20 『希望という光』
ライラは目の前に居るルークを見た。
FO-21が十分に効いているようで、ライラが目の前に現れてもそれに対する反応は無い。彼はただ、「フィル」という名前を連呼しているだけだ。
ライラはルークを拘束している椅子の車輪のロックを解除する。只今から、彼の記憶を消去して新しい記憶を植え付ける処置が行われるのだ。
椅子を押して観察室を出て、やがて通路に出る。この時間勤務している職員は少なく、通路にはあまり人の気配は無かった。
目指すのは処置室。ライラにとってこの作業は、手慣れたものであった。何せ彼女は、シャノと同じくこの研究が始まった時から参加している。
しかし何も知らないシャノとは違って、ライラは初めから研究内容に関しては知っていた。
この道は、この後死が確定しているという意味で、死刑囚が死刑直前に通る道と似ている。しかし決定的に違うのは、こちらは死ぬ本人死ぬと理解していないところだ。
それはヘルツォークが与える最後の慈悲である。本来ならば幻覚剤で気分が高揚した状態が、彼らの最後の記憶になる。しかし今回の被験者であるルークは、随分と苦しそうであった。
それでもライラは何とも思わない。どうだっていいのだ。ライラは、ヘルツォークに好かれたかった。
しかし残念ながらそうはいかなかった。彼のお気に入りは別にいる。
ライラがここに来てから一年ほど経った時、とある身寄りのない少女がやって来た。ヘルツォークは彼女をシャノと名付け、たいそう可愛がった。
ライラは彼女に負けまいと努力した。シャノに出来ない事を出来るようにし彼女との差をつけた。それでも、ヘルツォークの気を引くことは出来なかった。
そのため、ライラはシャノを嫌っていた。
「――!」
後ろに気配を感じ、ライラは咄嗟に避ける。
振り返ると、そこに居たのはスタンガンを持ったシャノだった。
「これはこれは。まだ生きていたのですね、シャノ」
「ライラさん、彼を引き渡してください」
シャノはライラの嫌味を無視して、彼女は要求を言う。ライラを気絶させて奪う気だったであろうに、今更何なのだ。
「私に奇襲なんて百年早いですよ」
ライラは油断しているシャノに襲い掛かり、腕をぶつけて彼女のスタンガンを落とした。
シャノも戦いに応じようとする。しかし戦闘能力で言えば、護身術程度の彼女に比べて圧倒的にライラが勝っていた。
ライラはいとも簡単にシャノをねじ伏せて見せる。
「き、聞いて下さい。ここで行われているのは、とても恐ろしい事なんです」
ライラは驚いた。シャノは、自分を説得できるとでも思っているのだろうか。何より腹が立ったのは、自分が知っていることをライラは知らないと思っている事だった。
「知ってるわよ。あなたは今まで知らなかったのね、可哀そうに」
全く思っていないことを、なるべく皮肉っぽく聞こえるように口にする。シャノはライラの返答に驚いている様だった。
「だったら、どうして……」
ライラはとんでもなくこの展開をデジャブに感じた。そう、昨日ルークと交わした会話と、全く同じ流れだ。
本当にどいつもこいつも、何も分かっていないくせに知った気になって口を出してくる。
「あなたは知らなくていいわ。この場で終わらせてあげるから」
ライラはシャノの事を警備に通報しようと思っていた。しかしそれはやめることにする。ライラがこの場で、自分自身の力で彼女の息を止めよう。
次の瞬間ライラは、シャノに襲いかかった。しかし今回は、はっきりとした殺意を持って。
「落ち着いて下さい!」
シャノはライラの攻撃をかわすと、必死に訴える。しかしライラは気にせず、二発目、三発目の攻撃を仕掛けていく。
無論勝敗は見えていた。シャノは一発目を避けることは出来たものの、絶え間なく繰り広げられるライラの攻撃を何度も食らう。
「話し合えばきっと――」
シャノの言葉が途切れる。何故なら、彼女の膝にライラが思い切り蹴りを入れたからだ。シャノは痛そうに顔をしかめて膝をついた。
今の蹴りは、ライラは全身の力を込めたものだった。恐らく骨にひびが入ったか、もしかすると折れているかもしれない。どちらにせよ、これでシャノは逃げられない。
ライラは、彼女にとどめを刺そうと近寄る。
「ヘルツォーク様は、私たちを殺します!」
「……は?」
「聞いてしまったんです! 私たちは死んでいたも同然だから、成長したら何かをするって」
これはライラには初耳だった。ヘルツォークが自分たちを殺すなんて、特にシャノを殺すなど信じられなかった。
ライラの足が止まる。シャノはゆっくりと体を起こすと、
「目を覚まして下さい! ヘルツォーク様は私たちの事を本当に大事には思っていません!」
ライラは動揺した。彼女が言っていることが嘘か本当か判断できない。ヘルツォークは自分たちのような孤児を拾って、愛してくれていて――
その時シャノが飛び出した。ライラはここで初めて、彼女がスタンガンを手にするためにライラを動揺させたのだと気づく。
シャノがあとちょっとでスタンガンを手に入れる所で、ライラはシャノを捕まえた。そのまま倒れ込み、その細い腕でシャノの首を押さえつける。
「もし、あなたの言っていることが事実だとして」
シャノは苦しそうに、ライラの腕をどかそうともがく。しかし腕っぷしはライラの方が強く、それは叶わなかった。
「ヘルツォーク様が私を殺そうとしているとします」
ライラは冷淡に述べる。シャノの話を信じている訳ではない。しかし、
「仮にそうだとしても!」
眉間にしわを寄せて叫ぶ。あと少しで、シャノは落ちるはずだ。ライラは腕により力を込めて怒鳴る。
「それでも私は! 最期の瞬間までヘルツォーク様を愛し続け――」
次の瞬間、体中に電流が走る。シャノの手には、スタンガンが握られていた。
ライラは意識を失っていく。最後に見えたのは、憎きシャノの顔だった。
*
「フィル……フィル……」
「これを食べてください!」
口に何かを放り込まれる。ルークは錯乱しながらも、ゆっくりとそれを噛んだ。その瞬間、強烈な酸味が舌を刺激してルークはえずく。
あまりの酸っぱさに、次第にぼやけていた視界が鮮明になっていく。ルークは、目の前に映った少女の名前を呼んだ。
「シャノ……?」
「ルーク様! 大丈夫ですか!?」
目を見開いてこちらを心配そうに見つめるシャノの顔。
大丈夫かと聞かれると、全然大丈夫ではない。頭がぼんやりとしていて全身的に体が重たい上、舌を襲った酸味が口の中を暴れまわっている。
「や、やばいかも」
「もう一つ食べて下さい!」
シャノは酸味の正体をルークに差し出す。強烈な酸っぱい匂いを放つ黄色い果物。
「オライモン……そっか、腐ったオライモンは」
「酔い覚ましとして使えます。本当に捨てなくて良かった」
仕方なくルークはもう一切れオライモンを口に入れる。とはいっても、手足が動かせないのでシャノに食べさせてもらった。
口に入れた途端、再び酸味が暴れ始める。ただ匂うのとは比べ物にならない程酸っぱい。しかしおかげで、ぼーっとしていた頭が少し回復した。
「な、何があったんだ?」
ルークは記憶の整理が出来ずに戸惑う。ここはプラムバーグの通路のようだ。
シャノは昨日と同じ寝巻きを着ている。しかしあちこちが汚れており、顔も殴られたかのように赤く腫れている。
「説明は後です」
そんなルークの心配を他所に、シャノはルークが座っていた椅子をいじり始めた。
段々と記憶が蘇ってくる。ライラに捕まり、拷問され、幻覚剤を打たれた。そしてフィルの幻覚を見ていて、意識がはっきりするとここに居た。という事は、今は処置が行われる直前という事か。
ルークは椅子の横を見て驚く。そこにはあのライラが仰向けに倒れていた。シャノの傷と倒れたライラが結びき、ルークはまさかとは思いながらもシャノに尋ねる。
「これ……シャノがやったの?」
「はい、そうです」
シャノは当たり前のことのように認る。ルークは驚いたが、よく考えれてみれば、何故か勝手にシャノは戦えないと思い込んでいた。そのため、こんなことをするとは少し意外だ。
その時、解除音が聞こえて拘束具が外れた。これでルークは自由になる。シャノは立ち上がると、ルークに尋ねた。
「時間がありません。立てますか?」
シャノの力を借りて、ルークは椅子から立ち上がる。まだかなり頭がくらくらする上、ずっと座っていたため尻と膝が痛い。しかし立って歩くことは出来た。
「大丈夫そうだ」
「良かった……オライモンの効果は一時的です。また変な気分になってきたら、これを少しずつ食べてください」
そう言うとシャノは、ルークに残ったオライモンをすべて渡した。ルークはそっとズボンのポケットに仕舞い込む。
「計画通りに、ゴミ集積所から逃げます。通路の警備は一時的には大丈夫です。理由は後で。とにかく、今は逃げることが最優先です」
「お、おう。じゃあ、カメラとか気にせずに走ってっていいってことだな?」
「はい」
シャノの計画を聞き、とにかく時間が無いことが分かった。ルークはすぐに走って逃げようとする。
しかしその時、シャノが足を引きずっていることに気が付いた。
「おい、足大丈夫か?」
「はい、これくらい……」
その言葉とは裏腹に、シャノは随分痛そうだった。これでは走れないだろう。
ルークはどうしようかと周りを見る。その時、ルークが拘束されていた椅子が目に入った。椅子には車輪と持ち手が付いており、これなら使えそうだ。
「これに乗れ。俺が押すから、シャノはどっちに行けばいいか指示出してくれ」
「でもこれだと――」
「いいから、時間ないんだろ?」
「はい……!」
シャノは少し迷いながらも頷くと、椅子に腰を掛けた。ルークはすぐさま椅子の持ち手を持つと、
「さあ、どっちだ!?」
「まずは後ろに!」
シャノの指示を聞いてすぐに方向転換させると、ルークは椅子を押して走り出す。少し重いが、車輪があるから大丈夫だ。
自分が押していくと格好つけたが、実はルークもまだ薬が切れていないため走っていくのはきつかった。それでもルークはシャノの指示を受けながら走り続ける。
シャノの言った通り、二人が駆け抜けて行っても警報は成らない上、警備ドロイドにも遭遇しなかった。
「警備はどうしたんだ?」
「助けに行く前に、警備室の人をスタンガンで気絶させてきました」
「へぇ……シャノって戦えたんだ……」
かなり大胆なシャノの話にルークは驚いた。大人の男を相手に戦えるとは、なかなかだ。
「戦えないって言いましたか? 護身術程度ですが、ヘルツォーク様……ヘルツォークに習えと言われて」
ルークの知る限り、シャノが初めてヘルツォークを呼び捨てにした。思い返してみれば、彼女はいつもヘルツォークを主人として、様付けして呼んでいた。
十年も仕えていたのだから、抜けていなかったのか。それよりも、まだ完全に逆らう心構えが出来ていなかったのかもしれないとルークは思った。
それが今、シャノは彼を呼び捨てにしている。それがなんだか、彼女の決心がついたことを表しているような気がして、ルークは嬉しかった。
「よし、いいぞ、シャノ!」
「え?」
シャノは何のことか分からなかったようだ。それも当然、ルークが心の中で思ったことなのだから。
「いや、気にすんな! おっとまた分かれ道だ、どっち?」
「右に曲がってください!」
その後も何度も分かれ道にぶつかってはシャノの指示を仰ぎ、二人はゴミ集積所へと向かった。
途中恐らく研究者であろう白衣を着た人とすれ違ったが、彼らは駆け抜けていく二人に呆気を取られていた。まだ警報が鳴っていないので、警備の方は大丈夫だろう。
「ここです!」
そして二人はついにゴミ集積所に辿り着いた。ルークは椅子をドアの目の前で止める。
「やっと着いた……」
ルークは息を切らし、ドアの前で膝に手を当てた。ここまで車椅子を押しながら全力で走り続けてきたのだ。体力に自信が無いわけではないが、さすがに疲れた。
「今、開けます」
シャノはそう言うと足を引きずりながら立ち上がる。そしてポケットから鍵を取り出して、ドアのカギを開けた。
シャノはドアを開く。その瞬間、中からゴミの匂いと刺激臭が匂い、ルークは顔をしかめる。中を見ると、山積みになったゴミの袋、そして、出入り口らしきドアが目に入った。
「あれが……」
ついにここまで来た。ここまで来るのに、恐怖や痛みを散々味わってきた。何度も、もうだめだと思ってくじけそうになった。それでも希望を捨てずに走り続けた。
それが全て報われるのだ。あのドアを抜ければ、自由が待っている。
ルークはこれまでの苦労を振り返り、感慨深くなった。
「ルーク様」
「はいはい、今行くよ」
つい感傷に浸ってしまっていたルークは、シャノに名前を呼ばれたことで我に返る。そしてシャノの車椅子を押そうと、振り返ろうとした。
「ごめんなさい」
その時、ルークは後ろから背中を押された。一瞬のことで、何が起こったのか分からなかった。
バランスを崩したルークの体は、そのまま転びそうになりながらゴミ集積室に入る。
「え?」
ルークは何とか体制を立て直し、後ろを振り返った。
それと同時に、ドアは音を立てて閉まった。