帰り、ミアに謝ることが出来ない。


 もしルークがもっと強ければ、シャノを救ってなお逃げるという難題を果たせる程の力があれば。


「何で俺は、魔法が使えないんだ……!」


 何故ルークは、剣の才能しか与えられなかったのだろう。何故、アンドロメダに打ち勝つことが出来る、魔法という唯一の手段を、ルークだけは持つことが出来なかったのだ。


 今まで何度もそう自問してきた。周りには出来て自分にだけ出来ないという劣等感に、来る日来る日も押し潰されそうになってきた。

 しかしこれほどまでに、自分が魔法を使えない運命を呪ったのは初めてだった。


 もしもルークが、こうして囚われたのがロニーなら、ミアなら、そしてフィルだったら、シャノを助けることが出来たかもしれない。何故、何もできない自分が選ばれてしまったのだ。


 もしかしたら、これはルークに与えられた罰なのかもしれない。ルークは助けを求めるフィルを見捨て、魔法が使えないと分かりやる気が失せて何も努力してこなかった。

 今ここでその全てを後悔し、自分の無力さに絶望するというのが、神によるルークへの罰なのか。そうならば、何という皮肉だろう。


 ルークは振り向き、外に通じるドアを見た。あそこを通れば、自由になれるのか。この恐ろしい施設から、逃げることが出来るのか。


 シャノが必死に助けてくれたここまでの道のり。もしルークが死ねば、シャノの人生の価値は失われてしまう。

 ルークは、必死に訴えていたシャノの事を考える。彼女はいわば、ルークに自分の人生の価値を託したのだ。そんなの卑怯だろう。自分の人生に意味を与えろと乞われて、それを拒否するなど白状過ぎる。


 それなら――


「ごめん、シャノ――」


 それが、シャノの最後の願いだというのなら。


『ルーク』


 足を踏み出そうとしたその時、頭の中にルークの名前を呼ぶ声が響いた。


 聞きなれた、懐かしくも新鮮な、愛おしい声。これがミアのものか、シャノのものか、ルークに判断することは能わなかった。


 ルークはここから逃げ、家に帰り、ミアに謝らなければならない。それが果たされてついに、シャノに人生の意味を与えることが出来る。確かに、それは事実かもしれない。



 しかし、シャノを見捨てたルークに、ミアに合わせる顔がどこにある?



ルークはポケットからオライモンを取り出す。そして何の躊躇もせず、丸ごと口の中に放り込んだ。


「――!」


 口の中が破裂してしまいそうな程の酸味がルークを襲う。ルークは顔をしかめながらも、オライモンを飲み込んだ。

 転がったゴミの中から、良い具合の長さの金属棒を一つ手に取る。そして、プラムバーグの中へ通じる扉を思い切り叩き始めた。


 一体、今まで何を悩んでいたのだ。薬のせいで頭がおかしくでもなっていたのか?


 何故ルークが一人でここから逃げられよう。

 シャノを置き去りにして逃げることが、どうしてルークに許されるのだ。


『正しいことをするのに、理由は必要でしょうか?』


 シャノは何の疑いもない様子でそう言った。ルークが貰ったミアの言葉と重なる。

 見た目が同じだけなら、赤の他人という可能性もある。しかし二人は外見ばかりか、同じ志まで持っているのだ。


 二人の関係は分からない。しかしそんなことはどうだっていい。

 今はそれよりも、正しい事、人を助けるために、自分の命すら投げ打つことが出来る少女を助けなければ。


 ルークの力は、今から対峙する敵には到底及ばないかもしれない。ドアを抜けた先に待っているのは、ただ冷たい死のみなのかも。

 それでもルークは、シャノを助けに行かなければならない。

今までずっと逃げてきた。自分の力が及ばないと分かれば、自分の命を優先してきた。しかし今回はそんな事は許されない。


 彼女を助けなければならないから助けるのではない。ルークは、シャノを助けたいのだ。

 あれほど一生懸命に、正しい事の為に生きている少女の事を、ルークは自分の命を引き換えにしてでも助けたい。かつてシャノが、ルークにしてくれたように。


 何がこの二日が彼女の人生の意味だ、大それたことを言って。


 彼女の人生の意味は、ここから出た後に送る、自由で希望に満ちた日々にある。そしてそんな日々をシャノに与える事こそが、今のルークの生きる意味なのだ。


「待ってろよシャノ!」


 金属が折れる音が響き、殴り続けていたドアが吹っ飛んだ。


「今俺が、助けに行くからな!」


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